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1948-08-23 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第48号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年八月二十三日(月曜日)     午後三時二十五分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 梶川 靜雄君    理事 河井 榮藏君 理事 小松 勇次君    理事 石田 一松君 理事 中野 四郎君       古島 義英君    明禮輝三郎君       足立 梅市君    佐竹 新市君       前田 種男君    橋本 金一君       田中 健吉君    中村元治郎君       宇都宮則綱君    徳田 球一君  委員外出席者         兵器処理委員会         に関する問題に         ついて出頭した         証人      幣原喜重郎君                 山崎  巖君                 古井 喜實君                 菅波 稱事君                 小松  隆君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  証人出頭要求に関する件  委員会報告書に関する件  兵器処理委員会に関する問題     ―――――――――――――
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。  理事会において決定をいたしました事項を御報告申し上げて、皆さんにお諮りをしたいと存じます。  第一、去る八月四日の委員会におきまして、本月二十三、二十四、二十五の三日間において喚問すべき兵器処理に関する証人につきましては、委員長に一任せられておつた次第でありますが、去る十四日の理事会に諮りまして、委員長は次の通り決定をいたしました。八月二十三日に喚問すべき証人幣原喜重郎君、小松隆君、山崎巖君、古井喜實君、菅波稱事君、八月二十四日に喚問すべき証人山地八郎君、細井富太郎君、上田祐康君、大津寄茂君、藤澤勇次君、八月二十五日に喚問すべき証人三島治君、鈴木宏君、丸谷淳太郎君、山縣義夫君、阿部三五郎君、都築伊七君以上の通り報告を申し上げます。  第二、七月の報告書につきましては、お手もとに差上げてある通り議長まで提出をいたしておきました。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  今後の日程につきましては、來る八月三十日、三十一日の両日に兵器処理並び佐世保関係証人を喚問することにいたします。來る九月一日、二日、三日、四日、及び二十日、二十一、二十二、二十三、二十四、右日時において石炭國管問題に関する証人を喚問することにいたしたいと存じます。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。
  5. 中野四郎

    中野(四)委員 ちよつと石炭國管の問題に関して……。少くとも提案者である荊木一久君に速やかに來てもらつて、もう少し具体的に報告せしめるようにすることが大事ではありませんか。
  6. 武藤運十郎

    武藤委員長 御報告が遅れましたが、荊木一久君より「ホクシンタイカイノタメオクレテ二六ヒニタツ、セキタンノシンコウハソウダンスルマデシンチヨウヲキセラレタシ、イバラギ」という電報が参つておりますので、委員会における事務局調査と兼ねまして、証人決定等は三十日、三十一日に荊木君とも相談の上いたしたいと存じます。  なお地崎宇三郎君より書面が提出せられております。最高裁判所事務総長よりも書面が提出せられております。読み上げませんが、便宜事務局においてごらんを願いたいと思います。  それでは証人お話を伺います。
  7. 石田一松

    石田(一)委員 証人尋問の始まります前に、私は一言本委員会委員の言動に関する問題について動議を提出したいと思います。未だ当委員会理事会にも正式に提案されず、この委員会においても取上げられず、ただ委員個人として今後取上げようとしておる問題、しかもこの問題は、ある党ある議員の一身上に関する重大なる問題を個人が一種の公の機関であるところの新聞記者團にこれを事前に発表する、かかることが本委員会委員として許さるべきことであるかどうか、これはまことに重大なる問題であると思います。私はかかる行為をこの委員会委員がなすことについては、本委員は絶対に承服できません。事と場合によるならば、かかる委員査問会をこの委員会においてつくられることを要求いたします。     〔「委員会査問会をつくるということはいかぬ、懲罰委員会でやれ」と呼ぶ者あり〕 では同僚の忠告もありますのでこの委員会において委員を取調べる査問会ができないというならば、かかる委員存在の事実のあることを私は立証して、これの懲罰動議を提出したいと思います。
  8. 武藤運十郎

    武藤委員長 石田君の御意見は明日の理事会において……。     〔「動議だ、動議は採決しなければいかぬ。」と呼ぶ者あり〕
  9. 石田一松

    石田(一)委員 まことにごもつともな意見であります。現実にこれが新聞に発表されるかどうかということは、これをお聞きになつた記者諸君の裁量であり、その新聞社のデスクの問題であります。かるがゆえに私は今名前を発表しなかつたのでありますが、発表された事実はあるのであります。これがあすの新聞に発表された場合には本員はその発表した委員名前を申し上げまして正式に懲罰動議を提出いたします。これは実際問題として新聞に発表されたことである。新聞記者に発表されたことは事実なのだが、まだ新聞にこれが掲載されたという事実は、私は何ともまだこの委員会で公式に発表することはできないのであります。であるからして、私はかかる委員を査問する査問委員会をつくることを望んだのですが、この委員会にその権限がないという、そこで私はその発表された委員名前も申し上げませんし、また具体的の理由も申し上げていないのであります。
  10. 徳田球一

    徳田委員 どうも内容がわからぬし、懲罰するなら、やはり懲罰する人間はだれだと言わなければ、ぼやつとしたことでは、だれがどういうことを言つてどうしたのだか、それだけではどうもわけがわからない。石田君がそれを明確にして、だれがどんなことを言つてどうしたと言うならば、それは審議することができると思いますけれども、今の石田君の動議のようでは、どうも審議をするわけにいかぬと思います。
  11. 石田一松

    石田(一)委員 徳田委員の御意見ごもつともであります。私は愼重を期するために、あすの新聞証拠資料といたしまして、あすの委員会に正式にその委員名前を申し上げて懲罰動議をあらためて提出するという権利を保留しておきます。
  12. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは石田君、先ほどの動議と稱する御発言は撤回された形になりますか。
  13. 石田一松

    石田(一)委員 新聞に事実の発表を見るまで。
  14. 武藤運十郎

    武藤委員長 本日御出頭証人は、幣原喜重郎さん、山崎巖さん、古井喜實さん、菅波稱事さん、小松隆さん、この五名でありますか――たいへんお待たせいたしました。本日は兵器処理に関しまして証言を得るためにおいで願つた次第であります。  証言を求める前に各証人に一言申し上げます。  昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人について、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて、黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人虚僞の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手許に差上げてある宣誓書を朗読の上署名捺印願います。     〔証人幣原喜重郎君各証人を代表して宣誓
  15. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは御署名、御捺印願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  16. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは幣原さん、山崎さん、古井さん、菅波さん、小松さん、こういう順序にお話を伺いますから、幣原さん以外のお方は恐縮ですがもう暫く別室でお待ち願いたいと思います。  幣原さんに伺いますが、あなたは昭和二十年の十月ごろから昭和二十一年の五月ごろまで総理大臣をしておられたようでありますが、その日時を伺います。
  17. 幣原喜重郎

    幣原證人 昭和二十年の十月の日ははつきり覚えませんが九日から十日ごろじやなかつたかと思います。それから職を去りましたのは五月の上旬でありましたが、これも日ははつきり記憶いたしません。
  18. 武藤運十郎

    武藤委員長 こちらで調べたところによりますと、昭和二十年十月九日から二十一年五月二十二日ということになつておりますが、大体こんなところではございませんか。
  19. 幣原喜重郎

    幣原證人 大体それは正しかろうと思います。私も確か九日か十日に任命されたと思います。それから去つたのは二十二日ごろとおつしやれば、確かそのころであつたと思います。
  20. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたの内閣総理大臣をしておられる時代におきまして、連合軍より返還を受けました軍需物資兵器等につきまして、何か取扱方針をお立てになつたようでありますけれども、その概略をお話を願いたい。
  21. 幣原喜重郎

    幣原證人 兵器処理の問題につきまして私は内閣総理大臣をしておりました間に、閣議でもつて論議されたことは私は記憶いたしません。多分この問題は事務的の問題として処理されたものと思つております。從つて閣議論議されたことはなかつたろうと思います。もしあつたといたしましても單に事務的の問題として処理されておつたのでありまして、別にただいま私らの記憶に残つておるような問題はなかつたと思います。
  22. 武藤運十郎

    武藤委員長 先般当委員会堀切善次郎さん、坂千秋さん、大村清一さんなどがお見えになりまして、兵器処理に関する軍需物資及び兵器処理等に関する問題については、すでにその前の内視の当時大綱がきめられておつたというような趣旨の証言をせられましたが、そういうことはございませんでしたか。
  23. 幣原喜重郎

    幣原證人 私の記憶いたしておりまする限り、私らの内閣時代大綱をきめたことはなかつたのでありまするから、前内閣時代にきめられたと言われれば、あるいはそうだつたかもしれませぬ。私らの内閣のときにはこの問題は先刻も申しました通り事務的の問題として処理せられたものと見えまして、閣議論議されたことはなかつたのであります。
  24. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは伺いますが、あなたの内閣の時に、閣議特殊物件処理委員会というものを内閣に設けて、特殊物件処理はこの委員会に付議して決定するというようことがきまつた事件はございませんか。
  25. 幣原喜重郎

    幣原證人 どうもそのことははつきり自分記憶には存しておりません。要するに大した政治問題とはだれも見ていなかつたのでありまするから、詳しく論議されたこともなく、私は記憶いたしておりません。
  26. 武藤運十郎

    武藤委員長 兵器処理委員会というものが民間五社によつてつくられたのでございますけれども、このことについて閣議または特殊物件処理委員会論議せられたことはございませんか。
  27. 幣原喜重郎

    幣原證人 閣議でそういう問題を論議いたしたことはないと私は記憶いたしております。
  28. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時の内務大臣堀切善次郎さん、その次に三土忠造さん、次官坂千秋さん、大村清一さんでありましたか。
  29. 幣原喜重郎

    幣原證人 その通りであります。
  30. 武藤運十郎

    武藤委員長 兵器処理の問題について、あるいは軍需物資の問題について、あるいは特殊物件処理委員会のことにつきまして、内務大臣次官あるいは内務省調査部長というものが扱う人だということも御存じないのですか。
  31. 幣原喜重郎

    幣原證人 先刻申しました通り、そういうことは閣議の問題にならなかつたのでありまするから、だれが取扱つておるのか、私は今記憶いたしていないということは先刻申した通りであります。
  32. 武藤運十郎

    武藤委員長 正式の閣議の問題とはならなかつたというような御記憶でありますけれども、在任中に兵器その他の特殊物件について何か個人的に閣議外においてお聞きになつたことはございませんか。
  33. 幣原喜重郎

    幣原證人 私の関する限りそういうことはございません。
  34. 武藤運十郎

    武藤委員長 諸君、何かお尋ねになることがございますか。
  35. 明禮輝三郎

    明禮委員 一九四五年指令第五十三号というのがありまして、連合軍最高司令部から一九四五年九月二十四日附帝國政府に対する覚書が終戰連絡中央事務局経由参つておりまして「、日本軍隊ヨリ受領シ且ツ受領スベキ資材補給品装備品ニ関スル件」というのがあります。こういうような品物を結局は日本帝國政府内務省がこれを受領することになりまして、内務省はこれを全部記録に保存し、すべての補給品資材及び装備品の最後の消費者をも分明ならしむるごとくその処置を明らかにすべしというような指令参つてつたのであります。証人が御就任になる少し前にこれは來ておりますが、これらの問題についてお知りになつたことがございましようか。それを伺いたい。
  36. 幣原喜重郎

    幣原證人 そういうことはなかつたと思います。
  37. 明禮輝三郎

    明禮委員 なかつたと言いますると、來てはおるはずでございますが、あなたがお取扱いにならなかつたとか、あるいはごらんにならなかつたということでございますか。
  38. 幣原喜重郎

    幣原證人 それは閣議に提出されたことはないのでありますから、私知りようがないのであります。九月の二十幾日かと言われましたが、私の就任前でありますから、その時代にどういう書類が來ておつたか、それをどういうふうに取扱つたか、私はまつたく知らないのであります。
  39. 明禮輝三郎

    明禮委員 閣議でなくても、いろいろな特殊物件処理委員会があつたわけでありますから、どなたかからお聽きになつたとか、何とか御関係の筋でかようなものが來ておるということの御記憶がございませんでしようか。
  40. 幣原喜重郎

    幣原證人 それは先刻委員長からのお問いに対して答えたつもりでありますが、とにかく事務的に取扱つてつたものでありまするから、内閣の方から、あるいはその他の方面から、私が聽き込んだとか、あるいは私からつつこんで聽き質したとかいうことはないのでありますから、私の耳にははいつていなかつたのであります。
  41. 明禮輝三郎

    明禮委員 そういたしますと、それを事務的に取扱つてつた者はだれでございましようか、内閣特殊物件処理委員会というものがあつたということは、あなたはおいでにならなかつたかもしれませんが、どなたかがやつてつたはずであります。なおそれを事務的に扱つてつた責任者はだれであつたかということがおわかりになつたら、述べていただきたいと思います。
  42. 幣原喜重郎

    幣原證人 これから私の申すことは、私の想像で申すのでありますが、おそらくそれは内務大臣主管ではなかつたかと思います。しかし私はたしかにそれを知つて申し上げるわけではありません。大体私はそう想像できるのであります。
  43. 明禮輝三郎

    明禮委員 その内務大臣というのはどなたでございましようか。
  44. 幣原喜重郎

    幣原證人 そのころの内務大臣堀切善次郎君であつた記憶いたします。
  45. 明禮輝三郎

    明禮委員 実は堀切さんもはつきりしておらないものでありますから伺つたわけでありますが、それではよろしゆうございます。
  46. 徳田球一

    徳田委員 この問題は非常に重大でありまして、戰時中に貯えていた全軍需品に対しての処分でありますから、内閣がこれを決定し、そしてその法律的処置をしなければならないと考えるのであります。それゆえ内閣がこれを全然知らずして、單なる事務的処理だということになりますると、これは非常に重大なことであります。そうするとこの事務的処理に対する法律的根拠政治的責任は一体だれが負うかということが、こういうやり方では全然わからないのでありますが、幣原さんはその点につきまして、全然知らぬ、政治的責任存在法律的根拠も全然知らないということはないのでありまするが、それはどうでしようか。内閣としてはそういうことはあるべきものではないと思いますが、どうでしようか。
  47. 幣原喜重郎

    幣原證人 ただいまから考えますると、重大な問題であつたということは了解されますけれども、そのころにはそういう政治的な意味を帶びているようにはだれも了解していなかつたのであります。それが眞実であります。それゆえにこれは私が先刻申したるがごとく、内務大臣主管であろうと考えまするけれども、内務大臣がこれは重大な政治問題ではない、閣議に諮るほどの必要はないと思いまするならば、自分責任内においてしかるべく処理することができるものであります。その処理において悪いことがありまするならば、それは責任を負われるでありましよう。しかしながらとにかく閣議には付せられたことはない。少くとも私は付せられたことを記憶いたしていないのであります。
  48. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、内務大臣がこれを事務的に処理することに対しまして、法律的根拠はどこにありましようか。その点は内閣はちつとも、論議もせず、法律的根拠も何も定めずしてただやつたのでしようか。國有財産である以上は、國有財産処理に対してはやはり國有財産処理に関する法律があるのでありまするから、これらの法律根拠をおいて行うべきものである。單に内閣大臣の仕事であるから、事務であるから何でもいい、ばらばらにやつてしまえというわけにいかぬと思うのでありますが、ただ内務大臣事務的処理をするという法律的根拠について、その際内閣では何らの論議もなかつたわけでありますか。
  49. 幣原喜重郎

    幣原證人 大体私は同じことを繰返すようでありますけれども、内閣では論議はなかつたのであります。もし前内閣でその問題が討議されまして、この処理に対して大体の方針がきまつた規則がきまつたということでありまするならば、その規則によつて私らの内閣責任者はしかるべく処理をいたすことと私は思つております。法律上その問題をきめなければならぬということはないと私は思います。
  50. 徳田球一

    徳田委員 それではその当時は何らの法律的な根拠なしにものをやれた時代だという御見解になりますが、その場合には日本には法律も何もなかつた國有財産その他のことについても法律的な措置も何もすることはなかつたということになるのでありまして、非常に重大な問題だと思う。それゆえにこれ以上聽きましても何ら價値がないと思いますから、この問題はこれだけにしまして、あとに発言を保留したいと思うのであります。
  51. 幣原喜重郎

    幣原證人 何だか私らの内閣のときに無法なことをしたというお話でありまするが、そういうようなことはありません。たとえば前内閣時代にちやんと規則がきまつておるならば、その次の内閣もそれに從つてつていけばいいのであります。決してそれは違法ではない。無法なことをやつたと言えないと私は信じております。
  52. 徳田球一

    徳田委員  それは見解の相違だ。
  53. 武藤運十郎

    武藤委員長 幣原さんにちよつと伺いますが、あなたの内閣時代におきましても、閣議に付せられた事項閣議において決定せられた事項、それらは記録に存しておりますか。
  54. 幣原喜重郎

    幣原證人 それは記録に存しておると私は了解しております。私は一々その記録を読んだのではありませんけれども、通常閣議できまつたことは記録に存しておるはずであります。
  55. 中野四郎

    中野(四)委員 今の御証言の中で、あまり当時は重大でなかつたという氣持を現わしておられますが、当時の状況からいえば、なるほど今日のように政治問題化するおそれは考えていられなかつたでありましようが、現在から過去に遡つてみて、当時の状況をわれわれが判断してみても大体了察はつくのですが、幣原さんとしましては当時兵器処理特殊物件処理にあたつて、その金額が相当大きなものであるのでありますが、その品物の行方についていろいろな間違いが起りはしないだろうかというような危惧を感じはしなかつたでしようか、この点をひとつ伺つてみたいと思います。     〔委員長退席梶川委員長代理着席
  56. 幣原喜重郎

    幣原證人 それは前内閣時代にもし連合軍司令部からしてさような指令が來ておるならば、それに從つて内閣がしかるべく処理して、規則もこしらえておつたのだろうと考えております。そういう規則をこしらえておつたならば、その事務をとる人がその方針從つて事務をとればよいのであります。内閣が迭るたびに一々さらに反復して、事務方針をきめるというようなことはありません。
  57. 中野四郎

    中野(四)委員 理屈で言えばその通りですけれども、事実上これだけの莫大な物品を処理するにあたつて、相当末端において危いことが行われはしないかということについて、主務大臣が相当警戒するのが当然であります。私はあなたの責任を問おうとするのではないのですが、少くとも政府の首班として、内閣総理大臣として、当時内務大臣あるいは商工大臣がこれを処理するにあたつて、相当危惧を感じてはおられなかつたかという点を私は伺つておるのですが、その当時の状況を少しあなたから伺つておくことは、今後の事件を進展せしめる上において大事なことであると思うから時に伺うのです。
  58. 幣原喜重郎

    幣原證人 私はその当時の内務大臣を全然信用しておりましたから、前内閣時代にきまつた規則通りに行つておると推定すべき理由があつたのでありまして、この人に任しておくと怪しいというような考えはまつたくなかつたのであります。それゆえにもう一遍考え直してみるがよいとか、調べ直してみるがよいというようなことは、考えてみたこともなければやりもしなかつた。正しくその方針が行われておると私は信じておつたのであります。
  59. 中野四郎

    中野(四)委員 そうしますと結論としては、前内閣内閣総理大臣であるところの東久邇宮さんから決定しておつたことを、そのまま忠実に履行されたという結論になるのでありましようか。
  60. 幣原喜重郎

    幣原證人 私は先刻申しました通り、前内閣時代、すなわち東久邇宮さんの内閣のときに、その問題にはたして総司令部からどういう指令があつたのか、私一々調べたわけではありません。しかしながら今のお話を聽いてみますと、九月いく日という日附でありますならば、前内閣時代にそういう指令が出たに違いありません。そうしますと、その当時の内容でしかるべく処理せられたと推定する。そうするとその次の内閣も自動的にその方針によつてやるというのが從來の内閣やり方であるのであります。
  61. 中野四郎

    中野(四)委員 私が聽こうとする氣持と、幣原さんとの間にぴんとこないものがある。おそらく東久邇宮内閣総理大臣になられて、八月十七日就任と同時に、聞くところによればこの兵器あるいは廃兵器、こういうような軍所有物資をば公共團体を通じて適当に民間処理してよろしいというような指令が出たかの感が與えられておるのであります。從つて近い將來に前総理大臣東久邇宮さんにこちらにおいでを願わなければならぬ過程になるかと思います。当時の混乱状態からいえば、少くとも法律的根拠とか、ないしは連合軍司令官がいまだこちらに來ておられない当時でありまするから、その指令を出したところの政治的責任法律的責任を追究される過程にはいると私は心配しておる。もとより悪い点があれば徹底的に追究されるがよろしいと思うけれども、私が幣原さんをここにおいで願つた氣持は、当時いわゆる八月十五日の終戰の大詔が渙発せられて、あなたが内閣総理大臣を受けられる間に相当國内的國民的動搖があつたけれども、当時の問題からいえば、この廃兵器処理あるいは特殊物件処理にあたつては、一國務大臣に任しておいて十分のことであつて、それが將來悪い面を起すおそれがないというように考えられておつたかどうか。すなわち私が聽かんとするところは、当時混乱してあなたの内閣に移るまでの間に、どういうような状況が展開されておつたかということが発表されればよろしいと思うのです。たとえば法律的根拠なしにそういう命令を出したとか出さぬとか、そういう責任追究があれば、当時の状況はこうであつた、しかしながら私が総理大臣を受け継いだときまこういうふうであつたというふうに御証言願えればたいへんよいと私は思つておるのだが……。
  62. 幣原喜重郎

    幣原證人 また同じことを答えるようになつて、はなはだ恐縮でありますけれども、私の時代にはその問題は閣議には提出されなかつた。なぜ提出されなかつたかと思つてみるときに、おそらく前内閣時代方針はきまつてつて、それによつてその次の内閣内務大臣処理したものである、私はその当時の内務大臣に対しては全然信頼をいたしておりましたから、少し險呑だとか怪しいという感じは少しも私はもつていなかつたのであります。これが眞相であります。
  63. 中野四郎

    中野(四)委員 そういうふうになつてきますと、閣議決定は二十年の十月十九日になつて、それが通牒として出ておるのですけれども、閣議で全然問題にならぬということになると、あなたの御就任中ではないのですか。廃兵器特殊物件指令の出ているのは、閣議決定昭和年二十年十月十九日となつておりますが、これは違いますか。
  64. 幣原喜重郎

    幣原證人 私はその閣議でもつて議せられたことを全然記憶しないということを言つたのでありますが、その当時の私らの心持は、まつた事務的にその主管の人がそれを取扱つておるのでありまするから、それを爬羅剔抉して調べるようなことはたれも思わなかつたのであります。それゆえに私らの内閣の当時にそういう決定がされておるかもしれませんけれども、記憶いたしていない。何ゆえ記憶いたしていないかというと、政治的の意味よりもまつた事務的に取扱つてつた結果であろうと考えているということを私は先刻から申し上げておるのであります。
  65. 中野四郎

    中野(四)委員 くどく伺うようですが、私はここは大事なことだと思う。たとえばあなたの時分にはそういう心配する状況になかつたということが立証されればよいのです。いや、当時大分いろいろなふうに動く傾向があつて從つてどういう処理をしたということになれば別ですが、東久邇宮さんから内閣を継承されて、あなたの時分に、特殊物件処理するにあたつては、それほど危惧すべき状況になかつたということがはつきりわかればいいのです。
  66. 幣原喜重郎

    幣原證人 危惧する状況でなかつたというよりも、私らの時代には、そういうことは内務大臣の権限内において行つておることを、内閣でもつて干渉するという必要があるとはたれも思つていなかつたのであります。
  67. 石田一松

    石田(一)委員 ちよつとお伺いいたしますが、二十年の十月九日に内閣総理大臣に――あの当時の言葉で言えば総理大臣の大命が降下したのですか。それとも十月九日組閣を完了されたのですか。
  68. 幣原喜重郎

    幣原證人 たしか十月の九日に組閣が完了されたと私は了解いたしております。
  69. 石田一松

    石田(一)委員 十月九日に組閣が完了されて、ただいまの中野委員の質問の中に、十月十九日の日附でこの指令が出ておる。こうなりますと、これは前の内閣決定したものを、新たに組閣された幣原内閣閣議に諮らないで、引継いだ事務官が組閣完了後十日目に、勝手にその指令を出したと、こう解釈することができますか。
  70. 幣原喜重郎

    幣原證人 十月十九日に内閣決定として発表されたものであるならば、それはその内閣できめたに違いありません。しかしながら何分われわれの氣持は、事務的の問題と思つておりましたから、深い論議がなかつたということは事実であります。それゆえにわれわれの記憶に存していないということを先刻から申し上げておるのであります。
  71. 石田一松

    石田(一)委員 事務的に決定をされても、その内閣が組閣完了した、しかも十九日決定としてこれが出されているならば、その内閣決定したことであると、ただいまの御証言でございますが……。     〔梶川委員長代理退席、委員長着席〕 そうすると、それがたとい事務的になされようと、閣議でそうしたものが一切議題となつたことがなかろうと、その指令が守られたか、守られないかということの指令を根本的に解釈すれば、責任はその当時の内閣にあると、こう解釈してもらえるのじやないかと思います。
  72. 幣原喜重郎

    幣原證人 私は責任の所在の問題を話したのではなくして、われわれの心持がどうであつたかというお問いのように考えましたから、私はその当時、いずれにいたしましても組閣匆々のことでありますから、内務大臣にこの問題を任しておくと危險だというような、そういう考えはたれもなかつたのであります。内務大臣が、もしそういうことが閣議決定されたといたしますならば、確かに決定されたのでありましよう。しかしそれは別にいろいろな角度から論議されたというようなことはなかつたのであります。
  73. 石田一松

    石田(一)委員 そうすると内務大臣堀切氏は、閣議において全然この問題を檢討することなく、一應の提出の形をとつたのか。それとも独善的にこれを閣議決定として、内閣指令として発表されたのか。こういう非常にデリケートな問題になるのでありますが、この点は内務大臣一人の責任に帰すべき問題でしようか。それともその内閣総理大臣も監督上の責任を負わなければならないかという点をちよつとお尋ねしたいのであります。
  74. 幣原喜重郎

    幣原證人 その当時の堀切内務大臣が、閣議決定していないことを自分責任決定したと称して発表するということは、あり得べからざることであります。私はそういうことをする人でないことを固く信じております。それゆえに、こういうことが私の内閣のときに決定されたという記録がありますならば、それはその通りでありましよう。しかし何分その当時は内閣組織後十日間も経たぬ匇々の際でありますから、その問題に関して特に政治的に考えて、内閣論議したという事実はないということを事実を、ありのままに申したのであります。
  75. 石田一松

    石田(一)委員 これは私の意見になるかもしれませんが、見解の相違と言われればそれまでですが、その当時の氣持としては、これは政治的な問題として考えるほどのものではなかつたというふうな御証言でございますが、終戰当時、あなたの内閣総理大臣をやつていらつしやいました当時、復員軍人などが、自分が所属していた隊から、いや何を持つてつた、自動車を持つてつたとか、兵器あるいは特殊物件の違法な民間への流れ方に関しては、内閣総理大臣あるいは閣僚諸公は全然問題にしていらつしやらなかつたかしらぬが、國民の大多数は最も強い関心をもつてつたということだけを、一應私は申し上げておきます。もう一度冷靜に当時をおふり返りくださいまして、それが内閣にとつては全然政治問題とするべきほどの問題でなかつたかどうか、それほどのこまかい問題であつたかどうか、私は非常に疑問に思つておるものであります。証人の御見解をお伺いいたします。
  76. 幣原喜重郎

    幣原證人 それは先刻私は申したつもりでありますが、前内閣のときにこの問題を閣議論議をして決定したものであろうと想像される。私はその書類を見たのじやありませんけれども、九月の二十五日ですかに、司令部の方からそういう指令書が來たということでありますならば、そのままでうつちやつておく氣遣いはないのであります。それらの経過を見てみまして、やはり相変らず悪いことをしておつたということを想像するべき理由もなし、おそらくはその当時にきまつた方針は、その次の内務大臣としてもその通りつておられたのであろうと想像するということは申し上げた通りであります。
  77. 中野四郎

    中野(四)委員 幣原さんのお考え違いがあると思う。それは前内閣閣議では載つていない。あなたの内閣のとき、すなわち二十年十月九日御就任後、十月十九日に連合軍司令部の意向に基いて箇條書にしてあります。今私は手もとに持つておりませんから、あとで事務局の方からお目にかけますが、第一番に戰災者に特殊物件はやれ。第二番は引揚者、帰還軍人、負傷兵を含むとしてあります。第三は衣料品とかいろいろなことの処理についてこまかく書いたものがあるわけであります。從つて当時の國民はこの連合軍の非常な好意によつて政府を通じて一般に渡さるべき物質については、今石田君の言つた通り重大な関心を拂つてつたわけであります。私が先ほど伺つたのは、混乱状態にあつて、ただちにそのあとをお引継ぎになつた当時には、おそらく非常に多忙を極めておられたのであろう。そこであなたの御信じになる内務大臣主管であり、同時に商工大臣主管であるから、それにお任せになつたという氣持はわかるのです。ただ問題は、あなたが内閣の首班として、閣議がたといビジネス上にしても決定をして、この連合軍の好意を國民にわけ與えるという観点に立つて、この重大な物資、莫大な金額に相当するものが公平に、はたして國民の手もとに渡るかどうかという点について、危惧を抱かれなかつたかどうかという点を心配したのである。あなたは危惧は全然ない。当時内務大臣を信じたからそのまま任しておいた。そういう事務的の点はわからぬとおつしやられればそれまででありますが、事実はあくまでも二十年十月九日の閣議決定で、廃兵器処理については、特に海上特攻艇、海上にある艦船は全然別だというようなことも書いてあるわけであります。こまかい書類もありますが今持つてこなかつたのは遺憾でありますが、それによつてあなたに今日おいで願つたわけでありまして、從つて当時少くとも内閣の首班として、この連合軍の好意をそのまま國民の手もとに渡せるように御心配になつたとすれば、内務大臣商工大臣を督励して、その徹底を期せられたかどうかということを私は心配しているのです。ところが覚えがないと言われれば、御老齡のことですから、あるいは記憶の古いことをば呼び出すというのはむりかもしれません。しかし書類にはあくまで載つている問題であります。当時の閣議にかかつたことは大にしろ小にしろ、今日のように特に政治化してみますと、これはたとい当時はどう思つたにしましても、当時のあり方、いわゆる時局を收拾する上においてこういう状況下にあつたんだ。從つてこの問題についてはぼくはこう考えているということを、卒直にここで述べていただきさえすれば、あなたにおいで願つた目的は達成される、こう申し上げたのであります。私の言い方がまずかつたかもしれないが、この点についてもう一遍伺つておきたい。何遍も伺つてしつこいかもしれないが、閣議決定の日にちは間違いない。
  78. 幣原喜重郎

    幣原證人 閣議決定日附について、私はそれを否認するわけでも何でもありません。そういう書類があるとおつしやるなら、その通りであつたのでありましよう。しかしながら先刻もたびたび申しましたごとく、そういう問題はやはり主管の人が自分責任を負うてやるのですから、それをほんとうに責任を負うてやつておるかどうかということを絶えず本人に聽くというようなことは、それは内閣やり方ではありません。そういうことであまり責任者を信用していないならば、その人を内務大臣に推薦するなどということはあり得べからざることであります。私は信用しておつたから、適当に処理せられることであろう。それまでにどういうふうな弊害が行われておるといたしましても、堀切君のような人がその衝に当られますならば、むろん不正なことはなかつたろう、私はそう信じておりました。別にそのことが閣議の問題になつたことはないということだけを申し上げただけであります。
  79. 中野四郎

    中野(四)委員 それでは観点を変えて、もう一点だけ、私がたいへん心配をしておりますのは、先ほど申し上げたように、ここへ今日東久邇さんにおいでを願つても、昭和二十年八月十五日の大詔渙発当時における國内の治安状態とか、國民の不安動揺というようなものについては、われわれは事実目で見、耳で聞いて承知しておることであります。当時東久邇さんがこのような指令を出す段階にたつた当時の治安状況、あなたが十月の九日に内閣総理大臣を受けられた当時は、もう東久邇さんの状況とあなたの当時とは相当変つておりましたか、あるいはまだ相当治安状態にも不安があり、さらに廃兵器あるいは特殊物件のみならず、相当多忙をきわめなければならぬような治安状況にあつたかどうか、こういうような点が立証されればたいへんありがたいと思います。それはなぜかと申しますと、いわゆるあなたの御証言從つて、ここへ東久邇さんにおいでを願うかどうかが決定される段階になりますので、おいでを願つても当時の治安状況から言つても、法律的根拠がある、あるいは先ほど申し上げたような連合軍の司令官がまだ御上陸になつておらない最中に、あるいは八月二十三日までマニラから連絡をとつて、さらに指令を受けて、一般公共團体を通じて勝手に処分していいというような誤つた指令があるいは正しい指令が出た。その指令を取消したということについて、この問題については相当論議されなければならぬのでありますから、当時の治安状況はどういうふうであつたか、こういう点について何かひとつ御立証願える点がありますか。
  80. 幣原喜重郎

    幣原證人 その当時の治安状況は前内閣の当時から比べて非常によくなつたとは私は思つておりません。今回でもよくなつておるかどうか、私は疑問であると思う。そういうことはなかなかどこまで治安状況がよかつたか悪かつたかということを私より断言できるものではありません。私は前内閣のときと私らの時代と比べて急によくなつたなんというような独断をいたしておるものではありません。悪いことはやはり悪かつたろうと思います。
  81. 梶川靜雄

    梶川委員 一つだけお伺いいたしたい。非常によくお忘れになつておるようでありますけれども、思出してお答え願いたいと思います。  それは九月に指令が発せられまして、就任されたのはすぐ間近のことで、その間の時日というものはあまり経過いたしておりません。しかもその指令は当時一番問題になつてつた日本の武裝解除という一番大きな問題であつたと思うのであります。從つて日本の武裝解除という大きな問題について指令が出て日なお浅いときに就任せられて、しかも先ほどからの御想像もありましようけれども、前内閣のときに決せられたように思うと言われておりますが、前内閣から事務引継の際に、そういう重大な問題でありますから、当然問題になつたろうとわれわれ推察されるのでありますが、その点について事務引継の際に何か話があつたかどうか、個人的にも全然念頭に浮ばなかつたかどうかという点をお伺いいたします。
  82. 幣原喜重郎

    幣原證人 前内閣東久邇宮樣から私に対して引継があつたかというお問いに対しましては、そういう引継はなかつたのであります。この問題について何も関心がなかつたかと仰せられると、それはだれでも日本人として関心をもつのは当り前でおります。電車の中でも何でもそういう話をしておつた。しかしながらそれが適当なる当局者の手にありますならば、何も世間の囂々たる非難を引起すおそれはないと私は考えておりまして、その当時の責任者である内務大臣をわれわれは信頼して、閣議の問題には出なかつた。こういう私は心境を先刻から申し上げておるのであります。
  83. 武藤運十郎

    武藤委員長 他にございませんか――それでは諸君にお諮りいたしますが、あとの証人のためにお残り願う必要がありますか。それともお帰り願いますか。     〔「なし」と呼ぶ者あり〕
  84. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは済みました。お帰りください。     ―――――――――――――
  85. 武藤運十郎

    武藤委員長 山崎巖さんですか。あなたは東久邇宮内閣時代における内務大臣を勤めておつたようでありますけれども、在職の期間はいつからいつまででありますか。
  86. 山崎巖

    山崎證人 昭和二十年の八月十七日内閣が成立したように記憶いたします。それと同時に就任いたしまして、同内閣が総辞職いたしましたのが十月九日だつたと思います。総辞職と同時に退官いたしました。
  87. 武藤運十郎

    武藤委員長 その間内務大臣として在職せられたのですね。当時の内務次官古井喜實君でありましたか。
  88. 山崎巖

    山崎證人 そうでございます。
  89. 武藤運十郎

    武藤委員長 あたたの在任せられた東久邇宮内閣時代において兵器を含む軍需物資について何か処理方針決定せられた事実がございますか。
  90. 山崎巖

    山崎證人 処理方針決定をいたしました記憶は全然ございません。
  91. 武藤運十郎

    武藤委員長 昭和二十年九月二十四日附の最高司令官よりの軍需物資返還に関する指令というものはご存じありませんか。
  92. 山崎巖

    山崎證人 それは記憶いたしております。
  93. 武藤運十郎

    武藤委員長 それについて詳細に述べてみて下さい。
  94. 山崎巖

    山崎證人 日取りはあるいは記憶に相違があるかもしれませんが、九月の下旬に最高司令部より覚書が出まして、その覚書の内容は、從來軍の保有する貯藏品、裝備品、その他一切を日本の民生安定のために返還をする、それについては引渡しの準備を、内務省において責任をもつていたすようにというような覚書が出ましたのを記憶いたしております。その覚書に基きまして、相当に厖大な物資でございますので、その当時内務省調査部を設置するという決定をいたしたことを記憶いたしております。調査部の設置をいたしましたのは、多分覚書が出ました一両日後のことであつたように記憶いたします。なおこの物資の返還につきましては、内務省に特に課せられましたゆえんのものは、内務省が当時、地方廳を所管いたしておりました関係だろうと想像するのでありますが、その関係におきまして、地方廳にも相当の人員の整備を必要といたしまするので、その準備をいたしましたことを記憶いたしておるような次第であります。なお特殊物件処理につきましては、その当時の記憶でございますが、内務省が御承知の通りに経済的の方面の行政に携つておりません関係上、結局その物資別に各省にそれぞれいろいろ立案なり、準備をしてもらわなければならぬではなかろうかというので、連絡機関みたいなものを必要としやしないかというような話合いをいたしましたことを記憶いたしております。連絡機関をつくつたという記憶はつきりいたしませんが、あるいは私どもの総辞職の直前にそういう機関が設置されたやにも考えられるのでありまするが、その点は記憶が明暸ではございません。以上、大体私の承知いたしておりまする事実を申し上げます。
  95. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、民生安定のため、それから経済復興のためということがございましたね。
  96. 山崎巖

    山崎證人 経済復興という言葉は言つてつたかどうか、ちよつと私は記憶いたしませんが、あるいは含まつていなかつたのではないかと思います。
  97. 武藤運十郎

    武藤委員長 調査部を設けてこれを処理するというのでありますが、その返還物資の中には兵器もはいつてつたわけであります。
  98. 山崎巖

    山崎證人 その当時の記憶からいたしますると、兵器がはいつてつたかどうかはつきりいたしませんけれども、軍の貯藏品、裝備品その他一切とございまするから、あるいはその中にはいつてつたやもはかりがたいやにも記憶いたしますが、どうも記憶から申しますとあまり明暸ではございません。
  99. 武藤運十郎

    武藤委員長 兵器処理に関しては、閣議または物殊物件処理委員会に諮つたということはないのですか。
  100. 山崎巖

    山崎證人 先ほど申し上げましたように、連絡機関的な処理委員会をつくるということを相談をした記憶はございますが、むろんその当時はまだ返還の覚書が出ました直後でありまするから、処理方針等を、その委員会決定いたしまして閣議にかけるというようなことは、私どもの時代には全然なかつたように記憶しております。
  101. 武藤運十郎

    武藤委員長 司令部から來たものは書いたもので來たのでありましようが、何か口頭でその指令について、あるいはその実行についてお話はなかつたのですか。
  102. 山崎巖

    山崎證人 ただいま記憶をたどつて考えてみますると、覚書が出まする前に、軍需物資の返還について司令部から、どういう省にやらせるのが一番よろしいかというような意見を聽いてきたことがあるように記憶いたします。その際内務省でいろいろ相談いたしまして、結局地方廳を統轄しておる内務省以外にする所がなかろうという相談をいたした記憶を、ただいま喚び起した次第であります。
  103. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時司令部を代表して、そういうお話のあつたのは何という人ですか。
  104. 山崎巖

    山崎證人 それは全然記憶がございません。
  105. 武藤運十郎

    武藤委員長 バラードという大佐のお名前は御承知ありませんか。
  106. 山崎巖

    山崎證人 私ども全然記憶がありません。
  107. 武藤運十郎

    武藤委員長 次の内閣幣原内閣時分に内務大臣でありました堀切善次郎君、同次官でありました坂千秋君、大村清一君などの言によりますと、兵器処理等につきましても、大体の方針調査部というようなものと一緒に前の内閣、すなわちあなたの所属しておられた内閣できまつてつたというような趣旨の証言をしておりますけれども、そういうことはないのですか。
  108. 山崎巖

    山崎證人 先けど申し上げましたように私どもの在任中に兵器、その他の物資について処理方針をきめたという記憶は全然ございません。あるいは想像いたしまするのに、先ほど申し上げました連絡機関をつくるというようなことは、私どもの時代決定したかもしれないが、その期間において処理方針決定するようなことは、全然私には記憶がございません。
  109. 武藤運十郎

    武藤委員長 民間五社をして兵器処理委員会をつくらせるというような話も全然御記憶ありませんか。
  110. 山崎巖

    山崎證人 全然ございません。
  111. 武藤運十郎

    武藤委員長 閣議において附議された事項または決定せられました事項は、何か記録に存しておりますか。
  112. 山崎巖

    山崎證人 どうも記憶はつきりいたしませんが、その当時返還物資について閣議決定をしたという記憶は全然ございません。
  113. 武藤運十郎

    武藤委員長 調査部をつくるということは閣議できめましたか、内務省だけできめたのですか。
  114. 山崎巖

    山崎證人 調査部はその当時のことを考えてみますと、臨時的の規定で内務省だけできめたのじやないかと思います。
  115. 武藤運十郎

    武藤委員長 調査部をつくることを内務省できめたとしますれば、当時それをつくる必要、その事情、顛末等を記載した何か書類がございますか。
  116. 山崎巖

    山崎證人 それは内務省について調べれば、その当時の書類が残つていやしないかと存じますが、わかりません。
  117. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがありますか。梶川君。
  118. 梶川靜雄

    梶川委員 ちよつとお伺いしますが、閣議においてこの処理について相談したことがないというお話でありますが、メモランダムを受取つた場合にこれを内務省でやるというふうにありまして、このメモランダムの受領並びにその善後処置については閣議で相談されたものと推定されますが、その点いかがですか。
  119. 山崎巖

    山崎證人 先ほど申し上げましたように厖大な物資でございますから、まずその引受けの組織を考えることが先決問題であります。その後処理の問題にはいるわけであります。私ども辞表を提出いたしましたのは十月早々でございまして、從つて覚書が出ましてからわずかの期間であります。むろん処理大綱についても閣議で相談するようなことはなかつたように記憶いたします。
  120. 梶川靜雄

    梶川委員 それはちよつと聽きとれない話だと思います。調査部を設けて、そこで処理せしめると言つておきながら、それについて期日が少かつたから何ら相談しなかつたということはどうも筋が通らないように思うのですが、しかしそれはそれとして、調査部を設けるということはやはり閣議報告したのでしよう。
  121. 山崎巖

    山崎證人 どうも閣議報告した記憶はつきりいたしません。多分報告してないのじやないかと思います。
  122. 梶川靜雄

    梶川委員 こういう重要な指令ですから、それを受取つて、これを調査部において処理するということを内務省において決定せられても、今度はこの指令の処置については調査部を設けてやることになつたからというようなことは閣議にかけられるでしよう。
  123. 山崎巖

    山崎證人 閣議にかけた記憶は全然ございません。ただ先ほども申し上げましたように、覚書が出ます前に引受ける責任官廳をどこにするかという問題については、事務的な相談を内閣としたような記憶はございますけれども、正式に決定をいたしました後に閣議にかけたような記憶は全然ございません。
  124. 梶川靜雄

    梶川委員 事務的な相談と言いますと、閣僚懇談会というような意味ですか、または閣議ですか。
  125. 山崎巖

    山崎證人 いやそれは私ども局長級の相談です。
  126. 梶川靜雄

    梶川委員 閣議ですか。
  127. 山崎巖

    山崎證人 閣議では全然ございません。事務的な関係各省の局長級の相談をしたような記憶はございます。
  128. 梶川靜雄

    梶川委員 それでは閣議の方はさておきまして、調査部を設置した、その後調査部からその後の処理状況について報告を受けられたことはないのですか。
  129. 山崎巖

    山崎證人 全然記憶はございません。
  130. 梶川靜雄

    梶川委員 ないと言われればそれまでですが、それではこの期日が少かつたから次の内閣でやつた内閣が交替するときに次の内閣に申し送られましたか。
  131. 山崎巖

    山崎證人 それも実ははつきり記憶がありませんけれども、調査部を設置し、連絡機関を設けたということをあるいは引継ぎをしたかもわかりませんが、そのほかの引継ぎはいたした覚えは全然ございません。
  132. 梶川靜雄

    梶川委員 申し送つていない……。
  133. 山崎巖

    山崎證人 その処理についての申し送りは全然記憶がございません。
  134. 梶川靜雄

    梶川委員 いや処理についてと言われるけれども、調査部においてこういう仕事をやらせるようになつた、それは臨時設置の省令ですか、あれを見ればわかるようなものですけれども、こういう命令が來て、こういうぐあいにさせるようになつておるということは次の内閣に申し送られたわけでしよう。
  135. 山崎巖

    山崎證人 それは調査部設置に伴つて調査部ではこういう覚書に基いてこういう仕事をするというようなことは、あるいはその当時引継いだかもしれません。
  136. 梶川靜雄

    梶川委員 もう一つだけ……。どうもあなたのお答えは奥歯に物が挾まつたようで、記憶がない、した覚えがないということで終始しておるのですが、こういう重大な問題について、大体内務大臣なりあるいは各省大臣なり、当時連合軍に対して政府という関係は非常に密接であつたろうと思います。そして司令部からの命令に対しては、それぞれ相当重要視して相談せられたということが考えられるのでありますけれども、それを全然しなかつたということはあなたの御記憶違いではないのですか。
  137. 山崎巖

    山崎證人 私の記憶違いとは思いません。
  138. 梶川靜雄

    梶川委員 そうすると、一体内務大臣は何をしておられたのですか。
  139. 山崎巖

    山崎證人 返還物資についてはただいま申し上げた程度のことをしておりました。その他のことは申し上げる必要はないと思います。
  140. 梶川靜雄

    梶川委員 返還物資とただいま言われても、結局返還物資については何もしなかつたということになつてくるですね。調査部を設置した以外は何もしなかつた
  141. 山崎巖

    山崎證人 調査部をつくり、地方で引受けの会社をつくるということは相当大きな仕事だつたと思います。
  142. 梶川靜雄

    梶川委員 もう一度言つてください。
  143. 山崎巖

    山崎證人 地方でいろいろ人員を整理するという問題もあります。そういう準備行為は私どもの時代に相当進んだように思います。
  144. 梶川靜雄

    梶川委員 あなたのときに次官がおられるわけなんですが、調査部を設けて、それは調査部で慣例的にやつている通常の軌道に乘つた仕事ならともかくとして、こういう新設した場合に、そこで特に今まで未験驗の仕事について全國にいろいろなトラブルがあつたろうと思います。そういう場合にやはり府縣廳からは今と違いますから、よけいに上に報告してくる。内務省においてもすぐ自分責任においてやらずに、なるべく上司の決裁を仰いでやるというふうなことが考えられるわけですが、その点について次官までは知つてつたとか、あるいは調査部長一存でやるようになつてつたかどうか、そういう点についてその当時の推定、その当時の慣例等に從つてどういうぐあいになつてつたかという点についてお答え願いたい。
  145. 山崎巖

    山崎證人 調査部の権限については記憶がどうもはつきりしておらぬのでありますが、重要な、非常に大きな問題については、あるいは報告をすることになつてつたと思いますけれども、事務的な問題は調査部長が相当廣範囲な権限を任されておつたような記憶があります。
  146. 梶川靜雄

    梶川委員 そうしますと、この連合軍から発せられた命令、これについての問題は單なる小さい事務的な問題というふうに当時あなたは考えられておつたわけなんですか。
  147. 山崎巖

    山崎證人 事務的な問題とは考えておりません。ただ相当大きな問題と考えておりましたけれども、ただいま申し上げましたように処理方針をきめるまでにいかずに終つたように思つております。結局処理方針をきめる時日がなかつたような記憶でございます。
  148. 梶川靜雄

    梶川委員 しかしその当時、特に武装解除あるいは軍需物資処理というような問題について、連合軍の方では命令に対して迅速な処理を要求しておつたわけなんでしよう。
  149. 山崎巖

    山崎證人 先ほど申し上げましたように指令が出ましたのが九月の末でありまして、私が退官いたしました日附が十月の九日だつたように記憶いたします。辞表を出しましたのはその数日前であります。從いましてその間数日の余裕しかなかつたわけでありまして、その間に処理方針決定するに至らなかつたことは私記憶いたしておるように思つております。
  150. 梶川靜雄

    梶川委員 それではちよつと問題をかえますが、この返還指令を受けた場合、現実の物資というものは、各部隊まだ復員中でありましたし、部隊が直接には保管しておりましたが、しかしながらその保管責任者は事実上各地方廳、あるいは当時で言えばまだ陸軍省あるいは海軍省というぐあいになつてつたわけなんです。ところがこの返還指令を受けて内務省調査部にやらせるという場合には当然司令部に軍需関係のものを出して、そうしてそれをさらに返還を受けた形になるのですから、そのときにリストを受取られたですか。これは必ず受取られたと思うのですが……。
  151. 山崎巖

    山崎證人 リストを受取つた記憶は私どもの時代にははつきりいたしません。記憶をたどつてみますと、九月の初めに一應兵器その他軍需物資連合軍に引渡すべしという命令が出たように記憶しております。從いましてその間むろん軍需物資を管理する責任は陸、海軍省がもつてつたわけでありますが、陸、海軍省において調査をいたしまして、陸、海軍省が名簿を作成して司令部に提出する、こういうことになつてつたのではないかと記憶しております。
  152. 梶川靜雄

    梶川委員 そこでそのリストの方から言いますと、リストを司令部に出す、そうして司令部から今度物資を返還した場合には当然リストが還つただろうということを私は言つておるわけです。
  153. 山崎巖

    山崎證人 それはおそらく各地方地方の現地部隊が地方廳にリストを返してやる、こういうことになつたのだと思います。中央でリストをまとめて、司令部から報告を受けるというようなことはないように思います。
  154. 梶川靜雄

    梶川委員 それから九月の初めに連合軍にこの軍需物資兵器を引渡す命令が出た。そのことはあなたは閣議で聽かれたのですか。陸軍大臣及び海軍大臣からの報告によつてそれをやられたわけですか。あるいは総理大臣からの報告によつて聞かれたのですか。
  155. 山崎巖

    山崎證人 どうもその点ははつきり記憶ございません。だれから聞いたか、閣議で聞いたかどうかもはつきり記憶いたしません。
  156. 梶川靜雄

    梶川委員 そうしますと、どこで聞いたかわからないけれども、聞いたと言われればあれですが、そういうものは当然從來の慣例から言つて特にそのときに重要な問題だつたのですから閣議には当然上つたのではないですか。よく記憶を喚び起していただきたい。
  157. 山崎巖

    山崎證人 閣議でその話を聞いたということはどうも私記憶しません。ただ命令でございますからすぐわかることはわかるわけでありますが、閣議で特に報告を受たという記憶はございません。
  158. 梶川靜雄

    梶川委員 しかし陸軍大臣、海軍大臣は復員と物資の引渡しの整理のみにかかつてつてわけですから、陸軍大臣、海軍大臣が――その当時内閣が成立してから三箇月間一遍も閣議を開かなかつたというわけでもないし、おそらくこういう重要な時期ですから連日閣議をやつておられたと思いますが、その際に陸軍大臣あるいは海軍大臣等から当然に報告があつたものというふうにわれわれ推定するわけなんですが、その点はどうですか。
  159. 山崎巖

    山崎證人 すでに三年前のことでありまするし、閣議にもいろいろ問題が出ておりますので、特にどの問題が閣議にかかつたということはここではつきり申し上げることは困難であります。閣議で伺つたという記憶はありません。
  160. 梶川靜雄

    梶川委員 そうしますと、これが閣議に上つた記憶がないということの記憶のない程度と、それから今度返還を受けた場合に閣議に話したような記憶がないというのと、その記憶のない程度は同じくらいですか。
  161. 山崎巖

    山崎證人 それは返還物資については少くとも内務省責任官廳になつたわけでありますから、そのあとの方は私の記憶としては閣議にかけたようには思いません。從つて記憶の程度において前よりももつとはつきりしておるように思つております。
  162. 梶川靜雄

    梶川委員 それでは最後に一つ、あなたが当時閣議に列していろいろなことを議せられておつたわけなんですが、この程度の問題は当時の連日やられた閣議の俎上に上せられたような問題に比べて、今見られても大きい問題と考えられますか、小さい問題と考えられたわけですか。
  163. 山崎巖

    山崎證人 今からちよつと判断することは非常にむずかしいのでありますが、先ほど申し上げたような事実しか記憶がございません。
  164. 明禮輝三郎

    明禮委員 二、三お伺いしたい。今の連合軍最高司令部から参りました覚書ですね。あれが來まして調査部ができたというのですが、調査部長はだれがなられたのですが。
  165. 山崎巖

    山崎證人 その当時管理局長をいたしておりました大島弘夫君と調査部長に兼任で任命したように思います。
  166. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうしますと調査部でこういうような覚書について、これは重大な命令ですが、これをどういうふうに処理したということはあなたの御記憶がないのでありますか、調査部に任してしまつたということになるのでしようか。その点をお伺いいたします。
  167. 山崎巖

    山崎證人 先ほども委員長の質問に申し上げましたように、調査部を設置して処理をいかにするかという相談をして、その処理については各省の連絡機関をつくつた方がよかろうというところまでは私の在任中に相談した記憶があります。しかし物資自体の処理については先ほど委員の方に御説明いたしましたように、私どもの在任中に処理方針をきめた記憶は全然ございません。
  168. 明禮輝三郎

    明禮委員 方針はきめないといたしましても、連絡局か、連絡部というものはつつた、その連絡部の結果ははつきりしないのですか。
  169. 山崎巖

    山崎證人 連絡機関をつくつた日にちがはつきりすれば非常に明瞭でありますが、おそらく十月の私の退官の直前だつたように思います。從つてその連絡機関でどういう事項を審議したという記憶は全然ございません。
  170. 明禮輝三郎

    明禮委員 その当時内閣はほとんど兵器とか特殊物件についての仕事に沒頭しておつたようなわけだと私は思うが、それについてこういう重大な、先ほどあなたは経済復興の問題は書いてなかつたと言われたようですが、一番お終いに、日本民間経済復興のために充当せられるべきものという言葉があるようですから、これはお忘れになつたかしれませんが、そういつたような重大な命令であつて、実はこれが元となつて兵器処理が行われておるのでありますが、今日兵器処理の結果が面白くないので檢察廳と協せて調査をしておる。もう少しあなたはその当時の内務大臣としてそれについてのあなたの御方針なり何なりわかつておらねばならぬと思うのでありますが、たとえばもう自分の方ではやめる時分だつたから、あとはそのままになつたということならば、あとの内閣の誰にどういうふうに引継ぎをしたか、こういつたものに対する関係をどういうふうにあなたは処理して内務大臣をおやめになつたか、その辺をひとつお聽かせ願いたい。
  171. 山崎巖

    山崎證人 先ほど申し上げた通りでありまして、私が引継ぎいたしましたのは調査部を設置し調査部において引継ぎの事務取扱うという事柄と、内務省は食糧なり衣料なりあるいは金属については知識がございませんので、各省の連絡機関をつくるというようなことを相談したということは引継いだような記憶がございます。それ以外のことについては一切記憶ございません。
  172. 明禮輝三郎

    明禮委員 しかし、この命令によると、日本國民の生活救済のためとか、あるいは復興のためにこの品物を返してもらつたのであるが、その整理は内務省が引受けることになつておりますね。全部責任内務省にあるわけだ。そうしてみるとあなたが内務大臣としてなさつたことは、この当時一とき就任されておる間においては、これがほとんど一番重大な使命であつた内務省としてはこれをどういうふうに処理させたかということ、あとの内閣にどういうふうに引継いだかということは、これは大島氏もあるでしようが、大島氏はこの点調べたところによるとさつぱりこの人もはつきりしない。ただ調査部長になつたというだけ、しかし内務大臣としてあなたはこの問題を処理させるということ、物資を処理させておつた一ときの間にいたしましても、これについてあとの内閣に何人に正確に受継がした、そうして自分責任はかくかくとしたということのはつきりした言葉を受けないと、私どもは非常にあなたの責任がないような御答弁だと思われるのでありますが、この点については今日まですべての問題が多岐にわたつておりますから、責任者として十分なる根拠をお示しくださらぬと、あなたの責任を追究することが一層強いのでありますから、どうぞこの点についてははつきりした、しかもこれはどういうふうに処理されたということ、あとに引継がれた内閣に対する処理方法をお述べくださらぬことには承認ができないのであります。
  173. 山崎巖

    山崎證人 同じことを繰返してまことに恐縮でございますが、私の時代には調査部を設置するということと、各省の連絡機関を設置するということをきめたように記憶いたしておりまして、その範囲のことは後任の内務大臣に引継をいたしております。但しその処理についてどういうふうにくるかということを後任大臣に引継いだ記憶は全然ございません。
  174. 徳田球一

    徳田委員 あなたのおられた内閣当時に陸軍大臣及び海軍大臣がおられたはずでありますが、最初にどういう人が就任しておられたのですか。
  175. 山崎巖

    山崎證人 陸軍大臣は下村定中將であつたように思います。海軍大臣は米内光政大將。
  176. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、こういう人人は終戰と同時に一切の軍需物資のリストをこしらえて司令部に出す義務があつたと思いますが、そういうことは御存じではありませんか。
  177. 山崎巖

    山崎證人 それは先ほど申し上げましたように、多分九月の二日だつたと思いますが、最高司令部の命令第一号として軍需資材について引渡すべしという指令が参りましたので、それに基いていろいろのリストをつくつてつたのではないかと思います。
  178. 徳田球一

    徳田委員 このリストをあなたの方では少しも受取つておられぬと言われますが、そうすると、リストなしにただああしろこうしろと言つたつて、九月二十四日の指令はどうにもならないではありませんか。
  179. 山崎巖

    山崎證人 リストがないということを先ほど申し上げたわけではありませんので、ただ実際の引継をいたしましたのは覚書が出ました数日後から開始されております。それは現地で現地部隊から聽許あるいは連合軍自体が聽許ということになりますので、中央でまとめたことはないという事実を申し上げたのであります。
  180. 徳田球一

    徳田委員 そうするとこのリストを各地方長官が持つておるわけですか。
  181. 山崎巖

    山崎證人 それは私ども記憶はつきりいたしません。私どもの時代にリストを地方長官に渡されたということを聞いたことはございませんが、多分その後物資がだんだん返還されますと同時にリストをつけて渡したのではないかと考えます。
  182. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、返還物資のリストは内務省には集まつておらぬのですか。
  183. 山崎巖

    山崎證人 私の内務大臣時代には記憶ございません。
  184. 徳田球一

    徳田委員 そうすると内務省の処置といたしましては、こういうリストを内務省報告しろとか、あるいは内務省に送れという処置は一つもしておらぬのですか。
  185. 山崎巖

    山崎證人 私の在任時代にはリストの点にまでいろいろ地方廳に措置をした記憶はございません。あとの内閣のことは存じませんが、私の時代にはそういう措置を通知をしたり命令したような記憶は全然ございません。
  186. 徳田球一

    徳田委員 そうすると九月二十四日の返還物資に関する処置をリストも何もなしに、いかにしてこれを処置しますか。民生の安定と言い、経済の復興と言い、リストも何もわからずにどうして処置できますか。そういうことは政治的に考えても、行政的に考えても、そういうことがないと言い張られるのはどうも不審だと思います。それはどういうわけですか。
  187. 山崎巖

    山崎證人 どうも同じことを申し上げてはなはだ恐縮でありますけれども、私はリストがないということを申し上げたのではない。私の時代にリストについて命令をした記憶はむろんないので、おそらくあとで返還物資の数量を地方長官が責任をもつて引受けるということになると思いますが、私の時代にはそこまで進んでおらなかつたということを繰返して申し上げるよりほかないと思います。
  188. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、連絡機関なり調査部なりを設けただけで、この処置をいかにするかという方針は全然きまらなかつたわけですな。
  189. 山崎巖

    山崎證人 先ほど申し上げた通りであります。
  190. 中野四郎

    中野(四)委員 三点伺いたいのですが、今の徳田君の質問に関連してです。あなたの考えでは、だれに聽いたら当時の物量を知ることができましようか。これが基本になりますから……。
  191. 山崎巖

    山崎證人 私もはつきりその点を指摘することは非常にむずかしいのでありますが、当時の内務省調査部にはたして全國のリストなり副本なり集まつているかどうか全然承知しておりません。もしも集まつておるとすれば、内務省調査部についてお調べになればはつきりしたものが出てくるものと存じます。それ以外に途はないと思います。
  192. 中野四郎

    中野(四)委員 調査部長の大島君に先日おいでつたのです。ところが当時地方々々から中央に集めるような仕組になつていた。一部のものは來たものはあるが大体は來ない、こう証言なされている。後ほど記録ごらんになればおわかりになるがそう言つておられます。從つて委員会として当時國内にあつた軍需物資特殊物件に相当するものがどれだけあつて、それが連合軍司令官指令によつて各地方長官のもとに軍方面から出された物量の根拠をつかむことが難儀だ、現在どこを尋ねても物量を正確につかむリストがない、それでは責任の所在が明確になつてこない。どうしてもこれをつかまなければならぬということがこの委員会の一つの使命でもある。これは御協力願う意味においても、どういう方面に尋ねたらよろしいか、たとえば陸軍、海軍のどういう人がこれをやつておられたか、当時あなたが同じ内閣おいでになつた関係上、おそらく内務省、商工省方面にもいろいろ御相談になつたこともあるかもしれません。あるいは商工省は全然相談せず陸軍、海軍だけが数量を地方長官に通牒して、地方長官が中央に集める予定であつたが、それが完全に來ておらぬ、そうするとそこでいろいろな不正な事実が起つてくるおそれがある。どうしてもこれを究めたい。現在中央にはないとしたら、当時陸軍、海軍に関係しておつた人がどういう人であるか、現存しておるかこういう事実について記憶ございませんか。
  193. 山崎巖

    山崎證人 軍部などのことについては全然わかりません。どういう人がやつてつたか、内務省関係は多少存じておるが、それ以外の軍部のどういう機関でどういう人がやつてつたかということは私にははつきりわかりません。
  194. 中野四郎

    中野(四)委員 どうもこれはあなたの方からでも聽かしていただかぬ限りにおいては、今も幣原さんおいでになつたが、堀切さんも坂さんも一向この点がわからない。前内閣内務大臣であつた方に聽く以外にはない、あなたの所でもわからぬ、幣原内閣でもわからぬということになるとまるつきりわからぬということになる。それであつてはならぬ。連合軍の方には一部リストはあると思うが、われわれはわれわれの手によつて的確な物量をつかみたい。それからすべての問題を引出していきたいと考えている。しかし記憶にないと言えばやむを得ぬことでありますから、それは委員会として適当に考えることにいたします。そこで一つ伺つておきたい重大な問題があります。すなわち、聞くところによりますと、八月十七日、東久邇宮に大命降下があつた。あなたも内務大臣として枢要の地位におられた。ところが八月十七日東久邇宮が御就任になると同時に、全國の公共團体に、今まであつたすべての軍需物資、こういうようなものをば公共團体を通じて適当に処置をしてよろしいというような指令を発せられたと傳えられておるわけです。從つてさらに八月二十五日、一週間後です。ちよつと名前記憶いたしておりませんが、だれでしたか、マニラへだれかお使いに最高司令官のところに行かれた方がありますね。そうして新たに指令を受けられて、現存しておる軍の物資は一切手を触れてはいけない、こちらから、適当な指令の出るまでは触れてはいけないという命令が出て、さらに八月二十五日附、総監府の名前で各公共團体に、さきに通牒した品物は取返せ、同時に適当に処置をしてはいかぬという取消しの指令が出たと言われておる。その指令の書類はあります。しかしながら、八月十七日にこの指令が発せられたといたしますると、これは法的な根拠によるものか、あるいはどういう考え方でやつたかについて、從つて東久邇宮様においでを願わなければならぬということは、新聞紙上等で御承知の通り、これは重大な問題でもある。ここに共産党の徳田君がおられて、私どもは根本的にそのことについては意見が違つておりますが、とにもかくにも、この八月十七日にそういうような重要な指令を出すために、閣議か何かであなたの話が出たことがあるかどうか、ないしは総理大臣から直接聽かれたことがあるか、あるいはこういう指令を現に発せられたことがあるかどうか、この三点について的確なお答えをいただきたい。
  195. 山崎巖

    山崎證人 軍需物資を適宜処理しろという指令につきましては、東久邇宮内閣時代には何もそういう指令を出したことはございません。これは聞き及んだことでありますから責任をもつて申し上げることは困難でありますけれども、そういう方針がきまつたのは、終戰前の内閣つたように記憶いたします。
  196. 中野四郎

    中野(四)委員 そうしますと、終戰前は鈴木貫太郎さんでありましたが、鈴木貫太郎さんが昭和二十年の八月十五日の大詔渙発直後ですから、八月十七日、十五日から十七日の二日間の間にそういう指令が出たというふうに聞いておられるのですか。
  197. 山崎巖

    山崎證人 そのちよつと前、鈴木内閣の総辞職の直前だつたように私は聞いておりますが、これはまた聞きでありますから、私から責任をもつて申し上げることは困難でありますので、委員会においてさらに御調査をお願いいたします。
  198. 中野四郎

    中野(四)委員 その直前というのは、十五日に大詔が渙発されたから、すなわち十五日、十六日と、この二日の間ですか。十七日にはあなた方の内閣はできておる。
  199. 山崎巖

    山崎證人 私は十四日のように聞いております。
  200. 中野四郎

    中野(四)委員 そうすると、鈴木貫太郎さんが死んでしまつたから、地獄に行つてひつぱつてくるわけにもいかぬが、少くとも十四日に、大詔の渙発された事前にそういうような指令が発せられたと聞いておられるか、これは容易ならぬことではないですか。
  201. 山崎巖

    山崎證人 私の聞いておりますのはそういうことでありますが、先ほど申し上げたように私の時代のことではありませんし、他の時代のことでありますから、責任をもつて申し上げることはできません。委員会において適当な御調査をお願いいたします。
  202. 中野四郎

    中野(四)委員 そこであなたが今お話になつたように、八月十七日東久邇さんが総理大臣になられてから、そういう指令を出したことはないと言われる。そこで八月二十五日に最高司令官のところに指令を受けに行つた方がありますね。だれですか名前は今はつきりしませんが、行つた方が閣議にこれを報告して、八月二十五日の日附で総監府の名前で全國に適当に処分してはいかぬ。さきに処分したものは返せということを指令したのですか。
  203. 山崎巖

    山崎證人 私の記憶によりますと、八月の二十何日でありましたか、日にちははつきりしませんけれども、閣議において軍の物資を適宜に処理しろという指令を出した記憶はございます。その日附が二十五日かどうか、それははつきりしませんけれども、下旬の閣議で取消しの決定をした記憶はございます。
  204. 中野四郎

    中野(四)委員 これは数字によつてお尋ねするわけにもいかぬし、お答えを願うわけにもいきませんが、八月十四日にかりにそういう指令が全國に出されたとあなたは御記憶ですから、記憶違いはあるかもしれませんが、実際あるとすれば、八月二十五日までの間に相当な物資が移動しておるわけだ。今日隠退藏物資等においていろいろ議論されるのは、そのどさくさまぎれに持つていかれたものが非常に多いと傳えられておる。特に軍の下請工場等がそのわずかの一週間の機会を利用して、時間を利用して、相当いろいろな方面に持つてつた物資を軍の名前を利用して各方面に隠したという事実が、われわれの調査の結果現われておる。あなたは数字的にこれを証明する何ものもないでしようが、就任なされた当時、それから二十五日までの間に相当物が動いたということは、何か聞かれたことがありますか。
  205. 山崎巖

    山崎證人 どうもその当時のことがはつきりいたしません。從つてはなはだ恐縮でありますが、その当時終戰直後のことでありますし、実は私どもの方の頭は、いかに國内の政治秩序を保つていくかということで一ぱいでありまして、軍需物資がどういうふうになつておるかというふうな問題について今ほかの方から報告を受けたというような記憶を喚び起すことはできません。
  206. 中野四郎

    中野(四)委員 マニラに行かれたのはどなたでしたか、その報告はおそらくは閣議なり、枢要な大臣なりにあつたと思いますが、どういうことをばマニラから指令を受けて來られて傳えられましたか。
  207. 山崎巖

    山崎證人 マニラに連絡のために派遣されたのは川辺虎四郎中將ではなかつたかと思いますが、帰還されまして閣議であつたかどうかそこははつきりしませんが、報告を受けた記憶はございます。形式は閣議であつたか、閣僚の懇談会であつたか、事務閣議であつたか、記憶はつきりいたしませんが、報告を受けた記憶はつきりしております。
  208. 中野四郎

    中野(四)委員 報告内容をいま少し微細にわたつてお聽きしたい。もしもあなたがこまかく知らなければ概略でも結構ですが、報告内容を知る方法がありますか、どこかに記録があるはずですが……。
  209. 山崎巖

    山崎證人 報告内容は実は大分前のことでありまして、どういうふうな報告を受けたか今記憶はつきりいたしませんが、書類になつておりますかどうか、それも私にはわかりません。強いてお探しになればあるいは内閣のどこかにそういう記録があるかもしれぬと思いますが、その点はどうもはつきりいたしません。
  210. 中野四郎

    中野(四)委員 私は不敏にしてわかりませんが、川辺中將は現存され、かつおられますか、どうですか。
  211. 山崎巖

    山崎證人 私もどうもよく知りません。
  212. 中野四郎

    中野(四)委員 川辺中將がおられれれば川辺中將の証言を求めたいと思いますが、御記憶があつたら……。
  213. 山崎巖

    山崎證人 おられると思いますが……。
  214. 中野四郎

    中野(四)委員 拘禁されておるようなことはありませんか。
  215. 山崎巖

    山崎證人 存じません。
  216. 中野四郎

    中野(四)委員 下村さんはどうですか、陸軍大臣の……。
  217. 山崎巖

    山崎證人 下村さんもどうなつておるか……。
  218. 中野四郎

    中野(四)委員 現存されておりますか。
  219. 山崎巖

    山崎證人 現存しております。
  220. 中野四郎

    中野(四)委員 拘禁されておるかどうかもわかりませんか。
  221. 山崎巖

    山崎證人 よくわかりません。
  222. 中野四郎

    中野(四)委員 では私はこれでやめます。
  223. 徳田球一

    徳田委員 もう一点お尋ねします。この八月十四日に鈴木貫太郎内閣において決定されました軍需物資公共團体を通じて、あるいはそれぞれ人民に対してどんどん放出してよろしいという指令でありますが、これは十四日から行われておりますか、幾日から行われましたか、これを施行したのは……。
  224. 山崎巖

    山崎證人 私は先ほど申し上げるように、十四日ということも私のまたずての風聞、聞き及びでありますから、この点も責任をもつて申し上げることはできません。またいつからそういうことが行われたかわかりません。
  225. 徳田球一

    徳田委員 御存じない……。十四日の指令が行われたのは十八日と聞いておるが、十八日ですと東久邇宮内閣のときから行われておる。そうするとこれを施行することにつきまして、あなたも閣員の一人で、このことを十分お聽き及びのことであると思いますが、こういうことはありませんか。
  226. 山崎巖

    山崎證人 これは絶対にございません。
  227. 徳田球一

    徳田委員 絶対にない……。
  228. 山崎巖

    山崎證人 ございません。
  229. 徳田球一

    徳田委員 ところでこの十四日に放出をやりましたときに、各軍需駐着所に帳簿があつて記録があつたはずでありますが、この記録はどういうふうに蒐集されましたか。
  230. 山崎巖

    山崎證人 その点は全然記憶ございません。
  231. 徳田球一

    徳田委員 記憶がない……。しかし十四日に出しておりますけれども、あなたの方は十七日からずつと内閣におられましたから、もしこれを放出するにしても、だれにどう渡して、だれにどうしたという記録はつつておくべきであり、また元記録はあるべきでありますが、これが今どこを探してもありません。そこに大問題がある。これはどういうわけですか。
  232. 山崎巖

    山崎證人 軍需物資の問題は、御承知のようにその当時では陸海軍の責任の問題であります。私の方は一々その点を詳細に知ることができないのは当然のことであります。当時内務省が別に軍需物資についてどうということはなかつたわけであります。それから十八日とおつしやいますけれども、そういう記憶は全然ございませんし、また十八日に特に日を切られることに何ら理由がないと考えられます。
  233. 徳田球一

    徳田委員 いや、それは理由はありません。十四日から指令を出して準備して、実際に実行したのは十八日だとただ書いてあるだけであつて、そこになぜ十八日になつたかという理由はありません。それは偶然の問題でありまして、何ら必然的の問題ではありません。しかしこの記録がみななくなりまして、一切合切わからないことになつておりますが、このことに関して十四日に指令を出した、その指令の写しなり、その指令を出したしは閣議においてきまつたわけでありますから、その閣議決定の引継ぎは、東久邇宮内閣の方にはありませんか。
  234. 山崎巖

    山崎證人 少くとも私の承知している範囲内では、何ら引継ぎを受けた記憶はございません。
  235. 徳田球一

    徳田委員 そうすると勝手氣まま、出ほうだいにやつたということになりますか。
  236. 山崎巖

    山崎證人 それはわかりませんが、とにかく引継ぎを受けた記憶は全然ございません。
  237. 徳田球一

    徳田委員 しかしこういう指令を出すことになれば、その指令によつて十四日に一遍にどかつとやるわけではないので、ずつと続いて実行せられておるわけでありますから、あなたのおられた内閣のときでもこの仕事はずつと実行せられておつたわけでありますから、この実行せられておる面に対してはあなたも責任があると思います。そうすればその責任に対してこれらの基本になる根拠、これがなしにはあなたの方がただぼやつとしておつたということはちよつと理解できないと思いますが、これは実際はぼやつとしておつたわけですね。
  238. 山崎巖

    山崎證人 そういうふうに質問されるとはなはだお答えすることが困難でありますが、少くとも何らの引継ぎを受けずして川辺中將が帰りまして最高司令部の意図がわかつて取消しの決定をいたしまするまでは、別にその指令についての措置を構じたことは何らないように記憶しております。
  239. 徳田球一

    徳田委員 そこでこの指令を出したのは一体内閣でありますか。それとも内閣を別にして軍部が勝手に出したわけでありますか。
  240. 山崎巖

    山崎證人 それは私の時代ではありませんから、その点は私から申し上げることはできません。
  241. 徳田球一

    徳田委員 しかしあなたの方も、ただ見ておるばかりではありませんから、内閣責任をもつて行政をやらなければなりませんから、そこで違法のことを行われてはいかぬ、適法に行われるように監督する義務がある。だからこれに対してだれが指令を出してだれがどうしたかということを内閣が知らぬという理屈は私はないと思います。
  242. 山崎巖

    山崎證人 それは実行しましたのは別に内務省がタツチしたわけではありませんから、内務省に関する限りにおいて何らかの記憶もございません。
  243. 徳田球一

    徳田委員 あなたは内務大臣であると同時に國務大臣であり、大事な職で、國務全体に対して連帶の責任を負うべき地位にあつたと思いますが、そうすると内務大臣という單なる行政官ですか。どうもそこになるというとちよつとやはり政治的責任は欠けるところがあると思いますが、どうでしようか。
  244. 山崎巖

    山崎證人 内務大臣であると同時に國務大臣でありますことはもちろんでありますが、先ほども申し上げますように、指令の取消しをいたしますまでは、責任廳において何らの措置をとつたことは聞き及んでおりません。
  245. 徳田球一

    徳田委員 それならばもう一つ聽いておきますが、この二十五日、二十七日に発せられた指令は、取消せという指令ですね。そうしてまたもとにもどせという指令でありますね。それにつきましては、同時にこの放出した物の数量及び返還した物の数量について報告をせよということが別に発せられなければならないはずでありますが、そういう措置は全然ありませんか。
  246. 山崎巖

    山崎證人 それはその当時では軍需物資は、先ほども申し上げますように、陸海軍省の所管でありまして、内務省の所管でございませんので、私にはその点についてどういう措置をしたという記憶がないことは当然だと思います。
  247. 徳田球一

    徳田委員 どうも國務大臣ということを忘れているので困る。そうすると、当時の陸海軍大臣または軍需大臣でなければ、当時のことに関してはわからないわけですね。
  248. 山崎巖

    山崎證人 その通りであります。
  249. 徳田球一

    徳田委員 最後にお尋ねしておきますが、川辺中將はその当時どういう職におられましたか。
  250. 山崎巖

    山崎證人 それもはつきりいたしませんが、参謀本部に御勤務になつてつたかと思います。しかしはつきりしないことは申し上げない方がよいと思いますから、はつきりしないということを御承知置き願いたいと思います。
  251. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、その人が派遣せられた理由だの事情だのは全然御存じないのですか。
  252. 山崎巖

    山崎證人 私はその点について何ら聞き及んでおりませんけれども、想像いたしますのに、降伏文書の連絡のためにマニラに派遣されたのではないかと思つております。
  253. 中野四郎

    中野(四)委員 もう一箇所、川辺中將がマニラに行かれました使命はどういう使命であつたか、御存じでしようか。
  254. 山崎巖

    山崎證人 ただいま徳田さんにお答えしましたように、降伏の内容打合わせのために、向うから特に連絡のために呼ばれていかれた、こういうふうに私は想像いたしております。
  255. 中野四郎

    中野(四)委員 当時兵器兵器外の軍需物資とにわけて、兵器は温存しておいて、連合軍が上陸すればこれに渡し、兵器外の軍需物資は適当に処理していいという考え方があつたように傳えられる。それがあなたの言われる八月十四日の問題に関連していると思うのですが、十五日、十六日と、わずか二日三日経て、当時の混乱状態でありましたが、十七日組閣早々ではありますが、この問題は大事な問題ですから、特に日本連合軍との間において折衝さるべき重大な問題ですが、この兵器以外の軍需物資については適当に処置していいという考え方をやはりもつておられましたか、どうですか。
  256. 山崎巖

    山崎證人 どうもその当時の記憶はつきりいたしませんので、はなはだ恐縮でありますが、その当時兵器をどうするか、軍需物資をどうするかという点について相談も全然ございませんし、またその当時どういうふうにしようかと考えた記憶もないのでありまして、その点明確に申し上げることは困難であります。
  257. 中野四郎

    中野(四)委員 どうも当時の混乱状態からいえば、ごもつともだと思いますけれども、軍需物資処理ということは容易ならぬ問題ですから、特にあの当時の軍の軋轢、地方々々に起つた軍隊内の軋轢、あるいは解散によるところの動搖、こういうものを処理しなければならぬために、東久邇宮という宮樣を内閣総理大臣に迎えたということは、一應了承できる、從つてその大命降下する目的から言つても、少くとも当時兵器を除いた軍需物資をどういうふうに処理するかということについて、川辺中將はマニラへすべての報告をもたらし、あるいは向うの命令を受けてくるまでの間に一週間の間隔があつたのだから、その間をどういうふうに処理されたか、これは大事な問題です。ただ忘れたでは済まぬ問題です。この点をはつきりしておかなければ、少々あなたの估券にもかかわりはしませんか。
  258. 山崎巖

    山崎證人 その当時は御承知の通りに、はなはだ國内が騒がしい状態でございまして、実はいかに國内の治安を保ち、進駐軍をいかに順調に迎えるかという方法について頭が一ぱいだつたわけであります。ただいまお考えになりますと、いかにも大問題を閑却したようなお説もごもつともと思いますけれども、その当時私はそれについていろいろ相談をしたり、また考えたというような記憶は、何ら今喚び起すことはできません。これは私はなはだ申訳ない次第でありますが、記憶を呼び起すことができないことを申し上げておきます。
  259. 中野四郎

    中野(四)委員 これは申訳ないでは済まない問題で、すべての問題はここから起つてくるのですが、せつかくあなたがわからぬとおつしやり、それから徳田君もわからぬものはしようがないと言いますから、私はこれ以上伺いませんが、しかしながら事の起つてまいります原因はここに存しておるのですから、これはこの委員会責任として、國会の権威にかけても調査をしなければならぬ問題なのであります。先ほど申し上げた物量の問題といい、当時の処理状況といい、それが結論になつて現われてくるのですから、この問題はあなたが日本人的な良心をもつておられるならば――もちろんもつておられると思いますが、ひとつ記憶を喚びもどして、できるだけ資料があれば御提出願いたい。どうしてもできなければしかたがありませんが、少しのものでもいいから資料をぜひ御提出願いたい。こういうことを申し上げます。
  260. 山崎巖

    山崎證人 できるだけ努めてみますけれども、ただいま私の考えるところではどうもここで御参考になるような資料を提出することはできないかと思います。なおしかしせつかくのお言葉でございますから努力はいたしますが、どうも記憶を喚び起すことすらできない状態でありまして、いわんやその当時の記録を私の今の身分で探し出すことはどうしてもむづかしいように思いますから、その点悪しからず御了承願いたいと思います。
  261. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのほかにございませんか。――それでは済みました。御苦労さまです。     ―――――――――――――
  262. 武藤運十郎

    武藤委員長 この際諸君にお諮りをいたします。時間も大分経過いたしましたので残つております証人三名のうち古井証人だけを喚問し、残余の証人菅波小松両君はこれを明日に延期いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  263. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  なお明日は午前十一時より理事会を開き、午後一時定刻より証人調べをいたしますから、時間の御励行を特に願います。  それでは古井さんにお伺いいたします。あなたは東久邇内閣の当時山崎内務大臣の下に次官をしておられましたか。
  264. 古井喜實

    古井證人 さようであります。
  265. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまでですか。
  266. 古井喜實

    古井證人 たしか二十年の八月十九日に任官したと思います。退官が十月の十日かと思つております。
  267. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたの在職中に軍需物資について何か方針をきめ、措置をとられたようなことがありますか。
  268. 古井喜實

    古井證人 軍需物資を軍から連合軍に引渡すという命令が來まして、その後連合軍の方から差支えない範囲において連合軍から再び日本側にこの物資を返還するという覚書がたしか九月の下旬に参りまして、そこでその返還される物資の引渡しを受けて、それを保管するということをまず第一着にしないことには散逸するわけですからして、その受領保管ということは在官の当時に内務省で引受けてやりました。処分のことはまだ当時段階でありませんでした。
  269. 武藤運十郎

    武藤委員長 九月二十四日附で最高司令官より何か指令軍需物資に関してあつたようでありますけれども、御記憶のあるところを詳しく述べてください。
  270. 古井喜實

    古井證人 それはおそらく軍需物資を、差支えない範囲で一應連合軍に接收した物を再び日本側に返還するという意味の覚書であろうかと思います。詳しいことは一向記憶がありません。
  271. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは右指令に基いて閣議なりあるいは内務省なりでどういう措置をとつたかということについてはお話しになつたことはございませんか。
  272. 古井喜實

    古井證人 私も当時その問題には関係しておりましたから、知つておる範囲のことを申し上げましよう。九月の二十四日とおつしやつたですが、日本側に返還するという覚書が來ます一両日前でありましたか、それでは返還されるということはわからなかつたのでありますが、たしか一両日前に日本側に返還されるということである、ついてはこれを日本側で引渡しを受けて、受領して保管する機構を考えないと相ならぬ、こういうことが起りまして、これを一体どこで引受けてやるか、たしか九月二十四日の一両日前だつたと思いますが、書記官長が何かから來てくれというわけで、これはどこかでやらねばならぬのであるが、内務省で一つ引受けてくれないかということでありました。これは容易ならぬことだと思いましたけれども、ほかにとてもこれを引受けて確実に保管できる実力をもつた機構はないと思いましたので、私引受けまして、そのことを帰つて大臣に報告して承認を求めました。それから一両日経つて、たしか今のような意味の覚書が來たと思います。その覚書に、何という文句でありましたかしらぬが、とにかく内務省をもつて引渡しを受ける機関として指定するというような意味のことが書いてあつたと思います。それからこの軍需物資は申すまでもなしに種類も実に多いし、数量も莫大なものである。殊に所在地も全國隨所に散在しておることでありますから、これを間違いなしに引渡しを受けて保管をすることは容易ならぬことでありますので、そこで間違いなしにこれをやるために一つの機構を設備しなければならぬ。まずもつて全國的にその組織を整備するために、この覚書が來た翌日か翌々日だつたと思いますが、調査部というものを中央の内務省の中に設置しました。これは官制で置いたらどうか、厖大な機構をつくつたらどうかというふうな説もありましたけれども、私は中央に厖大な機構を設ける必要は全然ないという考え方で、訓令でわずかの陣容で内務省調査部というものを設けました。しかも調査部長も專任者を置かないで、局長の中で余裕のありそうな者を兼任させるということで、当時の管理局長の大島君に調査部長を兼ねさせまして、各地において連合軍側から物資が返還されるに対應して、引渡しを受ける機構をまずもつて急速に整備することを調査部に命じてやらせました。そうして事実これがどういう時期までに、日本側に返還されたかということは、全然記録はありませんし、おそらくわれわれの在官中にはまだこの受入れの機構を整備しておる段階で、おそらく現物は連合軍側からわれわれの方の責任に移されたものは実際の報告を聽いておりません。おそらくその後になつたのじやないかと思つております。その程度のことは大体間違いないと思つております。
  273. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがございますか。
  274. 明禮輝三郎

    明禮委員 その事情はよくわかりましたが、調査部をこしらえると同時に、内閣特殊物件処理委員会というものをつくつたのではありませんか。
  275. 古井喜實

    古井證人 特殊物件処理委員会のことは記憶があります。そこでこつち側に引渡しを受けたものを今度はどういうふうに処分するか。この問題は無條件に連合軍から日本側に返還されたものではないのでありますから、まずもつて連合軍側の方針に從わなければならぬ。第二番目にはこの物資の処分にあたつて関係各省の意見をまとめなければならぬ。たとえば食糧であれば農林省、纖維品であれば商工省、医藥品であれば厚生省ということにして、いかにこれを処理するかという案を立てなければなりません。そこでこの話になると、保管する点は実際問題は面倒でありませんので、中央でいくらかやりたい希望もあつたかもしれませんが、私も局長がよく相談してきめるのが至当であると思い、そういう意味の意見をあるいは関係方面に言つたかもしれません。時ははつきり記憶しませんけれども、たしか十月の初旬に特殊物件処理委員会と言いましたか、関係各省の集まつて相談をする機構ができたと思います。それはたしか当時の調査局の長官が委員長で、委員は各省の局長級がなつて、それで各省の連絡協議をすることになつたのじやないか。それができた日ははつきりしませんが、たしか十月十日に退官する直前ぐらいにその委員会ができたのではないかと思います。日にちははつきりしません。
  276. 明禮輝三郎

    明禮委員 委員長内閣副書記官長のように聞いておるのですが。
  277. 古井喜實

    古井證人 その点は後日副書記官長になつたように聞きました。私の記憶では調査局長官が当初は委員長じやなかつたかと思います。後日代つたのではございませんか。私の記憶が違うかもしれませんが……。
  278. 明禮輝三郎

    明禮委員 その結果どういうことになりましたか、その後のことを少しお話願いたい。これと今あなたの言われた連合軍方針に從うということを前提にして処理しなければならぬと思うということ、それから各省から連絡係ができて、どういうことになつてまいりましたか。そのほかお知りになつておるだけお話願いたいと思います。
  279. 古井喜實

    古井證人 その点はたしか十月の初めそのような委員会ができたはずでして、私が退官したのは十月十日でありますので、その間に委員会がどれだけの活動をしたか。はつきりしていることは、いかにこれを処分するかということがまだ全然きまつていないはずです。後日傳え聞いたところでは、だんだん委員会でも研究をし連合軍の方にもあたり、処分大綱、処分の根本方針というものが後日幣原内閣になつてからきまつたように、後になつて聞いております。
  280. 明禮輝三郎

    明禮委員 それではあなたがおやめになるときは、こういう問題はだれに引継ぎをされたのでしようか。あなたが次官として調査局の大島氏あるいはその他のことをお聞きになつた点を述べてください。
  281. 古井喜實

    古井證人 やめたときは当然後任の次官に引継ぐのでありますが、引継書もつくつて引継いでいるはずであります。おそらく特殊物件関係では委員会ができておる、それが活動を始めたと言つたか始めんとしておると言つたか、きつとそういう意味のことが委員会については引継ぎになつていると思います。書面にはおそらく項目がありはせぬかと思います。事実重要事項については念を押して引継ぎをいたすこともありますが、当時私どもの一番の問題は、國内の治安の問題をどうして無事に切り拔けていくか、これに心を奪われて精魂を盡しておりまして、特殊物件を引受ける問題は、引継事務ですからまつたく局長にやらせまして、引受けた後の処分のことなどは、当時何にも出てきませんし、取立てて念を押してまで引継ぎはしなかつたと思つております。
  282. 明禮輝三郎

    明禮委員 この引継ぎには書面があるとおつしやいましたが、書面がありましようか。
  283. 古井喜實

    古井證人 事務引継のときには引継書というものをつくる慣例がありますし、たしかつくりました。これはお互いがもつているのではなく、役所にあるものであります。もつとも内務省が解体しましたから、どこへ行つたか知りませんが……。
  284. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたが引継がれたとすれば、あなたは後任の次官に引継いだのでしようか。
  285. 古井喜實

    古井證人 むろん後任の次官です。
  286. 明禮輝三郎

    明禮委員 局長という言葉を使われましたが、この調査部があつたのでありますから、調査部長が後任の調査部長に引継いだのでありますか。
  287. 古井喜實

    古井證人 ちよつとはつきりせぬところがありますが、私は局長をして調査部長を兼ねしめたと言つたのであります。調査部長は退官しませんので、引続き大島君が調査部長をずつとやつておりましたので、引継ぎは迭つたときに引継ぎする。そのときはしておらぬと思います。
  288. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると問題は大島という人が知つていなければならぬわけですね。あなたの知つているできたときからの経過はどうでしようか。
  289. 古井喜實

    古井證人 調査部長を命ずるには、調査部を設置しまして、そこでこういうものができたというので部長を命ずるのですから、部長を命ぜられたあとのことはむろん彼が知つております。ただ調査部をつくつたのは私が今申したような経過で、内務省でつくらなければいかぬということで調査部というものを設置したのですから、設置されたことは知らぬでしよう。命ぜられてからのことは全部知つております。
  290. 明禮輝三郎

    明禮委員 それでは命ぜられてから大島君はどれくらい在官しましたかわかりませんか。およそあなたの御記憶では……。
  291. 古井喜實

    古井證人 これは私やめたあとのことでありまして、大分長くやつてつたと思いますけれども、何とも責任をもつて申し上げかねます。
  292. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたが引継がれた幣原内閣次官はだれですか。
  293. 古井喜實

    古井證人 それは坂千秋さんであります。
  294. 明禮輝三郎

    明禮委員 この点はちよつと先ほど申しました連合軍から民生安定のため、あるいは経済復興のために物資を日本の方へ返してもらつたというこの覚書に基きまして、あなたとしては特にこれは重大な覚書でありますから、これについてあなたはどういうふうに処理されたか、その記憶はありませんか。
  295. 古井喜實

    古井證人 まことに重大な問題だと思います。しかしまず大事な問題は、全國に散在している軍需物資連合軍からこつちへ引受けて、確実に保管するということ、逸散しないようにすることがまず第一の問題で、これは容易ならぬことです。それから処分するのは、がつちり握つておれば、一番適正な面にみんなで協議してやればいくのでありますから、当時考えたことは、間違いなしに引渡して保管しなければいかぬ。これをしつかりやるということが、まず第一の問題と考えました。
  296. 明禮輝三郎

    明禮委員 その保管が一番大事なことは問題でありますが、その後この問題に即應した何らかの処理方法をもし今までお述べになつた以外に何か講ぜられましたか。
  297. 古井喜實

    古井證人 それは具体的処理方法は当時在官時代には何もまだきまつてはりません。たださつき申す通り、抽象的には連合軍方針に從わねばならぬ、それから各廳で協議してきめるのだという方式が一つあつただけです。
  298. 明禮輝三郎

    明禮委員 この指令五十三号に基きまして、そういうような意味のことを地方長官なり何なりに通牒でも発せられたことはありませんでしたか、在官当時に。
  299. 古井喜實

    古井證人 その点は記憶はつきりしませんが、まだおそらく地方でだれを責任者に、どういう仕組でもつて向うから引渡さるべきものを受取つて保管するという案を調査部で研究しておつた段階でありまして、これについても連合軍がどういうふうに引渡すかということをよく知らなければわからぬことですし、若干の時間を要する問題で、そういう点を計究していた段階ですから、記憶はつきりしませんが、おそらく通牒は出しておらぬと思います。
  300. 明禮輝三郎

    明禮委員 もう一点。兵器処理委員会というものがその後できておるのでありますが、あなたの在官当時には兵器処理委員会で、何か兵器の部門について措置方法を講ずるというような原案でもできておりませんでしたか。
  301. 古井喜實

    古井證人 兵器のみならず、どの種類の物資についても、どういう方法で処理するかということは今までもなければ、まだ相談が具体化してくるような段階ではありませんでした。
  302. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 先ほどのは返還を受けたというのか、受けることになつたというのか、受けられたのですか、その点からまずお聽きしたい。
  303. 古井喜實

    古井證人 つまり今の九月二十四日の覚書というのは、返すぞ、こういう覚書がきたのであつて、そのときにはまだ日本軍側からも現物が向うにあまり大して引渡してなかつたと思います。受取つてからその上で、さらに向うが日本側に返還するぞ、こういう覚書が來たので、現物のやりとりはずつと遅れておると思います。私は十月の十日に辞めましたけれども、おそらく十月十日までには少くとも連合軍側からこつちに現物を受取るという段階ではまだなかつたと思います。まだそれを受取る人間とか、仕組とかを研究したり、どういう方法で返すのか、たれが向うの責任者で返すのかというようなことを向うに当つたというような段階であつたと思つております。
  304. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これはあなたの管轄ではなかつたかもしれませんが、まず連合軍へ接收されましたね。その現実はどういうことで接收になつたか、それは知つておいでになりませんか。
  305. 古井喜實

    古井證人 現実は知りませんが、御承知のように九月二十日に軍の関係物資は一切連合軍に引渡せという命令が來た。そこでその命令に從つて、当時はたれが引渡すかというと、むろん保管している者が引渡す。これは軍需物資で軍が握つておる。そこで軍が順次連合軍の方にこれを引渡す。これが第一段階であります。その正確な状況はよく知りません。まつたく軍と連合軍関係になつておるわけであります。
  306. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 正確に御承知ないかはしりませんが、大体どういう方法で引渡しができたというくらい、もしあなたが知られないならば、たれがその任に当つて、そういうことを最もよく知つているかをお聽きしたい。
  307. 古井喜實

    古井證人 これは事実の知識の問題になるとたいへんむずかしい問題ですが、多分私は、引受けたのをどうするか知りませんが、目録でもちやんと出して來いということになり、それと現物を照し合わせ、何月何日どこで引渡せるというようなことをおそらく向うと打合せがあつて渡しておると思いますが、これは私の想像で、事実はどうしてやつたものやら、まつたく関知しないことで知りません。
  308. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私らもそうだと思うのです。そうだと思えばこそリストをやつて、現物と合わせることをやる。あなた方が返還してもらうというものもそれだと思うのです。それが一つもわからぬから、これがわからぬ以上はどうにもしようがないので、それで問うておるのですが。
  309. 古井喜實

    古井證人 軍からの引渡しは知りませんが、こちらに引渡すのはむろんリストがあつて、それと照し合わせて向うからこつちの引受は必ずしておるはずです。リストに落ちているものがあれば知りませんが、リストがあつて、リストによつてこちらが照し合わせて引受けているに相違ないと思つております。
  310. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それはどこでやつておりますか。やつたとすれば、あなたの時代にはなかつたのですか。それともあつたのだが、あなたのところでなくて、ほかでやつたので知らないのですか。
  311. 古井喜實

    古井證人 さつき言つたように、当時時期の段階から言うて、まだ現物の受渡しを受ける段階になかつたので、從つてどこでもやつておりません。やつておれば、内務省調査部の下部機構の地方別の組織、それに軍がありますから、そこと多少取引をやつておるかと思うのですけれども、ほかはやつておるはずはありません。しかし時期から言うと、まだ十月十日ごろはそういう段階ではありませんでした。その後の問題だと思つております。
  312. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうすると地方で受けたら内務省調査部が元締めで、それは嘱託したかどうか知らぬが、その出先のようなところで受けることになり、受けたらそれは必ず調査部を通じて内務省へ來なければならぬものだと思うのですが、これはいかがですか。
  313. 古井喜實

    古井證人 來るというお話ですが、現物は來はしません。現物は皆現地に置いておりますが、各府線とか――府縣だけでは、追付きませんので、どこまできめたか知りませんが、受ける責任者がきまつておるはずだと思います。そこで受取つた、それをどうしたか知りませんが、おそらくこういう受渡し状況だということは、ずつと後に調査部の本部の方に報告くらい來ておるかも知れません。しかしこれは事実はどうであつたか知りません。
  314. 河井榮藏

    ○河井委員 今のことに関連して、中央においてあなたがおつしやつたように調査部ができて、それが引受けることになつて、九月前後でしようが、それらが地方においてはいつごろ行われたですか。やはりこの二十年に行われておるですか。それともずつと引渡し、返還というのが遅れましたか。
  315. 古井喜實

    古井證人 それはさつき申しましたように、少くとも十月十日の私の退官した当時には、まだ現物を地方の組織が返還を受ける、現物を受ける段階ではなかつたと思います。その後だつたと思います。その後いつだつたかということは私は知りません。
  316. 河井榮藏

    ○河井委員 ある縣によつてはその翌年一年くらい遅れておるところもあるようですが、そういうふうに一年も遅れることはあり得るわけですか。
  317. 古井喜實

    古井證人 事実はどうであつたか知りませんが、そういうこともあり得ると思います。物資の所在などもよくわからぬことがありましたり、あるいは引渡しとか照らし合わせとか、そういうことが遅れて、あるいは相当遅く現物がこつちに返還された、こういうものも、これは想像ですが、あり得るように思います。
  318. 河井榮藏

    ○河井委員 ある一箇所で二十二年二月ごろになつているようなところがありますが、そういうこともあり得るのですか。
  319. 古井喜實

    古井證人 それはわかりませんな。どうも……。
  320. 河井榮藏

    ○河井委員 もちろんそれもリストによつての受渡しですね。
  321. 古井喜實

    古井證人 むろんリストに載らぬものの受渡しは正式にあるはずはありません。
  322. 河井榮藏

    ○河井委員 厖大な物資を一々引渡して移動するということはないですな。
  323. 古井喜實

    古井證人 それはありません。
  324. 河井榮藏

    ○河井委員 そうすると必ずリストがあるわけですか。
  325. 古井喜實

    古井證人 事実あつただろうと思います。現物を扱つていないからわかりませんが……。
  326. 河井榮藏

    ○河井委員 ペーパーによつて受渡しをしてそれを対照するくらいでしようから、絶対になければならぬわけですな。
  327. 古井喜實

    古井證人 事実あつたろうと思います。想像ですけれども……。
  328. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか――済みました。御苦労さまでした。  本日はこれにて散会します。     午後六時三分散会