運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1948-06-25 第2回国会 衆議院 司法委員会 第41号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年六月二十五日(金曜日)     午前十時四十分開議  出席委員    委員長 井伊 誠一君    理事 鍛冶 良作君 理事 石川金次郎君       岡井藤志郎君    佐瀬 昌三君       花村 四郎君    松木  宏君       山口 好一君    池谷 信一君       石井 繁丸君    猪俣 浩三君       榊原 千代君    中村 又一君       吉田  安君    大島 多藏君       酒井 俊雄君  出席國務大臣         國 務 大 臣 鈴木 義男君  出席政府委員         檢 務 長 官 木内 曾益君         法務廳事務官  野木 新一君  委員外出席者         專門調査員   村  教三君         專門調査員   小木 貞一君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  刑事訴訟法を改正する法律案内閣提出)(六  九号)     ―――――――――――――
  2. 井伊誠一

    井伊委員長 会議を開きます。  刑事訴訟法を改正する法律案議題として審議を進めます。花村四郎君。
  3. 花村四郎

    花村委員 ただいま議題に相なつておりまする刑事訴訟法改正法律案についての質問をいたしまする前に、関連質問として、一応法務総裁にお尋ねいたしておきたいと思うのであります。それは西尾國務大臣に関する問題であります。この問題に関しては、少くとも最も直接の関係のありまする本委員会で、前に質問をいたすべきであつたのでありまするが、ついにその機会が与えられずに、関係のないと言えば語弊がありますが、比較的関係の薄い予算委員会において質問せられたような結果に相なつたのであります。この西尾國務大臣政令違反に関しまする問題が起きましたことは、まことに議会人として、私どもも遺憾に思いまするが、昨日は不信任案議会に提出せられるに至り、相当世間の耳目を聳動するような情勢に相なつてきたのでありまして、この事件なりゆきこそは、全國民が等しく見守つておるところでありまするので、法務廳といたしましても、きわめて、愼重に、しかも公正に扱わなければならないことであり、またそう扱われておることを私は信じて疑いません。聞くところによりますれば、西尾國務大臣に対しまする政令違令は、すでに檢察当局においては起訴決定し、その公訴提起に関する書類が、法務総裁の手に再び渡つておるという話でありまするが、その後の経過はどう相なつておりましようか、その点をお尋ねいたしたいと思います。
  4. 鈴木義男

    鈴木國務大臣 お答えをいたします。西尾國務大臣政令違反に関する起訴稟請は、ただいま私のところにまいつております。愼重諸般事情を考慮いたしまして、起訴の時期を決定することが、刑事政策としても、きわめて大切なことであると考えておりますので、適当な時期がまいりますれば、理由を明らかにして、この稟議の決裁をいたし、その先の手続をとる、こういうことにたいそうと考えております。
  5. 花村四郎

    花村委員 まことにごもつともなお話でありまするが、しかしこれとてもあまり愼重を期するという意味で、荏苒日子を遷延いたすようなことがありますれば、かえつて世の疑惑を招くに至り、また殊にその政党を同じゆういたしておりまする法務総裁のこの問題に対する態度等についても、疑念をさしはさまれるところのおそれなきを得ないのでありますして、かようなことは、まことに公正であるべき司法権にまで、ひいては疑問をもたれるにいたるのおそれなきを得ないのでありまして、まことに社会環視の的と相なつておるだけに、重要であろうと思うのであります。そこで愼重もいいのであるが、こういう問題はなるべく速やかにその全貌を明確にして、そうして公衆の面前へ発表するということが、最も願わしいことであると思うのであります。かような観点から、速やかに稟請の結末をつけるということであるべきように思うのでありますが、その時期というのは、いつごろになりましようか。時期も長い時期がありましようし、短い時期もありまするが、その適当なる時期というのは、大体どの程度のことを言われるのか、その見透しをひとつ伺つておきたいと思います。
  6. 鈴木義男

    鈴木國務大臣 参議院予算委員会でも痛烈な御質問がありまして、私が同じ党派であるために、庇護するためにあいまいな態度をとつておるのではないかというような御趣旨の御質問もあつてのでありまするが、今のところそういうふうに疑われても、やむを得ないような形になつておりますることは、私として非常に遺憾に存じまするが、私自身としては、毛頭そういう考えはないのでありまして、あくまで法に從つて嚴正公平にやる、この基本方針に変りのないことを、ひとつ御了承おきを願いたい。從つてそのときの見透しにつきましても、ごもつともな御質問でありまするが、ここにまいりましてそう長いとは考えられません。と申して、いつということをはつきり申し上げることは、非常にむずかしいのでありまして、遠からざる將來というふうに御了承を願いたいと思います。
  7. 花村四郎

    花村委員 法務総裁の言われるところも、ごもつともでありますが、しかしただいま法務総裁自身が申されたように、参議院でそういう誤解を招くということは、ただに参議院ばかりでなくて、一般社会においても、さような誤解をしている向きが相当あるようでありますから、法務総裁嚴正公正なる立場で、どこまでもいくという氣持はよくわかるのでありますが、しかしそれはただ言われるのみではいけない。やはりそれを何らかの形において現わして、初めて司法権の公正の前にはどこまでも熱意と誠意をもつていく法務総裁であるということが明らかにせられることに相なるのでありますから、さような誤解を生ぜしめない意味からいたしましても、なるべく早い機会において、こういう問題を処置することこそ望ましいと思うのでありますが、予算案でも通過すれば、その手続は運ばれましようか、どうでしようか。そんなところに見透しがあるのじやないですか。
  8. 鈴木義男

    鈴木國務大臣 大体そのようにお考えいただいてよろといと思うのであります。最初この問題をいかに扱うべきかということにつきましては、いろいろな方面との交渉をいたし研究をいたしました結果、日本の國情國家の現況というものを考えまして、諸般事情を考慮して適当に処理すべきものである、こういう結論に到達した結果、こういうことに相なつているのでありますから、花村委員が御指示になりますようなことに相なるであろう、かように申し上げておきます。
  9. 花村四郎

    花村委員 ただいまの西尾國務大臣に関します問題は、大体稟請に関する扱い等についても明瞭に相なりましたので、この問題はこの程度に打切りたいと思います。  進んで本案についての質問にはいろうと思うのであります。まず初めに総括的意味質問を一、二いたしたいと思うのであります。  第一に、刑事訴訟法は、要するに刑事に関する裁判権行使を規定してある法律でありますが、わが憲法條章を見てみますと、裁判権という言葉を使用はいたしておりませんが、憲法の第六章には、司法権という文字を用いているのであります。この司法権裁判権とがどう違うかということは、学者の間でも議論のわかるるところでありまして、廣狹二樣意味のありますることは、多く申し上げるまでもないのであります。しかし大体において裁判権司法権とが相一致しておる、その内容においてはほとんど同様なものであるということだけは、大体間違いのないところであります。そこでわが憲法は、米國憲法を大体において模倣いたしておるのでありまするが、その結果として、三権分立関係が強く織りこまれておるのでありまして、司法立法行政というものは、互いに独立して相侵してはならないものであるという建前に、大体なつておるのでありまするけれども、殊にこの司法権独立に対しましては、一層強い意味解釈をいたすべきであろうと思うのであります。そこでこの司法権裁判権とが大体において同様であるという先ほど申しました前提が誤りでないとするならば、この刑事訴訟法に関しまする刑事裁判権というものも、また立法行政の面から分離せられて、これは侵すことのできないところの独立した國家の権力であるということにみるべきであろうと思うのでありまするが、かような点に関する法務総裁の御所見を一応伺つておきたいと思います。
  10. 鈴木義男

    鈴木國務大臣 ただいま花村委員の仰せられたことは、抽象的な理論ではありまするが、抽象的な理論としては、その通り私も考える。こう申し上げてよかろうと思います。
  11. 花村四郎

    花村委員 そこでさらにお尋ねいたしたいのは、ただいま参議院司法委員会で扱つておるのでありまするが、尾津保釈許可決定に関する問題、その他許されたる漁区の範囲を出でたという違法行為に対する裁判等に関しまして、裁判官不当処理に関する事案が、参議院で取り上げられておるのでありまするが、私は不幸にしてまだその全貌並びに内容等について、詳らかに聽いておりませんので、從つて新聞紙上に現われたる一部のみを承知しておるにすぎぬのでありまするが、しかしこういう裁判所で扱つておるところの事件裁判権行使として刑事裁判所において扱つておるこうした事件、こういう事件参議院が取上げられて、その是非曲直を決することは、この三権分立建前から、殊に裁判権独立はあらゆる面から強く主張せられております。こういう問題に対して、参議院が取扱うことは、はたして正当であるか、どうであるか。この点に関する法務総裁の御所見を伺つておきたいと思います。
  12. 鈴木義男

    鈴木國務大臣 実は参議院司法委員会でおやりになつておりますることの内容については、一通りの調査、報告のようなものは承つておりまするが、私も詳らかにいたしておらないので、その判断が正確であると申すことは、あるいはできないかもしれません。しかし私の承つておる限りにおいては、具体的な裁判実体に関与しよう、殊にこれからやろうとする裁判に関与しようというのではないのであつて、過去に行われた裁判、あるいは裁判方法態度、あるいは裁判に附随した行政等の適否について、事実を調査しつつ、これに批判を加えるということが趣旨のように承つておるのでありまして、その範囲を出でないならば、私は三権分立建前でありましても、國権最高機関である國会といたしましては、國政全体――國政という言葉は非常に廣い意味をもちまして、裁判もその中にはいると思いまするが、調査をし、批判をする自由と権限をもつておりまするから、その意味においては差支えないことと考えておる次第であります。
  13. 花村四郎

    花村委員 ただいまの法務総裁の御意見なるほどごもつともで、われわれもさように解釈をいたしておるのであります。裁判権行使実体関係をもたざる裁判の結果に対する批判調査は、國政の上からできるのであるという解釈は、われわれもさように考えておるのでありますが、しかしここで注意をせなければならないことは、そういうことは適当ではありまするけれども、しかしそれがひいて裁判権行使影響を及ぼすのではないか、裁判所でいたしまする決定、命令もしくは判決に対して、強い批判が行われた場合において、裁判官がその後においてなしまする裁判権行使につき、ある意味においては、そうした取調べ、調査が、大きな刺激を与え、あるいは何と申しますか、無形の干渉と申しましようか、裁判官裁判権行使の心理の上に大きな刺激を与えますることは、間違いのないことであろうと思うのであります。そうした刺激が大きくなるほど、あるいは苛烈になるほど、ひいては裁判権行使に関しまする実体上の仕事の上にまで、やはりそれが大きな影響をもつてくるという場合が想像できるのでありまして、なるほど形の上においては、何ら司法権独立を害さぬように見えるのでありますが、実質においとは、それがひいて司法権独立を害するがごとき結果をみる場合が生ずるのではないかということを恐れるのであります。こういう問題が新憲法のもとにおいて、立法府で取上げられるというような場合に相なつてまいりましたことは、おそらく今日までの司法権、あるいは裁判権建前から見まするならば、これは大きな一つの革命でありましよう。こうした革命的な裁判権に対して、これらの仕事が附加されるというような情勢下に相なつてまいりましたので、この司法権独立をどこまでも護つていくという建前を、  その場所と時とを論ぜず、どこまでも堅持していく態勢が、ここに整えられなければならぬ。整えられてこそ、初めて立法府における批判調査と、そうして嚴正であるべき裁判権行使と相まつて、その裁判はよりよく運行されるということに相なろうと思うのでありまするが、こういう重大なる問題に対して、法務総裁はいかなる覚悟と方途をもつておられるか。これを承りたいと思います。
  14. 鈴木義男

    鈴木國務大臣 ただいまの御質問趣旨につきましては、幾多ごもつともの点があるのでありまして、私どもといたしましても、同じような憂いを抱いたこともあり、また一部分は今日も心配はいたしておるのであります。從いまして、個人的に参議院委員長にも、そういう心配のないように、この運営を進めていただきたいということは、申したこともあるような次第でありますが、この問題は、しばらくおきまして、少くとも裁判に対して、今まではあまりにも批判がなさすぎた。旧憲法時代におきましては、司法権独立が文字通り尊重せられましたが、批判は自由であるべきである。批判が加えられることによつて裁判の進歩もあり、それから時代常識に合致することにもなり、その点はもつと活発な批判があつてしかるべきであると考えておる次第でありますから、新憲法のもとに相なりましては、現に裁判官の適格については、國民の審査に付するということが考えられておるような次第でありまして、裁判をあらゆる方面から健全に批判をするということはよいことであろうと思います。ただそれが行き過ぎて、あるいはあまりに具体的なる問題に密着したしまするために、裁判官をしておそれを抱かしめる、あるいは知らず知らずのうちに精神的拘束を感じしめるということに相なりまするならば、花村委員の御心配になるところが、まさに現われてくるのでありまして、そういうことのないように注意しなければならぬと考えるのでありますが、一般的に申して活発なる批判にたえることが、やはり裁判の健全に発達していくゆえんではないかと思うのであります。その意味において、私は國会は健全なる判断力をもつておると信じまするがゆえに、これに信頼して、ある程度活発なる批判が行われることは、これを許容してよろしいのではないかと考える次第であります。
  15. 花村四郎

    花村委員 そこで法務総裁氣持もよくわかるのでありますが、やはりそういう新制度が打立てられてまいりました場合において、この新制度に即応して、やはり裁判官等も進んでいくというような建前にならなければ、ほんとうりつぱな裁判権行使はできぬと思うのであります。そこで從來閉じこめられておつた裁判官を、ひとつ何らかの方法でもう少し解放する必要があるのじやないか。精神的の解放と申しますか、こういう意味において、裁判官に対する再教育考えておらぬか。今日までの裁判官というものは、何だか孤島の中に一人で住んでおるような、少くとも共同生活とかけ離れたような氣持をもつておるように私は思う。なるべく世間の風にふれまいとしておる。從つてそういう氣持が隣り近所の人にも顔を合わせるのがいやだ、あるいは友人知己にもなるべく合わぬようにしよう、あるいはかつて懇意にしておつた辯護士にすらも、なるべく会つたり、話をしたりすることを避けようというような氣持が身体に満ちておることが、われわれはよく存野法曹としてわかる。またそういうことを何人も認める。また上官もそうした下の方の裁判官態度を容認するというか、許すというか、あるいはそういう態度を望むというか、上の方の人も一向そういう態度に対して是正しようとも考えず、いなむしろそういう態度を慫慂するがごとき風潮も一面においてあるように感ぜられる。こういう共同生活をしておる社会というもの、世相というものから離れておるという氣持では、また離れんとしようというような氣持では、とうていりつぱな裁判のできぬことは明瞭であります。そうすると裁判官神経過敏過ぎる、小さいことでも非常に神経が大きく動いておる。そういうことが、結局裁判権行使妥当性を欠くような結果をもたらすのでありまして、今日は司法権國民の前においては、あらゆる観点から調査批判をされなければならぬということになつてきて、裁判権そのものもこれはやはり官吏やお上が握つておる裁判権じやない。國民みずからが握つておる裁判権である。裁判自分みずからがやるのだというような氣持に相なつてこなければならぬことは当然であり、また主権在民の見地から考えても、國民がそう考えるべきであろうと思うのでありまするけれども、こういう考え方に移り変つてきた民主的のこの世相に対して、裁判官氣持というものは、今日もなおまだ改められておらない。でありますから、現にたとえば尾津保釈問題のごときが、その是非参議院において取上げられて論ぜられるということになりますると、すぐにやはり神経が過敏になつて、まず保釈などをうかうか許して物議をかもすよりも、なるべく事なかれ主義で、まあ保釈などは許さぬでおこう、まあ許さぬということも、これもよくないことではありまするけれども、許すことよりも、むしろ許さないでおくことの方が、物議をかもすことが少い。でありますから、最近はこんな事件当為保釈をしてよろしい。また旧來も保釈をしておつたと認められる事件について、最近においては保釈もなかなか許さぬようになつてきた。そこでいろいろ聞いてみると、尾津の問題などで保釈を許したことがいかぬというので、参議院で取上げられておるというような関係から、最近はよほど手控えるようなことになつてきたという話も、私は聞いたのであります。なるほどそう思うる。すぐにもこういうところへ、よくそれが響いてくるならばいいのでありますけれども、悪い意味で響いてくる。参議院でやつておるのが悪いというのではありません。もちろん結構である。響いてもよろしいが、その響いてくる響きに裁判官が麻痺さそぬようにすることこそ肝要である。それにはやはり裁判官に関してあらゆる面から再教育をして、そうしてこの時代風潮に副うようにもつていかなければいかないのじやないかと私は思う。なるほど裁判官は今回は相当に優遇せられて、普通の官吏とは違うようなことになつてまいりました。また裁判官には相当優秀な者もあり、頭のよい者もあり、判断力の強い者もあります。まことにりつぱな人ばかりであります。しかしながら、裁判官という型にはめられてしまうと、優秀な人物でも、ついにいわゆる裁判官らしい一つの型にはまつてしまつて、一面においてはそこに個性的な意味における欠陷が、だんだん腫物のような大きくなつていくというようなことにもなり、そうして裁判官というものが世間から離れておるがごとき氣持態度に相なつておりますことは、疑う余地がないと思うのであります。でありますから、こういう点から、もう少し裁判官も民主化して、公私の別をはつきりする。私的においては、何人と話そうと、また何人と飲もうと、何人と遊ぼうと、そんなことは決して意とするに足らぬ。否むしろ普通の社会人のごときことをやつてつていい。芸者買いをするのもいいでしよう。カフエーに行くのもいいでしよう。裁判官であるから、普通の人のやることをやつてはいかぬというような、そんな偏屈な考えもつ必要はない。そうして人の正面も裏面も、世の中の表の裏も、すべてを知つて、そうして人の機徴をうかがい知るところまでいつて、初めてりつぱな裁判ができようと思うのであります。それには今日の裁判官を、やはりある程度まで再教育をして、時世に副うところの、また新憲法趣旨に副うところの、また新刑法に副うところの、ほんとうの生きた使えるところの裁判官を仕立てる必要があろうと思いますが、この点はいかがでしよう。何か方途がありましたらおもらしを願いたいと思います。
  16. 鈴木義男

    鈴木國務大臣 ただいま花村委員の仰せられたことは、完全に私は同感であります。かねて私自身在野時代から、この感想をもつておりまして、何とかしてもつ裁判官常識がゆたかに、そうして生々とした人間なつてほしい。かつて問題になつた化石とまでは思いませんけれども、どうしても象牙の塔にこもつて小さいからの中にとじこもるという傾向をもたれるということは、非常に遺憾なことであると考えておつたのであります。フランス、イギリス、アメリカなどの裁判官に接触した経驗からみると、人間のスケールも大きいし、常識のゆたかさというような点におきまして、たしかにずつと上であることを肯定せざるを得ないのでありまして、それらは要するに、文化程度が一般に高いこと、待遇が非常にゆたかであり、少年時代からゆたかな教育を受け、幅の廣い趣味と教養とをもつていくことができるために、自然にそういう人物ができていくと思うのであります。同時に社会環境も、公私の区別というものをきわめてはつきりさしておりまして、裁判官飲食をともにしても、間違つて事件の話などをするというようなことは、通常の紳士としてあるまじきことであるという常識が発達しておりますから、外國ではそういう警戒を拂う必要はないのであります。ところがわが國では遺憾ながら、最初一、二回は何事もないような顔をして飲食をともにしておるが、三度目ぐらいには、事件の話を持出すというようなことで、あぶなくて、どうも一緒に食事もできない。自然さわらぬ神に崇りなしということで、からの中にとじこもることが無難であるということに相なるであろうと思うのでありまして、社会の方も非常に惡いと思うのであります。一日も早く明朗な社会を樹立して、裁判官檢事等が、安んじてすべての人と接触できるような習慣を早く樹立したいと、かように考える次第であります。裁判官をどうして再教育をするかこれは私の職務権限範囲内ではないのでありまして、最高裁判所長官その他の範囲でありますが、檢察官と相まちまして、われわれもできるだけこの問題には頭を費さねばならぬと考えておりますが、何よりもゆたかな教養常識の涵養、あらゆる社交の機会を享受できるようにすること、すべての人間経驗自分がみずから体驗するというわけにいかないのでありますから、そこで小説を読み、文学を読み、あるいはいろいろな体驗を歴史を通じて学ぶのでありまして、そういう意味において、裁判官檢察官等は、絶えず欲するところの書物を読むことができ、いわゆる專門書物だけでなく、廣く人生一般に関する書物などはいつでも読めるようにありたいのであります。これが私は再教育と申しまするか、人格を練直す第一の要件であると考えるのでありまするが、わが國の現状は、そういう点におきましても、非常な不便と戰わねばならぬのであります。しかしそれにもかかわらず、若干の待遇の向上をおかげさまですることができるのでありまするから、さらに文化施設費のようなものを増額していただきまして、到るところの檢察廳等には、小さい專門法律の、殊に古い六法のようなものは、どこの裁判所にもあるようでありますが、私の言うのは、そういうのでなくして、哲学、宗教、文学、芸術一切の社会事象の関する書物という意味でありまして、そういうものを備えておいて、欲するところに從つて勉強ができるようにするというようなことは、最も大切なことである、かように考えておるのであります。また廣くあらゆる方面と交際ができるようなゆたかな收入ということも絶対的に必要な條件であります。とにかくいろいろな点を考慮いたしまして、できるだけ円熟して教養の高い裁判官檢察官等を得るために努力いたしたいと考えておる次等であります。
  17. 井伊誠一

    井伊委員長 ちよつと休憩いたします。     午前十一時二十九分休憩     ―――――――――――――     〔休憩後は開会に至らなかつた