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1948-07-06 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第42号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年七月六日(火曜日)     午前十時三十一分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 梶川 靜雄君    理事 河井 榮藏君 理事 荊木 一久君    理事 小松 勇次君 理事 石田 一松君    理事 中野 四郎君       石田 博英君    尾崎 末吉君       高橋 英吉君    平澤 長吉君       明禮輝三郎君    渡邊 良夫君       足立 梅市君    佐竹 新市君       前田 種男君    山中日露史君       椎熊 三郎君    橋本 金一君       吉田  安君    野本 品吉君       田中 健吉君    中村元治郎君       本田 英作君    宇都宮則綱君       徳田 球一君  委員外出席者         証人地崎宇三郎         君の証言に基く         政治資金の問題         について出頭し         た証人     齋藤 隆夫君                 幣原喜重郎君                 田中 萬逸君                 一松 定吉君                 芦田  均君         飯村泉君にかか         る政治資金の問         題について出頭         した証人    栗田 英男君                 長谷川政友君     ————————————— 本日の会議に付した事件  委員会報告書に関する件  証人地崎宇三郎証言に基く政治資金の問題に  関する件  飯村泉君にかかる政治資金の問題に関する件     —————————————
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。  この際お諮りいたします。本委員会設置の決議に基き、六月分の報告書を提出いたさねばなりませんが、この取扱いにつきましては、從前の通り、去る六月三十日の本会議における委員長報告につきまして、字句など整理の上提出することに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではさよう決します。     —————————————
  4. 椎熊三郎

    椎熊委員 この間の本会議における委員長報告は、われわれの手もとに配付せられた報告書大分違つた箇所がある。重大な要点はそんなに違つていなかつたように思いますが、全然われわれの手もとへ來ている書類にない部分、あるいはある部分を説明しなかつたように思う。そういう点はどういうことからそうなつておりますか。われわれに配付せられた書類と、あなたが御朗読になつたのとは違いますが……。
  5. 武藤運十郎

    武藤委員長 お手もとに差上げましたのは多分理事会にかける前のものと思います。その後理事会にかけまして字句など多少訂正いたした箇所がございますので、その間に行違いがあるのではないかと思います。訂正いたしましたものを差上げればよかつたと思うのでありますが、さような行違いがある点御了承願いたいと思います。
  6. 椎熊三郎

    椎熊委員 字句程度のことだといいのですが、私の手もとに來ているのと違つて、数行全然ない部分があり、それは事件内容に触れた点などもつた。そういうことを私どもちよつと意外に思つたものですから、今後はなるべくわれわれに配付せられる報告書と、御報告になるあなたの御演説とはぴつたり一致しておいていただかないと、われわれは違う場合があります。
  7. 武藤運十郎

    武藤委員長 了承いたしました。
  8. 尾崎末吉

    尾崎(末)委員 椎熊さんの今の御発言ごもつともと思います。やはりあらかじめ御報告なさる前に、一應今までのようなものを御配付願つて、われわれの方でも一應檢討して、改むべき場所があれば理事を通じて改める。こういう行き方の方が、やはり正しく行けようかと思いますので、この点を申し上げます。
  9. 武藤運十郎

    武藤委員長 了承しました。  なお昨日の理事会において決定を見ました件を御報告いたしまして、皆さんにお諮りをいたしたいと存じます。  飯村泉君にかかる政治資金糾明をすべしという提案が、中野委員からなされまして、理事会におきましては、これを取上げることに決定をいたしたのであります。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  つきましては本日午後一時より長谷川政友栗田英男両君を本件に関し証人として、当委員会へ喚問いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  11. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。     —————————————
  12. 武藤運十郎

    武藤委員長 これから証人調べをいたします。  ただいまお見え証人齋藤隆夫さん、幣原喜重郎さん、田中萬逸さんの三人です。本日は地崎宇三郎君の証言に基きまして、政治資金糾明ということでお話を伺うことになつたのであります。証人諸君証言を求める前に一言申し上げます。  昨年十二月二十三日公布になりました「昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律」によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項、あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥劑師、藥種商、産婆、弁護士、弁理人弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者、またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて、默祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして、宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人虚僞の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつておいていただきたいと思います。では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手もとに差上げてある宣誓書朗讀の上、署名捺印を願います。     〔証人幣原喜重郎君各証人を代表して宣誓〕     〔各証人宣誓書署名捺印
  13. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは齋藤さん、幣原さん、田中さん、こういう順序でお話を伺いますから、幣原さん、田中さんはしばらく別室でお待ちを願います。  それでは齋藤さん、おかけになつたままでお答えください。  昨年の初めに進歩党から民主党というものができたようでありますけれども、この経過簡單にお伺いいたしたいのであります。
  14. 齋藤隆夫

    齋藤證人 立つてお話しいたします。
  15. 武藤運十郎

    武藤委員長 それじやお立ちください。
  16. 齋藤隆夫

    齋藤證人 自由党と当時の進歩党を解党して一大政党をつくるということは私の年來の主張であつたのです。ところがそれが行悩んでおつて中止になつてつた自由党の方では、目前に選挙を控えておりまして、この選挙においては圧倒的に多数になる、だから今合同する必要はない、殊に二つの政党がいつしよになつて選挙に臨む方が当選率が悪いから合同する必要はないというようなぐあいで、合同の実はあげることができなかつた。ところが、三月半ばころになつて突然芦田君が私に面会したいということでやつてきまして、何でも自由党を脱け出して新しい政党をつくるというために私に同意を求めにきたらしいのです。そのときには、してもそれはできはせぬといつて私は承諾しなかつた。ところが、三月の末ころになつてまたやつてきて、いよいよ自由党を脱け出して合同したいというようなことでありましたが、選挙が目の前に追つておりまして、今そんなことをやるときじやない、選挙が済んでから話をしようということで、自分は承諾しなかつた。ところが、芦田君が帰るとすぐに入れかわりに進歩党の若い人が二三人やつてきて、椎熊君だつたか、だれだつたか川崎君がおつたか、それから坪川君ら二三人やつてきて——その前に先生ら話しておつたらしい。齋藤に承諾させるために芦田君が行つたけれども蹴られたから、そこであわてて私の所へやつてきて、大分加わるんだから、自由党からも相当くるし、無所属からもきて、三十人だか四十人だか知らぬが、相当くるから、一緒になつたら少くとも百七、八十名のものができそうである、というような話があつた。それならやつてもいいじやないか、とても自由党とは合同できぬからやつてもいいじやないかというようなことで、私が話したことをすぐにその先生ら芦田君に話したらしい。そんなことでとんとんと話は進んでしまつて、いよいよ時の進歩党を解党して新しい政党をつくることになつたのであります。そうして三月三十一日に京橋の公会堂で結党式をあげた。こういうわけでありまして、経過はきわめて簡單です。
  17. 武藤運十郎

    武藤委員長 進歩党を解党して民主党にするについて、何か資金が要つたという話がありますけれども、そういうことについては御存じありませんか。
  18. 齋藤隆夫

    齋藤證人 金のことは私は一向知らぬです。永い間政党におつたけれども政党收支などについては直接にも間接にも一切関係したことはありません。それはその道の人があるのでありますから、どこから金がはいつてどういう金を使つたというようなことは一切知りません。
  19. 武藤運十郎

    武藤委員長 その道の人があるというお話ですが、大体どなたが金の方のことはおやりになつてつたのですか。
  20. 齋藤隆夫

    齋藤證人 それも一切知らぬ。まつたく金からは圏外におつたから、だれがどうやつたかということはさつぱり知らぬです。
  21. 武藤運十郎

    武藤委員長 今度は、いよいよ選挙になりまして、選挙対策委員というのを民主党ではつくつたそうですが、あなたもその一人でありますか。
  22. 齋藤隆夫

    齋藤證人 選挙対策委員というものをつくつたなどということは知らぬです。とにかく私は、議会が三月三十一日に解散になつてすぐに東京を発つて兵庫縣に帰り、同志の應援にもつぱら努めておつて、四月二十五日に帰つたのでありますから、そんな留守中のことは一向知らぬです。選挙対策委員というものができたかもしれませんけれども、一遍も相談しないし、出たことがあるかないか、記憶がないです。
  23. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、この選挙に際しての必要な党の金をどうしようかというようなことについても御参画はなかつたわけですか。
  24. 齋藤隆夫

    齋藤證人 何もない。ただ進歩党時代に、進歩党幣原氏が総裁であつて、われわれ数名の者が顧問だつたのです。それで、三月三十一日に衆議院解散になるということはわかりきつてつたのでありますから、解散になれば金が要るというようなことは自然に起つてくる。それで金を集めるというような相談があつたのです。何でも会社から金を出すということは話があつたけれども、ぼくはただそこに参画しただけであつて、どんな会社がどんな金を出したかさつぱり知らぬです。
  25. 武藤運十郎

    武藤委員長 つまり、いくつかの会社から金を心配しようというような話が出たんですね。
  26. 齋藤隆夫

    齋藤證人 そんなことがあつたことは耳にしております。
  27. 武藤運十郎

    武藤委員長 どなたから出ましたか。
  28. 齋藤隆夫

    齋藤證人 だれから出たか、幣原さんだつたか、そうでなかつたか、みなそういう人たちが心配して、だれが話したか、とにかくそんなことがあつたということを耳にしております。
  29. 武藤運十郎

    武藤委員長 地崎宇三郎氏が幹事長として、金の方の心配もずいぶんなさつたという話を聞きませんか。
  30. 齋藤隆夫

    齋藤證人 あれは、民主党になつてからは石黒君が幹事長であつたと思います。地崎君は幹事長になつたことはないでしよう、何かほかのことをやつてつて幹事長はたしか石黒君であつたと思います。
  31. 武藤運十郎

    武藤委員長 選挙が済みまして、五月初ころに、衆議院の副議長室で、ただいまお見えになりました幣原さん、田中さん、それから、まだお見えになつておりませんが、芦田さん、一松さんなどが集まつておられる所で、地崎氏が、土建業者から受けた献金の百五十万円、並びに地崎氏がみずからの金及び一、二の友人から集めた金二百万円、合計三百五十万円についての使途などについて説明をされて、今申し上げた幹部諸君はこれを聽いて了承したというような事実がございますか。
  32. 齋藤隆夫

    齋藤證人 それは、選挙が済んで、田中議長部屋で今申された六人の者が集まつて地崎君が何か選挙中の金の話をしておりました。けれども自分は、どこから金がはいつてどんな金を使つたんだか、聞き流しておつて内容を小しも知らぬです。從つて、承諾するとかせぬとか、そんなことはぼくの考えには少しもないです。まつたく今百五十万円とか二百万円とかそんな金のことは頭に殘つておらぬです。
  33. 武藤運十郎

    武藤委員長 届出をすることになつたときの届出名義はたしかあなただつたと思うのですが。
  34. 齋藤隆夫

    齋藤證人 そんなことは絶対にないです。
  35. 武藤運十郎

    武藤委員長 じや、御存じないですね。
  36. 齋藤隆夫

    齋藤證人 むろん知らぬです。相談を受けたこともありません。
  37. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになることがございますか。
  38. 徳田球一

    徳田委員 証人に質問いたします。昭和二十二年一月十二日の日附をもちまして、政党資金に関する届出をきめておる政令によりまして、あなたの名義進歩党主幹者として届出をしております。今内閣にその書類が存しておりますけれども、そういう事実はありますか。
  39. 齋藤隆夫

    齋藤證人 それは自分名義自分主幹でもないし、金のことについては一切関係しておりません。ぼくの名義届出をしたことは全然あるわけはありません。
  40. 徳田球一

    徳田委員 ありませんか。
  41. 齋藤隆夫

    齋藤證人 ありません。
  42. 徳田球一

    徳田委員 あなたの判がちやんと捺されておるようでありますが、この判をあなたが捺されたことはありませんか。
  43. 齋藤隆夫

    齋藤證人 むろんないです。そんなことは全然知らぬです。
  44. 徳田球一

    徳田委員 すると届出主幹者でもなければ、判も捺したことはないとしますと、この届出はあなたには全然関係なしの書類と言わなければなりませんが、そういうわけですか。
  45. 齋藤隆夫

    齋藤證人 むろんそうです。
  46. 徳田球一

    徳田委員 そうするとこれは僞造文書になりますね。
  47. 齋藤隆夫

    齋藤證人 もしそれが事実ならば文書も僞造ですし、判も僞造です。どういうものかひとつ見せてもらいます。
  48. 徳田球一

    徳田委員 それではあとで届出の原本を取り寄せて、いずれお目にかけて御証言を願うことになると思います。
  49. 齋藤隆夫

    齋藤證人 それはいつのことですか。
  50. 徳田球一

    徳田委員 昭和二十二年一月十二日の日附であります。
  51. 齋藤隆夫

    齋藤證人 二十二年は進歩党時代ですね。
  52. 徳田球一

    徳田委員 選挙前です。
  53. 齋藤隆夫

    齋藤證人 選挙前であつても、何であつてもぼくの名義でそんなことをしていることは絶対ない。だれかそれはぼくの名前使つたのでしよう。
  54. 徳田球一

    徳田委員 ないですね。
  55. 齋藤隆夫

    齋藤證人 むろんないです。
  56. 徳田球一

    徳田委員 それでよろしゆうございます。
  57. 中野四郎

    中野(四)委員 今の点をいま一度念を押して伺つておくのですが、その進歩党時代民主党時代も通じてありませんね。
  58. 齋藤隆夫

    齋藤證人 ありません。ただ一昨年の春の選挙ですか、その時分には私が総務会長をやつていて、私の下に長井源君が幹事長をたしかやつてつた。ところがその当時内務省で何か法令ができて、政党收入とか支出とかを一々届け出なければならないというような話を聞いて、そんなむずかしいことは私にはわかりませんから、長井君が私の名前でも使つてつたかどうかわかりません。私の名前届出をするとか、判を使用するようなことは絶対ない。民主党になつてからは全然それは関係ない。
  59. 中野四郎

    中野(四)委員 それは御承知のように政令の趣旨を御体得の齋藤さんから言えば、主幹者という届出をする限りにおいては一切の集合の届出等ももちろんですが、資金等届出もしなければならぬということは、これはもう附帶した問題であることは御承知通りと思います。從つて齋藤さんが全然御承知ないということになれば、これは主幹者としての責任が全然変つてくるわけで、判も委ねられた覚えはないのですか。
  60. 齋藤隆夫

    齋藤證人 むろんない。主幹者というと何の主幹者ですか。
  61. 中野四郎

    中野(四)委員 民主党あるいは進歩党主幹者となつている。そうしてあなたの名前が書いて齋藤という三文判が捺してある。
  62. 齋藤隆夫

    齋藤證人 主幹者という言葉は、私が総務会長をやつたときに、総務会長主幹者であるかどうか知りませんが、会計については会計監督というものがあつて、それが会計のことをやつてつた。また幹事長がすべてそれをやつてつたのだから、総務とか総務会長とかいうものは参加する人もあるかも知れませんが、ぼく自身は何も知らんです。
  63. 中野四郎

    中野(四)委員 あなたのおつしやることはよくわかりますが、たとえばいろいろな実務長井君がやられるか、だれがやられるかわかりませんが、主幹者という了解を與えたかどうかという問題だけです、私が伺つたのは。
  64. 齋藤隆夫

    齋藤證人 主幹者という了解は別に與えたこともなければ、主幹者という名義それ自身が私にはわからぬです。
  65. 椎熊三郎

    椎熊委員 進歩党創立の一人であられる齋藤先生は、その後進歩党の有力なる政治家が多数追放せられまして、党内殘つた最高の地位にあられた方は齋藤先生だと私ども思つておりましたし、また進歩党幣原総裁を迎えるまでの間は総務会会長として党の最高責任者であつたように私ども考えますが、そうではございませんでしたか。
  66. 齋藤隆夫

    齋藤證人 最高責任者ということは私何の意味かわかりませんが、政治上においては責任者と言えるか知れぬが、党の会計については責任者であるかどうか、私は責任者であるというような考えは全然もつておりません。
  67. 椎熊三郎

    椎熊委員 私は先生の長い間の政治生活を多少存じ上げておりますので、おつしやる通りかと思います。ただここでお伺いしたいのは、その当時実務をやつてつた長井源君が事務に命じていろいろな書類を作成したのではないかと思いますが、その際の事務使つてつた判は、その後齋藤先生の御子息であられる祕書官をなすつておられる方が受取りに行つたということを聞いておりますが、そういう事実は御存じないでしようか。
  68. 齋藤隆夫

    齋藤證人 まつたく知らぬですね。私の判は実印も認印も三つばかりあるが、私の手もとにあつてどこへも出したことはない。
  69. 椎熊三郎

    椎熊委員 私どもこれは大変重大な問題だと思つて、実は党内のことですからいろいろ調べたのでございますが、党の会計をやつておる事務員が、長井君からこれは齋藤さんの判として使うようにということで預けられておる、それを使用しておつたが、その後齋藤先生祕書官見えられて、その判を返してくれということでお持ち帰りになつた、そう聞いておりますが、そういう事実はありませんか。
  70. 齋藤隆夫

    齋藤證人 知らぬですね。
  71. 椎熊三郎

    椎熊委員 よろしゆうございます。
  72. 前田種男

    前田(種)委員 五月何日かに副議長室相談されたときに、齋藤証人はそういうことは記憶がないような答弁でございましたが、地崎証人選挙後に幹部会、要するに最高幹部の人に六、七人集まつてもらつて、百五十万円、そのほかに二百万円、合せて三百五十万円の会計報告をして、最高幹部会承認を得ておりますという証言をはつきりしておると思います。齋藤さんは今その内容金銭上のことを十分記憶にないような証言でございましたが、地崎さんの言葉から言えば、そのときの最高幹部会承認されたことになつておると思いますが、この点もう一度証人にはつきり証言を願つておきたいと思います。最高幹部会地崎証人のそうした金銭上の選挙費用報告承認されたことにはなつておるということになつておりますが、大事なところでありますから、この点に対する証言をもう一度願つておきたいと思います。
  73. 齋藤隆夫

    齋藤證人 地崎君はそういうぐあいに考えておるかも知れませんが、私自身何分金のことは耳に殘つておらず、何を話したかさつぱりわからず、承認も何もないのです。ただ聞いただけで承認するということは言つたことはない。しかし別に反対するということもなかつた承認ということは絶対ない。承認思つておるのも無理はないが、私自身はそれには無関係です。
  74. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 さつき齋藤さんの証言によりますと、金が出たことは確実だと言われております。今お聽きしますと金が出たのか出ぬのかさつぱりわからない、こういうようなお話でありますが、地崎証人は、幹部の方が一つ部屋におられて、その金の話は今前田君が言いましたように確かにした。さつきの話は金が出たということは特別に聞いておる、こういうふうに御証言をなさつたのでありますが、前と後とが食い違うように思います。
  75. 齋藤隆夫

    齋藤證人 金が出たということはどういうことか知りませんが、地崎君が金の報告をしたから、金がいくらはいつていくら使つたということは話は出たのです。しかしそれだけのことであつて、金が出たものでも出ないものでもない。とにかくただそれだけのことです。
  76. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 どうもはつきりしないのでありますが、地崎君が私に対してこれだけの金を集めたということを幹部の人の集まられた席上で言つたことは聞かれたのでありますか。
  77. 齋藤隆夫

    齋藤證人 いや金を集めたというようなことは別に耳に殘つておりません。金を集めて使つたという報告つたとも思うのです。どこからどうして金を集めたか、どこにどう使つたかということはまつたく知らない。
  78. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 どこで集めたということは聞かないが、地崎君で金の報告をしたということはお聞きになつておるわけですか。
  79. 齋藤隆夫

    齋藤證人 その通り。     〔「なし」と呼ぶ者あり〕
  80. 武藤運十郎

    武藤委員長 では済みました。御苦労さまでした。     —————————————
  81. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは幣原さんにお伺いいたしますが、昨年の春に行われました進歩党から民主党結成当時の経過を伺いたいと思います。
  82. 幣原喜重郎

    幣原證人 進歩党から民主党になつたその経過とおつしやるのは、政治上どういう手続であつたかということですか。
  83. 武藤運十郎

    武藤委員長 手続もそうでありますけれども、当時の実情を伺いたいのです。
  84. 幣原喜重郎

    幣原證人 当時の実情は御承知のごとく、その当時の自由党におつた芦田君その他の人たち及び数名の人たちが、そのときは進歩党つたのでありますが、その進歩党などと一緒になつて一つの党を結成したいということでありました。私どももそれに賛成いたしたのであります。それが遂に民主党という形になつて新党結成されたのであります。ただそれだけのことであります。
  85. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこで進歩党の解体、民主党結成などにつきまして相当資金が要つたというようなことを地崎氏は言つておるのでありますけれども、そういう金が要りましたかどうか、また要つたとすればどういうふうにして集め、どういうふうにして使われたかご存じでありますか。
  86. 幣原喜重郎

    幣原證人 そういう資金が要つたということは要つたろうと想像いたしますけれども、私は何もそういうことは存じておりません。從つてそのはいつてくる途及びその使途につきましては、私は別に相談與つたわけでも何でもありませんから、今承知いたしておりません。
  87. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年の総選挙の当時、もう民主党ですね。党で選挙資金が要るというので、幾つかの会社なり業者なりに選挙資金の調達を求めるというような相談を、党の最高幹部の間でなされたことがございますか。
  88. 幣原喜重郎

    幣原證人 そういうことがあつたことは私記憶いたしません。
  89. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、選挙に関する党の資金等はどういうふうにして調達するのですか。
  90. 幣原喜重郎

    幣原證人 それはどういうふうにして調達されたか私は存じません。ただ選挙が済みましてから、何か一回報告をされたことがあつたように思つております。
  91. 武藤運十郎

    武藤委員長 選挙に際して選挙対策委員というようなものを設けたのではないのですか。あなたはその一員ではなかつたのですか。
  92. 幣原喜重郎

    幣原證人 私は選挙対策委員ではなかつたと思います。しかしそういう委員は設けられたかとも思いますけれども、確かには私は記憶いたしておりません。
  93. 武藤運十郎

    武藤委員長 この選挙対策委員というのは、委員会でももちまして、たれを公認にするとか、あるいは公認料をどうするとか、公認者を何人にするとかいうようなこと、また選挙資金はどうするかというようなことを相談する委員会でありますか。
  94. 幣原喜重郎

    幣原證人 そんなことは少くも私はそういつたような相談を受けたこともなければ、指図をしたこともありません。
  95. 武藤運十郎

    武藤委員長 先ほどお話がありました選挙が済んでから、その金の使途などについて報告があつたかと思うというようなお話は五月の初めころ衆議院議長室におきまして、あなた、芦田さん、一松さん、田中さんなどが集まつておられるところで、地崎さんから話のありましたことを申すのですか。
  96. 幣原喜重郎

    幣原證人 その通りであります。たしか私の記憶では芦田さんが幹事長をしておられたと思いますが、集つてくれというお話で、そこへ集つたことがあると思つております。
  97. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのときに地崎さんの当委員会における速記録を読んでみますと、こういうようなことを申しております。「そうしてその後私はパージになりましたので、一切の残務を整理して十七日と思いますが、その日に党の帳簿その他とともに後任の幹事であります芦田氏に引続いだのであります。そのときは党が選挙に必要な金などは大体支出済みでありまして、芦田氏は表向き選挙にはほとんど金銭上の問題についてはタツチすることなく、遊説にまいられたように記憶しております。」こう前置きをいたしまして、「私は五月にはいりましてから、この問題に関しまして選挙対策委員の間に報告会を開かれることを依頼いたしまして、五月の、日にちははつきりいたしませんが、初旬に衆議院の副議長室におきまして、当時の選挙対策委員立会のもとに諸帳簿を出しまして、收入並びに支出の詳細を報告いたしました。しかして百五十万円は土建方面から私が受領したという旨もしつかりと念を押しておきました。同時にその後提出されたと聽いておりますその当時の選挙に対します内務省への報告などの原案も私はそこへ指示いたしまして、私の名義で百万円記帳しておくことも了解を得まして、当時の選挙対策委員会に列席した人はたれ一人異議なくこれを了承いたしました。從つて選挙に関する私の一切の処理は責任を完了したものだという解釈をしております。」こういうふうに地崎氏は述べているのでございますけれども、このときは相当こまかく党の選挙を中心とする收入支出などが報告せられたように考えられますが、詳細御記憶はないのでございますか。
  98. 幣原喜重郎

    幣原證人 確かに相当詳しい報告があつたことは覚えておりますが、金の額であるとか、また使途であるとかいうようなことはまつたく覚えておりません。
  99. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではそのときに土建業者からの献金、あるいはそのほかの業者、または会社からの寄附金などにつきまして大よその御記憶はございませんか。
  100. 幣原喜重郎

    幣原證人 まつた記憶はございません。
  101. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのときに百万円だけは地崎氏の名義で寄附したことに記帳して届出をするというような趣旨も御記憶ございませんか。
  102. 幣原喜重郎

    幣原證人 記憶ありません。
  103. 武藤運十郎

    武藤委員長 御質問ございませんか。
  104. 椎熊三郎

    椎熊委員 ちよつと幣原先生にお伺いしたいのですが、幣原先生進歩党創立当時は党には無関係の方であられたと私は記憶しております。一昨年の総選挙の直後、幣原内閣瓦解後に迎えられて進歩党総裁となられたのだと私は記憶しておりますが、從つて党におきましては立党後半歳ほど経つた関係せられて、総裁となられてからも党内実務会計にはほとんど御関係なすつておられないように私ども記憶しておりましたが実際はどうであつたのでございますか。
  105. 幣原喜重郎

    幣原證人 その通りであります。殊に会計のことなどは私はまつた関係はいたしておりません。
  106. 椎熊三郎

    椎熊委員 次に幣原先生民主党の創立には反対であつたと私は記憶しております。その理由は当時の自由党総裁吉田さんに対する義理合なら進歩党一緒になるなどいうことは政治家の道義として自分は望まないということで、三月三十一日の党結成の当日午前中までも反対のような御態度で、そのために私は幣原先生祕書官と論爭さえした記憶があるのですが、從つてこの民主党ができまして直ちに選挙に入りましても、幣原さんはすこぶる民主党選挙対策に対しては冷淡のように私どもは感じました。候補者の人選、党資金の獲得、公認料の分配等にはつとめてみずから避けられて、そういうような話にははいられなかつたというふうに私どもは感じているのですが、実際はどうであつたでしようか。
  107. 幣原喜重郎

    幣原證人 私は何も民主党ができることに反対した覚えはありません。反対したなら私ははいつていなかつたはずであります。快く賛成して遂にこの民主党ができたのであります。しかしながら会計のことであるとか、人事のことにつきまして、私は冷淡であつたとは考えませんけれども会計のことなどは私は実はよくわからなかつたのであります、それを一々試すひまもなかつたのであります。私は毎日忙しい仕事をもつておりましたので、そういう問題をなるべく避けたというか、事実知らなかつたのであります。私に相談されたこともなかつたのであります。それが実情であります。
  108. 椎熊三郎

    椎熊委員 去年の選挙に際しまして、当時の党務部長地崎宇三郎君を選挙対策委員長に総裁の名をもつて御任命相なつたと私は記憶しております。そして選挙対策委員というものは名ばかりあつたが、実際は地崎君がほとんど独断的に一人であの大選挙を終始一貫やられたように私どもは感じておりまするが、その当時の総裁はどうお考えになりますか。
  109. 幣原喜重郎

    幣原證人 まつた地崎君が追放令に該当しますまでは一人で心配してやつておられたようであります。私自分自身選挙の方に出てまいりまして、選挙中は詳しいことは存じませんけれども、四月の何日でありましたか、地崎君も遂に追放令に該当することになりまして、その職務を退かれたのであります。それ以上地崎君はどういうことを一々しておられたかということは、私の処へ來て毎日相談されたわけでもなく、また私も当地におつたわけでもありませんから、そういう成行きはよく承知いたしておりません。
  110. 徳田球一

    徳田委員 証人にお尋ねいたしますが、政府資金届出になつておりますものから見ますと、二十二年三月三十一日附で民主党からの届出に、あなたから民主党に十万円を党資金として寄附せられたということになつておりますが、こういう事実がありますか。
  111. 幣原喜重郎

    幣原證人 そういう事実はありません。私は十万円をその当時寄附したこともなければ、そういう書類ができておつたことも存じません。
  112. 徳田球一

    徳田委員 そういたしますと、この十万円というものは、ただ民主党本部がいい加減に書いたということになりますが、そういうことになりましようか。
  113. 幣原喜重郎

    幣原證人 いい加減に書いたか書かかないか、それはその判断次第でありますが、私はとにかくそれに関與いたしておりません。
  114. 徳田球一

    徳田委員 それでは重ねてお尋ね申し上げますが、そのほかに何か民主党に幾分なりとも資金を寄附なされた事実はありませんか。
  115. 幣原喜重郎

    幣原證人 さような事実はありません。
  116. 徳田球一

    徳田委員 よろしゆうございます。
  117. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか——。では済みました。御苦労さまでした。     —————————————
  118. 武藤運十郎

    武藤委員長 お待たせいたしました。それでは伺います。昨年の進歩党から民主党結成せられます当時の実情を御説明願いたい。
  119. 田中萬逸

    田中證人 実情というと、どの点を申し上げればいいのですか。
  120. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう動機で、どんな工合に進歩党が解党されて民主党が新たにできたかということです。その経過です。
  121. 田中萬逸

    田中證人 その当時、私も新しくできる民主党の役員になれという話でした。私は、役員の名前は忘れましたが、辞しまして顧問になりましたことを記憶しておりますとともに、あまりそのことに私は直接関係がなかつたようです。なるべくこれに触れないように私はしておりました。
  122. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、進歩党の解党、民主党結成等について必要な資金などにつきましては、どこから出て、どういうふうに何ほど使つたかというようなことは、あなたは御存じがないのですか。
  123. 田中萬逸

    田中證人 私知りません。その以前の、私が進歩党幹事長時代のことは存じておりますけれども、党名が変更される時代のことは、私はそれについて一切タツチいたしておりません。
  124. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから選挙になりまして、選挙資金が党としても要るというようなわけで、土建業者やその他の業者に対して、党へ資金の献金を求めたというような事実はございませかか。
  125. 田中萬逸

    田中證人 そういうことは、ほのかには聞いておりましたけれども、それらの資金のことにつきましては、当時党務部長でありましたか、地崎君が一切やつてつてくれたことと思つております。
  126. 武藤運十郎

    武藤委員長 大体地崎さんが金の方の心配は全部やつておられたというわけですか。
  127. 田中萬逸

    田中證人 大体さようでございます。
  128. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかになお金の心配をされたようなお方はございませんか。
  129. 田中萬逸

    田中證人 あまり私は覚えません。
  130. 武藤運十郎

    武藤委員長 選挙に際しまして、選挙対策委員というようなものを民主党では設けたそうですが、その通りでありますか。
  131. 田中萬逸

    田中證人 その通りです。
  132. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのメンバーはどなたであつて、どういう仕事をしたのですか。
  133. 田中萬逸

    田中證人 今から記憶を喚び起しますれば、主としてやはり地崎君が中心だと思つております。
  134. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時の党務部長の地崎さんが委員長になつてやられた……。
  135. 田中萬逸

    田中證人 そうです。
  136. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたもその委員の一人ですか。
  137. 田中萬逸

    田中證人 そのときは吉田内閣のときで、私はそうじやないと思つております。
  138. 武藤運十郎

    武藤委員長 選挙が済みまして、五月の初めごろに、衆議院の副議長室地崎さんが選挙に使いました金の出所、使途などについてやや詳細にあなたや幣原さん、それから芦田さん。一松さん、齋藤さんなどのおられる所で御説明を申し上げで幹部の了承を得たというようなことを申しておるのですが、さような事実がありましたか。
  139. 田中萬逸

    田中證人 事実はありました。それはちようど芦田氏は幹事長でありました芦田氏の招集で私どもは集まりました。そこでちよつと申し上げておかなければならないのは、私がまだ副議長に就任する以前のことで、五月の十三、四日ごろと思います。芦田さんはまだ総裁にはなられず、幹事長の時代です。ちようどその日は閣議のありました日で、副議長室へ午後集まれということで集まりました。ところで私は総理官邸からすぐ出てくるはずであつたのが、少し遅れたことを覚えております。そのときの記憶選挙に対する費用の使途その他について主として私が聽いた記憶があります。しかしその金額はいくらであるとかいうような記憶は、もう歳月を経ていますから確たる記憶はありません。地崎君から説明のあつたことは事実であります。
  140. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのときに土建業者方面から百五十万円の献金があつたというような説明はございましたか。
  141. 田中萬逸

    田中證人 それは承りません。
  142. 武藤運十郎

    武藤委員長 その説明をしているときには、あなたはその場におられましたか。
  143. 田中萬逸

    田中證人 私の参りましたときは、もう説明の初めの方は済んでありました。ただ終りの点を私は聽いたのです。
  144. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か御質疑はありませんか。
  145. 辻寛一

    ○辻委員 お集りになりましたのは、当時の幹事長である芦田さんの招集でございますか。
  146. 田中萬逸

    田中證人 そうです。
  147. 辻寛一

    ○辻委員 そのときには選挙の費用などについて、話があるからというので集まつたのですか。
  148. 田中萬逸

    田中證人 そうだと思います。
  149. 徳田球一

    徳田委員 政党資金届出に関しまして、あなたが昭和二十二年三月二十一日に十万円を寄附したことになつておりますが、そういう事実はありますか。
  150. 田中萬逸

    田中證人 それはありません。
  151. 徳田球一

    徳田委員 全然ない。
  152. 田中萬逸

    田中證人 全然ありません。
  153. 徳田球一

    徳田委員 それではもう一つお尋ね申します。その届出の中に、ここに原本が今ありませんのでちよつてつておりますが、なんでも三十五万円——ほかにあなたの名前届出ておるのがあると思いますが、これはありますか。三十五万円、これはなんでも進歩党時代の多分あなたが幹事長の時代と思いますが、そのときに進歩党として使われた金の残りのように記憶しておりますが、三十五万円を寄附したような事実はありますか。
  154. 田中萬逸

    田中證人 それは金の種類はなんでしたか。
  155. 徳田球一

    徳田委員 封鎖かなにかじやないか。
  156. 田中萬逸

    田中證人 私が幹事長をやめるときに、次の幹事長石黒武重君並びに副幹事長の中村又一郎君に引継ぎました。その金のうちに封鎖の三十五万円ははいつておりました。しかしこれは前年の十二月末日の総勘定のときに会計の方へまわしたことと、私は記憶いたしております。
  157. 徳田球一

    徳田委員 幹事長を受任せられて、やめられた日にちはいつでありますか。
  158. 田中萬逸

    田中證人 それは私はつきりおぼえないのですが、二月の中ごろのことと思います。
  159. 徳田球一

    徳田委員 やめられたのは……。
  160. 田中萬逸

    田中證人 やめたというのは、二月十日過ぎに國務相たる内交渉を受けました。当時はまだ親任式でしたが、二月二十六日ごろまでに親任されております。だからその前後に石黒君が幹事長になられ、中村又一君が副幹事長になられましたから、私の保管いたしております金を引継ぎました。
  161. 徳田球一

    徳田委員 そうすると受任せられたのはいつでございましたか。進歩党幹事長になられたのは……。
  162. 田中萬逸

    田中證人 五月ごろだと思います。
  163. 徳田球一

    徳田委員 二十一年ですか。
  164. 田中萬逸

    田中證人 そうです。四五月ごろと思います。
  165. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、この間、二十一年の五月から二十一年の十二月末日までに幹事長としてやられた間の、この金の決算のときに三十五万円を石黒君に渡されたというわけですか。
  166. 田中萬逸

    田中證人 そうです。
  167. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、この三十五万円だけでありますか。この封鎖だけで、それ以上あとには何も金はなかつたわけですか。
  168. 田中萬逸

    田中證人 封鎖だけではなくて、百二十数万円を引継いだことと記憶しております。これは中村君もしくは石黒君にお聽きくださればわかります。
  169. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、百二十数万円からどれくらいに使つて、ほんとうに残つたものはどれくらいということはわかりますか。
  170. 田中萬逸

    田中證人 それは私にはわかりません。
  171. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、あなたから石黒さんに渡されましたときに、銀行預金か何かというようなものを引継がれたようなことはありませんか。
  172. 田中萬逸

    田中證人 銀行預金も当時いろいろの風評がありましたから、郵便貯金にわけたものも、みな引継ぎました。
  173. 徳田球一

    徳田委員 それらの関係、銀行預金はどこでいくら引継ぎ、郵便貯金はいくら引継いだというようなことはありませんか。メモか何かでもありましたら……。
  174. 田中萬逸

    田中證人 記憶がありませんが、一應調べまして、もしありますれば当委員会に差出します。
  175. 徳田球一

    徳田委員 それではこの間のことはお調べくださいまして、詳細にひとつ書面でお出しくださるようにお願いします。委員長よろしゆうございますか。
  176. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさようお願いいたします。
  177. 徳田球一

    徳田委員 そこでお尋ね申しますが、あなたが幹事長をおやめになつてあとは石黒さんで、その次はどなたでしたか。
  178. 田中萬逸

    田中證人 石黒君は四月の初旬にパージにかかりました。その次は党務部長であつた地崎君がなられたのですが、また数日の間にパージにかかつた思つております。
  179. 徳田球一

    徳田委員 その次は。
  180. 田中萬逸

    田中證人 次は今の総理大臣の芦田氏です。
  181. 徳田球一

    徳田委員 そうすると芦田さんはいつごろまで幹事長をなされておりましたか。
  182. 田中萬逸

    田中證人 ちようど選挙中で、私ども当時群馬縣かどこかに出張しておりまして、帰つてから芦田君がなられたことを聽きました。四月十三、四日から十六、七日ごろまでの間と思います。
  183. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、芦田さんがやめられたあとの幹事長はどなたですか。
  184. 田中萬逸

    田中證人 芦田氏のあとは苫米地君がやられたと思います。そのあとは竹田儀一君だつたと思います。
  185. 徳田球一

    徳田委員 それはいつごろですか。
  186. 田中萬逸

    田中證人 それは私は記憶にございませんから、月日はわかりません。
  187. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、竹田儀一さんがなられまして政党献金の届出があつたのはいつごろになつておりますか、二十三年の一月十二日になつておりますか。
  188. 田中萬逸

    田中證人 それはいつですか、私は献金のことはさつぱり知りません。
  189. 徳田球一

    徳田委員 二十三年一月十二日の党主幹者、いわゆる幹事長はどなたかわかりませんか。
  190. 田中萬逸

    田中證人 はつきりわかりませんけれども、大体苫米地君ではなかろうかと思います。
  191. 徳田球一

    徳田委員 竹田さんか苫米地さんか、どつちですか。
  192. 田中萬逸

    田中證人 苫米地君です。
  193. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、この届出齋藤さんが判を押されたということになつておりますが、齋藤さんにお聽きしたらそんなことはないのだ、自分主幹者でもなければ、届出に関與したこともなければ、判を押したこともないということでありましたが、そうするとこれは苫米地さん時代にやつたことになりますか。
  194. 田中萬逸

    田中證人 これはだれの時代にやつたことか、私にはけだし他山の石ですからわかりません。
  195. 徳田球一

    徳田委員 それならわかりました。
  196. 椎熊三郎

    椎熊委員 先ほどの証人のお答えの中に、選挙の後副議長室における党首脳部の会合は、当委員会において地崎君の言われるのには、選挙の跡始末のための報告をしたいので、自分書類をまとめてお願いして集つてもらつたと言われたように記憶しておりますが、ただいまの証人お話だと、当時の幹事長たりし芦田氏の招集によるものだとおつしやいましたが、記憶違いじやないですか。
  197. 田中萬逸

    田中證人 そう言われてみるとそこははつきりしません。集まつた者は木村君も集つた。皆閣員ですから。ちようどその日は閣議がございまして、皆揃つて出て來たのを、私が何か用があつて遅れて來ました。幹事長であつた芦田君がそう言われたことと私は思つておりますけれども、もちろん地崎君の懇望によつてつたことは事実です。
  198. 椎熊三郎

    椎熊委員 田中さんが幹事長の前には、一昨年の選挙ですか、たしか幹事長一松さんで、幹事長実務をやつてつたが永井源さんであつたと思います。そのころの総務会長齋藤さんであつて、党の実務をやる永井君は、届出等は常に総務会長齋藤さんの名義をもつてつてつたと思われます。その後引続きあなたが幹事長になつて、党の届出等はどなたの名義でやつておりましたか。
  199. 田中萬逸

    田中證人 私の幹事長時代は私が全責任をもつてつたのです。届出等のそういうことはなかつたと思います。これはあなたの言われる通り齋藤君の時代は永井君がやつてつたのでしよう。私は永井君からすべてを引継ぎました。その記憶ははつきりしております。
  200. 椎熊三郎

    椎熊委員 先ほど封鎖で三十五万円を引継いだという話ですが、それは何か記憶違いでなかつたかと思うのです。私がはつきり記憶しておるのは、一昨年の選挙の後の幹部会において、永井さんが取扱つた金をあなたに引継ぎになつたことがある。その金がちようど三十五万円だつたと私は記憶しておりますが、それと違いますか。
  201. 田中萬逸

    田中證人 そんなことはありません。
  202. 椎熊三郎

    椎熊委員 その金とは別ですか。
  203. 田中萬逸

    田中證人 その金と言うても、その金というのはありません。
  204. 椎熊三郎

    椎熊委員 そこで永井君の報告の中に金の計算が合わぬ点があつて幹部会で論議したことがあると思いますが記憶ありませんか。
  205. 田中萬逸

    田中證人 あります。
  206. 椎熊三郎

    椎熊委員 その金か別ですか。
  207. 田中萬逸

    田中證人 別です。第一に日時が違います。永井君に引継いだのは四、五月ごろですから、その金を会計の方へまわしたのは二十一年十二月の末と思います。
  208. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたが幹事長時代は政党資金届出などの法律が出ていない時代であつた。それで一切そういうものはあなたの時代には届け出てなかつたのですか。
  209. 田中萬逸

    田中證人 そうです。
  210. 中野四郎

    中野(四)委員 一点伺つておきたいと思います。地崎君が五月の半ばごろに今日証人に出られた方々に報告されたことは、先ほど大体認められたようだが、ただ証人が遅刻をして行つた関係上、前者の方を聽いておらない。從つて百五十万円土建業者から援助を受けたかという点については、まだ明確に知らないというお言葉了解できるのですが、ここで一点私の方に疑惑の起つてくるのは、地崎君が民主党最高幹部たる五君をわざわざ幹事長を交えて副議長室に集つていただいて、この選挙の明細を報告するということについては、これはただ端的な報告でなく、いわゆる了解を求め、承認を求めることが理由だということを地崎君は明確に言つておるのです。この点はあなた方の考え方、感じ方いかんによるかもしれぬ。たとえば報告をしますと同時に、これはあなた方の承認を求めるものですという言質がとつてあれば別ですが、そういうものはないかもしれません。そこでこれは考え方によるかもしれませんが、当時あなた方にただ報告をしただけと感じておられますか。あるいは了解を求めたのか、ないしは承諾を求めたのか。一体この三点のどれに該当するものであるかということを明確にしておきたいと思います。
  211. 田中萬逸

    田中證人 私はちようど前半を少し聽かなかつた。おそらくその間にこの百五十万円の報告をなさつたか、もしくは承諾を得られたか、これは私関知いたしません。後半私が承つたことは選挙に対する報告であります。
  212. 中野四郎

    中野(四)委員 私の言うのは百五十万円の金だけではない。全額です。あなたに対する報告とあなたは了解されるわけですか。そうすると承認を與えた何ものもないわけですが、よろしいと承認を與えた覚えはないのですか。
  213. 田中萬逸

    田中證人 そうです。
  214. 中野四郎

    中野(四)委員 ただ報告を聽いただけですか。
  215. 田中萬逸

    田中證人 そうです。
  216. 中野四郎

    中野(四)委員 それからもう一つ伺いたいが、散会のときにはどういうふうにしたのですか。幹事長である芦田君が、それはよくわかつたとか何とか言つたのですか。あるいは何にも言わずに端的に別れてしまつたのですか。
  217. 田中萬逸

    田中證人 それはみな了承して別れたのです。それでちよつと申し上げておかなければならぬのは、閣議の日に本部で役員会が開かれることになつておりました。役員会の時間が迫つたから私たち本部へ急いでかけつけたことをおぼろげながら記憶いたします。
  218. 中野四郎

    中野(四)委員 了承したことは事実なんですね。
  219. 田中萬逸

    田中證人 了承したことと思います。
  220. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 先ほど話があつたのですが、もつとはつきり承りたい。あなたは幹事長として石黒幹事長に引継ぎなさつたのは二十一年ですか。
  221. 田中萬逸

    田中證人 二十二年です。
  222. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 二十二年の三月には民主党ができた。だから二十一年でしよう。
  223. 田中萬逸

    田中證人 二十一年の十二月に徳田君から御質問になりました封鎖の三十五万円を私は会計の方へ引渡したことを覚えております。
  224. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それは幹事長をおやめになつたときですか。
  225. 田中萬逸

    田中證人 いや。まだ幹事長時代です。そうして二十二年の二月頃に幹事長をやめた。
  226. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 石黒氏はあなたの幹事長時代は何だつたんですか。
  227. 田中萬逸

    田中證人 何をしておりましたか、これも記憶に存しませんけれども、代議士であつたことは事実です。
  228. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 会計か何かの責任者でなければ、あなたはお引渡しにはならないでしよう。
  229. 田中萬逸

    田中證人 石黒君が私のあとで幹事長になられた。石黒幹事長、副幹事長の中村又一君の両君に、院内の民主党幹部室だと思いますが、そこで引継ぎをいたしたのであります。
  230. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それは十二月でしよう。
  231. 田中萬逸

    田中證人 いや、そうじやない。二十二年二月です。
  232. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 実際に金を渡されたのはやはり二月なんですか。幹事長の引継ぎと同時ですか。
  233. 田中萬逸

    田中證人 いや、それは総括した金を渡したんです。会計の方の報告は月々しております。しかも私は党費は厘銭をいやしくもせず、星一君、船崎君、これらの会計監督の檢印をもらつて、二通つくつて、一通は幹事長の私の手もとに保存し、一通は会計手もとに保存するということにして、会計事務は一目瞭然書付がわかるように私の時代にはなつておりました。
  234. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうすると、さつき十二月に引継いだと言われたのは……。
  235. 田中萬逸

    田中證人 それはあなたの聽き違いです。
  236. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 二月に全部引継いだんですか。
  237. 田中萬逸

    田中證人 そうです。
  238. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうしますと、二十三年一月十二日附の届出は、二十二年中におけるすべてのものだと私は考えておりますが……先程問題になりました。
  239. 田中萬逸

    田中證人 それを引継ぎましてから一切私は存じません。
  240. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこであれはたしか一月から三月までの間と書いてあつたと思いますが、二月だとはまります。そこで問題になるのは、先ほどあなたは十万円、別に出したということは全然ないとおつしやつたが……。
  241. 田中萬逸

    田中證人 そういうことは全然ありません。
  242. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それから書いてある三十五万円という一口を出したことはないわけですか。
  243. 田中萬逸

    田中證人 ありません。
  244. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 民主党へ引継がれたものは百何十万円であるか知りませんが、これもあなたの寄附ではなかろうと思います。
  245. 田中萬逸

    田中證人 寄附ではありません。
  246. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうしますと、十万円も、三十五万円も、事実と反した記載があつたと、こうならざるを得ませんが、これはいかがですか。
  247. 田中萬逸

    田中證人 それはあなたの御見解で、どなたもおわかりだろうと思います。
  248. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこでさらに承りたいのは、その届出齋藤隆夫さんの名前になつております。齋藤隆夫さんはことしの一月民主党のいかなる地位にあられましたか。それを承りたい。
  249. 田中萬逸

    田中證人 そのとき齋藤君は閣僚でありました。
  250. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それで党としての地位はどういうものですか。もつと言えば、党首であるとか、主幹者といわれる幹事長の地位でなかつたことは間違いありませんか。
  251. 田中萬逸

    田中證人 それはそういうことはありません。
  252. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこで齋藤さんの名前届出しておるということはお聽きになりましたか。
  253. 田中萬逸

    田中證人 聽きません。今回初めて承つたような次第であります。
  254. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それともう一つ伺いたいのは、先ほど地崎氏から報告があつて了承したと、こうおつしやつたが、そのとき三百五十万円の金を集めたが、もう二百五十万円使つてしまつたので、あと百万円だけで、これも使つたんだと思うが、百万円だけひとつ寄附したことにしておくがよろしいかという話がありましたか。
  255. 田中萬逸

    田中證人 いや、私はそういう話を聽きません。
  256. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 じや、よろしうございます。
  257. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 ちよつと明確を欠くのですが、私も十二月のときに引継ぎを石黒、中村両氏にせられたというふうに聞いたんですが、実際の引継ぎは二月の幹事長をおやめになるときですか。
  258. 田中萬逸

    田中證人 そうです。
  259. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 それなら百二十万円という金があつたというのは、結局幹事長を引継がれる時にあつたんですか。
  260. 田中萬逸

    田中證人 そうです。
  261. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。     〔「なし」と呼ぶ者あり〕
  262. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは済みました。御苦労さまでした。     —————————————
  263. 武藤運十郎

    武藤委員長 午後は一時半から再開することにいたしまして、暫時休憩をいたします。     午後零時五十五分休憩      ————◇—————     午後二時二十一分開議
  264. 武藤運十郎

    武藤委員長 休憩前に引続きまして会議を開きます。
  265. 梶川靜雄

    ○梶川委員 この際緊急動議を提出いたしたいと思います。聞くところによると、当委員会に対して非常に御親切な御指導をいただいたところのG・H・Qのガバーメント・セクシヨンのヘース大佐が來る十日頃に御帰國になるように聞いております。從いまして当委員会としてヘース大佐に対して深甚なる感謝の意思を表明する感謝決議をお贈りいたしたいと思います。案文等につきましては委員長において御起草あられるように希望する。右の動議を提出いたします。
  266. 武藤運十郎

    武藤委員長 梶川君の動議に御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  267. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではさよう決します。決議の案文及び贈呈方法等につきましては委員長に御一任願います。     —————————————
  268. 武藤運十郎

    武藤委員長 御出頭になりました証人芦田均、一松定吉両君でありますが、本日御出頭を求めました理由は、地崎宇三郎氏の証言によりまして、主として進歩党及び民主党の昨年の総選挙当時における政治資金糾明ということで御証言を求める次第であります。  証言を求める前に各証人に一言申し上げておきます。昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号「議院における証人宣誓及び証言等に関する法律」によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人虚僞の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手許に差上げてある宣誓書を朗読の上署名捺印願います。     〔証人芦田均君各証人を代表して宣誓〕     〔各証人宣誓書署名捺印
  269. 武藤運十郎

    武藤委員長 順序といたしまして一松さんの方から先にお話を伺いたいと思います。つきましては芦田さんは御迷惑ながら暫らく別室でお待ち願いたいと思います。  それでは一松さんにお伺いいたします。昨年の春に進歩党が解体して民主党ができたようでありますけれども、その当時の経緯をお述べください。
  270. 一松定吉

    一松證人 進歩党が一昨年の一月頃でありましたか、成立いたしまして、爾來昨年の三月三十一日まで継続いたしましたが、その間にいろいろの政策の研究、調査その他のことで同志が相集まりまして民主党結成することになり、三月三十一日に京橋区の公会堂において民主党結成大会が行われました。
  271. 武藤運十郎

    武藤委員長 この進歩党の解体、民主党結成につきましては、相当な資金を必要としたという話でありますが、あなたは資金が要つたかどうか、要つたとすれば、どういうところから出てどんなふうに使われたかという点について御存じでありますか。
  272. 一松定吉

    一松證人 一昨年の二月頃進歩党のできました当時には、すでに成立しておつた後に私は進歩党幹事長に就任をいたしたのでありまするから、そのときには以前民主党総裁になつておりまして追放せられてやめました町田総裁から、長井源君がその総裁の預かつておる金をいくらか受取つてまいりまして、それを党務部長の地位でありましたけれども、すべて会計を担任してやりまして、私よくわかりません。三月三十一日の当時には私進歩党の顧問並びに民主党の顧問には就職いたしましたが、会計のこと費用のこと等一切存じません。但しその当時地崎君がそれらのことをすべて処理しておつたようでありますから、地崎君の手においてそういうような收支が運営せられておつたであろうと思います。
  273. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年の総選挙当時に民主党においても選挙に要する金をつくらなければならない。そういうことで一二の会社または業者に献金を求めるというようなことを、最高幹部の間で話をされたことはございませんか。
  274. 一松定吉

    一松證人 選挙費用の捻出について、いろいろな話のあつてつたことは私承知しておりますが、その時分にはそれぞれの人がいろいろなことを言つてつたようでありますが、私はすべて会計の方に無関係でありまして、多くそのときには地崎君その他の人において、そういうような仕事をやつてつたと思われます。
  275. 武藤運十郎

    武藤委員長 選挙対策委員というものを設けましたか。
  276. 一松定吉

    一松證人 設けたように思います。
  277. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは関係はなかつたのですか。
  278. 一松定吉

    一松證人 私も選挙対策委員の一人ではなかつたかと思いますが、私は早くから大阪の選挙区に帰つておりまして、すべてのことは地崎君や、石黒君が関係しておつたように思います。
  279. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは選挙対策のことにつきましては主として地崎さんや石黒さん、この二人ですか。
  280. 一松定吉

    一松證人 主としてそういう方がやつてつたのであるが、その当時総裁芦田氏でありましたから芦田氏、それから齋藤氏、私、田中氏等にいろいろ話をお聽きしなければならぬ立場におつたのでありますが、皆選挙に追われて郷里に帰つておりましたために、主として今お尋ねのごとく東京に滯在しておりました石黒地崎、それらの諸君で運営せられておつたように思います。
  281. 武藤運十郎

    武藤委員長 選挙が済みましてから、五月の初めだそうでありますけれども衆議院の副議長室で、あなたを初め芦田さん、田中萬逸さん、幣原さん、齋藤さんなどの幹部諸君が集りまして、その席上で地崎さんから選挙に要した金の出所なり使い途なり等について、相当詳細に報告をし承認を求めたということはございませんか。
  282. 一松定吉

    一松證人 選挙が済みましてから今の月日のころ、その場所において、地崎君から、そういうような報告があつたように記憶いたします。しかしそのときにどこからいくらの金が出て、その金をどこに使つたというようなことは、詳細に話があつたかも存じませんが、ただ私どもはそうかそうかと聽き流しておつたという実情でありまして、それ以上積極的にその内容を檢討したとか、あるいは承認を與えたとかいうような形はとらなかつたと思うのであります。
  283. 武藤運十郎

    武藤委員長 申すまでもなく総選挙政党にとつては大きな問題であり、これに非常に莫大な金が要るということも、從來の政情史から申しますと当然なんでありまして、その資金をどんなふうに調達し、どんなふうに使うかということは、相当大きな問題だと私ども考える。しかるにこのときに選挙後集まられた最高幹部諸君が、地崎氏から話を聽かれて、ただ單に聽流し、聽きおく程度であつただけではなくて、相当つつこんだ、そうか、それならばその金はそんな方から出たのか、どういうふうに使われたのかというような話も、やや細かく出たんではないかと想像されるのですが、さようなことはないのですか。
  284. 一松定吉

    一松證人 あつただろうと思います。ただ私が記憶しておらぬのは、どこからいくらの金が出て、その金をどのように使つたかということを今日記憶していないと申し上げるのでありまして、そのときにはつまり会計を受持つてつた幹事長の地位として、地崎君がそういうことを発表されたことは間違いないと思いますが、ただどこからいくら出た。こうだというようなことは私ども記憶いたしておりません。のみならず私は自分一つも金を取扱いもせず、また自分選挙費用についても、一文も分配を受けておりませんので実はそういう点について、はなはだ冷淡であつたために、記憶が十分でありません。こう申し上げるよりほかに今日確実な記憶を辿つてそれを申し上げるだけの記憶がない。
  285. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは記憶を呼起すことができるかどうか、もう一度お伺いしたいのでありますが、そのときに土建業者から百五十万円の献金があつた。なお地崎氏本人が御自分の金及び一二の友人から受取つた二百万円と合せて三百五十万円を使つた。そのうち百万円だけを地崎氏の名前で、党献金ということに記載をしておくというような趣旨の話のあつたことを思い出しませんか。
  286. 一松定吉

    一松證人 なるほど土建業者から相当の寄附のあつたということは、地崎君から報告のあつたことを思い出しました。しかしその金額が百五十万円であつたか、百万円であつたかは今記憶いたしておりません。地崎君が自分の手で相当の金を出しておるというな話のあつたことも記憶しておりますが、そのときに私は思い出したことは、地崎という男は北海道で相当の事業をしておるのだが、自分でそれだけの金をよく出すことができた。太つ腹の男だなと自分で感心したことを今思い出しましたが、その金をどこから集めてどのように使つて、そのうち百万円を党の金として届出をしようとかすまいとかいつたようなことは、今記憶しておりません。
  287. 武藤運十郎

    武藤委員長 大分記憶がはつきりしてまいつたのですが、だれか地崎氏が土建業者のほかに、一二の友人、これは多分業者ではないかと思うのでありますが、金が出た話が出て、それはだれから出たというようなお話はございませんでしたか。
  288. 一松定吉

    一松證人 ほかからも出たような話があつたように思つておりますがね。それはだれから出ていくらということは今記憶しておりません。たしかにそういうようなことは報告があつたことだろうと思うのです。またそうなければ報告にならぬわけなんです。そういうように思いますが、それは今だれからどういうような金があつたというようなことは憶えておりません。
  289. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになることはございますか。
  290. 橋本金一

    ○橋本委員 ちよつと証人に承りますが、今お言葉の中に芦田氏が総裁であつたから何も知らないというお言葉でありましたが、私の記憶を辿りますと、当時芦田氏は総裁でなかつたように思いますが、証人になお一應お伺いいたします。
  291. 一松定吉

    一松證人 あるいは芦田氏がそのとき総裁でなかつたかも存じません。総裁になつたことはその後であつたかも知らんと思いますが、その点がはつきり申し上げられません。それから芦田氏が総裁であつたから何もかも知つていると申し上げたのではありません。芦田氏がやはりそのときには民主党の最も重要な地位におられた方でありまして、その方にも話があつたことであろう、こう思うのでありまして、話があつたかどうかということの断言はできない。私主として大阪にずつとおりましたものですから。
  292. 椎熊三郎

    椎熊委員 ちよつと一松さんの記憶が明確でないと思うのですが、民主党結成当時は総裁を置かないで、六人の最高委員でやつてつた総裁選挙後五月十八日の議員総会で芦田さんがなつたのですが。
  293. 一松定吉

    一松證人 確かにその通りでした。私間違つていました。そのときに、芦田、楢橋、河合、私、齋藤田中幣原、多分これだけで合議体の機関ですべての運営をしておりまして、今椎熊委員の言われますように、総裁を置いたのはその後であつたと、今思い出しました。
  294. 徳田球一

    徳田委員 昨年の五月十七日に副議長室報告をなさつたということが地崎氏によつて供述せられておりますが、そのときにあなたも御列席になつたことは認めておられますね。そのときの地崎氏の発言は、單に報告としてあなたは聽かれたのでありましようか、それともまたそういう報告を全部了解せられたのであるか、それとも報告承認して、そのように行つたこと及び將來行うことに対して承諾を與えたのであるか。どつちでありましようか。
  295. 一松定吉

    一松證人 地崎君がそういう報告をしたことは、それは間違いありません。しかしその報告をしたときに、どこからいくらの金が集まつてそれをどういうふうに使つたというようなことも、もちろん報告があつたこと思うのでありますが、今記憶がしつかりしておらぬのです。それからその報告を認めて、それでよかつたとか、あるいはいけなかつたとかいうような、批判的な態度には私は出なかつたと思います。その届出についてどうするこうするという具体的のことまでは話があつたかなかつたか、よく覚えておりませんが、届出の問題はそのときは出なかつたのではないかと思う。ただ金額がいくら集まつた、何に使つたというようなことであつたと思います。その辺はよく記憶しておりませんが、また資料でもありますれば記憶を呼び起すことがあるかと思いますが、今のところほんとうに記憶しておりません。
  296. 徳田球一

    徳田委員 問題は内容にあるのではないのでありまして、いやしくも幹部会報告せられたのでありますから、これを承認するかどうかということが決定されたかどうかにあるのであります。この点はどうですか、証人は全然知らないのか、知つているのか。
  297. 一松定吉

    一松證人 つまり承認するとかせぬとか、そういう具体的のことはなかつたのでありますが、そういう報告のあつたときに、そうでしたかということの了解はしたのであつたと私は思う。私も了解したと思う。ただその了解したことについて、それを承認と認めるか、あるいは承認と認めないかということは、國会側に任せる。報告のあつたことには何人も異論をさしはさまなかつたことは確かであるように思う。
  298. 徳田球一

    徳田委員 そうするとこの会議というものは、党におきまして、一つの機関として開かれたのではなくして、單に個人的な集りということになりますか。
  299. 一松定吉

    一松證人 いや、最高の幹部が集まつたところで、幹事長の地位にあつた地崎君が報告したのですから、個人的の集りではもちろんない。党の最高幹部の集りにおいて幹事長地崎君が報告をした、こういうことになる。
  300. 徳田球一

    徳田委員 それではよろしゆうございます。
  301. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 あのときの選挙地崎氏が終始中心になつてつたということになるのですか。
  302. 一松定吉

    一松證人 地崎君は、あの方は立候補しませんで、東京に滯在して、自分がすべてのことをやつておりました。
  303. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 地崎氏は早くパージになつているのですから、パージになつてから後もやはり選挙事務関係しているのですか。
  304. 一松定吉

    一松證人 いやその時分にはまだパージになつていなかつたように思う。パージはその後になつたと思う。ただし報告をしたときには、あるいはパージになつてつたかもしれませんが、今に報告はパージにならなかつたときに取扱つたことを事務の終了手続において報告があつた、こういうように思うのです。しかし地崎君の報告された実際を私今記憶しておりませんから、その点は断言できません。
  305. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 選挙は、申すまでもなく重大なことですから、たれが中心でやつたかやらないかということは、最高幹部のごときは殊に関心の的でなければならないわけですが、地崎氏がもし選挙中途において政界から追放せられたとすれば、当然選挙事務から退かなければならぬことになるのだと思います。そうするとその後たれ人が中心になつてつたかということが、ここに問題になつてくるわけです。そういう御記憶がないとすれば、地崎氏が依然として追放の身で関係しておつたとも思われる。各種の資料からそういうふうに推定されるような向きもあるのですが、どうですか、だれが後継者になつたのですか、地崎氏がやはり携つてつたのですか。
  306. 一松定吉

    一松證人 地崎君が追放された日時は、今私、記憶でなく、知らない。でありますから、追放された後にそういうことをしたのか、前にしたのかということは、はつきり申し上げられません。
  307. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 中途で追放されたということは明らかですが、その後に中心になつた者があることを御存じないと解釈してよろしゆうございますか。
  308. 一松定吉

    一松證人 途中でというのは何でしようか。選挙中に……。
  309. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 むろん選挙中です。選挙の初めごろです。
  310. 一松定吉

    一松證人 追放にならなかつた以前に地崎君が選挙のすべての実際の仕事に当つてつた。しからば追放になつた後において、だれがその任に当つておりましたか、そのことは今覚えておりません。とにかく地崎君がやらなければ、それに代つてつた人がなければなりませんが、私が先刻來申し上げますように、多く選挙区におりました。選挙区におらないときには、あれは逓信大臣のときでありましたが、自分は仕事をもつておりましたし、党の方の仕事には、ただ顧問という立場にありましたわけで、あまり深く関與しておりませんでしたから、それらのことは、よく今記憶しておりません。
  311. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 一松さんは往時鬼檢事として勇名を天下にとどろかした方であるから、老政客としても、そういう点においては分析的な頭をもたれていると私ども了解しているのですが、この選挙の中心になつた方は、選挙の結果の勝敗いかんにかかわらず、御苦労さんであるとか、殊勳甲であるとか、事後においても選挙中のことが問題になるのであります。大阪の選挙区へ帰られておつたり、遊説に行かれておつたりしても、最高幹部の、殊に性格上齋藤さんなんかとはまた異なつた長所をもたれている一松さんが、そういうことに無関心だとは、私は考えられないのでありますけれども、この点はこれ以上追究いたしません。  さらに一点お聽きしたい。五月何日の最高幹部の集りのときの地崎氏の報告の中に百五十万円土建会社から金をもらつたけれども、そのうち四十何万円とかいくらとかは、自分が勝手に使つたというふうなことで、百万円しか帳簿の方には記載しないという、そういう話が出たというふうにも仄聞しているのですが、先ほど言つたように、非常に頭の鋭い一松さんのことですが、お覚えになりませんか。
  312. 一松定吉

    一松證人 実は私覚えがありません。今あなたのおつしやるように、私は長い間司法官生活をしておつたために、正邪ということについて特別に関心の深い、また正しいことをしたことについては何ですが、悪いことをしたことをそのまま承認するというような性格でもない、また今までそういうことをしたこともありませんが、そういう立場で今あなたのお尋ねになるようなことを地崎君がその席で言つたというようなことについては何も記憶はありません。記憶のないところからみれば、そういうような自分が使い込んで云々とかいうようなことの話はなかつたのじやないかと思いますが、これは自分の性格からきた想像であることに御了承願いたい。
  313. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 最後に一点、今の徳田君からも聽いたようですが、届出の問題について正式の政令に対する届出があつたかなかつたか。選挙費用に関する届出の内務省令みたいなものがあつたように思うのです。とにかく公にするという問題について実際の趣旨とその公にする趣旨とが異なるという話が絶対なかつたのですか。
  314. 一松定吉

    一松證人 届出の問題はその際にも、その後においても私はそういう話があつたことを何も覚えておりません。それは私に関係がなかつたのです。
  315. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 地崎さんははつきりそれを言つたというのですか。
  316. 一松定吉

    一松證人 聽いたかもしれません。しかし私は聽かれもしませんのでそれを覚えておりません。
  317. 石田博英

    石田(博)委員 一点お伺いいたしたい。昨年の選挙に際しまして、これはどこの党でも同じことだと思いますが、相当の費用がかかつた。それでいろいろ寄附を集められているのですが、当時一松氏は國務大臣の地位におられ、党の最高任務をもつておられる、重要な幹部の一人であられたのですが、党の選挙の際は費用に何ほどか御寄附なさいましたか。
  318. 一松定吉

    一松證人 私ははなはだ恥かしい話ですが、余財をあまりもつておりませんので何も寄附しておりません。ただ党費を出したくらいに記憶しております。
  319. 石田博英

    石田(博)委員 有力な財政的援助者の名簿を拜見いたしておりましても、私は前に拜見してそういう事実を見なかつたので、今念のために拜見してみましても、おつしやる通り寄附をなさつていらつしやらないのでありますが、これをずつと見てまいりますと、ほとんど所属代議士の各位は金額のいかんを問わず、大体やつておられるので、私ども当然党内における地位その他から考えましても、一松さんと比べものにならない人々でも、それぞれ寄附をきわめて万遍なくやつておられるのですが、ふしぎと一松さんの名前だけが見えない。これはどうも納得がいかないのですが、全然寄附をなさらなかつたのですか。
  320. 一松定吉

    一松證人 はなはだ恥かしい話ですが、私実は私寄附するだけの余財をもつておりませんし、またそれをよく党員は知つているから一松、お前金を出せなどということを特別に命ぜられたことはありません。ただ党費としては党員なみには出しておりますから、それ以上に積極的に出したということは今記憶しておりません。
  321. 石田博英

    石田(博)委員 ふしぎに思つたものですから……。
  322. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。     〔「なし」と呼ぶ者あり〕
  323. 武藤運十郎

    武藤委員長 では済みました御苦労さまでした。     —————————————
  324. 武藤運十郎

    武藤委員長 たいへんお待たせしました。それでは伺います。昨年の春に進歩党が解党いたしまして民主党結成されたようでありますけれども、その当時のいきさつを概略述べていただきたいと思います。
  325. 芦田均

    芦田證人 三月の二十二、三日に私が自由党を脱党しまして、間もなく三月三十一日に民主党結党式をあげたと記憶しております。そのころ集まつた者は、進歩党自由党からの一部分及び國民協同党、無所属、それらの所属議員が集まつて民主党と称するものを結成したわけであります。
  326. 武藤運十郎

    武藤委員長 進歩党を解党し、民主党結成するにつきましては、相当な政治資金を要したというような話があるのでありますけれども、一体そういうために金が入用であつたかどうか、入用であつたとすればどういう方面から出て、どういう方面に使われたかということについて、お知りになつておる限りを伺いたいと思います。
  327. 芦田均

    芦田證人 当時党の結成についての費用は、もちろんある程度必要であつたろうと思いますが、その方面の事務は一切地崎君が担当しておりましたから、私自身としては当時の事務関係はしていなかつた関係上、内容等について申し上げることは非常に困難であります。
  328. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年の総選挙の当時に、民主党におきましても選挙資金が要るというので、会社または業者などにいわゆる政治献金をしてもらいたいというような申出を幹部相談の上でしたことはございませんか。
  329. 芦田均

    芦田證人 当時の民主党は最高委員が六、七名集まつてこれが最高の機関であつて幹事長がこれを執行機関として運営をしておつたのでありますが、選挙費用の問題についてこれらの委員が集まつて相談したことは一度もないと記憶しております。
  330. 武藤運十郎

    武藤委員長 地崎氏はこういうふうに証言をしております。その当時は選挙が間近いということで、できるだけさような淨財を集めようという氣持で逢澤氏も土建の首脳部にお話をしたようであります。しかし私は党首脳部に了解の上で、私の一手でそれをやるように話をしてその通り実現をしたのであります、こういうふうに申しておりまして、またそのほかにもさような趣旨のことを述べておりますけれども、これは党首脳部と相談の上で献金を申しつけたのだというような意味のことを申しているのですが、今伺いますと一切さようなことはないというお話でありますけれども、何かあつたのではないのでしようか。
  331. 芦田均

    芦田證人 地崎君から、さような問題を党の最高幹部に協議されたことは一度もないと記憶しております。
  332. 武藤運十郎

    武藤委員長 選挙のときに選挙対策委員というものを設けましたか。
  333. 芦田均

    芦田證人 それはちよつと記憶をしておりませんが、党の記録を見ればわかると思う。
  334. 武藤運十郎

    武藤委員長 たとえば選挙に際しまして、どの地区ではだれを公認するかとか、その他の選挙関係のことを受持つ委員をつくつたのではないのですか。
  335. 芦田均

    芦田證人 いや、ただいまお答えした通り、党の記録を調べれば委員ができたかどうかは判明すると思いますが、ちよつと正確な記憶をもつておりません。
  336. 武藤運十郎

    武藤委員長 選挙が済みましてから、五月の初めころだというお話ですけれども衆議院の副議長室にあなた、一松さん、田中萬逸さん、幣原さん、齋藤さんなどの党首脳部が集まりまして、そこで地崎氏から選挙以來の党の入金、支出その他について報告を受けた、そして党首脳部がこれを了承したという、そういう事実はありましたか。
  337. 芦田均

    芦田證人 期日は選挙直後であつたということは記憶しておりますが、明確に何日であつたかということははつきり憶えておりません。そういうことが確かにありました。
  338. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのときにどこからどのくらいの金が來たとか、その金はどの方面に使つたというような報告地崎氏からなされて、それに対してあなた方最高幹部は質疑なり意見なりを述べて、これを討議したような事実はないのですか。
  339. 芦田均

    芦田證人 地崎君から、地崎自身書類をもつて出て來ておりましたが、口頭によつて選挙終了に至るまでの会計報告をされました。われわれは確かにそれを聽いたことを記憶しております。二、三質問も出たように思いますが、しかし明確にだれがどういう質問をしたかということは、あまり記憶に殘つておりません。しかし確かに質問はその当時された方があつたように思います。
  340. 武藤運十郎

    武藤委員長 質問もなされたということでありますと、大口の献金などにつきましてはやはり話が出たのではないかと思うのでありますが、そのときに土建業者から百五十万円献金があつたこと、それを地崎氏が受取つたこと、なおそのほかに地崎氏が自分の金を合わせて一、二の友人から受取つた金とともに二百万円、合計三百五十万円についてこれこれかように使つたのだ。そしてそのうち百万円は地崎氏の党に対する寄附ということで、記帳しておくというような話があつて、これを幹部諸君は了承せられたということはございませんか。
  341. 芦田均

    芦田證人 私の記憶しておるところによれば、地崎氏がその会議に持つてきた書類届出をする原簿を持つてきたように覚えております。從つてだれからいくら、だれからいくらというようなことは詳細には記憶しておりませんが、おそらくその後民主党から届け出たあの書類そのままを原簿として持つてきたものと、今から考えてみればさように了解します。
  342. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになることがございますか。
  343. 辻寛一

    ○辻委員 民主党幹事長に御就任になりましたときのいきさつと、いつおやめになりましたか、それをお聽きしたい。
  344. 芦田均

    芦田證人 私が京都に旅行をしておるときに幹事長に任命するというので、たしか東京に着いたのが四月の十二日であつたと思います。そうして十三日は休んで十四日から埼玉、群馬、栃木、長野、山梨方面に遊説に歩きまして、選挙の前の晩の十二時ごろに東京に帰つてきた。その後は東京におりました。幹事長をやめたのは確か竹田儀一君に幹事長の任を譲つた記憶しておりますから、五月の末ぐらいのことじやないかと思いますが、それはすぐ書類でわかります。
  345. 辻寛一

    ○辻委員 そういたしますと四月の十二、三日ごろに幹事長に御就任になりましたといたしますと、選挙の大半は幹事長としてお勤めになつたわけでありまして、ただいまも証人が仰せになつたように、幹事長は党の執行機関であるとこう仰せになつておるわけでありますから、この春の選挙の大半は幹事長として中心になつておやりになつたということに相なるわけでありますが、さようでございますか。
  346. 芦田均

    芦田證人 十二日に東京に帰つてきて、それから後は幹事長の職務を確かに勤めております。
  347. 辻寛一

    ○辻委員 前幹事長地崎さんでありますが、事務の引継ぎはやる暇はございませんでしたか。
  348. 芦田均

    芦田證人 当時連合軍の了解を得て、殘務整理のために地崎君がなお二十日間種々の事務を処理することを許されたので、おそらく五月の初めまではもつぱら地崎君が会計方面のことを整理して処理しておりました。
  349. 辻寛一

    ○辻委員 それは幹事長をおやめになりましてからも、会計方面だけは選挙に関する限り地崎さんがおやりになつたということでありますか。
  350. 芦田均

    芦田證人 それは選挙のことばかりでもありませんが、日々の会計についても大体関係をしておつたろうと思います。
  351. 辻寛一

    ○辻委員 その五月のいつかやらに、地崎さんからおそらく申し出たであろうと思いますが、最高幹部がお集まりになりまして、選挙收支に関する決算の報告をお受けになりましたときにはあななは幹事長であつたわけですが、党の執行機関である重大なる幹事長といたしまして、その間の報告についてうわの空でお聽きになつたはずはなかろうと思いますし、相当詳細にお聽きになつておるように思うのですが、いかがでございますか。
  352. 芦田均

    芦田證人 先ほど委員長の質問に答えた通り地崎君から種々口頭で報告を受けました。口頭で相当詳細に報告を受けたことは記憶しております。
  353. 辻寛一

    ○辻委員 それではこういうことはお聽きになりませんでしたか。土建業者から百五十万円の金が出た、なおそのほか一、二の友人並びに自分の手持金を集めて三百五十万円、その中の百万円は地崎氏の寄附、これに似通つた話をお聽きになつた記憶はありませんか。
  354. 芦田均

    芦田證人 ただいま質問されたような具体的の事実を地崎君が報告したかどうか私は記憶しておりません。
  355. 辻寛一

    ○辻委員 先ほど一松氏は百万円であつたか百五十万円であつたか憶えないけれども土建業者からはいつたということの報告を受けた。なお一、二の友人からその名前は忘れたけれども、そういうこともたしかに聽いたと言つておられます。一松さんは顧問であります。あなたは幹事長である。重大なる職務にあるあなたがせめてその程度のことはお氣に止めておらないければならないと思いますが、かような御記憶はとんと呼び起すわけにまいりませんか。
  356. 芦田均

    芦田證人 私はどうもそうはつきり百何万とか、土建業者の友人があと二百万円とかいつたように数字を地崎君があのときに言つたかどうか、おそらくそういう具体的のことは話をしなかつたように記憶しております。
  357. 辻寛一

    ○辻委員 それではとにかく、はいつた金は全部届出たというふうに聽かれておりまするか、それとも一部分届出たが、一部分はこうして百万円入れておいた、こういうようにお聽きになつておりますか。
  358. 芦田均

    芦田證人 むろん私ははいつたものは皆んな届出るのだというふうに、初めから考えておりました。
  359. 辻寛一

    ○辻委員 政令三百二十八号ですか、これに規定されております政党資金届出ということ、これは政党幹事長または主幹者によつて届出ることになつておるのですが、幹事長以外の主幹者というのはどういう地位の人を指すとお考えになつておりますか。
  360. 芦田均

    芦田證人 そうなると非常にむつかしい法律論になるように思いますが、民主党創立以來の慣習で大体創立当時の最高委員の首席が齋藤君であつた結果、齋藤君がそういう問題についての責任者として届出をしておられたが、私が幹事長になつても、おそらくそういう慣習で齋藤君が判を押しておられたのであろうと了解しております。
  361. 辻寛一

    ○辻委員 そうしますると、あの政令の規定にははまつておらない。ただ便宜上というように解釈すべきものであります。幹事長がお届けになつておるのは二十三年一月十二日と承つておりますが、その当時にはどなたでしたか幹事長はれつきとして民主党にあつたはずですが、齋藤君の名前によつて届出ておる。これは最高顧問でありまするが、今承れば今までの慣例によつてということになつておりまするが、これは政令の趣旨に違反するとはお考えにはなりませんか。
  362. 芦田均

    芦田證人 だれか党の相当の地位におる者が責任をとれば、それで間違いはないと心得えておつたわけであります。
  363. 河井榮藏

    ○河井委員 一、二点証人にお尋ねをいたしますが、地崎氏が百五十万円のほかに自分の金を加えて二百万円ばかり寄附をした。献金したと言つておるのでありますが、世間ではその二、三人の中に菅原通済氏があるのではないかというようなうわさがあるのであります。芦田さんは菅原氏と御昵懇の間柄だそうですが、そういうことについて何かお聞及びはありませんか。
  364. 芦田均

    芦田證人 私は菅原氏とは十数年來の知合いですから、非常に懇意にはしております。しかし私は党の資金等について、私の手を経て出し入れをしたことは一切ありません。從つてもし地崎君がそういうことを言つておるのならばそれはそうだろうと思いますが、私はそういうことは何も聞いておりません。
  365. 河井榮藏

    ○河井委員 それからもう一点、竹中藤右衞門氏が主体になつて土建業者政党に献金するについて竹葉に集まつたとき、菅原通済氏も來られたそうですが、はかの者はみな賛成しておつたのに、菅原氏一人反対しておられたそうです。これはどういう理由か、われわれはちよつと判断に苦しむのです。あるいはまたこじつけて考えますと、自分民主党総裁となるべき有力な芦田氏を特に知つておるのだから、ほかの土建業者一緒に献金しなくてもいいというような意味で反対されたのではないかとも考えられるのですが、その辺のことにつきまして、何ゆえそのとき反対したかということを菅原通済氏から御友人としてお聽きになつたことはありませんか。
  366. 芦田均

    芦田證人 そういう立ち入つた話を聽いた覚えはありません。
  367. 河井榮藏

    ○河井委員 もう一点、この土建業者の献金として飯田精太郎氏を通じまして、地崎宇三氏からの献金以外に、何らかの名義で党あるいはあなた個人に対しても、菅原通済氏からの献金の事実はありませんか。
  368. 芦田均

    芦田證人 先ほどお答えした通り、菅原氏と私は、冠婚葬祭のごく微々たるやりとりはしております。しかしそれ以外に党の資産を菅原君から私に渡した事実は一度もありません。
  369. 徳田球一

    徳田委員 芦田さんにお尋ねいたします。まず第一に芦田さんが何ゆえに自由党を脱党せられたか、その理由を……。(「そんなことを聽く必要はない」)関連するから今聽いておるのだ。
  370. 芦田均

    芦田證人 お答えいたします。私は脱党と同時に、新聞に声明書を出しております。その声明書は今日でも殘つております。それをお調べくださればすぐわかります。
  371. 徳田球一

    徳田委員 それはわかりますが、こつちは記録に止めておく必要がありますので、記録に止める必要上、一言ここでお答えをなさることが適当だと思いますから、ぜひお答えを願いたいのであります。
  372. 芦田均

    芦田證人 声明の全文章を後刻委員会に提出いたします。
  373. 徳田球一

    徳田委員 主要の部分でようございますからぜひお答えを願いたい。
  374. 芦田均

    芦田證人 必要な部分書類で出しますから、どうか記録にお載せください。
  375. 徳田球一

    徳田委員 これはあとで聽く必要上、どうしても聽かなければ済まないのですから、ぜひお答え願いたい。できなければいいが……。
  376. 芦田均

    芦田證人 出すことは私はちつとも厭いません。ただ間違いのないように、私の家に帰れば声明書全文があるのです。それをここに提出する、こういう意味でお答えしておるのです。
  377. 徳田球一

    徳田委員 それならばお尋ねいたしますが、その脱党当時何人の御同伴がありましたが、お答え願いたい。
  378. 芦田均

    芦田證人 脱党したときは私一人であります。
  379. 徳田球一

    徳田委員 だれも同伴なし。
  380. 芦田均

    芦田證人 なし。
  381. 徳田球一

    徳田委員 自由党と合同せられましたいきさつに対しまして、今までのお話では非常に不分明でありますが、先ほど齋藤隆夫さんの証言によりますと、大分こみ入つた事情がありまして、齋藤さんに一度拒絶せられた関係もあるようですが、この点のいきさつをお話願いたい。
  382. 芦田均

    芦田證人 齋藤君が拒絶したということは、どういうことを意味されるかわかりませんが、いろいろいきさつがあつて、いよいよ新党樹立をやろうかやるまいかというような話をしたことはあります。そのことだろうと思います。
  383. 徳田球一

    徳田委員 いやそういうふうなことではないようでした。最初齋藤さんの話では、合同しようと言つたときに、どうも自由党と全部で合同するならいいけれども、一部分脱退して合同するようなことは、あまりよくない、だから……。(「そんなことは言わぬ」)それは言つた自由党と全部合同することが自分の趣旨だ、自分はそういう論者だと言つておりますが、この間のいきさつについてもつとこまかなことを話していただきたい。
  384. 芦田均

    芦田證人 齋藤君とは始終会いましたが、いつごろそういうことを言つたかというふうな、たしかな記憶はありません。
  385. 徳田球一

    徳田委員 それならばもう少し進んでお答え願いたい。民主党ができた当時の、あなたの地位は党内においてどういう地位であられたのですか。
  386. 芦田均

    芦田證人 結成大会で最高委員を七名選びました。私はその七名の中の一人であります。
  387. 徳田球一

    徳田委員 最高委員の七名はどういう方々でありますか。
  388. 芦田均

    芦田證人 齋藤君、幣原さん、それから河合良成君、一松定吉君、木村小左衞門君もそうだつたかと思います。しかしこれはちよつと調べてみないと一人二人違つているかも知れませんが、そういう顏触れであります。
  389. 徳田球一

    徳田委員 それはいいです。大体民主党内では最も重要な地位におられたのでありますから、選挙に対して、今あなたが御証言なされたように、ほとんど金銭的には何ら関係がないというお話でありますが、そういう点は確実に、党基金や選挙の基金などに対しては、何ら関係せられておりませんですか。
  390. 芦田均

    芦田證人 それは先ほどの質問に答えた通り、四月十二日に東京に帰つてきて、翌々日から毎日遊説に出歩いて、投票日の前の晩に帰つてきたのでありますから、私が幹事長の職務を受継いだときには、そういう事務はほとんど終了した後で、從つてそういう事務については、何も相談に與かつておりません。
  391. 徳田球一

    徳田委員 それならばもう一つお答え願いたいのですが、総選挙前に土建業者から基金を募集することに対して、地崎証人は党の幹部に話をせられたということになつておりますが、そういう事実に対してあなたは否定しておられますが、そうすると地崎君が全然うそを言うていることになるが、そうですか。(「うそを言うなよ」)黙つているよ、おれが聽くのだ、君らが聽くのじやない。
  392. 芦田均

    芦田證人 それは先ほど答えた通りであります。
  393. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、あなたはこれには何ら関係しておらぬのですか。
  394. 芦田均

    芦田證人 地崎君よりかくのごとき問題を党の幹部会に持出されたことは私は記憶にありません。
  395. 徳田球一

    徳田委員 これは記録に彼は言うておる。そこでそれならばあなたにお尋ねしますが、あなたが幹事長になられたのはいつですか。
  396. 芦田均

    芦田證人 それも先ほどお答えしたのですが、少しあなたの方へは声が通りにくいかと思います。もう少し前に進んでください。先ほどお答えした通り四月の十二日に東京へ來た。そのときに、初めて幹事長の地位についた……。
  397. 徳田球一

    徳田委員 幹事長の地位についた……そうすると、これは非常に重要なことであるから、特に聽いたのですが、五月の十七日と地崎証人は言つておりますけれども、そのときに選挙報告をすることになつて最高幹部が集まられましたが、その前に地崎氏からあなたに対して、幹事長に対して報告をなさつたことがありますか。
  398. 芦田均

    芦田證人 報告を受けた記憶はありません。
  399. 徳田球一

    徳田委員 全然ない……。
  400. 芦田均

    芦田證人 はあ。
  401. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、副議長室において報告会議がなされましたが、この招集はだれがやつたのです。
  402. 芦田均

    芦田證人 それは最高幹部の中で一度報告を聽こうではないかというような説を出された方があり、地崎君も、もはや自分書類一切残務整理を終つたんだから、一應話をしておきたいと言われた。だれが招集したか知りませんが、あるいは私が招集したかもしれません。それははつきり覚えておりませんが、だれか、あるいは私がみんなに傳えたかもしれない。そういうことはあり得ると思うのです。
  403. 徳田球一

    徳田委員 ちよつとお聽きしますが、民主党は一体こういう重要なる会議を招集するときに、だれがしたかわからぬというような、そういう不分明なものですか。幹事長というのは一体何をするのですか。
  404. 芦田均

    芦田證人 それは私が招集したかもしれないと思いますが、しかしそこははつきり記憶に殘つていないと申し上げたわけです。
  405. 徳田球一

    徳田委員 かもしれぬということはおかしい。あなたは幹事長であられる以上は、この報告に対してはちやんとあなたが主幹者としてこの報告を聽かれたと思いますが、これはどうですか。
  406. 芦田均

    芦田證人 そういう問題は当時の民主党の組織としては、最高委員というものが合議制でやつてつて、その主席が齋藤君であるというのですから、幹事長は無論最高委員の命令を執行する役におることは間違いありません。
  407. 徳田球一

    徳田委員 そこでお尋ね申しますが、そのときの地崎君の報告では百五十万円を土建業者から、殘り二百万円は自分の金の一部と、あと一、二の友人から出したもの、合計三百五十万円でありまして、この費途については進歩党を解体し、民主党を創立したときの費用並びにその間における機密費、それから情報を蒐集する費用等を含んでおると報告されたようになつておりますが、そういう報告を聽かれたことがありますか。
  408. 芦田均

    芦田證人 先ほど委員長からそれと同じ質問を出されて、私はさつき答えたばかりです。それと何にも違つたことはありません。
  409. 徳田球一

    徳田委員 声が低くて聽き取れませんが、あとの問題でこれは重大でありますから、ぜひお答え願いたい。
  410. 芦田均

    芦田證人 先ほど答えた通り、さような問題は地崎君から一々具体的に報告があつたような記憶はもつておりません。
  411. 徳田球一

    徳田委員 記憶がない……。
  412. 芦田均

    芦田證人 はあ。
  413. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、地崎君がうそを言うたということになりますな、あなたがほんとうということになりますな。  それからもう一つお願いしますが、民主党で議員の候補を立てますときに公認料というものを出しますか。出しませんか。
  414. 芦田均

    芦田證人 民主党には別にそういう法則は一つもつくつておりません。
  415. 徳田球一

    徳田委員 法制上公認料というのはありませんね。
  416. 芦田均

    芦田證人 はあ。
  417. 徳田球一

    徳田委員 しからばさらにつつこんで、公認料がなければ、各候補者に対して、いくらかずつの援助をするということはありますか。
  418. 芦田均

    芦田證人 ごくまれな場合にはそういうことはあり得ると思います。
  419. 徳田球一

    徳田委員 ごくまれですね。
  420. 芦田均

    芦田證人 はあ。
  421. 徳田球一

    徳田委員 これも地崎君の言うのとは大分違う。それではこれはこれくらいにしておきましよう。そこで本年、二十三年の一月十二日のころは、民主党幹事長はどなたでありましたか。
  422. 芦田均

    芦田證人 苫米地義三君であつたように記憶しております。
  423. 徳田球一

    徳田委員 そのときに齋藤隆夫氏の名前によつて政令三百二十八号の届出をしておりますが、齋藤隆夫氏の証言によると、自分はそういう報告をしたような覚えは全然ない。それから自分は判を押したようなこともないと言われておりますが、これは判を押されておる。これは正式の届出ででありますが、そういうことに関してはすべて幹事長がやられるのでありますか。それともどなたかこういうことをやられる人がありますか。
  424. 芦田均

    芦田證人 私の幹事長時代にも、そういうものの届出をしたことを覚えておりませんから、おそらく会計事務員が從來の慣例に基いて書類を整理しておるのだと思います。
  425. 徳田球一

    徳田委員 しかしこの法令によりますと、政党幹事長もしくは党の主幹者ということになつておるので、本來からいいまして、この法律の命令するところによりますれば、幹事長がやらなければならないと思います。そうすると苫米地さんがやることにならなければならぬと思いますが、どういうわけでこれは齋藤さんになつておりますか。
  426. 芦田均

    芦田證人 さあ、私はその辺のことをどういうふうに取扱つたかは、ちよつとも相談を受けておりませんから、知りません。
  427. 徳田球一

    徳田委員 しかしながらこれは事務員がやつたにしろ、だれがやつたにしろ、事務員事務をやる手足であつて責任者でありませんから、從つてこれは幹事長責任を負わなければなりませんが、民主党でやはり幹事長責任を負うことになつておりますか。
  428. 芦田均

    芦田證人 実は民主党届出に対して責任を負うとか負わぬとかという議論をしたことはないので、從來最高顧問というか、最高委員であつた齋藤さんが、引続き判を押されたんだろうということを、今になつて想像するのであります。それ以上の詳細のことは私にはわかりせん。
  429. 徳田球一

    徳田委員 さつぱりわからぬが、わからぬならしかたがありません。さてあなたは民主党に対しまして献金をなされたことがありますか。
  430. 芦田均

    芦田證人 あります。
  431. 徳田球一

    徳田委員 いつ何日、いくらの献金をなされましたか。
  432. 芦田均

    芦田證人 それは帰つて書類を調べればすぐわかります。みんな届けが出ております。
  433. 徳田球一

    徳田委員 何遍くらいお出しになつておりますか。
  434. 芦田均

    芦田證人 それは党に書類がありますから、詳細は写してこの委員会に提出します。
  435. 徳田球一

    徳田委員 しかし証人といたしましては、党の書類を調べて形式的にこれを出すということではなくして、ここへ出てきて、自分が献金したことに対しては、自分記憶によつてこれを証言するのが、大体この証言の目的であります。そうでなくしてあの政令に抵触しないように、こういうふうに取締られないように、まあ家へ帰つてゆつくり考える。または書類を探してすぽつと出すというのでは、これは証人たる價値はないのであります。こういう証言ですと意味をなさぬのであります。だからしてあなたが覚えておられることをぜひ言うてもらわぬと、私たちは証言を拒否しておると認めざるを得ないのでありますが、どうでありますか。
  436. 芦田均

    芦田證人 私が本日ここで証言をすることは、地崎君の問題に関連して証人として出頭しておるものと心得ております。從つて自身の問題についての招喚であれば、それは今徳田君の言われる通り自分のやつたことを詳細に一々書類を読んで準備をしてきたでありましようが、そういう準備をする時間はない。從つて私が不正確なことを言うよりも、すぐそこの民主党事務所に行けば証拠がありのですから、それを出すことはちつとも……。
  437. 徳田球一

    徳田委員 あなたにくどいことを言つてもだめですから。一体何度くらいやつたのですか。どのくらい。
  438. 芦田均

    芦田證人 まあ二、三度はあつたろうと思います。それを私が僞証であるとか何とかやられたのでは困りますかり、書類を調べて提出いたします。
  439. 徳田球一

    徳田委員 調べるならばあなたの帳面を調べてもらわないと、民主党の帳面を調べてもらつてもだめだ。なぜそう言うかというと、民主党届出には大分うそがあることを発見した。それは幣原氏の十万円、田中萬逸氏の十万円、これを寄附したと言われますが、本人たちはそんな覚えはない。こう明言せられておりますので、ここに非常に大きい食違いがあります。その点はやはりよく調べておきませんと、これは一大事であります。政令第三百二十八号に違うか違わぬか。これは政党の浄化のためにきわめて重大でありますから、あなたの書類、あなたの記憶を思い出してもらいたい。民主党の記録にどうあろうが問題でない。あなたの記憶の方が問題であります。その点特に御注意いたしまして、御報告なさるならばこれは後に讓りたいと思いますけれども、そうではなく、民主党書類を大出しになるというならば、これは私は証言にならぬと思います。どつちにいたしますか。     〔「総理大臣にそんな質問をするな」と呼び、その他発言する者多し〕
  440. 徳田球一

    徳田委員 総理大臣だからなお聽かなければならぬ。この委員会が始まつたときに、最初にここに大臣として出てこられて、自分のことに関しては、いかなることであろうとも詳細に述べる。おれは責任をもつて答えると堂々と声明せられておるのでありますから、從つてこの事件に関しましては、詳細に、ありとあらゆる点についてわれわれは聽かなければならぬ。総理大臣から聽くのであつて、それが端下であればわざわざ聽かない。総理大臣であるがゆえに、われわれはなおさら嚴密に詳細に聽かざるを得ないのであります。どうですか。
  441. 芦田均

    芦田證人 私記憶を呼び起してお答えいたします。
  442. 徳田球一

    徳田委員 それではちよつと方向を変えまして、あなたは大阪市北区堂島に本社を有します京都の日建林業株式会社の岡直樹という人を御承知でありましよう。
  443. 芦田均

    芦田證人 岡直樹という男は二、三度会つたことがあります。
  444. 徳田球一

    徳田委員 あなたはこの人との関係につきまして、ただ二、三回会つたというだけではなしに、詳細に一つお話を願いたいのであります。
  445. 芦田均

    芦田證人 京都の人でありますが、いつか紹介状をもつて私のところへ会いに來ました。それは今年であるか去年の秋以後であつたかははつきり覚えておりませんが、たしかに二、三度会つたことはあります。しかしそれも墾意につきあつておる間柄ではありません。
  446. 徳田球一

    徳田委員 民主党を支持するとか、あるいは民主党員であるとかいう関係はありませんか。
  447. 芦田均

    芦田證人 党員ではありません。民主党員としてははいつておりませんけれども、私には好意をもつておる男だ。
  448. 徳田球一

    徳田委員 それだけですか。
  449. 芦田均

    芦田證人 はあ。
  450. 徳田球一

    徳田委員 それじやもう一つお聽きしますが、この岡直樹さんは栗栖さんも存じておると思いますが、あなたは栗栖さんとこの人との知己関係の交渉に関しては何ら御存じはありませんか。
  451. 芦田均

    芦田證人 知つておるかも知れませんが、別に何も知つておるという事実は握つておるわけではございません。
  452. 徳田球一

    徳田委員 昨年岡組、いわゆる岡直樹のもつております日建林業株式会社に対しまして、日本興業銀行から五百万円金を出しておるはずであります。出しておることは大体こつちは握つておりますが、これに対してあなたもしくは栗栖さんが斡旋せられたというようなことはありませんか。
  453. 芦田均

    芦田證人 それならば、何か名刺に紹介状を書いて岡君に渡したことはあります。
  454. 徳田球一

    徳田委員 この五百万円を斡旋したことに関連いたしまして、復金にも何か紹介をなされたようなことはありませんか。
  455. 芦田均

    芦田證人 それはこういうことなんです。岡という者が進駐軍の工場をやつてつて、進維軍に物を納めたけれども、代金の支拂が非常に澁滯している。そこで当時終戰連絡事務局の総裁をしておる私の方にも、直接関係のある仕事であります。ところが支拂が澁滯したのでは仕事がやつていけない。從つて支拂の証明を戰賄復興院なり、あるいは終戰連絡の関係筋からもらえば、それだけの見返りによつて一時金融をしてもらえるということだから、話にいきたいから紹介してくれ、こういうことで名刺に紹介を書いたことはあります。
  456. 徳田球一

    徳田委員 この事に関しまして傳えられておるところによりますと、岡直樹氏から栗栖氏に対して相当な謝礼をしたという事実があるようでありますが、そういうことに関して御存じありませんか。
  457. 芦田均

    芦田證人 私は何も聽いておりません。
  458. 徳田球一

    徳田委員 ではもう一つ方向を変えてお尋ねをいたしたいのであります。福島縣下に安積地区というのがありまして、ここで開拓事業をしておるのでありますが、この開拓事業に関しまして間組、鹿島組、鉄道工業、これは菅原氏のやつておられるものでと思いますが、こういう人々が請負をしておる。この仕事に関しまして御存じありますか。
  459. 芦田均

    芦田證人 そのことは何も知りません。
  460. 徳田球一

    徳田委員 なんにも知らない。この関係は全然御存じありませんか。
  461. 芦田均

    芦田證人 なんにも知りません。明白に申し上げます。
  462. 徳田球一

    徳田委員 それならばあえて追及はいたしません。そこで私はおしまいにいたします。
  463. 田中健吉

    田中(健)委員 重復しておるかも知れませんが、後日の念のために二、三点お伺いしておきたいと思いますが、証人が昨年の総選挙の当時から、総選挙後に結成されるところの民主党総裁になる地位をねらつてつたとうわさしております。そのために党員の特殊の人々に対して、相当な金銭上の援助をいたしておる。こういううわさであります。そこで証人にお伺いいたしますが、どのくらい御援助をなさつておるか、この点をお伺いいたします。
  464. 芦田均

    芦田證人 私が民主党総裁をねらつてつたから、党員に金をやつたろうというお話でありますが、私はそういうような理由で金を出すことはいたしません。
  465. 田中健吉

    田中(健)委員 地崎さんが百五十万円土建業者から受取つておる。この点ははつきりとしております。なお二百万を二、三の知人からもらつておるという地崎さんの証言であるが、その二、三の知人というのは、証人芦田さんもはいつておる、こういううわさがありまするので、これは総理でありますから、誤解を解く上において必要なことではないかと思いまするので、お伺いいたします。
  466. 芦田均

    芦田證人 私は地崎さんに対して百円の金も渡したことはありません。
  467. 田中健吉

    田中(健)委員 それでは先ほどの徳田君の御質問に対しまして、党には若干の金は出しておる。それははつきり記憶がないというようなお話でありましたが、昨年の総選挙のときにも証人が相当な金を党に対してばらまいておる、こういうお話でありますが、どのくらいばらまかれておりますか。
  468. 芦田均

    芦田證人 私はそう多額の金を党に寄附した覚えはありませんが少額の宿附をしたものは、ちやんと事務に渡して帳簿につけておりますから、それはすぐでも取寄せて委員会に出します。
  469. 田中健吉

    田中(健)委員 次に徳田委員から京都の岡直樹という人を知つておられるかという御質問がありましたが、岡直樹さんは私も知つております。二、三回会つたことがある、たまたま名刺も書いてやつた。こういう御証言がありましたが、本年の芦田内閣組閣の直後に、証人は関西方面に御旅行に出られたことがあると記憶しております。その場合に岡直樹氏も同車いたして関西方面に御旅行なさつておるのですか。
  470. 芦田均

    芦田證人 私はたいていの旅行の場合には進駐軍の車を利用して乘せてもらつておりますから私と祕書官以外には同車はいたしません。
  471. 田中健吉

    田中(健)委員 岡直樹に東京でお会いになつた場所はどこでありましようか。
  472. 芦田均

    芦田證人 東京で会いましたのは、たしか外務省の事務室へ來たことがあります。ときには官邸に來たこともあります。
  473. 田中健吉

    田中(健)委員 それから紹介状を持つておいでになつたとおつしやつておりますが、どなたの御紹介で岡さんをお知りになつたのでありますか。
  474. 芦田均

    芦田證人 それは京都の川橋代議士だつた記憶しております。
  475. 田中健吉

    田中(健)委員 岡直樹氏は進駐軍のフローリングの納入の契約をして、復金からも金を借りておる。そこで私が農林省に参りまして、進駐軍のフローリングが予定通りに納入されておるかどうか。金融界からも融資されておるし、納入されておるかどうかということを農林省の林野局の南技官について調査いたしましたところによりますと、他の製材業者が一〇〇%納入いたしておるにもかかわらず、岡組に限つて当時——ことしの三月ごろと記憶いたしておりますが、二五%しか納入いたしておらない。從つて三月二十三日の京都の木材の会議にも、岡組は來られない状態になつておるということを農林省林野局の南技官が言つておる。これは名前もはつきり申し上げます。こういうような状態で莫大な融資を受けておりながら、その金がどう使われたか今詳かにしておりませんが、とにかく木材の納入されておらなかつたことは事実であります。今日もそのような状態ではないか。証人はこれらの事情をよく御承知であるかどうかということをお伺いいたします。
  476. 芦田均

    芦田證人 ただいまお話の三月芦田内閣ができて以後はほとんど会つたことはありません。私はそう前に会つたことは記憶しておりますが、芦田内閣成立以後は一度ぐらい会つたもしれません。近ごろはほとんど顔を見たこともありません。彼の事業がどういうふうであるかということは承知しておりません。
  477. 田中健吉

    田中(健)委員 岡組の事業は破産状態です。進駐軍の納入の契約が果されておらないということを私はお伺いした。それは御存じないですね。
  478. 芦田均

    芦田證人 私はそうこまかいことは知つておりません。
  479. 田中健吉

    田中(健)委員 外務省の官舎に岡直樹氏が訪問して來られた際に、どういう用件でおいでになつたのでありますか。お話内容についてお答え願えればさいわいだと思います。
  480. 芦田均

    芦田證人 最後に來たのはたしか三月の中旬だつたと思いますが、何かお祝いを申しに來たということを言つてきましたが、何も用事のことは一ことも言わずに帰つた。それ以前に來たときには興銀の方に自分書類を出せば融資をしてもらえるから、たれか係の人に紹介してもらいたいということで、名刺を書いたように記憶しております。
  481. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 芦田さんにお聽きする前に、委員長にちよつとお尋ねしたいですが、大体芦田さんたちの今日証人として御出頭になつたのは、私の提案から関連して、いろいろな事件が明かになつて証人としてお出になつておるのであります。從つて直接の動機としては地崎氏の問題が直接の動機となつており、尋問の範囲もまた地崎氏の関連における範囲をなるべく逸脱しないようにするのが適当である。また証人としてもそういう氣持で來られて心の用意がないというように言われたのでありますが、はたしてこの際地崎氏以外の問題について証言を求めるのが不適当であるかどうかという問題があると思いますけれども、すでにこの問題については、あらゆる問題について、直接の動機をなした問題以外の問題についても聽くというふうなことに委員会の決議がなつておりますし、また私の提案しましたことが芦田証人に対して多数多端にわたつておるのであります。從つてこの尋問をいたすことになりますと、どうしても地崎氏以外にもたくさんの問題に触れるのであります。しかし私は芦田さんが決して不当なことをせられておるとは思つておりません。そういう精神をもつて、そういう先入観をもつておるのではないのであります。自由党以來私は芦田さんに対して最も高い尊敬を拂つておるものの一人だと信じております。また私事にわたりますけれども芦田さんの世界外交史上中下三册の厖大なものを十数年前に愛読させていただいておる関係もあつて芦田さんの人格に対しては相当尊敬をもつておるのでありますから、決して先入感的な精神をもつて不当なことがあるとは思つておりませんけれども、とにかくここにありますように雜誌だけでも、これは一部分にすぎないのでありますけれども、厖大なる雜誌に芦田さんのことが載つておるのであります。こういうことは日本の政界のホープである芦田さんのためにも、決してこれがこのまま放置されるということは好ましいことではないと私どもは信じておるわけです。從つて、この際もし芦田さんが、この前自発的に御出席になつたときに言われましたごとく、あらゆるうわさについて、あらゆる疑惑に対して進んで答弁してみずからその潔白を示して、日本の政界は必ずしも腐敗してはいない。日本のホープである芦田総理大臣は日本再建の政治家として決して恥かしくないということが証明できますならば、なお私はいいと思う。もしこれに反し少しでも不当なことがあり、不正なことがあるということになりますれば、これまた徳田さんの言われるごとく、代表的な政治家なのでありますから、その政界に及ぼす影響はまた甚大なものがあると信じておる次第であります。そういう意味で一通り私はこの際このうわさとか何とかいうことについて、事実をこの委員会で明らかにしてもらいたいというので調査、要求書を出しておるのでありますが、これに関してごく簡單にざつとお聽きした方がいいか、またあらためて出ていただいてお聽きした方がいいか、その点について委員長のお考えを、すなわち議事進行に関する質問として私は提起いたしたい。
  482. 武藤運十郎

    武藤委員長 高橋君の御質問にお答え申し上げます。高橋君の御提案はただに土建業者政治献金のみならず、昭和電工に関する問題、竹中工務店に関する問題、梅林組に関する問題あるいは小澤專七郎君に関する問題、清水組関係、菅原通済氏をめぐる問題等多数にわたつて提案されておるのでありまして、この問題のうちには芦田さんに関する部分もかなり多くあるのでありますが、本件以外は未だ調査に着手したばかりであり、また調査に着手しないのもあります。私の考えるところによりますれば、本日のところは一應この問題だけに限りまして、もう少し調査を進めまして、いろいろな点からどうしても芦田さんに伺わなければならないというような程度に達しましたら伺うことにするのがいいのではないか、そんなふうに本日は考えております。
  483. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 そうしますと、梅林の関係だけは一應明らかになつておるようですが、あの点についての芦田さんの御関係を質問するに止めたいと思いますが……。
  484. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではどうぞ。
  485. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 素直に委員長のお言葉從つて、梅林組の関係について、芦田さんのお名前が出ました点についてちよつとお伺いしたいと思います。梅林組の融資問題について何か関係になつたことはありませんか。ありといたしますならば、ひとつ詳細御陳述願いたい。
  486. 芦田均

    芦田證人 昨年の十二月下旬だつたと思います。梅林組の社員が見えまして、政府支拂の滯りが何千万円かある、これを支拂つてもらわないと私の会社はたいへんなことになる。やむを得なければ一時金を借りて何とか支拂いをするほか途がないが、政府の支拂いをするほか途がないが、政府の支拂が何百万円殘つておるという証明書をもらえばそれで金は借りられます。それで大藏省にお願いをしておりますけれども、一向捗りませんから、何とか証明書を早く出すようにしてもらえないだろうか、そんな話がありました。そこで証明書を出すのにそんなに手間をとるはずはありませんと言つたら、いや、事実手間とつてどうにもしようがありませんということでしたから、ちようど私のところに來ておつた、たしか小坂君と大藏次官だつたと思いますが、一体大藏省は何をしておるのだ、もし証明書を出してくれという請求があつたらさつさと出したらよいじやないか、君らも督促してくれと言いました。多分二人にそういうことを取次いだと思いますが、それ以外には何も関係したことはありません。
  487. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 だれから頼まれたと言われました。
  488. 芦田均

    芦田證人 たしかあすこの顧問をしておる綾部健太郎君だつたと思います。
  489. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 土建業者が進駐軍の工事関係で困つておるのはひとり梅林組ばかりではないのであつて、あの当時は全土建業者の問題になつた思つておるのでありますが、特に梅林組の関係についてお口添えになつたのは、梅林の会社と特別の関係があつたからおやりになつたのでありますか。
  490. 芦田均

    芦田證人 ほかにはだれも頼みに來た者がなかつたから、頼まれただけやりました。
  491. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 そうするとほかにも頼みにくればみなやられるということになりましようか。これは愚かな質問ですが、それは総理大臣としては少し不穏当のように私は思いますが、総理大臣たる個人の芦田さんということになるのですか、純然たる個人の芦田さんということですか。
  492. 芦田均

    芦田證人 私は役所が繁文褥礼で、出すべき書類も荏苒日を費やして出さないという執務のやり方は、國民に対する不徳義だと思つております。だからできるだけ早く事務的に取計らつてやるのが人民に対する親切だ、かように考えております。だれから頼まれても、もし悪い点が役所にあるということでありましたら、極力督促いたします。
  493. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 そうすると、総理大臣のお立場、公人としてのお立場ということになりますか。
  494. 芦田均

    芦田證人 私は役所の人間を鞭撻するのはやはり私の責任だと思つております。
  495. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 元へ戻ります。先ほど聽いた範囲でちよつと確かめておかなければ困ると思います。地崎氏が副議長室で説明をしたときに、届出書類をもつてきて説明した。しかもあなたはその内容については覚えはないというお話でありましたけれども、そういたしますると、覚えはないけれども届出に関することは確かに聽いて承認せられたものとわれわれは一應受取らねばならないことになりますが、それでよろしゆうございましようか。
  496. 芦田均

    芦田證人 先ほど申したのは、地崎君はいろいろ書類ほ持つてきました。おそらくそれは届出書類と同じ書類をもつてきたのだろうと思います。ほかの書類があるわけはありませんから。そのことを私は申し上げたのであります。
  497. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 しかし、そうすれば、その届出たものに対して地崎氏が承認をもつてきたということになりますがその内容記憶はないけれども届出をしたことに対して承認を與えた、かように解釈してよろしゆうございますか。
  498. 芦田均

    芦田證人 先ほど言つたのは、報告を聽いてそれを承認したということで、そのときに地崎君はそれを届出るとか何とかいうことは言つておりません。
  499. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 最初辻君から質問し、また徳田君から質問してお答えになつたのですが、問題は二十三年一月十二日かの届出でありますが、これは慣習に從つて党のだれか首脳部がやればよろしいということで、それに從つてつた、かようにお答えになりましたが、そこで承らなければならぬのは、慣習はどういう慣習であつたかわからぬが、法律の明文には、幹事長または党の主幹者となつており、その明文があるにもかかわらず、そういうことは慣習だからよろしいという認識の上でおやりになつたのですか、これはよほど重大だと思いますから。
  500. 芦田均

    芦田證人 ただいまの届出のときにも、実は正直に言うと私は一度も書類も見ず、また届出をこういう日附でするという相談も受けなかつたものですから、別に疑いなく今日まできておつたわけです。
  501. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これ以上私は別にとつちめるつもりで言つたのではない。そういう法律のあることも知らなかつたならばそれもよろしい。しかもいかにも慣習にさえ從つていればそれでいいと言われるのですが、こういう法律があるのに慣習でいいのですかというわけなのです。
  502. 芦田均

    芦田證人 大体の趣意は私は知つておりましたけれども政令にどういう文字が使つてあり、幹事長でなくてはいけないとか、総裁でなければいけないとかいうところまでは正確に私は知らなかつた
  503. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これだけは念を押しておかなければならぬ。私まことに総理大臣として聞流しのできぬお言葉だと思いますが、高橋君の質問に関連して承りますが、あなたは高橋君が総大臣理としてそういうことは行過ぎでないかと言つたときに、役所に不都合なことがあれば、やるのが総理大臣の任務だとおつしやつた、まことにいい言葉であるが、土建業者に対して政府の支拂いが遅れておるということはひとり梅林のみではありません。全國の土建業者で進駐軍の仕事をしておる者はみな困つておるので、何十人何百人になつておると思う。そこで頼みにくればやつてやるとおつしやるならば、だれでも頼んできたら早く支拂つてやれとおつしやるのですか。
  504. 芦田均

    芦田證人 私の答弁を少し誤解されておると思いますが、私の言つたのは大藏省の知つている事実に対して、証明書を出すということは、荏苒日を過すべき何らの理由はない、証明書を出してくれと言うならば早く出してやれということを大藏省の役人に言つた
  505. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 証明書を出すだけならばいいが、その意味は証明書を出すことにおいて金を借りるために來た。そこで各業者がみんな証明書をもらつてみんな金を借りる、そんなみんなに金を貸すような証明を出すより、なぜ早く支拂うことにしないのか、その方が私はほんとうだと思う。その点に私は疑念をもつた
  506. 芦田均

    芦田證人 それは御承知通りいよいよ最後の支拂いをするまでには復興院とそれから調達廳、大藏省の何局でありましたか、三箇所で一々書類を檢査しなければ支拂いはできない。けれどもP・Dと称するものがあつて、P・Dに持つていけば銀行は融資することができるということになつておるのです。そこでこのP・Dによつて融資をしている人が相当多いのです。そのときには大藏省なり何なりの——これだけのものは政府の借方になつておるという証明書を附けて持つてつておるのです。それを持つてつても銀行が金を貸すか貸さぬかは、われわれ保証できません。しかし早く証明書を出してくれという要求があつたときに、早く出してやれというのは、役所の事務を鞭撻する上において当然のやり方だと考えておる。
  507. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 なるほど銀行から出すか出さぬかは御承知ないかもしれないが、もしそういうことでみんな証明をとつてみんな金を貸してくれということになると——これは復金から出たか、興銀から出たか知らぬが、全部で百億からになる。そうなると、これはあなた一人頼まれたからやつたというが、みんな來て、みんなにやつたら銀行がどうにも動かぬと思いますが、どう思いますか。
  508. 芦田均

    芦田證人 銀行が動くか動かないか知りませんが、役所に対して一般の民衆から書類下附の願いを出したときに、そういうことまで考えてこれを抑えていくという手はないと思います。なるべく下付願いが出たら早く事務を処理するというのは役人としての本分だと私は考える。
  509. 石田博英

    石田(博)委員 先ほど徳田君からお話がありました点で証人がお答えになりましたことでありますが、重大な間違いを生じてもいけないと思いますので、念のためにちよつとお尋ね申し上げたい。それは証人民主党へ寄附をせられた回数について、証人は二回か三回寄附をしたような記憶があるというように御答弁になつた。詳細に書類を調べた上でお答えなさるというお言葉でありましたけれども、この二、三回という記憶の問題でありますが、事実十二、三度やつておられた問題に対して二、三回ということであると、事実と非常に違つてまいりまするし、またたつた一回しかおやりになつておらないような届出であるのに二、三回ということになると、これは單に記憶の相違ということだけでは済まされない問題に相なります。言いかえますならば、民主党から出ておりますところの届出書の信憑性を疑わしめる。さらにまた事実とはなはだしく違つてまいると、僞証というような問題も事実上発生しないとも限らないので、重ねてお伺いいたしますが、証人が党へ今日まで寄附をせられた回数は二、三回前後のものでありますか、あるいはたつた一回でありますか、あるいはそれよりもつと頻繁なものであるか、御記憶從つてこの一点をお伺いいたします。
  510. 芦田均

    芦田證人 一回ということはありません。むろん数回寄附しておると思います。それだから事務所へ行つて書類を見て委員会に提出するとお答えしておるわけであります。
  511. 石田博英

    石田(博)委員 はなはだ殘念なことには民主党から届出てある書類には、証人は一度しか寄附をせられておりません。この点を申し上げておきます。終りました。
  512. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。それでは済みました。御苦労さまでした。     —————————————
  513. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは引続きまして飯村泉君にかかる政治資金糺明の問題につきまして、栗田英男君、長谷川政友君両君の証人調べをいたしたいと存じます。  証言を求める前に両君に一言申し上げておきます。昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項、あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者、またはこれらの職にあつたものにつきましては、その職務上知つた事実であつて、默祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人虚僞の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  それでは法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手もとにございます宣誓書を起立の上朗読をしてください。     〔証人栗田英男君各証人を代表して宣誓
  514. 武藤運十郎

    武藤委員長 御署名御捺印を願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  515. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは栗田さんから先にお話を伺いますから、長谷川さんは御迷惑ながらしばらく別室でお待ちを願いたいと思います。  栗田さんにお伺いいたします。飯村泉君を御存じでありますか。
  516. 栗田英男

    栗田證人 当選以來存じております。
  517. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう御関係で……。
  518. 栗田英男

    栗田證人 同党に所属しておりますので、存じております。
  519. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か同君が魚油を斡旋するという趣旨で数百万円の金を数人から受取られまして、これを政党に献金したというような疑惑がありまして、当委員会でこれを取上げまして、事実を明らかにしたいというわけなのでありますけれども、その点についてあなた何か御関係なり御存じのところがありましたら述べて下さい。
  520. 栗田英男

    栗田證人 飯村君に対しましては現在なお貸借関係が殘つております。それは本年の三月三日に、十日間の返還の約束をもつて、百万円を貸與いたしました。その約束といたしまして、茨城常陽銀行東京支店発行の約束手形を私に振出しました。もちろん支拂地は東京でございまして、今の支拂地も茨城常陽銀行の東京支店であります。そこで三日に私が金を貸しまして、十日間でありますから、十三日の支拂期日でありますので、十三日にまず銀行に金を取りに行く前に、私が支店長に電話をかけましたところが、飯村君との連絡はない、こういうので公証人を私が銀行に帶同いたしまして、約束手形を支店長に呈示いたしましたところ、飯村君というものは全然知らない、また当日本人も銀行に來ないということで、拒絶証書をつくつてまいりました。以上の通りであります。
  521. 武藤運十郎

    武藤委員長 その百万円をお貸しになつた動議なり理由、趣旨はどういうところにあるのですか。
  522. 栗田英男

    栗田證人 本人がこれをどういう方面に使うかというような詳しい事情は私聽かなかつたのでありますが、たまたま私の家で十数名の代議士の会合がありまして、そのとき一週間か十日でいい、非常に困つた事件もあるので、何とかしてくれ、こういうような懇請を受けましたので、お貸しいたしました。
  523. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになることがございますか。
  524. 中野四郎

    中野(四)委員 ちよつと伺いたいのですが、二月の上旬に……     〔委員長退席、梶川委員長代理着席〕 栗田証人に対して飯村君から魚油を賣買するために必要だというので、百万円を借りたという、あなたは今十日間の約束で百万円を貸したと言われまするが、ちよつとここで伺つておきたいのは、あなたは百万円あるいは相当額の金を貸す資産というものは相当もつておられるのですか、あなた自身の金を出されたものですか。
  525. 栗田英男

    栗田證人 私の金もありますし、また借りた金も含んでおります。いろいろであります。しかし私は百万や二百万程度の融通をする能力はいつでももつております。
  526. 中野四郎

    中野(四)委員 たいへん結構なんですがね、この金はなたが直接自分の百万円を出されたのですか。ないしはどこからか融通されたのですか。
  527. 栗田英男

    栗田證人 飯村君に私が提供した金は私の金であります。それは多分現金で渡したと記憶しております。
  528. 中野四郎

    中野(四)委員 御記憶違いじやないでしようかね。
  529. 栗田英男

    栗田證人 ありません。
  530. 中野四郎

    中野(四)委員 この金は都内江戸川区小松川四丁目百十四番地の小松川製油株式会社の社長である前野多慶夫君から百五十万円をば受取られて、その中の百万円を貸したのとは違いますか。
  531. 栗田英男

    栗田證人 小松川製油の社長が前野君と申しまして、私と同町内に住んでおります友人でありまして、私とは非常な懇意であり、ときには金を借りることもございますが、百五十万円を前野氏から借りた事実はございます。
  532. 中野四郎

    中野(四)委員 これはお互いにここでお話を申し上げて、現在やはり被害者でいらつしやる立場が後日あるいは被害者が加害者ということになる場合があるかもしれませんけれども、いろいろその方面の調べもあると思うので、卒直に話を進めたいと思う、あなたが小松川製油の前野君、あるいは野崎次郎君から百五十万円を受取られて、その中の百万円をやられたのですか。今あなたが合われた自分には百万円や二百万円を融通する資産があるということ、もちろんおありになるでしようが、この金に限つて、いわゆる小松川製油から出た金とは違うのですか。その点が明確になつておらないと話の筋合いがだんだんややこしくなると思いますが、お考え違いなら今のうちにおつしやつていただけばいいのすが。
  533. 栗田英男

    栗田證人 この小松川製油がどうして名前に出たかと申しますと、今の小松川製油が百五十万円私のところに出したとその新聞では書いてありますが、その百五十万円はすでに百万円を返金しております。現在小松川製油と私の貸借関係は五十万円であります。そこでなぜ小松川製油というのが飯村君事件に関連して出たかと申しますと、小松川製油の前野氏は飯村君とは全然面識もなければ、関係もないのであります。たまたま私に警視廳からぜひ飯村君のことで來てくれという、どんなことで金を出したのかということですから、実は自分のところの支配人を安田銀行にやつて自分の預金の中から百万円現金で出した。こういうことを私は警視廳に申し上げたところが、おそらく銀行に聽いたのでしよう、それを警視廳で銀行へ調べに行つたらしい。それで私の銀行の小切手帳を全部調べてみますと、百五十万円とか、百万円とか、五十万円とかずつと出ておりまして、飯村君に金を出した金額に一番近いところがたまたま前野だつた。そこで前野と関係があつたのではないかというので前野の話が出たが、前野に対しましては私は非常な迷惑をかける、こんなふうに考えております。
  534. 中野四郎

    中野(四)委員 そこでこの金の出所がわかれば先ほど栗田君の言われました飯村君との関係があまり深くはないようですが、それに百万円という、たとえインフレ時代でも相当莫大な金ですが、十日間の短期間といえども、無條件で貸すというわけはない。少くともこれには何か條件がある。すなわち何か仕事があつて、その仕事によつて証人が相当の恩惠をこうむるか、ないしは相当の利潤をこうむるという観点に立つて貸されたのかどうか、單なる友人関係として、無担保、無利子で貸されたのか、この関係をもう少し明確にしておいていただきたいと思います。
  535. 栗田英男

    栗田證人 同僚の代議士でもありますので、私は友人を信頼する念が非常に厚うございますので、無條件でお貸しいたしました。また他に飯村君以外にもそういう例もございます。飯村君一人じやありません。
  536. 中野四郎

    中野(四)委員 この機会に、飯村君以外に貸した方のお名前、金額、日時を知らしていただきます。
  537. 栗田英男

    栗田證人 たまたま今そういう話が出ましたので申し上げますと、民主党に並木君という代議士がおります。並木君の紹介で友人で紅梅というキヤラメル屋さんがありますが、私はそれに無條件で、多分三十五万円か四十万円か、ちよつと記憶いたしませんが、貸しております。
  538. 中野四郎

    中野(四)委員 この飯村君が当時栗田君に、英國大使館からペニシリンの試驗材料として魚油を三百本とるのだ、ないしは自分が從前油脂会社の祕書課長をしておつた関係上、油の方に対しては相当いろいろな関係があるから、そこでこれを右、左に賣買すれば、少くとも相当な利益があがる。すぐ必ず返すから、十日間貸してくれというような約束があつたのではないですか。
  539. 栗田英男

    栗田證人 そういうことはありませんし、そんな子供をだますようなことで、ひつかかるような私じやありません。
  540. 中野四郎

    中野(四)委員 そうすると、これはあくまでも無條件で、友情で貸したということなんですね。
  541. 栗田英男

    栗田證人 そうであります。
  542. 中野四郎

    中野(四)委員 條件は全然ない。
  543. 栗田英男

    栗田證人 ありません。
  544. 中野四郎

    中野(四)委員 ここだけは、この委員会で明確にしておいていただかないと、後日きつと問題になると思いますから、どうぞ……。
  545. 徳田球一

    徳田委員 もう一つお尋ねしておきますが、この小松川製油株式会社とあなたの方との取引関係はありますか。
  546. 栗田英男

    栗田證人 会社は存じません。そのかわり社長はよく知つております。私と同年でありまして……。
  547. 徳田球一

    徳田委員 そうすると取引関係はないわけですね。
  548. 栗田英男

    栗田證人 ございません。
  549. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、借りたとおつしやる百五十万円も、ただ友人関係だけのもので、取引とは何ら関係ありませんね。
  550. 栗田英男

    栗田證人 ありません。
  551. 徳田球一

    徳田委員 何にもありませんか。
  552. 栗田英男

    栗田證人 ありません。これもやはり約手で借りております。
  553. 徳田球一

    徳田委員 利子や何かの関係もありますか。
  554. 栗田英男

    栗田證人 別に利子もありません。
  555. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、ただ友人関係で借りたというだけですね。
  556. 栗田英男

    栗田證人 そうです。
  557. 徳田球一

    徳田委員 返還の期限はありますか。
  558. 栗田英男

    栗田證人 大体一箇月であります。
  559. 中野四郎

    中野(四)委員 あなたは飯村君にきわめて浅い時日でありながら、こういう私らから見れば相当莫大な金、あなたにとればお小づかい程度のものらしいですが、なかなか栗田君はブルジヨアらしい。男ぶりもいいんだし、度胸もあるようだが、党の方に相当献金しておられますか。そのくらい出す方なら、相当党にも出しておられるだろうと思いますけれども……。
  560. 栗田英男

    栗田證人 全然出しておりません。
  561. 中野四郎

    中野(四)委員 これは質問外にわたるが、ちよつと話が変じやありませんか。たとえば飯村君との間が友人だというだけで、無利子、無担保で百万円の金を貸してやるというような人、あるいは並木君の紹介で、單なるキヤラメル屋に三十万円、四十万円という金を出す人が、今日民主党を運営していく上において、相当献金されておつても当然だと思うのですが、そういうことには全然出さないというのは、非常に妙だと思う。これはどういう感覚なんですか。
  562. 栗田英男

    栗田證人 申し上げることはありません。
  563. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 何かほかにありませんか。
  564. 椎熊三郎

    椎熊委員 ちよつと証人にお伺いいたしますが、証人は飯村君とは、選挙に当選して、同志としてお知合いになつた前には、面識も何もないのですか。
  565. 栗田英男

    栗田證人 ありません。
  566. 椎熊三郎

    椎熊委員 それで百万円の金をお貸しになる場合に、飯村君は何かその金で、自分選挙の跡如末とか、あるいは自分の將來の政治家としての立場をつくるために用いる金とか、そういう政治資金的な意味をもつてあなたから借りたのではないのですか。
  567. 栗田英男

    栗田證人 私の考えるところでは、政治資金的な方向ではなく、いろいろ事業の失敗であるとか、そういうことで非常に苦慮しておるというような、仕事の方面にあるいは使うのではないかというような想像はいたしておりました。
  568. 椎熊三郎

    椎熊委員 証人は油脂の事業に御理解ありますか。
  569. 栗田英男

    栗田證人 全然ありません。
  570. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたの御事業は主として何ですか。
  571. 栗田英男

    栗田證人 今私は、終戰以來いろいろな会社から、全部重役等は辞退いたしまして、何もやつておりませんけれども、その本來の仕事は肥料でございます。
  572. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたは百万円を貸される場合に、その百万円によつて、飯村君が、どつかの倉庫にしまつてある油を出せる、油を出して賣れば莫大な利益になるので、そのときは百万円に相当するだけのお礼もできる。そういうようなお話はなかつたですか。
  573. 栗田英男

    栗田證人 どつかの倉庫に油があつて、どうするというようなことは、私には全然申しておりません。
  574. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたは、百万円はただ選挙後同志となつた、同じ党員である飯村君との友情関係で、彼の窮状を救うためにお貸しになつたというだけでございますか。
  575. 栗田英男

    栗田證人 そうでございます。
  576. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 なるべく同僚議員に対して質問すまいと思つてつたのですが、同志の椎熊君からも質問があつたので、私からも疑点をお尋ねいたしたい。小松川製油から百五十万円お借りになつた理由は、どういう事情でお借りになつたのですか。
  577. 栗田英男

    栗田證人 別にどうという事情はありませんけれども、ぼくも金が要るから、少し融通せんかという……。
  578. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 その要るという理由ですね。
  579. 栗田英男

    栗田證人 それはいろいろ仕事に投資をするとか、またそのほか常に金の出し入りが忙しいものですから、ときどき五十万円であるとか、百万円であるとかいうようなことは融通をしております。別に小松川製油からこれこれこうで、どうだというような、特に理由はございません。
  580. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 百五十万円というと相当な金額ですが、やはりせつぱ詰まつたということもないでしようが、そのときに百五十万円を融通してもらわなければならないという事情は、何かあつたはずだと思うのですが、おそらくはつきりその点はしておるはずだと思いますが、いかがでしよう。
  581. 栗田英男

    栗田證人 私も金は貸しもするし借りもするが、金というものはせつぱつまるとなかなか借りられないものでありまして、余裕があると人は貸してくれますが、私の経驗では、せつぱつまると金は借りられないものだと、かように私は思つております。
  582. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 そうしますと、ちようど飯村氏も製油関係だし、小松川製油も製油関係だし、小切手が百万円と百五十万円と相前後しているというようないろいろな事情から総合すると、警視廳もちよつと誤解するようにお考えになつたのでありますか。
  583. 栗田英男

    栗田證人 でありますから、私は警視廳で聽かれましたときもはつきり申し上げました。もちろん警視廳としても小松川製油でこのことを聽かれまして、一切が明白になつたことと思います。
  584. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 ほかにございませんか。     〔「なし」と呼ぶ者あり〕
  585. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 では終りました。     —————————————
  586. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 簡單にお伺いしますが、長谷川君ですね。
  587. 長谷川政友

    ○長谷川證人 そうです。
  588. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 もう事件はすでに御存じと思いますが、長谷川君が飯村氏に何か金銭的な御関係がありましたら、その日時あるいはどういう内容ということを御証言願いたいのです。
  589. 長谷川政友

    ○長谷川證人 ことしの二月十日ごろだと思いますが、飯村君から、何か非常な手違いで金が入要になつたので、ぜひ私にしばらくの間金を融通してくれぬかという話が議会でありました。そこで私は、君のことだ、何とか考えてみようという程度で二、三回頼まれましたが、そのままにしておいた。ところが三日、四日経つたときに、ひとつぜひ助けてくれ、飯村を男と見込んで君はどこから借りてきても結構だが、何とかしばらくの間貸してもらえないかという話があつた。そこで私はかわいそうだし、私自身がそんなに金があるわけではないから、まあ私の重役をしている会社に聽いてみようというので、会社へ聽いてみたところが、会社はちようど銀行からいろいろ事業をやつている関係で少しはある、それではちよつと貸してくれというので、私が会社から借りてきて貸してやつたが、それ以來一遍も会わぬのです。
  590. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 飯村君とのその時の貸借関係において、やはり借用書はおとりになつているのですか。
  591. 長谷川政友

    ○長谷川證人 純然たる商取引であれば、その品物を現地に見に行くとか、あるいは借用書を渡すということになるでございましようが、そのときの飯村君の言葉では、自分は二、三年前から某所に油をもつている。ところがその油を賣出すについて、倉庫料が相当溜つてつている。それを処分するのだから男と見込んで貸してくれというようなことで、手形にもせず、領收書にもせず、ただ名刺に——私は今も持つておりますが、これだけ預かつたという名刺が一枚あるきりです。
  592. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 あなたが飯村氏に貸されたのは、現金で渡されたわけですか、小切手で渡されたのですか。
  593. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それは私の会社が銀行から小切手でとつてきて、銀行で現金にかえて、私が飯村君のところにもつてつたのです。
  594. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 それは全部で何万円ですか。
  595. 長谷川政友

    ○長谷川證人 二月十五日に差当り五十万円要るという話であつた。だからそれでは五十万円何とかしようというので五十万円やつた。ところが二月二十三日に至つて、せつかく御配慮になつたあの五十万円がもう少しないとだめになつてしまうと言つて、逆に脅迫だから、それはたいへんだ、前の五十万円がなくなつてしまつてはたいへんだ、一体いくらあつたらよいのだと言うと、あと二十七、八万円あればあの油を全部倉庫から出してもらえる。そうすれば自分としても一生男が立つ、こういうことで二十三日にそれだけ持つてつた
  596. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 それは二十七、八万円ですか。
  597. 長谷川政友

    ○長谷川證人 二十七万五千円です。
  598. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 わかりました。そうするとその期限はいつごろになつてつたのですか。
  599. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それは早くて五、六日、遅くて十日以内で返すというのです。
  600. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 あなたは今何をやつておりますか。
  601. 長谷川政友

    ○長谷川證人 私は十年來から大阪で食品会社、製粉会社をやつておりますし、名古屋では油会社をやつております。
  602. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 飯村氏が魚油があると言つてきておるのですが、あなたも油の方は詳しいのですが、それを常識上、どうですか、その通りだと思われたのですか。
  603. 長谷川政友

    ○長谷川證人 油に全然素人ならこうやつて引つかからない。油に玄人であるために、彼が多年油業界の組合の專務理事をやつてつたから、彼が私に言うのには、長年やつておるうちに、たとえば北海道から油をとるという場合に二本、三本備蓄しておいたのだ、こういう説明であつた。そういうことはあり得ることなのです。たとえば百本持つてくる、そのときに船員が一本だけみやげにもつてきましたということがあり得ることなのです。最近は知りませんが、昔はあつた。そういうことであるから、あるいは玄人の私はあるかもしれないと思つたから、商取引の関係で金を貸すなら少くとも一万円であつても、商人であれば、そこへ行つて現物を見ます。しかしその際には非常に涙を流して哀願されたから、それではひとつ何とか都合してやろうということで貸した。
  604. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 飯村氏が初めに五十万円、次に二十七万五千円金を借りて、それを実際に何に使つたと思われましたか。
  605. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それはまつたく知らない。ただ巷間傳えられるところによると、事業を計画し、失敗したという話を聞いておるし、また選挙の跡始末をやつたということを聞いております。しかしながら実際は私は何も知らない。
  606. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 初めに五十万円お貸しになつて、それから、それが回收できなくてふいになるというときに、次の二十七万五千円を貸した。そのとき事業の内容等に関しても金の使途についても相当詳しいお話はなかつたのですか。
  607. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それをそのとき糾明しなかつた。しなかつたから会社としては非常に手落ちということを言つておりますが、全然しなかつた。前のものが損になるから貸してやつたくらいです。
  608. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 現在もなおおわかりになりませんか。
  609. 長谷川政友

    ○長谷川證人 その後電報で二十八日に全部示談にするから待つてくれとか、あるいは死ぬのはやめたからとか、あるいはさらに全力を盡すとか、あるいは銀行へ都合によつて二十日に持つていく。こういう電報が方々からまいるだけでありまして、さつぱり本人の姿は見えないのです。その後どういうことになつておるかさつぱりわかりません。
  610. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 そうすると、あなたの方から催促のしようもないというわけですか。
  611. 長谷川政友

    ○長谷川證人 二、三度電話と、それから電報をもつて至急に回收を頼むということはいたしました。しかしその後家の方はかぎをかけてだれもおらないということでありますので、電報を打つても何も役に立たない。
  612. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 ほかに何かありませんか。椎熊君。
  613. 椎熊三郎

    椎熊委員 証人は油の專門家だそうですが、最初の五十万円をやる場合に、五十万円をやると油が賣り出せるようになる。その油はあなたの会社が引取るという條件だつたのですか。
  614. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それはこういうことを彼が言つておりました。もしもその倉庫が解除になれば、あなたの方へ代金の代償として引取つてもらつてもいいという話があつたから、私はその代り條件があるのだ。輸送証明附のほんとうの筋の通つたものならもらうけれども、それ以外のものは絶対にもらわないから、金を返してくれと、きつく申しておきました。
  615. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたは会社の金を七十五万円借出して、非常に会社に大きな迷惑をかけたことになつておるが、その会社とあなたとの関係はどういうことになつておりますか。
  616. 長谷川政友

    ○長谷川證人 名古屋の会社は私は今から十年ほど前に友人とわずか五、六万円の金でつくりました会社で、その後十年というもの苦労してまいつて、今日に至つておるのであります。そこで会社といたしましても、——私は現在社長をやめまして重役をやつておりますが、非常に苦樂を共にしてきた。実は自分の家を抵当に入れて給料を拂つたときもあり、あるいは家内の着物を賣り拂つて職工の給金を拂つたこともあり、非常に苦樂を共にいたしてまいりましたので、重役各位といたしましては、何とか会社の方にひとつ埋め合せをして欲しいということを話してきておりますので、私といたしましては、会社に対して全額と言わなくても、飯村君にひつかかつたのは私の軽卒だから、私のできる範囲内で、自分のものを整理してでも何とかしようと言つて会社は了承しております。
  617. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたは当選以來飯村君と御懇意になつたということですが、飯村君は、あなたが今党内中のその同志だけで無名会とかいうメンバーをつくつたそうですが、飯村君もそのメンバーですか。
  618. 長谷川政友

    ○長谷川證人 違います。
  619. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたは飯村君と政治運動上同一行動をとられたようなことはありませんか。
  620. 長谷川政友

    ○長谷川證人 ありません。
  621. 椎熊三郎

    椎熊委員 飯村君はあなたから借りた金を政治運動、選挙の跡始未、あるいはその政治家としての立場上使うような金を使つたような形跡はありませんか。
  622. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それは全然知りません。
  623. 椎熊三郎

    椎熊委員 しかし飯村君は稀代の遊蕩兒だということを聞いておりますが、あなた方は金を貸す当時一緒に飲んで歩いたことはありませんか。
  624. 長谷川政友

    ○長谷川證人 私は飯村君と食事をしたことが二回くらいあります。あと一回同志として飲んだことがありますが、それ以外にありません。
  625. 椎熊三郎

    椎熊委員 私は去年当選して未だに飯村君の見覚えもないくらい、ほとんど議会へ出て來ないのだが、あなたは飯村君に五十万円も百万円も金を貸すほど、懇意な附合いはどういうところから出てきたのでありますか。
  626. 長谷川政友

    ○長谷川證人 飯村君との知合いは、当選後お互いに知り合つたのでございまするけれども、当選以前において油脂界における私の名前は飯村君はよく知つております。また私も油脂界における飯村君はよく知つております。業界新聞その他を通じて、業界の人々からのお話によつて、よく知つておる。だから当選して來たときには、まつたく待つこと久しというので、手を握つて二人とも喜んで泣いたくらいです。そういう関係です。
  627. 中野四郎

    中野(四)委員 名古屋の東海油化工業株式会社の服部正明という人を御存じですか。
  628. 長谷川政友

    ○長谷川證人 ええ。
  629. 中野四郎

    中野(四)委員 どういう関係ですか。
  630. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それはうちの常務であります。
  631. 中野四郎

    中野(四)委員 そこでちよつと伺いたいのは、先ほどあなたが言われた、飯村君から、証明附の魚油があるのだ、すなわち、四日間くらいに品が出るから、品の処分などは自由だというので、二月十五日と十七日、二十三日に七十七万五千円という金をあなたから融通を受けておられるが、その條件はあなたが約束したことですか。あるいは、あなたは知らぬことですか。
  632. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それは、飯村君が、もし油が倉庫から出れば借用した金であなたの方に引取つてもらつてもよいけれども、また金で返してもよいという話があつたから、そのとき私は、正確な配給品でなければ私は引取らぬ、こういうことを念を押しております。
  633. 中野四郎

    中野(四)委員 これは長谷川君どうですか。お互いにざつくばらんに話して、正確な配給品がこんなにたくさん無條件に一体出るものでしようか。私ども素人で、ちよつと常識上判断できかねるが、あなたは、玄人だからこういうものがあることが了承できると言われる。素人なるがゆえに私はわからない。すなわち商人なるがゆえにいろいろ配給の物や、やみの物もあるでしようが、こういうものが一たび天下社会の問題になつたら司直の手にもかかるでしよう。あなたが被害者かどうか知りませんが、告訴もされておりますから、司直の手にもかかるだろうと思います。從つてそうなると、代議士としての、いわゆる天下の公人として、何かこういう統制品、特にこの当時からいえば魚油は嚴格な統制品です。從つて今日の栗田君の証言にしても、長谷川君の証言にしても、端的に私は伺つているわけです。なぜならば今後の証人の喚問が、日時がありませんようですから、本來からいえば告訴者の方を先に喚問して陳述を求めて、徐々に陳述を求めればよかつたのでありますが、こういう観点から栗田君と長谷川君を、のつけからもつてきたので、何となく変なところがあるかもしれませんが、証人証言によりますと、かなり錯覚したような面が相当出ると信ずる。それから、ここには信ずべき筋からの情報も來ておりまして、これを基礎において聽いておりますから、決してあなたをひつかけようとかいう悪意は毛頭ないのです。だから卒直に私は伺いたいのですが、業者の常識からいつて、こういう嚴格な統制の油が、いかに飯村君の言辞といえども、七十七万五千円、また先ほど栗田君の言う百万円にしても、この金は今日からいえば相当な金額だろうと思います。こういう金がどんどん出せるというのは、何かこの裏に関係がなくてはならぬというように私ども素人には思えるのですが。
  634. 長谷川政友

    ○長谷川證人 御承知かどうか知りませんが、油には輸送証明のみで賣買できるものと、輸送証明とともに品物自体が嚴格な統制にはいるものと二種類あるのであります。それが油分のパーセンテージの低いものは、檢査を受けた結果、その檢査の規格より下のものならば輸送証明だけで賣買できるのです。だから油といいましても、そのパーセンテージによつて違う。だから飯村君の場合は、あるいは統制外の品物ということもあり得るわけです。そういうように御了解願います。
  635. 中野四郎

    中野(四)委員 その点はあり得るというか、何か七十七万五千円も出すからには、どういう品物ということは大体明確になつているでしよう。
  636. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それは中野さんはそういうふうにおつしやるけれども、その当時の状況といたしましては、とにかく飯村君自身は、油をくれるということより、金を借りたいのが先なのです。だから油をこういうように持つておるからこうしなければ金が出ない。一つの理由に使つたのだと私は現在思いますけれども、そうもしなければ非常に苦しかつた。涙をこぼして私に哀願された。そこで私が融通したわけであります。
  637. 中野四郎

    中野(四)委員 そこでその当時飯村君が今の杉並区堀之内二の十二番ですか、そこに百五十万円ばかりの家を買つたことは御存じですか。
  638. 長谷川政友

    ○長谷川證人 知りません。
  639. 中野四郎

    中野(四)委員 そうすると、当時の金が——これは某人とあえてここで言つておかないとぐあいが悪いのですが、某人が檢察当局あるいは警視廳におかれて、民主党の有力なる人が、あとで責任をもつてくれるのだから心配は要らぬという言葉をば用いておる。すなわちこの油を動かす上においては、民主党の有力なる人が責任をもつてくれるということをば言外にほのめかしておるということが記録の上に載つておりますが、こういう点に関して長谷川君はお知りになりませんか。
  640. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それは全然知りません。
  641. 中野四郎

    中野(四)委員 もう一つ、飯村君から英國大使館からペニシリンの試驗材料として魚油を三百本受取ることができる、あるいはこれを渡すようにと日本政府に命令があつたというようなことを、何かの機会に聽いておられませんか。
  642. 長谷川政友

    ○長谷川證人 それは全然聽いておりません。その後一回も会いません。
  643. 中野四郎

    中野(四)委員 そうしますと、あなたの御関係になつた七十七万五千円というものは、二月十七日、二月二十三日の両回にわたつて、少くともあなたの了解される輸送証明ですね、輸送証明附の魚油があるから、これが出ると思うから金を貸してもらいたい。すなわち出た上は品物の処分はあなたの自由にしてよろしいということだけは明確になつておりますか。
  644. 長谷川政友

    ○長谷川證人 私の自由にしてくれと言つたこともありませんし、また私の方から自由にさしてくれと言つたこともありません。
  645. 中野四郎

    中野(四)委員 ちよつと私にはわからないのだが、それでは金利か何かつくのですか、あなたの品物があなたの手にはいらない。今お聽きすれば、あなたは名古屋の東海油化株式会社をやつておいでになるのだから、從つて油には相当御関係もあると思う。われわれから見るとちよつと変に思うが、せつかく輸送証明附で出た油があなたの自由にならず、あなたの所得にもならない。七十七万五千円というものはただ友情によつて貸したというのはおかしい。
  646. 長谷川政友

    ○長谷川證人 中野さんがそういうようにお考えになるのは御自由でありましようけれども、私自身はその当時飯村君からそういうように言われまして、油があるということも、実際において私といたしましては、先ほど申し上げたように、万が一そういうようなことがあり得るかもわからない。しかしながらこれは金を借りるための一つの苦しい理由を申し出ておられたということに、その当時は私は解釈しておつたのであります。それだからもし油が出て輸送証明の正式なものが出て、天下堂々輸送できるものならもらつてもよろしい。但し先ほど中野さんがおつしやつたように、金利とか何とかいうような点につきましては、最少限度五日、最大限度十日間のうちには必ず返すということも私の方に言つたから、別に利子の計算もいたしませんし、約束手形も書かなければ、名刺一枚書いて、そのときに私の念を押しましたことは、これはほんとうに会社の金であるから、どうか間違いないようにしてほしいということを申しましたところが、私を男と信じてどうか貸してくれと強く私に言いました。それで信じて貸したのであります。もしもこれが長引くならば、利息の計算もちやんとしておいたかもしれません。しかしそれはそのときは予知しなかつた……。
  647. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 本日はこれにて散会いたします。     午後五時十五分散会