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1948-08-04 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第47号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年八月四日(水曜日)     午後三時四十三分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 河井 榮藏君    理事 荊木 一久君 理事 小松 勇次君       石田 博英君    高橋 英吉君       平澤 長吉君    古島 義英君       足立 梅市君    前田 種男君       橋本 金一君    田中 健吉君       中村元治郎君    本田 英作君       宇都宮則綱君  委員外出席者         兵器処理委員会         に関する問題に         ついて出頭した         証人      堀切善次郎君                 坂  千秋君                 大島 弘夫君                 玉置  實君     ————————————— 本日の会議に付した事件  資料提出要求に関する件  兵器処理委員会に関する問題  証人出頭要求に関する件  委員派遣に関する件     —————————————
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではこれより会議を開きます。  理事会におきまして決定いたしました事項を御報告申し上げて、皆さんにお諮りをいたしたいと存じます。  第一、石炭國管問題につきましては一、上野富士ホテル神田龍名館赤坂中川旅館、滝野川鈴木旅館築地川村旅館以上東京、及び福岡花屋旅館より昭和二十二年七月一日以降同年十一月末日に至る宿泊人名簿金銭出納帳及び領收証の控えを、來る十日までに提出を求めることにいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。なお東京地方檢察廳より國営問題につき調査いたしました資料を、同じく來る十日までに取寄せたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 さよう決します。すなわち國管問題につきましては八月中基礎調査をなし、九月初めより連続して証人調べをいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定いたします。  第二、兵器処理問題につきましては調査機構の整備、調査員の増員、調査方法など、すべて委員長一任ということで御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。なお兵器処理問題につきましては、八月二十三、二十四、二十五日の三日間連続して、証人調べをいたしたいと思います。喚問出頭を求める証人氏名等は、委員長に御一任願いたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  第三、日程につきましては來る八月十四日午前十時理事会を開きます。なお在京の委員諸君は繰合せ御出席願えれば結構です。八月二十六日以後の日程は追つて決定をいたしたいと思います。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  第四、やみ利得調査につきましては、八月五日より同月二十二日までの間における委員の出張その他の基礎調査などは、委員長一任ということで御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。     —————————————
  10. 武藤運十郎

    武藤委員長 本日出頭証人堀切善次郎さん、坂千秋さん、大島弘夫さん、玉置實さんですね。兵器処理に関する問題につきまして証言を求めるために御出頭願つた次第であります。  証言を求める前に各証人に一言御注意を申し上げます。昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項、あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者、またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて、默祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。  それでは法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。お手もとに差上げてあります宣誓書を、御起立の上朗読してください。では堀切さん代表してお読みの上、御署名御捺印願います。     〔証人堀切善次郎君各証人を代表して宣誓〕     〔各証人宣誓書署名捺印
  11. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは堀切さん、坂さん、大島さん、玉置さんという順序でお話を伺いますから堀切さん以外の証人のお方はしばらく別室でお待ち願いたいと存じます。  それでは堀切さんに伺いますが、あなたは昭和二十年ごろ、内務大臣をしておられましたか。
  12. 堀切善次郎

    堀切證人 しておりました。
  13. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまでしておりましたか。
  14. 堀切善次郎

    堀切證人 二十年の十月——はつきり日記憶いたしませんが、九日であつたかと思いますが、九日から二十一年一月の十四日か五日であつたかと思います。そのころまでしておりました。
  15. 武藤運十郎

    武藤委員長 このころは終戰間もないころでありましたが、日本における兵器連合軍が御承知通り接收をいたしまして、さらにこれを日本政府返還をしたということがございましたか。
  16. 堀切善次郎

    堀切證人 ありました。
  17. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではあなたは、その返還をせられた当時の事務をとられたわけですか。
  18. 堀切善次郎

    堀切證人 内務大臣といたしましてそれに関係をいたしました。この事務に関しましては、調査部内務省の中に設けられまして、その調査部処理いたしております。
  19. 武藤運十郎

    武藤委員長 詳細のことは調査部においてこれを担任したわけでありますか。
  20. 堀切善次郎

    堀切證人 そういうわけであります。
  21. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたの関係せられた限りにおいて、御記憶のあるところをお述べ願いたい。
  22. 堀切善次郎

    堀切證人 調査部におきまして詳細のことを取扱つていたのでありますが、終戰後、軍の方で持つておりました物資を、わが政府の方から連合軍の方に引渡すことになりましたが、連合軍におきましては、これに対しまして、非常な好意をもつて、その物資をわが國の復興のために利用させるという点から、これを日本政府引渡して、その目的に使用させるということになつたのであります。これは私が内務大臣就任をいたします前にそういうことになつておりまして、前の内閣から、前大臣からそれを引継ぎまして、その事務処理をいたしたわけであります。
  23. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは前の内閣のときに、すでにこれは返還をして、日本復興ないし民生の安定のために使うということはきまつてつたわけですね。
  24. 堀切善次郎

    堀切證人 そうであります。
  25. 武藤運十郎

    武藤委員長 それはいつごろきまつたか、御存じありませんか。
  26. 堀切善次郎

    堀切證人 はつきり記憶はいたしておりませんが、九月の末か十月の初めのことでなかつたかと思います。
  27. 武藤運十郎

    武藤委員長 やはり内務大臣所管としてそういうことになつたわけですか。
  28. 堀切善次郎

    堀切證人 そうであります。日本政府をしてその処理に当らしめる、それについては日本政府のどの部局においてこれを取扱うかということをきめることになりまして、その結果、それは内務省が担任するということになつて処理されたのであります。これは私の就任前に始まつたことであります。
  29. 武藤運十郎

    武藤委員長 伺いますと、そういうことがきまりましたのは、昭和二十年の九月の末か、十月の初めということでありますが、あなたが御就任になりましたのは十月の九日というお話でありますから、ほとんど実際の事務はあなたから始められたというようなぐあいではないのですか。すでに相当進捗しておりましたか。
  30. 堀切善次郎

    堀切證人 大体そうだと思いますが、たとえば今の内務省調査部をつくつて、その調査部をしてこれを取扱わしめるとか、あるいは内閣特殊物件処理委員会と申しましたか、関係各省の官吏を集めた委員会をつくりまして、その委員会相談をして、そこで審議をして扱うというようなことは前の内閣時代にきまつてつたと思います。
  31. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、日本政府から接收した武器をさらに日本政府返還をして、日本復興のため、または民生のために使用させることにしようということの連合軍ないし第八軍、第六軍等との折衝は、あなたの以前の内閣時代に行われたわけです。
  32. 堀切善次郎

    堀切證人 そういうことになるについての折衝は前の内閣時代のことであります。ただ品物を具体的に引受けるというような折衝は私になつてからの方が多かつたと思います。
  33. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、調査部を設けて処理させるというようなことは、閣議事項として閣議にかかつたわけですか。
  34. 堀切善次郎

    堀切證人 私の就任前のことでありますから、その点は存じません。
  35. 武藤運十郎

    武藤委員長 調査部を設けるということはすでに就任前ですね。
  36. 堀切善次郎

    堀切證人 私の就任しましたときには、すでに設けられておりました。
  37. 武藤運十郎

    武藤委員長 兵器処理委員会というものができたということでありますけれども、それはいつごろですか。
  38. 堀切善次郎

    堀切證人 兵器処理委員会につきましては、私はつきり記憶はありません。
  39. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたの在職中にそういうものがありまして、それに実際上の政府代行機関というような趣旨で、兵器処理をさせた、そういう実行はあなたの時代に行われたのではないですか。
  40. 堀切善次郎

    堀切證人 その点につきましてはどうもはつきりした記憶をもつておりません。
  41. 武藤運十郎

    武藤委員長 日本製鉄とか、日本鋼管とか、神戸製鋼扶桑金属古河電氣というような五社に組合のようなものをつくられて、そこで兵器処理を一手に引受けてやらせるということになつて、それが実行せられたのでありますけれども、そういうことについて一体御存じはありませんか。
  42. 堀切善次郎

    堀切證人 そのことについてはどうもはつきりした記憶はもつておりません。連合軍の方から引継ぎを受けました物件についての処理については内閣特殊物件処理委員会と覚えますが、そういうような委員会相談をして処理をすることになつていたことを記憶しております。その兵器につきまして委員会があつたということについてはよく記憶しておりません。
  43. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたのお話になる特殊物件処理委員会にかけまして、そうして兵器処理委員会というものをつくることにして、返還兵器受入れ機関として内務省が指定した、同時に内務省には調査部というものがあつて、それが大臣を補佐して指揮監督することになつてつたそうでありますけれども、やはり思い出せませんか。
  44. 堀切善次郎

    堀切證人 調査部の方でその仕事をしていたのでありますが、そのことについては私にどうもはつきりした記憶がありません。それは調査部に大体任しておりましたから、調査部が計らつていたということはあるかもしれません。
  45. 武藤運十郎

    武藤委員長 重要な問題の処理について、調査部長があなたの方へ大臣決裁を求めるなり、あるいは報告をするなり、そういうことはありませんでしたか。
  46. 堀切善次郎

    堀切證人 重要な事柄については調査部長から決裁を求めたり、報告をすることはむろんでありますが、この問題につきましてはどうも特に決裁を求められ、あるいは報告を受けたということはどうも記憶いたしません。
  47. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは終戰後における日本政府行つた仕事の中でも相当大きな問題であり、連合軍との折衝も相当あつた問題であるけれども、ただいままでお述べになつた程度以上には御記憶がないのですか。
  48. 堀切善次郎

    堀切證人 ただいま申し上げました程度以外には記憶はありません。あるいは何かのついでのときに部長の方からこういうふうに兵器処理はやつておるというような話は聞いたことはないとは言われませんが、それについてもはつきりした記憶はもつておりません。ただ聞きましたにしましても、これは事務的に普通の手続によつてやられたことと考えまして、特に私がそれに注意をもつていなかつたわけでありますが、兵器処理のみならず、連合軍から返還されました物資につきましてはこれを適正敏速に処理をして、決して外界からの誤解を招くようなことがあつてはならないということを就任後間もなく開かれました地方長官会議にも訓示しておるのでありまして、調査部においてもこの私の方針をもつて調査に対して臨んでいたわけでありますが、調査部がその範囲内において処理をしていたことと考えておる次第であります。
  49. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時の調査部長はだれですか。
  50. 堀切善次郎

    堀切證人 大島君。
  51. 武藤運十郎

    武藤委員長 この人が兵器処理に関する総括的な指揮内務省内においてしておつたわけですね。
  52. 堀切善次郎

    堀切證人 そう思います。
  53. 武藤運十郎

    武藤委員長 第八軍の経済部長経済課長をしておられたバラード大佐御存じですか。
  54. 堀切善次郎

    堀切證人 存じません。
  55. 武藤運十郎

    武藤委員長 名前も聽いたことがありませんか。
  56. 堀切善次郎

    堀切證人 どうも記憶にありません。
  57. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か諸君お尋ねになることがございますか。
  58. 鍛冶良作

    鍛冶委員 先ほど連合軍から引渡しを受けたというお話でありますが、その引渡しを受けられたときの具体的の方法はどういうものでありましたか。
  59. 堀切善次郎

    堀切證人 引渡しを受けますのは、各地方長官にさせることになつておりまして、地方長官連合軍関係の人の立会いのもとに、その方から引受けるようになつていたはずであります。
  60. 鍛冶良作

    鍛冶委員 そうしますと、その地方廳というのは、物の所在地だろうと思いますが、それはただこの物というだけですか。また物のリストか何かつくつて、それで引渡しを受けたものではありませんか。
  61. 堀切善次郎

    堀切證人 私詳細のことを承知しておりませんが、むろんリストによつてつたのだと想像しております。
  62. 鍛冶良作

    鍛冶委員 そうしますと、地方廳で各リストをもつてつたとするならば、それを総合したリストがまた内務省にあるべきだとわれわれは考える。それはいかがですか。
  63. 堀切善次郎

    堀切證人 はつきりその点は承知しておりません。多分調査部長がその点に詳しいかと思います。
  64. 鍛冶良作

    鍛冶委員 調査部長か知りませんが、内務大臣責任者となつて引渡しを受けたのでしよう。それでも調査部長にそういうものを任せきりであつたのですか、どうですか。
  65. 堀切善次郎

    堀切證人 必要と考え、重大と考えたことにつきましては、こちらから指図もいたしますが、大体のことにつきましては、調査部にこれをはからせていた次第であります。
  66. 河井榮藏

    河井委員 証人特殊物件処理委員会については御存じなのですか。そうして兵器処理委員会というのは、特殊物件処理委員会のうちにあるのですか。その関係はどうですか。
  67. 堀切善次郎

    堀切證人 私はよく覚えておりません。特殊物件処理委員会というのが、関係各省の役人から組織されてでき上つて、そこで相談するということは聽いておりました、兵器だけについてそういう委員会があつたかどうかについては、はつきりした記憶がありません。
  68. 河井榮藏

    河井委員 それであなたは連合軍からの物を日本政府に受けたのは、この特殊物件処理委員会だとお考えなのですか。
  69. 堀切善次郎

    堀切證人 受けたのは日本政府であり、内務省がその主管になつております。
  70. 河井榮藏

    河井委員 だからその処理をするのは、特殊物件処理委員会だとお考えになるのですか。
  71. 堀切善次郎

    堀切證人 処理をするのは日本政府内務省がそれを処理するわけでありますが、その特殊物件処理委員会相談し、そこに詳細打合わせて進行するという組織であつたのであります。
  72. 河井榮藏

    河井委員 それだけで兵器処理委員会については全然御存じないわけですね。
  73. 堀切善次郎

    堀切證人 どうも記憶しておりません。
  74. 河井榮藏

    河井委員 これは非常に重大なことだと思うのですが、先ほど他の委員からお尋ねになつたように、單に大島調査部長だけに任して、あなたの方には報告がなかつたのですか。
  75. 堀切善次郎

    堀切證人 特別に報告を聽いたという記憶はありません。
  76. 河井榮藏

    河井委員 それから、前大臣というのはたれでしたか。あなたが事務をお引継ぎになつた大臣というのは。
  77. 堀切善次郎

  78. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか——それでは堀切さん、御迷惑ですが、何かあなたに思い出してもらうことがあるかもしれませんから、しばらく後の方でお待ち願いたいと思います。
  79. 堀切善次郎

    堀切證人 承知しました。     —————————————
  80. 武藤運十郎

    武藤委員長 坂さんですね。
  81. 坂千秋

    坂證人 はい。
  82. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは昭和二十年ごろ内務次官として在職せられたことがありますか。
  83. 坂千秋

    坂證人 終戰の年でありますから、昭和二十年の十月初旬から翌二十一年の一月中ごろまで内務次官をしておりました。
  84. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時の内務大臣は、ただいまお見えになりました堀切善次郎さんですか。
  85. 坂千秋

    坂證人 そうであります。
  86. 武藤運十郎

    武藤委員長 要するに堀切さんと在職期間は大体同じということになりますか。
  87. 坂千秋

    坂證人 堀切さんが二、三日前に大臣になられまして、やめた時期はあるいは同じくらいじやないかと思います。
  88. 武藤運十郎

    武藤委員長 その期間兵器処理の問題ですが、言いかえますと、連合軍日本政府から接收した兵器を、日本経済復興ないし民生安定のために日本政府に特に返還をするというような問題が内務省主管として処理せられることになつたことは御存じですか。
  89. 坂千秋

    坂證人 当時内務省調査部という部がありまして、そこで、兵器に限らず進駐軍から日本返還される兵器その他のものを処理しておつた事実はあります。
  90. 武藤運十郎

    武藤委員長 調査部処理するということは、あなたの就任以前にきまつたものですか。あなたの在任中きまつたものですか。
  91. 坂千秋

    坂證人 私が次官になりましたときは、すでに調査部はできておりましたから、そういう組織はすでに私の就任以前にできておつたものであります。
  92. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、あなたの在任兵器処理についてなされたことは、大体どういうことですか。
  93. 坂千秋

    坂證人 そのことは私はほとんどまつた記憶がないと申し上げるほかありません。
  94. 武藤運十郎

    武藤委員長 内閣特殊物件処理委員会というものが設けられておつたことは御存じありませんか。
  95. 坂千秋

    坂證人 それは知つております。内務省調査部でそれらの仕事をやるにいたしましても、これは政府全般関係のあることでありまして、その処理につきましても、知識、経驗その他から、内務省だけでは不十分でありますから、各省のそれぞれの係りの者が集まりました特殊物件処理委員会というような、名前は正確にそうであるかどうかは記憶いたしませんが、そういう委員会内閣にありまして、そこで相談をして、いろいろなことが捌かれておつた、こういう事実は承知しておりました。
  96. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではこの委員会に付議して、兵器処理を実行するところの兵器処理委員会というものを、民間五社——日本製鉄日本鋼管神戸製鋼扶桑金属、及び古河電氣をしてやらせるということがきまつたことは御承知ありませんか。
  97. 坂千秋

    坂證人 それは全然承知しておりません。
  98. 武藤運十郎

    武藤委員長 この兵器処理の問題は、日本政府の当時行つた問題としては相当重要な問題であると考えるのでありますが、次官として、それに関して何も知らないということはどうかと思う、何も記憶はございませんか。
  99. 坂千秋

    坂證人 おしかりを受けたようでありますが、正直に申し上げますと、当時は終戰の直後でありまして、ずいぶん騒々しい世の中でありました。まず治安の問題が非常にやかましい問題でありました。それから私は当時さしあたりどうしてもやらなければならぬということで、しかも急速にやれという選挙法改正の問題が当時の幣原内閣にあつて、その立案調査、あるいは法制局、枢密院との折衝、あるいは議会関係等につきましてかなり重い責任を、内務大臣なり、当時の内閣書記官長から負わされておつたのであります。その方に相当に忙しい思いはしておりました。あるいは知事公選を中心とする地方制度の全面的な改正の問題もあり、総監府の廃止に伴う地方長官の異動を急速にやらなければならぬという問題もあり、また一時的ではありましたが、國土局長事務取扱いをしておつた関係もありまして、相当多忙でありました。調査部でいろいろめんどうらしい仕事をやつておるなというような感じはもつて見ておりましたけれども、とうてい調査部一つ一つ事件について私が話を聽くとか、自分意見を言うというような余裕もなかつたのでありますし、そういうようなことは全然いたしておりません。  兵器処理の問題が重大であつたにもかかわらず、内務次官としてやや怠慢ではないかというような意味お話でありますが、その御意見は別といたしまして、実情としてはそういうことで、私は調査部にはまつたく関知しておらなかつたと申し上げた方がよろしい程度であります。
  100. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時の調査部長はだれですか。
  101. 坂千秋

    坂證人 当時の調査部長は、監督局長が本職でありました大島弘夫君が兼任しておつたと思います。
  102. 武藤運十郎

    武藤委員長 だれがこの人をここに据えるようなことになつたのですか。
  103. 坂千秋

    坂證人 それは私が更迭いたして次官になりました前に、大島君はすでにその地位についておつたのでありますから、私は次官として大島君と一緒に仕事をするようになつただけでありますから、その辺の事情は存じません。
  104. 武藤運十郎

    武藤委員長 大島氏から兵器処理に関してただいまお話のこまかい問題については一々聽いているひまはなかつたというようなお説でありますけれども、兵器処理という仕事内務省指揮監督のもとに行われておる、それについて大綱についてもなお何らの報告相談もなかつたというわけですか。
  105. 坂千秋

    坂證人 それは私今記憶はありませんけれども、所管局長のことでありますから、何かの機会に自分所管事務のことを話されたようなことはあろうかと思います。いつ聽いたという記憶は全然ありませんけれども、それはないということは言い過ぎであろうかと思いますから、そういう程度のことはあろうかと思いますけれども、しかとした記憶の殘つたものはありません。
  106. 武藤運十郎

    武藤委員長 この委員会であなたに質問するのは、あえてあなたの怠慢を責めるというような趣旨ではないのです。ただいまあなたのお話を聽くと、ほかの方面で非常に忙しいおからだであつたようでありますし、その方については大分御記憶は確かのようでありますから、兵器処理についても一つや二つ、あなたが在任中に何か大島氏から報告を受けるか、話があるか、そういうことについての御記憶がありませんかということを伺つておるのであつて、あえてあなたの怠慢を責めているわけではありません。
  107. 坂千秋

    坂證人 そういう意味でありますと、何しろめんどうで困るというような、ずいぶん厄介な仕事で、これは非常に苦労の多い仕事だというような意味言葉大島君から何遍か聽いた記憶があります。それは何かのついでに言われたことばでありましようが、そういう言葉は頭に殘つております。
  108. 武藤運十郎

    武藤委員長 第八軍のバラード大佐というのを御存じありますか。
  109. 坂千秋

    坂證人 いや、存じません。
  110. 武藤運十郎

    武藤委員長 名前も知りませんか。
  111. 坂千秋

    坂證人 名前も知りません。
  112. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、兵器処理の問題については大島氏が一括してこれを扱つてつて大島氏が一番よく知つておるはずのわけですね。
  113. 坂千秋

    坂證人 大島君は主務の調査部長をしておりましたから、私どもよりもずつとよく知つているだろうと思います。
  114. 武藤運十郎

    武藤委員長 要するに連合軍が莫大な兵器日本政府引渡し日本政府の代表として内務省がきまりまして、内務省の中では調査部がこれを管轄するということになつたわけですから、これは調査部がもし詳細に知らなかつたら、知つている者はないということになりますね。あなたの話を聽くと……。
  115. 坂千秋

    坂證人 そう思います。
  116. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになることがありますか。——それじや今度は大島さんに伺いますから、しばらくそこでお待ちください。     —————————————
  117. 武藤運十郎

    武藤委員長 大島さんですね。
  118. 大島弘夫

    大島證人 はい。
  119. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは昭和二十年ごろ内務省調査部長をしておられましたか。
  120. 大島弘夫

    大島證人 昭和二十年の九月の末ごろであつたと思いますが、調査部内務省に新設されましたときに、私は当時内務省の管理局長を拜命いたしておりましたが、兼任を命ぜられまして、二十一年の一月下旬に退官するまで管理局長調査部長兼任のままで在職いたしておりました。
  121. 武藤運十郎

    武藤委員長 二十年九月末から二十一年一月下旬まで調査部長をしておられた。
  122. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  123. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると二十年九月末に調査部長に兼任を命ぜられましたときの内務大臣はだれですか。
  124. 大島弘夫

    大島證人 山崎巖さんでございました。
  125. 武藤運十郎

    武藤委員長 山崎巖さんですね。これは東久邇内閣ですか。
  126. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  127. 武藤運十郎

    武藤委員長 このときに初めて調査部というものが内務省にできて、あなたが調査部長に任命されたということになるのですか。
  128. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  129. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは伺いますが、この調査部というものはどういう目的でつくつたものですか。
  130. 大島弘夫

    大島證人 それは調査部が設置されます少し前に、連合軍の方から、日本軍から接收された兵器、その他軍需品を日本民生救済のために日本政府返還をしてやろう、それで受領の混乱を避けるために、一省また一局をきめて、司命部の方に報告をせよという御内意がありまして、いろいろ政府の方で御研究の結果、内務省がその衝に当つたらよかろうということになつた内務省としては当時どの局にやらせるというわけにはいきませんので、新しく臨時に調査部というものが創設された、かように承知いたしております。
  131. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、この兵器処理につきまして、すなわち連合軍から日本政府返還されますところの、莫大な数量に上る兵器処理につきましては、一切調査部においてこれを処理するということになつたわけですね。
  132. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  133. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういうふうになるまでの折衝経過等につきましてはあなたは御存じですか。
  134. 大島弘夫

    大島證人 その調査部が創設されますまでのですか。
  135. 武藤運十郎

    武藤委員長 はあ。
  136. 大島弘夫

    大島證人 それは私は存じません。内務省の当時の次官は古井さんであつたと思います。古井さんのお手もとで外務省とか、あるいはその他いろいろ内閣あたりと御相談があつたように就任後伺つたのでございます。
  137. 武藤運十郎

    武藤委員長 山崎巖内務大臣のもとにあつた古井内務次官折衝をしたように聞いておるということでよろしゆうございますね。
  138. 大島弘夫

    大島證人 はい。
  139. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時内閣特殊物件処理に関する方針をきめまして、特殊物件処理委員会というものを設けることになつたことを御存じですか。
  140. 大島弘夫

    大島證人 記憶いたしております。
  141. 武藤運十郎

    武藤委員長 それはいつごろできたものですか。
  142. 大島弘夫

    大島證人 これは調査部仕事を始めましてから、いよいよ進駐軍からいろいろな物資の御返還を受けるということになりまして、この処分をどうするかということで、いろいろ内務省内で議を練りまして、連合軍にも御意見を伺い、関係各省ともいろいろ下打合せをしました結果十月の、日を記憶いたしませんが、中ごろであつたかと思う、特殊物件の処分に関する大綱というものを、閣議できめていただいたことがございます。その閣議の決定に引続きまして、いろいろ内閣各省とも御相談をして、この兵器なりあるいは被服、衣料、また各仔細にわたる返還物資処理するために、特殊物件処理委員会というものをつくろうということで、それも期日ははつきり記憶しませんが、処分大綱をきめていただいて間もなくでき上がつたのではないかと思います。
  143. 武藤運十郎

    武藤委員長 やはり十月中旬から下旬までの間ですね。
  144. 大島弘夫

    大島證人 そうだと思います。十月その処分大綱をきめていただいて間もなくそういうものができたのではないかと覚えております。
  145. 武藤運十郎

    武藤委員長 この特殊物件処理委員会に付議して、兵器処理委員会というものを民間五社をしてつくらしめたということがありますか。
  146. 大島弘夫

    大島證人 ございます。
  147. 武藤運十郎

    武藤委員長 それのできた顛末経過を御記憶の限り述べてもらいたい。
  148. 大島弘夫

    大島證人 連合軍の方から兵器彈藥等返還をしていただきますことは、当時のわが國にとりまして、まことに望外なことであつたのであります。この返還を受けました兵器を解体しまして、日本の産業復興に少しでも役立てたいと考えておつたのでございますが、さてこれは実際問題となりますと、御承知の通りに兵器の解体と申しましてもなかなか容易ならぬ事業でございます。ちようどそのときたまたま当時第八軍におられましたバラード大佐から内務省の東局支局長をしておりまして第八軍との連絡折衝に当つておりました青木君に対して、この兵器処理は民間機関をして当らしてはどうかというような御提案があつたように記憶いたします。それからだんだん話が関係方面に具体化してまいりまして、御承知の通りああいう機構でやらせることになつたわけでございます。
  149. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのコーネル・バラードから話があつて、民間機関に解体処分をさせるというお話でありますが、その民間機関とはどういう機関にやらした方がいいというふうな話まであつた結果、現在最近までありました民間五社に兵器処理委員会という組合のようなものをつくらしたことになるのですか。
  150. 大島弘夫

    大島證人 その点は私の記憶はつきりしておりますのは、民間の機関にやらしたらいいという点に関してバラード大佐の御提案があつたことは記憶いたしております。しかし具体的にどの社にやらせるということまでお話があつたかどうか、この点は私記憶しておらぬのであります。当時の特殊物件処理のやり方を申し上げますと、受領を受けました物資は非常に廣範囲でございまして、とうてい内務省調査部だけのスタツフをもつてしては、これを適切に処置するという立案の能力を欠いておつたのでございます。そこでいよいよ軍事品の返還を受けるときまりましてから間もなく関係者にもいろいろ集つていただきまして、連合軍から物資返還を受けるいわゆる受領の任務、これはむろん内務省が当然の任務として地方廳を督励してやる。またいただいた物を散逸しないように——当時はいろいろな事故のために保管物資の散逸も非常に多かつたので、その保管の責には内務省としてできるだけの手を盡すが、具体的に物をどういうふうに処分したらいいかという方針等は、各省おのおのその物資に應じて主務省で立案をしてもらいたい、たとえば食糧、木材等は農林省にお願いするとか、通信機材は逓信省に、医藥は厚生省に、鉄鋼、石炭その他の資材は商工省にお願いをするとか、そういうふうないろいろな立案を各省にお願いしておつたのであります。この廃兵器の問題も、兵器は商工省の御担当ではありませんけれども、スクラツプされたもの、またそれをいろいろ轉活用していくということは、商工省の御担当の仕事でありますので、商工省にひとつ立案をしていただきたいという方針のもとに、商工省にいろいろ研究をしていただきまして、先ほど委員長からお話のありましたようなああいう成案を得まして、特殊物件処理委員会できめていただいたわけであります。もちろんその間内務省も始終連絡をとり御協議をしておりますが、われわれの方では民間の実情等は何と申しましても明らかでございませんので、一番事情を明るくしておられる商工省に主として案を立てることについて御配慮を願つてつたのであります。バラード大佐からどういう御提案が具体的に商工省当局にありましたか、それは私は存じませんが、特殊物件の性質上この五社を選定されるについても、司令部の方と十分に御協議をされてきめられたものであるというふうに私は考えておるわけであります。
  151. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時青木さんは東京局長という立場におつたわけですか。
  152. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  153. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、青木さんのしておられる仕事は直近上級官であるあなたに報告ないし相談は常にあつたものでしようね。
  154. 大島弘夫

    大島證人 はい。
  155. 武藤運十郎

    武藤委員長 この兵器処理の問題につきまして青木さんは去る二月四日当委員会において大体こういう趣旨証言をしておられます。兵器処理の構想並びに実行方法、すなわち兵器処理委員会の設置、構成メンバー、五社の選定、拂下契約実行上政府の指示監督を受けること等に関しましては、すべて第八軍のバラード大佐からの指図に基くものである。このバラード大佐は八軍の課長をしておられたのであつて、この指図はわれわれは命令と考えて実行したという趣旨のことを申しておるのです。從いましてあなたの今のお話の商工省なりあるいは内務省なりの自発的な積極的な意思というものはあまり働く余地がないのであつて、大部分が命令的にコーネル・バラードからの指図によつて行われたものである。こういうふうに申しておるのでありますけれども、その点の事情はどうですか。
  156. 大島弘夫

    大島證人 先ほども申し上げましたように、私の記憶としましては民間の会社にやらせる、こういう点についてたしか十月の——日にちははつきり記憶しませんが、半ばごろであつたかと思います。バラード大佐は大体横浜におられたのでありますが、何曜日かの日に東京に出てこられるのが例でありました。そこへ青木君が呼出しを受けました際に、民間にやうしたらどうかというお話があつたことを私は伺つたように記憶しますけれども、その際に、またその後もバラード大佐からこれこれにしろという非常に具体的な、ただいま委員長の御指摘になりましたような具体的な指示といいますか、命令といいますかがあつたということの報告を私は受けた記憶はございません。
  157. 武藤運十郎

    武藤委員長 この委員会へあなたに出てもらいまして詳しくお話を伺う目的は、戰爭中國民の膏血を搾つてつくりました各種の莫大な数量に上る兵器を、なぜ無償に等しいような契約で兵器処理委員会に拂下げられたか。また兵器処理委員会が何故に財閥五社のみによつて構成されたか。そうして五社以外の他社が排斥されたか。この五社を選定して処理委員会をつくらしたものはだれであるかということについて、その後における処理委員会の業績からみて、非常な疑問があるわけです。これを解明することがこの委員会の目的です。そこであなたにくどく聽いておるのですけれども、速記録を一應読んでみますと、青木証人は、「構成メンバーにつきましてはその当時の製鉄業者、あるいは金属工業に関する有力なる会社の名簿を出せというバラード大佐からの命令があつたわけであります。それを持参して提出したわけでございます。これにつきましてバラード大佐の方からこういう会社はどうだということで五つの会社の御相談があつたわけでございます。それから委員会を構成することになつたわけでございます。」こういうふうに述べておる。すなわちそのあとの方で、バラード大佐の指示はわれわれは單なるサゼツシヨン、または勧告ではないのであつて命令と考えておる。これに從わざるを得ない。從つたのであると、こういうふうに述べてあるわけであります。そこで私どもははたして日本政府の意思を積極的に発動する余地のない形において、当時兵器処理委員会というものが構成されたかどうかということを明らかにしたいわけなのです。青木さんなら青木さんの証言のようになれば、これで私どもは日本政府責任とは別な方向で問題を調査しなければならぬ。しかしそれが当時日本政府において、政府を代表して関係しておられた青木さんなりあなたなりの証言が、当時の責任を回避する意味において、何でもかでもバラード大佐の命令だということになるならば、これまた別の角度でお話を伺わなければならぬ。そういうわけでいろいろこまかく聽いておるわけなのです。五社を選定して処理委員会をつくらせることについて、もつと具体的に青木局長からあなたに御相談がありませんでしたか。
  158. 大島弘夫

    大島證人 ございませんでした。
  159. 武藤運十郎

    武藤委員長 できてからは……。
  160. 大島弘夫

    大島證人 この特殊物件処理委員会に最後の案をかけますときには、事前に内務省の方へ商工省から御相談がございまして、そのときにはよく御説明を伺つたように記憶しております。
  161. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう説明を……。
  162. 大島弘夫

    大島證人 五社を選定されました理由でございますか——。それはこの仕事は早くやらなければならない。そして資材が全國に散らばつている。これを敏速にまた適切に有効にやるためには、どうしても力のあるところにやらせなくちやならぬ。設備の点から申しましてもまた資金の運轉の点から申しましても、どうしても力のあるところにやらせなければならない。そこでいろいろ産業界の実情を大観して、鉄については日鉄、鋼管、非鉄金属については三社ということで御説明を受けまして、私も了承をした次第であります。
  163. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、この五社を選定して兵單処理委員会をつくらせるということは、主として青木さんが折衝してできたわけであつて、特にバラード大佐、すなわち第八軍の方から決定的な命令的な話があつたわけではないのですか。
  164. 大島弘夫

    大島證人 その点はなはだ申訳ないのでありますが、私の記憶はつきりしない点もございますが、実は私は在任中一度もお目にかかつたことはないのであります。たしか退官しますときに、長々お世話になりましたという御挨拶に行つて、そのとき初めてバラード大佐にお目にかかつた。私直接この問題についてバラード大佐お話しする機会がなかつたために、非常に記憶はつきりしない点があるかと思うのでありますが、ただいまお話のように、バラード大佐からはつきり命令があつたかどうかということをつきつめてお尋ねいただきますと、私はその点はわからないのであります。ただ申し上げたいことは、先ほどから申し上げておりますように、廃兵器処理に関するいろいろな方針を立てていただきますために、商工省にいろいろ御研究を願つております。その間もちろん商工省から内務省の方にも御連絡があつたと思うのでありますが、この案画をきめられるについてはもちろんバラード大佐に緊密に連絡をし、その御承諾がなければ動かれなかつたということは間違いないと思うのでありますが、そこが絶対に動かすことのできない命令であつたかどうかということをつきつめてお尋ねいただきましても、その点は私としてはつきりと御返事はいたしかねるのであります。
  165. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが直接バラードに会つて折衝し、どういう向うの意向を受けたかということではないので、私が伺つているのは、あなたがバラードに会つたか会わないかは別問題として、青木さんのすぐ上の立場にある官吏として、青木さんからこれはどうにもしようがないんだ、五社というものは向うできめて、兵器処理委員会でやれということになつていると、こういう話なのであるか、あるいはこちらからこういうふうにしてやつてもらうことに対して向うの承諾を得たという話であるか、そこのところの青木さんとあなたとの間の話、報告等について伺つているわけです。何かその当時そういうようなことについて話はありませんでしたか。
  166. 大島弘夫

    大島證人 どうもその点は記憶がないのでございます。
  167. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは重要な点ですがね。日本政府に対する第八軍なり、あるいはG・H・Qなりの意向は当時すべて文書によつて行われておりますか。
  168. 大島弘夫

    大島證人 文書による場合もございますし、軽微な問題は直接担当の方にお目にかかつて口頭で伺つてくることもしばしば行われておりまして、特殊物件に関する限りは、私の在任中文書で來たのは一回か二回ではないかと私は憶えております。と申しますのは、第一回は一番初めにまいりましたいよいよ連合軍から日本政府返還するから準備をしろ、大体こういうふうにやれといつて、これが一番基本的になつたデイレクテイヴでありますが、それが一つ。その次に、これは正式のものでありましたかどうかはつきりいたしませんが、処分大綱をきめます際に、これだけは全般に各省関係いたしておりますので、内務省調査部で立案をして、関係各省の御意見を伺つて閣議にかけたのであります。閣議にかけます前に、その案を司令部に提出しまして、いろいろ御意見を伺つたことがありますが、それを文書で御返事をいただきましたかどうかはつきりしませんが、多分それは文書をもつて御返事をいただいたのではないかと思つております。それ以外には文書で御指示を受けたことは少くとも私の在任中には……。もう一つほかに薬か何かについてあつたかと思いますが、その程度のことであります。
  169. 武藤運十郎

    武藤委員長 最近私の聞くところによりますと、G・H・Qから日本政府、特に内務省——最近は内務省はありませんが、過去二年間における内務省に対する意思表示というのは、すべて文書によつてつておる。またこちらで文書でなくしようと思つても、日本政府の方からやりいいから文書にして欲しいと言つておる次第であつて兵器処理にしても必要なものはすべて文書によつてつてある。從つて文書以外の話を基礎として、これはG・H・Qの指令だからというようなことであれば、それはさらに日本政府関係省を十分に調査した方がよろしいのではないかということを私は聞いております。あなたのお話では文書で來た方が少いということでありますけれども、やや食い違うのではないかと思いますが、それはどうですか。
  170. 大島弘夫

    大島證人 私は四箇月前後ほど在勤いたしましたけれども、いわゆる仰々しい形のデイレクテイブ、あるいは何と申しますかその他の形で、要するに文書で向うの意思をはつきりと言つてくるという問題は少かつた。その代り毎日のように調査部の者は、当時G・H・QのG・4でありますが、そこに隔日くらいに出て行つて、こちらの兵器の受理の進行状況、また実際地方になかなか向う側の指令が徹底していないところがありますので、いろいろそういう点について意見を具申に行くとか、そのときに向うの見解を聽いてくるとかいうことがあつたのであります。それで大体事が足りておりまして、一々指令を紙に書いてもらわなければ仕事がやりにくいということは、私のおりましたときにはそういう不便は感じなかつたのであります。
  171. 武藤運十郎

    武藤委員長 部長というのはもちろん兵器処理を專管するのではありましようが、官制上からいたしますと、大臣責任をもつてやるのであつて部長大臣補佐ということになるわけですね。
  172. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  173. 武藤運十郎

    武藤委員長 すると兵器処理の問題について、あなたは時々次官、または大臣報告をし、あるいは決裁を求めることをやつてつたでしようか。
  174. 大島弘夫

    大島證人 特殊物件全体の問題については、たとえば大臣がお送りになる際、あるいは議会でいろいろ資料の準備をなさいますとか、あるいは地方長官会議が開かれるというようなときには、伺つていろいろ御説明をしており、またときには大臣の方からお呼びになつて、あの問題はどうなつたお尋ねになつたように、全般として記憶しておりますが、兵器処理の問題については、次官大臣に御報告したかどうか、実ははつきり記憶はないのであります。と申しますのは、私の当時の記憶としまして兵器処理をこういう機構でやる、こういうやり方でやるということについて、その当時あまり問題が起らなかつた。何かいろいろむずかしい問題が起きまして、たとえば商工省と内務省と非常に意見が食い違う、あるいは外部から非常に猛烈な反対運動があるということでありますと、その問題を次官大臣に御決裁を仰いで、そういうようなことがはつきり記憶になつて、たしかに御決裁を受けたというような記憶も殘ると思うのでありますが、当時の状況としては、一口に申しますれば、すらすらときまつてつたために、この問題を特に申し上げて御決裁を得た、御報告をしたということがどうも記憶はつきりございません。ただ先ほども申し上げましたように、特殊物件処理委員会にはかけまして、御決定をいただいたことははつきり記憶しております。     〔証人に文書を見せる〕
  175. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこにあなたの名前で何か署名捺印をしてあるのがあるけれども、それは何ですか。ゆつくりごらんになつて記憶を喚び起してもらいたい。
  176. 大島弘夫

    大島證人 これは契約担当の委任をしてくれということを、当時の会計課長にお願いした書類だと思います。
  177. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのときその書類に、契約書の草案みたいなものはついているのではないですか。
  178. 大島弘夫

    大島證人 これは一般的なものでないと思います。
  179. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのほかに記憶はありませんか。
  180. 大島弘夫

    大島證人 この契約は五月の十六日でございます。これは申請しましたのが十二月二十八日でありますから、おそらくこの当時はまだ案ができていなかつたのだろうと思います。ただ一般的にいろいろの事務の便宜上、あれはたしか会計課長か何か主任官になつてつたと思いますが、それを調査部長に任してくれ、こういうことをお願いした書類じやないかと思います。
  181. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたの在任中に、多少文句は違いましても、それと同趣旨の契約草案みたいなものはごらんになりませんでしたか。
  182. 大島弘夫

    大島證人 見ませんでした。これは青木君からも御説明があつたろうと思いますが、兵器処理は急いでやれということで急いでやらせたのでありますが、実際にはなかなか経費の見透しがはつきりしなかつたのであります。それで今から考えると少し異樣な感をおもちになるかも知れませんけれども、廃兵器処理の決定をしていただいたときにも、必要があればそれぞれの予算的措置をとるとか、五社をプール計算にしてやるとかいうような考え方がたしか盛つてつたと思うのであります。兵器処理します、殊に鉄の部門については、そのことが非常に無理じやないかという考え方がありまして、金はかかつて、はたしてそれでスクラツプにして引合うのかというようないろいろな問題がありましたために、とにかく仕事だけをやれ、そしてだんだんそれらの点を研究してから追つて具体的にきめようというので、私がおりました当時は、まだそのことを主としてこれは商工省にお願いして研究をしていただいておつたのでありますが、それらの研究がまだできておらなかつたのであります。契約中には具体的な話はまだ全然ございませんでした。
  183. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると兵器処理委員会というのは、すでに二十年の秋ごろからできて、仕事を民間五社によつてつてつたわけであります。そして実際契約ができましたのは約半年後の二十一年六月十五日であつたようですが、主としてその理由というのは、今お話仕事に対する見透しがつかなかつた、そうしてしかも仕事は早急にこれをやらなければならないという立場にあつた関係からだけですか、ほかに何か理由がありますか。
  184. 大島弘夫

    大島證人 私の在職しておりますときはそういう考えで、たとえば代金もたしか後拂いというようなことに当時考えられておつたわけです。それらの点についても全然関係者との相談もできておりませんでしたが、そこまでとても具体的に契約するということまでは話はまいつておらなかつた
  185. 武藤運十郎

    武藤委員長 兵器日本政府返還されたことによりまして、兵器の所有権は日本政府に移つたということになりますか。
  186. 大島弘夫

    大島證人 その所有権の問題というのが、当時いろいろ議論をしましたのですけれども、実は法律的によくわからなかつた。大体日本政府返還をしていただいた以上は、連合軍の指示によつて処分して差支えない、こういうふうに考えておりました。法律的に所有権ということになりますと、実はその当時たしかいろいろ議論をしたように覚えておりますが、あまりはつきりした結論は出なかつたように思います。
  187. 武藤運十郎

    武藤委員長 所有権は日本政府に移つて、ただその処分については連合軍の指示によつてやるという形でやつたわけではないのですか。
  188. 大島弘夫

    大島證人 大体そういうお示しの通りに、はつきりした法律観念をもつて臨んでおりませんでしたけれども、実際そういうやり方をしたと考えていただいてよいと思います。
  189. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうでないと、その次にくる拂下契約はだれとだれの間に行われたか、政府責任はだれに対して負うのかということがだんだん問題になつてくると思うのですが、当時の考えは大体今伺つたようなことでよろしいわけですね。
  190. 大島弘夫

    大島證人 大体そうであります。
  191. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、日本政府責任としては、國民、すなわち國会に対して一般の兵器処理に対して責任を負うと同時に、連合軍に対して兵器処理責任を負つてつたという形になりますか。
  192. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  193. 武藤運十郎

    武藤委員長 その次に兵器処理委員会の性格について伺いたいのですが、これは民間五社を組合員とする組合ということであつて政府の機関ではないということでよろしゆうございますか。
  194. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  195. 武藤運十郎

    武藤委員長 ただ仕事内務省兵器処理を事実上代行する。しかし政府の代行機関という政府機関ではない。
  196. 大島弘夫

    大島證人 さように考えております。
  197. 武藤運十郎

    武藤委員長 兵器処理委員会委員長はだれですか。
  198. 大島弘夫

    大島證人 小松隆氏であつたと思います。
  199. 武藤運十郎

    武藤委員長 これはどういう手続によつて委員長になつたのですか。
  200. 大島弘夫

    大島證人 これは組合の規約ではどうなつておりましたか知りませんが、大体商工省の方で小松氏を委嘱するということでおきめいただいたと思つております。
  201. 武藤運十郎

    武藤委員長 先ほどから商工省という言葉が再々出るのですけれども、商工省は何局、何部のだれですか、主としてこれに当つた方は……。
  202. 大島弘夫

    大島證人 兵器処理関係については、総務局でやつておられたと思います。
  203. 武藤運十郎

    武藤委員長 総務局でやつてつて、主としてこの問題に携わられたのは局長ですか。
  204. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  205. 武藤運十郎

    武藤委員長 何という人ですか。
  206. 大島弘夫

    大島證人 菅波君だつたと思います。
  207. 武藤運十郎

    武藤委員長 菅波局長ですね。この兵器処理委員会には、民間の機関ではありますけれども、監督指示という立場から、官廳からもここに参加をしておつて、特に品種別委員会には参加をしておつたそうですが、ここに行かれたのは内務省ではだれですか。
  208. 大島弘夫

    大島證人 私の在任しておりますときには記憶がございません。おそらく退官した後にそういうことが具体的に動き出したのではないかと思つておりますが……。
  209. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたの在任中は兵器処理委員会、またはその中の品種別委員会内務省から参加した記憶はないというのですね。
  210. 大島弘夫

    大島證人 はい。と申しますのは、私の在任時代兵器を引取るということに全精力を集中しておつて、具体的な処置というような段階にはまだはいつていなかつた考えておりますので、ただいま申し上げたような御答弁をしたわけであります。
  211. 武藤運十郎

    武藤委員長 次に兵器処理委員会から内務省に対して何らかの指示を求めてきたとか、あるいは報告をしてきたとか、そういう事実はありませんでしたか。
  212. 大島弘夫

    大島證人 兵器処理委員会事務局というのがございまして、事務局の人がときどき調査部に來られて兵器引取の状況の報告、またいろいろ実際に当つて引取る段になりますと、地方でなかなか円滑にいかない点がありますので、そういうような点について内務省として骨折つてくれというような話がありましたことは、確かに記憶しております。
  213. 武藤運十郎

    武藤委員長 兵器の拂下契約ができたときのことは、あなたは退官後であつて知らないわけですね。
  214. 大島弘夫

    大島證人 私の退官後四箇月先であつて、全然知りません。
  215. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかしながら実際の引取は、あなたの在任中に相当に活発に行われておつたと思うのでありますが、引取の方法等につきましては、どういうふうにしたか、そう数量、たとえばどういうものを、リストがあつて引受けるというように、きちんとやつてつたわけですか。
  216. 大島弘夫

    大島證人 たしか五社で責任区域を分担させたと思つております。鉄は全國二つにわけて、非鉄金属は三つに分けたと思つております。そうして私の方が兵器処理がこういうふうにきまつたということをそれぞれ地方廳に示達してやる。その兵器の範囲はどういうものかというようなことも、商工省、内務省と御相談をしまして地方へ通達をしてやる、それによつて地方で兵器処理の方へ引渡す、こういうことをしておつたと思います。
  217. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時種類、数量等に対するリストができておるわけですか。
  218. 大島弘夫

    大島證人 種類は多少明確を欠くような点がございまして、それはたしかいろいろ内務省、商工省とも御相談をして、いわゆる解体兵器として五社に引取らせるものはこの範囲と、はつきりきめて通知をしたように記憶しております。数量の点でございますが、これはたしか軍から大雑杷な資料をいただいたように記憶しておりますけれども、具体的に兵器がどれだけあつたかというようなことは私はつきり記憶をいたしておらぬのであります。殊に兵器と申しましても、彈薬等は部隊によつてはどんどん海中投棄をなさいましたし、航空機のごときもちよつと解体をして日本側へ返還をしてくださいます部隊もございましたが、あるところでは全部飛行場のまん中に集めてガソリンを掛けて燒いてしまうといつたような関係もございます。殊に兵器についております附属品はとうてい正確なる数字はわからなかつた記憶しております。
  219. 武藤運十郎

    武藤委員長 燒棄また海中に投棄したものは別でありますが、引渡し引取りはその後において行われたものでよろしいのであります。それについてただ引渡すといつても、引取るといつても数量品目について何らリストがないということはないと思うのですが、どういう方法でやつたのですか。
  220. 大島弘夫

    大島證人 それは私もはつきり記憶いたしませんが、おそらくリストをつくつて、そこへ示して引渡しをするということをいたしたと思います。これは地方廳でやつたと思います。その集計したものは当時内務省には全然集まつてきておりません。
  221. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時数量は百万トンといい、七百万トンというような大幅な食い違いがあるのですけれども、大体総トン数どのくらいという話でありましたか。
  222. 大島弘夫

    大島證人 廃兵器でございますか。これは私はつきり記憶がございませんですが、七百万トンというような数字は少し厖大に過ぎはせぬかという感じでございます。
  223. 武藤運十郎

    武藤委員長 その当時およそどのくらいだという話ですか。一番よく知つておるのはあなただと思うのだが。
  224. 大島弘夫

    大島證人 私でなければならぬわけでありますが、その数字はどのくらいありましたかはつきり……。
  225. 武藤運十郎

    武藤委員長 およそでもよいです。
  226. 大島弘夫

    大島證人 およそでもはつきりしたことは申し上げかねます。
  227. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがありますか。
  228. 河井榮藏

    河井委員 証人調査部長だとすると、この兵器処理についての一番責任者ですね。
  229. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。
  230. 河井榮藏

    河井委員 青木さんというのはあなたの部下ですか。
  231. 大島弘夫

    大島證人 さようでございます。調査部東京局長をしておりました。
  232. 河井榮藏

    河井委員 委員長もたびたび聽かれたようですが、このバラード大佐から青木氏に対して、兵器処理は民間にやらした方がいいという意見が出て、そうしてあなたがなさつたのだそうですが、そういう重大なことについて、あなたはそれを確かめられる方法をとられなかつたのですか。單にあなたの部下である青木氏の報告だけを聽いてそういう大方針をきめられたのですか。
  233. 大島弘夫

    大島證人 それはそのとき話を伺つてつたわけでありますが、逐次その後関係方面で御研究になつた結果、ああいう組織になつたわけであります。
  234. 河井榮藏

    河井委員 それは先ほどあなたが言われるように文書でなかつた。そうすると、今あなたが言われますような、連合軍の方でいろいろ事情を考慮されてそういうことになつたのだろうというふうにあなたもお考えになつているのですが、連合軍が進駐されて間もなくのことで、こういうことは日本の國内事情、また業者の関係なんかをよほど知つた人でなければわからないわけですが、どうしてそういうことがわかつたでしようか。バラード大佐がそういうことを決定されるまでの相談相手になつた人とか、どういうわけでそういう決定になつたかというようなことについて。あなたのお聞及びになつたこと、あるいはお考えはどうですか。
  235. 大島弘夫

    大島證人 私は聞いたことはありませんが、私の考えを申させていただきます。兵器を解体するということは、とても政府の力では困難でないかと思います。結局解体をするにしましても非常な設備を要する、また解体したあと製錬するとか何とかいたすにしましても、結局民間の力を借りざるを得ないという実情でございますので、その点を考えられてバラード氏が民間にやらそう、こういう案をお出しになつたのではないかと思います。
  236. 河井榮藏

    河井委員 あなたはバラード大佐には一度もお会いになつたことはないというお話でしたが……。
  237. 大島弘夫

    大島證人 それは先ほど申し上げましたように、退官の際に御挨拶に行つてお目にかかつた
  238. 河井榮藏

    河井委員 あなたからそういう御意見を出されたことはないわけですね。
  239. 大島弘夫

    大島證人 私からはございません。
  240. 河井榮藏

    河井委員 青木氏はしよつちうバラード大佐に会つていたのですか。
  241. 大島弘夫

    大島證人 その点はわかりません。
  242. 河井榮藏

    河井委員 そういう決定に至るについては小松隆とかあるいは淺野良三というような人が連合軍折衝して、いろいろな事情を説明されてそういう結果になつたのではないですか。その辺のことを忌憚なく眞相を話していただきたい。
  243. 大島弘夫

    大島證人 その点は私もよくわかりません。ただ先ほど委員長お尋ねのときに申し落しましたが、バラード大佐に初めて青木君が呼ばれた際、その席に小松さんがおつたと聽いております。
  244. 河井榮藏

    河井委員 どうもその事情はわからんとあなたは言われますが、どうしてそういうふうになつたのだろうという疑問は起きなかつたですか。あなたの主管される大切なことについて、バラード大佐から命令にひとしい指令があつたとするならば、どういうわけでそういうふうになつたのだこうというようなことは一應たれでも考えるわけですが、そういうことについてあなたはお考えにならなかつたか、あるいはまた疑問をもたれなかつたか。
  245. 大島弘夫

    大島證人 それは、当時民間の者にやらしたらというバラード大佐の話があつたわけでありますが、それはただちに命令だとはその当時感じなかつたわけであります。その後いろいろ関係方面で研究していただいて、そういうことになつたと思います。
  246. 河井榮藏

    河井委員 との当時日本鋼管社長の淺野良三氏やなんかしきりにバラード大佐折衝しておつたということはお聞きになりませんか。
  247. 大島弘夫

    大島證人 全然聞いておりません。
  248. 河井榮藏

    河井委員 全然お聞きになりませんか。うわさも聞いておりませんか。
  249. 大島弘夫

    大島證人 うわさも聞いておりません。
  250. 河井榮藏

    河井委員 小松隆氏はどうですか。
  251. 大島弘夫

    大島證人 小松氏はバラード大佐に、この問題かどうか知りませんが、いろいろ接触の深い方であるということは承知いたしておりました。
  252. 橋本金一

    ○橋本委員 大島証人に聽く前に、ちよつと先ほど当時の堀切大臣証言並びに坂次官証言について、なお一應お尋ねしたいと思います。堀切証人の先ほどのお答えに、大臣就任以前における調査部の結成であつたから、その当時のいきさつはわからないというお話でありましたが、今大島証言によりますと、ちようど就任後であつて、十月の中旬にこの調査部ができたということをはつきり申されておりますが、その点何か思い違いでありませんか。
  253. 堀切善次郎

    堀切證人 調査部のできたのは、私の就任前に間違いはありません。
  254. 橋本金一

    ○橋本委員 なお大島証人に伺いたい。
  255. 大島弘夫

    大島證人 私が先ほど申し上げました言葉が足らなかつたのでありますが、九月のたしか終りにおいて、こういうふうにお答えいたしました。
  256. 橋本金一

    ○橋本委員 よくわかりました。先ほどから委員長お尋ねに対して、私どもはなはだ大島証人の答えが、責任のある地位にある人の回答としては、ほとんど青木氏がこれをやられたというような言葉であり、なおこまかい部分の飛行機を飛行場で燃やしたとか、どうしたというような、あまり痛痒を感じないような問題の処分に対しての記憶は、非常に強く主張せられまするが、当時責任の地位にあつて、これらの調査部の構成、なおまたその中の委員長の決定であるとかいうような問題に対して、全然あなたはこれに関係をしておられなかつたかどうか。その当時何か御相談がなかつたかどうか。先ずそれをひとつお伺いいたします。
  257. 大島弘夫

    大島證人 委員長を小松氏にすることについては、お話を伺つたように記憶しております。
  258. 橋本金一

    ○橋本委員 私の伺うのは、証人証言は商工省によつて大体指名せられたものであろうという先ほどの証言でありますが、全責任の立場にある調査部が、それに対して前から何かお話がなかつたかどうか。
  259. 大島弘夫

    大島證人 それは前もつてお話がございました。私の申しましたのは、小松氏に委員長になつてほしいという申し渡しをやつたかというように伺つたので、それは私から小松さんに委員長になつてくださいとは申し上げない。それはたしか商工省からおつしやつていただいたと思うのですが、小松氏を委員長にするということについては事前に伺つております。それに承諾を與えております。
  260. 橋本金一

    ○橋本委員 先ほどの証言と違いますね。
  261. 大島弘夫

    大島證人 今申し上げた通りでございます。
  262. 橋本金一

    ○橋本委員 なおこの委員会を結成をいたすに際しまして、ほとんど青木氏が構成メンバーを示し、それによつて五社の選定の当時においても、これまた事後の報告によつて知つただけであつて、当時のいきさつは御存じないような話でございますが、やはりそう承つてよろしうございますか。
  263. 大島弘夫

    大島證人 青木君に五社にしろというような話がバラード大佐からあつたということは、私は申し上げなかつたのです。
  264. 橋本金一

    ○橋本委員 こういうふうに決定をしたと、青木氏から後に報告を受けたのじやないですか。
  265. 大島弘夫

    大島證人 そういうふうには申し上げなかつたように記憶しております。
  266. 橋本金一

    ○橋本委員 それではこの決定に対してはどういうふうに言われましたか。
  267. 大島弘夫

    大島證人 こういう点をお尋ねがあつたから、こういうふうにお答えしたのであります。バラード大佐から命令によつて五社がきまつたのか、こういう委員長お尋ねであつたと思いますので、その点は私にははつきりわかりません。
  268. 橋本金一

    ○橋本委員 そうすればいかにしてこの五社を処理委員会委員と決定したか。そのときの事情をいまひとつ明快に御説明が願いたい。
  269. 大島弘夫

    大島證人 それはバラード大佐から民間にやらしたらばというお話が出ました。それからだんだん議になりまして、内務省、商工省、司令部というような間にいろいろ協議が進められたのであります。協議が進められたと申しましても、主として折衝に当つていただいたのは、この兵器処理の全体の立案をお願いした商工省に当つていただいたのであります。時々商工省から内務省にも御連絡をいただいております。特殊物件処理委員会で最終にきまる前には、もちろん内務省はつきりした意思を示していただいて、内務省としてはその案に賛成であるということは申し上げております。
  270. 橋本金一

    ○橋本委員 五社に賛成であるということは結果論ですが、五社を推薦するまでの経緯を聽きたい。
  271. 大島弘夫

    大島證人 推薦は内務省からは一度もしておりません。
  272. 橋本金一

    ○橋本委員 商工省からですか。
  273. 大島弘夫

    大島證人 それは商工省とバラード大佐との間にどういう具体的な御相談があつたか、その点は私はわからないのであります。内務省としては五社を選定するという能力はないのであります。内務省がイニシアチーブをとつて五社をきめたということはないのであります。
  274. 橋本金一

    ○橋本委員 結論を得るまでには、その経緯があるはずですね。
  275. 大島弘夫

    大島證人 ございます。
  276. 橋本金一

    ○橋本委員 その点を承りたい。五社に決定せられた当時の状況、経緯を伺いたい。
  277. 大島弘夫

    大島證人 それは私の記憶では商工省かいろいろ御研究になり、司令部とも十分御協議をなすつて内務省にも御相談をしていただいてきまつたのであります。そうしてそれにきまつて兵器処理をすることにきまつたのであります。
  278. 橋本金一

    ○橋本委員 青木氏がさように決定したことをあなたに御報告したのでなくして、あなたは最初からその相談に乘つておられたわけですね。そうして最後の決定を商工省からこういうふうにしたという通知を受けた、かように承つてよろしゆうございますか。
  279. 大島弘夫

    大島證人 その当時いつどういう形で御相談を受けたということは私もはつきり記憶しませんけれども、五社を選定するということについては、商工省から御相談を受けて、内務省としては……。
  280. 橋本金一

    ○橋本委員 なおもう一つ承りたい。当時の資材の推定数量も、委員長の質問に対して全然わからぬようなことを言つておりますが、大体先ほどの説明であると、処理についてはあまり重点を置かずに、その当時引取りの方面に重点を置いて多忙であつた。こういう点から考えまして、一体引取りとは、どこにどのくらいある、あるいは大体推定総数量はどのくらいあるというような話がかりになかつたならば、受取りに重点を置いてやつておいでになるものならば、どのくらいあるだろうとして、責任の立場から考えても、また一個の好奇心から考えても、何かその間にあるべきはずでありますが、そのことには無関心であつて、推定数量も何もわからない、記憶がないということで、私は今具体的にあなたにお尋ねしたのですが、先ほどの委員長の質問に対しては、大体において記憶がないというお話でしたが、そういう観点に立つて考えてみても、また常識の上から判断しても、これは責任の立場から常識的に考えてあまりにも無責任な回答ではないか。この点どうですか。全然わからぬですか。
  281. 大島弘夫

    大島證人 航空機が陸軍でしたか海軍でしたか、一万機あるというようなことは記憶しておりますけれども、大砲が何門で、砲彈が何トン、附属品がどれだけというようなことは、ただいま記憶がございません。
  282. 橋本金一

    ○橋本委員 しからばさらに承りますが、全然記憶がないものが、委員長が先ほど当時推定七百万トンと言つてつたがどうかと言うた場合において、全然不明なものが、そうはないはずであつたというのは、何を根拠にお話になるのか、それをひとつ承りたい。
  283. 大島弘夫

    大島證人 それはちよつと感じを申し上げただけであります。
  284. 橋本金一

    ○橋本委員 その当時の感じでありますか。
  285. 大島弘夫

    大島證人 現在の感じでありますか。
  286. 橋本金一

    ○橋本委員 現在の感じであつて、その当時の推定というものは何にもわからぬ、かように考えてよろしゆうございますか。
  287. 大島弘夫

    大島證人 正確に申し上げなければならぬと私も考えますので……。
  288. 橋本金一

    ○橋本委員 正確にとは委員長も私も聽いておりません。大体当時どのくらいであつたかということを聽いておる。
  289. 大島弘夫

    大島證人 当時の資料その他をひつくり返して見ますれば、あるいは記憶を喚び起せるかと思います。全然二年有半も仕事を離れてしまつておりますので、ここで証人として責任ある御返事をいたしかねるのであります。
  290. 橋本金一

    ○橋本委員 確定数量でなくて結構です。
  291. 武藤運十郎

    武藤委員長 つまり七百万トンというのは少し多いような感じだけれども、百万トンということはない、そういう感じですね。
  292. 大島弘夫

    大島證人 感じということを申し上げまして、非常に申訳なかつたのでありますが、私がちよつと考えますと、終戰の当時日本の鉄鋼の生産力は、もう二十万トンを割つてつたのであります。実際の話が、その前の年も五十万トンくらいしかなかつたと思う。それで大陸にあれほどの資材を出しておつて、國内に鉄鋼七百万トンがストツクとして殘つておるということは、ちよつと感じとして出ない。そこで七百万トンは少し多いのじやないか、こう申し上げたのでありまして、そうかといつて、低く見積つても百万トンは少な過ぎる。というのは、事実は、その当時の資料を詳細に調べさしていただければ、大体私もここで御返事ができるかと思います。しかし大分長くこの仕事に全然タツチしておりませんから、その当時の見込数量、およそでよいからと言われても、責任ある御証言を申し上げるわけにはいきません。
  293. 鍛冶良作

    鍛冶委員 まず私承りたい。先ほどのお言葉で、進駐軍から返還されるときまつたときに、これを引受ける、引受けて、さらにこれを処理する一省もしくは一局を設けて申し出る、こういうことはあつた。その結果内務省として定めてあつた、こういう話でしたが、そうするとこれを引受け、さらにこれを処理するところの責任者内務大臣であると思うが、それは間違いありませんか。
  294. 大島弘夫

    大島證人 進駐軍に対する関係では、そうであろうと思います。
  295. 鍛冶良作

    鍛冶委員 そうしますると、よほど重大なる責任をもつてあなた方が当られるのでありますから、まず引受けについて私は承りたい。進駐軍から返還されたものは受取つた。そこで先ほど言つたように、所有権の問題までも出てきますが、こつちへ所有権が移つた、こういうことになります以上は、どこにどれだけのものがあつて、どういう形で受取つたということが確定せられなくては、責任はもてぬわけだと思うのですが、それは確定しておりましたか。確定したとすれば、どういう方法で確定したか、その点を承りたい。
  296. 大島弘夫

    大島證人 実際の引受事務は各地方廳でやつたのであります。しかもこの軍需品が本土決戰というような関係上、非常に各地にばらまかれまして、一つの縣でも非常にたくさんあつて、縣知事が受領の責任者でありますけれども、実際にそこに行つて受領する者は警察署長であり、地方事務所長である。これはその引取りの実情上やむを得なかつたのであります。そこで引取りの方法もいろいろ部隊々々の考え方で違つたのであります。とにかくこちらに引受ける。ところがまた実際引受けてみますと、帳簿と現物と合わないような事例もその当時あつたやに記憶しておるのであります。それでその当時各地方々々においては、ある程度正確な資料というものが、引受けをいただきますとたんに手にはいつておるわけであります。けれどもそれが末端からずつと中央にまいつて集計されるということには、品物によつてはできたものもございますけれども、全般にわたつてはとうていまだできておりません。
  297. 鍛冶良作

    鍛冶委員 それでは現在においてもまだできておらぬとお思いですか。いつかは報告せなかつたら問題にならぬと思うのですが……。
  298. 大島弘夫

    大島證人 これは連合軍からも、その記録は保持しろという、内務省に対する命令がはつきり來ておりますので、おそらく内務省は解体になりましたけれども、その仕事を引継いでおられるところには、はつきりした資料があると私は思つております。
  299. 鍛冶良作

    鍛冶委員 あるとすればどことお思いになるか。内務省で現在どういうところにあるか……。
  300. 大島弘夫

    大島證人 それは内務省調査局の仕事を引受けたところがどこでございましたか、現在の所管はつきりいたしませんが、建設省ではございませんでしたでしようか。これは間違いかもしれませんから、どうぞそのつもりで……。
  301. 鍛冶良作

    鍛冶委員 そこで今度は処理についてですが、処理を五社に任した、こう言われましたが、五社に任すときにもどこにある物をどれだけ、どこの社にだれが渡したということが明確になつておらなければ責任がもてないということになりますが、それが明確になつておりますか。
  302. 大島弘夫

    大島證人 それはおそらく書類上はつきりしておると思います。引渡しいたします際に……。
  303. 鍛冶良作

    鍛冶委員 なつておると思いますと言われますのがわからない。
  304. 大島弘夫

    大島證人 というのは、第一線においてやつておることで、その当時は集計した書類はまだ本省の方に集つてきておらなかつた。ですからそういうようなことはどこで渡したというところまではつきり記録にとつておけという司令部の命令もありまして、第一線に繰り返し繰り返し記録をはつきりしろと言つておりますから、おそらく記録に載つてつて、逐次本省の方に集計されておるだろうと思います。
  305. 鍛冶良作

    鍛冶委員 それもあるとすれば建設省ですか。
  306. 大島弘夫

    大島證人 同じところだろうと思います。
  307. 鍛冶良作

    鍛冶委員 さらに承りたい。その当時最も忙しかつたかもしれませんが、そういう重大なる責任内務大臣が責うておる以上は、内務大臣の補佐役としてあなたが部長としてやつておられるのですから、これに関する重大なことは当然次官を経て、大臣報告し、その決裁を経て処理をするとか、また時々報告せられることがなければならぬものだと思うが、そういうことがないと言われるから先ほどからお聽きしておるのですが、これがないというのは何か特別な事情があつたからじやないですか。
  308. 大島弘夫

    大島證人 そんなことはありません。報告したとか、報告しないとかというようなことは記憶はつきりしないということを申し上げたのです。報告しないということは私もはつきり申し上げられません。さつきも申し上げましたように、兵器処理の問題は、今日非常に重大な問題になつておりますけれども、当時の情勢としまして、ああいうふうな決定をされたということはあまり問題がなかつた。それで何か非常に問題があつて、あるいは各省の間に意見が対立するとか、あるいは外部にいろいろ反対があるとかというようなことでありますと、こういう問題がありましたからいかがですかといつて指示を受けるとか、いろいろな問題があれば記憶はつきりするわけですが、そういうことがなく、すらすらといつてつたという関係で、特殊物件については時々いろいろ御報告したことをはつきり覚えておりますが、特にこの兵器処理問題について報告したかどうかという具体的な問題になると、その点ははつきりしません。
  309. 鍛冶良作

    鍛冶委員 それがわからなければやむを得ませんが、そこでその末端には目を届きませんでしようが、引渡しの実情また引渡しのやり方等についてはあなたの方から差図をし、もしくは向うから報告があるということはありませんでしたか。
  310. 大島弘夫

    大島證人 地方々々の受領については非常に私ども関心をもつておりまして、いつ何日受領を開始する、同時に済んだということの報告を逐次とつておりました。引渡しの方は一々電報とか書類で報告をとつていなかつたように記憶いたしております。
  311. 鍛冶良作

    鍛冶委員 それから先ほど委員長から示された契約ですが、あの契約はよほど後に、先ほどのお言葉にもありましたように、実際やつてみて、この方法がよいだろうということで契約したということになつておりますが、あなたの調査部長時代にすでにそういうふうで、五社のものに渡して処理さしておつた事実はあつたろうと思いますが、それらについて実情をどういうふうに聽いておられたか、何かせられたことがあるかないか。あればどう聽いておられたかを承りたい。
  312. 大島弘夫

    大島證人 年の暮くらいから引取りが相当活発になつたというふうに聞いております。十月、十一月ごろから仕事を始めまして、いろいろ委員会としても機構を整備して、当時はまだこの兵器処理の問題でも、引取りが重点ではなかつたかと思うのであります。処理の段階まであまりはいつておらなかつたというように私は記憶いたします。その引取りと申しますのは会社の方で内務省から受けて引取る。そういう意味の引取りであります。
  313. 鍛冶良作

    鍛冶委員 そうすると内務省責任を負うというのは、実際に受取るのは処理する会社が受取つたのですか。
  314. 大島弘夫

    大島證人 それは内務省が一旦連合軍側からいただきまして、それを渡したわけであります。
  315. 鍛冶良作

    鍛冶委員 理屈はそうだが、実際はそれを一所でやつたのではありませんか。
  316. 大島弘夫

    大島證人 そういうこともあつたかもしれません。いろいろめんどうで、事務を簡略にするために、記録さえはつきりすればよいというので、三者立会でやつたところもあつたかもしれませんが、建前は一旦内務省で引受けて、それをいろいろ処分の方法に從つて引渡すべきところに引渡すということになつておりました。後段で申し上げたのが常道であつたと思います。
  317. 鍛冶良作

    鍛冶委員 われわれ現在ここだけで考えてみますと、実際引渡したといつてもその記録もリストもありませんし、書類で渡したといつても、そのリストもないのでありますから、実際どれだけあつたかわからぬ。そこにあるものを一つやれ、それを受取つて処理しろと、こういうことになりはしませんか。それともはつきりしておりますか。
  318. 大島弘夫

    大島證人 その当時の記録を、目録というか、それをお調べいただけばはつきりわかると思います。
  319. 鍛冶良作

    鍛冶委員 目録が出てこないで困つておる、それであなたにお聽きする。これが出てこないと実際あなたの方で責任を負つてつたと言つても、どういうところで責任をもつてやられたのか、それが不明確だからそういうことになつたのではないかという感じが今日われわれにするのであります。
  320. 大島弘夫

    大島證人 それはしかし最後の消費者にいたるまでの径路をはつきりしておけという向うの指示もあるわけでありますから、一切記録になつてつてなければならぬと思います。
  321. 鍛冶良作

    鍛冶委員 しかもあなたに先ほど委員長が言われた通り、あなたが一番よく知つておる、それでわからぬというとつながるところがない。現在は内務省をやめておいでになりましようが、それらのことはあなたがひとつ調べて、ある程度資料をまとめていただくわけにいかぬものですか。これは懇談です。
  322. 武藤運十郎

    武藤委員長 他にございませんか——それでは坂さんちよつともう一つ伺いたい。あなたは日本鋼管の顧問をしておられますか。
  323. 坂千秋

    坂證人 会社ですか、——全然関係ありません。
  324. 武藤運十郎

    武藤委員長 顧問でなくても何か日本鋼管関係がありましたか。
  325. 坂千秋

    坂證人 いや全然無関係です。日本鋼管という会社は川崎かどこかにあるのだろうと想像しておる程度で、それ以上知りません。あの有名な会社ですね。
  326. 武藤運十郎

    武藤委員長 淺野良三、黛虎造、小松隆とか、直接知らないですか。
  327. 坂千秋

    坂證人 全然知りません。
  328. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではすみませんが、大島さんにちよつとお待ち願つて、今玉置さんに伺うことがあります。それから堀切さん、坂さんはお帰りになつて結構です。どうも御苦労さまでした。     —————————————
  329. 武藤運十郎

    武藤委員長 お待たせいたしました。あなたは昭和二十年ごろ調査部第二課長として兵器処理の問題について、いろいろ事務に当られたことがございますか。
  330. 玉置實

    玉置證人 ございます。昭和二十年の九月の終りごろから翌年の十月ごろまで約一箇年です。
  331. 武藤運十郎

    武藤委員長 約一箇年ですね。
  332. 玉置實

    玉置證人 そうです。
  333. 武藤運十郎

    武藤委員長 主としてどういうことをなさつたのですか。
  334. 玉置實

    玉置證人 途中で機構が変りましたが、最初調査部の中には、総務と、それから業務一課、二課とこの三課がございまして、業務一課の方は主として農林物資でありますが、農林物資のほかに繊維製品も扱つております。それが業務一課でございまして、私の方の課は、それ以外の商工物資を大体包括的に担当いたしております。そういうわけで兵器処理委員会も主としてこれは金属資材が多いものでありますから、從いまして業務二課の方で主として主管しておつたような状況でございます。
  335. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時内閣特殊物件処理委員会というものをつくつて、これに付議して民間五社をして兵器処理委員会をつくらしめた。そうしてこれを事実上の政府代行機関として、この組合をして兵器の引取り、解体等をなさしめたということがございますか。
  336. 玉置實

    玉置證人 ございます。その通りでございます。
  337. 武藤運十郎

    武藤委員長 これについて伺いたいのですが、こういうふうな構想と実行は、すべて第八軍の経済課長部長をしておられたバラード大佐の指図によつたものであると青木氏は言つておるのですが、いかがですか。
  338. 玉置實

    玉置證人 その辺、全部バラード大佐の指示によつたかどうかということははつきりいたしません。われわれの聽いておりました当時の状況から判断いたしますると、大体兵器と申しますのは、戰勝國たるアメリカが勝手に処分してもいいという建前になつておりますが、バラード大佐といたしましては、日本の産業状況がこういうふうに混沌たる状況だ。この廃兵器をよりよく産業復興に使つたらどうだ。こういうふうな熱意は非常にもつておられたようにわれわれは仄聞いたしております。從いましてバラード大佐といたしましては、この廃兵器をどういうふうに早く処分して日本の國民経済に寄與するか、こういう問題につきまして、かねて研究しておつたようにも聽いておりますし、この問題を当時の日本鋼管の筆頭常務でありました小松氏にも御相談になつたようにも聽いております。そういうことから発端いたしまして、バラード大佐、小松氏あるいは主管官廳でありました商工省、こういう方面でよりより話が進められまして、具体化いたしましたものが一應内務省の方に提起されたものと私は記憶いたしております。
  339. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、大体話というのは、小松氏とバラード大佐との間に話ができたわけですか。
  340. 玉置實

    玉置證人 その辺がわれわれは途中から承つたものですから、内務省といたしましては連合軍最高司令官の覚書によりまして、全部の資材、もとの軍需物資並びにこれに伴う兵器類はすべて内務省を経由いたしまして処分しろという覚書がございますので、もし第八軍なりG・H・Qが直接民間会社に拂下をする、処分を命ずるということになりますと、内務省といたしましては連合軍に対する責務がありますので、そういう情報も多少はわれわれ聽いたことは記憶いたしておりますが、こういう場合がもしありますと、内務省といたしましても責務上どうしても内務省を経由いたしまして各省協議の上で適当にこれを処分する、こういう覚書の趣旨に則りまして、早速商工省方面とも情報の交換をいたしたように記憶いたしております。從いましてバラード大佐と小松氏のみの発案か、その他関係方面との協議があつたものかということは、はつきりした記憶がないように思います。
  341. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、連合軍の方から直接民間の会社が引渡しを受けるような形勢の話も当時あつたのですか。
  342. 玉置實

    玉置證人 そういう雰囲氣はあつたように存じます。
  343. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかし、そういうことはないじやないですか。その前にデイレクトが出て、これは日本政府返還するというようになつてつたわけでしよう。
  344. 玉置實

    玉置證人 しかしながらバラード大佐の意向は、私は直接お目にかかつたのではありませんが、とにかくこういう厖大な資材を早急に処分するということは、現在の日本の官廳機構でやつてつたのでは間に合わぬ。一日も早く日本の産業復興に寄與する、こういうことからいつて、有力な会社をして有機的に処理せしめる、そういう意向はおそらくあつたのではないかと想像いたします。
  345. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、この兵器処理委員会というものを役所にやらせないで民間の会社によつて早急にやらせる、それには五社を選んでやつたらいいというようなことは、だれの発案ですか。
  346. 玉置實

    玉置證人 五社の選定につきましては、われわれはイニシアテイーヴを全然とつておりません。おそらくこれは第八軍の御意見もあつたと思いまするし、それから小松氏、並びに資材を受取つて後の処分をする主管官廳であります商工省方面が寄り寄り相談をした結論ではないかと存じます。その結論を、結局連合軍に対する責任官廳でありまする内務省の方へ提起いたしまして、それで意見がまとまつた結果を中央の処理委員会へかけた、こういうような経過だと私は記憶いたしております。
  347. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは五社の選定とか、さらに遡つて兵器処理委員会という、民間会社をして、組合ようのものをつくつて、これに迅速に兵器処理をなさしめるというような構想は、内務省はあまり関係しておらないのですね。
  348. 玉置實

    玉置證人 そもそもの最初からは内務省関係いたしておりません。われわれといたしましては、そういう意向があるということを中途から聞きまして、それで商工省にも呼びかけまして、こういう場合におきましては、内務省、商工省、その他関係各省が寄つて、適当な協議機関あるいは処理機関を設けないと、單に民間と直結するというような場合はいろいろな弊害が起きる。こういうような意見も出ておりましたので、早速協議を開始したようなわけであります。
  349. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは小松氏が大分密接にバラード大佐折衝したのですか。
  350. 玉置實

    玉置證人 そのことはわれわれも聞いております。最初は兵器の拂下ということは非常に困難な情勢でなかつたかと存じます。これを日本側に引渡し、拂下げをするということは、おそらく連合軍にとつても非常な大英断だ、こういうふうに当時の情勢から判断すると存ぜられます。從いましてこれを日本側に拂下げを決定したという当時の状況からいたしますると、小松氏といたしましては、相当その陰に大きな努力が拂われたのじやないか、こういうふうにも想像されます。
  351. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかし連合軍とすれば、そんなものを本國に戰利品に持つて行く必要もないし、言つてみれば、じやまものみたいなもので、燒き拂つたり、海中に投棄したりすることはまことにややこしい話であつて、これを日本政府にまた民間に引渡すということは、大して大英断でもないじやないですか。
  352. 玉置實

    玉置證人 しかし当時の状況からいたしまして、これを本國に引上げるといいましても、日本側といたしましては、何ら異議をさしはさむ余地はないのであります。しかもたとえ後日に至りまして拂下げいたすといたしましても、これを早く処理するか処理しないかということは、当時の産業復興状況からいたしますと、非常に大きな問題であつたと思います。
  353. 武藤運十郎

    武藤委員長 それはわかりましたが、この委員会でこういうことを私があなたに伺つているのは、あなたの言われるように、小松氏が到底むつかしかつたであろうところの兵器連合軍から引渡しを受けるに至つたことは、それは日本のためにもたいへん功績があるというお言葉のようでありますけれども、その引渡しを受けることが、小松氏の会社である日本鋼管ほか四社、つまり財閥五社だけに独占的に引渡しを受けて、それが財閥五社の主として利益のために処分をされているというようなことがもし結果において現われてくると、小松氏の努力というものは、日本國民とか日本の國とかいうものではなくて、日本鋼管を含む財閥五社のためにやつたのだというようなことにもなるのですね。
  354. 玉置實

    玉置證人 解釈は非常にむつかしい問題だと思いますが、当時の状況から判断いたしますると、兵器の拂下げを受けまして、これを処分して、はたしてその経理上プラスになるかマイナスになるかということは非常な疑問だつたとわれわれも考えております。從いまして正式の拂下が終りましたならば、政府委員会との間に契約を締結する必要がございまするが、その当時の状況から判断いたしますると、一体政府はこれだけの大事業を代行させて、もし大きな損害ができたならばどうする、單にプラスが出た場合はこれを政府に差上げる。大きなマイナスができた場合に政府は一体どうしてくれる。こういうような不安状況の方が先きに立ちまして、なかなか引受ける者がなかつたというふうにもわれわれは聞いております。でありますから、この五社を選定したのがよいかわるいかというのは、結果的な判断から申しますと相当是非の議論があると思いますが、当時の状況からして一日も早く拂下げを受ける、しかもこれを処分する、こういう状況から判断いたしますと、でき得るだけ能力のある相当な会社に能率的にやらせる、こういう方がその当時の状況からいたしますと時宜に適しておつたのじやないか、こういうふうにも考えられる次第であります。
  355. 武藤運十郎

    武藤委員長 なるほどそうかもしれないのであつて、えらい損をするかもしれぬ。しかし場合によればえらい利益を得るかもわからぬので、当時しろうとであるあなた方にはよくわからないわけだな。
  356. 玉置實

    玉置證人 これはおそらく五社といたしましても、当時は將來の見透しは全然つかなかつたようにも思われます。
  357. 武藤運十郎

    武藤委員長 この兵器処理委員会の運営については、あなたの方でも監督、場合によれば指示する問題もあるという立場に立つてつたわけですね。
  358. 玉置實

    玉置證人 そうです。
  359. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、出発点においては引受手もないかもしれないという状態で、これを引受けて大損をするかもしれない、それに対しては予算的措置を講じ、損失補償をする。もし利益があれば戻してもらうというようなことで始めたとしても、そういう契約というものは非常にルーズな、そのときとすればやむを得ないものであつても、國家にとつては非常な危險なものだと思うのです。もしそういう契約であれば、わるく考えると、兵器処理委員会では放漫な限りを盡して、要するに損害があれば補償してもらえるし、利益などは出す必要がないのだから、勝手氣儘な処分をするということも考えられるのであつて、そういう点についてはその後において十分の監督指示をしなければならぬと思うが、あなたの方ではそういう國家的な危險に対して経理上あるいはその他の方面においてどういう監督と指示をしておりますか。
  360. 玉置實

    玉置證人 まず最初にわれわれとして委員会に求めましたのは、毎月どういう兵器をいかに処分したか、処分の状況、これを賣り拂いました状況等についてまず報告をとつたのであります。しかしながら現実的な監督は、主として商工省が担当いたしております。われわれといたしましては、連合軍に対する関係もございますので、兵器処理は特に連合軍といたしましても注目を拂つておりましたので、そういう処分の状況等につきまして、当時といたしましては逐一G・H・Qの方に報告いたしておりましたので、そういう報告をとりつつ、どういう状況であるかということを指導し監督しておつたようなわけであります。それからさらに一方大砲とか、戰車とか、砲台とか、そういうような撤去作業あるいは処理作業以外に、そのままの形におきましてただちに轉用し得るものがございます。この轉用し得るものは重兵器と異なりまして相当数もございますし、経理面から申しましてもプラスの面が多いような状況でありますので、そういうものの処分につきましては、兵器処理委員会の中に、さらに各省から代表を送りまして轉用の幹事会をつくらせまして、そこで各省からいろいろ意見を述べる。原案はたとえ委員会の方でつくりましても、その原案に対して各省がいろいろ再檢討してみる、あるいは各省から希望が出ましたものはその委員会にかけと檢討していく、そういう面におきまして内務省といたしましては概括的な指導監督をやつてつたようなわけであります。
  361. 武藤運十郎

    武藤委員長 最近御承知の通りこの兵器処理問題が非常に重要化してまいりまして、当委員会においてこれを取上げて調査に着手したと同時に、檢察廳におきましても先般來これを調査しておるようであります。この委員会において調査の結果、判明した問題の点からみましても、連合軍から内務省返還を受けた兵器の数量と、兵器処理委員会内務省より受領した数量とに食違いがある、あるいはまた兵器処理委員会がさらに拂下げ処理する手続に関しましては、各品種別に処理要綱によつて、拂下價格、数量及び拂下先等について、一定の基準が定められておつて、これに基いて適正なる取扱いをしなければならないにかかわらず、調査によりますと、拂下價格が基準價格に比較して、著しく低廉であつたり、あるいは拂下数量の点から、当然兵器処理委員会または商工省鉱山局長の承認を受けて拂下げべきものを、ことさらに数量を分割して地方商工局長限りの承認手続によつて拂下げておる。あるいはまた経理上の不正も相当見受けられるというような実情であつて、かなり兵器処理委員会の経理並びに事務全般が放慢かつ乱雜であるということが明らかになつておるのでありますけれども、こういう点について今あなたの言われるような指示監督が十分であれば、商工省も責任を負わなければならぬし、あなたの方でももう少し綿密にやつてもしかるべきものだつたと思うのでありますが、これはどうでしよう。
  362. 玉置實

    玉置證人 その点は多少あるかもわかりませんが、内務省といたしましては、何分そういう資材方面につきましては、ほとんど素人が集つておりまするし、建前といたしましては、内務省は概括的な各所管の調整、こういうことに主眼が置かれておりまして、兵器処理に関しましては、主として商工省に任す、こういうような建前をとつておりますので、こまかい経理状態、あるいは配分先の決定、單價の問題等につきましては、御説のような内務省責任があることはもちろんでございますが、第一段階の指導監督は主として商工省にお願いしておつた、こういうような状況でございますので、配分先の決定にいかがわしい点があるとか、單價をオーバーしまして、あるいはより少い價格におきまして不当に拂下げをした、そういうこまかい点につきましては、ないとは私は決して断言いたしません。しかしながら窮極のところは、対連合軍関係におきましては、内務省責任をもつております。そういう面におきましては、われわれの指導監督もあるいは十分なる綿密なる注意を怠つてつたということを肯定できる点がなきにしもあらずと存じます。
  363. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねございますか。
  364. 鍛冶良作

    鍛冶委員 今のお話の指導監督ですが、大抵これは地方でやつておりますですね。これはあなたの方で当らせておつたものはどういうものが事実上監督に当つておりましたか。
  365. 玉置實

    玉置證人 地方廳でございますか。大体やり方といたしましては、連合軍が拂下げをいたしますのは内務省でございますから、各地方におきましては府縣廳を経由いたしまして、兵器に属しますものは兵器処理委員会に渡す。こういうふうな建前になつております。從いまして兵單処理委員会といたしましては、一應直接連合軍から拂下げを受けるのではなくして、地方廳を経由いたしまして拂下げを受ける。こういうような建前になつております。從いましてこまかいところの地方の兵器をどういうふうに兵器処理委員会に拂下げをしたかということは、府縣廳が第一線の事務に当つている。その府縣廳の第一線の事務が総合されまして、内務省へ開まつている。こういうふうな状況になつております。
  366. 鍛冶良作

    鍛冶委員 そうすると、府縣廳のどういう者が実際の任に当つておりましたか。
  367. 玉置實

    玉置證人 府縣廳におきましては主として当時は内務部が担当いたしております。所によつては経済部が担当いたしております。大体におきましては各縣共通の内務部が主管部として担当いたしておつたようなわけであります。
  368. 鍛冶良作

    鍛冶委員 それはときどきあなた方の方に報告はあつたものですか。
  369. 玉置實

    玉置證人 ございました。
  370. 鍛冶良作

    鍛冶委員 商工省はどういうやり方をしておりましたか。
  371. 玉置實

    玉置證人 商工省は実施官廳でございますので、兵器処理委員会に渡しました資材を各個の業者にどういうふうに処分するか、その値段はどういうふうにするか、こまかい数字は商工省から直接兵器処理委員会の方に指令が発せられる。こういうふうに記憶いたしております。從いまして私どもがそういうこまかい数字、たとえば数量はどういう方面にどれだけ流す。こういう数量をオーバーしちやいかぬとか、いろいろこまかい統制の事項がございまするが、統制の点については内務省は全然タツチしておりません。全部商工省に任せております。
  372. 鍛冶良作

    鍛冶委員 商工省は現場に当つてはどういう地位の者が、どういうやり方をしておつたかおわかりになりませんか。
  373. 玉置實

    玉置證人 商工省は出先機関たる商工局が主として当つたのではないかと思います。
  374. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんね。それでは済みました。遠いところを御苦労さまでした。  本日はこれにて散会いたします。     午後六時二十七分散会