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1948-05-06 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年五月六日(木曜日)     午後二時五十一分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 梶川 靜雄君    理事 河井 榮藏君 理事 荊木 一久君    理事 小松 勇次君 理事 石田 一松君       石田 博英君    尾崎 末吉君       高橋 英吉君    平澤 長吉君       益谷 秀次君    明禮輝三郎君       山中日露史君    宇都宮則綱君       大森 玉木君    橋本 金一君       矢野 政男君    野本 品吉君       田中 健吉君    本田 英作君       徳田 球一君  委員外出席者   亀井貫一郎氏をめぐる政治資金の問題につい   て   出頭した証人    議員 西村 榮一君(政務次官)    議員 松本 淳造君       亀井貫一郎君(元議員)       綿引 喜一君(社会事業家)       小川美武彦君(厚生同胞協力会理       事)       西山 重道君(厚生同胞協力会元常       務理事)       河野 彌吉君(終戰残存物資調査会       会長)       三厨  正君(日本經済新聞社札幌       支局長)       谷川  昇君(会社員)       戸沢 盛男君(会社員)       藤  二雄君(会社員)       本田 一郎君(会社社長)     ————————————— 本日の会議に付した事件  亀井貫一郎氏をめぐる政治資金の問題  証人出頭要求に関する件     —————————————
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。  最初証人を調べます。証人お方には午前中からお喚びをいたしましてたいへん長いことお待たせをいたしまして申訳ありませんでした。本日御出頭の方は亀井貫一郎さん、綿引喜一さん、小川美武彦さん、西山重道さん、河野彌吉さん、藤二雄さん、谷川昇さん、三厨正さん、戸沢盛男さん、本田一郎さん、松本淳造さん、西村榮一さん。  証言を求めます前に、各証人一言申し上げておきたいと存じます。  昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき及び医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職に在る者、またはこれらの職に在つた者がその職務上知つた事実であつて、默祕すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒けことはできないことになつております。しこうして証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  それでは法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。どなたか代表してお読みください。龜井さん代表してお読み下さい。     〔証人亀井貫一郎君各証人を代表して宣誓
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは御署名捺印を願ひます。     〔各証人宣誓書署名捺印
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは亀井さん、西村さん、松本さん、綿引さん、小川さん、西山さん、河野さん、三厨さん、谷川さん、藤さん、本田さん、そういう順序で伺いますから、亀井さん以外のお方はしばらく別室でお待ちを願います。  それでは亀井さんに伺いますが、まずあなたは前に政治的な活動をしておられたようですけれども、政治家としての経歴簡單に伺いたいと思います。
  5. 亀井貫一郎

    亀井証人 社会民衆党所属昭和三年普選第一回当選、その後次の選挙に落選いたし、正確なる時間は記憶しておりませんが、昭和七年社会大衆党の結成によつて党所属がそちらに移り、爾後昭和十七年四月の選挙まで、引続き衆議院議員をいたしておりました。
  6. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か労働組合運動などもしておられましたか。
  7. 亀井貫一郎

    亀井証人 いたしておりました。いわゆる労働組合そのものの中における幹部という意味ではありませんが、労働教育関係においては廣く、深く携つており、かつ官業労働総同盟には特に深い関係を有しておりました。
  8. 武藤運十郎

    武藤委員長 今政界で現に活動しておる政治家諸君と、特にあなたが知合いというような人がございましたら挙げてみてください。
  9. 亀井貫一郎

    亀井証人 終戰以後選挙において御当選になりました各位には、個人的な友誼関係のある方は別とし、從來議員経歴をおもちになつていらつしやる方々は大概存じ上げております。なお旧社会大衆党関係方々は特に終戰以後社会党御入党の方とは別に、大概存じ上げておきます。特にこれこれと申し上げ、指摘することは困難であります。
  10. 武藤運十郎

    武藤委員長 議員を一應おやめになつてから、何か事業をなさつていらつしやいますか。
  11. 亀井貫一郎

    亀井証人 いわゆる事業そのものに、直接関與はいたしておりませんが、昭和十八年より財團法人を管理いたしております。
  12. 武藤運十郎

    武藤委員長 何という財團法人ですか。
  13. 亀井貫一郎

    亀井証人 その当時は聖戰技術協会、その協会の経営上、常時協会の経費を賄うために、二、三の事業会社協会支持会社としてあるものに、名を連ねておりました。その意味では間接に事業を経営していたと言つてもいいと思います。終戰以後聖戰技術協会は、常民科学生活技術協会と改称をいたし、目的を変更し、たしか昭和二十一年四月被服協会をその協会に合併いたしました。
  14. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か今東京地方裁判所刑事の方で、刑事問題が起つておるようですけれども、その概略で結構ですが、説明してもらいたい。
  15. 亀井貫一郎

    亀井証人 概略と申しますと何分ぐらい……。
  16. 武藤運十郎

    武藤委員長 二、三分。
  17. 亀井貫一郎

    亀井証人 二、三分ではどうかと思いますが、きわめて簡單に申し上げます。  私が正確に年度を記憶しておりませんが、たしか昭和十三年頃、臨時軍事費が一本建てになりまして、款項が廃止されました結果、議会は陸海軍調弁内容を詳しく知ることができなくなりました。かつ企業院物動計画を祕密にいたしまして、なおなお議員陸海軍調弁内容戰用資材の処理について内容を把握することはできなかつたのでありますが、たまたま旧被服廠外廊團体たる被服協会協会への合併とともに、大体陸海軍がそれ以來集積いたしましたる戰用資材の外貌を知るに至りました。加うるに中國より持帰りたるものあるいは南方諸地域より輸送船團をもつて持帰りたるその資材の集積はきわめて多くあつたのであります。これは当然終戰直後、わが國の生産活動が回復いたしません場合、もともとこれら軍事公債及び租税による調弁資材は、当然國民インフレ対策としての生活資材及び生産資材に還元さるべきものであるとの信念をもつておりました。しかるに卒直に申しますれば、鈴木内閣東久邇内閣、幣原内閣吉田内閣と、その五月に至つてわずかに隠退藏物資緊急措置令が出たのみであります。しかも完全にこれらが活用されておらない。その事情につきまして私は活用さるべきものであると確信をいたしておつたのであります。しかるにこれに対して何らか政府及び國会において御処置相なるべきものと、人民の一人としてひそかに期待をしていたのでありまするが、二十一年十一月ごろに至るまで、何らの手が打たれておらない。そこでたまたま横須加洗濯工場がありまして、その工場が、久里浜におきまする厚生省所管引揚援護院引揚げないし帰還軍人に対し、手持ち元陸海軍所管資材、殊に軍服等を渡すのでありまするが、外から着て帰つてきた、ラバウルで二年、ニューギニアで三年と着て帰つたものが、そこに厖大に集積されており、その維持の方法がきわめて不潔で、中には腐りかかつてきておる。そこで臨機の措置としてそれを洗濯する。その洗濯の一部代金は、そこの物をもつて拂下げるという話がありましたので、それを眞実なりと信じ、その工場を経営し、それをその一助にいたそうと考えたのが当初であります。  次には本來官制上引揚援護院には第一復員局出先機関、第二復員局出先機関が、その資材とともに合併さるべきものであつたにかかわりませず、久里浜の現場においてはわずかに旧森重部隊が保有したるものをもつて援護院に引渡し、第二復員局帰還艦船運用あるいは掃海等残務業務であるゆえをもつて、その厖大なる保有資材が未だ援護院にも引渡されておらないのみならず、その相当部分は一方から聞けば二復のものであると称し、一方から聞けば拂下げられてすでに自分のものであると組し、このグレンツゲビートにあるもの、当然これは二復より引揚援護院に押込まるべきものである。從いまして私はその次には、当時は民主党と自由党の連立内閣でありましたので、これらの援護院ないしは二省復害範囲にあるかないかわからない、その間にあるところのものを、われわれができるだけ努力をして追込むから、これを厚生省においてある部分は直接國民放出されるがよろしい。ある部分き有償をもつて、その中に洗濯厚生、加工をする必要のあるものもありますから、それを適当なる公益財團法人を通じて各勤労者團体、しかも仕入價格配給價格民主的管理がなし得る國体に配給せられたらよろしい。その意見をできれば閣議決定までもつてつてくれというので、当時の河合厚生大臣にもお話いたし、そのとき石井君は商工大臣でありましたが、大体辻君に私はお話をいたしました。これは拂下げという一個の問題でなくして、一つの政治である。放出をされるがよろしい。そうして閣議決定の力をもつて二復に迫り、二復からそのものを食込んで、そうして國民放出されるがよろしいということを申し方げたのでありまするが、その間やはりいろいろの調査工場買收等にも費用が要りまするので、いろいろ御協力を願うむきがあり、遂にそのまま選挙になりまして、問題が終結をみなかつたのであります。從いまして私としては昭和二十一年十二月より昭和二十二年三月下旬、四月初頭にかけましての、この拂下げ関係につきましては、当初より工場買收その他の金融関係であるという了解のもとに、借用いたしました金はまだ残つており、それには工場抵当にはいつておる。それも漸次返済はされておりまするが、お預かりをいたしました金は全部私としては御返却を申し上げております。しかしながらおそらく檢察廳におかれましては、つまり初めの久里浜の品物が、洗濯の代りに物が出るということの調査不十分のために、それを事実なりと信じたることより、それのなかりしものを、あるいは下ることができないと考えながら、その工作を進めたところにお疑いを受けたものと確信をいたしております。以上概要であります。
  18. 武藤運十郎

    武藤委員長 つまり被服類拂下げができるからというような趣旨で、あなたは金を所々方々から受取られたことが、詐欺の疑いがある。そういう趣旨で追究をされておるわけですか。
  19. 亀井貫一郎

    亀井証人 さようであります。それは一言さらに追加いたしますれば、私の方も大体拂下げを含む放出政府に迫つていたのでありまするから、從いまして私はその方に忙がしいので、特に本件関係では二團体を通じていろいろの金融及び金の預かり方をお願いをいたし、そこを通じてお預かりをいたしたのであります。
  20. 武藤運十郎

    武藤委員長 大体どのくらいの金額を合計で集められましたか。
  21. 亀井貫一郎

    亀井証人 私がはつきり知つておりまするのは、岡本種生君の手で現在横須賀の工場抵当借用金が七十万円、それから厚生同胞協力会借用金が百十万円、この百十万円につきましてはすでに残金が三十万円と相なつております。そのほかお預かりいたしました金全体は、ここに空に正確に覚えておりませんが、私に関する限りはたしか六百万円見当つたかと思います。調書通りであります。その他、他の團体でお預かりになりました。金と累計してどうなるかということは、私にはわかりません。
  22. 武藤運十郎

    武藤委員長 調書によりますと、七百十三万円ばかりだというのですが、大体そんな見当ですか。
  23. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうです。
  24. 武藤運十郎

    武藤委員長 その受取られた金をどういうふうに使われたか、内訳はおわかりですか。
  25. 亀井貫一郎

    亀井証人 ただいま正確な記憶がございません。それも調書通りであります。
  26. 武藤運十郎

    武藤委員長 檢察廳で述べた調書通りですか。
  27. 亀井貫一郎

    亀井証人 調書通りで間違いありません。大づかみに申して二工場買收費関係が大体四百万円くらいだつたかと思います。それからこのごろのはやり言葉で言えば隠退藏でありましようが、隠退藏と言うと勅令による隠退藏という狹い意味に解されるので、私は使いませんが、たとい正規の拂下げであろうとも、終戰直後拂下げのごときは不法と考えまして、廣い意味睡眠物資、それらの調査費用がおそらく百万円くらいかかつておるでしよう。あと百万円は事業上の運用をしたろうと思います。すべて調書通りであります。
  28. 武藤運十郎

    武藤委員長 その中で何か政党あるいは政治家献金をしたか、意味はどういう意味かわかりませんが、出しておる分があるようですけれども、これはやや詳細に述べてもらいたい。
  29. 亀井貫一郎

    亀井証人 献金という言葉は、私に関する限り御返事を申し上げたいと存じます。もとより銀行預金が一本でありますから、軍服拂下げ関係で預かつた金もありまするが、同時に二月中旬私の所有工場千葉縣幕張町の虎姫製作所を賣却しました金が九十万円あります。政治関係とお疑いを受ける金は、松本淳造君に対しての十万円と、西村榮一君に対する総計五十五万円の支出が、おそらく政治関係ありやなしやのお尋ねを受ける点であるかと存じます。しかし私がこの際明瞭にいたしたいことは、軍服の金で預かつた金もありまするが、工場を賣却した九十万円も銀行にあるのであります。その金のどの部分がいつたかは、はなはだ失礼でありますが、金に聽いてみなければわからぬ。しかし軍服でお預かりした金は、その件に関する限りは、前述いたしたる、当初より工場買付金融として受けた金以外は、全部お返しをいたしておるのでありますから、論理は、その余剩金は私の資金であると解して差支えないものと信じます。從いまして、その残つた金が私金であるといたしまするならば、その私金をもつて旧來の友人に融通をいたしたという関係であります。
  30. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、私金というものはプライベートという意味ですね。
  31. 亀井貫一郎

    亀井証人 さようです。
  32. 武藤運十郎

    武藤委員長 今お話なつ西村松本両氏出したのは一切お返しになつて、いわゆるプライベート・マネーというか、自分資金だけのときに出したのですか、その前にですか。
  33. 亀井貫一郎

    亀井証人 それが銀行の勘定で、わかりませんが、工場が賣れて金がはいりましたのは二月中旬であります。お預りした金を返しましたのが三月で、選挙になつて、大体しばらくこのまま見送るという話で、お返しの操作をいたしましたのがおおむね四月一ぱいでありまするから、その間それは、はつきり返したあとの私金として残つたものから御融通申し上げたと言うわけにはまいりません。
  34. 武藤運十郎

    武藤委員長 さつきのお話ではそんなふうに聽えました。
  35. 亀井貫一郎

    亀井証人 計算軍服でお預りをした金は全部お返しをいたした。しかしその当時私の預金には九十万円がはいつていた。だからお預りした金を返した、そうして九十万円の私の私金もはいつていた。だから最後にそこに軍服関係でお預りをした清算がついたとすれば、その私金が論理上私の資金として御融通申し上げたんだ、こういうことになるのであります。
  36. 武藤運十郎

    武藤委員長 そう大きな問題じやないのですが、逆推して論理を立てれば、あなたの言われるようなことになるかもわからぬが、とにかくあなたが松本西村両氏にお出しなつたときは、軍服関係の金も、工場を賣つた金もまざつてつて、そこから出した、そういう趣旨ですね。
  37. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうです。
  38. 武藤運十郎

    武藤委員長 まず、西村榮一氏に出された金から飼いたいと思うのですが、これは最初十五万円、その次に二十万円、それからまた二十万円、こんなふうにお出しなつたのですか。
  39. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうであります。
  40. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、出された意味はどういう意味ですか。それがみな同じ意味のものか、違う意味のものか。違うとしたらどういう意味のものか。ひとつ御説明願いたい。
  41. 亀井貫一郎

    亀井証人 これは私及び関係お方方に対しまして重大な問題であり、かつ國会の権威と職能の上から世人が誤解するのを避けて、眞実を理解することを求めなければなりませんので、恐縮でありますが、この點に関しましては、お許しがあれば、全然政治的な意味はないという言葉で申し上げて差支えはないと思います。個人的であります。ただ一言委員長お尋ねに対して、その前段と後段と意味が違うかどうかというお尋ねでございまするが、たとえば、西村君が二月に金の要る場合が——西村君の個人の金が要る場合が、たとえばそのときに西村君のお話では、どうしてもこれは政務調査というものをしつかりやらにやならぬから、いろいろのことで自分の金が要るんだがというお話であり、それからあとは、やはりもともと聖戰技術協会のことから、西村君を通じて三惠冶金工業中村勝眞君より出資を受けておることもありまするので、西村君がまた選挙の終つたときは——それはお互い選挙をやつたことがあるんですから、選挙あとではまた相当そういう御必要もあるであろう、こういう意味でありまして、その場合々々でいろいろ御事情意味をわれわれは違つたようには拜察をいたし、理解をいたしておりますが、要するに西村君に対してきわめて單純に御用立をしたということであります。これはもう少し経過的に申し上げる方が明瞭になると思いますが、お尋ねに対してはそれだけ申し上げておきます。
  42. 武藤運十郎

    武藤委員長 まあ皆で五十五万円であつてインフレ時代であつてもそう少い金でもないようですから、そう簡單に何もなくというのも一般には通用しないかも知れませんので、なお一つ伺いたいのですが、十五万円をお出しになるときにはどういう話合いですか。つまり政務調査政治家としてはしなければならない。それについては相当な金が要る。そこで金を出してくれないか、——出してくれないかというのは、貸してもらいたいというのか、もらいたいというのか、また先の政務調査というのは、同氏は社会党所属でありますけれども、社会党のいわゆる公式な政務調査会に金が要るのか、それとも西村個人政治上の資料を調査されるので入用だというのか、何かそこに話合いがあつたであろうと考えられる。あるいは今あなたのお話西村氏を通じて中村それがしから出資を仰いでおるというような貸借関係と言いますか、出資と言いますか、そういうものもあつたようですけれども、それをその方にどうしようというのか、もう少し各場合について具体的に御説明を願いたい。
  43. 亀井貫一郎

    亀井証人 かしこまりました。大体現在の社会党とは関係のないことでありますが、社会大衆党時代の同志という西長君と私はおつきあい関係にもありますが、そのほか特に旧社会大衆党関係においては錚々たる労働組合指導者諸君農民組合指導者諸君が多数でありますから、財界、経済界、あるいは生産に関する科学技術、その方面に研鑚と興味に有する人は割合に少いのでありまして、そういう点では特に西村君と私は党の友だちであるというのを離れまして、きわめて懇意な間であります。從いまして社会大衆党のときからも、要るときには都合のついている方が出すというような関係でありまして、それがお互い政治に携わつておりまするので、別に帳簿をつけてこれは何であり、これは何であるというような、いわゆる手形を書くとか、抵当を入れるとか、そういうようなおつきあいをしたことはなく、いつでもただお互には助け合つているような関係であります。そこで聖戰技術協会時代にある研究項目がございまして、そのために費用を要し、西村君に相談をしたところが、西村君が三惠冶金工業中村勝眞君に出資せしめようというお話でありましたので、たしか昭和十八年西村君の斡旋により三惠冶金工業より二十一万円を借り入れたのであります。出資してもらつたのであります。ところが二十一年の末ごろ、西村君が來られていろいろ金も要る、特にひとつ政務調査に力を入れなければならぬ。もとより正式に社会党政務調査会にいく金という意味ではなく、いろいろしつかりとしたデーターと意見をもたなければならぬ、何とかひとつ金ができないか、それで御殿場に別莊でもないがあばら屋がある、これをどこか君、賣つてくれぬか、板橋に木工場があるから賣つてくれぬかというお話も受けたのであります。そのお話を受けたころは、もとより軍服の金はお預かりしていたのでありますから、その金でいいのならばあるいは即時に御用立てもできたのでありましようけれども、まだ私の資金の準備のできない時代でありましたので、ではたれかにひとつ話して見よう、考えて見ようと言つておりますうちに、ようやつと幕張の工場も賣れましたから、それではとにかく西村さん持つてつたらよいだろうというので、別に二十万円と十五万円を人をして持たしめてお届けしたのであります。それに対して西村君は、まことにすまなかつた。それではおれの御殿場の家を君に賣ろうと言つて御殿場の家を貴殿に賣却いたし候也と書いた名刺を持つてこられたのでありますが、從來つきあい関係でありますので、古い友だち自分工場を賣つて金があるときなのですから、別にそのお宅をいただく必要もなければ、抵当にとる必要もない、こういう名刺は要りません、これの清算はまたひとつゆつくりやりましようということを申し上げたのであります。その前から三惠冶金の問題がありますから、あの金を西村君が、ではおれが立替拂いをしてもいい、それではそれに切換えようじやないかというようなお話でありましたから、大体三十五万円はそれで切換えられるというのでありますが、別に昭和十八年時代の二十一万円が現在の時代の二十一万円と金利くらいで済む通貨の價値でないことは、委員長も御了承のことと存じますが、お互いにとにかく政治稼業をしてきた人間でありますから、その金利計算がいくらになりますか、それはゆつくり選挙でも済んだらという話でそのままになりましたが、何分西村君もいろいろ選挙等についても非常に金を使われただろう、これは計算あとにしてとにかく陣中見舞ともなく何ともなく届けたらいいだろう、これは私から西村君にはつきり届いたかどうかもわかりませんが、使いに持たしてやつた。それも選挙の初めでなく、選挙の済んだころであります。それ以後五月の中旬ごろでありましたか、私はまあ二十万円は將來貸したことにしてもいい。三十五万円の方は三惠の方で拂つておいてくれというような意味でありましたが、やはり西村君の個人の金を私が昭和十八年に拜借しておいたならば、お互いの間でありますから、そんなことでよかつたと思うのであります。三惠冶金の方にして見れば、やはり会社の経理でありますから、そういうわけにもいかぬようだ、そこであれ全体でひとつ君、カバーすることにしてくれぬかというお話もありましたので、それではこまかい計算あと事務当局にやらせよう、私の方はそれで結構だというような話が五月五旬ごろお目にかかつたときにしたというかつこうになりますから、一應私の意図としては三十五万円から三惠冶金の借金を立替えて拂つてもらつた。それからあとはその後にまた返していただく金でもよいし、とにかくお互いに困つたときには助け合うのが從來からのわれわれの関係でありますから、とにかくここで九十万円の工場を賣つて金が余つておるのだから、用立てをしてお役に立てていただこう。自分でも選挙をやつたことがあるものですから、確かに選挙のことは私の頭にありました。選挙は金も要るでしよう。だからそれも含めて、陣中見舞というふうな意味もありながら、とにかく貸した金でもいいし、何ということもなく性格をきめないで、そこいらがわれわれ——皆樣方は別でありましようが、私の政治稼業をしたもののきめわてルーズな大まかな点でありますが、まあどつちでもいいということでお届けをいたさせました。ところがあとから三惠冶金の方はそれでも困るというお話でありましたから、それでも君がよければ結構だということで、話をそういうことにしようということにしたのが経過であります。
  44. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると最初金を十五万円と二十万円お出しなつたときの話は、特に三惠冶金の方の資金を返すという趣旨に確定したわけでもないし、また御殿場の家を賣つた代金ということにきまつたわけでもないのですね。
  45. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうです。
  46. 武藤運十郎

    武藤委員長 後になつて五月ごろそんな話も出たが、渡された当時は、政務調査で金が要るから出してくれんかというような趣旨でお出しなつたわけでありますか。
  47. 亀井貫一郎

    亀井証人 さようであります。
  48. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするとそのときに西村氏が名刺に書いてきたとかいう話も今伺いましたけれども、それがあつたから出す、なかつたから出さないというわけではない、とにかく西村氏から申出があつたのでお渡しになつたのですか。
  49. 亀井貫一郎

    亀井証人 西村氏とし從來政治的同志でもありますが、また個人的にも深い間柄でありますので、こつちが要るときには私が別に三惠冶金に借用証書を入れておりません。それと同じく西村君が要るというときには私が御用立てをしたのであつて、別に政務調査会ということでもなく、また家の抵当ということでもなく、貸金ということでもなく、返済ということでもなく、頭の中には貸金返済ということも含まれながら、いずれそれはあとで処置しよう、とりあえず要るものは持つてつたらいいだろうということで、それが從來関係であり、その通り処置したのであります。
  50. 武藤運十郎

    武藤委員長 從つて別にあとでそれを返してもらおうというようなことも考えなかつたのですね、二人とも…。
  51. 亀井貫一郎

    亀井証人 返してもらおうというようなことも考えておりません。またそれが西村君とわれわれの間で、そういうことがかりに何かのお役に立つたとしても、また何か私の困つたときには西村君が助けてくれると考えるからでありまして、簡單に言えば、政事稼業をしていた人間として、実業家的に見ればきわめてルーズでありますが、しかしまたそういう関係のあつたことも事実であります。
  52. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういう貸借関係なり何なりあるということはありますが、とにかく西村氏が政治関係で金が要るという趣旨でお出しなつたというようなわけですね。
  53. 亀井貫一郎

    亀井証人 政治関係でなくても、西村君が要ると言えば出しますが、当時代議士でしたから、政治関係ということは当然だと思います。
  54. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこであなたは四月二十日、すなわち約十五日ばかり前に檢事局で布施檢事の前で、初め十五万円と二十万円、合計三十五万円を渡しておりますが、その金は西村政務調査会の人件費として三十五万円ほど金が要るから用立ててくれと申すので、何ということなしに、二回に合計三十五万円渡したわけでありますが、この金については西村名刺の裏に云々と今の賣却代金ということが書いてあるのです。云々とあるのですが、さつきのお話とちよつと違いますね。
  55. 亀井貫一郎

    亀井証人 違いません。
  56. 武藤運十郎

    武藤委員長 政務調査会の人件費ということになれば、日本社会党政務調査会の人件費の意味だろうと思うのですが、今の話は全然そういうものではないのですか。
  57. 亀井貫一郎

    亀井証人 私と今次君の関係は、西村君が実業界におれば実業の会社の設立費に出してくれと言えば出しもするし、また政治のことには政治のことに出しもするという意味で、私が社会党に関心をもつて、それにどうしようというので出したのではないということを明瞭にいたしたのであります。当時西村君が個人の金として入用であつた事情の説明として、政務調査会にも相当有能なる人を早く雇つていろいろしなければならない。それにはなかなか党費の賄いもできないが、自分個人で立替えもしなければならぬから、それやこれやで金が要る、こういう意味でそう申し上げたのであります。
  58. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするとやはり政務調査会の人件費というような話が出て、それでお出しなつたということですか。
  59. 亀井貫一郎

    亀井証人 その通りでありますが、私が政務調査会の人件費を立替えようというのではなくして、西村個人の金の要る理由としてさように承つて、君個人の御用で金が要るだろうというので、それで私は御用立したのであります。
  60. 武藤運十郎

    武藤委員長 それは何というか、説明や弁解は要らないのですが、ありのままのお話を伺いたい。西村氏があなたの所へ行つたときには、政務調査会の人件費が要るから三十五万円出してもらいたいという話があつて、それであなたが用立てたというふうになつておるのです。そうすると金額は合つておりますけれども、趣旨は今あなたの言われることとは大分違うのであります。
  61. 亀井貫一郎

    亀井証人 政務調査会の人件費等の立替に西村君がそういうふうな事情で金が要る、これは大事なことであるから、それではここにあるから、これを持つていきたまえということであります。
  62. 武藤運十郎

    武藤委員長 のちの二十万円は何か選挙の運動資金という趣旨ではなかつたのですか。
  63. 亀井貫一郎

    亀井証人 選挙の運動資金とおとりになるならば、それは御解釈の問題で御自由でありますが、ほんとうの選挙運動資金ということであるならば、もつと早くお届けしなければ惡いのでありますが、選挙が済むころ西村君とは從來関係もあり、選挙でも金を使われたであろうし、その穴うめもあるという意味でありますから、選挙意味も含めて、陣中見舞ともなく、漠然とお届けせしめたのであります。
  64. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするとこの金を出して、政治家としての西村君に何か便宜をはかつてもらおう、たとえば軍服拂下げについて便宜をはかつてもらおうとか——これは一例ですが、そのほか何かあなたの方の仕事と西村氏と結びつけて便宜をはかつてもらおうというふうな趣旨は含まれていないのですか。
  65. 亀井貫一郎

    亀井証人 お答えをいたします。全然さような意味は含まれておりません。お許しがあればはつきり申し上げたいのでありますが、大体政治意味、特に世上いろいろ誤解がございますが、社会党を應援するというような意味もございません。申し上げますれば、私は從來片山君とは同僚で運動はいたしてきたのでありますが、重大な二点について意見を異にしておりますので、社会党立党の時お招きも受けましたが、参加もしなかつたのであります。その重大な二点については今でも私の考えは変つておりません。
  66. 武藤運十郎

    武藤委員長 その点は後の機会にでも伺いませう。
  67. 亀井貫一郎

    亀井証人 從つて社会釜を應援するという意味ではありません。  次に拂下げの問題については、当時社会党を煩わす必要は毛頭ございません。当時の連立内閣におきまして、厚生大臣河合君が自由党閣僚と話をして、一つの國策としての放出を運動していたのであります。私は何ら西村君にも、松本君にもお願いする筋合はございません。
  68. 武藤運十郎

    武藤委員長 西村氏に金を渡されるときに、これは軍服拂下げ問題で受取つている金という話は出なかつたでしよう。
  69. 亀井貫一郎

    亀井証人 さようなことは何ら申しておりません。
  70. 武藤運十郎

    武藤委員長 工場を賣つた金ということは出ておらないのですか。
  71. 亀井貫一郎

    亀井証人 工場を賣つた金ということを西村君に言つたか言わないか記憶にありませんが、とにかく去年の末にはできなかつたが、ようやく金ができたからということは申し上げました。
  72. 武藤運十郎

    武藤委員長 次に松本淳造氏との関係ですが、松本氏とは從來どういう関係ですか。
  73. 亀井貫一郎

    亀井証人 松本淳造氏とは政治友誼関係といたしましては、松本君は当時の日本労農党に所属をせられておりますし、私は社会民衆党に所属をいたしておりますから、同じ無産党でありましても違つてはおります。しかしながら松本君は御郷里が島根縣でありました。私も小さいときにとんぼをつつたとか、かえるをつつたとかいう意味の親みはありませんけれども、歴史的な故郷は島根縣であります。はなはだ封建的なお話になりますけれども、旧津和野藩、旧龜井藩の旧臣の方でありますから、まつたく故郷を同じくし、一家を同じくしております関係上党は違いましても松本君とは竹馬の友の関係にあります。しかるにその後日本労農党、日労党及び社会民衆党及び労農党そのほか七党合同によりまして、社会大衆党ができ上りましたために、そのとき以來は特に懇意なる関係になりました。それから私が明治大学に教鞭をとつておりまする関係もあり、松本君もまた明大にきわめて深い関係があられまして、その学生グループ等にはよく二人で一緒に行つておりまするので、とにかく公的にも私的にも一番深い関係にあります。
  74. 武藤運十郎

    武藤委員長 松本氏に五万円と五万円、二回で十万円お出しなつたようですが、これはどういう趣旨の金ですか。
  75. 亀井貫一郎

    亀井証人 第一回の五万円は二月中旬だと思いますが、松本君が民主主義の文化というものを人民に植付ける教育カンパをやる超党派的な社團法人をつくりたい。その名前は社会文化協会ということにしようと思つている。それはいいことだ。それではどうやるのだ、とにかく準備にかからねばならぬのに、金も無くて困るという話でしたから、じや君準備資金をもつていきたまえ、これも漠然と、しかし内容はそういう話の経過としてさつき委員長お尋ねのように何も説明という意味でありませんけれども、そんな話が口火になりまして、それじやそれでおやりになつたらよろしかろうというので、五万円もつて行かれました。後の五万円はやはり國の選挙でありますので、松本君もなかなか手もとが苦しいとかいう話を聽きましたから、また松本君が病氣になれば從來関係で私に金があればお助けもしなければならぬ関係もありますので、何も選挙という特定でなくても陳中見舞という意味で、これも選挙の終りころ、特に初めを避けたという意味ではありませんが、大体終りころ渡してやつたのであります。
  76. 武藤運十郎

    武藤委員長 從つてこの金は、いずれも返してもらおうとは思つておらぬわけですね。
  77. 亀井貫一郎

    亀井証人 おりません。いわゆる貸借関係という氣持のものでないので、返してもらおうとは思つておりません。
  78. 武藤運十郎

    武藤委員長 それからなおこの金についても、今村氏に対すると同じように、これによつて何か便宜を得ようというような話合なり考えはなかつたわけですか。
  79. 亀井貫一郎

    亀井証人 大体御想像がつきますように、何か利権でも頂戴するとか便宜をはかつて戴くならば、やはりそれは西尾君か水谷君のところにお伺いいたします。淳ちやんのところに頼みにいくという氣はございません。
  80. 武藤運十郎

    武藤委員長 この西村氏に渡された金は常民生活技術協会ですか、片倉という人を通じて渡されたのですか。
  81. 亀井貫一郎

    亀井証人 お答えをいたします。大体先ほどからの証言で明瞭でありますが、私はどうも昭和三年以來政治家稼業をしておりますが、金のことは取扱いが下手な人間でありますから、大体片倉君があすこへ届けてくれといえば届けますし、私は現金を余りいじることをいたしませんので、大体片倉君が使いに立つたと思います。
  82. 武藤運十郎

    武藤委員長 三回ともそうですな。
  83. 亀井貫一郎

    亀井証人 と思います。
  84. 武藤運十郎

    武藤委員長 松本君に対する分も同じですか。
  85. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうです。いや松本君の初めの五万円のときは片倉君が持つてつたと思います。だから松本君からの預り書のようなものは片倉君あての名前になつております。二度目のときは電報を打つたのだろうと思います。電報を打たせにやつたのは片倉君だと思います。
  86. 武藤運十郎

    武藤委員長 なお新村氏とのその金の授受の話のあつた際に、今後社会党政務調査会に毎月二十万円くらいずつは出してもいいというような趣旨の話があなたから西村氏にありましたか。
  87. 亀井貫一郎

    亀井証人 そういう具体的な話は私記憶にありません。しかし政務調査会にはこれは大事なことである。なんとかして皆協力して社会党のためにも、國家のためにもやられたらいいだろうという激励は述べております。
  88. 武藤運十郎

    武藤委員長 西村氏は檢察廳で  「私として受取つた分は以上の通りでありますが、亀井はなおこのほか政務調査会に毎月二〇万円くらいずつ出すような話でおりましたが、そのままになつてしまいました。」こういうふうに言つております。そこで今政務調査会ということをあなたに伺つておるのです。
  89. 亀井貫一郎

    亀井証人 とにかく私自身は別にして、政務調査会が二十万円くらい要るのだというお話で、それならわれわれ表へ出ないけれども、政務調査会に二十万円くらいは集るように西村君に應援してもよいという話はしたと思います。
  90. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時どこかほかに政治家なり政党なりに同じ仲間、先ほどの昔の政治家仲間というようなわけで金を出されたようなことはございませんか。
  91. 亀井貫一郎

    亀井証人 この際申し上げますことはきわめて異樣に聞えまするが、西村君には前に金を借りた関係もあり、松本君は以上のような関係もありまして、先ほど申し上げましたことはまたお尋ねがあれば申し上げまするが、大体率直に申し上げまして私は、何も追放ということでなく、政治的な情熱も失い、かつそういう面の遠慮もありまするので、特に現議会人において御活動方々等に対しては別にそういう余力も大してあるわけではございませんが、それでも五千円や一万円くらいのことは何とかなつたかもしれないのでありますが、特に一貫いたしまして政治関係はもたぬということを考えまして差控えておりましたわけであります。何もそういう問題はありません。
  92. 武藤運十郎

    武藤委員長 話をかえまして辻嘉六氏、世耕弘一氏御存じですか。
  93. 亀井貫一郎

    亀井証人 よく知つております。
  94. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう関係がございますか。
  95. 亀井貫一郎

    亀井証人 辻嘉六氏はわれわれがまだ議会におりましたころより存じ上げております。特に率直に申せば昔われわれが拜見しておりました辻君よりも、特に最近円熟を加えられたりという印象をもちまして、よく辻さんは前からお目にかかつておりましたが、頻繁に行き來はしませんけれども、ある種のやはり尊敬はもつております。それで特に上りましたのは軍服拂下げを含む放出の件で、河合君が大体考えてもいるが、とにかく厚生省その他現在の諸官廳がもつている所管物資は省客品もあれば省内品もあるから、これを追いこんで大きく放出をする。特にインフレ、二・一ストを前にしてこれはおやりにならなければいかぬという意味で辻君にたびたび意見を言い、それで閣議で決定したらよいじやないか、何もこつちに決定をしてくれということを言うのではなくして、拂下げを含む全体の放出をきめられたらよいではないか、まだ大臣の知らないものはこちにもあるのだ。  次に世耕君は旧議会時代からの同僚でありまして、たしか私の二回目の当選以來議席をもつておられたかと存じます。日本大学の先生をしておられて、そう頻繁に親しく往來したような間ではありませんが、それでもいろいろな会合で御同席したような関係もありました。かねて何とかこれだけのこの睡眠物資政府ないし議会が強力にお取上げにならなければならぬ。もし今日あるような隠退藏物資特別調査部があの赤時できていたならば、かような問題も起きなかつたと思うのであります。そこで何とかしなければならぬというときに、世耕君が安本の副委員長になられ、そうして内閣がこのことに手をつけられるということを伺いまして、私はむしろ國民のために慶賀いたしたのであります。ところが見ておりますると、世耕君は政友会以來の一本氣の方でありますから、非常に内務官僚とも対立しておられる。これはもう少し檢察の方とも協力せられ、もう少し民間の勤労諸團体とも協力をせられないといけないじやないか、こういうような意見をもちましたので、特に私は世耕君に会いまして、そのことを意見交換とともに申し上げたこともあります。同時にこれはとにかく当時の檢事局をしつかり——隠退藏の事件の犯罪面でなく、物資動員の面に拡大して帰納をしていただくのがよいじやないかというので、さらに自宅に世耕君を訪問して、特にひとつ司法次官とも懇談せられて案をねられたらよいじやないかという意見を具申した面が一つあります。同時に先ほど申し上げまする海軍すなわち第二復員局が持つており、本來ならば厚生省なりあるいは内務省調査部に入れなければならない物資がはいらないで、いわゆる民間のところにある。これを何とか政府の中に追いこむのには、どうしても一つには繊維品はまず商工繊維局がしつかりつかんでもらいたいというので、私は繊維局長にもお目にかかつて、これはどういうふうな手をお打ちになるのだ、そうでなければこれは世耕君に安本の機関で摘発して持つていく、この二つしか押しこむ途はないじやないか、それで世耕君にも、これは海軍の者が逃げるようならひとつ大急ぎで久里浜へ行つてつてくれないか、と言つたら世耕君は、いつでも自動車で行つてもよいという。私は援護院次長の高辻君に、世耕君は行つてもよいと言つている。しかしまさか援護院の繩張りに無断で乘りこむことは官僚の対立のことも心配いたしましたので、あまり積極的に乘りきれないので、世耕君にもう少し時期を待つてくれないか、あるいはうまく話がいくかもしれないということを話をしただけであります。
  96. 武藤運十郎

    武藤委員長 辻嘉六氏に対してある種の尊敬をもつているというのはどういう意味ですか。
  97. 亀井貫一郎

    亀井証人 政治的にねれた方だと思つておりました。
  98. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か辻氏が、一般には政界の黒幕というふうに言われているのであるが、言われる方では異議があると思うんだけれども、非常に金なんかも集める。政治家のめんどうも見る。また選挙などには金を出してやる。何というか政界に隠然たる勢力をもつているというふうなお方ではありませんか。
  99. 亀井貫一郎

    亀井証人 辻君が自由党を設立したその前後にあたりまして、どういう金を運用せられたかは私は知りません。それからどういうふうに金をまかれるかも私は知りません。私のある種の尊敬というのはそういう意味ではなくして、やはり旧時代から新憲法への一つの過渡期を渡られてくるのでありますから、多少の時代的錯誤はあるにしましても、旧政治家の間の裏にいた人としては、割にすつきりしている方だと私は思つております。
  100. 武藤運十郎

    武藤委員長 すつきりしておるというのは、名利恬淡だという趣旨ですか。
  101. 亀井貫一郎

    亀井証人 そういう意味です。それから申し上げますれば、大体あの当時の既成政党の裏、あるいは軍内の諸勢力の裏におられた方々は、皆口ではいろいろ革新とか何とかいうこともありまするが、大体において生活態度がわれわれにすつきり映らない。その中の生残られた方としては、私はすつきりした方だと思つておりました。
  102. 武藤運十郎

    武藤委員長 綿引喜一小川美武彦西山重道というような人を御存じですか。
  103. 亀井貫一郎

    亀井証人 本件から知り合いになりました。
  104. 武藤運十郎

    武藤委員長 その前は知らない…。
  105. 亀井貫一郎

    亀井証人 その前は知りません。
  106. 武藤運十郎

    武藤委員長 本件というのは裁判所で問題になつてから知つたというのですか。
  107. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうではありません。つまり厚生同胞協力会……。
  108. 武藤運十郎

    武藤委員長 軍服の問題で……。
  109. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうです。厚生省社会局庶務課の主管財團法人として私が知りまして、そして工場經営について御協力を願い、ついで拂下げの私の方の一つの協力ないし下請機関としてお願いしたわけであります。
  110. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か諸君、お尋ねがありますか。
  111. 河井榮藏

    ○河井委員 詳細に委員長からお尋ねがありまして、証人からきわめて詳しく御答弁がありましたので、私は簡單西村榮一君との関係につきまして、証人お尋ねいたしたい。昭和十八年ごろに三惠冶金鉱業の中村勝眞という人から二十一万円の金を出資されたとか、あるいは借りたというふうに言われましたが、この中村勝眞亀井さんとは從來お知り合いでありましたか。またその当時お会いになりましたでしようか。
  112. 亀井貫一郎

    亀井証人 その当時西村君に金策を頼み、西村君が三惠冶金鉱業社長中村勝眞君を私に紹介してくださり、そこではじめてお目にかかりました。
  113. 河井榮藏

    ○河井委員 それだけですか。
  114. 亀井貫一郎

    亀井証人 それだけです。その後戰時中はたびたびいろいろな仕事関係で往來がありました。
  115. 河井榮藏

    ○河井委員 この三惠冶鉱業というのは、実際には西村榮一君がやつておるということは御存じありませんか。
  116. 亀井貫一郎

    亀井証人 全然さようには承知しておりませんでした。
  117. 河井榮藏

    ○河井委員 そうしてその中村君から出した金を西村榮一君が立替えて拂つたというようなことはどうですか。
  118. 亀井貫一郎

    亀井証人 拂つてあるということは知つておりませんでした。
  119. 河井榮藏

    ○河井委員 その後お知りになりましたか。
  120. 亀井貫一郎

    亀井証人 その後立替えて拂つたという話を西村君から伺いました。
  121. 河井榮藏

    ○河井委員 そうすると、西村君に対する五十五万円以外に、中村君から出資金清算を求められるなり、あるいは貸金ならばその仮還を請求されたようなことがありますか。
  122. 亀井貫一郎

    亀井証人 中村君は終戰直後、その二十一万円の処理について御相談があり、ある意味において返還の御要求が終戰直後二池三箇月間は数回ありました。
  123. 河井榮藏

    ○河井委員 ありましたけれども、清算も返還もされていなかつたわけですね。
  124. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうです。
  125. 河井榮藏

    ○河井委員 そうすると、あなたがさつきおつしやつたように、西村君に最初三十五万円、それからあとの二十万円というのは、結局この中村勝眞氏からの出資金をそれで一應弁済したということになるのですか。
  126. 亀井貫一郎

    亀井証人 なります。つまりもつと具体的に申し上げれば、今お話を伺えば三惠冶金鉱業が西村君の会社であつたかもしれませんが、私はそれを知らなかつた西村君としては私との從來関係上、二十一万円私に貸してくださつた。それで西村君とわれわれの関係ではまさか金利をとろうとも言えないわけです。しかし三惠冶金としては経理の関係があるというところで、つまり私は、西村君から、いやもうこれで結構なんですというようなお話もありましたが、結構だか結構でないか、そこの見当もわからない。さらにあと選挙費用もある。また陣中見舞意味も兼ね、漠然と二十一万円持つていかせましたけれども、あと西村君から、三惠冶金の経理としては前の二十一万円は現在の貨幣價値としては二百万絵返してもらつても足りないのだということですから、その辺はよろしくやつておいてくれ、五十五万円でいいのか、それでいいというような話もありまして、計算はまだもらつてはいませんけれども、われわれは大ざつぱでありまするけれども、私の債務はありません。
  127. 河井榮藏

    ○河井委員 そうすると、中村からの債務はないわけですね。
  128. 亀井貫一郎

    亀井証人 ありません。
  129. 石田博英

    石田(博)委員 今御議論があつた点で若干お尋ね申し上げたい。そうすると三惠冶金鉱業から二十一万円をお借りになるについては、この金はあくまで中村某という人の金であると思つてお受取りになつたわけですね。
  130. 亀井貫一郎

    亀井証人 まつたくさように思つておりました。
  131. 石田博英

    石田(博)委員 しかしてその金をその後西村君が中村氏に返したということをお聞きになりましたのは、三十五万円をお渡しになつあとで、それではこの金を返金に充てておこうと西村君が言うたその後でございますか。     〔委員長退席、河井委員長代理着席〕
  132. 亀井貫一郎

    亀井証人 三十五万円の後であり、二十万円の後であり、五月中旬ころです。選挙が済んで出てこられて、ああいう漠然として渡したりとつたりしたものをどう整理するか、あれは実は私の方で返してあるから、こういうことでありました。
  133. 石田博英

    石田(博)委員 続いてお聽きいたしますが、現在の二十一万円とその当時の二十一万円とは申すまでもなく非常に貨幣價値が違つておる。そうして現在の價額に換算しますならば、おそらく二千万円程度のものにさえも相当すると思うのですが、それだけの價値のあるお金をお受取りになり、しかもたとえどれだけ御懇意の仲の西村君の御紹介があつたとしても、初対面の中村君からそれをお受取りになるときに、何ら手形なり証書なりをお書きにならなくて済むということについて、御疑念はおもちになりませんでしたか。
  134. 亀井貫一郎

    亀井証人 何ら疑念はもつておりません。ただ三惠冶金の方には預り証か借用証かは事務当局の者が入れたかと記憶しておりまするが、はつきりいたしておりません。
  135. 石田博英

    石田(博)委員 その二十一万円は何回に渡つてお受取りになりましたか。
  136. 亀井貫一郎

    亀井証人 それは記憶が明瞭でありません。私は三回くらいと思うのでありますが、それを扱いました者が当時の事務の者でありまして、何回であつたかは記憶いたしませんが、多分三回か四回だつたと思います。
  137. 石田博英

    石田(博)委員 その金は現金でございますか。小切手ですか。
  138. 亀井貫一郎

    亀井証人 小切手です。
  139. 石田博英

    石田(博)委員 その小切手の振出人は西村君であつたということではございませんか。
  140. 亀井貫一郎

    亀井証人 中村君の小切手です。
  141. 石田博英

    石田(博)委員 その小切手が今日証拠として檢事局に出されておるということを非公式に私は西村君から承つたのですが、そういうことを御存じありませんか。
  142. 亀井貫一郎

    亀井証人 知りません。
  143. 石田博英

    石田(博)委員 次にお伺いいたしたいことは、西村君に、三十五万円をあなたがお渡しになる前に西村君からあなたに対して返金の要求はありませんでしたか。
  144. 亀井貫一郎

    亀井証人 返金の要求と申しますと非常に固くなりますが、西村君と私との間は返金の要求というような印象ではありませんが、三惠冶金の方も何とかせなければならないし、自分も金が要るしというような、きわめて漠然たる話で、取敢えず西村君は遠慮されたのでしよう、御殿場の家を何とかしてくれとか、あるいは板橋の家を賣つてくれとか、君は買わんかとか、そういうお話がありました。     〔河井委員長代理退席、委員長着席〕  しかし十二月ごろ三惠冶金の方はそのままであつて、結局自分がそれを処理しなければならないから、ひとつ君の方で準備ができて金が返れば処理していい。自分の方で片付けてもいい。とにかく返金の要求というしかつめらしい意味ではなくても、内容的にはそれだけのことでなく、他の話と一緒にあつたことは確かです。
  145. 石田博英

    石田(博)委員 その際に当時の貨幣價値と今日の貨幣價値と比較したり、あるいはその当時からの金利計算して、今日ならばどのくらいに相当するというような話はありませんでしたでしようか。
  146. 亀井貫一郎

    亀井証人 ただいまのお尋ねはいつごろあつたかということですか。
  147. 石田博英

    石田(博)委員 それは三十五万円をあなたがお出しになる前のことです。
  148. 亀井貫一郎

    亀井証人 前にはありません。
  149. 石田博英

    石田(博)委員 三十五万円をお出しになるときには、返金云々ということは全然なかつたということの御証言の理りに承つてよろしうございますか。
  150. 亀井貫一郎

    亀井証人 さようでございます。
  151. 石田博英

    石田(博)委員 次にお伺いいたしたいことは、この金は常民科学生活技術協会事業のために借用なされたものでございますね。
  152. 亀井貫一郎

    亀井証人 さようでございます。
  153. 石田博英

    石田(博)委員 その協会事業のために借りた金をどうしてあなたが個人で返済する義務があるわけですか。
  154. 亀井貫一郎

    亀井証人 協会事業でありまするが、協会自体は一つの技術の研究ないし助長の團体でありまして、その研究をやる主体はだれか個人がやらなくてはならない。從いまして一應協会ということではありまするけれども、私個人がそれを全面的に責任をとるということで拜借したのであります。
  155. 石田博英

    石田(博)委員 その協会財團法人になつておりますか。
  156. 亀井貫一郎

    亀井証人 さようでございます。しかし当時西村君の紹介で金を借りたときは、財團法人の設立認可はまだ來ておりません。任意團体であります。しかもほとんど個人事業の形式でありました。
  157. 石田博英

    石田(博)委員 個人事業にお借りになつたのでありますが、初め借受人はあなたが借受人になつたわけですか。
  158. 亀井貫一郎

    亀井証人 さようでございます。
  159. 石田博英

    石田(博)委員 それから大変失礼なお尋ねですが、あなたは現在追放該当者でありますか。
  160. 亀井貫一郎

    亀井証人 当然追放該当者であると思つております。しかし十二月二十四日の翼賛会関係の追放には官報に出ておりません。あらためて一度追放になつておるならもうそれでいいと思いますが、この間著作家の追放の仮指定を受けました。從つてその意味では明らかに仮指定中であります。しかし前の追放がどうなつておりますかは、立候補いたそうとしたときに、そのときは訴願委員会等はありませんでしたが、一應内閣から不適格だと言い渡されましたから、それだけで追放になるだろうと私は考えます。
  161. 石田博英

    石田(博)委員 そうすると三十五万円、初め三十万円後に五万円、二度に金を松本君と西村君にお渡しになつたときに、自分自分が追放該当者であるということを御承知でありましたか。
  162. 亀井貫一郎

    亀井証人 その点は私の信念としては追放該当者だと信じております。しかし内閣の技術的な関係が官報には出ておらず、あるいは追放指定になつていないかもしれません。その点の自分の身分については未だに晦暝であります。今明瞭なのは四月何日かにきめられた追放仮指定ではつきりした。しかし仮指定は前に追放された者が二度追放されることがないとすれば、その西村君や松本君のときの時代は調べてみれば、あるいは追放でなかつたかもしれませんが、私の信念としては当然追放該当者だと考えております。しかし当時は技術的に追放であるかどうかということはわからなかつた。そして四月の著作家の追放ではつきりそれは仮指定になつておるというわけです。
  163. 石田博英

    石田(博)委員 しかし、その前に立候補の届出をなされたときに不適確だと言われたとしますならば、当然追放だと思つておられるという法的根拠もあると思いますが……。
  164. 亀井貫一郎

    亀井証人 それは二説あるようでありまして、私はそれでいいじやないか、それに対してあとで訴願とか何とかいうことがあるのじやないかと思つておりますが、一方やはり官報に出なければいけないのだという……。翼賛会関係ですよ、私のは翼賛会関係でありますから。
  165. 石田博英

    石田(博)委員 そうしますと、次に西村君が三十五万円のお金を受取られるのであなたの所に行かれたときに、檢事局の調書にも出ております通り政務調査会の人件費に要るということで、人件費等と言われたか、人件費と言われたか別としまして、明らかに政党活動のために必要な経費としてあなたの前に申されたことは事実でございますね。
  166. 亀井貫一郎

    亀井証人 ちよつと非常に語呂について神経質なことを申し上げるようでありますが、人件費に要ると言つたのではなくして、人件費が要る……
  167. 石田博英

    石田(博)委員 それは「が」でも「に」でも……
  168. 亀井貫一郎

    亀井証人 いや、それは性格をはつきりしなければならない。人件費が要るというのは西村君が要る。人件費に要るというのはこの金が人件費になるわけです。人件費等がいろいろ要るから、だから俺がいろいろ金が要るから、こういうわけです。
  169. 石田博英

    石田(博)委員 人件費が要るということがただちに西村君が要るとは、今日の政党の組織の概念の中におきましては、ただちにそうなるとは私どもは思われないのであります。たとえば、西村君は当時社会党政務調査会の副会長をしておられたと承知しておりますが、政務調査会に金が要ることは社会党が金が要ることであつて、ただちに西村君が金が要ることだとは私どもは思えない。そうお考えになりませんか。
  170. 亀井貫一郎

    亀井証人 私も人民の一人としてただいま仰せの通りの現実が眞実にあることを切に希望いたすものでありますが、現実の姿から申せば、正規に一つの機関が動く前には、やはりいろいろな立替えもあるのじやないかと考えております。
  171. 石田博英

    石田(博)委員 その金はそれでは社会党政務調査会費用、言いかえるならば、社会党政治活動をする費用として使われるということを御承知になつて支出されたわけですか。
  172. 亀井貫一郎

    亀井証人 社会党政治活動に使われる、西村君の政治活動に使われるものとは確信をもつておりました。
  173. 石田博英

    石田(博)委員 勅令によりますと、追放該当者はただいまのような事柄はもちろん、政治資金等に関係することが禁ぜられてあるはずでありますが、その勅令は御承知の上でなされたことでありますか。
  174. 亀井貫一郎

    亀井証人 先ほども申し上げましたがごとく、その勅令をよく知つておりますがゆえに、私は特別なる旧來の政治活動とかあるいは選挙資金とか、そういう表立つたることでない方だけの御用立をしただけでありまして、從いまして松本君、西村君に限定をせられた。同時に、第一は西村君とは前々からのいろいろ助け合われておる関係もあり、第二にそのときの追放に関する正確なる資格については私も疑義をもつてつた。しかしこれを正確に明らかにするほどの今熱情と興味がない。そういう中間の過程においてしたわけであります。
  175. 石田博英

    石田(博)委員 私どもはたとえいかなる関係の方であろうとも、やはり政治活動に支出された場合には、その受取つた当人となされた方との特別の関係は別問題として、やはり勅令に該当するものであるという解釈をとつております。  次にお尋ねいたしたいことは、その後五十五万円をお出しになりましてから、西村君があれで済んだという場合に、金利あるいは先ほど私が申しましたような貨幣價値の変動その他を計算いたしまして、どれだけになるが、これこれで済んだというような御報告はその後ありましたか。
  176. 亀井貫一郎

    亀井証人 その後ございません。
  177. 石田博英

    石田(博)委員 そうすると金利計算されずに、二十一万円が今日では五十五万円で済んだと、漠然とやつたわけですか。
  178. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうです。計算してみればそんな基礎が出るという話で、それがいくらいくらになるからという数字的なものを求めて、これが解決いたしたのではありません。
  179. 石田博英

    石田(博)委員 そうすると、私どもは先ほど中村何とかという方がやつておられる工場は、これは株式会社だと思います。あるいは少くともちやんとした法人であると考えるわけですが、その法人の経理上、返還してもらわなければ困るという建前からのお話で、それに充当されたという意味でお出しなつたといたしますならば、返還される基礎が不明確で、金利あるいは貨幣價値の変動等に対する計算の基礎が不明確で、それをもつて法人に対する債務の返済が済んだという御解釈はどういう点からなされたのですか。
  180. 亀井貫一郎

    亀井証人 大体拜借のときは、中村君に対する拜借は西村君が仲人だと思つております。仲人が行つて話をつけるのだから、この離縁話はついた。だからまあたんすを持つて帰るとか、あるいは着物が何枚要るのだとか、そんな話は別に私は大して重要に考えていない。まあ仲介がきめてくれるだろう、そう信頼をいたしております。
  181. 石田博英

    石田(博)委員 重要な点ですから重ねてお伺いいたしますが、それでは西村君にこの金をお渡しになるときは、中村氏に対する債務の返済に充てるという直接の目的もなく、それから西村個人に対して返済するという氣持でもなく、西村君が社会党政務調査会費用あるいは選挙後のいろいろな費用に要るだろう、必要だというためにお出しなつたのでございますね。お出しになるときは債務関係はお考えにならなかつた……。
  182. 亀井貫一郎

    亀井証人 いずれあとでそれの性格を明瞭にすることは考えておりましたが、その当時はただそれだけの金を、ぼやつとそちらに必要に應じて御用立したというわけであります。
  183. 石田博英

    石田(博)委員 重ねてその点特に明確にしておきたいのですが、西村君はそのお金を受取る前に、債務の返済としてというような條件、あるいは條件付でございませんでしたね。
  184. 亀井貫一郎

    亀井証人 十二月には、とにかくあの金をもらわんがという話はいたしましたけれども、こつちもこのごろは、工場が賣れなかつたから、西村君は御遠慮があつたのでありましよう。余裕があれば一應債務の返済の方に他の余裕金をまわして、それは一應西村君が別個に処理しようと考えられたのかもしれません。そのときの三十五万円は、別にこれはそのとき三惠の返済であるという話ではございません。
  185. 石田博英

    石田(博)委員 わかりました。
  186. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 今の調書を読んでみますと、西村御殿場の家の賣却代金、板橋の木工場をとつてくれろと申して書いて渡したというように書いてあつたと存じますが、そう言つておいて、あとから今の中村という人から金をあなたが借りておるのを拂つてもらうというような直してある。借りておるものなら、初めから借りた金を返してくれということを言うのですが、どうもあの調書を読んでみると、初めにむりに御殿場の家を賣つた代金を充ててくれとか、板橋の木工場でとつてくれとかいうようなことを言うて、それに及ばぬという結果、今の中村から借りた人に振替えたことになつておるが、ちよつとそのところが腑に落ちないのですが、何か間違つていやしないか。
  187. 亀井貫一郎

    亀井証人 その間違いはこういうところからだと思います。私は西村君から金を借りたとは思つておりませんで西村君が中村を斡旋してくれて、私の債務は三惠にありと考えております。西村君の三惠の関係はどういう深い出資関係にあるか、あるいは西村君の外部の関係によるものであるか、私は実は西村君から話を聽いておりません。
  188. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 いや、よろしゆうございます。もう一つ承つておきますが、今の二十一万円は、中村から借りたのは一体いつですか。
  189. 亀井貫一郎

    亀井証人 昭和十八年です。
  190. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 十八年のいつでしようか。
  191. 亀井貫一郎

    亀井証人 十八年の前半期であつたと思います。私どもの小切手帳及び書類は戰災で燒けましたので証拠がございません。私の方の記憶では前半期と考えております。事実扱いましたのが刑事の方でありましたので、私は現実に記憶しておりません。しかし二十一万円の債務についてははつきり知つております。
  192. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それから三十五万円を渡された日は。
  193. 亀井貫一郎

    亀井証人 それは私が先ほど申し上げたことく、じかにお渡ししたのでなく、片倉君が届けたのでありまして、それは檢事調書には貨倉君か何かのところに出ておるのではないかと思います。
  194. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 いつでありますか。
  195. 亀井貫一郎

    亀井証人 大体二十二年の三月上旬だと思います。
  196. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 こういうことがありはしないか。あなたは西村氏とともに商工省へ隠退藏物資のことでおいでになつたことはありませんか、西村さんに一緒に行つてもらつて
  197. 亀井貫一郎

    亀井証人 商工省へ行つたことはあります。
  198. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 一緒に行つたことがありますか。
  199. 亀井貫一郎

    亀井証人 あります。
  200. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それは何にいらつしやつたのですか。
  201. 亀井貫一郎

    亀井証人 それは纖維局長に会いに行つた。全体的の一般の方針として、こういうようにしなければならぬということで。
  202. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 纖維局長はたれですか。
  203. 亀井貫一郎

    亀井証人 鈴木君です。個々の拂下げについては、その場合に話が出ておりません。
  204. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 別に意味はなかつたというのですね。
  205. 亀井貫一郎

    亀井証人 意味はあります。個々の拂下事件とか何かのことではなくて、こういうところに隠退藏品がある。そういうものを纖維局はどういう数字で出すことを希望しておるかということを、纖維局長に聽きに行つた。そういうものをどんどん出さなければならぬという意見を私が言つてきた。政治意見であります。
  206. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 ただいま証人が言われました中村関係、これは檢察廳調書にもはつきり出ておりますが、檢察廳でお述べになつておりますか。
  207. 亀井貫一郎

    亀井証人 中村勝眞、三惠治金ということはちよつと述べております。
  208. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 二十一万円借りているという事実は……。
  209. 亀井貫一郎

    亀井証人 それは述べております。
  210. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 それを西村君が立替えて支拂つておるということを聽いた事実、それから結局五十五万円でそういうものをすべて解決したという事実ですね。そういうことを檢察廳でお述べになつておりますか。
  211. 亀井貫一郎

    亀井証人 きわめて大まかに述べております。
  212. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 どういうふうに……
  213. 亀井貫一郎

    亀井証人 初め金を出すときは、別に返すとかいうことでなく、ただ漠然といろいろ要るからと言つてつてつたあと選挙のこともあり、陣中見舞という堅いことではなく、選挙後金も要るというので送つておいた。あとで私の考えでは、三十五万円は借用金の返済、二十万円はどういうふうに処理されるかということ田、曖昧のままに送つておいた。
  214. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 檢察廳でもそうお述べになつたのですか。
  215. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうです。きわめて簡單に述べたのです。
  216. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 いつごろですか。檢察廳の初めごろの調べですか、あとの方の調べですか。
  217. 亀井貫一郎

    亀井証人 今年の三月二十日ごろの調べです。
  218. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 それから西村君から立替え支拂いをしたという事実をお聽きになつたのはいつごろですか。
  219. 亀井貫一郎

    亀井証人 立替え支拂いを明確にしたとき聞いてもおりません。とにかくあれは御心配にならずに、あれと振替えたから、少し額は殖えるが、そういうふうな処置にしたいという話を五月にした。
  220. 小松勇次

    ○小松委員 証人は、厚生同胞協力会とどういう御関係であるか。また御関係があるならば、厚生同胞協力会事業目的はどういうことを主としてなされるのであるか、その点をお尋ねしたいと思います。
  221. 亀井貫一郎

    亀井証人 厚生同胞協力会との関係は、先ほどの横須賀の洗濯工場の買收問題につきまして、初めは金融を求めた。それからだんだん懇意になりまして、これを買つたあと禎てくる品物の配分の斡旋をしたい。よかろう。下請というわけではありませんが、協力お話をいたしました。そして協力会から工場を買うにつきまして、金融の援助を受けました。それから出てくるものを協力会が選定し、私がよかろうと思うところには、割当ててよかろうというふうな話合いをいたしておりました。協力会の事業内容は正確に存じませんでしたが、大体社会脇庶務課にお尋ねいたしまして、やはり社会事業をやつておるというお話を聞きました。定款等は拜見いたしておりません。
  222. 小松勇次

    ○小松委員 厚生同胞協力会の水野繁彦さんとの御関係を御存じですか。
  223. 亀井貫一郎

    亀井証人 はなはだ恐縮でありますが、私は諸官省の方に飛びまわることに熱心でありまして、また時間を全部そつちへとられまして、協力関係のことはほとんど知つておりません。水野さんということも知つておりません。
  224. 小松勇次

    ○小松委員 厚生同胞協力会から自由党へ献金として、水野繁彦さんに二百五十万円を渡したというようなことを聞いておりますが、そういうお話をあなたは耳にしたことはありませんか。
  225. 亀井貫一郎

    亀井証人 厚生同胞協力会の方は、私の方が結局請算いたしまして、百万円の工場抵当、機械抵当の借用をいたし、それを返却いたしまして、今三十万円という残額がある。今月お拂いすればそれでなくなることになつておりますが、それ以外厚生同胞のお預りになりました——もつと率直に言えば、厚生同胞協力会のお預りになつた金を私のところにもつて來られたのでありますが、それはそちらに置いた方がよいだろう。できれば安全のために両協会の共同名義にして保管しておいたらよかろうということで、それは向うにもつていかれた。そちらではどれだけ預つて、どういうふうにされたか、全然一つも知つておりません。
  226. 小松勇次

    ○小松委員 自由党を献金したというお話を全然知つておりませんか。
  227. 亀井貫一郎

    亀井証人 全然知つておりません。
  228. 田中角榮

    田中(角)委員 簡單に三点だけお尋ねいたします。証人は引揚同胞援護会と御関係がありますか。
  229. 亀井貫一郎

    亀井証人 引揚同胞援護会とは常時継続的関係はありません。しかしながら本件に関しまして、やはり拂下げを引揚者の方に、ないしは戰災者の方に引当するのに、厚生省みずからおやりになる以外は、一應同胞援護会が中心にやられるのがいいと私は考えました。同時に併せて、いろいろな諸勤労團体の方へも、生産復興金議か何かでおやりになることがいいとも思いましたが、そういう面で御相談をしかけたこともありました。併せてついでにお扱いになるなら、援護会でお扱いになつた方がいいというので、栗原常務理事ともお話をいたしました。
  230. 田中角榮

    田中(角)委員 ただいまの引揚同胞援護会に対しましては千四百万円、あなたがお集めになつた七百万円の集め先の中にはありませんが、こういう取引は引揚同胞援護会との間にはなかつたのでありますか。
  231. 亀井貫一郎

    亀井証人 言葉を返すようではなはだ恐縮でありますが、良心をもつて宣誓して申し上げます。今お集めになつたという言葉がありましたが、これにも御返事を申し上げたいのであります。  拂下げについて置いていかれまして、拂下げをいたし、あとで返しました。從いまして栗原君とは、いろいろ隠退藏の所在を突止めるために費用が要る。それはみなこつちでもとうというわけで、ただ一回同胞援護会の幹部と、当協会の幹部が久里浜の現場を視察し、中古拂下げの選別作業の命令ある場合、それを予想しておつたから、どういう作業をしようかという話をしたが、金銭関係は毛頭ありません。
  232. 田中角榮

    田中(角)委員 そうしますと、引揚同胞援護会でも、これに似たような問題が起きておつたことを証人は御存じありませんでしたか。
  233. 亀井貫一郎

    亀井証人 私は本問題の初めからは知りません。そうして私は栗原君を信頼いたしております。ところがだんだん拂下げを含む放出問題について厚生省にまいりますうちに、何かどうも官廳と援護会としつくりいかない面があるやの氣持もいたしました。それからあとで、中古廃品等については共同作業で一緒にやろうと思つていた横田部長が急遽御轉任になつたというようなことがありまして、これは何か事情があるなと思つた程度であります。
  234. 田中角榮

    田中(角)委員 この引揚同胞援護会にかかるこれに似か事件は、御承知の通り原侑君の問題であります。この問題に対しては相当政治関係する人が動いておつたということも御承知だろうと思いますが、証人と引揚同胞援護会の交渉に対しましては、証人自身その常務理事の某とお知合いのために、折衝をつけられたのでありますか。しかもその前後におきまして、あなたがやられた事業と、引揚同胞援護会との間に、あなた以外の方々が御交渉なさつたというようなことがありますが、ないでしようか。御証言いただきたい。
  235. 亀井貫一郎

    亀井証人 引揚同胞援護会の栗原君は、あれは社会局長をいたしました。その前は翼賛会にもおりまして、私懇意であります。それから徳川家正君は、私の外務省在勤中の上司であります。館君にしても何にしてもみな知つておりますので、何ら間に介在しておりません。向うの幹部と、こちらの幹部とじごに話をいたしました。
  236. 田中角榮

    田中(角)委員 もう一つ、引揚同胞援護会と、あなたの下請をやられたところの厚生同胞協力会との御関係はお存じでありますか。
  237. 亀井貫一郎

    亀井証人 協力会の全面的な御活動については、その段は私はなはだ不穿鑿だつたと思いますが、大体社会事業團体だろうと信頼しており、その他にどういう活動をしておられるかはお話もなければ伺いもいたしませんでした。
  238. 辻寛一

    ○辻委員 もう一点だけ伺いたいのでありますが、先ほどの御証言西村榮一氏と松本淳造氏は個人的に非常に親しいから政治資金という面ではなく、何となしに面倒を見たのだということは、私としても納得いたしますが、政界の先輩として、しかも社会民衆党から大衆党に移られて御友人、知己は非常に多いだろうと私たちも推察いたします。そういう意味において終戰後、すなわち昭和二十年八月十四日以降において、政治を見たということは別として、政治関係しておられる後輩とか、同僚とかに資金を支出されたとか、あるいは西村松本両君にお出しなつたという意味でも結構ですし、これよりも軽い意味でもよいのでありますが、すなわち政界に活動しておられる後輩その他の知己に御面倒を見てやつたという事実があるでしようか、ないでしようか。
  239. 亀井貫一郎

    亀井証人 從來の同志各位が一貫せる繰志をもつてこのたびの新憲法下において第一線に活躍せられておる点については、私は心からなる敬服と欣快を感ずる次第ではございますが、率直にこの際申し上げますならば、社会党立党当時お招きを受けたのですが、参加をいたしませんでした。片山君とは個人的には年來の同志ではありますが、重大なる二点について意見を異にし、私がその政治的操志を賣らざる限り、社会党と公けには手を繋げない立場にあることは、あるいは御了承かと思うのであります。第一点は、はつきり申し上げれば、滿州事変の処理についての意見の違いであります。  第二点は議院内閣制の民主主義政治をもつて日本の危局を乘り切れるかどうかということについて、今でも片山君とは見解を異にしております。率直に申せば一九二八年以後の世界不景氣は、通論として世界資本主義末期段階における不景氣だと私は解釈いたしております。それもアメリカ合衆國のようにきわめて広い國内市場をもつ國はあるいはニュー・ディールで乘り切れるかもしれません。あるいは厖大な植民地をもち、発達せる資本主義、発達せる民主主義をもつところのイギリスにおいては議院内閣制度の民主主義をもつて乘り切れるかもしれません。しかし日本のごとく後進資本主義國、民主主義の発展の遅れている國が資本主義末期段階における不況のどん底に叩き落されたときには、この不況を乘り切る途は、必然的に社会主義か共産主義以外にないと信ずるのであります。從つて各國においてこれをきらうものは、いわゆるフアシズムが出て國内に分裂を來している。從つて率直に言えば、その当時日本の危局を救うためには日本資主義の延命策をするためには大陸に安定せる市場を與えることが至上だと信じたのであります。しかしもとより侵畧することを私は賛成したのではなく、旧議場において田中内閣のとき張作霖爆破事件について私みずからこれを糾彈いたしました。あるいは満州を軍部が勝手にするところの日満議定書について私が本議場においてその改訂を迫つた速記録があります。平和的にいたしたいと思つたのでありますが、地方的な事情から満州独立となりましたので、この既成の事実の上に立つて処理しようという考え、すまいという考えが一つの違いであります。  第二はこういう状態におきましては、どうしてもやはり人民、國民が職場、住宅において組織をもつて、その職能的民主主義を積み上げていつて、その上に人民と直結する行政民主主義をもつて三権分立という恰好の民主主義形態にせんければならぬ。これがかかる後進資本主義國が一つの運命の線を轉落するときにおいての政治的形態であらねばならないと思うのに、議院内閣制度の民主主義のみをもつてしてはいかぬ。こう考えまして、私はいわゆる國民組織を提唱いたしたのでありまするが、それを官僚はしきりに專制の機構にしようとしたのであります。從つて上意下達というのはけしからぬ。下意上達にしろという言葉さえ使い方を嚴禁ぜられたのでありまするが、われわれはどこまでも下意上達、下情上通という言葉ではまだるつこいというので、実は職能的な民主主義を進めて、それを行政民主主義に直結いたして、議会中心の民主主義の足らざるところを保完したいという素思が不幸にして微力破れまして、翼賛会の形態に相成つたのでありますが、片山君等は議会中心民主主義だけで、この後進資本主義國の世界資本主義末期段階の不況が乘切れる、こう考えておられました点が違つております。この二つが今でも実は私はさよう信じております。從いまして私は政治につきまして古い友人は友人でございまするけれども、実は率直に申せば、まことにその御苦労を多といたしますけれども、まずその点において差控えたいという氣持をもつておりました。  殊に私は最後に一言申し上げまするならば、資本主義といい社会主義といい、共産主義は、少くとも第一次産業革命の技術基盤の上に立つものであると信じております。しかし第二次産業革命の技術が、原子爆彈というあの爆彈の形態でなくてくる場合において、その上に成立するものは資本主義が社会主義か共産主義かであるかというような見通しをもつ場合において、人類はここに一つの大きな思想の生誕、社会主義思想の生誕の前夜にあるのでないかという感じがいたしまするが、当面の目標を各政治家活動にまつといたしましても、私どもは現在の政治に対して実は友情としての感じはもちますけれども、熱情をもつておりません。從つてなるべく御交際を御遠慮申し上げる、こういう実は立場にならざるを得ない。以上。
  240. 辻寛一

    ○辻委員 なるべくという御言葉でございまするが、簡單に結論が出ておらないようでございましたが、私の御質問申し上げたのは、出しておられるかおられぬかということを簡單に御答弁になつていただけば結構だと思うのであります。
  241. 亀井貫一郎

    亀井証人 出しておりません。
  242. 辻寛一

    ○辻委員 わかりました。
  243. 亀井貫一郎

    亀井証人 積極的にあまりおつき合もいたしておりません。
  244. 尾崎末吉

    ○尾崎(末)委員 先ほどおつしやつた虎姫の工場賣却代金が九十万円ほどはいつたというお話でありますが、その時期はいつごろでございましよう。
  245. 亀井貫一郎

    亀井証人 正確に記憶はいたしておりませんけれども、二月十七日、これは一つあとで訂正し得る自由を保留しておきますが、そのころと記憶しておりますが、書類を見ませんと。
  246. 尾崎末吉

    ○尾崎(末)委員 松本淳造君に第一回に五万円をお渡しになつたのを先ほどお伺いいたしますると、二月中旬ごろとおつしやつたのですが、その点。
  247. 亀井貫一郎

    亀井証人 二月中旬以後でございます。
  248. 尾崎末吉

    ○尾崎(末)委員 ころでなくて以後でございますね。
  249. 亀井貫一郎

    亀井証人 そうです。
  250. 尾崎末吉

    ○尾崎(末)委員 そうしますと、松本君にお渡しになつた時期は、工場の代金がはいつてからか、どつちが先かあとかわからないわけですか。
  251. 亀井貫一郎

    亀井証人 大体先ほど申し上げたことく、西村君が金が要るというお話が十二月の末にありましたが、軍服の金なんかは十二月の末には預かつておりましたが、私金がないのでお立替しなかつた工場ができたので、それでは持つていらつしやいということになつたのでありますから以後であります。
  252. 尾崎末吉

    ○尾崎(末)委員 先ほど西村君に金をお渡しになるときに今後毎月二十万円くらいずつ政務調査会費用出してもいいと言われたと檢事調書に出ておつた、こういうことに対しまして、証人のここでの御答弁は二十万円くらいずつ出すというのでなくして、二十万円くらいずつできるような協力をしてやろう、盡力をしてやろう、こういうような意味にもおつしやつているのですが、そうすると二十万くらいずつできるような盡力をしてやるということは西村君に対する盡力なのですか、あるいは社会党政務調査会に対する盡力なのですか。
  253. 亀井貫一郎

    亀井証人 ただいまの檢事調書は私の陳述ではないのだと思います。私はそれには觸れておりません。二十万円出そうと言つたことはないのです。しかし二十万円くらい要るだろう、それは何とかしなければならない、できるだけ考えてみようということは申した記憶があります。
  254. 尾崎末吉

    ○尾崎(末)委員 結論でありますが……、そうしますと個人に対して二十万円くらいずつも政務調査会費用を盡力してやろうということは、今までは一人の人に対してはそういうたくさんの例はないようでございますので、当時のお考えはやはり政務調査会費用として盡力してやろうというお氣持であつたのではないでしようか、その点を伺います。
  255. 亀井貫一郎

    亀井証人 私の個人の感情として私がそれに賛成であるかないかは先ほど陳述いたしましたるごとく御了承を得ると思います。ただ政党といふものは政務調査会が必要だということは、私は從來の経驗から西村君の意見の同感をいたしました。その西村君が政務調査会運用する正規のいろいろのものをなすまでになかなか個人としてやりくりもやらなければならぬ、そのやりくりを援けようという趣旨であります。
  256. 尾崎末吉

    ○尾崎(末)委員 わかりました。
  257. 辻寛一

    ○辻委員 お預りになりましたお金は財團法人常民生活科学技術協会としてお預りになりましたのか、それとも亀井貫一郎個人としてお預りなつたのでございますか。
  258. 亀井貫一郎

    亀井証人 実は協会の定款といたしましては、寄附行為といたしまして——元陸軍の被服廠外廊團体被服協会が合併いたしましたが、私は実はめんどくさくて寄附行為の定款の変更をしていない。從つて個人でもよいのでありますけれども、やはりそういう拂下げ運動というものは、公の資格においてやる。それの斡旋も公の資格においてやることが正しいと存じました。しかし協会の事務関係の責任は私個人として引受ける、両方であります。
  259. 辻寛一

    ○辻委員 そうすると先ほどの御証言にありましたように、お預りなつたお金も、あなたの幕張の工場をお賣りになつたお金も、一本の貯金帳に雜然としてお入れになつたわけでありますか。
  260. 亀井貫一郎

    亀井証人 さようであります。つい口座を二つにいたしませんでした。
  261. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかに御質問ございませんか。それじや済みました。御苦労さまでございました。  この際諸君にお諮りいたしたいと思いますが、時間も大分経過いたしましたところ、まだ証人が九人残つております。本日はあと西村証人松本証人を喚問することといたしまして、爾余の証人につきましては、明日午後一時より再び御出頭つて喚問いたしたいと思いますが、いかがでございましようか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  262. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定いたします。     —————————————
  263. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは西村さんにお伺いいたします。亀井貫一郎氏との政治的なり事業上なり、私的なりの関係をひとつお述べを願いたいと思います。
  264. 西村榮一

    西村証人 亀井貫一郎氏とは私が二十四、五才のころ、すなわち二十年ほど前から教えを受けた当時というよりも、むしろ先輩であります。ただ私が社会運動をしながら実業界におつたという関係から、その同志的な立場とともに、若いころには亀井さんにもいろいろ助けられ、また私が実業家としてやや一定の地歩を占めるようになれば事業的な援助を申し上げたこともあるし、そういうふうな同志的であり、かつまた私が社会党員でありながらたまたま実事家であつたという立場において、助け助けられて來たのであります。
  265. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこでことしの二月ごろから四月ごろまでの間に十五万円、二十万円、さらに二十万円というように亀井氏から金を受取られておりますか。
  266. 西村榮一

    西村証人 昨年です。ことしではないのです。昨年の二月、三月、四月にわたりまして三回で合計五十四万円受取りました。
  267. 武藤運十郎

    武藤委員長 その金はどういう趣旨の金でありますか。やや詳細に御説明願いたい。
  268. 西村榮一

    西村証人 昭和十八年の初めに、亀井氏がある特殊の船をつくるということで、その事業資金を少し融通してくれんかという申出がありました。私は個人的には、私があるときには亀井さんに差上げ、亀井さんがあるときもらつたりして計算がつかなかつたのですが、そのときは事業資金であるということと、相当金額がかさになる、一回や二回で済まない、こう私はにらんだものでありますから、私の個人的な貸借というものを避けまして、自分関係しておる会社に命じて合計半年間で二十一万円貸しました。爾來それは会社からときどき催促しいたしましたが、その事業もあまりうまくいかなつたとみえまして、つい去年の二月まで返済に至らなかつたのであります。
  269. 武藤運十郎

    武藤委員長 返済に至らなかつたのでありますがゐそういう趣旨で金を受取られたのですか。金を受取られた趣旨ですね。
  270. 西村榮一

    西村証人 今申し上げましたように、大体昭和十八年の二月から九月にかけて二十一万円融通しておつた。これは私は、イつは経理の面を明らかにしておくということと、一つは先輩に対して金を貸すということはどうも礼儀に失するというような点から、会社を通じて貸したということになつておりますが、実質的には私が貸したようになつておるのであります。ということは、どうも自分で貸したという催促しにくい、まあ会社から貸したということにしておりました。ところが事業もうまくいかなくてなかなか返されなかつたのであります。その前にちよつと申し添えておきたいのは、会社から一度貸したけれども、会社の経理はその年度末においては決済しております。内容は私の貸金に名実ともになつておるのでありますが、当初貸したいきさつが、会社から出したということでありますから、同時に私も長年の同志に金の催促をすることはどうも言いにくいことであるし、あとで氣まずいと思つたものですから、これは会社からときどき催促さしておりました。ところがなかなかそれも御都合が惡くて返済の時期に至らない。そこで私は昨年の暮に亀井さんにお目にかかりましたときに、実は自分政治を始めてから政治というものがいかに金が要るかということを痛感したのであつて、今自分は実業界から一切身を引いて政治に專念しておるのであるが、実は三月に一遍づつ別莊を賣つて生活しておる。燒け残つたこの附近で御殿場に一箇所別莊がある。それから板橋に小さい工場があるが、これも個人所有になつておるから賣りたいと思うが、たれか買う人があつたら世話してもらいたいというふうなことを亀井さんに申し入れをしたのです。わざわざそれがために会つたのではありませんが、偶然会つたときにそういう話をしたとしうことは、私は先輩に対する礼儀を失しないというカムフラージュをしつつ催促した、自分ではそう思つてつたのですが、その結果、それはまことに氣の毒だということで、返済ともつかず、それではひとつさいわい自分工場を賣つた金があつたがどうかというので二月か届けてくれました。それから越えて三月にも届けてくれました。それから選挙の終りごろにまた届けてくれました。合計五十五万円を届けてくれたのでありまして、それは受取りました。そういう選挙後会うたときに、大体ろこつに言えば三惠の計算自分はとつくに済ましておるのであつて、あれでひとつ差引してくれないかということで、どちらからというわけでもない、大体会社の名前を西村は使つて出しているが、大体彼が出しておるらしいということは察しもついておるだろうし、私も口には出さないが、そういうふうな意味で礼儀を失しないという立場において催促し、かつまたそういう態勢をとつてきたわけでありますから、しれで昭和十八年にお立替したものを返してもらうということで計算をつけたのであります。そのときに別に利息は計算しませんが、まあ物價水準から言えば、大体当時の三十倍になつておるのだから、これが普通の商事会社とか高利貸であれば六百三十万円の請求、私は金融畑で育つたが、五分の複利計算にしても百六十九万円になります。單利計算にしますと四十四万一千円ですか、そんなところが大体一般信用貸の最低金利というところで大まかに解決した次第です。
  271. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういうふうなはつきりした貸金の決済というのではないのであつて、あなたは政治家として非常に金がかかる、殊に政治家として政務調査が非常に必要だ、それではまあ金を出そうということで、最初は十五万円、二十万円と二度に出す、あとの二十万円は選挙の陳中見舞というようなことで出したのであつて、いずれも債務の決済とか、あるいは返済を求めるとかいうような趣旨ではなかつたのではないですか。
  272. 西村榮一

    西村証人 私は法律家ではありませんが、本日は事実ありのままに申し上げておるのでありまして、今日まで二十年間、たとえば亀井さんと私は十五、年が違うのですが、私が二十三、四の年にはあの人は一流の政治家で、私はそのころカバンをもつて走りまわつてつた。しかも若い時分には小遣いをもらつてつた。私が実業界に若干の地歩を占めてからはそういうことはなしに、こちらからもお手傳いをしたことがある仲で、貸した、借りたということのけじめをつけることは、お互いの二十年の間柄では実際は困難なのです。そこで今あなたがおつしやつた政務調査会云々という話もありますが、それは自分も金があれば、現在の政党の政務調査会というものがいかに貧困であるかわかる。天下の人材を集めてきても、その人の生活を保障しなければならぬし、金さえあれば自分はひとつこれを拡充して國家の再建方策を確立したいのである。しかしながら自分は今三箇月に一遍ずつ燒け残つた別莊を賣つて、あるいは工場を賣つて生活しておる状態で、とうてい政務調査会までは手がまわらないのでまことに残念にたえられない。現在日本において一番欠けておるのは、資本主義的な経済原理と社会主義、共産主義的な経済原理の二大潮流があるのであるが、敗戰後において、具体的にこの國を再建していくという経済方策がまだ見出し得ない。自分に財力があるならば、それらの二大潮流とは別に、一旦の戰い敗れたりとも、小國経済の現実に即して新しい國家を再建するところの経済方策を立てていきたいと思うけれども、財力これに伴わずして志を得ないことは残念であるというよう話ををしたこともございます。同時に今お話の中に、そういうふうにお互いに話をすると天下國家の話になつてしまつて、貸した借りたという金は大体けじめがつかない。ただ問題は私はそういう点もおそれたから、会社を通じてこれを御融通申し上げておつたのでありますが、それもまた実際はきびしく催促をするというのではなしに、折に触れて会社の者が催促に出る程度で、けじめはついておりません。ただ選挙後半において私に送られた二十万円というものは、これは私は返金と見ておるのです。その点は檢事廷における私の陳述と若干の食い違いがあるのでありますが、私は突然檢事廷からお出でを願いたいという通知がまいりましたときに、あなたは亀井さんから五十五万円受取られましたかというお話がありましたが、私は十五万円と二十万円は直接に自分が受取つたのでありまして、これは記憶が確かです。ところが二十万円は選挙のどさくさでもう終りごろでありましたし、中間に人がはいつてつたしするので、私の記憶には金額等は少し違つてつた。そこでもしも私の不明瞭な金額のままに、いや十万円でございますとか、あるいは十五万円でございますとか言うと、新しく犯罪人が出たり、あるいはまた新しい容疑者が出るということは、これは考えなければならぬと思いまして、そこで、いや、実はこういう記憶もあるが、一應帰つて周囲の者ともよくその金額を聽いて見てから明日御返事いたします、こういうわれでその日は帰りました。そこで帰つて周囲の者に問合せて見ましたら、二十万円であることが明らかになりましたので、翌日檢事局に参りまして、二十万円受取つた、こう報告いたしました。そこで調書をとりました。そのときに三十五万円は貸金の返金であつて、二十万円は選挙中にあなたのところに持つてつたのだから、これは陳中見舞ですなという檢事さんのお話でありましたから、いや実はそれも返金の中にはいつております。私はそう主張しました。ところが檢事は、亀井さんの話では選挙中持つてつたのだから、陳中見舞です、こう言うのでありますが、あなたの話がそれで眞実であるとすれば、もう一度亀井さんに確めて見ますから、二、三日経つてお出でを願えぬかという話、そこで私はその晩から関西に十日間出張するので、どうですかね、十日か十三日の後にしてもらえませんかと言つたところ、いや、私の方は陣中見舞で受取られようが、あるいは貸金の返済で受取られようが、とにかく五十五万円という金をあなたが受取られたという証言さえあれば、ここで調書ができてくる、しかし金額が合わぬ、その内容が合わぬということになると、もう一遍亀井さんに問い質さなければならぬから、二、三日待つてもらわなければならぬし、またあなたがお急ぎになるならば、今選挙違反でわれわれはつつこうとも思つていないのだし、実際は金額さえ合えばいいのだから、その程度でここで話はきめておいたらどうです、こういうようなことでありました。これは率直な話であります。それではそうしましようかと言つて、三十五万円は返金、二十万円は選挙中の陣中見舞というふうに調書はいたしましたが、実際は私は返金の一部だ、こう今でも解釈しておりますし、また金利その他から考えて見ましても、それが合理的であると考えております。
  273. 武藤運十郎

    武藤委員長 この金は片倉さんという人を通じて受取られましたか。
  274. 西村榮一

    西村証人 最後の二十万円ですか。
  275. 武藤運十郎

    武藤委員長 いずれも……。
  276. 西村榮一

    西村証人 最後の二十万円は片倉君を通じて受取りました。前二回ははつきり記憶がありませんが、これは私が直接受取りました。
  277. 武藤運十郎

    武藤委員長 いずれも現金ですか。
  278. 西村榮一

    西村証人 いや前二回は小切手だつたと思つています。
  279. 武藤運十郎

    武藤委員長 亀井氏が今軍服の詐欺被疑事件で裁判所で調べられておることは御存じですね。
  280. 西村榮一

    西村証人 現在は知つております。
  281. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが受取られた金が亀井氏の軍服拂下、その他によつて集めた金であるかどうかということは、もちろん御存じなかつたのですね。
  282. 西村榮一

    西村証人 当時は全然知りませんでした。
  283. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがございますか。
  284. 河井榮藏

    ○河井委員 ただいま証人の言われました中に、昭和十八年の初めごろ亀井氏が船をつくることに金が要るから金を貸したと言われるのは、聖戰技術協会ですか。
  285. 西村榮一

    西村証人 聖戰技術協会というのは当時亀井さんが主宰しておられたことは聞いておりましたが、申込みを受けたのは聖戰技術協会とも亀井個人とも何も聞いておりませんで、ただ日本には鉄が不足だし木材が不足である。鉄以上のいいコンクリートで船ができるのでそれをやりたいと思うから援助してもらいたい。こういうわけでたしか五回にわたつて出したと思います。御質問の聖戰技術協会であるか亀井さんであるかということははつきりしませんが、申出でされたのは亀井さんで、私は亀井さんに会社から渡してやりました。
  286. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから三惠冶金工業と、あなたとの関係はどういうのですか。
  287. 西村榮一

    西村証人 三惠冶金工業というのほ、私は三十二才から三十八才まである保險会社の大阪支店長をしておりまして、その当時私の権限に属する資産が約千六、七百万円ありました。今日の金額では約二十億ですが、それで大体人間を主として産業を育てていく。東京あるいは大阪における権限の及ぶ範囲内において、物を中心とせずに將來伸びる——私も貧困の中から育つてきたのでありますから將來伸びる実業家を、自分の権限内における投資能力で育ててまいりました。從つて三惠も私が育ててまいりました。化学藥品をつくつておる会社であります。三惠のみならず当時私が育ててまいりました会社——私は直接会社関係上社長とか何とかはいたしておりませんが、大体において金融の動脈を握つて、物のない対外的な信用のないものを、私が特殊な貸出方法をもつて援助してきたのでありますから、その情誼と金融的な動脈の点において、社会党の立場からいくとちよつと反対なのですが、そういう立場から私の関係しておる十数社の会社は、私は絶対命令権をもつております。その意味において会社に命じて投資せしめました。
  288. 河井榮藏

    ○河井委員 中村勝眞という人は社長ですか。
  289. 西村榮一

    西村証人 社長は中村勝眞です。
  290. 河井榮藏

    ○河井委員 実際はあなたがこの三惠冶金工業をやつておられたのですか。
  291. 西村榮一

    西村証人 私は化学藥品はわかりませんので、直接の経営はやつておりませんが、中村君が私のところに相談に見えたときは、わずかに十万円の資本金でありました。私が関與いたしまして二百万円に増資せしめて大いに積極的な経営をとらせました結果が、大体化学工業藥品においては日本で有数な会社なつたのでありまして、直接の経営は中村君にさせましたが、実際は私が握つておりました。
  292. 河井榮藏

    ○河井委員 そうすると亀井氏に二十一万円の金を貸されたこともむろん御承知でしようが、これは現金で貸されたのですか、あるいは小切手ですか。また一度ですか数回に渡されたのですか。そうして何か証拠でもありますか。
  293. 西村榮一

    西村証人 大体においてさつき申し上げたような状態で、会社は五反田の倉庫が燒けましたので当時の証拠物件になるようなものはありませんが、亀井さんにお立替申し上げましたのは全部小切手であります。さいわいその取引銀行である帝國銀行の麻布支店は戰災を免れておりまして、後で委員長まで提出いたそうと思つておりましたが、五回にわたつて小切手で発行いたしております。小切手の番号、発行の日附、金額、これは帝國銀行麻布支店において明瞭になつておりますから、証拠と言えばそれと、燒失を免れた帝國銀行麻布支店の帳面を照し合わせていただいたら大体合います。
  294. 河井榮藏

    ○河井委員 そうして昭和十八年に二十一万円貸された。今日の貨幣價値でいくと大変な違いになりますが、それに対しまして五十五万円を拂われたということにつきましては、亀井さんとあなたとの間で、あなたはそれで十分と思われたか、その間の考えはどうですか
  295. 西村榮一

    西村証人 私は事実家としての立場から考えてみると、これは少なすぎる、私は会社から請求するならば当時の物價水準から六百三十万円を請求しております。金利から言つても、複利計算でいけば百六十九万円、單利計算でいつても四十四万一千円、いかなる角度から計算しても、事業家的角度から言えば五十五万円の返金は少なすぎる。こう思つておりますが、しかし一面同志であり、当時亀井さんは一流の政治家であり、私も事業をやりつつも政治に志しておる者として、政治的な立場から言えば、多すぎるとも少なすぎるともこれは考えられないので、彼の支拂能力に應じて受取つた自分はこう考えております。
  296. 石田博英

    石田(博)委員 ただいまの河井さんに対する御答弁から承つてまいりたいと思いますが、三惠冶金工業ほか十数社に対してあなたが絶対命令権をもつておられる。それはあなたがある保險会社の大阪支店長としてそれらの会社金融をされた、そういう立場から命令権をもつておるとおつしやつたが、それはあなた個人の金を金融されたわけではなくて、会社の支店長の立場において金融をされた以上、その会社資金運用されたのであつて、それをある期間支店長であつたあなたが絶対命令権をもつということは受取れませんが、それはどういう意味ですか。
  297. 西村榮一

    西村証人 御説の通りです。法律的には絶対命令権というものはありません。ただ私は大阪へ支店次長として赴任したのが二十七才で、それから支店長を経て三十八才まで十数年間大阪だけを勤務しました。終りには本店の專務取締役代理をいたしまして、大阪と東京と兼任しておりました関係上、かなり金融というものの筋を通して会社には無言の命令権があつたと思つてつたのでありまして、法律的には命令権はありません。だから私の要求を拒む会社もありますし、また経理上不当なりとすれば当該社長は拒み得るし、また名目が立たなければそれは経理違反でありますから不可能でありますが、さいわいに私がただ自己の支店長としての権限内で、かなり好意をもつて——先ほど申しましたように、私は銀行の中で育つてきたものでありますから、物を対象として投資したことはございません。人を対象として投資しておる。この人間はものになるか、ものになれば一遍助けてやろう、それでその人が死んだら困るから、保險をつけさして、死んでも会社に損がないように、生きておればいつかとれると、この目できめて、それに投資してきたのでありまして、その恩義に感激し、両方の立場から私の言うことはかなり聽いてくれたのでありまして、あなたが御指摘のように法律的には何も権限はありません。その点は御了承願います。
  298. 石田博英

    石田(博)委員 三惠冶金工業は法人ですか。
  299. 西村榮一

    西村証人 法人です。
  300. 石田博英

    石田(博)委員 この法人が、亀井さんにあなたが金を出された当時には、二百万円の資本金になつてつたわけですね。
  301. 西村榮一

    西村証人 なつておりました。
  302. 石田博英

    石田(博)委員 その二百万円の資本金の三惠冶工業は、別に資金的に個人的な関係がなくて、ただ融資の世話をしてもらつたという、それもあなたが個人の立場でせられたわけではなく、保險会社の支店長として資金の世話をせられたそういう立場だけで、二十一万円という資本金の一割強になる金額を、無担保無証書で、融資する。あなたのために亀井氏に融資がなされる。それをまたあなたが強制させるということは、私どもから考えますならば少しく職権を濫用し、いささか事業体に対して金融資本の圧力を振い過ぎるように私には思われるのですが、その点の消息を詳細にお話願いたいと思います。
  303. 西村榮一

    西村証人 大体三惠冶金という会社は株式会社になつておりましたが、個人会社と同樣でありまして、当時九割までは中村君一家に所有さしておりました。あとの一割は從業員が持つておるのであります。株は外部に出ておりません。それから二百万円の資本金という話でありますが、当時三惠冶金会社は、順調にまいりまして、五、六百万円の資産を持つてつたのであります。だからそう大して会社の経理に支障を來すというほどの影響もありません。同時にまた職権濫用というお話がありましたが、若干そのきらいなきにしもあらずでありますが、金融業者というのはお互いにやはり仁義があるものでありまして、私が三惠のために名刺でも銀行に紹介してやれば、あるいはそれで少しくゆとりがつく。貸付をすることもある。私もまた仲間から言われれば少々無理であつても、大丈夫と思う限りはめんどうを見たというふうな金融業者の仁義もございますので、私の要求に対して投資をして、それがこげつきになつて少し困つた言つても、救済の方法は何か西村が講ずるだろうというようなところから、阿吽の呼吸と申しますか、これはまた実業家の腹であります。大体そういうようなことで私の命令を聽いてくれたわけでありまして、会社の投資をするというふうな場合においては、いろいろな業法の規定がございますから、その業法の規定に從つて私は業務を執行してまいりました。ただ與えられた権限内において物を対象として投資をするか、人を対象として投資をするかというと、私は人を対象として投資をする。しかも冒險な貸付方をしてきたが、一回でも会社に損失をかけてこなかつた。やはり人問というものは人を中心として事業を考えていかなければならないという信念は、私の六年間の支店長あるいは多年の支店次長の投資運用の経驗を通して、今でも確信をもつておるのでありまして、この点御了解を願います。
  304. 石田博英

    石田(博)委員 そうするとあなたの金融家としての通念をもつてするならば、金融家が——人を対象とするか、物を対象とするか、そういう理念の問題は別といたしまして、金融家が事業家に対して好意をもつて融資の斡旋をした以上は、その金融家が立場を失つたあとにおきましても、その投資をした事業体に対して必要な場合に金を融通させ、請求をさせることは、あなたの立場としては正当であつて、旧來の慣習から言えば当然のことだとお考えになるわけですか。
  305. 西村榮一

    西村証人 私は当然とも不当とも考えておりません。困窮の中に実業家が資金難にあえいでおるときに、他の事業家が相手にしてくれなかつたときに、あの金融会社だけは、あの保險会社だけは自分を助けてくれたという情誼がお互いにあつて、その好意の日本人的な発露があるいはその人の言うことを情誼の上で聽く。かつて自分も無理をして金融を受けたから、あの人の言うことは少々無理であつても聽くというようなことはお互いの情誼の問題ではないか。ところが御指摘のように、自分はこの会社に対する要求が不当であるとか、あるいは正当であるとかいうような解釈はいたしておりませんので、会社の経理を、会社の基礎を危くせざる限り、私は中村君の友情に訴えて、そのことで亀井氏に融資を要求した次第であります。ということは、期間はそんなに長くはない、いつか会社の決算までには返される。大体これは西村さんが自分でポケツトから出すのはちよつとぐあいが惡いから会社から出すという話だという含みのもとに、それを含んで出されておつた。こう考えておるのでありまして、私は不当とか、正当とかいうふうに固苦しく解釈しておらないのであります。
  306. 石田博英

    石田(博)委員 本委員会で問題になつて令後取上げられる金融資金に絡む経営資金のいろいろの問題も、性質はほぼそういう観点からも考えられると思われる。特別の好意でもつて資金を融通してやつたあなたから見れば、特別の好意とおつしやられるかもしれませんが、第三者から見ればその金融機関が、それこそ人を対象とするか、物を対象とするかは別問題といたしまして、必ず償還されるものであるという見透しの上に立ち、相当の金利が保障されるという金融機関独自の採算の立場に立つて決定されるはずである。その立場におつて、しかもその職務におつた人がその独自の採算の立場で御決定になつたことを、それ以外の方法、正当な利子以外の、正当な保障以外の方法をもつて報酬を求めることを当然期待せられておるという考え方の奥に含んでおる概念が、本委員会の問題にしようとする一つの概念であると私は考える。從つてその点をあなた自身が当とも不当とも考えておられないというあなたの考え方は、私としては一應ここに問題として留保しておかなければならぬのであります。  次にお伺いいたしたいことは、亀井氏に御融通なさいました小切手は中村氏名義の小切手でありますか。
  307. 西村榮一

    西村証人 中次君名義の小切手、三惠冶金工業株式会社名鈴の小切手であります。
  308. 石田博英

    石田(博)委員 その回数は亀井氏の表現と多少食い違つておりますが、亀井氏は三回ないし四回と申しておられるし、あなたは五回と申しておられますが、五回は確実な証拠を伴つておるわけでございますね。
  309. 西村榮一

    西村証人 その点私自身も記憶は確かでありません。ただ当時の貸借関係を明らかにするために、その当時の帳面、四年前のものを調べましたところが、帳簿も燒けておるし、全部の証拠物件は燒けておるのでありますが、会計課長がたまたまそういうふうな重要なことだけはメモにとつてつたものがありまして、そのメモから拾い出した小切手帳の番号と発行の日附、金額を見ますと、合計五回となつておるのであります。これは小切手帳の発行の記録にたどつて五回ということを私は今申し上げたのであります。
  310. 石田博英

    石田(博)委員 次にお伺いしたいことは三十五万円、つまり十五万円と二十万円受取られたときは、証人社会党政務調査会のどういう役職についておられましたか。
  311. 西村榮一

    西村証人 私は当時副会長という制度はなかつたのでありますが、事実上の副会長をやつておりました。
  312. 石田博英

    石田(博)委員 それではお伺いいたしますが、この三十五万円を受取られるにあたつて、その前年、つまり一昨年の暮に、あなたが亀井氏に対してこの会社からの融通資金を返してもらいたいということを請求せられたことは、亀井氏も言つておられます。その点あなたの御証言と一致しますが、二箇月間そういうお話がなくて、この三十五万円を受取られるときは、社会党政務調査会に人件費が要る、それで何とかしてもらいたいというお話があつて出したのである、そして返済金云々ということはなかつた、こういうお話でありますが、それはどうでありますか。
  313. 西村榮一

    西村証人 十二月に請求して二月に渡つたということは、大体二月に金ができたからというので持つてきてくれたのでありまして、その間の時間のずれは亀井さんの都合によるものだと私は思つております。それから政務調査会の人件費が云々ということがありますが、具体的にそういう話を私がしたという記憶はもつておりません。ただもし資金があれば、まぬ私自身として資力があれば、政務調査会を一大拡充して何とか理想の政務調査会にしたいのであるが、人の給料も社会党は今拂えない非常に貧困なために、画期的な、世界的な経済原理というものを確立することは、この貧弱な能力と、財力をもつては困難であるというような話はしたことがございますが、それがために返金を迫るというようなことはございません。
  314. 石田博英

    石田(博)委員 返金を迫つたことはないとしましても、その金を請求せられたときには、二箇月間時間が亀井さんの都合でずれたということを考えるとおつしやいますが、その受取られる直前には、やはり社会党政務調査会の話はされたわけでありますね。
  315. 西村榮一

    西村証人 受取つたのは、できたからといつて向うから使いが持つてきてくれたので、私は受取つた。そのときはまたそういう話合いをするチヤンスもありません。ただその前に会うたときに、いろいろ先輩、後輩の仲でありますから、政治の話、党内の話、いろいろ話合いはしました。その話合いの中に、あなたが御指摘のような話も出たことはありますが、金を受取つたときは直接そういう話はないので、十二月に請求してから、二月にできたときに持つてくてくれたものを、私がそのまま受取つたのであります。
  316. 石田博英

    石田(博)委員 持つてきたのと、とりにいかれたのではたいへんな違いがありますが、そのお金は片倉という人が持つてきたのでありますか、それともあなたが取りに行かれたのでありますか。
  317. 西村榮一

    西村証人 持つてきたのであります。
  318. 石田博英

    石田(博)委員 片倉という人が持つてきたのですね。その持つてこられる動機は、十二月に返済を迫つたので持つてきたものとあなたは解釈されるのですか。
  319. 西村榮一

    西村証人 さようであります。
  320. 石田博英

    石田(博)委員 これは前の証人は、返済するという話はそのときに全然なかつたと言うておるのです。社会党政務調査会の人件費に要るからという話があつたので出したと言つておるので、ここに大きな食違いがありますが、あなたの御証言通りに解釈してもよろしいですか。
  321. 西村榮一

    西村証人 大体今私が申し上げた通り御解釈くださつて差支えありません。
  322. 石田博英

    石田(博)委員 これはたいへんな違いで、金の性質が純然たる返済金として出したものであるか、あるいは社会党政務調査会に金が要るという政治資金の性質を帶びた金であるかということでは、非常に違いがありまして、いずれかが偽証ということになりますが、それを御承知の上であなたはそうおつしやるのですね。
  323. 西村榮一

    西村証人 その通りです。私が今申しましたように、個人的にも政治をやれが金が要るので、催促をいたしました。その催促の仕方が、前に会社が金を貸しているその金を返してくれとは私は言いませんでした。それは先輩に対する礼儀でもあるし、自分は片方においては会社から一つの商行為として、お立替えしてあるものを返してもらいたいという請求は、会社からさしておきました。私自身が貸したということは隠しているので、これは亀井さんが察しがついているかいないか、まあ察しがついているような、ついていないような変てこりんな状態で、私自身もそれを明らかに言わなかつたのでありますが、ただ御殿場の別莊でも賣らなければこの年の暮は越せぬのだ、あるいはこの工場を賣らなければならぬのだというような話をして、暗に会社の問題を間接的に話して催促したのでありまして、どうも露骨にその返金を迫るというような商事的な立場において催促はできなかつたのであります。間接的な催促をしたのであります。
  324. 石田博英

    石田(博)委員 そうするとあなたは露骨に催促はされない。そうして一應会社が貸した金を返すのに、あなたあてに金を返すということは、私はやはり返済金として金を出したものであるとは思えないのですが、どうですか。  それからもう一つ、もしもそれが返済金であるとしてあなたが受取られたならば、あなたはあと御殿場の別莊を貴殿に賣却仕候という名刺を出されて、代金の代償に御殿場の家を出される必要はないと思います。
  325. 西村榮一

    西村証人 ごもつともな御質問であります。私は今申しましたように間接的に催促をしたので、会社から融通したものを直接に催促はいたしませんでした。同時にあなたが御指摘のように、その金を受取つたときに、御殿場の別莊を賣渡すという一札を入れたということは、なぜかといえば、私はこれもまた先輩に対する礼儀を重んじたのであります。ということは、私は借りたが、さいわいに会社の金を返してもらえばそれで差引はつく。会社の方は商行為として請求しているのですから、それが決済されれば、そこで全部が決済されてくる。こういうふうな形から、私は先輩に対する礼儀上、そういうふうな催促の仕方と返金の仕方を受けたのであります。同時にその問題を解決する方法は、恐らくその当時亀井さんにおかれとも、大体あの金は西村会社の名前を使つて貸してくれたのだという察しがついておつたろうと思うのでありますが、具体的にそれを両者の話でつけたのは選挙後でありまして、選挙後、会社はあれで決済はしてあります。言わばこうこうになつているので、これでひとつけりをつけようじやありませんかということで、けりをつけたのであります。その点御了承願いたいのであります。
  326. 石田博英

    石田(博)委員 あなたが三十五万円受取つたあとですぐ、引合いに御殿場の別莊を賣渡し候という名刺亀井氏に渡されましたね。
  327. 西村榮一

    西村証人 ええ。
  328. 石田博英

    石田(博)委員 次にお伺いしたいことは、あなたは亀井貫一郎氏をその当時追放該当者だと御承知でありましたか。
  329. 西村榮一

    西村証人 当時は追放該当者であるということは知りません。今でも亀井さんは追放の返指定を受けておられるということは、ほのかに聞いておるが、追放の問題がはつきり確定しているとは特にその当時は聞いておりません。
  330. 石田博英

    石田(博)委員 私は西村氏が戰時中の政界に相当精通しておられる方であると考えているわけであります。そうするとあなたと亀井氏との関係から推察いたしますならば、亀井氏は当然追放に該当するものだということをまず考えられるのが普通だと思いますし、次に亀井氏は立候補の届出をされて不適格であるという通知を受けられた事実があります。こういう政治生活をしておつた者にとつて、きわめて重大な事実を、ただいま証人のおつしやつたような御関係であるならば、御承知ないということは私どもとしてちよつと受取れない。しかしあなたはあくまで亀井氏は追放該当者であると考えてはおられなかつたのですか。
  331. 西村榮一

    西村証人 私は結論から言えば考えておりましたが、第一回の総選挙について亀井さんは不適格として証明がなかつたかどうかということも私は覚えております。というのは私は第一回の選挙のときは膓チフスで寝ておつて、病臥中でありますから、自分選挙でさえもはつきり字も読めないという状態のもと選挙をいたしたのでありまして、まして新聞を読むことを医者から禁じられているし、ちようど私は終戰直後チフスを患いまして、爾來もう一遍ぶり返して選挙中はほとんど病中で選挙した次第でありまして、そのときの情勢は知らなかつた。はなはだこの点は明晰を欠くのでありますが、当時は実際において私はチフスで寝ておりましたので、新聞を読むことさえも禁じられておりました。この点を申し上げます。
  332. 石田博英

    石田(博)委員 それでは亀井さんになぜ立候補されなかつたかという御質問はその後お会いになつてなされませんでしたか。
  333. 西村榮一

    西村証人 そういう話はあんまりしなかつたように思います。
  334. 石田博英

    石田(博)委員 亀井さんが追装であるかないかということにお触れにならなかつたのですか。
  335. 西村榮一

    西村証人 追放の問題は触れたことはありません。
  336. 石田博英

    石田(博)委員 それは非常に私どもとして理解に苦しむことであります。今日公人として追放の問題は一番重大な問題である。それをあなたと亀井さんとの御関係にあつて御存じなく、且つそういう問題に触れたことがないということは普通の常識からも判断ができない。繰返して申しますが、本委員会の権威の前で確かに御存じなかつたということをおつしやれますか。
  337. 西村榮一

    西村証人 私は追放の問題ははなはだ不敏でありますか、存じませんでした。ただ人つてに聽き、またその問題には私は直接話合いませんが、談話の中に自分の追装が官報に出ていない。だからはつきりしないのだというようなことは後に会つたときに聽きました。
  338. 石田博英

    石田(博)委員 速記録を調べて見なければわかりませんが、先ほどあなたの発言の中に、亀井氏は追放なので実業に專念しておられるというような発言があつたように思いますが、そういうことはおつしやいませんでしたか。
  339. 西村榮一

    西村証人 申し上げた記憶はありません。ただ実業云々というのは、私は若いことに亀井さんにお世話になり、若干実業家として地歩を得てからお世話を申し上げたことはある。こう申し上げたのであります。
  340. 石田博英

    石田(博)委員 それから三十五万円は政務調査会費用にお使いになりましたか。
  341. 西村榮一

    西村証人 私はどうも実業界におつたせいか、生活費が非常に多いのでありまして、三十五万円の中から政調へ出すゆとりがなしに、私個人的に使いました。
  342. 石田博英

    石田(博)委員 そうすると、檢事局では政務調査会に金が要る、それを受取られたというあなたの調書もあり、かつ毎月二十万円くらいの程度は今後も亀井氏が毎月出そうと言つてつたという調書も上つておりますが、そういう檢事局の調書はそのまま御承認になりますか。
  343. 西村榮一

    西村証人 私は檢事局の調書は今時間が終つてあまりはつきり存じませんが、しかし大体覚えているつもりです。それには私は政務調査会に金が要るからといつて亀井さんに請求したということは檢事局で申し上げなかつたはずです。ただ政治活動に要るということで亀井さんに催促した。それから同時にその金をどこへ使われたかという檢事局の問に対して、私は自分個人的な政治活動に使つたと申し上げておいたつもりであります。  第二十り御質問の二十万円毎月云々というのは、これは檢事局で申上げた記憶はありません。ただ亀井さんとの話合において、どのくらい政調に要るかというような話がありましたから、私は最低二十万円くらいは要る。二十万円あれば不十分ながらりつぱな政務調査会ができるんだがというような話はいたしました。
  344. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 今そこに銀行のメモを書いたのをお持ちになつておると言われましたが、御提出になりますか。
  345. 西村榮一

    西村証人 終つたら提出するつもりであります。
  346. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 終つてからでも同じですから、今御提出願いたい。そのメモは見ませんけれども、今の説明によるとこれは明かに会社の金を貸したのですね。
  347. 西村榮一

    西村証人 そうです。
  348. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうすると利息はどんなふうにきめたのですか。
  349. 西村榮一

    西村証人 利息は当時何も取きめいたしておりません。
  350. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 今あなたは銀行屋と言われたが、あなたのような銀行屋筋で、十八年頃貨した金を今返すのに、百何十万円にして返すようなやり方をやりますか。その点はどうですか。
  351. 西村榮一

    西村証人 いろいろ條件によつて違うのでありまして、たとえば不動産であるとか、商業手形であるとかいう條件によつて金利は相違してまいります。そこで無担保にして、金融業者あらざる市中の普通の貸借は、大体当時もそうでありますが、現在でも最低月五分、大体二割、そこでめのこ算でぱちぱちと彈いたのが、大体月五分という最低の金利で、それを復定で計算すれば百六十九万円、單利で計算すれば四十四万一千円ということになります。
  352. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 今の法律上からいけば五分、あるいは商行為でも六分以上はとれないはずですね。会社に貸しても六分以上はとれないはずです。
  353. 西村榮一

    西村証人 金融業は別な金融規定がありまして、いろいろ利息を決定しておるのでありますが、当時は市中の金利に対しては決定しておりません。今日といえども大体市中の取引は二割、これは若干高利でありますが、しかし場合によつては五割というのも聞いております。大体現在では市中の信用貸は五分は最低で、二割と聞いております。
  354. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはなんと言おうとあなたの御自由ですが……。
  355. 西村榮一

    西村証人 大体私は市中金利の最低を計算したのですが……。
  356. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それでは一遍その計算書を出してください。月五分でどのくらいになりますか。  それからそういうような貸し上か知りませんが、あなたは五十五万円金をもらいまして、この会社にはいつ返したのですか。
  357. 西村榮一

    西村証人 それは昭和十八年の暮の年度末の決算期に会社と私の間は決済されております。
  358. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 決済されたというのは金をもつてつてつたという意味ですか。あなたの何かの取引の関係で決済されたというのですか。
  359. 西村榮一

    西村証人 南行為における決済というのは返済です。
  360. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 返済にもいろいろある。代物返済もあるし、現金返済もあるが、どういうような拂い方をしたかということです。
  361. 西村榮一

    西村証人 会社の計理は、会社に私の投資している金額の中から差引かれて落ちております。
  362. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 会社に投資したもののうちから落したという事味ですね。そこで私は中村勝眞という人を証人に申請したいと思います。
  363. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 ちよつと証人に伺いたい。今明禮君との質問應答でわれわれとしては絶対腑に落ちないことを聽きました。あなたは金利と言われるが、金利というものは約定せぬでもとれるものと思つておいでですか。
  364. 西村榮一

    西村証人 大体において一つの金を貸した、それは対しては当然子供が生れてくる。従つて約定いかんにかかわらず、不当な金利は請求できないが、市中金利、あるいは銀行日歩において正当なる金利は加算して差支えない。且つ從來の商業的前例はそうなつている。こう解釈しております。
  365. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 はなはだわれわれの常識とあなたの常識と違う。利息をいくらいくら貰うといえば、それは貰えましよう。またあなたの言われるような、市中において二割という利息は、二割貰うぞといえば、とるという商取引はあるかもしれません。けれども利息をきめないで当然二割とれるということは、われわれには絶対に承服のできないことですが、あなたはそれをどこまでも突張りますか。
  366. 西村榮一

    西村証人 私は大体そう解釈しております。またそれは商業上の社会通念に從つて、その解釈は成立するものなりと自分は考えております。
  367. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 商法には、商行為でとつたものには相当の報酬はもらえると書いてあるけれども、約定のないときには法定利息よりとれぬものだが、あなたはそれをどこまでも突張りますか。約定なしに二割とれますか。
  368. 西村榮一

    西村証人 私の計算したのは、五分とすればこうだという計算をしたのでありまして、五十五万円という金額は、銀行の法定日歩で計算して、たとえば一つの物件に対して時價の五割というものの評價をいたしまして、その程度で担保にとつたものでありましても、銀行の複利計算でいきますと大体そんな程度になります。
  369. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 銀行でこれだけの利息をとるといいますか。月五分というと、年六割です。月五分の利息はされるということだけは調書にとつておくからよろしい。  その次に伺うが、あなたは亀井氏に対して、自分の金を貸したらとれぬかもしれぬというので、会社に融通をさせたと言う。さような間柄でさような高い利子をとるという観念が事実上あつたのでありますか。
  370. 西村榮一

    西村証人 とるとか、とらぬとかいうことでなしに、利息を計算すれば大体そんなところになる。当時の約定に從わなかつたのでありますから、約束に金利計算しなかつたならば、当時の物價水準と返済期の物價水準とを比較して返済を要求してもよい。これは情誼の上で要求しなかつただけでありまして、返す方も当然それだけの含みをもつて返すべきであつた自分はそう解釈しております。金というものは死んでおらない。生きているのですから……。
  371. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 金は生きておつても、利息というものはそんな無茶にとれるものでない。あなたは催促までも表立つてできぬというものに年六割の利息をとるということは、一体いつあなたは考えたことですか。常識でさようなことは言えますか。きようそういうことを考えたと言われるならわれわれは合点する。けれども受取るときにその金に対してさようなことが考えられますか。
  372. 西村榮一

    西村証人 私の二十年來実業界に育つてきた社会通念に從つて当然もらつて差支えない。
  373. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私の言うのは、金貸の通念であればそうであろうが、亀井氏とは書生時代に厄介になつてつた間柄だ。從つて貸せと言われればいやと言われない。のみならず請求を表立つてできぬのだから、それで間接的な請求をした。こう言われるのは、年六割の利息は当然されるというのは、われわれには合点がいかぬ。あなたはそういう間柄でもとれるのか、そういうことを聽いておる。
  374. 西村榮一

    西村証人 誤解があるようですから御説明しておきますが、月五分で百六十九万円になる。そのうち私は利息を三十四万円しか受取つておらないのですから、これは誤解のないように願います。
  375. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あなたは私の質問に対して答えずに他を言うておられる。あなたが表立つて返金を請求できぬような間柄で、間接に請求しておきながら、さような大きな利息をとるということがわれわれ合点がいかぬが、さようなことでようかということを聽いておる。
  376. 西村榮一

    西村証人 私はその金利を先輩と後往の情誼において請求しないということが私の立場です。しかし返す方は、それを含めて返してやろうということもまた同志的な思いやりじやないか、こう考えております。だから今あなたに御説明したように、なるほど月五分と申しますと高い金利でありますが、この計算でいくと百六十九万円、その中に利息の拂われたのはわずかに三十四万円でありますから、これは御理解を願いたい、こういうことです。
  377. 辻寛一

    ○辻委員 ちよつと証人お尋ねいたします。私はあまり御質問を申し上げないつもりでおりましたが、今前二人の御質問に対しまして、西村証人はちよつと考えが足りないんじやないかと思うところがあるので、そういう意味で御質問申し上げるのです。私の考えでは、亀井さんとあなたとの友情においては、つらいときに亀井さんに二十一万円用立ててやつたので、三十五万円だけやつて亀井さんはそれをもつて返済に当てたのだ。しかもそれが二十一万円と三十五万円の差額を対しては、お互い関係においてはもちろんいざこざがないということは納得いたします。しかし亀井証人証言内容では、あとの二十先円は、政治資金でもなし、しかし非常に親しいのであつて選挙で金も要るだろうから、まず何となしに友情においておくつたのだということを言われたのであります。私たちも亀井証人の言も承服できるのであります。あなたと亀井さんの間の交際を考えますときには当然それができる。しかし合計五十五万円渡されたあとになつて、二十一万円借りておつたのであるし、しかし現在の物價、現在の貨幣價値で換算したならば二百万円や三百万円になるのであるから、五十五万円でも二十一万円を棒引にしてもらえばよいという亀井証言はそういうふうに証言をしているのでありますが、私たちの考えからいうと、そのあとからいつた二十万円というものはあなたがどういうふうに使われようとも、私は亀井証人の言われた証言の方が正しい。こういうふうに思つております。私は西村証人もそのくらいスムースな氣持で受入れてもよいじやないかと思うのであります。決済をされていわゆる五十五万円を受取られて、選挙後に亀井さんと会つたときには、あれでもつて帳消にしておこうではないかという以後においては、二十一万円の代償として五十五万円を受入れて決済をされたといつてもよいのでありますが、二十万円選挙当時亀井氏から受取られたときのあなたの考えは、亀井さんが言われたようなスムースな、いわゆる何となしにもらつた金ではないか、私は西村証人がそういうふうに証言されることが至当ではないかと考えております。いや、私はそういう証言はしない、今まで答えられた証言のように、私は月五分にしても複利計算にして百三十九万円になる。これがもしあなたがそういう氣持で受取られたならば、それこそ当委員会で取調べなければならぬ不当取引であります。これこそ暴利で当然取締らなければならぬところのものです。私はそういう法律のこまかいことは存じませんが、もしあなたが二十一万円貸付けて、金利としては三十四万円しかとらないんだよと言いますが、とにかく一年か二年の間で月五分の複利計算をされるというような——社会通念で現在のやみ物價であるからというようなことを考えれば別ですが、現在官廳の政務次官をされておられるあなたが、衆議院の宣誓をされた証人としての発言で、しかも市中には二割も三割もあるのだから五分じや安いよ、五分でやつて單利でやれば三十何万円、複利でやれば百数十万円になるんだよ。おれのやつはまだ軽い方だということは、いわゆる暴利取締り、不当取引をお認めになつての御証言であれば結構ですが、私はこの件に対して西村証人にもう一回御証言を頂戴したい。こう思う次第であります。
  378. 西村榮一

    西村証人 あなたのお説の通りであります。私は亀井さんの証言を承つておりませんが、大体そんなに食い違いはない。こう思つております。私の解釈は二十万円は返済として贈られたものだ。こう解釈しております。亀井さんはまたそういうことをどう考えて持たしてよこしてくれたのか、それは不明ですが、私はそう解釈しているのであります。それで先ほどお話いたしました、私がかりに例を——さつきの御質問の中に出たから、私は金利計算はこうなるということを申し上げたので、これは公正なる金利ではない、実際の市中の時價相場の金利でございまして、これが当委員会の神聖を汚すということであつたら潔く取消しますから御了承願いたいと思います。
  379. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 なお私残しておきましたが、あなたは先ほど直接請求できないから間接的の請求の意味御殿場の家と板橋の工場を賣りたいと、こう言つたということでありますが、それはいつごろお話なつたのですか。
  380. 西村榮一

    西村証人 おととしの暮だと記憶いたしております。
  381. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その次に、それで間接の請求をしたら十五万円と二十万円で三十五万円とお聽きしたのですが、そのあと委員長から政務調査会費用が要ると言われたことがあるかと言いましたら、そのことも言つたと言われましたが、それはいつごろ言われたのですか。
  382. 西村榮一

    西村証人 それは十二月に会つたときに、政務調査会資金があれば十分なこともできるんだ。しかし今社会党のみならず、失礼だが自由党においても、民主党においてもそういう方面に割くだけの財力がないので、政党の政策立案というものは貧困をきわめている。こういうふうな一つのぐち話をしたにすぎないのでありまして、それがゆえに私は金を返してくれという請求をした記憶はありません。
  383. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それはいつです。その前の家を賣りたいという話と、それと違うときだろうと思いますから、その日時の相違を聽いているのであります。
  384. 西村榮一

    西村証人 いや同じときであります。同じときにまさか家だけと言うて電話で話をするわけにいきませんし、いろいろな話が出たときに、そういう話をしました。
  385. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 先ほどの話に月々二十万円要るということはなかつたと言いますが、今でもそういうことはなかつたということが明言できますか。
  386. 西村榮一

    西村証人 そういうことは私は聞いておりません。
  387. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか、済みました御苦労さまでした。     —————————————
  388. 武藤運十郎

    武藤委員長 松本さんにお伺いいたします。亀井貫一郎氏との政治的あるいは私的その他の関係簡單に述べてください。
  389. 松本淳造

    松本証人 大体二十年來つき合つている間でありまして、私の同郷で、私の生れた家とは古くから特殊の関係のある家であります。家と家との関係も深く、非常に御懇意に願つてつたわけであります。それがたまたま昭和二年に無産政党が三つできましたが、そのときに亀井さんは社会民衆党に所属されておられました。私は日本労農党に所属しておりました。その関係で思想的にも同じような方向へきておりますので、さらに御懇意になつたわけであります。それがたまたま昭和六年に、無産政党が單一無産政党として一本に合同いたしまして、それからずつと同じ政党でありました関係上、しかも同郷であります関係上実は先輩としてつき合つてまいり、その間亀井氏の祕書をやりましたことは二、三年あつたようなわけであります。まつたく兄弟といつていいほど深くつき合つてまいつてつたわけであります。終戰後私は社会党所属いたしますし、亀井さんは独立社会党を形成しておられまして、党としてはわかれてしばらく比較的疎遠にしておりましたが、疎遠と申しましても昔からの仲でありますので、今日までつき合つてまいつておる。大体こういう関係であります。
  390. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年の選挙当時に五万円ずつ二回、合せて十五円亀井さんから金を受取られておりますか。
  391. 松本淳造

    松本証人 確かに受取つております。
  392. 武藤運十郎

    武藤委員長 その金の趣旨はどういうものですか。
  393. 松本淳造

    松本証人 第一回はたしか昨年の二月の終りごろであつたと覚えておりますが、その当時私は文化運動をやることの必要を痛切に感じておりましたので、何か文化運動に即すような運動形態をつくりたいという希望を、実はもつてつたわけであります。そういう点を亀井氏に限らず、いろいろ先輩その他にも会うたびに話しておつた。たまたまその当時亀井さんが少し金があるから使つたらいいというようなお話から、しばらく後でありましたが、小切手で五万円受取つたと覚えております。これが一つ、いま一つは昨年の総選挙の際に、これも確実な日附を覚えておりませんが、投票日二日ぐらい前かと思つております。私の選挙区は島根縣でありますけれども、東京から電報為替で山陰合同銀行を通過して陣中見舞として送つてもらつたわけであります。この二つ合せて十万円確かに受取つております。
  394. 武藤運十郎

    武藤委員長 ただいま亀井貫一郎氏は軍服拂下げの理由によりまして詐欺罪という嫌疑を受けて目下取調中の由でありますが、あなたにさしあげた金が亀井氏の詐取したといわれる金であるかどうかということは全然御存じなかつたのですか。
  395. 松本淳造

    松本証人 実を申しますと、私は当時亀井さんのやつております仕事の内容を知つていなかつたわけです。從つてこれが軍服問題の金であるか、他の金であるかは全然知らなかつた。ただ金が少しはいつたから多少送つてもいいという言葉でありましたので、当時その点を私はうかつにもちつとも知らなかつたものですから、ただ二十年來常にそういうことがあるのでありまして、古い昔から考えてみますと、私からも亀井さんに多少なにしたこともあり、私もまた亀井氏からいろいろなことで融通を受けてきておるのでありまして、昔のしきたりのつもりでただ漠然と受取つたようなわけであります。
  396. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、前に受取られた五万円は、日本社会文化協会の方の仕事に使われ、あとに受取つた五万円は選挙にお使いになつた、こういうことになりますか。
  397. 松本淳造

    松本証人 前に受取りました金の方は、日本社会文化協会をつくりましたのは七月でありまして、まだ準備時代で、純粹の社会文化協会費用として使つたわけではないのであります。準備費用と申しましようか、それに使いましたし、多少は私個人の使途にも使つております。それから後の五万円は選挙陣中見舞としていただきましたが、なにせ投票の二日ぐらい前でありますので、もうすでに選挙は私自身としては実は終つてつたような状態で、選挙に直接使つた金はきわめて少額であつたと覚えております。
  398. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがございますか。     〔「なし」と呼ぶ者あり〕
  399. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは済みました。御苦労さまでした。     〔速記中止〕
  400. 武藤運十郎

    武藤委員長 明日午後一時に中村勝眞氏、それから二十日の午後一時に本日病氣のため出頭できない水野繁彦両名を喚問いたします。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  401. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後六時四十二分散会