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1948-08-02 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第46号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年八月二日(月曜日)     午後四時一分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 梶川 靜雄君    理事 荊木 一久君 理事 小松 勇次君       石田 博英君    高橋 英吉君       古島 義英君    足立 梅市君       前田 種男君    小野  孝君       橋本 金一君    田中 健治君       中村元治郎君  委員外出席者         栗栖藏相排斥         問題について出         頭した証人   島川 康助君         飯村泉君にかか         る政治資金問題         について出頭し         た証人     武田 徳夫君                 苫米地敏雄君 本日の会議に付した事件  証人出頭要求に関する件  政治資金に関する問題  栗栖藏相排斥問題  飯村泉君にかかる政治資金問題     —————————————
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより開会します。  第一、石炭國管問題につきましては本日調査根本方針及び証人を決定する予定でありましたが、まだ決定に至りません。近くこれを決定することにいたしたいのでございますが御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさようきめます。第二、兵器処理問題につきましては、一つ、これを根本的に糾明することとすること。二、その調査は短期にこれを完結すること。三、これがために調査員事務員等を拡充すること。その具体案委員長において作成の上、明後四日の理事会にこれを提示すること。四、証人として堀切善次郎坂千秋大島弘夫玉置實、右四君を來る四日午後一時に当委員会に喚問することといたしたいのでございますが御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定いたします。五日以後の日程につきましては四日の午前十時より理事会を開きこれを決定いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定します。この際田中角榮君より岡直樹氏に対する臨床尋問の経過を簡單に御報告願います。
  6. 田中角榮

    田中(角)委員 委員会の名によりまして本日午前十一時より私と田中健吉君並びに事務局速記者を帶同いたしまして麻布霞町の岡直樹氏邸を訪問いたし、臨床尋問をいたしました結果に対して簡單に御報告申し上げます。岡直樹氏は本委員会に提出されておりまする診断書のごとく、毎日午後は三十八度内外の発熱をいたしておりまして、病名は左乾性胸腹炎であります。ちようど主任医師であるところの順天堂医師が参つておりまして、当分の間、期限で申し上げますと三箇月間くらい出頭することができないというような状況でございました。なお長い時間の尋問にもたえ得ないような状態であるということでございます。質問に先だちまして私から尋問をいたすことの前提をまず申し上げます。この事件徳田球一君提案による事件でございまして、昨年の末から本年の五、六月の間に至り当時進駐軍工事をやつておりました株式会社岡組なるものが、芦田さん、栗栖さん、竹田さん、それから日本自由党川橋豊治郎さんを通じて復興金融金庫に対して融資を申込まれた。その額は一千万円であります。しかし当時復興金融金庫から借りることができなくて、これを日本興業銀行に移した。日本興業銀行かもしくはその他の銀行におきまして数百万円の借入金をなした。この融資にかかり百五十万円ないし二百万円の政党献金が、芦田氏、栗栖氏、竹田氏のいずれかになされておる疑いがあるために、本日臨床尋問参つたという趣旨を申しました。質問は私からまず始めまして、次には田中健吉君が質問されたのでありますが、質問の要旨は大体次の通りであります。  栗栖さん、芦田さん、竹田さん、川橋豊治郎さんの四氏をあなたは知つておられますかという質問に対して、向うでは四名とも存じております。そのあなたとい関係はというときには、まず第一番目に川橋豊治郎氏は私と永い間の昵懇の間柄であります。次に竹田現厚相とも大阪神戸時代からの非常に古い友達である。当時岡組進駐軍工事をやつておりましたが、三分の二の取下金をなして、あとの三分の一が下りないために非常に苦境にあつた。その意味においてひとり岡組のみならず、多数の進駐軍業者のためにぜひとも金融の途を構じてもらいたいということを議会勧説をいたしたいと考えておりましたとき、川橋豊治郎君が議会全部にこれを熟知徹底させることは非常にむつかしいから、まず差あたり芦田さんに頼んだらよかろうというので、川橋氏の紹介をもつて芦田総理大臣を訪ねたというのであります。芦田さんはそのときに、栗栖さんにも会つたらよかろうというような話で栗栖さんにも一回だけお会いしました。芦田さんは復興金融金庫工藤昭四郎という副理事長に対して名刺を書いてくださつたそうでありますが、この名刺は実現せず、次に名刺を書いてもらつたの興業銀行芦田さんの奥さんの弟さんか兄さんかわかりませんが、本人もその間柄ははつきりいたしませんと申しておりました。名前速記録にありまして失念いたしましたから申しませんが、その方に名刺を書いていただいた。その名刺を持つて興業銀行に参りましたところ、日本興業銀行から借り入れることができなくて、昨年十二月三十一日、興業銀行裏書をもつて手形をもつて安田銀行下谷支店より二百万円融資をいたしました。その融資額は現在すでに七、八〇%返還いたしておりますというような御答弁であります。  次には本年五月中旬興業銀行同様手形裏書をもちまして日本貯蓄銀行より五百万円の融資を受けたそうであります。この五百万円の融資の対しましては現在まだ返済をいたしておりませんとの答弁でありました。なおこの五百万円に対しまして、迫水久常氏が個人資産をもつて担保を制定しておられるというようなうわさがあるがどうかという問に対しては、事実そのようでありますとの答弁であります。なお迫水久常氏と岡氏との間柄はと聽きましたところ、多年の友人であり、非常に親しい間柄であるというようなことを申されております。  次に質問したのは、七百万円の金を融資いたしながら、あなたの手許にはいつたのは三十数万円という非常に小さな金であつて、残額はほとんど政治資金として使われておるんじやないかという疑があるが、このことに対してはどうかという質問に対しましては、そのようなことはございませんというはつきりした御答弁でございます。  なおその後芦田さんが関西に遊説におたちになるときに、あなたと同車をして車中で打合わせたというようなうわさがあるが、どうかという田中健吉君の質問に対しましては、それは偶然の一致であつて、私がある日東京駅から大阪へ向つてたちましたときに、約四十分くらい遅れた汽車で芦田氏も時を同じうして関西にたたれたということが、世人の疑惑をこうむつているのではないかと私は現在考えておりますという答弁でありました。その後芦田さんに対してこの融資問題に対してお礼に伺つたかという質問に対しましては、芦田内閣成立の当時、首相官邸伺いましたが、非常に御多忙な首相の御樣子でありましたので、階段から降りられる芦田さんに対して、おめでとうございますと言つただけであります。その後芦田さん並びに栗栖さん、竹田さんに対しましては、金品の授受もやつておりませんし、のみならずお会いもしておりませんという答弁でありました。竹田さんに対してお会いになつているのではないかという田中健吉君の質問に対しては、竹田さんにはその後大阪であつたか、関西でお会いしたことがある。しかしそれは融資問題や、お礼のためにお会いしたのではない、個人として在來のごとき間柄でお会いしたのであるという答弁でありました。  次の問題は、今世評に上つております日本自由党結成に際して、あなたの家が結成本部に使われておつた、しかもその延人員が数千人という大きなものであるが、その費用はどこから出したか、あなたはそれに対してどういうような立場にあつたかという質問に対しましては、川橋さんが前述のごとく友人なるがゆえに、私の家を貸してくれと言うので、私は心中はなはだ迷惑に感じながらも、この家をお貸しもし、しかも湯茶の接待もいたしました。しかし現在の状況では川橋氏との間に感情的に少しおもしろくないようなこともあるので、その日本自由党結成当時の費用を清算いたしますると、約九万余円の出費がありましたので、その出費を現在川橋豐治郎氏に請求中でありますという御答弁でありました。ついで五百万円の使途に対しましては、当時進駐軍工事を非常に急がれるために、高利貸から多額の金を借りておりましたので、この高利貸の金に肩替りをしなければならないということでもつて融資を申込んだのです。しかもその融資を申込んで三十数万円か、非常に小さな金しかはいらなかつたというのは、その高利貸に肩替りしたためにはいつたのであるというようなお話でありました。その高利貸という問題に対しては、現在あなたが主宰しておられる新日本建設株式会社の專務をやつておられる高野という方が、前にあなたの債権者である高野という高利貸ではないかという質問に対しましては、そういう者ではございません。では高野氏が振出したところの三和銀行東京支店発行手形、並びに不渡小切手問題は、どういうような状態にあつたのかということを聽きましたところ、これは個人岡がいろいろの借金をなし、そういう借金整理その他を高野君に頼んでおつたので、高野君も、金額も大きく、非常に多忙であるために、不渡りその他も出たのであろうと思うけれども、これは政治献金には関係ございませんという答弁でありました。私どもはその答弁で打切ろうといたしましたときに、最後芦田さんとの関係は何もありませんかという田中健吉君の質問に対して、芦田さんの祕書官である下河邊三史という人が、私が病氣になりましたときに、留守中に参りまして、果物籠を一つ置いていつたという話でございました。しかも田中君は、七百万円の融資をしてもらいながらあなたは一片の礼もなさず、先方は当然あなたに礼さえもらえる立場にありながら、なぜあなたのところに逆に果物籠をもつてお見舞に來たのでしよう。第三者として考えて非常におかしいじやないかという質問に対しては、下河邊三史という人は私と個人的に非常に親しい間柄であつて、これは芦田さんの祕書官として参つたのではなく、下河邊三史個人として参つたというのでありまして、その果物籠祕書官ではなく、下河邊三史個人名前がついておりましたので、私どもはそれを了承して質問打切つた次第であります。  最後医師に立会つていただきましていろいろお話を申し上げましたところ、現在の状態においては当分、再び喚問をされるようなときがあつても、ちよつと出頭はむつかしいのではないかという結論を得てまいつたのであります。以上御報告を申し上げます。
  7. 武藤運十郎

    武藤委員長 御苦労さまでした。なお詳細につきましては速記録をごらん願いたいと思いますが、御質問でもございますれば、この際簡單にいたされても結構です。ございませんか。——それでは証人尋問をいたします。  本日御出頭証人は、島川康助君、武田徳夫君、苫米地敏雄君の御三君です。島川康助君につきましては、栗栖前大藏大臣排斥問題についてお伺いをする予定でございます。武田苫米地両君に対しましては、飯村泉君にかかる政治資金疑惑についてお伺いをする予定でございます。  証人証言を求める前に一言御注意を申し上げます。昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処置を招くおそれのある事項あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。  右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人虚僞の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。  それでは法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立の上、お手もとに差上げてある宣誓書を御朗読ください。島川君、代表して読んでください。     〔証人島川康助君各証人を代表して宣誓
  8. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは御署名捺印お願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  9. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは島川さん、武田さん、苫米地さん、こういう順序でお伺いいます。島川さん以外の二君は、御迷惑ながらしばらく別室でお待ちを願います。  島川さんに伺いますが、あなたは今どういう御職業ですか。
  10. 島川康助

    島川證人 私はただいま大藏省管理局出先官衙所属の官吏であります。現在大藏省職員組合の副委員長を務めております。
  11. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまで副委員長をしておられますか。
  12. 島川康助

    島川證人 私は昨年のたしか十月ごろからずつと副委員長を歴任しております。
  13. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年の十月ごろですか。
  14. 島川康助

    島川證人 そうです。
  15. 武藤運十郎

    武藤委員長 その前は……。
  16. 島川康助

    島川證人 その前は單なる執行委員をやつておりました。
  17. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年中大藏省職員組合栗栖大藏大臣排斥運動というようなものをしたことがありますか。
  18. 島川康助

    島川證人 ございます。
  19. 武藤運十郎

    武藤委員長 それはいつごろですか。
  20. 島川康助

    島川證人 ちようど〇・八の問題内閣が総辞職をいたします直前つたと思います。三月ごろでございました。
  21. 武藤運十郎

    武藤委員長 今年の三月ごろですね。
  22. 島川康助

    島川證人 声明書書類がございますから、それにはつきり出ておりますけれども……。
  23. 武藤運十郎

    武藤委員長 きようお持ちですか。
  24. 島川康助

    島川證人 きようは持つておりません。あとで届けます。たしか三月ごろだと思います。
  25. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう理由排斥運動をしたのですか。
  26. 島川康助

    島川證人 その書面の中には、まず栗栖氏が國家財政を担任するには不適当であるということと、それからいわゆる終戰処理費出費が非常に放慢であるということ等がうたつてございます。排斥運動のおもなる理由はそういつたことになつております。
  27. 武藤運十郎

    武藤委員長 國家財政を担当するには不適任である。終戰処理費が放慢に過ぎると……。
  28. 島川康助

    島川證人 というような意味のことを盛つてあると記憶しております。
  29. 武藤運十郎

    武藤委員長 非常に漠然たるものですが、もつと具体的なものではなかつたのですか。
  30. 島川康助

    島川證人 実は当時から財政上のいろいろの問題、それから終戰処理費をめぐるいろいろの問題についてうわさをぽつぽつ聞いておつたわけでありまするが、われわれの組合にはいります情報といたしましては、まず役所には官僚というものがおりまして、大体われわれは総務課長以上、勅任直前課長以上を官僚と呼んでおりますが、それらが非常に特権的な地位を利用しまして、勝手なことをしておる。たとえば追放になつた官僚と結託して、内外相通ずるような所作が見えておる。その一例といたしましては、未だに酒、タバコを追放官僚に配給をいたしております。そういうことをわれわれは栗栖大藏大臣が就任されたときに、官僚そういつた行動については十分御忠告申し上げて、政党人として今後あなたが立つて政治家としてやつていかれるなら、まずこの官僚を何とかしてもらいたいと言つてつたのですが、何らこれらに対して措置が講じられない。そこでわれわれとしては、この官僚をさえよう抑えきれない栗栖氏は、官僚を使つて勝手なことをするか、あるいは官僚になめられているのじやないかという話をしておつたわけですが、たまたま組合の方に十二月の末でしたか投書がまいりまして——投書手もとに持つておりますから、差支えなければ朗読しても結構です。その内容は間組の神戸氏あたり役所に出入りをしておる。主計局長銀行局長あたりと会つているようなことがこの投書に盛られております。それからこういつた特権官僚が年中酒を飲みまわつておるというような投書がはいつておりまして、これはいよいよもつて役所の中は紊乱しているというようなことで、大体栗栖氏に対する政治的な手腕について、われわれは見きりをつけたわけです。時たま時たま〇・八の問題が起りまして、他省は〇・八をもらつたにもかかわらず、われわれの方には〇・八もよこさない。予算上の問題だとか何とかということでごたごたやつている。それじや予算編成能力はないじやないかということで、まず槍玉にあげたわけです。終戰処理費問題についてはいろいろうわさを聞いております。その後具体的に調べた事実もございますからあとで御披露しますが、そういつた事情のもとに栗栖氏の排斥運動が起つてきたというわけであります。
  31. 武藤運十郎

    武藤委員長 それからその終戰処理費問題については、何か調べたことがあるのですか。
  32. 島川康助

    島川證人 その後調べましたところが、実は日本橋にある日共組という土建業者、この土建業者終戰後南方から帰つてまいりまして、終戰後いわゆる資金調整法にひつかからない十九万円以下の会社で設立をした土建業者です。これが終戰後三年足らずしてすでに千万円の資本金を擁する土建業者なつているわけです。これを檢査したのが大体二十二年の一月に一回、二月に一回、三月に二回、こういうふうに檢査をしております。この檢査の結果によると、非常にこの土建業者はでたらめな経理をやつてありまして、土建業者資材というのは、軍支給官給自給というものがあるそうです。大体軍支給は無料で資材を配給される。官給公定價格自給やみで自分が買う。ところが大体官給軍支給資材は足りるそうであります。これをみな自給やみ値に換算して帳簿をつけて請求をしている。この結果非常に厖大なる收益をあげているという事実がわかつているのであります。それによりますと、大体四五%から五〇%の收益があるそうであります。かりにやみ値見積つても二五%から三〇%の利益があるそうであります。そういう会社経理内容をもつた土建業者がいわゆる日共組でありまするが、この土建業者抜打檢査をやりましたときに、すでに官僚と通じておつたか、官僚檢査を一週間延ばさした。この一週間延ばしている間に傳票整理とか、帳簿整理をやつている。やつた結果傳票の中には電氣屋から木材を買つたり、タイル屋から木材を買つたりしたような傳票が出てきているようであります。そういうふうにして、あるいはまたほかの理由といたしましては、社員の俸給を脱税のために旅費で支拂つておる、あるいは社員や土方や、そういつた人たちに対して日用品厚生品を配給したように帳簿なつておるが、事実はそういうことがやられていない。そういうでたらめな帳簿内容でありましたので、この点を衝いて檢査官吏はじやんじやんやろうとしたそうでありますが、これを差止めた、それは大体その業者の話によりますと、長沼管理局長が一週間待てと言つたということであります。その業者は、長沼君ともう連絡がついておるから、お前ら帰れ、といつて帰したそうであります。その他いろいろ活躍した結果、檢査が思うようにいかなかつたということを聞いております。  次に管理局の元財務課長をやつておりまして、現在会計課長をやつております大槻義公という人がおりますが、これがいわゆる日共組の寮にはいつて、そこで肺炎の手当をしてもらつてつたというようなことも聞いております。そういうふうに官僚業者といろいろ関係をして、いわゆる土建業者の不正な收益を押えることができない。これは栗栖責任である、こういうことをやらしておるのは大臣責任であろうということを、われわれは考えておるわけです。当時はこういつた事情がわからなかつたので、ただうわさを聞いて、漠然と終戰処理費が放漫だということをわれわれ言つてつたのでありまするが、その後具体的な事実を裏づけるために一生懸命調べた結果、この辺までわかつてきたという段階に至つております。ちなみに大槻当時の財務課長が厄介になつた社宅というのは、非常に豪勢な御殿のようなものだそうであります。
  33. 武藤運十郎

    武藤委員長 大体おわかりになつておる事実はそんなものですか。
  34. 島川康助

    島川證人 土建業者についてはこの程度のものであります。
  35. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か栗栖氏が特別な便宜をはかつて融資をしてやつたということを聞いておりませんか。
  36. 島川康助

    島川證人 そういうことは別に聞いておりません。
  37. 武藤運十郎

    武藤委員長 それは最近お調べになつたことのようでありますが、三月ごろの排斥理由というのは今あなたが言われた二項目についてですね。
  38. 島川康助

    島川證人 そうです。
  39. 武藤運十郎

    武藤委員長 それほど具体的な事実になかつたのですか。
  40. 島川康助

    島川證人 そのころには具体的な事実をつかんでおりませんでした。
  41. 武藤運十郎

    武藤委員長 いろいろそのときにポスターを貼つたり、ビラをまいたりしたということが言われておるのですが、そういう中に具体的に何かうたつてつたのですか。
  42. 島川康助

    島川證人 私ずつとおりますが、ポスター役所の中に貼つたようなことは記憶しておりません。
  43. 武藤運十郎

    武藤委員長 声明書というのはどんな声明書ですか。
  44. 島川康助

    島川證人 今申し上げました予算編成能力がない。終戰処理費の支出が放漫である。これは國庫大臣としては不適任であるということで、大体筋はそういう筋になつております。
  45. 武藤運十郎

    武藤委員長 その後内閣が辞職しまして、芦田内閣ができる際でしたか、栗栖氏の入閣反対をしたというようなこともありましたか。
  46. 島川康助

    島川證人 留任反対をいたしました。入閣まではいつておりません。藏相として留任反対をやつたのであります。
  47. 武藤運十郎

    武藤委員長 その藏相としての留任反対も、やはり今あなたが言われたような理由の延長ですか、その当時にまた新しい具体的な事実が附加されて反対理由になつたわけではないのですか。
  48. 島川康助

    島川證人 初めは排斥運動だけでありましたが、いろいろ手続をやつておりますうちに、内閣が瓦解したものですから、今度は留任が危くなつてきたということで、留任も拒否しようということで、留任が附け加つたわけであります。
  49. 武藤運十郎

    武藤委員長 今日何か書類をお持ちになりましたか。
  50. 島川康助

    島川證人 書類といたしましては、投書だけ持つてきております。
  51. 武藤運十郎

    武藤委員長 声明書あとから出してください。
  52. 島川康助

    島川證人 はい。
  53. 武藤運十郎

    武藤委員長 投書はどんなものですか。ちよつと見せてください。——これはしばらくお借りしておいてよろしいですか。
  54. 島川康助

    島川證人 結構です。
  55. 武藤運十郎

    武藤委員長 なおほかにあなたの方の組合なり個人的なりで調査の結果、明瞭になつた栗栖氏に関する不正を疑うべきような事実がありますか。
  56. 島川康助

    島川證人 委員長に特に申し上げたいことが一つあるのですが、それは私どもが今度大藏省内粛正委員会というものをつくりまして、そこで種々調査をいたしました結果、大体栗栖氏に関係するかと思われる事件——事件に発展するかどうか、今後活躍していただきたいのですが——を発見したわけです。それは林兼商店重役である中部謙吉氏の財産税物納にかかわる問題であります。この問題は、林兼商店重役である中部謙吉氏が八百万円の財産税を納めなければならないことになつた。それにつきまして、世田谷税務署においてこの納税告知書を発行したわけでありますが、本人から延納並びに物納の申請が出まして、その物納も林兼商店所有國債をもつて充てることを許していただきたいという申請が出たそうであります。税法によりますと、解散前の法人の持分をもつて個人財産税物納に充てることはできないことになつているそうでありますが、世田谷税務署はこれを同人はほかに財産がないということと、林兼はいわめる制限会社として近く解散しなければならない会社であるから、そういう事情も勘案して、この物納を許可しようという意向をもつて、本省に禀請したそうであります。大体この二十二年三月十五日が法定納期になつておりますので、その三月十五日以降にそういう禀請を本省に向けて世田谷税務署は出したそうであります。内諾を当時税務署長は與えておつたのではないかと思いますが、後になつて本省からそれは法律に違反するからいけない、その禀請は承認しないという否認の通知を、世田谷税務署に宛ててしたそうでありますので、世田谷税務署ではこれを取消しまして、早速いわめる納税請求書を出したそうであります。そうしたならば、中部謙吉氏は林兼商店の顧問をやつておりまして現在公職追放なつております中島彌團次氏を動かしまして、本省に種々画策をしたそうであります。私も中島彌團次氏の関係したこの陳情書なるものを見ましたが、その中には確かに本社顧問中島彌團次氏を動かして種々努力しておるということが謳つてあります。そういうわけで中島彌團次氏が動きまして、それからその陳情書の中には、長崎と下ノ関でこういつた未解散の法人の持分をもつて物納しておる例があるじやないか、現に自分の兄貴でありましたか、弟でありましたか、兄弟がそういうふうな税金を納めておるというようなことを謳つてありました。そういうような陳情書を出しまして、中島氏は本省を動かしたような形跡があります。その結果遂に成功いたしまして、この施行規則を改正いたしております。それは六月九日附の藏税一八二〇号をもつて世田谷税務署向けに施行規則を変えたから、その扱いについては從來とは変るという通知が來ておりまして、それに基いてこの中部謙吉氏は林兼の所有の國債をもつて個人の税金の物納をいたしております。ここでわれわれが特に問題にいたしておりますのは、いわゆる公職追放者なるものが役所に出入りして、遂に施行規則を改正したような形跡があるということ、それからこの中部謙吉氏のために規則を変える前に、すでに下ノ関と長崎でこういつた物納を許可しておる。これはたしか栗栖藏相の時代ではなかつたかとわれわれは考えているわけです。世田谷の税務署は長崎と下ノ関の税務署の照会を出しまして、事実お前のところでこういつた許可を與えたことがあるか。そのときは何年の何月であるかという照会を出してあるそうでありますが、未だに返事が來ないようであります。われわれといたしましては、公職追放者が役所に出入りをして、施行規則を変えさせたような形跡のあること及び追放者の意思によつて政令を改正したことは、勅令の第一号に違反するのではないかというようなこと、それからその次に下ノ関、長崎において許可したことは、税法違反でないか、政府みずからが税法を違反しておるじやないかというようなことを、われわれは問題にいたしております。
  57. 武藤運十郎

    武藤委員長 島川さん、あまりこまかいことは……。
  58. 島川康助

    島川證人 大体これで終りでございます。
  59. 武藤運十郎

    武藤委員長 もし必要があれば文書で出してもらいます。何かお尋ねになることがございますか。
  60. 小野孝

    ○小野委員 本委員会調査すべき事項とは直接関係ないのですが、あなたの発言中のことで一、二お伺いしたい。その前にあなたは政党に御関係がありますか。
  61. 島川康助

    島川證人 ございません。
  62. 小野孝

    ○小野委員 あなたは勅任になる卵の課長以上を官僚とわれわれ言うと言われたようですが、そのわれわれというのはだれだれを言うのですか。
  63. 島川康助

    島川證人 また下級官吏ですね。
  64. 小野孝

    ○小野委員 下級官吏というのはどの辺を言うのですか。
  65. 島川康助

    島川證人 大体課長以下ですな。組合員……。
  66. 小野孝

    ○小野委員 あなたの言葉だと、あなた方のいわゆる官僚というものをあなた方は排斥しておるような言辞に受け取れるのですが、課長になり局長になるのは下からだんだん累進していつてなるので、そうすると初め下級官吏で課長の卵やら勅任になる前まではあなた方の担当の下級官吏にはいつてつて官僚々々と言つて官僚を攻撃したのが、今度は勅任に近くなると自分みずからが官僚なつて、それまで自分たちのグループだつた人に排斥されるというような仕組になつておるのですか。
  67. 島川康助

    島川證人 別にそういう仕組にはなつておりません。
  68. 小野孝

    ○小野委員 それから役所というものは行政長官である大臣から下は三級官吏の下まで國民の公僕としての組織をもつておるはずだとわれわれは考えておるのだが、その組織の中でさようにお互いに上の者を官僚とののしつたり、そういう調子でいることが國並びに國民のためになるとあなた方はお考えですか。
  69. 島川康助

    島川證人 私は國のためになることならどんなことでもしたいという考えを常にもつておりますので、その点は國のためになることならいくらでも努力しております。しかし現在の官僚組織というものは國のためになりません。それだけを申し上げておきます。現に私はうわさに聞いておりまするが、役所の人事はいわゆる事務大臣としての大藏大臣、それが一手に握つて人事を差配すべきですが、その人事を官僚が現在握つております。具体的には、これはうわさでありまするが、現に大藏省などの例を見ましても、未だに追放になつた元官吏が役所の人事を動かしている。現に追放になつた元官吏が、おれは大藏省の人事について相談を受けたというようなことを申しております。
  70. 小野孝

    ○小野委員 それでは次の問題に移ります。さつき日共組のことをあなたは言つておられましたが、その日共の檢査と申しますか、監査と申しますか、それをやつたのはもちろん大藏省としてやつたのであろうと想像しますが、それは職員組合でやつたのですか。
  71. 島川康助

    島川證人 これは大藏省としてやりました。
  72. 小野孝

    ○小野委員 しかもそれは昨年の四月から始まつた……。
  73. 島川康助

    島川證人 三月に終つております。
  74. 小野孝

    ○小野委員 昨年の問題ですね。
  75. 島川康助

    島川證人 二十二年です。
  76. 小野孝

    ○小野委員 そうするとあなたもはつきり言つておられるようだが、栗栖大藏大臣排斥とどういう関連性があるのですか。
  77. 島川康助

    島川證人 問題は、栗栖大藏大臣はこういつた收益をあげておる会社の跡始末——檢査をやつたときは石橋湛山氏の時代ですね。ですからその跡始末を栗栖大藏大臣がどうやつたかということが問題になつた。その点からわれわれはこれを調査いたしております。
  78. 小野孝

    ○小野委員 ところが私どもの印象では、他の理由によつて大藏大臣排斥運動をやつて、その理由の発見に努力するためにいろいろやつた結果、そういうものも出てきたという関係で、本末を顛倒しておるんじやないですか。
  79. 島川康助

    島川證人 本末を顛倒しておるかどうか御判断ですが、われわれは少くとも先ほどから申し上げております通り、事実具体的なものはつかめなかつたのです。
  80. 小野孝

    ○小野委員 ではよろしゆうございます。
  81. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 証人は、土建業者の竹中組というものが、莫大な税金滞納によつて差押処分を受けたが、それを栗栖大藏大臣の口添えによつて解除せられたというようなお話をお聽きになつたことがありますか。
  82. 島川康助

    島川證人 そういうことは聽いておりません。
  83. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 官僚と労働組合との違いがそこにあると思います。そうすると、栗栖大藏大臣なつてから、大藏省関係、殊に栗栖大藏大臣土建業者との関係が非常に密接になつたという、そういうようなことをお感じになつたことはございませんか。
  84. 島川康助

    島川證人 うわさとしては聞いておりました。それだけにわれわれとしても必死になつ調査にあたつてつたわけでございます。
  85. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 証人にもう一つ伺います。終戰処理費の支出の放漫という問題ですが、これは石橋大藏大臣のときには、終戰処理費問題、すなわち進駐軍の土木工事問題について、非常に大きな問題があつて土建業者請求をそのまま大藏省は認めるわけにはいかないというので、関係方面との間にもいろいろな問題が起つて、たいへんその要求を削減したという事実がある。巷間傳えるところによると、そういうことも石橋氏のパージの一つの原因になつたと聞いております。眞僞はともかくでありますが……。そういうふうに相当終戰処理費に対しては嚴格に石橋大藏大臣の時代にはやつてつたにもかかわらず、栗栖大藏大臣なつてからは、土建業者に非常に甘くなつて、土建業者に対する協力が目にあまるというようなことになつたと私どもは聞いておりますが、そういうふうなお感じはなかつたのですか。
  86. 島川康助

    島川證人 そういうことは一向聽いておりません。
  87. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 よろしゆうございます。
  88. 梶川靜雄

    ○梶川委員 この問題とは別ですが、小野君の証言要求中に、証人の方から大藏省内外において追放官僚がなお相当な発言力をもつておるということを言われた。これは相当重大な問題です。一体どういう人たちか具体的に申していただきたい。さらにまたどういう人をどう動かしたのか、それとだれがやつたか、実例並びに具体的な氏名をぜひともお聽かせを願いたい。
  89. 島川康助

    島川證人 実例をおつしやいましたが、そういうことを聞いておるということで、聞いた人は申し上げても結構ですが、ただ出入りしておる人を具体的に申し上げても結構です。それは青木一男、石渡莊太郎、入間野武雄、植木庚子郎、久保文藏、田中豊、鹿食清一、小笠原三九郎、津島壽一、松隈秀雄、松田令輔、山際正道、田村秀吉、大体これだけ調べてあります。
  90. 梶川靜雄

    ○梶川委員 これがどういうことをやつておるのですか。
  91. 島川康助

    島川證人 これはタバコとか酒とかの配給を受けております。
  92. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そうでなくて人事上等において相当左右しておると言われたが、これは重大な問題ですから……。
  93. 島川康助

    島川證人 相談を受けている。
  94. 梶川靜雄

    ○梶川委員 相談を受けたというのは迫水久常ですね。
  95. 島川康助

    島川證人 そうです。
  96. 梶川靜雄

    ○梶川委員 迫水がどうしたというのですか。
  97. 島川康助

    島川證人 人事について相談を受けている。
  98. 梶川靜雄

    ○梶川委員 だれからですか。
  99. 島川康助

    島川證人 大藏省からです。
  100. 梶川靜雄

    ○梶川委員 大藏省というても廣いから、だれから相談を受けたのですか。
  101. 島川康助

    島川證人 その辺はわからない。
  102. 梶川靜雄

    ○梶川委員 わからないことを流説を飛ばしては困る。
  103. 石田博英

    ○石田(博)委員 今迫水久常氏が大藏省の人事に干渉しておるという事実は、先ほどのあなたの御証言だと、迫水がおれは相談を受けたということをだれかに言うたということをあなたが聞かれたというのですね。
  104. 島川康助

    島川證人 そうです。
  105. 石田博英

    ○石田(博)委員 あなたはだれから聞かれたのですか。
  106. 島川康助

    島川證人 それは迫水氏がタツチしております内外新聞の社員です。
  107. 石田博英

    ○石田(博)委員 内外新聞社の社員に水が漏らしたというのですね。
  108. 島川康助

    島川證人 ええ。
  109. 石田博英

    ○石田(博)委員 内外新聞は迫水が初めいろいろ参画しておつたことは事実ですから、それはあると思いますが、内外新聞社の何という社員ですか。
  110. 島川康助

    島川證人 杉浦泰二です。
  111. 石田博英

    ○石田(博)委員 杉浦泰二からあなたがお聞きになつたわけですね。杉浦泰二に迫水がおれは大藏省から人事の相談を未だに受けていると言つたことを杉浦氏からあなたが聞かれたわけですね。
  112. 島川康助

    島川證人 ええ。
  113. 石田博英

    ○石田(博)委員 そこまで経路がはつきりわかつているなら結構ですが、この種のうわさというものはよく出がちなうわさなんで、特にあなたのような内部におられる人からそれが言われると、非常に誤解というか、影響するところが多いので、そこまではつきりした素材をもつておつしやるならば、それは眞実であろうと思います。
  114. 島川康助

    島川證人 私はそれを聞いたというだけで、どういうふうに聞いたかそれは知りません。
  115. 石田博英

    ○石田(博)委員 その場合どういうふうに具体的に動かしておるかというところまでやはり確めないと、政令違反という一種の犯罪を構成する事実ですから、あなたがこういう席上でそれをおつしやつて、今度は反対の方でそういう事実がないということになつてくると、それこそ誣告罪にもなるし、あるいはあなた自身が妙なことにならぬとも限らぬから、念のためにお聞きしたわけでありますが、そこまではつきりしておれば結構です。それから先ほどビールと酒の配給を受けているという話ですが、これもそういう配給を一体どういう名目で間歇的に受けているのか、継続的に受けているのか、どういう程度に受けているのか、それをお伺いいたしたいと思います。
  116. 島川康助

    島川證人 タバコは月三十個受けている。
  117. 石田博英

    ○石田(博)委員 そうですか。受けている事実があるのですか。
  118. 島川康助

    島川證人 受けておるということを聞いております。
  119. 石田博英

    ○石田(博)委員 だれから聞いておりますか。
  120. 島川康助

    島川證人 祕書課に勤務しておる者から聞いております。
  121. 石田博英

    ○石田(博)委員 それは必要ある場合はその人の名前をあなたは明示できますね。
  122. 島川康助

    島川證人 できます。
  123. 石田博英

    ○石田(博)委員 酒はどうですか。
  124. 島川康助

    島川證人 酒はどのくらいあるかわかりません。ただ酒も配給するということをその人が言つておりました。
  125. 石田博英

    ○石田(博)委員 それはどういう名目でやつているのでしよう。個人に対してですか。その人の所属している團体に対してですか。
  126. 島川康助

    島川證人 その人の言うところによりますと、個人が專賣局へ行つて配給を申請するそうです。それを使走りをしていると言つておりましたが……。
  127. 石田博英

    ○石田(博)委員 大藏省の役人、祕書課の人がですか。
  128. 島川康助

    島川證人 ええ。
  129. 石田博英

    ○石田(博)委員 專賣局から一應直接それらの人に対して配給するということになつているのですね。
  130. 島川康助

    島川證人 そういうことですね。
  131. 小松勇次

    ○小松委員 証人にお尋ねしますが、あなたは先ほど栗栖藏相排斥理由として、栗栖さんは國家財政を相当するに不適当である、予算編成能力がないというような理由のもとに、排斥運動が起つたというお話でありましたが、その排斥運動の片棒をあなたはかついで活躍された方ですか。
  132. 島川康助

    島川證人 私はその組合の役員をやつておりましたから…。
  133. 小松勇次

    ○小松委員 あなたはその排斥運動にみずから陣頭に立たなかつたのですか。
  134. 島川康助

    島川證人 個人がやらないで、組合がやるわけです。
  135. 小松勇次

    ○小松委員 組合の一員としてあなたも活動された方ですか。
  136. 島川康助

    島川證人 とにかく委員長名前をもつて排斥運動声明書を出したり、直接栗栖さんに合つて、あなたは困るということを言うわけですね。
  137. 小松勇次

    ○小松委員 それはあなた方がおつしやつたのですか、その仲間にあなたもはいつてつたわけですか。
  138. 島川康助

    島川證人 声明書を渡すときに一緒に行きました。
  139. 小松勇次

    ○小松委員 それは栗栖さんが國家財政を相当する資格のないということをあなたははつきり御認識なさつているから、その運動に加わつたものだとわれわれは思う。どういう点が國家財政を相当するのに不適当であるということを、あなたの自信のあるところをいま少し具体的にお聽かせ願いたい。
  140. 島川康助

    島川證人 あの時のわれわれの理由は、〇・八という御承知の生活補給金の問題、あれを政府が年内に出すと言つて約束しておきながら、年内に拂わなかつた。それにからんで、約束するときには予算上当然拂えるということを認識してやつただろう、それにもかかわらず、予算が組めないから拂えないということは、予算大臣として能力がないじやないかということを言つたわけです。
  141. 小松勇次

    ○小松委員 それはひとり大藏大臣だけの問題ではないと思います。そういう問題内閣全体の問題じやないかと私は思う。予算編成においてまたしかりだと私は思う。それから予算編成問題について伺いたいのだけれども、そういうことはやめます。あなたは中島彌團次さんが追放の身でありながら、いろいろ納税の物納に対しての運動をされたというようなお話があつた。あなたはただそういうことを聞いているということだつたと思うのですが、これはしつかりしたことがあなたはわかりますか。中島彌團次さんが運動して、施行令まで改正されたというようなことの確証を挙げられますか。
  142. 島川康助

    島川證人 それは中部謙吉氏から陳請書が出ておりますが、その中に本問題については当社の顧問の中島彌團次氏の労を煩わして折衝をしてもらつていると書いてあります。
  143. 小松勇次

    ○小松委員 書いてありますけれども、施行令を改正したということは、中島さんの力によつてこれが改正されたということが、それだけで言えるのでしようか。
  144. 島川康助

    島川證人 それは先ほども申し上げましたように、われわれが問題にしているのは、中島彌團次氏が介入したという問題が起つてから政令が改正されたということについて注目しておるという……。
  145. 小松勇次

    ○小松委員 そういうような想像なんですね。
  146. 島川康助

    島川證人 そういう意味です。
  147. 小松勇次

    ○小松委員 想像話をこういう席でされるということはお互いに愼まなければならぬと思う。いま少ししつかりした確証をもつた話をされなければならぬと思う。あなたも役人であつて、こういう点はよほど御注意を願わなければならぬと思う。あなたは今上級官僚のいろいろお話があつた。あなたは上級だか下級だか私は知らぬけれども、人のことをとやかく言うような人は、みずからの行いが人をおさめるだけのものがなくてはならぬ。みずからを顧みなければならぬ。十分私は御留意を願いたいと思う。それからあなたは先ほど何か政党に関係はないかというような質問に対して、別に関係ないというようなことだつたが、政党には入党しておらぬけれども、何かの政党とあなたは連絡をとつていろいろ活動されておることはありませんか。
  148. 島川康助

    島川證人 そんなことはありません。
  149. 小松勇次

    ○小松委員 共産党と連絡をとつていることはありませんか。
  150. 島川康助

    島川證人 ありません。
  151. 武藤運十郎

    武藤委員長 もうございませんか——済みました。御苦労さまでした。     —————————————
  152. 武藤運十郎

    武藤委員長 武田徳夫さんですね。
  153. 武田徳夫

    武田證人 はあ。
  154. 武藤運十郎

    武藤委員長 今あなたは全國油脂協同組合連合会の何をしておられますか。
  155. 武田徳夫

    武田證人 常務理事
  156. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは会長とか理事長とかいうのもあるのですか。
  157. 武田徳夫

    武田證人 あります。
  158. 武藤運十郎

    武藤委員長 だれですか。
  159. 武田徳夫

    武田證人 館野英吉さん。
  160. 武藤運十郎

    武藤委員長 常務理事というのは何人おりますか。
  161. 武田徳夫

    武田證人 一人です。
  162. 武藤運十郎

    武藤委員長 飯村泉君という代議士を御存じですか。
  163. 武田徳夫

    武田證人 知つております。
  164. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう御関係ですか。
  165. 武田徳夫

    武田證人 戰前私が経営しておりました会社社員としておりましたので知つております。
  166. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう会社の……。
  167. 武田徳夫

    武田證人 株式会社日刊油業報知新聞。戰前から戰時中に新聞統制で強制廃刊になりましたが、それまでの間……。
  168. 武藤運十郎

    武藤委員長 それをあなたが主宰しておられまして、その新聞社に飯村君が勤めておつた、そういう関係で知つているのですね。
  169. 武田徳夫

    武田證人 そうであります。
  170. 武藤運十郎

    武藤委員長 飯村君はその会社で何をしておられたのですか。
  171. 武田徳夫

    武田證人 油脂部の編集をやつておりました。
  172. 武藤運十郎

    武藤委員長 飯村君は当時ほかにどこか勤めてはおらなかつたのですか。
  173. 武田徳夫

    武田證人 当時は勤めておりませんでした。満州事変が起りまして應召したのです。それで何年でございましたか、時間の記憶がございませんですが、その後戰傷帰還になりまして、当時東京都油脂小賣統制組合というのがございましたが、そこへ書記長として就職しました。
  174. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこの課長か何かしておつたのですか。
  175. 武田徳夫

    武田證人 書記長です。それはもう故人になりましたが、私の社の取締りをしておりました畔柳というのが世話をしまして……。
  176. 武藤運十郎

    武藤委員長 今度別の問題になるのですが、飯村君が何か油のようなものを世話をすると称して幾人かから金を受取つて、それが詐欺の嫌疑で問題が起つたといようなことをお聞きになつておりますか。
  177. 武田徳夫

    武田證人 知つております。
  178. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう関係でお聞きですか。
  179. 武田徳夫

    武田證人 今年の四月上旬——日にちをはつきり記憶いたしておりません。四月上旬でありましたが、現在の油糧公團の副総裁をしております西川英三さんという方がございまして、その方から私の方へ連絡がございましたのですが、その連絡は、君の懇意にしておる飯村君が何かおもしろくない話を起しておる。それで一遍君から飯村君に注意をしてやつたらどうかということでございました。それで私すぐに速達で飯村君の自宅へ連絡いたしまして、私の事務所の方へ來てもらいたいと言つてつたのでございますが、すぐに参りませんで、十日ばかり経ちましてからやつてまいりました。それで一体どういう話があるのかということを聽きまして、そのときに初めてそういう問題を耳にしたわけでございます。
  180. 武藤運十郎

    武藤委員長 よほど多くの金額であるというような話も聽きましたか。
  181. 武田徳夫

    武田證人 そのときは五十万円という話を聽きました。
  182. 武藤運十郎

    武藤委員長 五十万円一口だけ、ほかにも幾口かあるということを聽きませんか。
  183. 武田徳夫

    武田證人 それは聽きません。
  184. 武藤運十郎

    武藤委員長 それをどうしてやろうというのですか。
  185. 武田徳夫

    武田證人 それで、それは非常に困るじやないか。せつかく私としては、自分の関係者として代議士に立たれたというのでございますから、その大成を願つてつたわけであります。できればこの問題を何らか解決してあげたい、こう考えまして、いろいろつつこんで聽きましたところが、金額は五十万円だが、自分の手でもつて五月の初めに三十万円はできる。さしあたつて二十万円あれば問題は解決するのだという話でございましたから、そこでその二十万円というのは、自分も今持つておらぬ。しかし相談をしてみる所があるから、それでは相談してみようということで、油糧公團の西川英三氏に相談をいたしました。西川さんも、自分の手もとにそういう金があるわけでないが、油脂業界から出た代議士として、やはり大成を願つてつた。かつ私は西川氏と非常に昵懇にしておりましたので、せつかく君の頼みであるから、できれば何とかしてあげたいと思う。けれどもすぐにというわけにいかないから、一日ばかり待つてほしいということでございました。では、できたらお願いいたしますというので、その日は別れたのであります。その旨を飯村君にも傳えまして、明日來てもらいたいと言つて、帰つてもらいました。それから翌日飯村君がまた参りましたので、ちよつと待つてくれと言つて、私の事務所に待たせておきまして、また西川さんのところに参りまして聽きましたら、さいわいに自分の関係している株式会社、日本油脂新報の方から一時融通することができることになつたから貸すことにしよう。しかし飯村君は自分はよく知らぬ、飯村君自身に貸すというわけにはいかぬ。私に対して融通するから、そのような証書をつくつて出してもらいたいということでございました。私は当時非常に困つておりまして、それだけの金を借りて返すというあてもございませんでしたので、そのことを西川氏に言いましたところが、それはよくわかつているが、しかし飯村君に対してはとても融通できぬ。そういう事情ならば飯村君に何らかの担保物件を担保にして貸すということにしたらどうかと言われましたので、飯村君に対して、何か担保物件を提供できぬか、話によれば今住んでいる家が十万円かそこらのものだそうでございますが、それを担保にできないものか話しましたら、差支えないということで、それでは明日その証書がつくれれば、金の用意をしておくからあした來てもらいたいという約束をして帰つてもらいました。ところがその日にどうしても二十万円を持つて行かないとぐあいが悪いと言う。というのは伴という商事会社が銀座にあつたと思いますが、そこで債権者が待つているから、きよう持つて行くという約束をしてあるのだ。それを持つて行かぬとぐあいが悪いというのでございますが、私といたしましてはそういう條件で融通することにいたしましたので、それではあしたまで待てないことはないだろうから、もし君が單独で行つて信用されないというのであれば、自分が一緒に行つてよく話してみてもよい。それならば一緒に來てもらいたいというので一緒に参りました。そういたしますと、そこに関係者が四人ばかりおりました。それで私はいりまして、実はこういうわけでもう一日だけ待つてほしい、金は確実に明日お渡しできると思う、明日午前中に私の事務所までお出で願えれば、飯村君立会の上でお渡しをいたしましよう。ということで、先方も私の言うことを信用してくれまして、それでは明日午前中にお伺いしますからということで帰つてまいりました。翌日先方から、奈良教一という方、もう一人長谷川さんという方が、二人ちようど十時ごろに事務所へお見えになりました。ところが飯村君がなかなか見えない。私西川氏の方から二十万円の金を受取つてまいつておりまして、机の上に置いておきました。金はできました。飯村君が証書をもつてきましたらばお渡しをいたしますから、ということで待つてもらいました。待つております間にいろいろとその御両氏から今度の問題の経緯を詳細承りました。それはまことにお氣の毒でございますというようなことで待つておりましたが、畫になつても午後二時になつても飯村君が見えません。とうとう夕景になりましたが、遂に見えません。そこで、ここまで待つても來なければきようは見えないのであろう、そうすると、私としてはこういう事情で融通した金であるから、これはまことにお氣の毒だけれどもお渡しするわけにはいかぬ。このままお帰りを願いたい、ということで先方はまことに殘念そうでございましたが、そのまま帰られたわけであります。
  186. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのときにこまかい話を長谷川、奈良両氏からお聽きになつたようでありますけれども苫米地義三氏、または苫米地敏雄というその息子さんのことについて何か話が出ませんでしたか。
  187. 武田徳夫

    武田證人 この問題につきまして、苫米地敏雄氏から西川氏のところへ、こういう問題調査をしてくれという訴えをしてきているのがある。それを自分のところへ連絡してきたが、飯村君に至急に連絡して、そういうようなことが、もしやつておるのであれば、よく注意をしてやつてほしい、ということでありましたが、そういうことで飯村君に速達を出しまして、來てもらつたわけです。それから金のことにつきましては、これは自分が公團の西川氏に頼みまして融通をしてもらつたのであるということを申しました。それで私は、数日前の読賣新聞に、苫米地氏からこの金が出ておるのだというようなことが書かれておりますが、まことにそれは事実に相違したこととして、実は憤慨しておつたわけであります。というのは苫米地さんは私よく存じませんが、業界の大先輩としまして、そういうようなことで苫米地さんに迷惑をかけることになつてはいかぬというふうに考えたのでございますが、なお実際にそういうことを申し上げないのに、私が申したようなことを言つておるということについて、実は憤慨しておつたわけであります。
  188. 武藤運十郎

    武藤委員長 それは、読賣新聞に、長谷川か奈良両君のいずれかの当委員会における証言が、苫米地氏から出たというようなことが書いてあつたという意味ですか。
  189. 武田徳夫

    武田證人 そうでございます。
  190. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのときに、長谷川証人の言うことを聽きますと、多分それは苫米地氏が氣の毒に思つて二十万円心配してくれたのではないかと思つておりました、というような趣旨のことを言つておりましたね。そうではなくて、今あなたが二十万円心配されたいきさつは、当日長谷川、奈良両君と長い間待つている間にお話になつたのですか。この金はどういう所からどういうぐあいで出たんだということをお話になつたのですか。
  191. 武田徳夫

    武田證人 それに触れました。
  192. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういうふうに。
  193. 武田徳夫

    武田證人 自分ではとてもできないんだ。それで公團の西川氏に相談をしましたところが、西川氏の方でこれを調達してもらえたということを話しました。
  194. 武藤運十郎

    武藤委員長 それじや両君はその金が西川氏から出たということはよく知つてつたわけなんですね。そのときわかつたわけなんですね。
  195. 武田徳夫

    武田證人 知つてつたと思います。
  196. 武藤運十郎

    武藤委員長 その長谷川証人がそういうふうに考えたゆえんのものは、金を今村君が受取る際に、業界の有力者であり、かつ現政界における重鎭である政治家がこのことについては非常に盡力をする次第なんだというようなわけで金を受取つたということですね。そういう関係もあるから、その業界の有力者であつてかつ政界の重鎭であるというのはまあ苫米地さんだろうと思つてつた。こういうことを言つておりました。しかしあなたから今伺うと、その金が出るのは苫米地さんから出たんだと思うということを思うはずはなかつたわけだな。
  197. 武田徳夫

    武田證人 はつきりそう書いてありました。それで、そういうことを私が申し上げたことはないのにどうしてそういうふうに証言されたか、不審に思つておりました。
  198. 武藤運十郎

    武藤委員長 苫米地敏雄さんか苫米地義三さんにお会いになりましたか、このことで。
  199. 武田徳夫

    武田證人 きよう会いました。
  200. 武藤運十郎

    武藤委員長 その前にはお会いになつたことはないですか。
  201. 武田徳夫

    武田證人 その前は、苫米地敏雄氏が油脂統制会の企画部長をしておられましたときにはよく会いましたが、やめられてからは会いません。きようは会いました。
  202. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう話をしたのです。
  203. 武田徳夫

    武田證人 証人に喚ばれておるということが新聞に出ているが、君の所へ何かきているか、ということでありました。それから、いや私の方へはまだきておらぬ。そうか、自分の方へはきておるけれども、おかしいな。ということでありました。それで私の方へまいりましたのは十一時ころでございました。苫米地さんの方へは、その前の土曜日ですか來たとかいう話でございました。ですから新聞には出ておるけれども、なぜ君の方へは行かないのだろうと言つておりました。私がこつちへ参りますちようど一時間ばかり前に來たわけです。
  204. 武藤運十郎

    武藤委員長 苫米地敏雄君とお会いになつたときに、何か飯村氏から苫米地さんの方へ金が献金されているとか、されていないとかいううさわがあるけれども、そういうことがあるとかないとかいう話は出ませんでしたか。
  205. 武田徳夫

    武田證人 出ませんでした。
  206. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになることがありますか。
  207. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あなたは長谷川に対して二十万円の話を——長い間いろいろの話があつたことと思う。そのときに、この金は苫米地さんからもらつて來たのだと言われなかつたですか。
  208. 武田徳夫

    武田證人 言いませんでした。
  209. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 西川を通じて苫米地さんから出たのだとあなたが言われたと言つておるのですよ。
  210. 武田徳夫

    武田證人 言いません。
  211. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 苫米地さんという話は全然出ませんでしたか。何か出ましたか。
  212. 武田徳夫

    武田證人 先方からこの問題の経緯についていろいろと話がありましたときに、飯村君が党の重鎭云々ということを言つておる、それは自分としては重鎭というと苫米地さんというふうにしか考えられなかつたというようなことを長谷川氏も奈良氏も言つておりました。
  213. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこで何かそれについて話が出ましたか。
  214. 武田徳夫

    武田證人 いやそれ以外には話は出ませんでした。
  215. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あなたはその次に來たときに、苫米地さんの息子さんの所に行けと長谷川、奈良に言われておりますが。
  216. 武田徳夫

    武田證人 いやその前に竹田幹事長の所へ、これはとにかく民主党の代議士であるのだから、党として何とか考えてもらいたいという意味で、竹田幹事長の所へこの問題の解決について相談に行つたということを言つておりました。次いで苫米地さんにお願いしてみたらというようなことを考えておるということも言つておりました。いろいろと話が雜談的に行われましたために、はつきりと順序よくお話はできませんけれども、要領はそのようなわけでございまして、私といたしましても、竹田さんに御相談したけれども、どうも要領を得ない、だめですねというようなことでございましたから、それでは苫米地さんでも、どなたでも、とにかく御相談になつてみたらどうですかということだけは申しました。
  217. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 敏雄さんは非常に話のわかる方だから、敏雄さんの所に行けと話をしてあるから行つた。こう言つた言つております。
  218. 武田徳夫

    武田證人 それは全然違います。
  219. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そんなことをなかつたですか。
  220. 武田徳夫

    武田證人 ありません。
  221. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 敏雄さんの所に行つたことはあなた御承知ですね。
  222. 武田徳夫

    武田證人 敏雄さんの所に行つたことは知りません。
  223. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あなたは、わかる方だから行けと言つた言つておりますが、それは間違いありませんか。
  224. 武田徳夫

    武田證人 私が話してあるから、よくわかるはずだから行けこういう意味ですか。
  225. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうです。
  226. 武田徳夫

    武田證人 そういうことは申しません。
  227. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 全然あなたは敏雄さんのことも話したことはありませんか。それは最初の日でない。次にまた來たそうですね。一日おいてか、次の日か、飯村君がこないで、待ちぼけくつてつて、その次の日か、その次の日に來たでしよう。
  228. 武田徳夫

    武田證人 來ました。
  229. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そのときの話です。
  230. 武田徳夫

    武田證人 私はあなたの御質問が敏雄ということをおつしやるものですから、はつきりわかるのですけれども、そういうことは申しませんでした。
  231. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 敏雄という言葉を……。
  232. 武田徳夫

    武田證人 その前にどなたかに、竹田さんがぐあいが惡いなら、他のどなたかに話をしたらどうでしようか。苫米地さんにでも話をしたらどうかということは申しましたが、苫米地敏雄さんに云々というようなことをは全然言つたことはありません。
  233. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 間違いなければいいですが、たいへん話が違う。大体敏雄さんということを一体長谷川なり、奈良なりは知らぬのじやありませんか。あなたか、どなたか言わなくちや……。
  234. 武田徳夫

    武田證人 私が言わなければ知らぬということは、はなはだおかしい。私言わないのに、だれからお聽きになつたかしりませんが、私としては知らぬことです。
  235. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あなたはかりに奈良と長谷川に言わぬでも、敏雄さんと、このことについて話をしたことは全然ありませんか。
  236. 武田徳夫

    武田證人 今日までありません。
  237. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 どこかにたいへん間違いがある。
  238. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。それでは済みました。お帰りになつて結構です。     —————————————
  239. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは伺いますが、あなたが苫米地敏雄さんですね。
  240. 苫米地敏雄

    苫米地證人 そうです。
  241. 武藤運十郎

    武藤委員長 代議士の飯村泉君の詐欺事件か何かについて、御存じでありますか。
  242. 苫米地敏雄

    苫米地證人 この飯村事件に関しまして七月の半ばごろだろうと思いますが、ちようど私の友人で、満州から引揚げてまいりました郷土の工藤定雄君が楢橋事務所から頼まれたといつて私のところに参りまして、飯村代議士が何か詐欺事件を起しているというふうな話で、飯村代議士とはどういう人物であるかということについて調べてもらえないかというふうな話が工藤君からありまして、それによつて、工藤君が私に調査を依頼されたので、私は飯村代議士とは全然面識もありませんし、製油業の方の関係の人であるために、油糧配給公團の西川副総裁に会いまして、飯村代議士にこういうふうな話があるが、どういつたことであるか調査をしてもらいたいというお願いをいたしまして、その後四月の半ば過ぎ、時日の点はよくわかりませんが、工藤定雄君が、長谷川勇一郎、奈良氏と連立つて事務所に参りまして、実は飯村事件問題で、この二人が引揚者であつて、共犯の立場にあるので、非常にかわいそうだからというような話があつたのでありますが、その後一日二日経つたあとつたと思いますが、西川氏より、長谷川、奈良両氏に対する飯村氏への融資は、飯村氏の持つている建物が二重担保にすでに抵当にはいつているというので融通できなかつたということを報告に來てくれまして、それによりまして工藤君に対してその旨を傳えましたところ、工藤君がさらに長谷川、奈良両氏を私の事務所へ連れてまいりまして、そこで私より両氏に対して、これはこういう事情にあるから諦めるよりいたし方ないという話をいたしました。その後両氏も全然見えませんし、私自身としても両氏に対して、どうということがないために、そのまま放置しておつたわけで、私自身関心をもつておらなかつたわけであります。私の知つております点はさようなわけであります。
  243. 武藤運十郎

    武藤委員長 奈良、長谷川両氏の問題を解決するために、金を二十万円ばかり心配してくれというような話が、だれかからあつたことはないのですか。
  244. 苫米地敏雄

    苫米地證人 私もこの問題についてほとんど関心をもつておらないために、その当時の記憶がはつきりいたしませんが、私が西川副総裁にお願いしたことは、飯村君にこういう問題があるという話だから、これについて調べてもらいたいという話でお願いしたわけであります。奈良、長谷川両氏に対しても、何とかしてやるというような話は全然いたした覚えはありません。
  245. 武藤運十郎

    武藤委員長 つまりこの問題が取上げられたゆえんのものは、飯村氏が金を受取つて、その一部をあるいは苫米地義三氏に献金でもしたのではないかというような疑惑があるわけです。詐欺関係は檢察廳がやることで、こちらは関係がないわけです。そういうことの話は全然義三氏の方にもなかつたわけですね。
  246. 苫米地敏雄

    苫米地證人 私はおやじからも全然その話を聽いておりません。
  247. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがありますか。
  248. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 工藤というのはどんな人ですか。
  249. 苫米地敏雄

    苫米地證人 これは満州から引揚げてまいりました者で満州建國大学におりまして、郷土の私の知人であります。
  250. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その工藤氏があなたにそういうことを頼みに行つた原因はお聽きにならなかつたのですか。
  251. 苫米地敏雄

    苫米地證人 私に工藤君がなぜ頼んだかということは、工藤君が実はここに傍聽人で出ておりますので、あるいは本人から直接お聽き願つても差支えありませんが、私の聽いている範囲は、楢橋事務所からこういう問題があるから調べてもらいたいというふうな話で、工藤君自体としては楢村代議士の人物もどういうふうなものかわからないし、油の関係であるというために私のところに頼みに來たという次第であります。
  252. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 楢橋事務所というんですか。
  253. 苫米地敏雄

    苫米地證人 楢橋事務所の方で聽いて頼まれてまいつた
  254. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 楢橋というのは何ですか。
  255. 苫米地敏雄

    苫米地證人 楢橋渡さんの事務所です。長谷川、奈良氏の二人が楢橋事務所に参つて解決方を頼んだのではないかと思われますが、それについて工藤君がその話を聽いて、私のところで調べてくれ、こういうような話で参つたと思うのであります。
  256. 武藤運十郎

    武藤委員長 それじや済みました。御苦労さまでした。  本日はこれにて散会します。     午後五時四十七分散会