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1948-02-05 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年二月五日(木曜日)     午後二時二十分開議  出席委員    委員長 加藤 勘十君    理事 梶川 靜雄君 理事 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 辻  寛一君    理事 荊木 一久君 理事 石田 一松君    理事 田中 角榮君 理事 中野 四郎君       足立 梅市君    池谷 信一君       佐竹 新市君    山中日露史君       高橋 榮吉君    明禮輝三郎君       村上  勇君    大森 玉木君       橋本 金一君    矢野 政男君       野本 品吉君    平澤 長吉君       田中 健吉君    中村元治郎君       徳田 球一君  委員外出席者   兵器処理委員会の件について証言のため出頭  した証人       小松  隆君(元兵器処理委員会委       員長)   上杉達夫君に関する隠退藏物資をめぐる金銭  授受の件について証言のため出頭した証人       石川 浩志君       上杉 達夫君       上原  蕃君(内閣総理大臣祕書)       清水  純君(内閣総理大臣祕書       官)     ————————————— 本日の会議に付した事件  証人出頭要求に関する件  兵器処理委員会に関する問題  上杉達夫君に関する隠退藏物資をめぐる金銭授  受の件     —————————————
  2. 加藤勘十

    加藤委員長 これより会議を開きます。昨日の青木君の証言の時間の関係から小松証人には非常にお氣の毒をしまして今日改めて御出頭願うことになつたのであります。つきましては昨日に引続き兵器処理委員会に関する問題について兵器処理委員会委員長であつた小松隆君の証言を求めることにいたします。昨日と同様に概括的に委員長から証言を求めまして、これに続いて委員皆さんから、捕捉的な証言を求めることにしていただきたいと思います。  小松さんには証人としてのお心得については昨日もすでに御承知をいただきましたのですぐにお尋ねいたしますが、あなたが昭和二十年の終戰当時から昭和二十一年五月頃までにはどういう地位においでになつたか。それを伺いたい。
  3. 小松隆

    小松証人 私はその当時日本鋼管常務取締役をしておりまして、それから終戰の年の十二月でございましたか副社長になりました。その翌年四月に日本鋼管を辞しましてから、あと兵器処理委員会関係だけの仕事を五月までしておりました。
  4. 加藤勘十

    加藤委員長 なお念のために申し上げておきます。あとから委員の諸君が質問をされるようになると思いますが、そのときには一々委員長に発言の許可を求めてお答え願います。それから当時の青木内務省調査部長兵器処理に関する契約を結ばれたのですが、その契約を結ばれるに至つたいきさつ並びに契約内容、目的、その契約に基づいておとりになつた行為について一通りお述べ願いたいと思います。
  5. 小松隆

    小松証人 申し上げます。たしか終戰の直後の十月半ば過ぎであると思います。はつきりした日取を覚えておりませんが、十月半ば過ぎのある日八軍のバラード大佐から私の方に電話で傳言がまいりまして、今日内務大臣が元アメリカン・クラブであつた八軍の出張所にみえるからお前來てくれ、こういう御傳言がありまして、内務大臣がみえるというのはどういうことかわからなかつたのですが伺いまして、そのときに初めて青木さんにお目にかかりました。その日青木さんは通訳の森野氏と御一緒だつたと思います。そうしてバラード大佐から日本の軍部が持つておるものをアメリカ軍に渡してくれ、それをまち内務省を通して日本の民生のために活用してもろうのだという話がありました。その中で兵器については、これは経驗のある相当な技術設備をもつた手で取扱つてもろうのがいいじやないかと思うというお話がありまして、これを民間の経驗あるものにやらしたらどうか、その話によつて大体民間の信用がおける技術的の力をもつ、しかも人的にももつているところの会社委員会のようなものをつくらしてやらしたらどうかという話が起つて、話が進められたのでございます。その数日後ございましたか、なお横浜の八軍に出頭するようにと私に言われましたので行きましたところが、その席には内務省の方もむろん見えておりましたが、商工省の方、それから非鉄金属を取扱う会社方々も見えておられまして、鉄鋼方面の話もその前にあつたのでありますが、非鉄金属方面に向つてもそういう委員会を設けた方がいいんじやないか、しかもこの委員会は二つにすべきか、一つの委員会にすべきであるかというふうなお話がありました。それでそのときの内容はいずれにしてもかまわないが、ともかくも自分たちと接触のよくできる、言葉がよくわかる人間をそこに据えてもらいたいというような希望を述べられたように私は考えております。それから十月の末、二十八日か六日ごろだつたと思いますが、商工省菅波総務局長でございますかに私は呼ばれまして、ここで兵器処理をするために委員会をつくつた方がいい、つくることにして、あなたにお願いしたいからやつてくれないか、こういう話でありましたから、私は前にバラード大佐の話によりまして、連合軍が接收した武器をめちやめちや壞わして無駄なものにしてしまうのは実に勿体ない。これをなるべく有利に取扱つて、今物資のない日本経済復興のために資したいという氣持をよく聞かされておりましたので、そのお手傳いができるならば非常に結構だ、こう思つて自分がすべてのものを犠牲にしてもこれをひとつお手傳いをしたいというのが肚をきめたのでありますが、どういう会社がこの委員会を構成するかということについては、多分日本政府会社の表を出せということを言われたろうと思うのであります。それで五つの会社がそこに選ばれた。その選択について私どもは何らあずかるところはありません。それで仕事はどんどんやらなければいけないが、一体どれだけの仕事があるのかということも見当もついておりませんでした。あるいはどこにどういうものがあるとか、こういうものがあるとかいうことはわからない。それでたしか十月の末、十一月の初めに初めて五社の人たちが集まり、商工省内務省方々も集まられて委員会が結成せられたのでありますが、第一に木更津飛行場にある飛行機処理にあたらなければならない、それでいろいろ委員会でどういうふうにこの仕事をやつてつたらいいかということを相談いたしました結果、むろんこの相談には商工省内務省方々も携わつておられた。その結果各会社自分担当地域をきめて、その仕事にあたつてつた方がいいだろう。ただし鉄鋼兵器の部門と、ほかの非鉄兵器の部門とは重複するところもあるかもしれんからこれはよく両方で協力してやるようにかる。それについていろいろ仕事が進むにつれて仕事やり方をきめていく。それから政府との契約は、その契約書が何日ころに調印されましたか、ちよつと記憶がないのでありますが、政府との契約調印は数箇月後で、いろいろ相談をしてでき上つたのでございます。それでその契約によりまして兵器処理委員会受取るものは連合軍から日本政府に引渡されたものの中で、こういうものを兵器処理委員会に渡すべきであるということは、その範囲がはつきりとしております。たとえば鋼鉄でできた戰鬪兵器、タンクだとか大砲だとかいうふうなもの、あるいは非鉄金属でできた飛行機、そういうようなものを全器処理委員会に引渡す。なおほかのわずかなもの、たとえば鉄、もともと兵器処理委員会兵器処理するのでありますから、鉄鋼の素材とか、ほかの資材には全然関係がないのであります。但したくさんの兵器のまん中に鋼材が一本とか二本あるというときには、一々それがために新しい手続でそれを処理するのは非常にむだなことでありますから、介在物資のようなものはもらつていい。しかしこれはやはり内務省を通してもらうのでありますから、兵器処理委員会がそれを受取るには内務省の指示を受けて受取る。兵器処理委員会受取つたものに対しては受取を出す。むろん受取る場合には連合軍の方から内務省へ渡して、それを兵器処理委員会に渡す。それに対しては十分に氣をつけてこまかく数量その他について調査をして受取を出します。それを処理いたしましてなるべく國民経済復興のために早く間に合うようなところにこれを配給する。それがどういう機関をもつたらいいかというので、そのために特別委員会をつくりまして、特別委員会には兵器処理委員会の五社がはいつておるのみならず、内務省商工省運輸省、農林省というような方面代表者が來ておられまして、こういう所に兵器処理すべきものがある、これは一体どこへ最も活用すべきであるかということを、その特別委員会できめて、そして配給を特別委員会でやることになつておるのであります。兵器処理委員会委員会社は、たとえば自分が物を処理しても、それを自分が使うことができない。その特別委員会で割当てられて初めて使うことになつているのであります。そこでたとえば鉄屑はどういうふうにむける、あるいは飛行機の上にあつた通信機のようなものは、これはなるべく壞さずにはずして、それを通信方面にまわす。あるいはいろいろのボール・ベアリング、軸受のようなものは軸受協議会にまわすというふうにして、おもなる品物処理については処理要綱というものを特別委員会で非常に綿密に研究いたしましてつきりました。それでありますから、たとえば屑鉄のような物は、金属回收会社に行くとか、軸受軸受協議会に行くとか、ドラフカンはドラム罐協議会に行くというふうに、ちやんとおのおのその当時定められておつた配給の経路を通つて渡されるようになつてつたのであります。  なお民間方面でこういう物が兵器廠にある。これを自分の方にもらつて活用したいという場合には、その特別委員会に向つてある書式をつくつて申出をして、そうして委員会でそれはそこへやろう、これはこちらへやろうということをはつきりときめたのであります。もつとも非常に少量の物は地方的にそれを処理してもよろしい。中央にもつてきて、きめておつたんでは非常に時がかかつて、迅飛のこれら貴重なる資材を各方面にまわすのには時がかかり過ぎるから、少量の物は地方でそれをきめ得るような仕組になつておりました。たしか三十万円以下のものとか、あるいは鉄なら二本トン以下のものは、そういう取極めになつてつたと思います。  そこでその特別委員会も、その後民間團体がこういう配給機構のようなことをやつてつてはいけないというので、全部商工省にその衆事が引継がれたのでございます。それで少量の物に対しては地方商工局長の手もとで配給される。それから大量の物に対しては商工省でそれがきめられる。最近ではたしか商工省から出たクーポンによつて配釈されていると私は思つております。それでこの衆事をやるためには、各委員会社自分に與えられた地域には責任をもつてやることになつた。その当時のことを考えていただかないと、なかなかわかりにくいと思いますが、八月の月あたりはわれわれは何もそういうことは考えていなかつた。十月の半ば過ぎにそういう話があり、仕事に取掛り得たのは十一月の半ばころ、私が初めて木更津飛行場を見に行つたのは、十一月の五日くらいであつたと思いますが、そのときはまだ連合軍の兵隊さんたちが、われわれが見に行つても入れてくれないというふうな状態のときであります。木更津飛行場に一部衆事をしているにかかわらず、われわれが行つてもなかなか入れてくれないというふうな時代、それからどこにどういう物があるということは、全然想像もついていないのであります。商工省あるいは内務省から各地方廳に、こういうふうな物は兵器処理委員会に渡すのだというお達しが行つたのは、おそらく十一月も相当に日が経つてからだと思いますから、地方廳でもどういうふうに取扱うかということが、十分に徹底していなかつたような場合が、たくさんあるかと思います。地方進駐軍においてもそういうことがありまして、相当にその連絡には困難をいたしましたが、だんだんと了解がついてまいりまして、こういうものがここにある、こういうものがここにあるということを知らしてもらうことができるようにもなつたのであります。ただ困りましたのは、どこにあるかわからないものですから、それに対してこちらの組織を十分につくつておくことができない。ある縣では連絡がちつともとれないではないかといつて、お小言があつた県もございます。そういうふうな縣には、各担当会社がその自分担当地域において、なるべく早く連絡がつくように私ども指導しておつたつもりでありますが、非常に困難でありました。その後緊急搬出という問題が起つてまいりました。これは兵器処理委員会関係ではなく、たとえば三月ごろには、たしか三月だと思いますが、東京地区あるいは日本全國にそういうことがあつたのであります。工廠が賠償に指定されるその前に、賠償に指定されようなものは運び出してしまわなければならないというので、三週間ぐらいの日限を切られて、その品物搬出を命ぜられたのでありますが、そういう場合には、東京では東京都が中心になられて、運輸省とかいろいろな方面團体を集められて、そうして搬出の計画をされたのであります。兵器処理委員会もやはり呼び出されて、その衆事にあたるということになつておりました。そういうことによつて三月の末、四月ごろまでは、ほんとう兵器処理委員会としての仕事はできなかつたように私は思い起すのでございます。それで緊急搬出などが済んでから、初めてほんとう兵器処理がでて始めたというふうに考えます。この契約内容は、この兵器を拂い下げていただいて、それを処理して、その処理に対する必要な費用は銀行から借りて、利益は政府な差出すという仕組でございました。私自身はなるべくこの仕事をりつぱにやり通したいという熱情に燃えておつたものでありますから、各委員方々にはその重大なる責任を理解していただくように委員会のあるたびに話し、当業者にも始終話しまして、一生懸命にやるように督励してまいりました。と同時にこの仕事がうまくいくのには、非常にりつぱな組織をつくておかなければいけない。しかし各社が別々に自分会社と離れて兵器処理部というものをつくつて各社の勘定とは別勘利でやつておりますが、その会社地域にもより、性質にもよつて必ずしも同じやり方は困難である。しかしその地方々々において最もよくわかる現場におる人たちに、最もよい方法でそのやり方をきめてもらわなければならないのでありますから、必ずしも一定した方法はとれないのでありますが、私が非常に重要視しておりましたのは、いただいた物をきちんと整理して、それの処置を明らかにしておくことが最も必要だと考えました。そうすることによつて、この仕事を正しくやる通し得るのではないかという信念をもつたのでありますから、その報告については非常に嚴重に各社に頼みまして、こまかい資料を出してもらうようにしておつたのであります、なおそれに力をつけるために各社委員のみならず、從業員のおもな幹部の方々を連れて第八軍のバラード大佐のところへは月に一回ぐらいづつ報告に出たのであります。バラード大佐からも各社人たちに向つてその重大なる責任を話してもらい、その仕事がりつぱにでき上るということは、國のためにどんなに役に立つかわからぬということを十分に話をしてもらいまして、そうして今月は何トン回收できた、今月は何トン回收できたということを、少くとも月に一回はバラード大佐のところへ報告にまいりました。それからバラート大佐も、その仕事については非常に興味をもつておられたので、私どもをひつぱつて、ぐずぐずしていてはいかぬということを盛んに言われたのであります。と申しますのは、物があつても、それをうつちやつておいてはなくなつてしもうおそれがある。バラード大佐自身があるとき私を芽ケ崎の海岸へ連れていつて、ここに高射砲がある。ここにこういう古いゴムのタイヤがたくさんあるじやないか。こんな物をうつちやつておいては今になくなつてしもうおそれがある。早く処理しなければいかぬじやないかと言われる。実は自分は数週間前に皆さんに注意したが、まだやらないので今度は君をひつぱつてきて見せるのだ。こういうような話であります。なるほど高射砲でありますから、たれもとる人がないかもしれませんが、置いておけば、いろいろな貴重なものははぎとられるおそれがある。ゴムのごとき物は持つていかれてしもうおそれがあるから、早く処理しなければならぬ。それでトラツクだとか、運送の便が非常になかつたその当時、いろいろ無理をして運搬に携わつたのでございます。それは今の芽ケ崎の海岸のみならず、日本中にそういう状態があつたと思います。それから兵器処理委員会といたしましては、この品物がなるべく有効に、最も能率的に國民の丸経済復興に資するようにと私は考えておりましたから、各地で展示会を開きまして、三越でも二週間ばかりにわたつて、こういうふうな品物兵器処理委員会から出てきておるのだ。これを活用できる人は申込んでもらいたい。これは東京三越でもやり大阪でもやり、方々地方でやりました。なお進駐軍がこれを日本に下げ渡しているのは、日本に絶対にない、非常に困つておる資材であるから、あまりこれをめちやちやに壞すとか、むだにせずに日本に渡して、これが役に立つようにしたい。その氣持が日本の一般の人たちにわかつてもらいたいという私の考すから、映画をつくつて見せたこともございます。それから私は非常に拍すことはまずい、どうも日本語を話すことが下手な日本人でありまして、今しやべつてつてもはなはだ申訳ないのでありますが、放送もいたしまして、兵器処理委員会ではこういうものが手にはいるから、これを使いたい人は申し込んでもらいたいというふうな放送もいたしました。それから小册子のようなものも出しまして、一般の方々に知つていただくように努力いたしたのでございます。初めどのくらいの量のものがあるだろうかという想像をしたのでありますが、初めは何十万トンという程度だ。しかし私はどうもこれは百万トンぐらいのものはあるだろうということを、バラード大佐にもお話いたしました。むろんこのほかに艦船の解体からくるもの——艦船の解体は兵器処理委員会仕事ではなく、海運総局の方でやつておられますが、その方面からも五万トンくらいくるだろうしするから、ここで非常な貴重な資材がこの解体処理がうまくいけばできるものと私は思うということを再三お話したことがあります。その後の結果を見ますと、百二十五万トンくらいの貴重な材料がここに集まつたという報告になつております。この報告は前に申し上げました通りなるべく細かくやるように私は督励してまいりまして、あるいは日本製鉄、あるいは日本鋼管、住友とか古河とかいうような、各自が自分の所で回收をした量、それから処分した量、ストツク残つてつた量、現在回收しつつある量、それから將來の見込みというふうにして、細かく表が出ておりまして、その所在地もはつきりと報告してございます。その報告内務省を通して連合軍にも行つておりますし、これは第一相互のジー・フオアの方へも行つておりますと、八軍の経済部バラード大佐、その後の担当者ワツツ大佐の所へも行つております。私の初め希望しておりましたのは、この仕事の結果貴重なる資材を手に入れるということと、この処理については日本政府が出費しなくてもよろしいように、というのは、たとえば横須賀の工廠を片づけろと言われれば、ある日限のうちにやらなければならぬから本当な費用がかかる。そういう費用日本政府は出さなくてもいいように、しかも最後には日本政府に向つて、全体が日本政府のものでありますから相当な金が日本政府にはいるようにということを目標にしております。それで現在では、私最近の数字はよく存じておりませんけれども、少くとも大体五十万トンくらいの貴重な資材はまだ残つておると思います。この資材は今日の世界の情勢から見て非常に大事なものであります。屑鉄などは現在スメリカでも非常に不足して、アメリカから買いたいというような申込みがある程度のものでございます。日本製鉄業が動き始めればこれは最も必要なものである。現在では製鉄業ほんとうに働いておりませんからこれが使われていないで、ストツク残つているのでありますが、働き始めたらこんなものはすぐになくなつてしまうものであります。これがなければ日本製鉄業は回復できないのではないかと思われるくらに今貴重なものであります。ところが、これだけを処理いたしますのに、いろいろな費用を勘定いたしますと、たしか一トン六百五十円くらいについているのではないかと思います。あの運送の困難な際に、物價、賃金の高騰をしておる際に、そのくらいで処理し得たということは非常に結果はいいということを自分は考えております。しかし屑鉄の價値は現在公定できめられております。むろん商工省から許可をもつくてくる人に配給するものでありますから、公定の値段でみな取引されておるのでありますが、それはたしか千百円ときめられておる。しかもその値段工場渡し値段であります。今日におきましては、今蓄積してある置場から工場へ運搬するだけでも、鉄道の運賃が非常に高くなつておりますから、千数百円かかるのではないかと思います。そういう状態では、千百円で賣つたのでは、たとえ六百五十円なり七百円で回收したものでも、今後運搬する運賃だけでも非常に高くかかりますから赤字が出るかもしれません。しかしこれは、私は屑鉄値段が何ゆえに千百円であるかということはちよつと自分は理解できないのでありますが、鉄の素材が一万数千円しておるときに、屑鉄だけ千百円ということはちよつと、バランスがとれない勘定ではないかと思うのであります。と申しますのは、過去におきましてはどうしても鋼材の値段の半分が屑鉄値段であつた。しかも今後万一損があるとすれば、その損は運賃とかそういうふうな費用による損であります。兵器処理仕事をするにあたりまして私が常に考えておりましたことは、これは損とか得とかいう問題じやないんだ、われわれは御奉公の心持でこの仕事に当る、それでわれわれが最も注意しなければならない点は何かというと、物をここへ集めてくるんだ、場合によつた費用もかかるかもしれぬ、先に行つて紙幣の値打の貨化によつてはどうなるかわからぬけれども、貴重なる資材がここへ集まつてくるということが最も重要なことであるから、その点を非常に注意をして仕事をやつてもらわなければならないということを私は常にみんなに注意してまいつたのであります。そうして、こういう仕事でありますからいろいろなことが起るおそれがありますから、これを正しい道に導いていくためには、みんなにきちんと自分たちのする報告をさせるのが一番の重要な方法だと思いまして委員会事務局仕事としてはそういうところに力を入れてまいつたのであります。先ほど申しましたように、委員会社のメンーバーについては私は一向相談を受けておりません。しかしみんな経驗ある、技術的の陣営をもつており、設備ももつておる会社が当つてくれたと私は思つております。事務局につきましては、なるべくこの仕事に明るい人たちになつたもらわなければいけない。しかし私がたとえ自分委員長に選ばれても、自分の子分をもつてくるとか何とかそういうことは全然考えず、業界で選んで出してもらつた人でなければならぬという考えで、当時鉄鋼統制会原料の方を担当しておつた藤沢君が事務局長になりました。私は藤沢君はそれまではあまりよく知つておらなかつた人であります。顔は知つておりましたけれども、一緒に仕事をした人でもなく、何も関係がある人ではありません。しかし鉄鋼の方の原料を担当した人でありますし、アメリカ原料を買取りに行つたこともある。そういう人がやつてくれるならば一番適任者であると思いまして、藤沢君に原料の方を担当してもらいました。そのほか各方面の、非鉄金属とか、いろいろな方面から人を出してもらいまして、事務局を統制して仕事をしてまいりました。  十分に考えて申し上げておらないので、前後しておりますが、何かこういう点はというお考えがありましたならば、御質問を願いたいと思います。
  6. 加藤勘十

    加藤委員長 まだ一、二お尋ねいたしたいのですが、今の点について、最初全然どこに何があるか見当がつかなかつたというお言葉でありましたが、二十一年の第一期三月の報告によると、大体その時になると見当がついて、鉄鋼関係が百九万トンばかり、非鉄金属を合わせて総額百二十八万トンばかりという回收予定数量というものが計算されておりますね。この点について私の聽いたところによると、司令部関係では最初七百万トンくらいあるという予想をもつてつたということであつたが、その当時は全然そういうことはお聽きにならなかつたのですか。
  7. 小松隆

    小松証人 全然聽いておりません。
  8. 加藤勘十

    加藤委員長 それから今のお話で、契約が六、七箇月後に結ばれたともおつしやつたし、またこの書類によつてもその通りなつておりますが、そうすると、実際の仕事契約される前に、すでに着手しておいでなつたわけですね。
  9. 小松隆

    小松証人 はあ。
  10. 加藤勘十

    加藤委員長 そうすると、その仕事は、事情は今お話になつた通りで、きわめて明瞭でありますけれども、法律的には何も根拠はなかつたわけですね。
  11. 小松隆

    小松証人 私は法律のことはよくわからんのでございますが、ここで非常に急がれておりまして、どんどん仕事をやらなければいかぬということでありますし……。
  12. 加藤勘十

    加藤委員長 よくわかりました。その次にお尋ねいたしますのは、兵器処理委員会で実際にその作業現場をそれぞれ組合委員会社の担当分担させられたのですね。
  13. 小松隆

    小松証人 はあ。
  14. 加藤勘十

    加藤委員長 その分担させられた各組合委員会社がどういう実際の構成で現場で仕事をしたか。兵器処理委員会仕事、もしくは構成については今お述べになつたことによつて明らかになりましたが、一つ一つの組合委員会社が現場でどういう機構で仕事を実際に遂行されたか、この点について御存じならばお述べ願いたい。
  15. 小松隆

    小松証人 各組合委員会社兵器処理部というものをつくりまして、それは自分会社と別個の組織にし、会計も別にして、その部長には大体その会社の社長とか、專務とか常務とかいう責任のある方がおつきになつたのでございます。そうしてその下に責任ある幹部を配属されて、本部を組織され、必要な地方には支部を置かれまして、支部長を任命して仕事にあたり、その支部においては個々のその現場において最も必要な方法で、あるいは下請を利用したり、あるいは自分のところのものを利用したりして、自分の專属に雇つた者を働かせて仕事をしたということになつております。
  16. 加藤勘十

    加藤委員長 それでは、その点についていま少しお尋ねしますが、実際作業を遂行されるにあたつて、なるほどある部署には兵器処理委員会の支局が設けられ、あるいは出張所が設けられたところもありますが、同時にまた実際の仕事は下請会社にやらされた場所も相当あるのですね。
  17. 小松隆

    小松証人 それは各会社が……。
  18. 加藤勘十

    加藤委員長 そうです。その分担した会社々々が仕事を下請会社にやらせたことになつておりますが、その下請をした会社なり、個人なりの氏名は、あなたは御存じですか。
  19. 小松隆

    小松証人 それは非常に多数だと思います。私全部存じておりません。そういう書類については、十分に処理ができておりますから、こまかく御報告できると思います。
  20. 加藤勘十

    加藤委員長 わかりました。それから実際に兵器処理委員会が担当した作業現場を中心として、現在相当多くの刑事事件が起つておりますね。たとえば大阪造兵廠の問題とか、相模原造兵廠の問題であるとか、横須賀工廠の問題であるとか、各所に刑事事件が起つておりますが、今あなたがおつしやつたような趣旨によつて、公正に作業が進行せしめられたとすれば、こういう多くの刑事事件は起らないはずだと思われるが、どういう欠陥から事件が起るようになつたか、それについてあなたとしてはどういうお感じをおもちになるでしよう。
  21. 小松隆

    小松証人 実はこの事件が起りましたのは、比較的最近の問題でありまして、私事件ごとにこまかに報告を受けておりません。と申しますのは、兵器処理委員会には、去年の九月以來関係しておりません。八月の末に辞表を出しまして、九月の初めから兵器処理委員会関係しておりません。最近の刑事事件の状況は知りませんが、私が初めから非常に心配しておりましたのは、末端においていかにこれをしようと思つても、ポケツトに物を入れて出てくるやつが出てきやしないかということを心配しましたので、いろいろ事が起り得るから、それを防ぐにはどうしたらよいかというと、やはり報告はつきりさせるよりほかにわれわれとしてはしようがない。こういう考えからそこに力を入れてまいつたのであります。
  22. 加藤勘十

    加藤委員長 それではそのことについて御存じないというわけですね。
  23. 小松隆

    小松証人 どういう事件になつているかは、こまかく存じておりません。
  24. 加藤勘十

    加藤委員長 それから兵器処理委員会委員は、組合委員会社というものがあり、委員会は個人をもつて構成されておりますが、この個人は、設置された当時の委員の氏名と、あなたがおやめになる去年の八月当時の間において、変更しておりますかどうか。それからまた現在どういう人が実際に処理委員会委員であるか、御承知ならば、それをお述べ願いたい。
  25. 小松隆

    小松証人 私が始めた当時は、日本鉄鉄の代表者としては渡辺義介氏——その当時の社長。日本鋼管代表者としては渡辺政人——その当時の常務取締役。それから古河電氣工業はそのときは中川末吉さんでございました。今は西村さんがやつております。それから住友は中村定吉でございましたか……。
  26. 加藤勘十

    加藤委員長 いや最初は春日弘……。
  27. 小松隆

    小松証人 その後中村さんになりました。神戸製鋼は……。
  28. 加藤勘十

    加藤委員長 田子……。
  29. 小松隆

    小松証人 その当時は浅田……。
  30. 加藤勘十

    加藤委員長 そうすると迭つているわけですね。
  31. 小松隆

    小松証人 迭つておりますが、現在ではなお迭つております。
  32. 加藤勘十

    加藤委員長 ちよつと待つてください。あなたがおやめになる当時に迭つたのは、どこが迭つたのですか。
  33. 小松隆

    小松証人 日本製鉄は三鬼氏だつたと思います。それから日本鋼管は瀬戸彌三次でございます。それから古河は西村啓造。住友が中村定吉、中村氏が迭つて今の金山という人がやつております。
  34. 加藤勘十

    加藤委員長 金山何というのですか。
  35. 小松隆

    小松証人 ちよつと印刷が惡くてよく見えないのでございますが、そちらにお出ししてある報告に……
  36. 加藤勘十

    加藤委員長 ありません。
  37. 小松隆

    小松証人 最近の名前は出ておりませんでしようか。
  38. 加藤勘十

    加藤委員長 出ておりません。
  39. 小松隆

    小松証人 俊二だろうと思います。それから神戸製鋼は杉本正幸という人でございます。
  40. 加藤勘十

    加藤委員長 そうすると、各社とも変つてしまつているわけですね。その変つた理由は御存じですか。
  41. 小松隆

    小松証人 渡辺義介氏は追放でございます。その他の方々もそうだと思います渡辺義介氏のあとに永野重雄氏が委員になつたのですが、それが安本にいくために迭りまして、今の三鬼氏がなつております。
  42. 加藤勘十

    加藤委員長 もう一つお尋ねしますが、あなたが契約当事者におなりになつたという理由はどういう理由かということと、そのあなたの契約されるときに、連帶保証人として、これはまた委員会の当時の委員の構成と多少違つた顏ぶれで連帶保証人ということになつておるが、その関係はどういう関係ですか。
  43. 小松隆

    小松証人 政府委員会として契約したいという話がありまして、それで委員会としてこの契約案が政府との間に練られておつたのであります。しかしこの仕事については各社が絶対的の責任をもたなければならないので、各社自分がやつおる限りに対しては全責任を負わなくちやならぬ。しかし各社とも非常に心配なのは、この仕事が赤字を出さずにいけるかどうかという点でございます。ある集事は非常に有利にいきますが、ある仕事は非常に金がかかる。たとえば山の上の大砲を処理するなどは非常に費用がかかる、それでみな各社とも不安にかられておりまして、そのためにプール計算をしなければ困るというので、プール計算をすることになりました。これがために委員会委員長の名前で契約が行われましたが、プール計算の結果が連帶責任でこれを仕上げていこうということになつた。なおこのために必要な融資をしなければならないので、これは鉄鋼部門二社と非鉄部門三社とが別々になりまして、鉄鋼部門の方には二社が連帶でその負債の責任をもち、非鉄金属も三社が連帶で責任をもつ、こういうことになつております。それはその責任の額が非常に違うのであります。仕事の大きさのが違つたために、日鉄と日本鋼管とも違いますが、なお非鉄金属部門に比較しますと非常な違いがあるものでございますから、結局そういうふうに取極められたのでございます。
  44. 加藤勘十

    加藤委員長 この組合は、今お述べになつたような事情から鉄鋼部門非鉄金属部門との間に差額があるという関係かどうかもしれませんが、出資額は総額百万円ですね。
  45. 小松隆

    小松証人 はい。
  46. 加藤勘十

    加藤委員長 そうすると百万円の資本でこの仕事がやれるという見込みではなくして、当然作業費としては借入金が前提になるということと、それから処理したものを販賣した販賣益金から費用に充てていく、そういう見込みの上に出資金は非常に少かつた、こういうことになるですね。
  47. 小松隆

    小松証人 出資金は形式だけの問題でありまして、各社とも実は当時やりたくない仕事のように考えておりました。
  48. 加藤勘十

    加藤委員長 大体委員長としてのお尋ねは今お聽きの通りでありますが、これについて皆さんからお尋ねになりたいことがあれば、お尋ね願います。
  49. 徳田球一

    ○徳田委員 証人にお尋ねしますが、この各社地域別にそれぞれ担任をしておつた所があります。その地域別の各社の担任はわかりませんか。
  50. 加藤勘十

    加藤委員長 それはこつちでわかつております。
  51. 徳田球一

    ○徳田委員 わかつておれば別のお尋ねをします。そうするとこれをスクラツプにしまして、あるいはまたスクラツプにしなくて製品のままだ処理するものもあつたと思いますが、それらの配給に対しては委員会は全然関知しておらぬ、こういうのですね。
  52. 小松隆

    小松証人 関知しておらぬことはございません。今申し上げました通り報告をすべて受取つておりますので、どこへ何が行つたかということははつきりしております。たとえば進駐軍用にどういうふうに行つたとか、農耕用にどういうふうに行つたとか、通信用にどう行つたとかいうことははつきりいたしております。その報告は御提出申し上げてございませんでしようか。
  53. 徳田球一

    ○徳田委員 それはあなたの証言では特別委員会がやることになつておるので、委員会自体では全然それは関知しないというお言葉でありましたが、そこはどうなつておりますか。
  54. 加藤勘十

    加藤委員長 お互いに一問一答をやらぬで、委員長を通してください。
  55. 徳田球一

    ○徳田委員 承知しました。——証人証言によりますと、この処分、配給はすべて特別委員会がやつてつたのであつて委員会としては全然関知しておられぬように聽いておりましたが、今のお話ではすべて委員会が関知しておる。報告はすべて受取つておるというふうに聽いたのでありますが、その間をひとつ明らかにしてもらいたい。
  56. 小松隆

    小松証人 委員会の五社ともみんな特別委員会に出ております。関知しておらぬことはない。出ておりまして、一緒になつてきめるのであります。しかし特別委員会というものは五社以外に内務省商工省、運通省というような方面がはいつております。というのは各自が関係したあらゆる品物があそこにあるはずでございます。ですから皆さんがそこにはいつておられておきめになつた。しかしこれは初めの六箇月ぐらいまでの時期だと思いますが、その後は商工省の方でおきめになつて、そうして配給に充てられたのでございます。
  57. 加藤勘十

    加藤委員長 徳田君、今の特別委員会というのは、兵器処理委員会の中にその種目別でできたという委員会です。
  58. 徳田球一

    ○徳田委員 それはきのうから知つておりますが、その間をよく知つておらぬとどうもおもしろくないと思います。そうすると六箇月以後はすべて商工省がやつておるということになりますので、六箇月以後には委員会としては全然責任はないということでありますね。
  59. 小松隆

    小松証人 六箇月以後と私申しましたのは、これは見当でありまして、委員長のお手もとに出ておる報告に、いつまで特別委員会をやつてつたかということがはつきり出ておると思いますが、いかがでございましようか。
  60. 加藤勘十

    加藤委員長 そういうことは出ておりません。二度の報告書が出ておりますが、二度の報告書にもいつまでということは出ておりません。
  61. 小松隆

    小松証人 それでは將來の誤解を妨ぐために、書いたもので……。
  62. 加藤勘十

    加藤委員長 徳田君、それは後に文書で資料を出してもらいます。
  63. 徳田球一

    ○徳田委員 スクラツプは今のところ非常に値段が引合わないので、ストツクしておられるというお話でありますが、鉄鉱のスクラツプというものは、最初処理してから官廳以外には全然どこにも引渡してないのですか、それともこういう値段の合わないものでもどんどん引渡しておるのですか、その点をひとつ明らかにしてもらいたい。
  64. 小松隆

    小松証人 値段が合わないから引渡さないということでは全然なく、政府のきめられた値段で、政府配給するところに引渡すようなことになつておるのでありまして、今引渡したくとも買手がない。むしろ委員会としては処分したくとも買込んでくれるところがない。こういう実情のように私は考えております。
  65. 徳田球一

    ○徳田委員 私の聽いておるところはそれとは違う。スクラツプを実際上配給したのかどうか、こういう値段が合わないものでも配給を今したというように聞いておりますが、もつと正確に言えばスクラツプをどれだけの値段でどこへどれくらい引渡したかということを聽きたいのであります。
  66. 小松隆

    小松証人 このスクラツプはすでに配給したものが四十数万トンになつておると私は思います。それも何トンどこへいくらで配給したということは、今ここで申し上げる資料がありませんが、これも書いたものを兵器処理委員会の方に依頼して差出したいと思います。
  67. 徳田球一

    ○徳田委員 それでは今まであなたが関係しておられたところまでで、どれくらいスクラツプは出ましたか。それをもし種類別にわかりますれば、特殊鋼がどれだけ、普通鋼がどけだけというふうにわけて答えていただければ非常にいいのですが、わけるのがむずかしければ、大体の見当でスクラツプがどれくらいできたかということをひとつ。
  68. 小松隆

    小松証人 多分昨年の九月までに百万トン近いものができておると想像しておりますが、これは場合によりますと、あるものが一級、二級、三級というふうに仕分けしてないものもあるのではないか。それで現在兵器処理委員会でもつております記録には、おそらく屑鉄非鉄金属、轉換用物資というふうな仕分になつておるのではないかと思つておりますが、回收された鉄の地金が九十九万トンぐらいあるのではないか。それから非鉄金属が八万四千トンぐらい今の轉換用物資が十五万トンぐらい、こういうふうで、これも正確な数字を差上げたい。こういう所で不正確な数字を申し上げてははなはだ相済まぬと思いますから、差上げたいと考えております。その中で処理した、賣つたものがどのくらいあるかと申しますと、合計で半分以上はすでに賣つておると思います。
  69. 加藤勘十

    加藤委員長 そういう点についての資料は正確なものをとるように要求しております。
  70. 徳田球一

    ○徳田委員 しかし報告せられるものが実はわれわれは眞実でないと思いますので、お聽きしておいて、それから報告も見て、もう一遍現物を見たいと思うのです。実はこんな少いものとは思つておりません。非常に莫大なものがあることを知つておりますので、こうしてお聽きしておるわけであります。そこでもう少し細かいところでありますが、スクラツプにしないもの、たとえばこれはいろいろありましようけれども、通信器とか戰車とか、スクラツプに全然しないものがあるように見ております。われわれの知つておる範囲では、大体戰車をそのままある会社にもつてきて、そこに会社で砲塔をとつてしかる後に、これをトラクターにこしらえておる会社を見ておる。そこでそういう戰車をそのまま処分するようなこともあり得ると思います。そういう現物のまま、スクラツプにしないで処分したもの、これも鉄鋼の方はトン数できまるだろうと思います。大体戰車何台というのでなしに、これを全部こめて現物で渡したものの大体のトン数なり、これがわからなければ数量でも結構ですが、そういうものはわかりませんか。
  71. 小松隆

    小松証人 今の戰車の轉換につきましては、非常に研究されまして、これをブルトーザに直すとか、いろいろ研究がありました。八軍のバラード大佐はそういうふうにしてもあまり有効じやないぞと言われましたけれども、各方面で非常に希望がありましたので、あるいは東京都とかおもにそういう官廳方面でありますが、そういう所の注文によつて指定された工場でそれをつくりかえられたものが、初め相当にたくさんできると思つたら、その数はずいぶん減つたようであります。はなはだ申しわけないのですが、今その数をここで申し上げる材料をもつておらないのでございますが、そういうことについての御質問があれば、いくらでも材料を書いたもので差上げることができます。今書いたものもほしいし、聽いてもおきたいと言われますが、私が今ここで申し上げ得る数字は正確でないということを申し上げたい。でありますからきちつと正確な書いたものを出さしていただければ非常に結構だと思います。
  72. 徳田球一

    ○徳田委員 それでは少し予定が狂いましたが、もう一つお尋ねしたい。各陸軍並びに海軍の工廠その他にあるもので、兵器その他処分すべきものがあるはずだと思います。こういうものは一旦兵器処理委員会に渡つて後に各官廳に渡されたのであるか、それとも工廠それ自体から直接渡されて、兵器処理委員会では全然関知しないものであるかどうかをお答え願いたい。
  73. 小松隆

    小松証人 兵器処理委員会はじかに何ももらいません。全部神奈川縣とか地方廳担当者を通していただくわけになつております。ですからじかに横須賀工廠からもらつてくるというようなことはございません。
  74. 徳田球一

    ○徳田委員 そういたしますと兵器処理委員会から各官廳にそれぞれ引渡しになりましたものは、すべて一旦その官廳からもらつたものを、さらにこの特別委員会において各官廳でこれを要求して、さらにこれを各官廳に引渡すというふうに方式になつておるわけでありますか。
  75. 小松隆

    小松証人 さようでございます。たとえば東京都がこの戰車を改造するためにほしい。それはやはり特別委員会に出まして、そこできめられてもらつたものでございます。
  76. 徳田球一

    ○徳田委員 私はこれで終ります。
  77. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 兵器処理委員会が引渡しを受けるときに、先ほどのお話では数量を定めて領收証を出す。こうおつしやるのですが、どの程度に現物に当つて受取になつてつたものか。その点をお聽きしたい。
  78. 小松隆

    小松証人 担当会社代表者が現場におりまして、そして縣の当事者がおもだと思います。あるいは場合によりますと連絡事務局の方に立会つていただいて、そうして量をきめておるのでありますが、スクラツプのようなもの、あるいは爆彈でもつて破壞された建物にどれくらいの量があるかということは、これはなかなか素人がちよつと見てもわかりません。やはり專門家が見てきめるよりいたし方がないので、そういうふうな方法できめられ、受取が出ておるのであります。
  79. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 專門家がきめるとおつしやるが、それは兵器処理委員会特別委員会の人々がやるのでかす。たま官廳の人がやるのですか。それとも第三者を頼んで数量をきめておられるのか。その点を伺いたい。
  80. 小松隆

    小松証人 私は両者立会でやつたことと了解しております。私自身が各地に行つてそれを見たわけではありませんが、両者立会でその数量などはきめておつたことだろうと思います。しかしそのほかの数ではつきりわかるものもたくさんあるのであります。軸承とかあるいはドラムカンのようなものとかは、はつきり勘定ができます。できないのは両者立会できめておる。こういうふうに私は考えております。
  81. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 ここでは昨日青木さんからも聽いたのですが、実際たいへんな量のものでありまして、第一日本軍から進駐軍に接收されました。それだつてある程度の数量なり何なりが書いてあるのだと思いますが、私らの考えでは一々実際に当つたものではなくて、何らかのリストをもとにしてやられたものであると思う。それがまた日本軍に返還されたのはそのリストで返還され、またそのリストであなたの方へ來ておるのが実情じやないかと思いますが、そうでなく、一々当られましたか。
  82. 小松隆

    小松証人 そのリストというものはあつたそうですが、私はまだ見たことはありません。青木さんが何とおつしやつたか私は存じませんが、そういうリストをもつて渡したことと私は思つておりません。なぜかと申しますと、日本軍がつくつたリストなどというものは、どこにあるかわからない。いくら聽いても私は確かめることができないのでございます。
  83. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これは委員長たるあなたとしてこまかいことはおわかりにならぬかもしれませんが、これは必ずあるものと私は思つておるのです。そこで一々当つてやられたというならば、そういう当つた人々に今後こまかく聽くよりほかはありませんが、その次はあなた方の方でお引受けになる値段をきめる、さらに配給先に対して賣渡しの値段、この両方ともいかなる方法で決定されたものでありましようか。
  84. 小松隆

    小松証人 引受ける値段はきめてないのでございます。それから配給については当時は特別委員会できめました。たとえばこの戰車はいくらで渡してくれるかとかいうことは、そこできめられたのでございます。その後は公定値段ちやんときめられて、特殊のものは商工省御当局の指導によつてきめられておりますが、スクラツプのようなものは公定値段ちやんときめられておるのでございますから、それによつて処理されておるわれであります。
  85. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 さらに引続いて承りたいのは、そこで問題はスクラツプならスクラツプでいく、現状のままでいくものなら現状のままでいく、こういうことになりますが、これはスクラツプにしようか、それとも現状のままでやろうかということがあると思います。現状のままでも使えるけれども、現状のままでやらないでスクラツプにしてやろうということがあると思います。さようなことはだれがどこできめるのでありましようか、どういう機関で決定しておつたのでございましようか。
  86. 小松隆

    小松証人 今のスクラツプにするものはすぐに見当がつきますが、これを轉活用できるかできないかということは、品物によりましては倉庫に持つて來ております。たとえば八幡の倉庫にはどういうものがはいつておるというリストがございます。それを見ていただいて、どういうふうにこれが轉活用できるかということを研究してもらわなければならないものが、たくさんあるのでございます。そのために私は展示会などをやりまして、一般國民方々に見ていただきました。こういうものがあるが、これは何に使えるかということをくふうしていただきたいというので、くふうしなければならないものがたくさんあつたのでございます。たとえば火鉢をつくたものもありますし、ものによつて電燈台をつくるとか、いろいろなものがつくれる。飛行機をばらしますと、いろいろな部分が出てまいりまして、それをむちやちやに壞してしまわないで、何とかなるのじやないかということから、展示会を到るところでいたしました。そうして皆さんに來て見ていただいて、申し込んでいただく。あるいは革のようなものもございました。あるいは道具を入れるりつぱな木の箱がありました。そんなものまでも各方面に渡るように努力をいたしました。そういうものでまだ出てないものが倉庫にはいつておりまして、先ほど申し上げました十五万トンくらいのものがあるのじやないかと思いますが、それらについてはだんだん研究しなければいけないものが、まだたくさんあります。使いようによつては非常にいいものがあるのじやないかと私は考えております。これをどうしたらばいいくふうを出していただけるか、たとえば戰車に使つたボールベアリングのようなもので、大きさがどうにもならない特殊なものがあります。こういうボールベアリングのようなものはボールベアリングの協議会、專門家のところに持つていく。通信機のようなものは通信機の專門家のところに持つて行つております。またわからないと言つていいか惡いかしりませんが、雜品のようなものがたくさんあります。やすりのフリングのようなもの、実は倉の中を歩いてみますと、妙なブリキでできた筒のようなもの、こんなものも活用できるのではあるまいかと思つて見てまいつたこともございます。そういうことを見ました結果、私ども展示会をやつてみたのであります。なおまだそういうことをやる必要があるのかもしれないと考えるわけであります。
  87. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その値段はきまつたのですか、それとも無償を前提としておられたのでしようか。それからそうなるとあなたの方で要つた費用をどういうようにしてもらわれることにするのか、またそういうようなことに対してはどういうように決定しておるのか伺いたいと思います。
  88. 小松隆

    小松証人 契約書に書いてあると思いますが、無償で拂下げてそうしてその処理までの費用委員会で出して最後の決算をして御報告するということに契約ではなつておると思うのであります。委員会の方の費用につきましては会計檢査院の御調査を願つておるわけでございます。一々品物をどういう状態であるか何にもわからないし、品物値段をきめるなどということはとうていできない仕事であります。これはきよう中にもつていけというようなことでやられるのでございます。私は横浜に呼出されまして海岸に三百トンばかりの起重機などの材料に使う物で日本から送り出すものが置いてあつた。その地所を早く明けてもらつて住宅を建てなければならぬ。早く明けろ。こういう要求があつたことを覚えております。ところがその担当会社の方ではなるべくこわさないでもつていけばまだ役に立つ。こわしたくないのだから、これをこのまま何とか活用できるところはないかといつて探すわけであります。そうすると、そのために時が経つていつまでも処理ができないから、私が呼出されてこれを三日間のうちにやれと言われた。三日間ではどうしてもできるものではありません。それで実情を申し上げましたところが、それではおれの方から道具を貸してやろうというので、重い物を持上げる自動車を貸してくれまして、それで要求通りの日取りにできたわけであります。そんなものを十分にもつと活用できるものがたくさんあつたと思うが、急がれるために活用できないような場合が多いのであります。これも横須賀の倉庫、骨組だけができておつた倉庫でありますが、倉庫として何とか使えるものならばなるべくそのままもついてきたかつたのがやはりそれもときが許されずに、なるべくこわす程度を少くして、しかもなるべく活用することに努めた。そのときは日本鋼管も大変しかられた。私も実は進駐軍の方からじかに呼出されておこことを頂戴した。ぐずぐずしてはだめぢやないかと督励をされて急いだということもたびたびございました。そういうふうな実情でございます。
  89. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうすると結局費用はあなたの方で実際かかつたものを計算して出される。こう聽いておいてよろしいですか。
  90. 小松隆

    小松証人 さようでございます。
  91. 梶川靜雄

    ○梶川委員 話が少し元に戻りますが、バラード大佐との御関係アメリカン・クラブで会われるまで全然なかつたのでありますか。
  92. 小松隆

    小松証人 バラード大佐と私が始めて会いましたのは、九月の十九日だつたと思います。九月十二日にバラード大佐東京の商工経済会へ部下数名引連れてお見えになつたそうであります。そして商工経済会の藤原君とか、その他の人に会われていろいろな参考資料を要求されたということを聽かされました。商工経済会では一体何のためにどういう目的であろうかと不思議に思つておられたと思う。それで毎週水曜日の二時に來るということを言いおいて、ある資料を言いつけてお帰りになつたそうであります。何のために來たのかわからぬから水曜日には君ここへ來てくれないかというお頼みがありました。その当時まだ私は何ら商工経済会には関係しておりませんでしたけれども、何かお役に立つことがあればその方面に出て御奉公したいという氣持から、私その次の水曜日の二時にまいりましようと引受けてきました。それがちようど九月の十九日であつたと思います。たしか水曜日には間違いありません。そこにいくとバラード大佐はきちんと來ておられまして、食糧問題を担当しておられましたワイズナーという部下、横浜の八軍の出張所の隊長のメージヤー・ゴーサー、現在では貿易業者として來ておりますメージヤー・ベーヤーもまいりました。通訳にリユーテナン・トクラインというのと、リユーテナン・ローズというのを伴れてまいりました。それから向うで話を伺つてまいりますと、住むところもない状態で早く皆のために何かしなければいけない、どうしたらよいのだろうというふうな話であります。それから今釘がなくて困つておる、それなら釘の工場はどこにあるのか、どうしたら釘の生産を促進させることができるかというお話であつた。それでは釘の工場について一つ調査をこの次の水曜までにまとめて差上げましよう。材木の問題はどうなつておる、あれはどうなつておるという非常な質問です。その質問全体が一般日本の民衆のために早く何とかして打開しなければいかぬという熱に溢れておる質問であります。私は非常に感激いたしまして、こういうことならば毎週來てお手傳いをいたしましようというので、バラード大佐はその翌年の五月ごろに帰られたのでありますが、それまで毎週水曜日には行つてつておりました。その仕事内容はどういうのかと言いますと、各方面の業界の人たちに來てもらつて、私の工場は軍需工場つたために今まで休んでおります。しかし始めればこういう仕事ができますということを願い出ます。そうして向うで調査してよければ許してくれる。たとえば三菱の丸子の工場のごときはこれを自動車の修理工場に直したい、そうするとアメリカ軍の方から調べてみて差支えないというので修理工場に直す。そういうふうにした平和産業に轉換したところが何百とあると思います。私は無報酬でやつたのでありますが、あとで挨拶に來る工場はあまりありません。バラード大佐との関係はそういう経緯から非常に親しくなりました。それで先生は私に話をすると早く物がわかる、それからまた私を通していろいろな方面の方にお話をすると非常に物事が進む。私も毎日のようにバラード大佐に呼ばれました、その呼ばれましたのは兵器廠の仕事などは初めのことです。それなら当時農林次官をしておりました河合良成君が主催して食糧問題についてやつたことがあります。石炭問題では今の商工次官の岡松君が石炭廳におられてやつたことがあります。それから川口君でしたかが石炭課長をしておられました。それらの課長ぐらいの人のお供をして行つて手傳いをしたのであります。それが暮になりますと石炭が非常に出が惡くなつた運送ができない。これを何とか運送して銑材を出さなければならない。バラード大佐方々工場主を集めて工場から應援隊を出してもらいたいということを言いました。そういうように会合に出てお手傳いもしました。バラード大佐とはそれだけしか関係はございません。
  93. 梶川靜雄

    ○梶川委員 内務大臣とお会いになつたのは十月の半ばごろ会われただけでありますか。それ以後たびたび会つておられますか。
  94. 小松隆

    小松証人 言葉が足りなくて内務大臣とお会になつたかもしれませんが、内務大臣が來るから出てこいという言傳てがあつて出ていきました。ところがおいでになつたのは昨日ここにおいでになつた青木さんでありました。
  95. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それでは総括契約を結ばれる以前に、すでに委員会が成立して仕事を細々ながら始められたのでありますが、その間における拂下げ等については内務省の指示によつてやられたのでありますが。または向うの指示によつてやられたのでありますか。
  96. 小松隆

    小松証人 商工省の鉱山局の鉱政課に兵器処理班ができまして、代表者が必ず委員会の会合に出ていらつしやいまして、今の契約成立当時はその方々の御指導によつてつてまいつたのであります。それで細々ながら、あるいは相当仕事もしましたが、私どもはその場合には交渉などにはいることもできないのであります。アメリカ人の方から許可がなければこれだけのものを出すこともできなければ行くこともできない。それで今度はその地方の縣廳なり、終戰連絡事務局の仲介でそれをもらいに行きまして人を入れて、しかも非常にはつきりと人数をきめられて、働く人間をそういう中に入れてもらつたのであります。常に地方廳やあるいは連絡事務局を通して軍からいただくわけであります。直接いただくようなことはありません。
  97. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それは総括契約以前においてそういうふうな状態であり、その後においてもそういうふうな同じようなかつこえになつてつたわけでありますか。契約を二十一年の五月か、六月に結ばれた以前にをけるところの入手状況の手続の方法を聽いておるわけなんです。
  98. 小松隆

    小松証人 私の記憶している範囲におきましてはその通りだと思います。前からも同じ手続をやつてきたと思います。
  99. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それでは先ほども鍛冶さんがちよつとふれられましたが、益金は政府の方に返すというふうになつてつたのですが、その査定はあなたの方で勝手に計算されて、会計檢査院の檢査だけ受けるというふうになつてつたわけですか。
  100. 小松隆

    小松証人 すべての会計が要求いたしました書類計算について十分にチエツクしていただく方法をとりまして、コストとなつて出てまいるわけであります。勝手にきめるということは、いい加減にきめると思われるいけませんが、そうでなく簿記会計法を十分に守つて計算したのであります。
  101. 梶川靜雄

    ○梶川委員 その会計法に基いて計算されるのはいいですが、計算の基礎を何に求められたかということをお尋ねしたいのです。
  102. 小松隆

    小松証人 大体一トンのものを処理するにどれくらいかかるという研究をいたしまして、たとえば今の賃金状態とか、たとえば一トンの処理をするのに四百円かかるか、五百円かかるかという標準を委員会で研究いたしまして、それによつて各社にやらせるのであります。各社ともその地方々々によつて非常に事情が違いますので、必ずしもその通りにはいかなかつた。ある場合には安くいく場合もあるし、高くつく場合もあつたのであります。それからその緊急度によりましても違つた場合があります、大体標準をきめて指示してまいりましたところが、賃金の上りと、いろいろ費用の上ることが非常にはげしかつたので、そういうことによりまして、始終にらみ合わせなければならぬ。委員会は初めのうちはほとんど毎日、しばらく終つてから一日おきにやり、私の覚えておる範囲におきましては一週間にほんとう委員会を少くとも二回やる。あと專門委員会、経理の委員会、つまり実際の仕事に当つておる連中が始終一緒になつて、協議をして、そういう計算の基礎といたしておりました。
  103. 梶川靜雄

    ○梶川委員 その点はつきりのみ込めませんが、まあそれはそれといたしまして、あなたの先ほどの話では相当割高につくので、引合わぬような話をしておられたのであります。あなたがおやめになるまでに、益金を政府の方へどれくらい返還されたですか。
  104. 小松隆

    小松証人 割高にいくということは、これは今後の費用のことで、今までかかつた費用でなしに、今後スクラツプを工場にもつていくのに運賃が非常に高くなつたために高く費用がかかるわけで、それを処理する費用じやないのです。但しスクラツプを平爐にもつてまいりますのは、いろいろな大きさに切らなければならぬ、大きなものをもつてつても平爐にはいりません。平爐サイズというようなスクラツプをつくつてあげなければならない。何でももつてつていいというわけにいかない。処理仕分をしなければならぬ。そういう費用が今後かかるかもしれないと存じております。先ほど赤字が出るかもしれないと言つたのは、そういう今後の費用のためで、今の費用ではございません。
  105. 加藤勘十

    加藤委員長 政府の方にあなたがやめられる当時に納められたことがあるかどうか……。
  106. 小松隆

    小松証人 封鎖になつておる金が三千万円くらいだつたと思いますが、それは政府にお納めしたことになつております。それからあとまだお委めすることができないのは、あと仕事がたくさん出てまいりますので、それに対する金融の必要のために、政府には封鎖預金をお納めしただけで、あとはお納めしてないと思います。
  107. 梶川靜雄

    ○梶川委員 一体それではこれから問題は別として、現在までのところ、この軍器処理に当つていくらぐらいもうかつたのですか。納めたのは三千万円であつても、もうかつたのはいくらですか。
  108. 小松隆

    小松証人 これは一体スクラツプがいくらで賣れるかということによつてきめられるのでございますが、私考えますのに、一番いい標準は一体いくらのものがいくらのスクラツプでいくならば、いくらの金を使つたのか、それはいくらについておるのかということが一番いい考え方じやないかと思いますが、まるの数字で申しましても、たとえば五十万トンあつて、それに対する費用が三億五、六千万円といたしますると、一トン六百円から六百五十円ぐらいについておると思います。それでこれは普通の商賣の時代であればいくらになるということを申し上げられるかもしれませんが、今値段公定できめられております。それで賣るよりしかたがない。
  109. 梶川靜雄

    ○梶川委員 それでは現在まだ賣つてないのが約百万トン近くのうち半分くらいあるという話でもありますし、決済が今すんでおらぬということになつてくるわけでありますが、一体いつごろになつたら決済をやられるつもりですか。
  110. 小松隆

    小松証人 私はこういうふうに兵器処理の決済について考えており、また進んでまいつたのでありますが、それは去年公團ができまして、兵器処理仕事は公團に引継いでいただくことが一番いい方法ではないか。日本鉄鋼産業が復興してこなければ、こういうものは要らないわけであります。でありますから、ここに五十万トンの屑鉄を必要とするのは、鉄鋼業者がその仕事を開始しなければ整理がつくものではないのであります。これには公團に引受けてもらうことが一番いいという考えから、そういうふうに私は御提案をして、今その方面に向つて進んでおるのではないかと思います。
  111. 荊木一久

    ○荊木委員 一、二点伺いたい。この委員会を構成しておる五社の本件に関する経理ですが、所有権は委員会できめ、あるいは政府がこれを管理し、あるいは特別委員会で決定した場合に、拂下げを受けるものの所有権が五社に移るということはありますか。
  112. 小松隆

    小松証人 法律でどういうことになるものか、私わかりません。
  113. 荊木一久

    ○荊木委員 それでは伺いますが、割当てられた、あるいは引受けたものをいかような処分をするか、あるいはいかなる價格で賣るかということは先ほど拜聽しましたが、帳簿整理はどうなつておりますか。全然別個の帳簿を、たとえば日本鋼管は全然別途の整理をしておりますか。
  114. 小松隆

    小松証人 全然別勘定でやつております。
  115. 荊木一久

    ○荊木委員 そうしますとそれに対する損益計算は出ないということになるか、あるいは出るということになりますか。
  116. 小松隆

    小松証人 日本鋼管あるいは日本政府、あるいはその他の会社の損益計算は、全然わけてございますから関係はございません。
  117. 荊木一久

    ○荊木委員 本件に関しては損益が出ないということになりましようか。あるいは出ることが想像できましようか。
  118. 小松隆

    小松証人 私は今まで出る計算を立てておりました。それで過去におきまして出た報告には、何千万円とか何億という利益が現われてきております。ただ問題は、今後ある物を処理していくのには、今後かかる費用が非常にむつかしい問題になつてまいります。と申しますのはたびたび申し上げるように、運賃が四倍も五倍も上げられておるが、屑鉄値段はほとんど上げられていないという状態であります。
  119. 荊木一久

    ○荊木委員 そういたしますと、会計の経理だけは全然別個であるけれども、結局取得して日本鋼管なら日本鋼管が引受けて、利益があれば日本鋼管の利益、損失があれば日本鋼管の損失になるということですか。
  120. 小松隆

    小松証人 日本鋼管の経理とは全然離れておりまして、損失があつても利益があつて日本鋼管関係がない。日本鋼管の損得にははいつておりません。
  121. 足立梅市

    ○足立委員 一、二お伺いしたいのですが、五社の方で処分を実際に引受けられて、処分なさる。それについては全然監督機関がなかつたわけでございますか。もう一つ附加えて言いますと、私は日本の実業人はそれほど道徳感が高いとは思われませんので、何らの監督なくして、五社の人が勝手に物を持ち出して処理する。スクラツプをもつていかれるというような場合におきまして、各会社へ勝手に自分のものを運んでいくというようなことはあり勝ちだと思うのです。殊に戰爭中などは、物資の取合いだつた。そういう監督も何もなしに、五社が勝手にやつて自分会社へ必要なものを運んでくるとか何とかいうようなことは当然起り得るように思うのですが、そういうことについては全然監督機関はなかつたのでございますか。
  122. 小松隆

    小松証人 巡査もついておりませんし、何らそういう方法は私どもとしてつけることはできません。しかし相当責任観念をもつておる幹部の人たちが指導に当つておりまして、私は日本の実業界にそう道徳観念がないとは認めるわけにはまいりません。私自身が実業界から出た人間でありまするが、全部を投出してこの仕事に当つておりました。それで自分の力の及ぶ限りは正しくもつていきたいというのでかかつておりました。しかしどうも人間のことでございますから、どれだけそれが実行できるかどうか……。
  123. 足立梅市

    ○足立委員 はなはだ失礼な質問かもしれませんが、あなたの関係なすつた日本鋼管に関しましては、こういう材料を勝手に運んできたというようなことは全然ございませんか。
  124. 小松隆

    小松証人 私兵器処理関係につきましては日本鋼管の方とは離れてやつておりました。日本鋼管の人間であつたから兵器処理委員会委員長になつたのではなく、全然違う意味で、むりやりにもつてこられて兵器処理仕事に当つたのであります。私は日本鋼管が勝手にこの兵器処理のものをもつてきて横領したということはないと考えるのであります。
  125. 足立梅市

    ○足立委員 他の五社もやはりそういう方法で勝手にものをもつてきて自分会社あるいは自分の縁故へ利益を得たというような状況はお聽きにはなりませんか。
  126. 小松隆

    小松証人 私はそういうことを聽いておりません。しかしそういうことはについては人間の知り得る以上のこと知り得ないと存じますが、私はそういうことはなかつたものとして今まで努力してまいつたのであります。
  127. 足立梅市

    ○足立委員 私たちの個人の考えからいたしますと、そうしてこういう厖大なものを処理するにあたつて、今までは実業人に勝手氣ままにさすというようなことはちよつと常識では受取れない処置なのでございますが、それであなたは國民の満足のいくような処理ができたかどうか、その点どういうふうに思つておられるのでございますか。
  128. 小松隆

    小松証人 私はこの非常に困難であつた際に、これだけ進駐軍にも満足を與えながらやつてきたということは、私自身はおほめをいただきたいくらに考えております。
  129. 足立梅市

    ○足立委員 ちよつと私の意見を述べさせてもらいますと、日本の経済道徳及び社会の破壞は、遠くは日本の帝國主義支配が戰爭を始めたということにあるのでございますが、最も近い原因といたしましては、終戰後の兵器処理が完全にいかなかつたこと、これが日本の経済及び道徳並びに社会の紊乱の根源をなすものであると考えておるのでありまして、この兵器処理があなたのおつしやるような形においてやられたとはどうしても思われないのであります。
  130. 小松隆

    小松証人 私は先ほどからしばしば申しますように、誠心誠意、正しく進めようとしてかかつたのであります。しかし大勢の人が関係しておる仕事でございますから、自分でやつておるようにはいかないのでありまするが、私は今お話のあつたように、この兵器処理やり方日本の今日の紊乱を來したということは断じて考えられないのでございます。
  131. 加藤勘十

    加藤委員長 ちよつと証人にこの際御注意申し上げますが、質問があつた場合には、質問の範囲で、なるべく事実をお述べくださるように、意見を交えないでお答え願いたいと思います。
  132. 田中角榮

    田中(角)委員 簡單に二、三お尋ね申し上げます。昭和二十年十月三十一日に兵器処理委員会が発足したのでありますが、これは日本政府の方がこの委員会の発足に対してさきに発令をされましたか。バラード大佐の御指示によりましてあなたの方がさきに御発令になつたか、その点をお答え願いたいと思います。
  133. 小松隆

    小松証人 私は菅波総務局長から言われるまでは何もいたしませんでした。
  134. 田中角榮

    田中(角)委員 兵器処理委員会が発足しまして委員長に御就任になりましたのは、官の御指名でありますか、それとも別な方法をとられたのでありますか、御答弁願います。
  135. 小松隆

    小松証人 いろいろなそれまでのお話の結果だと思いますが、菅波総務局長から私に委員長になつてくれということを言われました。しかしこれは非公式なことだと思いますのは、委員会も成立していないのに委員長になれということでありますから、どういうふうに考えたらよろしゆうございましようか。委員会はそういうつもりで下相談ができて、委員会方々も私を委員長にするつもりでおられたのではないか、こういうように思います。
  136. 田中角榮

    田中(角)委員 二十年十月三十一日に発足いたしましたものが、日本の官廳との契約、すなわち内務省調査部長であつたところの青木秀夫氏との正式の契約は二十一年五月十六日であります。この場合、先ほどから伺いますとリストがなかつたという御答弁がございますが、私はリストがあつたと思います。もう一回お考えになりまして、はつきりと御証言いただきたいと思います。と同時に、なぜそういうことを御証言願うかといいますと、非常に重大な問題でありまして、二十一年五月十六日に契約したところの兵器処理委員会が、非常にこれは間違われたのでありますが、放出物資とし終戰当時のどさくさのときに放出された物資と、もう一つは進駐軍日本政府からリストを提供して、しかもそれは非常にこまかいリストでありますが、このリストを提供して、返還物資として日本政府に返還をされたもの、こういう二つのものがあるのでありますが、先ほどからの御証言を聽いておりますと、リストのない放出物資のみをこの兵器処理委員会でやつておられたというような状況がみられるのでありますが、もちろん私たちの考えでは、返還物資処理にあたられた、こういうふうに考えておつたのであります。返還物資であるならば、当然リストがあるはずであります。しかも現在までリストというものを私は見たことがありませんと言われておるのでありますが、それが事実であり、しかも委員長としてリストを全然根底としないで委員会を運営されたのであれば、この兵器処理委員会は返還物資を対象として運営されたものではなく、放出物資として終戰のどさくにでたところの、いわゆるリストのない物資処理にあたられたということになるのでありますが、この二十一年五月十六日内務省調査部長と結ばれた契約の当時、リストがなかつたかあつたか。しかも返還物資を対象としておつたか、放出物資を対象としておつたかということを御答弁願いたいと思います。
  137. 小松隆

    小松証人 放出物資委員会の取扱うところでは全然なかつたのであります。返還物資であります。その返還物資のリストがそのときにあつたかどうかということでありますが、どこにそういうものがあつたか私は伺いたいと思うくらいであります。しかし決してどさくさまぎれに出たものを委員会で取扱つたものでなく、委員会処理しろと言われたものだけを処理してまいつたのであります。ただそのリストがなかつたということを申し上げたのであります。
  138. 田中角榮

    田中(角)委員 これは御証言を要求したのでありますからそれで結構でありますが、返還物資を対象とした委員会であつたならば、二十一年五月十六日にはすでに日本政府から占領軍当局にリストが出ておつたはずであります。しかもそれは日本にかくのごとき物資を返還するから、これを迅速にある機関をつくつて配給をするように、しかもその配給をする面に対しましては、この部門は無償でやつてよろしい、この部門は有償でやれというような内示まであつたことを私は聞いておるのでありますし、内務省からの点に対しましては占領軍当局にも、こういうものは民生安定のために無償で交付してもらいたいというようになつておるのでありまして、この兵器処理委員会がリストを全然もたずして発足をし、しかも運営をしてきたということになりますと、そこに当社日本政府の代行機関として、外郭團体としてやられた本委員会の運営に対して、根本的に間違いがあつたのではないか。しかしこの委員会発足と、その後における運営途次において、リストに基かずして運営をされたということになりますと、これは内務省責任か、委員会責任かという重大な問題になるのでありまして、その問題に対しましてその後の運営に対する計画や、資金の関係、事業の目論見書というようなものを作成なさる面においても、リストは全然なかつた、こう御証言になるのでありますか。
  139. 小松隆

    小松証人 さようでございまして、リストはなかつた。それでありますから計画を立てるのに非常に困難でありました。それで方々をまわつて調査をして、ようやく大体この程度のものはあるだろうということを確かめたのであります。
  140. 辻寛一

    ○辻委員 簡單に一、二お尋ねをいたします。きのうも青木さんにお尋ねをいたしたのでありますが、どうも腑に落ちなかつたのは、この兵器処理委員会と、それから直接この解体兵器の拂下げを受ける代行機関の五社との関係はどうなつておりますか。私どもはどうもこの五社を中心にしてでき上つている兵器処理委員会と、それから拂下げを受ける代行機関としての五社、これが何だか一人二役をおやりになつているような感じがする。たとえばあなたは日本鋼管をおやめになりまして兵器処理委員会委員長におなりになつて、名前は違つておりますけれども、その内容は五社の方々が、一方において委員会において計画、統制をするとともに、他方において五社の代行機関に拂下げる。何だかお手盛りでおやりになつたような感じがするのでありますが、そういうような関係と解釈してよろしいのでありますか。
  141. 小松隆

    小松証人 私考えますのは、これは兵器処理委員会が受けまして、それを部分的に地区的に各会社に全責任をもつて下請させたということに解釈していただいたらいかがかと思います。
  142. 辻寛一

    ○辻委員 そう承つておきまして、それではこの解体済みの資材の配分を決定する特別委員会、これは需要者からできているといいますが、それには、きのう承りますと、各官廳方面から出て構成されておつたという話でありますが、この特別委員会のメンバーに五社もはいつておりましようか。
  143. 小松隆

    小松証人 五社もはいつておりました。
  144. 辻寛一

    ○辻委員 そうすると、これは需要者という立場においてはいつてつたのでございますか。そうしますれば、その五社の方にもこの解体済みの資材は拂下げになつておりましようか。
  145. 小松隆

    小松証人 需要者という立場でなしに、兵器処理委員会委員として、特別委員会にもはいつておるのであります。それから五社にも拂下げた物があるかと思います。それは特別委員会の議を経て拂い下げております。
  146. 辻寛一

    ○辻委員 そうしますと、五社に拂下げを受けますのは、もちろん五社には限りませんけれども、やはり公定價格であります。そうすると五社において解体をいたしました解体費用より以下の公定價格も相当ある場合においてはあつたように思いますが、その辺はいかがでありましようか。つまり公定價格を上まわつた解体費用というものが相当つただろうと思いまして。
  147. 小松隆

    小松証人 公定價格を上まわつた解体費用はあつたかないか私存じませんが、おそらく各社相当費用以上な値段つたろうと思います。
  148. 辻寛一

    ○辻委員 費用以上と申しますと、その價格を査定いたします場合に、ただ單に公定價格のみならず、ある程度解体費用ども——五社の委員員出ておられるわけですから解体費用もわかつているわけだと思いますから、解体費用もある程度そこに含めて價格をおきめになつておられるのか。あるいはマル公一点張りでおきめになつておるのか、その点もさらにはつきり承つておきたいと思います。
  149. 小松隆

    小松証人 私はマル公できめたものと思つておるのでありますが、こまかい一つ一つの項目につきましてどういうふうにきめたいかということは、今ちよつと一つの方則として申し上げかねるのでありますが、費用と考慮してきめるというふうなことはなかつたと私は確信しております。しかしその決定にあたりましては商工省の監督に当る方々が十分に研究されて値段をきめられたのでありますから、五社といえども勝手な、自分に都合のいいような買い方はできなかつたはずでございます。そういうことについての数字的な御報告は帯器処理委員会の方から出してもらうことができる。こう考えております。
  150. 辻寛一

    ○辻委員 そういたしますと、五社に拂下げられましたところの解休済み資材の量とかその金額、並びに五社のいずれかにおける解体費用、そういうものについても資料をいただくことができましようか。
  151. 小松隆

    小松証人 私はできると思つております。ただ自分が数字を全部取扱つておりませんから、今こういうものは必ずできるとは申し上げられませんが、御希望のような調査はできると考えております。
  152. 辻寛一

    ○辻委員 今お聽きの通りでありますので、至急にその資料をいただきたいと思います。解体済みの資材で五社べ拂下げられましたトン数、数量、品目、それと拂下げの金額でございます。それからこれははつきりわかりますまいが、その資材解体されたものと五社における解体費用がどうなつておるか。この対照表をひとつ資料としてお求めをいただきたいと存じます。以上で打切ります。
  153. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 一点をお伺いしますが、兵器を取壞しというか取外して、それをスクラツプとみるか素材とみるかという認定は委員会でやるというふうにおつしやつたのか、その点はつきりしておりませんから承りたいのであります。
  154. 小松隆

    小松証人 素材かスクラツプかは問題ないのであります、鉄の棒はそのまま必す使えるものでありますが、スクラツプはどうしても溶かさなければものにならぬ、あるいは伸鉄の材料として伸ばさなければものにならぬのでありますが、素材はそのまま使えることが明らかにわかるのであります。ただ問題は、このものを何かほかの品物に活用できないかという点であります。なるべくスクラツプにせずに、轉換することができれば特に有利だということから考えられることでありますから、それを轉換してくれる相手がなければどうにもしようがないのであります。それでたとえば戰切のようなものは壞さずにこれをブリトーザーに直すと有利に使えるということがわかつたが、活用してくれるところがあればよろしいけれども、なければやはり切つてスクラツプにするほかしかたがないことになります。それはやはり扱い者の判断に任すよりいかだかないと私は思つております。一々このくずはどうなるかというふうなことを專門家を呼んで聽くわけにもいかないし、やはりその取扱つておる人間がそれを善意をもつてきめるよりしかたがないと考えております。
  155. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 説明を承れば至極ごもつとものように聞えますが、これはなかなかむつかしいことで、実際スクラツプにするよりしかたのないのものと、スクラツプでいくべきか素材として生かしていくべきか判定の相当むつかしいもるがありましないか。殊に私ども隠退藏物資調査行つて知る得ることは、方々で鉄管とか鉄板が正当スクラツプとして取扱われて拂い下げられておるものがある。スクラツプとして拂下げを受けた者は、マル公でトン千百円で買つた。これを現在素材として産業復興公團で買い上げるとすれば、トン七千円か八千円、あるいは一万円もするものがある。結果からみてここにいわゆる不当財産取引の問題が起つてくるのではないか。これが一番いかがわしいものではないかと思う。兵器処理委員会仕事としてこれはなかなか任定がむつかしいので、あなたが委員長としてその点についてどういうふうに御復意になつたか。私ども実際の場面に現われた事実をつかまえてあなたにお伺いするわけであります。
  156. 小松隆

    小松証人 どういう事実が場面に現われてきたか私存じませんが、特別委員会なり、その後商工省なりがきめて、これをこういうところを賣るときには、大体用途も使う人も選考した上できめておるのであります。たとえば、あるスクラツプを拂い下げるとしても、これはこういう品物である。これを買いたいという人はこういう目的のために買いたいのだ、ということを調査した上できめておるのであります。それを今度その買の人が目的以外のものに使つてしまつた場合に、それを追究できるかできないか、ちよつと私は今判断ができないのでありますが、この人間がこういうものを欲しい、これはこういうふうに使うのだと申し出たことに対して委員会がきめております。
  157. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはそうかもしれませんが、鹿兒島方面に行きますと、今は重い物を運ぶのに運送関係もありましようから、相当大きな会社では、とにかく引取れるということで引取つておるところがあるように思いますが、これは事実やむを得ないことと思います。しかし今申しました通り、引取つてはおるが、われわれが調査に行くと、こういうものを引取つてある。見せてくれと言つて見ると、これは復興公團の方へおとりくださつても差支えない、私どもの方ではあまり要るわけではないが、とつておけというようなわけでとつた、というようなものが出てきますから、実際上そういうものを買うと、査察官の認定によれば七、八千円から一万円に買い取るということになるのであります。そうすると一千円か、一千百円で買つて七、八千円か一万円で賣れることになれば、これは一体どういうものであろうか。私たちはこれを思わざるを得ない。これ以上のれにに腕押しみたいなことを言つてもしかたがありません。大体そういうことで委員会のお働きがいかように國会に反映していつていくか、すべての問題がどういうふうになつてくるかということを御了承願いたいのであります。
  158. 加藤勘十

    加藤委員長 それでは証人小松隆君に対する質問は大体終了したようであります。証人御苦労さまでした。どうぞお引取りください。——ここで皆様にお諮りいたしたいことは、昨日兵器処理拂下に関して内務省の当時の調査部長であつた青木君と、本日兵器処理委員会の元委員長であつた小松君と、二人の証言を求めたのであります。これによつてあるものは明確になり、あるものは明確にならない点が多々あつたのであります。ついては委員会構成のメンバーであり、同時に現場作業に当つた組合員の五つの会社代表者を本委員会証人として出頭してもらつて証言を求めるか、あるいはこのままの事態でただちに事実調査にはいるか、この点皆様の御意見はいかがでしようか、もし御意見があれば述べていただきたいと思います。
  159. 徳田球一

    ○徳田委員 私は五社の人々は喚ぶ必要はないと思います。喚んでみたところで、結局はやはりなまず問答でありまして、今までのお二人の証人証言と異なるものを得ることはできないと思います。そこでやはりこれは報告を得て現場と照し合わせて調べない限り、この眞実をつかむことはできないと思う。至急を要しますので、小委員会を設けまして、小委員会の総員で直接現場をあたつて、根本的な点を事実に基いて握る方が早途であろうと思うのであります。まごまごしておりますと。結局またあぶはちとらずになりますから、至急にそういうふうに手続にしてもらいたいと思う。
  160. 加藤勘十

    加藤委員長 ただいま徳田君から御意見が出ましたが、ほかの方いかがですか。——速記を止めてください。     〔速記中止〕
  161. 加藤勘十

    加藤委員長 それではいろいろ御意見もありましたが、なお二名の証人証言をもつてしては不十分と思われますがゆえに、兵器委員会構成の作業実態である五社の代表者証人として喚問することに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  162. 加藤勘十

    加藤委員長 五社について、日鉄の三鬼隆君、日本鋼管の瀬戸彌三次、古河電氣の西村啓造君、神戸製鋼の杉本正幸君、扶桑金属の金山俊二君。この五名を証人として出頭してもらうことにします。それでは月曜日に委員会を開きまして、この中でまず東京に本社のある三社の代表を喚ぶことにします。次の火曜日に神戸、大阪の代表者を喚ぶことにします。この二日間をこれに費します。
  163. 田中角榮

    田中(角)委員 その問題につきまして、当時の商工省管波総務局長も同時に喚問されんことを望みます。先ほどの証人証言の中にあります青木秀夫よりもこの人の方がよけい兵器処理委員会と交渉があるようであります。兵器処理委員会は六箇月後には商工省に移つた。問題は商工省にあるのです。実際調べてみるとそうだろうと思います。商工省の管波さんを喚んでおくことは非常にいいことだと思います。
  164. 加藤勘十

    加藤委員長 今の田中委員の御提言の商工省の当時の管波総務局長を証人として呼ぶことに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  165. 加藤勘十

    加藤委員長 それではそのように決定いたします。  ちよつとお諮りいたします。先般第一回の委員会に取上げられましたタンク貨車の調査の件につきまして、実は本來ならばそれぞれこのタンクを使用しておる会社責任者を証人として出頭させるのでありますけれども、事柄はきわめて簡單でありますから、委員長の名でこれらの会社に対して、タンク使用について料金をどのようにして拂つておるのか、拂つていないのか、またタンクの所有権がどころにあると思つておるのか、こういうような事柄について問合せの書面を発することを御承認願いたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  166. 加藤勘十

    加藤委員長 それではその通り計らいます。  昨日鍛冶君から発議によりまして、上杉君に関する隠退藏物資をめぐる金銭受授の事件につきまして証言を求めるために、上杉達夫君、上原蕃君、石川浩志君並びに清水純君の四名の出頭を求めました。四名ともここに出席出頭されております。証言を求めまする前に各証人に一言申し上げておきます。昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言に関する法律により、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師、歯科医師、藥剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者、またはこれらの職にあつた者が、その職務上知つた事実であつて默秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。そして証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人に宣誓を求めます。順次お手もとにあります宣誓書を朗読の上、署名捺印を願います。上杉達夫君。     〔証人上杉達夫君宣誓〕
  167. 加藤勘十

    加藤委員長 清水純君。     〔証人清水純君宣誓〕
  168. 加藤勘十

    加藤委員長 上原蕃君。     〔証人上原蕃君宣誓〕
  169. 加藤勘十

    加藤委員長 石川浩志君。     〔証人石川浩志君宣誓〕
  170. 加藤勘十

    加藤委員長 これより上杉達夫君に関する隠退藏物資をめぐる金銭授受の事件につきまして証言を求めることにいたします。ついては最初石川君にお尋ねいたしますので、他の三名の方はちよつと退席しておつていただきます。     〔証人三名退席〕
  171. 加藤勘十

    加藤委員長 それでは石川君に対する証言を求めていただきます。鍛冶良作君。
  172. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それでは主として上杉達夫君に渡しておるのでありましようが、合計十六万円を隠退藏物資摘発処理に関する関係で渡されたその事件について、最初からこれに至りました経緯をできるだけ簡明に述べていただきたいと思います。
  173. 石川浩志

    ○石川証人 では簡單に経緯を申し上げます。詳細な日時等は日記によらなければ覚えておりませんから概略申し上げます。  一昨年の秋頃から政府の方の新聞の発表によりまして、これはやらなくてはならないことだと思つて、その調査をやつて來ましたが、私は調べられるだけやりましたけれども、それに対してどういう手続をとつてどういうふうにお願いしたらいいかということはよくわからなかつたし、その当時は疎開して東北の方におつたものですから、それがのびのびになつてつたんです。そして友人を介して上杉達夫氏を知つたわけです。その前にリストを製作しまして、加藤委員長のお手もとまで届けるように上杉君利道で委員会にまいりまして、加藤シヅエ女史にそれを手交いたしました。そのとき私は依頼されておつた友人の名前にするようにということを上杉氏が私に言いましたが、私はその友人については現地の情報を一緒に提供してくれた多数の者について、名前は通つておらないので、私は名てを出すというのもまた惡いのかと当時はよく知らないので、そう思つたものですから、それでは両方の名前をやめて、紹介してくれた最も権力があると思つておりました上杉達夫氏の名前にした方がよろしいと思いまして、提出直前に加藤シヅエ女史の面前で、その名前を上杉達夫氏に直して、第一回のリストを提出いたしました、その後において、いろいろ金銭の問題になつてまいりますが、交通費や何かでいろいろかかると言われたものですから、それも交渉を終えればどうせ回收できる問題であるし、かつ自分も今まで製塩工場や、その他自費によつてかけてきたのだからと思いまして、一万円だけ渡しました。それは上杉氏に渡したのです。それから檢査並びに摘発に行くのに、その方々の旅費やその他に費用が要るので、それは私の方で負担してもよろしいけれども、一々えらい人に小遣いをやるのはおかしいから、先へそれを上げておいた方が至当であるというので、なるほどそれはごもつともであると私は思つたものですから、上杉氏にそれを差上げていただくように、十五万円渡しました。  それからその前において、名義を取替えたという件については、後日上杉氏の名義になつたのであるから、いろいろ交渉その他について、情報を提供してくれた者に対する責任が私は果されないということをまず考えたものですから、それについての一札をほしいということを請求しました。そのときに上杉氏は秘書官の公印を押した間違いないものをやるからというので、私の名前を冒頭に書いた書類をもらつたわけです。そうしてその後何回も上杉氏に対して、十分旅費を渡したのですから、出発することと同時に、それを摘発してくださることを督促してきたのですけれども、それがなかなか進行しないで一箇月も経ち、それからその間の言葉に、いろいろ疑点をもつてまいつたので、前に差上げておいた金の返還を要求したのです。ですけれども、そのときはすでに一番初めどこへそれを上げたかと聽いたときには、加藤委員長の所にそれを渡したと言つたわけです。それから半月ぐらい経つてと思いますが、また聽いたときはそれを忘れてしまつたのかどうか、違う方面のことを、ごちやちやつておりましたが、よく覚えておりません。その方にやつたとか、上杉氏が言つたわけです。それでその言葉の食違いや、その他を考えて、これはいけないということを初めて感づいたようなわけです。  そうしてその後人を傷つけるということは惡いことであるし、私も一度は頼つてお願いしたことがあるのであるから、それがなるべく表面化しいなように、いろいろの方面において上杉氏が返すと言つておるので、その返すことをあてにして、ずつて今日まできたわけです。大体の概要はそれで盡きるわけです。その中にいろいろ詳細の出來事や何かはありますが、それは追究によつて、個々に申し上げていきます。
  174. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それではあまり簡單ですが、一つずつ聽きましよう。  最初上杉氏を紹介したのはどういう人であつて、どういう意味で上杉氏をあなたに紹介したか。
  175. 石川浩志

    ○石川証人 最初上杉氏を紹介したのは、銀座の伊神ビルというところの岩田貿易の社員で、角田という私の友人が紹介してくれました。
  176. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 どう言つて紹介しましたか。
  177. 石川浩志

    ○石川証人 片山さんの私施祕書を上杉さんであると言つて紹介してくれました。隠退藏物資を摘発するについて、この人はいろいろの方面へ、そういう手続をするのに最も明るいからというので、紹介お受けたわけです。
  178. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこで、上杉氏と会つたのは——私のところで聞いたのは昭和二十二年九月二十九日と言つておりますが、その日であつたかどうか。それからどこで会つて上杉氏が何とあなたに言つたか。
  179. 石川浩志

    ○石川証人 最初会つた日にちは、今鍛冶委員の申された日にちに間違いありません。  それから会つたときの話は、早くリストを作成して委員会に提出するようにということを言いました。それで私は報奬金を何衆ぐらいもらえるのか質問しましたら、五分もらえるという回答がありました。それだけです。
  180. 加藤勘十

    加藤委員長 場所は……。
  181. 石川浩志

    ○石川証人 場所は阿佐谷の駅前の福屋という旅館です。この前私が上京したとき泊つてつたところで、そこへ上杉氏が訪ねて來たのです。
  182. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そのときに名刺をもつて來ただろうと思うが、ここにある祕書上杉達夫、総理大臣片山邸という名刺は、そのときもつて來た名刺ですか。
  183. 加藤勘十

    加藤委員長 それを一遍見せてください。
  184. 石川浩志

    ○石川証人 そうです。自筆でもつて、裏に自分の住所並びに連絡の近くの呼出電話の番号を書いてくれました。これに磯いありません。
  185. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その次には、あなたが私に話されたのは、十月六日だと思つておりますが、十月六日に私に言われたのは、引受書、つまり隠退藏物資を摘発するという引受書並びにそれに何か割当引受書というものをあなたによこして、さらにあなたを隠退藏物資摘発委員に推薦してやるとかいうことを言うたということでありますが、そういう事実はありましたか。
  186. 石川浩志

    ○石川証人 その通りです。
  187. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その引受書というのはこれじやないかと思いますが。
  188. 石川浩志

    ○石川証人 それに違いありません。
  189. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そのほかに何か割当引受書とかいうものをよこしたのですか、よこしたとすればどういう意味のものであつたか。別になかつたか。
  190. 石川浩志

    ○石川証人 それはありました。私はもつております。
  191. 加藤勘十

    加藤委員長 出してください。
  192. 石川浩志

    ○石川証人 その割当というのは自分でかりにそこに書いたものでありまして、そういうものは今までに存在しないということは明瞭なことでありますが、意味は結局公共團体の間違いのないところならば、品物処理委員会においてまわすことができるといつたような意味だつたと記憶しております。しかしそれは不確実ですから、よく後日書類を見た上で確実な回答を申し上げます。
  193. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこで一万円渡したのは十月九日と聞いておるが、間違いありませんか。
  194. 石川浩志

    ○石川証人 その日にちはよく記憶しておりませんが、その手記にそういうふうに書いてあれば、それに間違いありません。
  195. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 次いで十五万円渡したのは十月十三日と書いておりまするが、それを渡したのは片山邸へ行つて、片山総理大臣の私邸で渡したということになつておるのが、その点どう言つてあなたを私邸へ連れて行つたか、どうして金をとつたか、それをはつきりしていただきたい。
  196. 石川浩志

    ○石川証人 その日にちようど社会党の摘発関係の代議士の集合が片山さんの私邸であるということを、上杉氏が私に言いました。そのときに旅費をやらなければならないというので、自動車で玄関の前まで私は金を新聞包にしまして、同乗して行きました。それから車の中でその金を渡しました。彼は車の中で、自分のもつて來たふろしき包に包みかえて、確かに片山さんの私邸の玄関へはいつて行きました。私はそこへ行つてはまずいというので、車に乗つたまま車を返したわけです。
  197. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 この引受証は、これはつつてあなたの所へもつて來たのだろうと思うが、どこでどうしてつくつたかは知りませんが、どこであなたは受取られたか。
  198. 石川浩志

    ○石川証人 つくつてつて來たものです。どうしてつくつたかということは私は知りません。
  199. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これはもらつたときにあなたはどう考えましたか。これは確かに総理大臣に関係のあるりつぱな書類だと思つたか。それともいかさまものだと思つたか。どうですか。
  200. 石川浩志

    ○石川証人 私はそれをもらうわけは、前に述べた通りのことです。ですからそれは公文書であろうと、私文書であろうと、どつちであつても、前の意味においては関係ないものです。しかし私はその書類をもらつたときは、あくまでそれは間違いないものだと思いました。
  201. 徳田球一

    ○徳田委員 ここは政治的の関係の方を主にしませんと、どうもあまりまこか過ぎるように思います。今日は時間がかりますから、ひとつ鍛冶君に政治的なところでお願います。
  202. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 次いであなたはずいぶん前から思うようにいかないで、金を請求に行かれたようですが、何か首相官邸へも行つて、清水祕書官その他と会つたということですが、そういう事実があつたか。またどういう話がありましたか。
  203. 石川浩志

    ○石川証人 首相官邸へは三、四回行つたと記憶しております。そうしてそのうちの一回は清水祕書官とも、上杉氏の介添のもとに会つております。そのときした話は、やはり隠退藏物資の、私の場合の処理と申しますか、何と申しますか、言葉はわかりませんが、それを遂行していただく上に、なかなか議会の方も忙しくて思うようにいかないというごあいさつが、清水祕書官からありました。その通りです。
  204. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 さらにあなたがやかましく言つたら、小切手をよこしたそうですが、その小切手二枚がその小切手だと思いますが、これはどういうふうになつておりますか。どうしてよこして、その結果はどうなりましたか。     〔証人文書を渡す〕
  205. 石川浩志

    ○石川証人 小切手は上杉氏からよこしまして、これに違いありません。これは土曜日に渡されまして、月曜にとりにいくように言われたと記憶しております。それで月曜にいきまして、横浜の興信銀行の野毛支店で支店長に会いまして、いろいろ聽いたけれども、その当座も何もなくて、結局これはいい加減なもので不渡りだつたのです。
  206. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 さらにこの引受書に載つておる上原蕃という人とは、あなたはお会いになつたのですか。またどうしてこれに載つたか、その点を伺いたい。
  207. 石川浩志

    ○石川証人 ただいまのことは、それまで上原さんに、それが怪しいものであるということがわかる前は、会つたことはありません。それからどうしてそこへ載つたかということは、上杉氏の話によると、大体リストは七通、内地関係であつて、それを英訳して二通は渉外関係の方へ出すので、上原さんはその方を專門にやつておられるから。両方の名前が要るのだということを聞きました。
  208. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その後上原氏に会われたろうと思うが、それから何かこういう電報のやりとりなどをしておるが、その関係。上原氏と会つた話並びにその電報をよこしたいきさつを伺いたい。     〔証人に文書を渡す〕
  209. 石川浩志

    ○石川証人 この電報を確かに上原さんから私に打つてくれたもので、いよいよそれが怪しくなつてきたので、私は官邸へ行つて上原さんに面会したわけです。そうしていろいろ聽きましたが、そのことは全然関知しないことで、單に名前を使われただけで非常に心外である。どうしても糾明しなければいけないということを申されました。それから何か上杉氏の査問会のようなものをやるので來いといつた電報だつと記憶します。
  210. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうじやない。何か延期するとか書いてあります。
  211. 石川浩志

    ○石川証人 これは日にちをさらにまた延期するとかいうことを、あとから電報で打つてきたのですが、私はそのころ小岩の家におらないで旅行しておつたもんですから、詳細はそれにも出もしませんと、わからないのです。
  212. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 大体それでよろしゆうございますが、なおその点についてあなたはこの金を取戻そうと思つてほかにやられた手段、その他に話した人等があるならば、その点を聽かしてもらうとよろしいと思います。
  213. 石川浩志

    ○石川証人 その金を取戻そうとして、上杉氏に催促をし、彼がいろいろの方法でこれを返済するということは、二、三ありましたが、それを聞いて私は先ほど冒頭に申し上げましたように、なるべくきずはつけたくないので、それをできるだけ信じたい氣持があつたので、待つてつたのです。そのほかの人にこれを依頼したことは、別にほかにはないと思います。それで彼の返済する方法というのも、大体私の断定でそれがみんな言い抜けだということがわかつたものですから、私はそれを鍛冶先生のところにもつて行きました。
  214. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私の前にどこかへ行つて、だれかの話で、片山法律事務所へ行つたというのじやないですか。その関係はどうですか。
  215. 石川浩志

    ○石川証人 それは上原さんが片山法律事務所の弁護士の方で名前は忘れましたが、その方に自分もその名誉を毀損されたような状態だからこれに対する申開きをしなければならぬというので、人にやはり依頼したらいいだろうということがあつたので、私は旅行に出る前にその方にその話をしたのですが、それは同じ社会党の関係で顏も知合いだからそれをとりにくいし、また正式には言いにくい、しかし上杉氏を査問会みたいなことをやるから、その席上で自分が好意的に彼に勧告しておこう、こういう話だつたのです。
  216. 田中角榮

    田中(角)委員 簡單に御証言願いたいのですが、上原蕃さんとは不審を抱く前に本事件に関して御会見になつたことがあるかないかということを一つ。二つ目には電報が上原さんの名前で二回打たれておりますが、今の心境といたしましては、上杉さんが上原さんの名前をかたつてつたものであると思つておられるか、または上原さんが自身ぶ打たれたものであると思つておられるか、この問題に対して御回答を願います。
  217. 石川浩志

    ○石川証人 第一の件については、疑点をもつ前に会つたことはありません。  第二の件については上原さん本人が打つたものと思います。
  218. 中野四郎

    ○中野(四)委員 清水祕書官があなたにお会いになつたときの様子は、先ほど陳述のように、これの関係があるというようにお認めになつているのですか。ちよつと一言願いたい。
  219. 石川浩志

    ○石川証人 先ほど申し上げた通り、私の出したリストの件についてなかなか進行しないので、それに対する議会やその他の方面の釈明されたのです。
  220. 中野四郎

    ○中野(四)委員 私のお尋ねしたいのは清水純君が直接これに関係があるのじやないかというふうにあなたは考えておられるのですか。
  221. 石川浩志

    ○石川証人 私は客観的な事実だけを申し上げたので、それによつて御判断を願いたい。私は立ち入つてどうこうと言うと、私は当事者ですからそれに対する正当を失する場合があるかもわからない、そのために客観的なことだけを申し上げます。
  222. 中野四郎

    ○中野(四)委員 私の聽いておるのはその客観的な問題でなくて主観的な問題です。あなたは当事者だから明確におつしやつた方がいい。差障りがあるから、言えないというのでは証言にはならない。だからあなたは関係しておると思つておるかどうかということをお答え願いたい。
  223. 石川浩志

    ○石川証人 おるというのは金銭の点ですか、方法の点ですか。
  224. 中野四郎

    ○中野(四)委員 両方です。
  225. 石川浩志

    ○石川証人 方法の点については清水さんがそう申されたのであるから、関係しておると思います。
  226. 辻寛一

    ○辻委員 先ほどの清水祕書官に会われました時に、何と言うか、お墨付、これに祕書官の判を押してあるというようなお話をされませんでしたか。これの問題について触れられませんでしたか。
  227. 石川浩志

    ○石川証人 その問題については触れませんでした。しかしこういうことがあります。上杉氏はその問題については触れてくれるないというこがありました。
  228. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 ちよつとお尋ねいたしますが、あなたは上杉氏に十五万円渡された。その金はあなたのものですか。またそういう方法隠退藏物資があるということで、いわゆる情報をあなたの方に集めた人々が金を集めて、あなたに出したのか、あなた個人から出したのですか。
  229. 石川浩志

    ○石川証人 もちろん私は個人で出しました。
  230. 加藤勘十

    加藤委員長 鍛冶委員に申し上げます。一問一答でも結構ですが、なるべくまとまるところはまとめて、議事進行をはかるようにお取計らい願いたいと思います。
  231. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あなたは石川浩志なる者に対して隠退藏物資の摘発を引受けてやるというので、十六万円の金を受取り、それを返済すると言つて十六万五千円の小切手を渡して、それが不渡りどころでない。銀行に契約もなかつたという事実を述べておるのでありますが、それらに関して初めから関係されたこと、並びにそこに至つた概略をできるだけ簡明にお話願います。
  232. 上杉達夫

    上杉証人 たいへんにごめいわくをかけまして申訳ありません。石川君の件に関しまして簡單にお話を申し上げたいと思います。昨年三月ごろだつたと思いますが、蒲田区、ただいまの大田区の社会党の党員の者から岩手縣の人で隠退藏物資を摘発したいからというので、非常に努力している人があるが、なかなかそれができがたいので困つておる。何とか世話をしてやつて適当な筋にその書類を出してやつてくれないかという依頼があつた。四月選挙を控えてあちらこちらとんで歩いておつたのでその仕事も忘れてしまつて、そのままになつてつた。ところが五月中旬ごろだつたと思いますか、その話のあつた人から西銀座五丁目の岩田貿易というのへ來てくれないかという話がありました。どういう用件かと聽いたところが、岩田貿易の支配人が会いたいと言うからぜひ会つてつてほしいという話であつたので、晝食時に岩田貿易を訪問しました。そこに角田という人がおりまして、その人が隠退藏物資の件で自分の友人が非常に努力をしておるから、何とか処置をとつてつてくれないかという話がありました。それで自分はそのルートがどういうふうな形になつておるかわかりませんので、経済安定に行きまして隱退藏物資関係の河鍋事務官に若田君と一緒に会いました。その時分には石川君はまだ名前も出ておりませんし、私も知りませんでした、岩田君がもつてきたリストを河鍋事務官に渡して帰つた。ところが六月ごろになりまして、石川君という人が上京してきたから、ぜひ会いたいという話だつたのです。それでどこにいるかと言いましたところ、幡ケ谷の旅館に泊つておるから、その旅客でぜひ会つてほしい。さもなければ自分の方から連絡をするというので、岩田貿易から電話をかけまして、石川君に連絡をとつたわけであります。石川君の泊つておりました福屋という旅館に行きまして、会つたのです。そうしてそのときに罫紙に書きました隱退藏物資のリストだというものを見せられたのです。しかしそれは場所も明記してありませんし、それからただ数量が書いてあるだけで、どういうふうな経路でその隱退藏物資がどうなつているか見当がつかなかつた。もう少しはつきり書いてもらいたいというので、それを七通書いてもらいました。そうして議会の方へまいりまして届けることになつたのであります。そこで議会を訪問しましたが、当時の隱退藏物資の摘発関係委員長でおられました加藤勘十先生が不在なるときが多かつた、あるいは本会議にでもお出になられておつたのか、かなり無駄足をいたしまして、遂に自分の手からお渡しすることができなかつたので、社会党の議員の方にお届けを願いたいと言つて加藤勘十先生のところまでその書類をお届けしたのです。その間において隱退藏物資の摘発をする書類を議会に届けてもらうについて、非常に何回も何回も議会へ行かなければならぬ。私は鶴見に住まつておりましたので、東京へ出てきましても配給品が十分にありませんので、外でやみで食べなければならな四から費用がかかります。石川君に費用がかかつて困ると言うと、それではその費用を何とかしようというので、石川君も旅館に泊つておるので、旅館の支拂にも困るからして、おれが金の都合をするから、二十万円ばかりそこへ行つて借りるようにしようという話があつたのであります。それで福屋という石川君の旅館に私が待つておる間に、石川君が自分の部下の渡辺というのを使つてどこか知合いのところへ行つたらしいのです。そうして電話で何回か交渉しましたが、金の都合がつくことになつたから一緒に來てくれないかというので、西巣鴨の駅のそばの石黒という家に行つて、そこで私は一五万円の金を受取つたのであります。当時私は七十五歳の父親があり、終戰ちよつと前に爆彈で背中の骨を打たれまして病床に伏しておつた。しかも肺炎を引き起した。医者に見せるとペニシリンを打たなければいけない。餘病が併発して困るというので、何とかして一日でも父を早く回復させてやりたい。こういう氣持があつた。しかも金銭上自由にならない。たまたま石川君からそういう話があり、しかも十五万円という金が來たので、それを医療費に充てて、父親をずつと医者にかけておつたのであります。そうしてもう二、三日しか命がないと言われたのが、九月末日まで父は存命しておつたのです。そういう状態でありまして、八千円近くの金がかかつておる。他に方法がなかつた。何とか石川さんの方へは金銭でお返しすればよい。自分の方の関係会社の持株を整理すれば何とかなるということで、私がやつたのでありまして、自分としてもまことに申訳がない。非常に慚愧にたえないと思つております。以上が石川さんに関係しました状態であります。
  233. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 お父さんはいつ亡くなられたのですか。
  234. 上杉達夫

    上杉証人 九月の二十四日に亡くなりました。
  235. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこであなたは石川を初めと訪ねられたときにこの名刺をもつていかれたそうですが、これには祕書上杉達夫総理大臣片山邸となつておりますが、あなたは片山総理大臣の祕書であつたことは間違いないのでありますか。この名刺はそれに間違いないかどうか聽きたいと思います。
  236. 上杉達夫

    上杉証人 この名刺は私がもつておりました名刺には相違ありません。しかし片山総理大臣とは何の関係もない。その点は私が勝手に拵えまして勝手にやつた仕事でありまして、非常に御迷惑をかけたことを申訳ないと思つております。
  237. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 さらに隱退藏物資を必ず摘発してお前の目的を達してやるという意味でこの書類を石川に渡し、なおこのほかにもう一つ物資の引渡証というものを出されたそうだが、これに違いなかろうか。またもう一つのものはどういう意味で出されたものであるか。それからついでですが、その判その他はどこで押されてどうしてつくられたのか、その点も述べていただきたい。
  238. 上杉達夫

    上杉証人 もう一通の書類と申されるのはどういう書類であつたか、はつきり記憶しておりませんが、この書類を書きましたときには東京都の京橋区の先ほど話した石黒という人の事務所で、石川君が岩手縣、山形縣の摘発区資を押えるために、つまりよそへ散らさないためにその人たちが大分費用がかかつて困るので、石川さんが岩手縣、山形縣に行つて、何か書類を書いてくれれば、それで自分の同士を抑えつけるから何とか書類を書いてくれというお話があつた。さもなければ金を返せ、こういうような話でありまして、自分として即座に金を返す見透しがつきません、当時父が非常に惡かつた。その話のありましたときには非常に父が重態に陷つてきようかあすかという状態つたのです。それで待つてもらいたい、両三日経つてから何とか話をつけるからというので延ばしておつたのです。遂にのつぴきならなくなりまして、自分でこの判を注文してつくりました。そうして惡いこととは存じましたけれども、何とか一應けりをつけたという状態でありまる。これは自分責任であり、申訳ないことをしたというような考えから箱根まで行きました、そうして死ぬつもりで覚悟したのであります。重々自分のやりましたことは惡かつた、申訳なかつたということを十分に考えております。
  239. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私の聽きたいのはその上に書いてある角判、それから下の名前の判ですが、それはすべてあなたがつくられたのですか、それともどこかにあつたものを流用されたのですか。
  240. 上杉達夫

    上杉証人 自分がつくつたのです。
  241. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 全部でるか、三つともですか。
  242. 上杉達夫

    上杉証人 はいそうです。この判は全然、総理の官邸などにいきましても玄関しかはいれませんので、判のあるようなところには行つておりません。從つてこういう役所のものをもつてきて使うというような立場におかれてなかつたのです。そういう事情ですからどうぞ御了承願いたいと思います。
  243. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 どうもたいへんえらいことをおつしやるが、あなたは本人だから今はそれだけのことでこれ以上追究してもしようがないが、あなたはあまりにもうそを言うということだけを指摘しておきます。あなたは父の治療に使つたと言われるが、あなたが金を十一万円受けとつたのは十月九日で、十五万円受けとつたのは十月十三日ですよ。あなたはさつきお父さんの死んだのは九月二十三日だと言われた。それがおやじの治療にあたるわけはありません。どこからそういうことが出てくるのか。それはもう聽かなくてもいいです。それからもう一つ私申しますことは、あなたは総理大臣官邸に行つて玄関しかはいれないとおつしやるが、あなたは総理大臣官邸へ石川を連れていつて、清水祕書官に会つておられるが、その点は……。
  244. 上杉達夫

    上杉証人 お言葉を返して恐れ入りますが、清水祕書官とお会いいたしますにも、また上原祕書官にもお目にかかつたこともありますが、上原祕書官にお会いいたしますにも、玄関のところに電話があつて、そこでお目にかかりたいと電話で連絡していただいて下の應接間に降りてきていただきまして。そういう状態でお目にかかるのですから、役所の判のあるところまで出入を許されておらなかつたのです。
  245. 中野四郎

    ○中野(四)委員 上杉君は私は御存じだろうと思うから率直に申し上げる。今の鍛冶君の御質問と関連しておる重大な問題です。あなたは清水君と玄関でしか会えない身分だとおつしやるが、これは大事な問題です。この委員会は刑事問題を調べるのでなく、政治的な問題を調べるのです。あなたと清水君の御関係は私が一番よく知つておる。これはあなたはよくお覚えだろうと思う。いわんやあなたが片山君の玄関先しかはいれぬなどということは、あなたと私との間においてはおそらく言われない仲だろうと思う。おそらくあなたは片山君の相当奧まで御相談になられる過程にあると思う。なぜかなれば、あなたはこの前選挙の際にお目にかかつたときに、愛知縣碧海郡六ツ美村の農業会の二階で、片山君と私とは非常に密接な関係で、清水君のごとき若輩ではなかなか思うようにいかぬので、片山君直接の命令で私は清水君の選挙の一切についていろいろ骨を折つてきておるということは私もお聽きしたのです。二、三の代議士諸君も聽かれたわけであります。相当深い仲だろうと思われますが、あなたが先ほど引用された玄関しかはいれないということはあなたの御証言のままにしておきましよう。しかしながらなぜ片山さんの家を利用したかという点が明確になつておりません。それからここにおられる委員長加藤勘十君のところへあなたは隠退藏物資の摘発の書類をもつていかれて、どういうふうな結果になつたか、加藤君からお聽きになつたことがあるのですか。どうですか。この二つの点です。
  246. 上杉達夫

    上杉証人 今の中野先生のお話の片山総理の自宅を利用したという点ですが、それは別に利用したわけではないのです。片山総理の自宅なり、官邸なりを舞台にして私は金銭の受授をしたのではないのでありまして、徹頭徹尾私は片山総理と関係がないということを申し上げておきます。それからもう一つ、選挙中に中野先生にお目にかかりまして、片山総理云々というお話がございました。これは選挙の應援にまいります際に、だれもそうですが、代議士選挙の應援に行きます場合に、自分が應援弁士として立つておりまして、その代議士に一回も会つたことがない、候補者の顏も見たことがない、しかし應援に來たというのではだれも信用する人がないので、私は片山氏に対して相当信用があるようなことを言つて應援しました。以上の通りであります。
  247. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 ちよつと大事なことですから——十五先円の金の受授は、あなたは石川を、これから片山邸でこの関係の代議士たちの寄合いがあるから、それに献金せねばならぬと言つて片山邸へ連れて行つて、片山邸の玄関でとつたと石川君は言つておるが、あなたは巣鴨でとつたと言う。それはどうですか。
  248. 上杉達夫

    上杉証人 石川君がおりますから、石川君に聽いていただければわかりますが、総理の玄関で受取つた覚えもありませんし、総理の家を利用したこともありません。それは私の申し上げます通りでありまして、そういう事件は全然違います。
  249. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 どこでとつたのですか。
  250. 上杉達夫

    上杉証人 巣鴨です。
  251. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そのことを石川証人にもう一遍お確めを願います。
  252. 加藤勘十

    加藤委員長 石川君、こちらに來て下さい。
  253. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あなたが先ほど言うたことは間違いありませんか。今上杉君の言葉とどうですか。
  254. 石川浩志

    ○石川証人 先ほど私が申し上げたことは間違いありません。そうして車に乘つてあなた(上杉証人に向つて)と行つて、そのときに代議士の会合は片山さんの私邸である、今日あるのだというので、石川乘つて、あなたと確かに行つたのです。そうして官舍を警備しておる警官なんかがたくさんおつて、あなたが挨拶してずつとはいつて行かれた。その金をもつて私と二人で乘つて玄関の前でふろしきに包んで、中にはいつた。車に乘つてつたということはないと言うのですか。
  255. 上杉達夫

    上杉証人 そうじやありません。今石川氏が言われましたのは、先ほど鍛冶先生のおつしやつた、要するに金銭の授受はどこでしたかというお話ですが、私が石川君と自動車に乘つてつたか行かないか、私は聞かれませんので、金銭の授受をしたのは西巣鴨であるということを申し上げました。そこで西巣鴨で授受しまして、石川君と石黒という家から出て、自動車で送り出して出るときに、石川君がどこまで乘るのだというから、私は谷中までのパスをもつておるから谷中から乘ると言うと、それじや一緒に行くからと言つてつて來たのであります。そうして私は谷中の総理の私邸の前で降りまして、金銭の授受は今申し上げた通り西巣鴨でしたのであります。石川君と一緒に行つたということは私は否定しておるのではないのであります、
  256. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 大体いいですが、石川君、間違いないですか、あなたの先ほど言つたことは……
  257. 石川浩志

    ○石川証人 はい、そうです。
  258. 辻寛一

    ○辻委員 その金銭はどういう名目でお受取りになりましたか、あなたは先ほど片山総理大臣とは何の縁故もない、祕書でもないと言われましたが、名刺を実際あなたはお使いになつたというが、この事件のために特にその名刺を御用意になつたのか、縁故でも祕書でも何でもないが、その名前の名刺を以前からお使いになつてつたものであるか、それから判はいよいよ金を返すというのつびきならぬようになつて、窮余の策として判を注文して自分でおしたのか、判も日数がかかりますし、官職の判をむやみにつくるというのもどうかしておると思いますが、その判屋は一体どこでありますか、それも伺いたい。
  259. 上杉達夫

    上杉証人 名刺の件にお答え申し上げます。これはよくある例でございますが、郡部とか田舍の方にましりまして、選挙の應援などをいたします際に、無位無官で行きましても、人がほうんとに相手にしてくれない。そういう技巧からやつた仕事でありましてもつてつたということであります。從つて組閣以來あの名刺を私は使つておりました。但しその名刺を使つてつたということは、良心的に惡いということはよく知つておりました。知つておりましたが、しかしやはり、ただ上杉達夫の名前だけ書いた名刺をもつて行きますより、祕書という名刺をもつてつた方が待遇がよいので……。これは偽らざることであります。それだけ。それから判をあつらえたということは、石川氏からいろいろと言われまして、窮余の策をしてつくつたに間違いありません。
  260. 加藤勘十

    加藤委員長 場所は。
  261. 上杉達夫

    上杉証人 横浜の……
  262. 加藤勘十

    加藤委員長 何という……。
  263. 上杉達夫

    上杉証人 それは私があつらえたのではなくして、私の関係会社の者にあつらえさせたのであります。
  264. 加藤勘十

    加藤委員長 この点は重要ですから、関係会社でも何でもよい。何という人に頼んだのですか。
  265. 上杉達夫

    上杉証人 サクライースト研究所というのが、櫻木町四丁目百十一番地、船越八郎というところに置いてあります。そこの船越八郎という人に頼んでつくつたのであります。料金は私が拂つたのであります。
  266. 加藤勘十

    加藤委員長 もう一つ、金を受取つた名目、どういう名目でその金を受取つたかというお尋ねです。
  267. 上杉達夫

    上杉証人 その名目は、はつきり記憶しておりませんが、隠退藏物資を摘発してもらうという費用として受取つたように私記憶しております。それから、もしかすると岩手縣あるいは山形縣まで行かねばならないから、そういうときの旅費というような意味で受取つた
  268. 辻寛一

    ○辻委員 ただ一点だけ。そうしますと片山さんが総理大臣になられて以來、ずつとお使いになつてつたというのですが、総理大臣並びにその周辺の方、たとえば清水祕書官とか、そうした方々は、その名刺をあなたがおもちになつてつたことを、陰ながらでも御存じになつてつたか。あるいはそれ以上の方々でも、その名刺によつてあなたが片山さんの秘書であるというふうに思いこまされておつた方が、ある程度あつたように思いまするが、その辺はいかがでありますか。なお、その費用の点ですね。費用の点が、ただあいまいなことで片棒もたされるとは、とても思われぬ。これは相当はつきり名目をお言いになつたと私は思いますが、お忘れになるようなことはなかろうと思う。お忘れになればいたしかたがないが、たとえば摘発するについて、どういう方面にどういう費用が要るから。その方面へ差上げるというようなこともお言いになつた覚えはございませんか。
  269. 上杉達夫

    上杉証人 何かそういうようなことを言うたようにも記憶しております。しかし私ははつきり申し上げますというと、自分の言いましたことを記録してとつてないというような関係で、はつきりこの通り言いましたと、判を押したように申し上げかねると思うのです。確かにそういうふうなことを申し上げたように思います。
  270. 辻寛一

    ○辻委員 名刺の件……。
  271. 上杉達夫

    上杉証人 名刺の件、それは大体たくさん刷つたのではありませんので、百枚しか刷つていない。百枚しか刷つてないものを、最後に箱根へ行きましたときに、四十何枚焼いたのであります。從つて六十何枚しかもつておりません。從つて清水秘書官とか、周辺の方が、そういうものを使用しておつたことを知つたならば、おそらく相当の注意もあり、おしかりもあつたと思いますが、おそらくそれは御存じなかつた。私も見せなかつたのであります。
  272. 辻寛一

    ○辻委員 そうすると他の方面におきましてもその名刺がばれたことは一回もありませんでしたか。
  273. 上杉達夫

    上杉証人 使つておりませんでした。
  274. 辻寛一

    ○辻委員 四十何枚も使つて、その間においては一遍もばれておりませんでしたか。
  275. 上杉達夫

    上杉証人 ばれておらぬかと言われても、別に犯罪に使つておりません。
  276. 辻寛一

    ○辻委員 そういう意味じやないのです。あなたが、名刺には総理大臣の秘書とあるが、秘書でなかつたということが、名刺を受取つた人、あるいはそれに関係した人の間において現われておりはしなかつたか。総理の秘書という名刺が今日までずつと使われてきたかということです。
  277. 上杉達夫

    上杉証人 今日までは使つておりません。その事件以來やめてしまいましたから、今日その名刺はありません。
  278. 田中角榮

    田中(角)委員 簡單にお答えを願いたい。私も簡單に政治関係があるかないかということに対して御証言を得たいと思います。昨年九月本件が発生しましてから現在まで、あなたの職業並びに地位において、首相官邸というものと関係があつたかないかを御証言願います。
  279. 上杉達夫

    上杉証人 ありませんでした。
  280. 田中角榮

    田中(角)委員 十六万円の金の使途のうち、政治面に献金をされたり使つたりされたことがあるかないか、それを伺います。
  281. 上杉達夫

    上杉証人 ありませんでした。
  282. 田中角榮

    田中(角)委員 この官印を押してあると認められる、あなたが石川氏に交付されたところの書類には、首相官邸というゴム印が押してあります。このゴム印はあなたが首相官邸と全然御関係がないと言いますけれども日本に非常に多く官廳がありますが、官廳で首相官邸とその下に氏名の書いてあるゴム印は、首相官邸のみに使われておるゴム印であります。これは各官廳では首相官邸というものの下にすぐ名前をつくつたというゴム印はありません。私はその意味におきまして、上原蕃というこのゴム印と上杉達夫さんのゴム印は、現に首相官邸にあるゴム印だと思うのでありますが、官印と同じものを、偽造さるる場合おつくりになつたのであるか。首相官邸にあるものをお使いになつたのであるか。しかもこの用紙はどういうふうにしてお求めになつたか。用紙は官廳で使う辞令用紙です。この点お答え願います。
  283. 上杉達夫

    上杉証人 まず紙の点からお答え申し上げます。紙は京橋の電車の交叉点から日本橋の方へ向きまして、右へはいつていきますと、右側の紙屋に、こんなに束になつてつております。それを五十枚ほど買つて、現在も私もつております。それから印は首相官邸でそういう印を使つておるか使つておらないかは私は知りません。しかし首相官邸とこしらえて、そして下の名前を別につくつたものでありまして、二つ別になつた印であります。これはこしらえてくれた印屋及び注文した人が知つておるはずであります。
  284. 田中角榮

    田中(角)委員 もう一つ。十六万円の使途です。政治的に関係があつたか、なかつたか。
  285. 上杉達夫

    上杉証人 それは全然関係がありません。
  286. 田中角榮

    田中(角)委員 もう一つ。上原蕃さんの名前で衆議院から電報を打たれておりまするが、これはあなたがお打ちになつたのでありまするか、上原さんがお打ちになつたのであるか。しかも何通ぐらいお打ちになつたかということをお尋ねいたします。
  287. 上杉達夫

    上杉証人 初耳であります。衆議院から電報を一体どこへ打つたのでございましようか。
  288. 田中角榮

    田中(角)委員 それはあなたが御証言になればよろしいのです。
  289. 上杉達夫

    上杉証人 承知いたしません。
  290. 池谷信一

    ○池谷委員 清水純氏に、証人はこの事件についてどんなふうに話しておいたのか。また石川氏が清水に会つて、その場合に証人もいたようであるが、何と言うて清水氏を連れて來たのであるか、その点お聽きしたいと思います。
  291. 上杉達夫

    上杉証人 それは面会のときですか。
  292. 池谷信一

    ○池谷委員 そのときにどんなことを話しておつたのか、そのときに三人の方々が会つたときに、何と言つて清水氏をひつぱり出して、清水氏に話したのであるか。
  293. 上杉達夫

    上杉証人 その前に、(姓)石川(名)「にんべんに臣」という人がおつて、その人から、隠退藏物資という話があつたが、一應会つて聽いてやつてくださいと電話が來た。それで清水秘書官に会つたが、そのときに隠退藏物資の件はなかなかめんどうなので石川君に聽けばわかるが、これは委員会でなかなか忙しいからすぐには話がつかないが、とにかく議会の方へ出すというならどこへもつてつたらよいかと清水秘書官に言つたら、武藤運十郎先生か、あるいはさもなければ加藤勘十先生のところにもつてつたらよい、しかしこれが摘発せらるるかどうかは私にはわからない、明言できないから、君が行つて頼んだらよかろうという話でありました。
  294. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 上杉証人証言がすんだのであとに差障りがありますからちよつと出てもらつたください。
  295. 加藤勘十

    加藤委員長 退席してください。
  296. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 上原証人に伺いますが、上杉達夫なるものはこういう書類を出してそこにおる(姓)石川(名)「にんべんに臣」という人の十六万円をとつているのでありますが、これに対してあなたはどの程度関係しておられたか。さらにこの書類に対して知つておらるるか。またどこでできたものであるか、その点をお聽きしたいと思います。
  297. 上原蕃

    ○上原証人 昨年の十一月八日だと存じまするが、私が院内の秘書官室におりましたときに、同志クラブの代議士の方が私に人を通じて來られてこれをちよつと見せられたのであります。そのとき初めてこれを見たのであります。ちらつと見て、手にとつてよく見なかつたのであります。日が惡いのですが、めがねをかけるひまもなかつたのでありまして、私の名前があつたということだけははつきり覚えております。それで隠退藏物資ということがございまして、これはたいへんだと思つた。全然自分関係がないのである。とほうもないことであるということを私は申し述べたのでございますが、それでわかつたといつてただちにこれをもつて帰られました。そこで私はあとで考えまして、ぜひこの写しをもらいたいと思いまして、その代議士に翌日お目にかかろうと思いました。ところが用事があつて旅行に翌朝早々出られました。お目にかかることができません。それで秘書の事務補助員と申しますか、その人に会つてお聽きましたところが、この書類はすでに石川という人の方に返したということだつたのであります。そこで代議士が帰えられたらぜひお目にかかりたい、この書類をもう一遍見せていただきたい、そうして書類の写しをとつて自分はよく檢討したい、こう申しました。十一月の十三日、その代議士は帰られたのであります。私は民主党の部屋でや目にかかりました。この写しをぜひほしいからとつてもらいたいとお願いしたのでありますが、その後少しも返事がない。この書類は最初十一月八日に見てそのままになつておりましたところが、十一月の十五日にこの石川君が総理官邸に訪ねて來られて、そのときにこの話をされましたが、そのときには現物がなかつた。私はこれを一回ちらつと見たにすぎませんでした。
  298. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこに押してあるあなたの名前は、判ですが、その判はあるのですか。
  299. 上原蕃

    ○上原証人 全然ございません。
  300. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その上に書いてある角判、総理大臣祕書官の印という角判、その名前の上に総理大臣官邸とあるが、そういう判はどこかにありますか。
  301. 上原蕃

    ○上原証人 見たこともございませんし、全然ございません。
  302. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 祕書官の印を……。
  303. 上原蕃

    ○上原証人 ございません。
  304. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 存在しないのですか。
  305. 上原蕃

    ○上原証人 ございません。
  306. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その紙は……。
  307. 上原蕃

    ○上原証人 こういう紙は私の知つておる範囲ではないと思います。
  308. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それではその後石川君とあなたとの話合いの点をかいつまんで話してもらいたい。この電報はどういう意味で打たれたのか。
  309. 上原蕃

    ○上原証人 私は全然覚えがございません——そこで第一の御質問にお答えいたします。十一月十五日に石田君が官邸に來られまして私に面接を求めました。これより先に、さいぜんお話したようにあの書類を見てぜひ写しをとりたい、同時に石川ということは私の頭にございません。本件の眞相をぜひ聽きたい、こう思いまして面会することにいたしました。午後の五時から六時ごろまで約一時間にわたつて石川君からいろいろ本件の経緯を聽きました。私はただ聽くだけで何ら申すところはない。石川君より自分は重大なる被害をこうむつた、こういうお話であつた自分はさらに精神的に、また社会的に、より以上の損害をこうむつた男であるという話をしたわけでございます。そのときの石川君の話を申し上げるのでございますか。
  310. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 いや、大体でいいのです。——その後どこかで石川君と会う約束をしたのではないのですか。
  311. 上原蕃

    ○上原証人 いや一遍会つたきりで、その後何らの交渉はないのでございます。  十五日に石川君が來まして、私もこの眞相をぜひ明らかにして、上杉君に対しまして必要なる処置をとりたいという考えをもつて、事の眞相を私の知合いの弁護士に一任した。石川君もその際に自分も断乎たる処置をとりたいというような話で、それならば自分はこういう人に頼むから、君も同じ件だから頼んだらよかろう、なんなら紹介をしようというので紹介をしたことはあるのでございます。その後その弁護士からのいろいろ話によりますと、石川君が來た、そうしていろいろな話を聽いたというようなことで、本件の処理は私の弁護士に一任して現在に至つておるわけであります。
  312. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 ちよつとその点で、石川君のさつき述べられたところと違つたところがあるのだが、それは上原さんとどこかで会うという約束をしたのではないですか。
  313. 石川浩志

    ○石川証人 それは今上原さんが申されたように、片山事務所の弁護士の方にそれを自分も頼んだ、それから同時にあなたも頼んだらいいだろうというので紹介されたことはその通りです。そのときに上原さんが申されたことは、門司代議士、鶴見の潮田におられる代議士が社会党におられますから、その人が上杉さんの身柄を引受けておるらしい。そうしてその人が上杉さんをどうしても片山事務所へひつぱつてきて、そこで査問会みたいなことをやる、これは先ほど私が申した通りです。そのときに、そのことも片山事務所の弁護士から聽いてもらうといつたような件でそのとき知らせるからというので、それでこの電報は打つてくれたものと私は好意をもつて解釈していたわけです。
  314. 上原蕃

    ○上原証人 記憶を呼び起しました。ただいま石川証人が述べられましたことく、本件は徹底的に調べたい、それからぜひ処理してもらいたいというので、片山法律事務所の弁護士に頼みました。そのときに上杉の所在を明らかにして、上杉へ事務所に呼んで、われわれ面前で上杉を糾彈したい。その際には君も一緒に立会つたらどうとかいうことを言いました。そこでその立会う時日がきまつた場合には、自分が電報を打とうというので打つた電報でございます。上杉不在、会合を延期す。
  315. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それからその前……。
  316. 上原蕃

    ○上原証人 それから二十一日午後三時新橋片山事務所お出で請う。二十一日午後三時ごろ片山事務所へ上杉の身柄を連れてくるということは、これは門司代議士、あの方にお願いしてありましたから、門司代議士からそういうお話があつたのであります。的確なものではなかつたのでございます。しかし門司代議士はそう言われた。そこでさつそく手紙では間に合いませんから、こういう電報を打つた、ところが上杉がおらぬということがわかつたので、会合ができない。從いまして第二の電報を石川君に打つた、こういうわけであります。
  317. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 もう一点、上杉達夫なる者と片山総理大臣との関係は、どういう関係にありましたか。
  318. 上原蕃

    ○上原証人 私はよく存じません。社会党員でございますが、その関係で片山総理の事務所に出入しておりました。その関係で彼がちよちよこ來たのでございますが、そこで彼が自己紹介をしました。自分はこういうものだと言うて紹介されたので、初めて知つたようなわけでございまして、別に深い関係があるとは私は存じておらぬのでございます。
  319. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 どう言つて紹介しましたか。
  320. 上原蕃

    ○上原証人 名刺を出しまして、私実は鶴見の社会党支部の党員でございます。よろしくどうぞお願いします。こういうようなあいさつでございました。
  321. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そのときはいつごろか。それからその次に片山総理の祕書だと言つて歩いたそうですが……。
  322. 上原蕃

    ○上原証人 そういうことは聞きません。名刺にそういうことを印刷いたしまして、片山総理の祕書とは言つておらなかつたと思いますが、何か私邸の祕書とか何とかちよつと普通でない文字を使つてつたことは聞いております、現にその名前を見たことはないが、そういう文字を使つておるということは聞いておりました。殊に最初自己紹介をしたときに出した名刺にはそれは書いてございません。それは昨年の四月の選挙の前と思います。
  323. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そんな片山総理の祕書でない者が祕書という名刺を使つたということをあなた方聞いたとすれば、よほど重大なことです。それに対して何も処置しなかつたですか。
  324. 上原蕃

    ○上原証人 そこで本人には私自身は警告いたしませんが、その立場におる人から警告をして、そういうことはするなという注意を與えておつたのであります。
  325. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 官邸へもしばしば出はいりし、殊に片山私邸へもしばしば無案内で出はいりしておつたようでありますが、そういう事実は御承知ありませんか。
  326. 上原蕃

    ○上原証人 官邸には先年の十月の終りごろまでちよちよこやつてまいりました。私邸の方に訪門するということは私はただ聞いただけでありまして、現認したことは一度もありません。
  327. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 では私邸に出はいりしていたということは聞いておりましたね。
  328. 上原蕃

    ○上原証人 聞いておりました。
  329. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それから官邸へ來ると、やはり祕書官室にはいつてきたのですか。
  330. 上原蕃

    ○上原証人 はいつてきました。
  331. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 この名刺は見られたことはありませんか。聞いておつたというならよろしいが……。
  332. 上原蕃

    ○上原証人 この名刺は見たことはございません。
  333. 加藤勘十

    加藤委員長 ほかにございませんね。——それでは上原君終りました。どうぞ御退席を願います。     〔委員長退席、梶川委員長代理着席〕
  334. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 それでは清水純君に証言をお願いします。
  335. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私から承りますが、上杉達夫なる者は片山総理大臣祕書と称して、こういう名刺を使つていろいろなつて歩いた者でありまするが、そういう事実を御承知であつたかどうか、それからしばしば官邸並びに片山さんの私邸を出はいりしておつたと聞いておりまするが、さような事実がありましたか。その点をまず承りたい。
  336. 清水純

    ○清水証人 この名刺を使つてつたということについては、何ら承知いたしておりません。それから第二点の、官邸へちよちよくはいつてつたとか、総理の自宅へ訪ねたということにつきましては、官邸に訪門してきたことは聞いております。しかし自邸へちよちよくはいつておるということについては、さようなことばございません。
  337. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あまりこまかくなりますが、今上原さんが帰りましたが、上原さん自身も私邸へ出はいりしておつたということは聞いておつたと言う。官邸に出はいりしてたということは間違いありませんが、あなたは証人で、絶対に私邸へ出はいりしたことはないと仰せられますが、今上原さんは出はいりしておつたということを聞いているということでありました。
  338. 清水純

    ○清水証人 私が申し上げましたのは、ちよちよく出はいりしたことはないというのでありまして、一回も來たことがないとは申し上げません。私邸の方へも訪門してきたことはあります。
  339. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこで上杉は(姓)石川(名)「にんべんに臣」から合わせて金十五万円をとつておるのでありますが、その際にこういうものを出して、それによつて金をとつてつたのですが、こういう文書を御承知でありますか。なおこれには総理大臣祕書官の印というものを押してあるが、こういうものは御承知ですか。もし御承知ならばどこでどうしてできたかということを聽いておられるかお伺いします。
  340. 清水純

    ○清水証人 こういう証明書はただいま始めて見たので、承知いたしておりません。
  341. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その判はどこかにあるものではないのですか。判というのは角判と、下の方の名前と、上の総理大臣官邸というのも判ですが、それはどこかにあるはずではないですか。
  342. 清水純

    ○清水証人 公式にこういう判はございません。
  343. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 公式でも私的でも、あなたは御存じないのですか。
  344. 清水純

    ○清水証人 官邸にはございません。
  345. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 どこかにありますか。
  346. 清水純

    ○清水証人 承知いたしておりません。
  347. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 押問答はやめてください。
  348. 清水純

    ○清水証人 この判はただいま初めて押されておるのを見たのであつて、知りません。
  349. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 この件に関してあなたの方へ、石川君なり上杉君なり行つていろいろ想談したこともあるし、あなたもいろいろ意見を述べたそうでありますが、それらの件であなたの関係せられた範囲のことをお話し願いませんか。
  350. 清水純

    ○清水証人 上杉氏が官邸に訪ねてまいりまして、私に瞬会を求めて、実はこういう隠退蔵物資云々の件があるというようなことを申して來られたので、官邸にそういうことを申して來られても困るから、衆議院の隠退藏委員会の方へ行つてもらいたいと申しましたところ、加藤委員長は社会党であるから知つておるということで、加藤委員長を訪ねていくように言つて帰りました。その件についてはそれだけであります。
  351. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その後金をとつたとか、その金をとられて困るとかいうようなことで、金の話も聞いておられませんか。またこの金の行方について、あなたはある程度のことを知つておられませんですか。
  352. 清水純

    ○清水証人 あとでいろいろなそういうことがあつたということを聞きました。それでその後は上杉なるものに一切出入りを禁じまして関係を絶ち、そうして弁余士の高久清一氏に解決方をお願いしておつたような次第であります。
  353. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 金の行方について何か聞いたことはありませんか。
  354. 清水純

    ○清水証人 大の行方及び額については聞いておりません。
  355. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 何かあなたの知つておる範囲で違つたところはありませんか。
  356. 清水純

    ○清水証人 私としてはそれ以上ありません。
  357. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 鍛冶委員から尋ねられた内容について、あなたから今までのことについて相違があれば述べていただきたいと思います。それ以外の関係のない事柄について、並びに証人同士の間における問答はやめていただきたいと思います。なかつたらそれでよろしいです。今までの証言通りでよろしければ、それでよろしいです。
  358. 石川浩志

    ○石川証人 ちよつと申し上げますが、前に上杉氏が私を首相官邸に連れていつて、清水祕書官と対談したことがあるようなないようなその点あいまいでありましたけれども、そのことは事実あつたということを私は申し上げておきます。
  359. 足立梅市

    ○足立委員 本件はこれで打切つたらどうですか。
  360. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 本件は大体明瞭になつていると思います。本委員会においてはこれ以上に取扱う余地はないと思います。その処理はまた相談するとして、調べはこの程度で打切るということでいかがですか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  361. 梶川靜雄

    ○梶川委員長代理 それでは本件はこれで打切ります。  本日はこれにて散会いたします。     午後六時三十八分散会