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1948-07-31 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第45号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年七月三十一日(土曜日)     午後三時三十二分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 梶川 靜雄君    理事 荊木 一久君 理事 小松 勇次君    理事 中野 四郎君       石田 博英君    高橋 英吉君       足立 梅市君    前田 種男君       小野  孝君    橋本 金一君       田中 健吉君    中村元治郎君       宇都宮則綱君  委員外出席者         政治資金に関す         る問題について         出頭した証人  齋藤 隆夫君         兵器処理委員会         に関する問題に         ついて出頭した         証人      青木 秀夫君                 飯沼 一省君                 大村 清一君     ————————————— 本日の会議に付した事件  政治資金に関する問題  兵器処理委員会に関する問題  資料提出要求に関する件  証人出頭要求に関する件  委員派遣に関する件     —————————————
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。まず御報告を申し上げます。  第一、芦田均氏より脱党声明書及び寄附金明細書提出せられました。これは先般当委員会より同氏に提出を求めておきましたところ、民主党名をもつて提出せられましたので、芦田本人より再提出を求めたものでございます。  第二、民主党より寄附金を記載しました帳薄提出せられました。  第三、民主党より同党事務長大岩勝守名義をもつて、「記」と題する書面提出せられました。  第四、齋藤隆夫氏より「覚書」と題する書面提出せられました。  以上の書面はいずれも委員長手もとにございます。朗読を省略いたしますが、自由にごらんを願います。  第五、先般当委員会喚問をいたしましたところ、病氣理由として出頭せられない岡直樹君に対しましては、八月二日臨床尋問をいたします。田中角榮君、田中健吉君にお願いします。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 さよう決定します。  第六、民主党政治資金届出に関しまして全油連会長武田某苫米地敏雄両君、及び栗栖前藏相に関する資金問題につきまして島川康助君、右三名を八月二日午後一時当委員会喚問をいたします。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  第七、兵器処理問題につきましては本日証人調べをいたしますが、なお今後の調査方針等につきましては、八月二日十二時より理事会、同一時より委員会を開きまして決定をいたしたいと思います。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 武藤運十郎

    武藤委員長 第八、荊木一久君より石炭國管問題に関する調査要求の提案がなされました。理事会におきましてはこれを取上げて調査を開始することに決定をいたしました。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定いたします。なお本問題調査方針等につきましては、同じく八月二日十二時より理事会、午後一時より委員会を開いて決定をいたしたいと思います。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定をします。  第九、これは理事会に諮らなかつたのでありますが、ただいま田中角榮君より、復金問題につきまして書類提出方を求められました。日本興業銀行に対し、昭和二十年九月一日より二十三年六月三十日までの間における融資額三百万円以上の貸出リスト及び同行の裏書または紹介による他行よりの同額以上の同期間における貸出リスト、これを來る八月十日までに提出を求めたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定をします。  齋藤隆夫君が再喚問を求められ、本日出頭せられております。これを喚問することに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定します。  御報告及びお諮りする事項は以上の通りであります。  本日御出頭証人齋藤隆夫さん、青木秀夫さん、飯沼一省さん、大村清一さんの四人でありますね。齋藤さんにつきましては民主党政治資金問題につきまして、青木大村飯沼三君につきましては、兵器処理に関しましていずれも証言を求めることになりました。  証言を求める前に各証人に一言申し上げておきます。昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓を出させなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務知つた事実であつて默祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、且つ宣誓した証人虚僞の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。  それでは法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手もとに差上げてある宣誓書起立朗読の上、署名捺印願います。     〔証人大村清一君各証人を代表して宣誓〕     〔各証人宣誓書署名捺印
  10. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは齋藤さん、青木さん、大村さん、飯沼さん、こういう順序でお話を伺いますから、齋藤さん以外の諸君は御迷惑ながらしばらく別室でお待ちを願います。  齋藤さんに伺います。先般齋藤さんには一度おいでを願つたのでありますが、特にあなたの御要求がございますので、本日御出頭願つたわけでございますが、この前御証言をなさいました以外に、特に何か証言なさる事項がございますか。
  11. 齋藤隆夫

    齋藤證人 新聞で見たのでありまして、何か事実が違つておるか知らぬが、一昨日民主党政治資金届出について、苫米地義三君がここで証言しておつたことが新聞に出ておりました。それによると、この政治資金届出書進歩党時代から引継ぎをしておるのであつて齋藤自身において知らないはずがないというような意味のことを言われたのであります。ところが進歩党時代から、自分政治資金届出書というものに自分の名を出すとか、判を押すというようなことは、絶対にしたことはないのであります。苫米地君がそういうことを言うたその前提がすでに間違つておるのでありまして、その前提の上に築かれたところの苫米地君の証言もこれまた間違つておるのであります。殊に齋藤が知つておらないわけはないということは、反面から言うと齋藤は知つておるに違いない。知つておりながらこの委員会において、知つておらぬと言うたのは、一種の僞証になるという意味も含まれておるように思われる。これは自分にとつてなかなか黙つておることのできないことであります。その点を明らかにしておきたいために、進んで今日証人出頭することを通知したような次第であります。つまり進歩党時代から引継いで民主党にわたつて、この政治資金届出書というものについては、徹頭徹尾自分は関係しておらぬのです。だれかが私に話もせず、私の承諾も得ずして、私の名をもつて、また私の判を僞造して文書を作成し、判を押したに相違ないのであります。これは何人であるか知らぬけれども、とにかく私印文書僞造罪であるのでありまして、当然刑事上の責任が起るのであります。この点をひとつ徹底的に調べて、事実を明白にしていただきたいために、今日進んで証言をいたしておるような次第であります。
  12. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、ただいまの御証言は、大体において先般御証言なさいましたことを、さらに強く御証言なさるという形でございますね。
  13. 齋藤隆夫

    齋藤證人 そうです。一昨日苫米地君の御証言があつたからして、その証言が間違つておるという事実を明らかにしておきたい。これがために出たような次第であります。
  14. 武藤運十郎

    武藤委員長 苫米地さんの証言は、まだ速記録ができませんので、正確なことは申し上げかねますけれども、私の記憶するところでは、必ずとも齋藤さんが知らないはずはないというふうの言葉表現ではなかつたと思うのです。しかし御証言は十分承つておきます。ただ念のために齋藤さんに申し上げておきますが、本日民主党事務長大岩勝守氏の署名捺印をもちまして、当委員会に対して記と題する書面提出されております。それによりますと、「昭和二十三年一月十二日附民主党より届出寄附者に関する書類は、党備付の帳簿及び結社に関する届書類に基き作製し、これを苫米地幹事長並び正式届出名義者たる齋藤隆夫氏に提示して、その了解を得てこれを届け出たるものに相違無之候」という書面が出ております。
  15. 齋藤隆夫

    齋藤證人 それは私に関する限りはまつたうそです。私はそんなことを聞いたこともないし、何もない。何かそれは間違いだろうと思います。苫米地君は聞いたかどうかそれは知らぬけれども、自分に関する限りは徹頭徹尾うそです。この事件につきましてはだれか文書僞造私印僞造をやつた者がある。それは僞造者も当事者も御承知通り刑事上の問題を構成しているのでありますから、その点について徹底的に御調査願つて、もしこの委員会において十分調べることができぬならば、この事件はそのまま檢察廳の方にでもまわして十分ひとつお調べを願いたいと思います。
  16. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがございますか。
  17. 石田博英

    石田(博)委員 二、三お尋ね申し上げます。まず第一点は、進歩党時代証人総務会長あるいはそれに類する職務におつきになつたことがございますかどうか。第二点は、民主党のときに結成当時、たしか私の記憶によりますと、最高委員制度を採用せられておつたと思うのですが、説をなす者は、その最高委員の中で齋藤隆夫氏が主席というような地位にあつたという表現を用いている者がありますが、そういう点についてどういう立場におられたか、お答えいただきたい、こう思うのであります。
  18. 齋藤隆夫

    齋藤證人 お答えいたしますが、進歩党のときには私が総務会長ということになつております。しかし一体総務会というものはどういうことをするものであるかということが問題になりまして、進歩党の前の規約によると、たしか総務は党の重要事項処理すとあつた処理とは一体どういうことであるかということの疑問が起りまして、私が案を出して、処理ということはわかりにくい、あるいは事務を行うということにとれるかしらぬが、総務会というものは事務を行うためのものではない。事務を行うためには幹事会がやるのであつて総務というものは議決機関である、審議機関である、こういうぐあいに直したのであります。ですから総務会長をやつてつたけれども、総務会長として党の事務をかれこれすべきものではない。総務は十名も二十名もあるのですから、一々事務をやつてつたならば、それは統一はとれぬということで、私は発言して、今言うたように総務会というのを審議会に直した。それから次に民主党では総務制というものを廃して、総裁も置かず、総裁は総選挙後に置くということで、とりあえず最高委員というものを七名か八名つくつたのです。これには会長も何もない。最高委員はいわゆる平等であつて、ただ年長者だから私を中心のように思つてつた者があるかもしれぬが、制度の上ではだれも平等であつて委員長もなければ会長も何もない、こういうことになつておる。
  19. 石田博英

    石田(博)委員 その場合、進歩党当時は総裁幣原喜重郎氏であつた記憶しておりますが、それに間違いはないかどうか。それから進歩党時代証人総務会長であられたとき、あるいは民主党時代最高委員であられたときに、それぞれただいまおつしやつたような党務を執行する責任者立場にある幹事長という地位の人があられたかどうか、現存しておられたかどうかという点にお答えをいただきたい。
  20. 齋藤隆夫

    齋藤證人 初めのお問いの、進歩党時代には幣原氏が総裁になりましたけれども、それは進歩党ができてから何でも数箇月後です。幣原内閣が倒れ、幣原氏を入党させるという議があつて、入党するならば辞職して來い、総理の肩書をもつて進歩党に入党して総裁になるというようなことはできないから、私が行つてすぐにその日辞職させたのです。それは一昨年の五月ごろでありましたか、辞職させて、それから幣原氏の入党を許して数日後に総裁にしたのです。それから第二のお問いですが、それはもちろん幹事長があつたのです。進歩党時代には長井源ですか、これが幹事長であつたかと思います。それから民主党のときにはたしか石黒君が幹事長であつた記憶しております。
  21. 石田博英

    石田(博)委員 本年の一月十二日に届出がなされたときには、証人國務大臣であり、かつ党の顧問という地位におられたように記憶しておりますが、その地位については間違いございませんか。
  22. 齋藤隆夫

    齋藤證人 そうです。國務大臣であり、党の顧問であつたと思います。
  23. 石田博英

    石田(博)委員 ただいままでの御証言ですと、証人の主観的な御主張ではもちろんのことでありますが、客観的に考えましても、党の執行機関として、代表者としての責任を負わるべき地位には絶対におられなかつたということが言えると思うのですが、そういう御主張をされておるものと解釈してよろしゆうございますか。
  24. 齋藤隆夫

    齋藤證人 むろんそうです。
  25. 荊木一久

    荊木委員 一点だけ伺つておきたいのですが、証人進歩党結成、次いで民主党結成、これはただいまの政令第三百二十八号の前の政令百一号によりまして、政党は結社届出をしなければならないことになつておる。進歩党結成届出を見ますと、これは証人名前によつて結成届出ている。民主党結成届出証人名前届出がしておるのですが、從つてこれをも御存じないということになると、進歩党民主党結社届出がないということになるんですが、その点は一体どういうふうにお考えになりますか。それは間違いなく僞造というふうにお考えになりますか。
  26. 齋藤隆夫

    齋藤證人 お答えいたします。私の名前で届けたということは私は一向知らぬ。だから私の承諾を得ずして届出をするならば、その届出書はまつた僞造です。
  27. 荊木一久

    荊木委員 今証人のおつしやいましたことは、長井源君が幹事長であつたか、あるいは幹事長代理であつたか、私も記憶を失しましたが、長井氏に対してあなたは自分印章をお預けになつたか、もしくは印章をつくることを許されたか、いずれにいたしましても、党の届出その他について必要であるから、証人印章をお預かりしたいとか、あるいはこちらでつくつておくからということで了解をお與えになつた事実はございませんか。
  28. 齋藤隆夫

    齋藤證人 絶対にそういうことはございません。
  29. 小野孝

    小野委員 ちよつと承つておきたいと思いますが、齋藤さんが民主党を脱党されたときに、かねて事務局の方で保管しておつたという印章齋藤さんが返還を求められた事実がございますか。
  30. 齋藤隆夫

    齋藤證人 そんなことは絶対にありません。印章などだれがつくつたか、自分が預けたこともなし、だれがつくつたということは一向知らぬから、返還など求める理由はない。
  31. 小野孝

    小野委員 それではお伺いいたします。返還を求められないにしても、その印章がだれかを通じて齋藤さんの手にはいつたという事実はございませんか。
  32. 齋藤隆夫

    齋藤證人 決してありません。
  33. 田中健吉

    田中(健)委員 この際委員長動議を出しますが、印鑑の鑑定をしてみたいと思います。齋藤さんは印鑑は知らない、書いたものも知らないと言いますから、それじやさつぱりわからないので、だれが書いたものだか……。
  34. 武藤運十郎

    武藤委員長 今実物がありますから、お目にかけてみましよう。  それでは齋藤さん、先日御出頭を願いました際には、原本が取り寄せてありませんためにお目にかけることができなかつたのでございますけれども、本日はこれを取り寄せておきましたから、お目にかけます。     〔齋藤証人文書を示す〕
  35. 齋藤隆夫

    齋藤證人 これは私の判でも何でもありません。こんな判は知りません。
  36. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういう書類を示されて、これを届け出ますからよろしゆうございますかということを事務の者から言われたことはございませんか。
  37. 齋藤隆夫

    齋藤證人 絶対にありません。
  38. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういう判をあなたなり、あなたの祕書官をしておられたむすこさんが返還を受けたことはございませんか。
  39. 齋藤隆夫

    齋藤證人 ありません。私のむすこに聽いてみましたが、そんなことは一向知らないと言うておりました。
  40. 武藤運十郎

    武藤委員長 その次のページをお開きください。そこに主幹者と書いてありますが、あなたはそのころ主幹者という……。
  41. 齋藤隆夫

    齋藤證人 主幹者ということは実は私は知らなくて、このごろになつて何か政令命令の中に主幹者という言葉があることを知つたのであつて主幹者という言葉は初めは知らなかつた
  42. 武藤運十郎

    武藤委員長 御自分ではもちろん主幹者考えられたことはない。
  43. 齋藤隆夫

    齋藤證人 そんなことはない。政令というものは見たこともない。そんなことはだれか会計係か何かやるんだろうと思つて、こつちは知らない。
  44. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにありませんか。——それでは齋藤さん、済みました。御苦労さまでした。
  45. 石田博英

    石田(博)委員 現在大岩何とおつしやる人ですか、大岩君からの提出された書類、それは「キ」と書いてある書類じやないですか。
  46. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうです。
  47. 石田博英

    石田(博)委員 そうすると、本委員会において別に宣誓された書類でないので、それについての僞証その他の責任は追究できないものであると思うのですが、この委員会にその種類書類提出されたのでありますから、いずれ早急の機会に本人出頭を求めて、宣誓の上証言をしてもらう必要があると思うのでこの動議提出いたします。
  48. 武藤運十郎

    武藤委員長 それは本日の理事会におきましても議論が出まして、一應とにかく齋藤さんの証言を聽こうということになつておりますから、明後二日の理事会において同じく討議をいたします。
  49. 鍛冶良作

    鍛冶委員 それに関連して大岩だけでなくて、その当時の執行機関である幹事長石黒さん……。
  50. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時の幹事長石黒さんについても同じく取扱いたいと考えますが、御異議ありません。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  51. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。     —————————————
  52. 武藤運十郎

    武藤委員長 たいへんお待たせいたしました。それじやお話を伺います。青木さんですね。
  53. 青木秀夫

    青木證人 さようでございます。
  54. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたからは去る二月四日、加藤前委員長のころに同じく兵器処理問題につきましてお話伺つたのでありますけれども、多少明確を欠いておる点もあり、さらに新たにお尋ねをしたい点もございますので、再び御出頭願つた次第であります。この前の委員会におけるあなたの証言は、速記録に詳細記載せられております。私は当日出席いたしておりませんでしたが、速記録を熟読いたしまして、あなたの述べられた数箇の要点につきこれを要約いたしてありますので、これをあなたに申し上げまして、それからあなたの問題について伺いたいと思います。  第一に兵器処理構想並びに実行方法すなわち  一、兵器処理委員会設置構成メンバーである五社の選定拂下契実行政府指示監督などは一切第八軍バーラード大佐指図に基いたものである。  二、バーラード大佐は第八軍の課長であつたと思う。二十一年五、六月頃帰國をせられた。  三、この指図はすなわちバーラード大佐よりの指図は、命令考えてこれを実行した。  こういう趣旨のことを証言せられたのですが、よろしゆうございますか。
  55. 青木秀夫

    青木證人 一應伺いまして、あとで申し上げます。大体この程度のことでございましたら私から申し上げたいこともございます。
  56. 武藤運十郎

    武藤委員長 第二番目の問題として、兵器処理兵器その他の特殊物件については  一、閣議で特殊物件処理方針をきめ。  二、内閣特殊物件処理委員会を設け。  三、これに附議して兵器処理委員会をつくつたものである。  四、受入機関として内務省が指定され、省内に調査部を設け、部長大臣補佐の役目である。  五、調査部は、二十年十月初旬にでき、証人は、あなたは最初東京支局長、二十一年一月より二十一年四月九日まで、この調査部長の職にあつた。  第三の問題として兵器所有権につきましては  一、連合軍より日本政府返還をされたものであつて所有権返還と同時に日本政府に移轉したものである。但しその処分については連合軍指示に從うことである。  第四、日本政府責任につきましては、政府國民すなわち國会に対して一半の責任を負うと同時に、連合軍に対して指示その他の特定の責任を負う。  第五、兵器処理委員長の性格につきましては一、五社を組合員とする私の組合である。二、仕事内務省兵器処理を事実上代行したものである。三、政府監督指示損失補償拂下契約に附款としてつけられている。四、兵器処理委員会、特に品種別委員会官廳から参加しているのは、監督指示等のためにすぎない。小松隆氏は右委員会の互選によつて委員長となつたものである。  第六、兵器拂下契約の性質につきましては、一、國家内務省組合、つまり兵器処理委員会との契約である。二、これによつて所有権國家より組合に移轉したものである。但し組合はその処分について政府指示に從うべきである。三、証人契約締結に関する國家代表である。四、当時の内閣はこれを承認したものである。これというのは拂下契約である。拂下價格は一應無償とし、あとで精算すること、すなわち利益があれば國家に納入し、損失があれば國家でこれを補償すること。  第七、拂下契約書の作成は昭和二十一年五月十六日附であるが、兵器処理委員会はそれより約半年前に設けられ、口頭による拂下契約はそのとき締結され、締結と同時に右委員会仕事を始めたものである。  第八、返還されたる兵器種類数量はデイレクテイヴに具体的に明細に示されていなかつた回收見込数量百二十八万トンのうち鉄鋼及び非鉄金属約百万トンは証人は知らない。七百万トンという関係方面の見込みも証人は知らない。  あなたが過日当委員会において述べられた証言を要約しますと、大体こんなことになると思うのですが、何か違つたことがありますか。
  57. 青木秀夫

    青木證人 記憶がはつきりいたしておりませんので、大体間違いはないと思いますが、その後考えたことなどもありますので、多少御訂正を願わなければならぬこともあるかと思いますので、お許しをいただきたいと思うのであります。  兵器処理委員会構想設置につきましては、これは第八軍のバラード大佐指示と申しますか、あるいは命令というふうにお話になつておりましたが、日本語で申しますとたいへんややこしくなるのでございますが、勧奬と申した方があるいは適当かとも思います。事実上その当時としてはそうせざるを得なかつたので、指図すなわち委員会をつくつて民間会社にこれをやらせろ、こういう強い勧奬があつたのでございます。そういうふうに私は考えておつたわけでございます。  それから五社の選定につきましてはこれまた五社に限るというふうにバラード大佐から指図されたと言うと多少穏当を欠くかと思いますが、記憶がはつきりしておりませんので、この点につきましては有力な実行力のある信用のおける会社選定いたすことにつきまして、これは内務省商工省と相談をしてその方法、メンバーをもつてバラード大佐のところで相談をしてきまつた。こういうふうに解釈すべきじやないかと思うのでございますが、その点そのときの事務上なり何なりの手続つきましては今はつきりいたしませんので、五社になつた理由につきましては、あるいは内務省としては会社の実力なり内容を存じておりませんので、商工省の方によくお聽きを願つた方がいいのではないかと思うのでございますが、大体バラード大佐の意向をとつて御承認を願つたことは確かだと思うております。  それからバラード大佐が、私は課長か部長であつたというふうに申し上げたと思いますが、経済部長であつたか、経済課長であつたか、はつきりは覚えておりません。  それから調査部ができましたのは九月ではなかつたかと思いますが、これは正確には内務省書類をお調べ願つた方がいいのではないかと思います。  それから拂下げの契約につきまして一應無償という点でございますが、これは代金の延納という形でなつておるのでございます。通俗的には無償ということになりますが、取扱いとしては代金の延納を許すという形でやつておるのでございまして、この点は念のために申し上げておきたいと思うのでございます。回收見込数量につきましては、その当時私としては知らないというよりは、わかつていなかつたというぐあいにお取りをいただきたいのでございます。たいへんはつきりいたしませんですが、そんなことだと思います。
  58. 武藤運十郎

    武藤委員長 先ほど私が申し上げましたのはほとんど速記録の中の重要な部門について、あなたの言葉通りぐらいに書いておるのです。多少時間が違つておりますから御記憶が違うところがあるかもしれません。今の契約問題で無償で拂下げたかどうかという問題ですが、兵器処理委員会政府に対して損失があれば政府が予算的措置を講ずるということをしたために、兵器処理の業務実施について経理上非常にルーズであつて兵器処理委員会として適切な経理をすれば相当利益をあげ得たにもかかわらず、損をすれば政府で見るということになつておる関係から、経理上不当な支出が行われた結果、兵器処理委員会の業務について非常な疑惑をもたれるようになつたというようなことが言えるのではないかと思うのでございますが、この点に関するあなたの御見解はどうですか。
  59. 青木秀夫

    青木證人 この損失補償ということは、兵器処理の初めに問題になつてつたのでありますが、これは私どもとしては実際はやりたくない、こういうふうに考えておつたのでございます。ただそういうことが契約の内容にはつきりうたわれておつたかどうか、もう一遍契約書の内容を調べないとはつきりいたしませんが、処理の大方針の中にそのことが示されておつたことは事実でございますから、そのために経理上会社の方でルーズなことをやつたのではないかというふうにお考えになるのもむりからぬ点であろうと思います。しかし当時の私どもといたしましては、そもそもこの兵器を日本に返してくれるということは、経済復興のために占領軍の特別な計らいで許してもらつたことでございますし、代行機関においても誠意をもつて経理をし、國庫に迷惑をかけずにやつてくれるだろうということを予期したのでございます。またそのことはよく話合いもしてあつたのでございます。その損失補償があるからというので、当時の者が意識的にルーズにしようということになつたとは考えられませんが、しかし実際多数の人を使つてやる仕事でございますので、だんだんそういうふうになる傾向も考えられることでございます。これについては政府としても十分監督をして、間違いのないようにしなければならないと考えておつた次第でございます。
  60. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこでその監督の立場にあつたのは、あなたではなかつたですか。
  61. 青木秀夫

    青木證人 この監督は内務省商工省でございます。監督は内務省の者として私もその責任をもつているのでございます。それにつきましては地方廳の督励ということによりまして、引渡し並びにその後の実施状況につきましての監督をすることになつてつたわけでございます。
  62. 武藤運十郎

    武藤委員長 実際はどうしましたか。経理上の監督はあなたの方では。
  63. 青木秀夫

    青木證人 実際はこれは報告書を取るということが一つ。それから縣廳がそれを監督するということを指示をしておつたわけでございます。当時引渡しと申しますか、そういう方面の事務が非常に忙しかつたために、経理の実質的の監督というところまで実際は手が延びていなかつたと思います。
  64. 武藤運十郎

    武藤委員長 この兵器拂下契約の契約書のできたときは昭和二十一年五月十六日でありますが、当時の内務大臣及び次官はだれですか。
  65. 青木秀夫

    青木證人 これはこの前は大村さんが内務大臣で、飯沼さんが内務次官ではなかつたかというように申し上げていたんですが。
  66. 武藤運十郎

    武藤委員長 そう言つております。
  67. 青木秀夫

    青木證人 きよういろいろお話を伺いますが、三土さんが内務大臣で大村さんが内務次官であつたということでございます。日にちが非常に接近はいたしておりますが、記憶違いでございまして、この点はたいへん申訳なかつた考えているわけであります。
  68. 武藤運十郎

    武藤委員長 ちようどこの契約のできたので三土さんが辞表を出されて、その後内閣総辞職の辞表が出て新内閣ができるその中間のようですね。こういう拂下げなんかにつきましては、先ほど申しましたように、あなたが國家を代表して契約当事者になつたのですが、もちろん次官大臣もこういうことは知つてつたんでしよう。
  69. 青木秀夫

    青木證人 これは契約書をつくりましたのは五月十六日でございますが、日にちははつきりいたしませんが、既にずつと前から兵器処理の大綱がきまり、委員会結成されてから事実上いろいろな通牒も出、それから方針もきめられて実施されておつたのでございます。これを明文に現わしたのでございまして、その当時一番最初は私は東京の支局長でございましたが、当時の調査部長大島君があるいは次官なり大臣にはお話をしていただいたことだろうとは思つておりますが、こまかい点まで大臣が御存じであつたかどうかは存じませんが、兵器処理委員会仕事をさせるというようなことについては御承知になつてつたことと思います。
  70. 武藤運十郎

    武藤委員長 ここに当時の次官大臣などの決裁書がひとまとめになつておりますから、ちよつとごらんください。     〔証人書類を渡す〕
  71. 武藤運十郎

    武藤委員長 ただいまごらんになりました書類によりますと、大体あなたが今述べられたような順序でこの問題処理されておるようでありますから、やはりこの契約は当時の内閣責任者としてなされたものと見てよろしいわけですね。
  72. 青木秀夫

    青木證人 契約担当官として、國家を代表してと申すと大きくなるかもしれませんが、契約はできているというふうに私は考えておるのでございます。
  73. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることはございますか。
  74. 荊木一久

    荊木委員 ちよつと一点だけ伺いたい。兵器処理委員会結成して、これを五人をもつて組織するということがよかろうということをバラード大佐考えて、これを指示したということを伺いましたが、この五人の者が処属している会社に限つて兵器処理をやらしむるということまで、バラード大佐命令つたとお考えになつておりますが、そうしますと、公平に処理に当らなければならない者が、公平に処置ができないことになり得る可能性が、日本人考えならばあるのです。この点二つに考えられるのですが、五人をもつて委員会を構成する、そうして公平にやる、こう考えられるのですが、五人の者にしかどうしてもやらせなければならないという命令だと証人は当時お考えになつてつたでしようか、その点をひとつ伺いたいと思います。
  75. 青木秀夫

    青木證人 五社をもつて委員会を組織いたしましたのは、先ほども念のために申し上げましたように、委員会をつくることは、バラード大佐勧奬と申しますか、指図と申しますか、こういうことでございまして、この五社は最も有力な実行力のある会社であつて、これに限るようになつたのは、バラード大佐の承認を得てこうなつた考えるべきじやないかと思うのでありますが、この点その当時の経済界、産業界の情勢はよく存じませんけれども、どれが最も適当であつたかということにつきましては、商工省の御意見に從うことにならざるを得ないわけでございますが、それでバラードの承認が得られたのでございます。しかしその実務でございますが、実際の仕事をやることはあらゆる機関、あるいはあらゆる工場、あるいは設備をなるべく動員して、迅速に処理するようにいたしたいというふうに私どもも考えておつたのでございます。兵器処理は、御承知のごとくただ單に物を日本政府返還するということでなしに、武裝解除の一つの手段としても考えられるのであります。と同時に経済復興に有効にこれを使わしめようという特別な計らいでございますから、早く解体をすることが一つのねらいになるわけでございますので、利用できる設備、また信用のおける機関はこれを使つて、あるいは代行とか、あるいは下請というような形ででも使うようにしていただきたいと考えておつたのでございまして、バラード大佐は五社にしかやらせないというようなことは、考えていなかつたと思います。
  76. 武藤運十郎

    武藤委員長 荊木君、当時の速記録を見ますとこう言つておりますが、もう一度確かめてみましようか。
  77. 荊木一久

    荊木委員 どうぞ。
  78. 武藤運十郎

    武藤委員長 青木さん聽いてください。あなたは「これはバラード大佐が、こういう場合には委員会組織にして、お互いの人がよく協力し、またお互いによく協議し合つて仕事をすることがよいと思う。いわゆる委員会制度というものを、日本においてもやつてみたらどうかというお勧めがあつたわけでございます。それに基いてやつたわけでございます。——構成メンバーにつきましては、その当時の製鉄業者、あるいは金属工業に関する有力なる会社の名簿を出せというバラード大佐からの命令があつたわけであります。それを持参して提出したわけであります。これにつきましてバラード大佐の方から、こういう会社はどうだということで、五つの会社の御相談があつたわけでございます。それから委員会を構成するということになつたわけでございます」こういうふうに言つておるが、この通りですか。
  79. 青木秀夫

    青木證人 私今考え直してみますと、五つの会社をバラードの方から言われたか、あるいは商工省の方と私の方とでこれこれというようにあげていつたか、その点は大変申訳ないのでありますが、どうもはつきりいたしません。バラード大佐の方から五つ指図されたとまでは言えないじやないかと思うのでございますが、これはどうも記憶がはつきりいたしておりませんので、もしその点でございますならば、これは商工省の方にその点についてお確かめを願いたいと思います。
  80. 梶川靜雄

    ○梶川委員 証人にちよつと念のためにお伺いしますが、当時これが問題になつたのは、特にこの五社というものの選び方等は、私とあなたとの問答によつて速記録に殘り、そしてさらにこれが今日再び問題になつてきたというのは、当時のあなたの御答弁をわれわれは信用し、さらにその決済書というものを持つてつたわけですが、先ほどの委員長からの念押しの点に対して、あなたの御答弁が非常に先般とは曖昧であつた從つて先ほどの荊木委員のような御質問が出てき、それに対して今のあなたの御答弁は、まことに私として不可解だと思う。あなたは本年の二月四日の午後一時五十六分開会の委員会において、どういうぐあいにしてこの委員会というものはできたかという私の質問に対して、あなたはるる説明せられて、これはバラード大佐から話があつて、何とかしろというわけでやつた、しかもそのやり方については、その当時あなたが指導的な立場でやられたということを非常に回避せられ、あげて商工省並びに当時のバラード大佐の方に責任を轉稼せられている。それは速記録に明瞭に殘つているし、当時私もそういう印象を受けた。そこで私が当時念のためにあなたに質問したのは、あなたの立場を補佐的という言葉で私は質問しているわけですが、そのときのものをもう一遍ここに繰返しますと、あなたが委員会バラード大佐と協議して設けるようになつたと言われたので、しかもその責任を逃れたので、私は「その委員会はあなた方の」、この「方」というのは当時の商工省の菅波氏のことを指しておるわけでありますが、「力添えによつてできたいということになるわけでありますが、その委員会をつくるにあたつて委員会の構成メンバーをきめられるのは、あなた方できめられたわけでありますか。」と私が念を押してあなたに問うたのです。これに対してあなたは「構成メンバーにつきましては、その当時の製鉄業者、あるいは金属工業に関する有力なる会社の名簿を出せというバラード大佐からの命令があつたわけであります。それを持参して提出したわけでございます。これにつきましてはバラード大佐の方から、こういう会社はどうだいということで、五つの会社の御相談があつたわけでございます。それから委員会を構成するということになつたわけでございます。」こういうふうにあなたは言つておられる。そうしますとあなたはそのときに決して虚僞は申さないという宣誓をしてやつておられるわけですから、この点については異議ないものと思つてつたのであります。ところがきよう聽けば、それではまことに困ると言われる。これはわれわれ國民としても非常に大きな問題ですから、われわれもそのときに当時の経緯をあなたに確かめたのです。ところがあなたにそういうふうに言われたので、われわれとしてもそういうつもりで全部やつてきたのです、ところがきようになつてから、いやどうも当時怪しかつたからと言われるのは私はのみこめない。きよう暑さの加減であなたは頭がぼやけられたのではないですか。当時は二月の凉しいときでしたから私もぼやけておりませんけれども、たまたま速記録があつたから私はあなたに念を押す。私もあなたと同じようにぼやけていたらこういうことはできないかもしれない。ですから二月四日の委員会のあなたの御答弁は、ただ記憶をたどつてでたらめを言われたのではなくて、この点は宣誓の上で明言してやつておる。先ほどの飯沼さんと大村さんの問題は、私の質問に対してやはりあなたは「であつたと思います。」と言つておられますから、これは事実そうだと思うのです。これはあなたの記憶ですから私はどうこう言いませんが、この委員会に五社を選んだことに対しては、繰返して言うようですが、バラード大佐が名簿の中からこれとこれはどうだと言つて選ばれたということをあなたは明瞭に言つておる。この点はどちらがほんとうなのか、もう一遍再確言を願いたいと思うのであります。
  81. 青木秀夫

    青木證人 この点は冷靜に考えてみますと、私にもその当時どうもはつきりとした記憶と申しますか、そうだつたろうと考えて言つたわけでありますが、どうも当時のことをはつきりと覚えておるというわけではないので、この点は本日申し上げる方が正しいと思うのであります。
  82. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それならばその問題は別にして——。私は当時あなたに、こういつた重大な問題については上司の決裁を仰いだかと申しました。ところがあなたは上司の決裁を仰いだ。私自身当時一内務省調査部長が全國の数百万トンに上る兵器の、今初めてあなたの言葉を聽いてわかつたのですが、代金延納ということになつておるそうですが、要するにわれわれの通俗な言葉で言えば、代行機関として一切任せるというような大きな仕事内務省の一調査部長に任したというところに、私は不審をもつて当時聽いたわけです。ところがあなたはやはり同日の委員会において、私の上司の決裁を仰いだかという質問に対して、上司の決裁を仰いでおる。そうして私が名前を聽いたのです。ところが大村内務大臣、飯沼次官と言われた。それで当時決裁書を要求したわけてすが、当時の決裁書を見ますと、あなたは先ほどここでごらんになつただろうと思いますが、契約担当方委任の件についてあなたの方から出しておられる分で、次官までの決裁を仰いで大臣は判を押しておらない。しかもそれは二月十三日である。これが当時の決裁書にあたるものであるか、あるいは代金延滯についてのものであるか、あるいはそれに問題の大臣次官の決裁を仰いでおられる調査部長青木としたところの大藏大臣あての兵器処理委員会に拂下げる廃兵器賣拂代金に関する件、こういう工合に決裁を仰いでおられるのでありますか。これは二月四日に決裁を仰いでおられるわけなのです。ところがあなたが「契約担当方委任の件、聨合軍より返還に係る軍需物件の拂下に関しては、時局下緊急処理を要するものなるを以て、これが実務担当者たる大臣官房調査部長をして該物件拂下に関する契約を担当処理せしむるを適当と認められ候については、会計規則云々」よつて伺いを立てられて、決裁を経ておられる。これが次官への決裁、しかもこれは二月十三日、日にちの関係がわれわれ見ておつても非常にでこぼこになつて工合が悪い。しかもこういう重大なる問題を刻々としてやつておりながら、契約時期が、あたかも五月十六日の政変のどさくさ紛れにやられたということは、どうしても腑に落ちない点がある。從つてこの契約担当委任の件、あなた自身調査部長に委任するということは非常に重大であるから上司の決裁を経たか。それに対して経たと言われたが、これを見ると次官までしか判こがない。それから以前の、われわれの方で言う無償拂下と言うか、正式に言えば代行機関としての機能を有するようになつた決裁書というものは大臣が経ておるか。これも二月四日のそれ以前のものである。そうすればこの問題については大臣は全部御承知であつたかどうか、それをさらに閣議にはかられたかどうか、この点もう少し当時の事情を詳細にお伺いしたい。  もう一つお伺いしておきたい。ここにあるところの大臣判という判ですね。あなたの調査部長青木というのはよくわかるのですが、これは一体だれのかということを、あなた自身調べればわかるでしようから、お答えを願います。
  83. 青木秀夫

    青木證人 私は兵器処理委員会ができますときは、東京支局長でございました。その当時の調査部長は大島弘夫君で、それで私は直接大臣及び次官に申し上げる立場にはなかつたわけでございまして実際の仕事といたしましては、調査部の第二課の課長玉置君が商工省出身の方でございますが、この方が商工省とよく連絡をしてやつてくれておつたので、この人を使つてつたわけでございます。私は横から補佐の任を勤めておつたわけでございます。それで大島君にいろいろなことを話したり何かしまして、大臣の決裁なり、大臣あるいは次官への報告は、調査部本部の方の仕事であつただけでございます。この大きな仕事でございますから、私は調査部長である大島君にはお話をしており、また玉木君も話してくれたことと思うのであります。それが一々書類として決裁をもらつてくれたかどうか、これは私は存じませんが、書類として決裁をもらわないにいたしましても、お話になつていることと思います。また非常に怪しいときでございまして、一々後日のため、後日のためということで書類の作成のみをやるようなその当時情勢ではございませんでした。この物品を引渡すから早く引取れ、その引取つたものをなぜまだ処分しないか、一方また食うものがないのに食糧がどこかで腐つているというようなことで、実は毎日司令部の方からはお叱りを受けておるときでございましたので、後日のためを考え書類の整理をはかるということは二の次になつてつたことでございます。終戰当時の事情と社会秩序が平靜になつた今日とは大分趣きが違うのではないかと思うのでございまして、調査当局の人々もいたずらに書類の作成にのみ沒頭するわけにはいかなかつた。あるいは執務もやり、書類の整理もやるべきではなかつたかとおつしやればその通りでございますが、この当時の人員及び執務能力から申して無理であつたと思うのであります。その点御了承を願えることであると思うのであります。なお契約が政変のどさくさにあつたからどうというのは、私どもはまつたくそんなことは考えておりません。契約はもつと早くすべきでないかという議論も立つのでございますが、大藏省との打合せもございまするし、正式に書面として取交すにはやはり大藏省に打合せをしてからでないといけないと思いまして、正式に打合せをしてやつたわけでございますが、そういうわけで遅れたのでございまして、これは政変との関係は私はないと思つております。それから契約調査部長に委任するということは、これは私になつてから考えたことでないのでございます。これまた多分この書類にもあると思いますが、大島君が調査部長のときに会計課長の方に申込んでおいて、それがたまたま後任者の私の時代に、起案として会計の方からまわつてきて、私が判こを押したのでございまして、すでに調査部としては方針がきまつてつたのございます。
  84. 武藤運十郎

    武藤委員長 ちよつと速記を止めてください。     〔速記中止〕
  85. 武藤運十郎

    武藤委員長 再開します。
  86. 梶川靜雄

    ○梶川委員 さつきの続きですが、証人は公文書によつて全部やつたのじやない。とにかく本部の方で話をつけたのだということを言われたけれども、前に私が、こういう重大な問題については公文書の決裁を経ておられると思うがどうかと言つたところが、あなたは明瞭に公文書によつて決裁を経ております。これは係りの者が書類をつくつて、檢討すべきところは檢討してやつておるわけでありますというふうに答えて、それからだれだつたかというぼくの質問に対して、大村さんが大臣で飯沼さんが次官だつたと思う。こう言われております。だから、大村さんか飯沼さんかということは問題ではないのですが、あなたは思うと言われておる。ところが初めの方は公文書によつて決裁を経ておりますということで、私の念押しに対して断言しておられる。それで私は当時決裁を経られた公文書提出要求したわけなのです。それが判がなかつたとか言つて事務局に來ていたのを一遍返した後、また再提出して、それがこれになつておるわけなのです。それであなたが先ほど経ておられないと言われたのですが、大体あなたは何を根拠にして言つておられるのですか。前には決裁を経ておられると言われる。今度は大島さんが部長つたから、やつておらなかつたのだと思う。どつちがほんとうだかわからぬ。われわれは別に怒るわけではないが、ほんとうのことを知りたいのです。この兵器処理がどうなつたか。どうしてこういう契約になつたかという、ほんとうのことを知りたいのです。一体どちらがほんとうか。これはわれわれが今度調査していく上において、その分岐点になると思うのです。だから前のものがほんとうなのか、今度のものがほんとうなのか、とにかく一体あなたが今まで述べられたことは、何を根拠にして言つておられるのか、見当がつかなくなつてきたのです。その記憶をひとつ喚び起していただいて、公文書云々ということが違いなら違い、あるいはこれにも二月のときにあなたは部長というところに判も押しておられるが、その前に大島さんの部長のときもあつたでしようけれども、契約の当事者は少くともあなたである。しかもその間の経緯は大体知つておられたのですから、それをはつきりさしてもらいたいと思うのです。
  87. 青木秀夫

    青木證人 記憶で申し上げておるのでございまして、問題があつて一々書面を確かめて申し上げておりませなんだので、記憶違いもありますし、正確でない点もあろうかと思いますので、その点はたいへん恐縮に存じます。私としては記憶をなるべく喚び起して申し上げるつもりであります。また申し上げたつもりでおるのでございますが、やはり時がたつに從つて記憶もまた変つてきます。記憶だけで申し上げたのでございますので、あるいは証言が違うということでお叱りを受けるのを恐縮に存じておる次第であります。
  88. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そうすると、私ここであなたに二つお尋ねしたい。第一番はあなたが調査部長になられたのは、二十一年か二十年か知りませんが、何月何日になられたのか。その次には先ほどのお話では大藏省との関係もあり、契約まで期間が延びたというように言つておられますが、大藏省との折衝は、すでに前から話があつたものと思いますが、あなたが調査部長名前において大臣の決裁を経られたのは二月四日になつておるわけです。それから契約をされたのが五月十六日、われわれの言うのはその間にあまりに期間が開き過ぎておるということ、しかも仕事はその間にどんどんやつておられるということ、仕事は先にやつて契約は半年も先に延びておる。どういうわけでそんなに延びたかということです。その二つをまずお願いします。
  89. 青木秀夫

    青木證人 調査部長になつた日附ははつきりは覚えておりません。一月二十何日くらいじやないかと思います。この前は控えを持つてきてはつきり申し上げたかと思いますが、そのころだつたと思います。契約の関係が正式の書面として取交したのが非常に遅れておるというのは、これはいろいろな事務と申しますか、急いでおつたのでありますが、案文を練つたり何かするので遅れたのだと思います。これも私自身が案文を書くわけでもございませんので、総務課の方で練つたり、あるいは案文についての折衝なども遅れておつたのでございまして、その間別の何かの理由があつたのではないかと言われても、特に遅らせる意向もなかつたわけでございます。
  90. 梶川靜雄

    ○梶川委員 今のはわかつたのですが、あなたは先ほど大島調査部長責任のように轉嫁しておられたのですが、あなたが就任後の二月において内務省関係、あるいは商工省との連絡、あるいは大藏省との連絡が公文書によつてはすべてなされておるわけですが、そうするとそれ以後の事実上の事務担当の責任者はあなたということを了承して差支えありませんか。
  91. 青木秀夫

    青木證人 事務責任は私が負わなければならぬと思つております。しかしこれはいろいろ課があり、下に係りがあつて仕事をやつてくれておつたわけでございますので、その総括的な事務上の責任調査部長が負うことになると思います。
  92. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そこであなたは、下の方のこまかいことは別として、上の方の関係について、たとえば大藏省あての文書には大臣までの決裁をもらつておるわけなんですが、そうしますとこれが大臣としても、次官なり——次官はよくわからぬから、局長から意見を聽く、また局長に模樣を知らせるということになるわけですが、こういう問題は閣議に当然報告があつたものと思うので、そのことについての事情をあなたからお聽きしたいのです。
  93. 青木秀夫

    青木證人 閣議に御報告があつたかどうかは私存じません。
  94. 梶川靜雄

    ○梶川委員 しかしこれは内務大臣から大藏大臣あてに、あなたが議案の責任者として連絡というか、通牒を出された限りは、やはりこれはあつたものというのが役所の通例ではありませんか。
  95. 青木秀夫

    青木證人 大臣間に交渉があつた事項が全部閣議に報告されるとは限らないと思いますが、その事項についてはどうも私何とも言えないと思うのでございます。あつたかなかつたか、私は存じません。
  96. 宇都宮則綱

    ○宇都宮委員 証人に伺いますが、委員会を構成するのに対しては、バラード大佐が、これとこれを委員にしたらよかろうと言うたというのですが、そうなると、これをしたらどうかういう相談はあつたにしても、向うから指名したことになるのではないかとわれわれには受け取られるのですが、この点はどうか。  さらに、巷間傳えるところでは、この兵器処理は、少くとも一千億以上のものがあつたであろう、こういうことを巷間では言うておるのであります。のみならず、先般あなたの御報告では、円の五、六億くらいのものであると言うたのではなかつたですか。金額はいくらであつたか、私はよく記憶にありませんが、速記録に出ておると思いますが、わずかの金額にしかなつておらないのであります。いやしくも國民の膏血によつてこさえたところの兵器が、わずか四、五人の者の相談によつて、これがもし損をしたり政府が補償するというようなばかげた話はあり得ないことだとわれわれは考える。この兵器処理委員がどういうことをしたかということは、今日問題になつておることを見ましても、きわめて明確なことではないかと思うのであります。しかし出発がアメリカの命令であつたとするならば、これは兵器処理調査を進める上において、もう一つ考え直さなければならぬ問題がここに殘つておるとわれわれは考えるのであります。この責任はアメリカ軍が負うべきものであるか。あなたのこの前の証言の、いわゆるバラード大佐の指名であり、機構はバラード大佐が大体においてつくつたような御説明をなされておるのでありまするが、そうなると、責任はアメリカ軍にあるのではないかとわれわれには考えられるのでありますが、この点責任はどちらが負うべきものであるか。委員会をつくつた機構は、この前のあなたの言われたようにバラード大佐が一々名指しをして、この五人でつくつたらどうかと言われたのが事実であるかどうかということを明確に証言していただきたい。
  97. 青木秀夫

    青木證人 五社の選定は、どうも私の記憶がはつきりいたしておりません。名簿で相談の上きまつたのか、御指名があつたのか、とにかく五つにきまつたことについて、バラード大佐の承認があつたことは事実でございます。  それから、委員会をつくつてやるということは、バラード大佐指図でございますから、この機構についてはバラード大佐の勧告と申しますか、勧奬に基いてやつた、こういうふうに私は解釈しておるのでございます。私は委員会制度というものがうまくいくかどうかということについて心配したということを、この前申し上げたいと思いますが、心配をいたしたのでありますが、アメリカでうまくいくことなら、日本でもうまくいかないことはなかろうというふうに考えたのでございます。  それから兵器の所在数量、見込数量が一千億以上あつたろうとかいうようなことにつきましては、実際は私はその当時わかつていなかつたと思います。また五、六億ぐらいだろうということは、申し上げたかどうか、数量は実際わからなかつたのでございます。これは兵器としての数量は、陸海軍から連合軍に御報告があつたわけでございますが、解体すべき兵器として日本に引渡されるのはどのくらいになるかというのは、見当がつかない。それを評價することも困難でありましたので、見込みがつかなかつたのでございます。これはたいへん見透しのつかない話でございますが、実際はそういうことの見当は、その当時はつかないのが事実でございます。
  98. 宇都宮則綱

    ○宇都宮委員 問題の重点は、バラード大佐がいわゆる五社、これとこれにしろと言つたのが事実か、あるいは五社はだれが大体において推薦をして、いわゆる五社というものが委員会をつくつたのか、委員会制度をぼくら言うのではない。委員会制度をつくつたらよいとか、アメリカでもやつておるとか、それはやつておるでしよう。一向悪いというのではない。けれどもバラード大佐が、これとこれとこれと言つたということは、とりも直さず指名に等しいのであるが、それを事実言うたかどうかということをお尋ねしておる。それはこの前のあなたの速記には、これと、これと、これはどうだというバラード大佐の御指示があつたと言つておるのだが、それがこの問題を一番重大ならしめることであつて、これとこれはどうかということになれば、これは指名に等しいものになるけれども、この五社というものはだれが選定をしたのか、だれが推薦をしたのかということをお尋ねしておる。
  99. 青木秀夫

    青木證人 私の記憶がはつきりいたしておりませんので、バラードの方から指図をしたというか、こちらから申し上げたか、どうもその点がはつきりいたしておりませんので、ほかの方に念を押していただいた方がはつきりするだろうと思うのでございます。
  100. 宇都宮則綱

    ○宇都宮委員 そのほかの方というのはどなたですか。だれが一番よく知つておるか、その人をひとつおつしやつてください。
  101. 青木秀夫

    青木證人 これは商工省関係の方と、小松氏がやはり詳しいと思います。     〔「商工省のだれか、名を言つてもらわぬとわからぬ」と呼ぶ者あり〕
  102. 青木秀夫

    青木證人 商工省はその当時だれでありましたか、はつきりした記憶は……。
  103. 武藤運十郎

    武藤委員長 職名は。何部長とか、何課長とか……。
  104. 青木秀夫

    青木證人 総務部でございましたか、整理部でございますか……。
  105. 武藤運十郎

    武藤委員長 商工省の……。
  106. 青木秀夫

    青木證人 総務部でありましたか、あるいは整理部というのがありましたか、はつきりいたしませんが、そのとき菅波君か何か関係しておつたかと思いますが、大体そういうところじやないかと思います。
  107. 荊木一久

    荊木委員 ちよつと証人に一つ氣持の上で伺つておきたいと思う。きようの証人証言を伺いまして、前の委員長小松隆氏の証言とあなたの証言と合わせまして、いかにもバラードの——しかも今のG・H・Qとは違いまして、おそらく当時は大分氣分が違つていたと思います。サゼツシヨンでなく、ほとんど命令できておつたと思います。從つてやむを得ずこういう委員会をつくつたという印象をもつたのであります。おそらく証人も前回言われた氣持はそういうものだと私は聞き及んだのであります。  そこで伺いたいのですが、小松証人証言が與えました印象は、委員長委員会が構成されるときまるのですけれども、小松氏の証言によると、あらかじめ委員長はお前だ、あと四人はだれだれをきめてこいといつたくらいに、バラードと親しいから、そういう指示を受けた、そういう記憶が私には殘つておる。そこで疑いをもつのだが、当時日本鋼管の小松氏はバラード大佐と非常に懇意であつたかもしらんが、相当政治力を発揮して、あなた方が頭から押えられたような感じがするのだが、どうか。この点は委員会が職権をもつて、五社をこつちできめたのか、これとも小松がもつてきたのをうのみにしたのか、当時の経過をよく胸に手を当てて、どうしてこの五社をきめられたか、小松氏が突つ込んできてしかたがなかつたのですか、そこを経過的に伺いたい。
  108. 青木秀夫

    青木證人 小松氏とバラード氏との関係でございますが、実は私が初めてこの兵器処理につきましてバラード氏のところへ呼び出されたときには小松氏が來ておられました。それから委員長には小松氏がなるんだというようなことは、私はバラード氏から聽いておりません。しかし小松氏が中心になるであろうということは、当時産業團体連合会でございますか、渉外部長をされておりまして、アメリカとの折衝が非常に緊密でございましたから、その間の事情は詳しく小松氏が知つておられたと思うのであります。小松氏から五社の選定について内務省が直接押えつけられたという印象はないと思いますが、その点ははつきりいたしません。バラード氏と小松氏とは非常に親しくされておつたという印象は受けておりましたが、五社の選定について小松氏から私の方が少くとも押えつけられたということはないと思います。私の方はどつちかと申せば、商工省と相談をするという形でございますから、また直接私は商工省とは交渉いたしませんが、小松氏の使いの者が交渉しておつたのでございます。小松氏が初めから委員長になるということを予定しておつたかどうか私は存じませんが、小松さんがそういうふうに言うならば、それはほんとうだろうと思います。
  109. 鍛冶良作

    鍛冶委員 私があなたに聽いたのは、二十一年の五月十六日が契約の日附だから、その契約を基にして前回から聽いておりますが、実際においてこの委員会を設けることになり、事実上兵器処理に当つたという時期はいつごろでしたか、御承知ですか。
  110. 青木秀夫

    青木證人 これはなるべく早く引取つて処理しろというので、何遍か催促を受けておるのであります。しかし思うようにたくさん処理ができないので、何遍か催促を受けておるのでありまして、最も盛んに引取られるようになつたのは、聽かれても今ちよつと記憶にありません。
  111. 鍛冶良作

    鍛冶委員 私の言うのは、委員会をおつくりになつたとき、それが一番に聽きたい。いつごろであつたか。委員会をつくるようになつたとき、委員会ができたとき。あなたにわかるなら伺いたい。
  112. 青木秀夫

    青木證人 二十年の十月末ごろだつたかと思います。
  113. 鍛冶良作

    鍛冶委員 それは委員会のできたときですね。それから事実上兵器処理が始まつたときは、何か御承知ありませんか。
  114. 青木秀夫

    青木證人 これは引渡しのある都度やるわけでございますから、事実上はそれからもう間もなく、部分的ではありましようが、始つておるだろうと思います。
  115. 鍛冶良作

    鍛冶委員 そうすると当時の内務省のほんとうの責任者調査部長つたのですね。あなたではなく、大島さんだつたのでしよう。
  116. 青木秀夫

    青木證人 調査部長は大島さんでございました。私はその輔佐の仕事をしておつたというかつこうでございます。
  117. 鍛冶良作

    鍛冶委員 そうすると今言う商工省との交渉であるとか、バラード大佐の承認を得るということはあなたは輔佐であつて責任者は大島さんなんですね。あなたはいつも輔佐しておつて、全部を知つておられるのはあなたよりは大島さんがよく知つておるのではないかと思いますが、いかがですか。
  118. 青木秀夫

    青木證人 これは事実の問題で、だれが一番よく知つておるかということになるとむずかしいと思いますが、私も当時交渉にあたりましたし、実際に詳しく頻繁に交渉せられたのは調査部の第二課長があたつておるわけでございますが、私も知らぬというわけではございませんし、大島さんも知らぬわけではなかつたのでございます。
  119. 鍛冶良作

    鍛冶委員 そうすると、第二課長というのは何という方で、今どこにおりますか。大島さんは現在どこに勧めておるか、その点を伺つておきます。
  120. 青木秀夫

    青木證人 大島さんは國民生活連盟というのにおられます。第二課長は玉置という人ですが、それは商工省出身で、多分今は香川縣に勧めておられると思います。
  121. 鍛冶良作

    鍛冶委員 燃料局長とは違いますね。
  122. 青木秀夫

    青木證人 違います。
  123. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そうすると調査部は終戰時の十月二十七日かに臨時設置になつたのでしよう。その調査部の内部規則では、内務大臣が特に與えた任務と、それから國内の調査に関する事項という二項目か何かになつておるのですが、実際は終戰物資の処理問題調査部の任務になつてつたわけですか、内務大臣から與えられておつた任務というのはどうなんですか。
  124. 青木秀夫

    青木證人 返還物資の処理というのがおもな仕事でございました。
  125. 梶川靜雄

    ○梶川委員 返還物資の処理というと、やはりこの二項のその他特に内務大臣の指定する事項というので、その都度内務大臣が指定したわけですか、そこはどうですか。これによりますと、内務省調査部臨時設置規定というので、内務大臣官房に調査部を置く、調査部においては所管行政の調査に関する事項と、その他特に内務大臣の指定する事項となつておるわけでありますが、そうすると、返還物資の処理ということは、その他特に内務大臣の指定する事項に該当すると思うのです。そうすると、その都度内務大臣が指定したものであるかどうかということが問題になると思います。
  126. 青木秀夫

    青木證人 それは調査部長に包括的に返還物資のことをやれというふうに、あるいは内務大臣からお話があつたか、内務次官から話があつたか、その設立の当時のことはよく知りませんが、言われたことだろうと思います。それに附随いたしまして、分課規程というのが多分つくられたと思います。そこで各課の仕事でどういう分担をやるかということがきめられますから、それで仕事の内容がきまつてくるわけだと思います。
  127. 梶川靜雄

    ○梶川委員 初代はやはり大島さんですか。
  128. 青木秀夫

    青木證人 初代部長は大島さんでございました。
  129. 梶川靜雄

    ○梶川委員 わかりました。
  130. 鍛冶良作

    鍛冶委員 もう一つお聽きします。契約するまでですね。契約担当方委任の件というのが二月十三日、これは大臣が消してあるが、次官の印までもらつておりますが、それからいわゆる上司の決裁を得ておられるのですか。これはあなたの方でこれによつて調査部長へ委任せられたものかどうか。あとは決裁を得られぬで、あなただけでやられた、こう解釈してよいと思うのでありますが、その点はいかがですか。
  131. 青木秀夫

    青木證人 それでいいわけだろうと私は解釈いたします。
  132. 鍛冶良作

    鍛冶委員 よろしゆうございます。
  133. 武藤運十郎

    武藤委員長 では済みました。
  134. 武藤運十郎

    武藤委員長 飯沼一省さんですか。
  135. 飯沼一省

    飯沼證人 そうです。
  136. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは内務次官をなされたことがありますか。
  137. 飯沼一省

    飯沼證人 あります。
  138. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまででございますか。
  139. 飯沼一省

    飯沼證人 昭和二十一年五月二十四日から二十二年の二月四日までであります。
  140. 武藤運十郎

    武藤委員長 昭和二十一年五月二十四日から二十二年の二月四日まで御在職でしたね。当時の大臣は。
  141. 飯沼一省

    飯沼證人 大村清一
  142. 武藤運十郎

    武藤委員長 ずつと大村さんですか。
  143. 飯沼一省

    飯沼證人 そうです。
  144. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが在職せられておる当時に兵器処理問題ですね。これが兵器処理委員会というものによつて行われておるのでありますけれども、当時内務省でも監督の立場にあつたと思うのです。何かあなたはこの兵器処理問題について関知せられたことがありますか。
  145. 飯沼一省

    飯沼證人 兵器処理問題につきましては、今ほとんど記憶に何もありません。
  146. 武藤運十郎

    武藤委員長 御記憶はないのですか。全然御関係はなかつたのですね。
  147. 飯沼一省

    飯沼證人 内務省としてはむろん関係があるのでしようけれども、特別に次官のところまで出て、これをきめなければならぬという問題は何もなかつたと思います。
  148. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお訊ねがありますか。
  149. 梶川靜雄

    ○梶川委員 証人にちよつとお伺いしますが、証人が次官になられたのは昭和二十一年の五月の二十四日ですか。そうしますとそのときに、証人が内務次官をやつておられたすぐその下の調査部長の就任の直前において、調査部長の名において日本の兵器関係一切に関する兵器処理委員会という民間委員会との間に代行機関としての契約が結ばれたことは御存じですね。
  150. 飯沼一省

    飯沼證人 その当時の引継ぎの書類などに連合軍側から引渡された資材でありますとか、補給金というようなものの処理のしかたについての話は当時聞いておつたはずであります。しかし兵器処理委員会というものがどういう組織になつているかということは、実は詳しく聞いておらなかつたように思います。あまり今記憶に存しておりません。
  151. 梶川靜雄

    ○梶川委員 兵器処理委員会がどういう組織になつてつたかということは聞いておらぬと言われますが、事務引継ぎのときに内務省調査部長と、それから委員会との間にこういう契約があつた。しかも兵器その他特殊物件処理関係については、調査部仕事になつているのだということは御存じだつたのですね。
  152. 飯沼一省

    飯沼證人 それはむろん知つております。
  153. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そうするとその実施についてはあなたは御監督の地位におられたわけですね。
  154. 飯沼一省

    飯沼證人 むろん責任はあります。
  155. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そうしますと、その兵器処理の関係についてその後どういうぐおいになつたかということを一体査察されたことがありますか。
  156. 飯沼一省

    飯沼證人 査察ですか。
  157. 梶川靜雄

    ○梶川委員 査察というか、事情を聽取されたことがありますか。どういうふうにそれがその後進んでいつたかということを……。
  158. 飯沼一省

    飯沼證人 特別にそのことを調べたことはありません。
  159. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それはちよつとおかしいですね。これだけ厖大な物資がもうその当時すでにこれらの問題をめぐつて、特に特殊物件あたりでぽつぽつ問題が起りかけたということは、あなたは御存じだつたと思うのですよ。いやしくも内務次官として全國を見渡しておられて、当時軍からもらつた莫大な物資の処理調査部が一任せられておつた。これは内務省としても相当大きな問題と思うのですよ。事実各府縣においても、それの処理についていろいろとお伺いなり、何かきたのではないかと思うのですが、そうしますればそれについてあなたが何も知られなかつた、あるいは大した報告も受けなかつた、それをのほほんで済まされたということは、ちよつとわれわれとして考えられないのですが……。
  160. 飯沼一省

    飯沼證人 いや、のほほんで済ましたということはどうも意味がわかりませんが、責任は私にあるということは申し上げた通りです。ただ私のところに出てきた書類もなく、おそらく記憶にも存しません。とにかく問題なしに進行しているものと一應は思つておりました。
  161. 梶川靜雄

    ○梶川委員 ばかげた話ですな。しかしあなたはそれに対して、報告がなかつたが、自分の方からどうなつているか聽き質そうとはしなかつたのですか。
  162. 飯沼一省

    飯沼證人 どうなつておるか、しかし問題があるということを私は何もその当時耳にもしませんでしたし、話も聽かなかつた。そうだとすれば、何か特別にこの問題はどうかと言つて聽くこともできぬわけです。
  163. 梶川靜雄

    ○梶川委員 あなたが在任中一遍も報告がなかつたのですか。
  164. 飯沼一省

    飯沼證人 何もありません。問題があるという話は何も私は聞きません。
  165. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それは非常に正しく公平に國民の利益を増進するような方向に全部進んでおつた、そういうふうに御解釈になつてつたわけですね。
  166. 飯沼一省

    飯沼證人 そういうふうに考えておりました。
  167. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それでは終ります。
  168. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。——それでは済みました。御苦労さまでした。     —————————————
  169. 武藤運十郎

    武藤委員長 たいへんお待たせいたしました。では大村さんに伺います。あなたはいつからいつまで内務大臣をなさいましたか。
  170. 大村清一

    大村證人 二十一年五月二十二日から二十二年の一月三十一日までであつたと思います。
  171. 武藤運十郎

    武藤委員長 その前に次官をしておられましたか。
  172. 大村清一

    大村證人 ええ、次官をしておりました。
  173. 武藤運十郎

    武藤委員長 次官はいつからいつまでです。
  174. 大村清一

    大村證人 次官は二十一年の一月十五日から、前に申しました、大臣になつた五月二十二日、それまでだと思います。
  175. 武藤運十郎

    武藤委員長 大臣に昇格されたような形になつたわけですね。
  176. 大村清一

    大村證人 ええ、そうでございます。
  177. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこであなたが次官または大臣でおられたころに、兵器処理問題ですね、これは御承知通り、終戰後の日本軍の兵器を一旦連合軍が接收をいたしまして、それを日本政府返還をしたわけなんでありますが、その返還を受けた兵器処理について、どういう方針で処理がなされたか、御記憶のあるところをひとつ述べていただきたい。
  178. 大村清一

    大村證人 昨日の新聞に、当委員会に私が喚問される、そのうちには兵器処理問題、特に兵器処理契約というような点もお尋ねがあるという記事を見ましたので、いろいろ考えてみたのですが、兵器処理契約については、どうもはつきりどういうことがあつた記憶がございませんから、ひとつ青木君に会つて話してみたらだんだん記憶を喚び起す点もあるのではないかと思いまして、青木君とも話してみたのです。ところがたまたま青木君が、活版印刷にしております兵器拂下契約という書類を持つておりまして、それを見たのですが、それを見ましてもはつきりした処理契約の経過を思い起すことができないのであります。しかしあの程度の書類でありますと、当時私は次官をやつてつたはずでありまして、あの書類には多分判を押しておるだろうと私は考えた。それから今お尋ねになりました一般的のことですが、兵器処理につきましては、私は二十一年の一月十五日に文部次官から内務次官にかわつたのでありますが、それ以前の前任者におきましてだんだん段取りができてきた仕事を継続したというように思うのであります。これは私が扱つたのでなく、前任者のやつたことでありますが、当時のことを考えてみますと、ただいまお話のありましたように、連合軍から兵器日本政府に引渡す。その引渡された兵器をどこで処理するかという問題につきましては、何分多種多樣なもの、分量が多い、全國に散在しておるというようなことから、これは内務省、府縣廳という一体の組織によつて引受けるのが全般的処理ができるというところで、内務省にしたもののように説明を聽いておるのであります。そうして内務省がこれを一手に引受けましても、物の内容から申しますと、これをいかに処理するか、殊にまたこれをいかに活用するかというような点につきましては知識と経驗が乏しいものですから、そこで兵器処理委員会——これは私は記憶しておりませんが、青木君に聽きますと、兵器処理委員会と並んで特別委員というものもできて、そこにおいて兵器の実際上の処理並びに活用についての評議をすることになつておる。そうして全般的の引継ぎ、引渡し等の事務内務省がその責任をとりまして、もちろん地方廳も監督するという立場にある。なおまた一面物の処理問題につきましては、商工省が監督の立場にあるということでやつてきたというように考えております。その仕事は二十年の暮ごろから起つたものと思うのですが、私が就任しました以後だんだんに仕事が進んでまいりまして、きのう見ました拂下契約というようなものは、だんだんこの関係をはつきりさせておかなければならぬというような段階に達しましたので、そこであの契約が取結ばれるようになつたと思うのであります。この契約につきましては、あたりまえから申しますならば、内務省の機構から言えば会計課長が契約の担当の責任に当るべきものだと思うのでありますが、特殊性から見まして、特にあれは契約担当者を調査部長にいたしたのであります。それは多分私の時代にあつたことと思います。それからあの契約をしますにつきましては代金の支拂が延拂になりまして、後日になるというような点は内務省限りでは処理のできない事項でありますので大藏省とも協議をした。それらの点をかれこれ考え合せてみますと、あの契約はたしか五月十六日という日附になつてつたと思いますが、十六日以前相当の日数をかけてそれらの準備をし、その準備が整いました上で次官のあるいは大臣も判を押しておつたと思いますが、決裁を受けて、そして十六日の日附で契約になつたというように思つております。もしこの原議を見ることができましたならば、さらにそれを見ました上で、自分記憶を呼び起すようなことがあろうと思います。大体の点はただいま申し上げますような点であります。  なおその後のことでありますが、私はその後も翌年の一月三十一日まで在任しておつたのでありますが、兵器処理問題について特段にいろいろの打合せをしたとか、報告を聽いたとかいうようなことは、どうも記憶にないのであります。殊に私は次官在任中におきましては、一週間に一度部局長会議というものを開きまして、大体主要事件の話合はしておつたのでありますが、部局長会議におきまして、この兵器処理問題が特に話が出たというような点につきましては、今日記憶をいたしておりません。あるいはあつたかも存じませんが、十分記憶はしておりません。  それからなお記憶をたどりますと、当時たびたび議会がありまして、次官として、あるいは大臣として議会で説明を求められることがあるであろうというので、内務省では慣例的に議会の資料として当面のおもな問題を集めておつたのでありますが、私の記憶によりますと、兵器処理の進捗の程度というような問題につきましては、その説明資料を整えると同時に、内容についてこの進捗度の説明を受けたというような記憶はあるのでありまして、何回そういうことがありましたか、はつきりいたしませんが、たびたび議会がありましたからその文書によりまして兵器処理の大体のことを聽く機会は、三、四回はあつたのではないかと考えております。
  179. 武藤運十郎

    武藤委員長 お手もとに今差上げました書類をごらんください。——そこに昭和二十一年二月四日起案の大藏大臣あて兵器処理委員会に拂下ぐる廃兵器賣渡、廃兵器賣拂代金延納に関する件及び同年二月十三日附起案の契約担当方委任の件という両文書にあなたの決裁印があります。なお昭和二十一年五月十六日附内務省調査部長兵器処理委員会との間に締結せられました兵器拂下契約について大臣または次官として決裁なさつたことがありますかどうか。それを伺いましよう。
  180. 大村清一

    大村證人 これは先に申し上げましたが、ちよつと記憶に明らかでないのでありますが、どうも事の性質上契約担当方委任の件のときに、契約を見ておつて判を押したかも存じません。こちらの兵器拂下契約書そのものについて決裁したかどうかということについては記憶がありません。
  181. 武藤運十郎

    武藤委員長 決裁をなさる場合には契約書にも判を押すのでございますか。
  182. 大村清一

    大村證人 そんなことはございません。
  183. 武藤運十郎

    武藤委員長 見てそのままでもよいのですか。
  184. 大村清一

    大村證人 契約書をやる場合には、別紙契約書の通り契約締結してよろしいかというようなことで決裁を受けるのが普通ですが、これで見ますと契約担当方委任の件ということになつております。契約担当を見ないではできぬから、あるいはその時分に契約案は見たかも存じません。
  185. 武藤運十郎

    武藤委員長 その内容については御記憶ございませんか。
  186. 大村清一

    大村證人 どうも記憶がないのでございます。これもここでお尋ねになる中心点のように思うのですから、青木君とも話し合つてだんだん記憶の喚起に努めたのですが、いずれにしてもどうもはつきりいたしません。
  187. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは内務次官または大臣として在職中、兵器処理についてどういう監督をなさいましたか。
  188. 大村清一

    大村證人 これは今申しますように、この五月の時期ぐらいにだんだん仕事が進んできたことと思うのでありますが、しかし実質の内容につきましては、兵器処理委員会及び商工省の指揮によつて、話が進んでいるものと考えておつたわけであります。そうして仕事の進行状況につきましては、先ほども申し上げましたように、議会の方の資料を整えるというような機会に数回聽いておりました。特殊事項についてはあれば何かの報告があるはずでありますが、そのような報告があつた、相談があつたというようなことにつきましては、どうも記憶にないのであります。それから仕事の内容から申しますと、内務省責任は持つておりますが、物はすべて連合軍から引渡しを受けるといたしましても、府縣廳で引渡しを受ける。おそらくはその場合におきまして府縣廳が引渡す場合においては、代行機関の者が立会つて共同で処理をしているというようなことになつていると思うのであります。そういう次第でありますから、別段私どもの在任中におきまして事故がある、あるいは特殊のことがあるというようなことの報告なり、問題を審議したようなことは、どうも私の記憶にないのであります。
  189. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから当時連合軍の方では、この兵器処理につきましては、バラードという大佐が所管をされておつたらしいのでありますが、これは第八軍の何か課長をしておられたらしい。この人からいろいろ指示のようなものがあつて、民間の会社で五社ばかり選びまして兵器処理委員会というものをつくつて、それに兵器処理を一任させるというような指図があつたらしいのですけれども、そういうことについてよほど強い指図があつてそういうものができたものか、命令的なものがあつてできたものか、あるいは一應の指示はあつても、あと日本政府考えで大体固めたものか、そういうことについて当時何かお聽きになつておりませんか。
  190. 大村清一

    大村證人 私は次官のときであつたと思いますが、バラード氏には一度会つたことがあります。しかしこの兵器処理につきましては五社を選定したようなことはすべて前任者時代のことであろうと思うのであります。私は二十一年一月十五日に文部次官から送つたのでありまして、五社を選定したというようなことはその前に年内に行われたものと思うのであります。別段ただいまお尋ねになつたようなことにつきましては、何らの知識をもつていないように思うのでございます。記憶はございません。それからバラード氏に会いましたのは、内務省としましては兵器処理以外に廣く特殊物件処理もいたしており、また兵器処理もしておるというようなことで、たびたび調査部を通して向うと接触がありましたので、一度会食をして懇談をしたらというので、次官在任中であつたと思いますが、一回会食をともにした記憶があります。しかしこの席におきましてはもう五社の問題等はとつくにきまつておることでありましたから、別にそれについての話はあつたように記憶しておりません。
  191. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになる方はありませんか。
  192. 梶川靜雄

    ○梶川委員 証人にお伺いします。まず第一番に、調査部長をして契約当事者にならしめたといういきさつは先ほどお伺いしましたからわかりますが、その場合の契約担当委任、これに対する書類を見ましても次官までの決裁で終つておるのですが、これはなぜ大臣の方に報告せられなかつたのですか。
  193. 大村清一

    大村證人 内務省の方におきましては、事の軽重によつて局長限り、次官限りあるいは大臣まで出すということが大体きまつておりまして、また多年の取扱例によりまして大体それと比例してやることになるのであります。その書類の中にありますように、これは乙と表示してありますから、これは係の者がその事件の内容を見まして乙という判を押しておるのであります。乙となりますとこれは次官まで決裁が済む扱いになつておる。その一般の取扱例によつたものと思います。
  194. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そうしますと、先ほどの証人の御証言では契約書の内容についても、その場合に了承したものと思うと言われるのですが、そうしますと大臣は知らなかつた、その契約内容を見なかつたということになりますか。こういう大きなものを契約にする場合に大臣が見ない、また大臣に報告しないはずはないと思う。官僚というものはあなたは長年やつておられるが、臆病ですから、必ずこういう大きい問題については上司に報告すると思うんですよ。
  195. 大村清一

    大村證人 どうもこの問題につきましては、多分大臣は契約書を見ていなかつたのではないかと思います。見ておれば必ず大臣の判があるはずですから、この書類契約そのものは大臣が見ていなかつたのではなかろうかと思います。
  196. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そうすると、その契約の内容に対する政府側における最高責任者は、当時の内務次官であつたあなたということに了解してよろしゆございますか。
  197. 大村清一

    大村證人 ここは私の記憶に明らかでないところであります。契約担当方を委任する件については、ただいまのお話のようにこれは確かに私は見ておりますが、後の方の契約を私が見たかどうかということは、どうも記憶にありませんし、またこの書面から見ますと、どうも見ていないように存じます。しかしその辺は記憶にありません。この契約をする場合に、この契約をしてよろしいという最後の決裁を次官がしたかどうかという記憶はございませんし、書類の上ではその証跡はないのでございます。
  198. 梶川靜雄

    ○梶川委員 わかりました。しかし委任したときにあなたが白紙委任をされるはずはないでしよう。調査部長に対してどうな契約をしてもいいという白紙委任をされるわけはない。臆病な官僚が、特に責任を轉嫁しがちであるところの内務官僚の最高峰までいかれたあなたが、日本全國の兵器を無償で代行機関に渡すというようなでたらめな契約をやりかけておる者に、白紙委任をされるはずはないと思う。必ず見ておられると思う。暑さの折でもありましようが、ひとつ思い出していただけませんか。
  199. 大村清一

    大村證人 これは先にもちよつと一般的のときに申し上げましたが、兵器の処置につきましてはずつと継続的に手続をきめてきたと思うのですが、ここの書類にございますように、兵器処理委員会に拂下ぐべき廃兵器賣拂代金延納に関する件、このときに大体の処理方針をこういうぐあいにきめまして、次官、大臣の決裁を経て大藏大臣に協議をしておるということから、この契約の内容等も私想像しますに、その当時から大体の輪廓はきまつてつたと思う。これはそういう前提がありませんと大藏大臣にこういう協議をするわけにいかぬだろうと思う。
  200. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そこで私のお伺いしたいのは、そういうふうにきまつてつたということならば、当然にそういう莫大なものを前任者から引継がれた前任者の名前を後で一緒にお伺いしたいと思う。だからその契約の内容なり、今までの経過を当然あなたは事務引継ぎをやられたと思うのですが、これはどうですか。
  201. 大村清一

    大村證人 これもたくさんの内容がございますから、当時の引継ぎに確かにその引継ぎがあつたかどうかは記憶しておりませんが、この事務引継ぎは書面によつてつておりますから、これで調査してみればどの程度の引継ぎを受けておつたということもわかりますし、また記憶を喚起する点もあろうと思います。内務省はなくなりましたが、どこかにそれはあるだろうと思います。
  202. 梶川靜雄

    ○梶川委員 あなたが書面事務引継ぎをやられた。しかもその後において契約担当の委任の件を裁決しておられる。そういうことになれば、その契約の内容が以前からその輪廓がわかつてつたとしましても、そのときに尋ねておられると思う。以前から輪廓のきまつてつたものを、ただそのときに契約担当委任の件について判を押すということは通らないと思う。それはあなたがそこのところの責任を回避せられるのであると思う。そうでなかつたらそういうことは出てこないと思う。前の書類によつて引継ぎをやつておられても、いざ判を押すときになればあなたは見ておられるし、またその輪廓も聽いておられるか、もしくは書類を見ておられるはずである。その点はどうですか。
  203. 大村清一

    大村證人 私も多分見ておるのではなかろうかと思うのですが、記憶がはつきりいたしません。
  204. 梶川靜雄

    ○梶川委員 次に五月十六日に正式に契約がなつておるわけですが、あなたの先ほどのお話によりますと、五月ごろに仕事が進んできたから契約を結んだのだろうという推察ですが、それでごらんになるように、あなた方の方で契約のことを公文書として決裁をしておられるのは二月四日の代金延納の件と二月十三日の担当委任の件だと思うのです。そうするとその間あなたの先ほど言われたことは五月ころに仕事がどんどん進んできたからやつたのではなくて、この当時からすでに契約をすることがきまつてつたのが、そこまで延びたということになるのではないのですか。
  205. 大村清一

    大村證人 そうだと思います。私の先に申し上げましたのは、五月ということを強く申し上げたとすれば誤りでございます。これは二月ごろになつてはつきりした契約をしなければならないという必要が生じてきておつた。そのころから起つて來た問題だと思います。
  206. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それからあなたは五月十六日になつたのですが、これはちようど内閣が総辞職して次の内閣ができる、つまりあなたが次官から大臣にうなぎ登りに登られるかどうかという瀬戸ぎわのときなのですが、そのときに契約締結されたのですよ。だから事実上の大臣はあなただつたのです。当時の事情はあなたが一番よく知つておると思う。おそらくあなたに当時こういう内容できよう判を捺すというあれがあつただろうと思います。そういうでたらめな契約というものは、われわれが考えてみてもあるはずがない。だからいくらあなたが内務官僚としてこういう仕事には疎かつたのだからと言われても、その契約の内容を見れば素人でもわかると思うのです。いかにこれが業者に有利な契約であるかということが——言い換えれば日本國民にいかに不利な契約であり、内務官僚が日本國民の代表として結ばれる契約にしては、あまりにも欺瞞的な契約なのです。それくらいのことは内務官僚を長く勤められたあなたにわからないはずはないと思う。当然相談を受けておられると思いますが、その点どうですか。
  207. 大村清一

    大村證人 いかにも五月六十日というのは、当時の三土内務大臣は幣原内閣の総辞職とともに辞表を出されておつたころだと思います。次の内閣が成立しましたのが五月二十二日ですからその一箇月ぐらい前からやめられる氣持になつてつた。私は三土さんが就任されるときに内務省で内務次官になつた。そうして内務省の大体の慣例から申しますれば、大臣と行をともにするという慣例ですから、私は内務次官はやめるという氣持でおつたときだと思います。從いましてその当時は私が内務大臣の仕事を專行するというような心境にはいなかつた。さらにただいまのお尋ねの点でありますが、これはこの書類をここで見たことでありますが、一月二十六日商工省整理部長から内務省調査部長殿という題で來ております照会文からみましても、兵器拂下契約の内容とだんだん一致しておる点があるのであります。こういう点から見ましてもこの問題は單に内務省が單独でやるのでなく、兵器処理委員会及び商工省の方と打合わせた上でこの契約の内容ができたものと私はここでそういうふいに思うのであります。
  208. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それはわかるのです。そのあなたの方から、あなたが次官、三土さんが大臣のときに、これは特に代金関係の問題がありますから大藏大臣あてに——当時の大藏大臣は澁澤さんだと思います。幣原内閣のときですから、大藏大臣あてにやるというからには、下の一部長、一商工省部長関係とあるいは内務省調査部長、課長関係でお互いに話合つたものとは思われない。從つてこれは大藏省にも関係あり、商工省にも関係あり、しかも全國の現物を押えているのは内務省だという関係で、内務省が中心になつて進められた。しかも國家的な、言い換えれば政府一丸となつて契約なのです。そうすればあなたがそれを知らなかつたということもないし、さらにまたあなたは次官であり、後に大臣になられたのですが、当時の大臣は三土さんで、三土さんに見込まれた事実上あなたが実質大臣としてなられたということは、われわれ当時新聞で知つてつたわけです。從つて当時の実質的な責任者としてあなたが知らぬというはずがないし、また記憶がないということは、私はどうにも納得がいかないのです。だから商工省の方できめたのだろうと言われますけれども、それは内務省と相談の上できめたことでありそのことは当然あなたに御報告があつたと思う。大藏省に対する大藏大臣あての文書によつても、これは大臣まで決裁しておられる。それを知らなかつた、知らなかつたでは逃げられないと思う。
  209. 大村清一

    大村證人 いや、その点はたただいま申しましたように、はつきりした記憶がない。そうしてこの経過から見ますれば、商工省の整理部長、一月二十六日付から五月十六日付の契約に至る点をちよつとここで拜見しますと、大体ずつと一貫した方針でこれが進んできたもののごとく考える。そこであるいは調査部長契約を担当させるというこの書類に私が判を押す時分には、契約の内容をあるいは見ているかもしれません。そこは記憶がありません。
  210. 梶川靜雄

    ○梶川委員 先ほど現物の問題について委員長からお尋ねになつた場合に、あなたは府縣で現地でやつたことで、よくわからないと言つておられますが、当時の府縣廳というのは、今の公選時代と違つて、内務次官、内務省の局長以上になればひと睨みで全國に睨みがきかされた。知事以下、課長、一事務官、属官に至るまで、あなたの直接の隷下だつたんですよ。それが現地でやつたことで関係ないと言うのは、現在なら言えるかもしらんが、当時としてはそういうことは言えないと思う。だから、内務省で担当したように思うというのは、各府縣に一番よく睨みがきくから、また手足を持つているから内務省でやつたことであり、現地に実際品物もあるし、しかもそれに対する指揮命令もよくいくというような関係でやつたものと思うそれを現地のことだからわからないと言うのはあまりに無責任だと思う。そういう厖大な物資を、特殊物件にしても兵器問題にしても、そういう大きなものを任された内務省次官という最高責任者におられるあなたが、各府縣でやつたことだから知らない、後ほどにこれだけ大きな問題が起つたその当時の責任者として私は知らない、知らないでは通らないと思う。
  211. 大村清一

    大村證人 ただいまの点は、いかにも内務省の監督下にある府縣廳が、私の申し上げましたのは現実に扱つたのは府縣廳が扱つたろうと申し上げた。
  212. 梶川靜雄

    ○梶川委員 その報告を受けたんでしよう。
  213. 大村清一

    大村證人 報告は時々刻々あつたと思う。書類調べてみればわかると思いますが、進捗状況も時期々々によつてだんだんに進捗がわかつていると思う。そういうような点は時々報告を受けておつた。そうして監督上の責任内務省が、私が当時内務次官をいたして、あるいは内務大臣をしておりまして、監督上の責任がないというようにも毛頭考えておりません。
  214. 梶川靜雄

    ○梶川委員 先ほどのあなたのお話では何も下からも報告を受けたこともないし、契約を結んだ以後においても大臣になられてからも受けたことがないし、またそのときにも何にも兵器問題について聞かなかつた、こう言われるのですが、そういうはずはないのでしよう。やはり報告はどんどん來てたのでしよう。
  215. 大村清一

    大村證人 それは先ほど申し上げたように、兵器処理に関して特殊の事項を、何か問題があるというようなことが部局長会議であつたようには記憶しておらぬ。それからその後も特別の報告を受けたように思わぬ。しかし事件処理の経過等については議会に説明するような事情もあるので、さきに申しましたように、三、四回にわたつて書面によつて説明も聽き、状況を徴したことがあることは申し上げた通りであります。
  216. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それではあなたの前任者というのはどなたで、さらにまたこの問題について、兵器処理委員会との契約のいきさつを一番よく知つておられると思われるのはどなたですか、これを御指名していただきたい。
  217. 大村清一

    大村證人 これは私の見るところでありますが、内務省のやつております仕事は、非常に当時廣汎でありまして、大臣、次官のところでは、あまり詳しい具体的なことはわからぬのじやないかと思うのであります。そうなりますと、青木君が調査部長になりましたのは、私が就任してからあとですが……。
  218. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それはわかつております。
  219. 大村清一

    大村證人 その前はたしか調査部長は大島君ではなかつたかと思います。私のときに調査部長になりました青木君は、当時大阪と東京に調査部の出張所でしたか、何かありまして、そこの長を青木君はしておりました。青木君も東京に在勤をして、商工省とも、あるいはバラード氏あたりとも接触があつたと思いますから、青木君も具体的なことを相当に知つておるのではなかろうかと思います。しかしこれは私の次官時代の経驗から申し上げるのでありますが、当時の大臣をしておりました堀切善兵衞氏、次官をしておりました坂千秋君もある程度……。
  220. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それはあなたの前任者になるのですか。
  221. 大村清一

    大村證人 そうです。その人が知つておると思います。殊に兵器処理の始まつたのは、多分堀切、坂両氏の在任中だと思います。それから大島君はいつのときから調査部長をやつておりましたか、その点は私は詳しくありませんが、もし坂、堀切時代にずつとおつたものでありますれば、大島君が具体的なことは一番詳しいだろうと思います。そういうように考えております。
  222. 梶川靜雄

    ○梶川委員 これは大臣の決裁を得て大藏大臣あてにやつておられるとすれば、向うも大藏大臣の決裁を得てやつておると思います。また商工省も同様なことが言えるのではないかと思います。そうすればこれはあなたがまだ大臣でないときですが、大体閣議でもこれは了承せられたものと見て差支えないですか、どうですか。
  223. 大村清一

    大村證人 もし閣議に正式に出したものでありますならば、書面の上に殘つておるはずです。
  224. 梶川靜雄

    ○梶川委員 内務省の方へ……。
  225. 大村清一

    大村證人 内務省内閣官房にあるはずであります。閣議で了承しましたことはすべてサインをします。あるいはこれが出ていないのではないかと思いますが、もし出ておれば書類によつて確かめることができると思います。
  226. 梶川靜雄

    ○梶川委員 そこで今の書類で見ればおわかりのように、大臣の決裁はあるけれども、大体においてあなたの契約の担当の問題については、あなたの決裁で終つている、しかも大臣は亡くなつておられるということになれば、その当時のでたらめな契約を結んだ監督責任者は、あなたというふうに了承し、あなたもその責任を負われる覚悟でおられるわけですね。これはわれわれ國民として明かにしなければならぬと思うのです。昔の証文の判ですけれども、やはり今も責任をとつてもらわなければいかぬと思うのです。
  227. 大村清一

    大村證人 契約が原因であればそういうことになりましようが……。
  228. 梶川靜雄

    ○梶川委員 私は契約が原因であると思う。そういうでたらめな契約を結んだがために、いろいろな事件が派生しておるとすれば、その最高の責任者責任を負うべきだと思う。もちろんこれは刑事的な問題じやないのですが、どういう形容詞がつくか知りませんけれども、その責任は負われるのですね。
  229. 大村清一

    大村證人 それはかならずしもそういう結論にはならぬと思います。それはこの契約によつて、從前から継続しております連帶保証人、これが多分この兵器処理委員会の構成メンバーだと思います。その方の人が、こういうような契約を結んで、その人が誠実にこれを履行しておられれば問題は起きなかつたのでありますが、もしそこに何らか誠実ならざるものがあるとすれば、責任はむしろそこにあるのであります。
  230. 梶川靜雄

    ○梶川委員 その連帶保証人というのは相手方の民間人であつて政府の物をなるべく余計ふんだくろうという相手方です。そういう盗人を相手に契約をやる場合に、契約当事者という相手方の甲というのは、その契約書を見ればわかるように、内務省調査部長です。乙というのがあとの五人の狸おやじばかりです。從つて甲というのが國民の利益代表です。これはわかりますか。(笑声)そこでその甲というものの犯した過失に対しては、その監督者であつたところのあなたが監督上の責を負わなければならぬと思うのですが、これはどうですか。その保証人というのはあなたじやない、相手方の民間人の五人です。
  231. 大村清一

    大村證人 その問題につきましては、もう少し事件の内容をよく考えてみなければ、ここでその責任はすべて私が負いますというところまで言うのは言い過ぎだと思います。もう少し考えてみなければわからぬと思います。
  232. 梶川靜雄

    ○梶川委員 これは押問答したくないのですが、当時のわれわれ國民の最高の責任者は、契約の当事者である、甲となつているところの内務省調査部長なんですよ、その調査部長に、お前が行つて判を捺してこいと言つて決裁された最高の責任者はあんたです、大臣までは行つていない。あんた自体が日本國民の最高責任者なんですよ。それが回避されるという手はないと思う。大体日本の官僚というものはそういうものですか。
  233. 大村清一

    大村證人 これは先にも申し上げましたように、前任者時代において兵器処理委員会をつくり、急速に兵器処理をしようということになつておりましたから、それを踏襲して、その線で処理していくというのが、あの場合の事態から当然であつたと思います。それで五人の連帶証人ができたということも、書類等で明瞭でありますように、ずつと前から引続きのものでありまして、それらの具体的な責任が、全部当時次官でありました私に帶するというようには、私は考えられぬと思います。但しそこに監督上何か具体的に手落があるといたしましたならば、その手落の責任を私は少しも回避するものではありません。
  234. 梶川靜雄

    ○梶川委員 もうこれで打切りますが、今のあなたのお話では、前から実質的に問題が続いてきた、だからわしの責任じやないというような言い分ですが、そうでなく、前から実質的に続いてきても、形式が備わつたのは、あなたが最高責任者の場合において、あなたの責任においてなされたということ。さらにその後の監督も、あなたが内務大臣という職におつてなさるべきものであつたということ。從つてあなたが次官として契約を許可されたときに形式が備わつたのでありますから、その形式の備わつた以後における問題、あるいはあなたが次官として実質的に物が運んできた間の問題、あるいはあなたが大臣となつて後、監督の立場になつたときの問題、これら一切の問題は、これは当然負わるべきものだと思います。以上で終ります。
  235. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。——それでは済みました、御苦労さまでした。  本日はこれにて散会します。     午後六時四十分散会