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古井證人 私も当時その問題には
関係しておりましたから、知
つておる範囲のことを申し上げましよう。九月の二十四日とおつしや
つたですが、
日本側に返還するという覚書が來ます一両日前でありましたか、それでは返還されるということはわからなか
つたのでありますが、たしか一両日前に
日本側に返還されるということである、ついてはこれを
日本側で引渡しを受けて、受領して保管する機構を考えないと相ならぬ、こういうことが起りまして、これを一体どこで引受けてやるか、たしか九月二十四日の一両日前だ
つたと思いますが、書記官長が何かから來てくれというわけで、これはどこかでやらねばならぬのであるが、
内務省で一つ引受けてくれないかということでありました。これは容易ならぬことだと思いましたけれども、ほかにとてもこれを引受けて確実に保管できる実力をも
つた機構はないと思いましたので、私引受けまして、そのことを帰
つて大臣に
報告して承認を求めました。それから一両日経
つて、たしか今のような意味の覚書が來たと思います。その覚書に、何という文句でありましたかしらぬが、とにかく
内務省をも
つて引渡しを受ける機関として指定するというような意味のことが書いてあ
つたと思います。それからこの
軍需物資は申すまでもなしに種類も実に多いし、数量も莫大なものである。殊に所在地も全國隨所に散在しておることでありますから、これを間違いなしに引渡しを受けて保管をすることは容易ならぬことでありますので、そこで間違いなしにこれをやるために一つの機構を設備しなければならぬ。まずも
つて全國的にその組織を整備するために、この覚書が來た翌日か翌々日だ
つたと思いますが、
調査部というものを中央の
内務省の中に設置しました。これは官制で置いたらどうか、厖大な機構をつく
つたらどうかというふうな説もありましたけれども、私は中央に厖大な機構を設ける必要は全然ないという考え方で、訓令でわずかの陣容で
内務省に
調査部というものを設けました。しかも
調査部長も專任者を置かないで、局長の中で余裕のありそうな者を兼任させるということで、当時の管理局長の大島君に
調査部長を兼ねさせまして、各地において
連合軍側から物資が返還されるに対應して、引渡しを受ける機構をまずも
つて急速に整備することを
調査部に命じてやらせました。そうして事実これがどういう時期までに、
日本側に返還されたかということは、全然
記録はありませんし、おそらくわれわれの在官中にはまだこの受入れの機構を整備しておる段階で、おそらく現物は
連合軍側からわれわれの方の
責任に移されたものは実際の
報告を聽いておりません。おそらくその後にな
つたのじやないかと思
つております。その程度のことは大体間違いないと思
つております。