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大村證人 昨日の
新聞に、当
委員会に私が
喚問される、そのうちには
兵器処理の
問題、特に
兵器処理契約というような点も
お尋ねがあるという記事を見ましたので、いろいろ
考えてみたのですが、
兵器処理契約については、どうもはつきりどういうことがあ
つたか
記憶がございませんから、ひとつ
青木君に会
つて話してみたらだんだん
記憶を喚び起す点もあるのではないかと思いまして、
青木君とも話してみたのです。ところがたまたま
青木君が、活版印刷にしております
兵器拂下契約という
書類を持
つておりまして、それを見たのですが、それを見ましてもはつきりした
処理契約の経過を思い起すことができないのであります。しかしあの程度の
書類でありますと、当時私は次官をや
つてお
つたはずでありまして、あの
書類には多分判を押しておるだろうと私は
考えた。それから今
お尋ねになりました一般的のことですが、
兵器の
処理につきましては、私は二十一年の一月十五日に文部次官から内務次官にかわ
つたのでありますが、それ以前の前任者におきましてだんだん段取りができてきた
仕事を継続したというように思うのであります。これは私が扱
つたのでなく、前任者のや
つたことでありますが、当時のことを
考えてみますと、ただいま
お話のありましたように、
連合軍から
兵器を
日本政府に引渡す。その引渡された
兵器をどこで
処理するかという
問題につきましては、何分多種多樣なもの、分量が多い、全國に散在しておるというようなことから、これは
内務省、府縣廳という一体の組織によ
つて引受けるのが全般的
処理ができるというところで、
内務省にしたもののように説明を聽いておるのであります。そうして
内務省がこれを一手に引受けましても、物の内容から申しますと、これをいかに
処理するか、殊にまたこれをいかに活用するかというような点につきましては知識と経驗が乏しいものですから、そこで
兵器処理委員会——これは私は
記憶しておりませんが、
青木君に聽きますと、
兵器処理委員会と並んで特別
委員というものもできて、そこにおいて
兵器の実際上の
処理並びに活用についての評議をすることにな
つておる。そうして全般的の引継ぎ、引渡し等の
事務は
内務省がその
責任をとりまして、もちろん地方廳も監督するという
立場にある。なおまた一面物の
処理の
問題につきましては、
商工省が監督の
立場にあるということでや
つてきたというように
考えております。その
仕事は二十年の暮ごろから起
つたものと思うのですが、私が就任しました以後だんだんに
仕事が進んでまいりまして、きのう見ました
拂下契約というようなものは、だんだんこの関係をはつきりさせておかなければならぬというような段階に達しましたので、そこであの
契約が取結ばれるようにな
つたと思うのであります。この
契約につきましては、あたりまえから申しますならば、
内務省の機構から言えば会計課長が
契約の担当の
責任に当るべきものだと思うのでありますが、特殊性から見まして、特にあれは
契約担当者を
調査部長にいたしたのであります。それは多分私の
時代にあ
つたことと思います。それからあの
契約をしますにつきましては代金の支拂が延拂になりまして、後日になるというような点は
内務省限りでは
処理のできない
事項でありますので大藏省とも協議をした。それらの点をかれこれ
考え合せてみますと、あの
契約はたしか五月十六日という日附にな
つてお
つたと思いますが、十六日以前相当の日数をかけてそれらの準備をし、その準備が整いました上で次官のあるいは大臣も判を押してお
つたと思いますが、決裁を受けて、そして十六日の日附で
契約にな
つたというように
思つております。もしこの原議を見ることができましたならば、さらにそれを見ました上で、
自分の
記憶を呼び起すようなことがあろうと思います。大体の点はただいま申し上げますような点であります。
なおその後のことでありますが、私はその後も翌年の一月三十一日まで在任してお
つたのでありますが、
兵器処理の
問題について特段にいろいろの打合せをしたとか、
報告を聽いたとかいうようなことは、どうも
記憶にないのであります。殊に私は次官在任中におきましては、一週間に一度部局長
会議というものを開きまして、大体主要
事件の話合はしてお
つたのでありますが、部局長
会議におきまして、この
兵器処理問題が特に話が出たというような点につきましては、今日
記憶をいたしておりません。あるいはあ
つたかも存じませんが、十分
記憶はしておりません。
それからなお
記憶をたどりますと、当時たびたび議会がありまして、次官として、あるいは大臣として議会で説明を求められることがあるであろうというので、
内務省では慣例的に議会の資料として当面のおもな
問題を集めてお
つたのでありますが、私の
記憶によりますと、
兵器処理の進捗の程度というような
問題につきましては、その説明資料を整えると同時に、内容についてこの進捗度の説明を受けたというような
記憶はあるのでありまして、何回そういうことがありましたか、はつきりいたしませんが、たびたび議会がありましたからその
文書によりまして
兵器の
処理の大体のことを聽く機会は、三、四回はあ
つたのではないかと
考えております。