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1948-06-21 第2回国会 衆議院 司法委員会 第37号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年六月二十一日(月曜日)     午前十時三十一分開議  出席委員    委員長 井伊 誠一君    理事 鍛冶 良作君 理事 石川金次郎君    理事 八並 達雄君       岡井藤志郎君    佐藤 通吉君       松木  宏君    明禮輝三郎君       山中日露史君    打出 信行君       中村 俊夫君    中村 又一君       吉田  安君  出席政府委員         檢 務 長 官 木内 曽益君         法務廳事務官  野木 新一君  委員外出席者         專門調査員   村  教三君         專門調査員   小木 貞一君     ――――――――――――― 六月十九日  刑事訴訟法改正に関する陳情書  (第八二三号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  刑事訴訟法改正する法律案内閣提出)(第  六九号)     ―――――――――――――
  2. 井伊誠一

    井伊委員長 会議を開きます。  刑事訴訟法改正する法律案について質疑を継続いたします。中村俊夫君。
  3. 中村俊夫

    中村(俊)委員 私はただいま議題となつております刑事訴訟法の各條について、若干の質疑をいたしたいと考えております。  まず第一條でありますが、すでに御承知の通り、このたびの刑事訴訟法全面的改正は、新憲法精神に基いて、これが示すところの根本理念を具体的に表わしたものでありまして、特に個人基本的人権保障ということが、全文を通じて各所にその規定がなされておるのであります。この点に関しましては、まことに結構な規定であると考えております。從つて提案理由を見ましても、日本國憲法精神に則り、個人基本的人権保障という言葉が先に來て、その次に公共福祉維持、全うするためとなつております。私はこの刑事訴訟法においては、公共福祉ということは当然第二義的なもので、刑事訴訟法は、手続法として文字通り万人のマグナ・カルタであると考えております。しかるに提案理由にはそういう文字が使われているのにかかわらず、この刑事訴訟法全文精神を明らかに説明しておるべき最も必要な第一條には、この法律は「刑事事件につき、公共福祉維持」という言葉が先に來て、そうして「個人基本的人権保障」という言葉あとに來ておることについて、お尋ねしたいと思います。  承りますれば、この刑事訴訟法立案については、骨を刻むような御苦心を政府の人はなさつたということでありますから、この最も大切な第一條について、決して軽々にこの「公共福祉維持」という文字を先にもつて來て、「個人基本的人権」という言葉あとにもつて來たとは考えられません。これは何か意味があつて提案理由と逆に、第一條において「公共福祉維持」ということを先にもつて來て「個人基本的人権保障」というものをあとにもつて來たに相違ないと考えられるのであります。先の議会におきまして、民法の一部の改正案がわれわれの手もとにまいりましたときに、その第一條私権公共福祉のために存するという言葉があつたので、私たちは断固として反対をし、それは未だに全体主義的思想が残つているのだ、民法冒頭において私権公共福祉のために存するというようなことは、全体主義的の思想だというので、極力私たち反対して結果、民法一條は「私権ハ公共福祉ニ遵フ」と改められたなまなましい事実があるのでありますが、今お尋ねしたごとく、骨を刻むように苦心惨たんされた結果からみて、第一條提案理由反対に「公共福祉維持」ということが先に書かれているということは、私は依然として全体主義的な残滓がここに現われているのではないかと心配いたすのであります。どういうわけで提案理由と逆に、しかも本刑事訴訟法の全精神を通じて、基本的人権保障ということに終始しているにもかかわらず、「公共福祉維持」というような二義的な、三義的な意味にすぎないものを冒頭にもつてきて、最も重要な意義をもつておると考えられる「個人基本的人権保障」というものを、次にもつてこられた理由をお伺いしたいと思います。
  4. 木内曽益

    木内政府委員 お答えいたします。御質問のように両方順序が違つておりますことは、別に深い意味があるわけではないのであります。ただ第一條の方に「公共福祉」を先に書いて、「個人基本的人権保障」がその次に書いてあるのは、大体刑事訴訟法というものは、こういう本質のものであるということを明らかにしたにすぎないのでありまして、どちらを第一義とし、どちらを第二義としたという趣旨ではないのであります。それから提案理由の方には、その逆に個人的人権保障が先になつてつて公共福祉維持ということがあとになつておりますのも、これまた深い意味がないのでありますが、ただその理由の方では、要するにこの改正重点がどこにあるかということを明らかにするために、個人的人権保障を先に書いてのであります。これについては、特に深い理由があつてやつたものではありません。     〔委員長退席八並委員長代理着席
  5. 中村俊夫

    中村(俊)委員 ただいまの御答弁は、別に深い意味がないということですが、それならむしろ進んで「個人基本的人権保障」というものを先にすべきではないかと私は思います。この刑事訴訟法に流れている精神が「個人基本的人権保障」というものに終始しておるという点からみて、これを先にすべきではないか。これが提案理由とか何とかいうものでなく、とにかく第一條でありまして、これが最も全精神を顯現しているものだと考えられるので、これを私は重要視しているのであります。
  6. 木内曽益

    木内政府委員 御質問の点に対しては、私の申し上げたことが少し足りない点がありましたから、附加して申し上げたいと存じます。憲法もさようでありますが、要するに個人的人権保障ということも、公共福祉というわくのもとにおいて認めらるべきものであるという建前から、公共福祉と、それから個人的人権保障というのをそれぞれ並べて書いた方がよいというので、第一條をこういう形にしたわけでございます。
  7. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次は三十三條と三十四條についてお尋ねいたします。これは新して制度でありまして、主任弁護士制とも申すべき規定でありますが、どうもこの三十三條と三十四條だけでは、私はこの意味がよくわからないと思うのです。殊に三十四條には裁判所規則の定めるところによるというように讓られておりますがゆえに、なお一層わからないのでありますが、大体政府の意図される主任弁護士制というものは、どういう点をぬらつているのかをお尋ねいたしたいのであります。これを見ますと、何か送達とかあるいは実にきわめて形式的なものに必要であるかのように組まれておりますが、私はやはり公判廷における特に証拠提出証人尋問等が、すべて新刑事訴訟法における中心となるという点から言いますと、主任弁護士制というものが、むしろそういう場面において必要であるのではないかと考えられますが、これには裁判所規則がわかりませんので、いかようとも判断できないのですが、政府主任弁護士制をこの法案に盛られて意図されるところは、どういうところに重点をおかれているかをまずお尋ねいたしたいのであります。
  8. 野木新一

    野木政府委員 この主任弁護人制度を置くことを考えましたのは、要するに被告人のためにするいろいろな訴訟行為が多数の弁護人の間で相矛盾するようなことがあつてはならないということが一つと、それから多数の弁護人がついた場合、いろいろの訴訟の進行を適切ならしめるためには、主任弁護人というようなものがあつたがよろしいという二つの点からでありまして、その主任弁護人の権限がどういうことになるかという点につきましては、第三十四條で、一應裁判所規則の定めるところによるということにしまして、裁判所規則にその内容を讓つていることになつております。ただ最終弁論、二百九十三條第二項に規定する陳述については、裁判所といえどもこれを制限することができないということになつております。さて裁判所規則でどういうことを定めるかということにつきましては、この立案の過程におきまして、いろいろ議論されたところでは、まず第一送達の点が一つ、それから多数の弁護人から裁判所に対する意思表示的のもの、そういうものもその間にいろいろ矛盾があつては困るからということで、主任弁護人というものが、それを統制して意思表示をしたらどうかというような点、それからなおクロス・エクザミネーシヨン的の審理方法をとつたような場合、また必ずしもそうでなくとも、反対尋問をするというような場合におきましては、やはり主任弁護人が各弁護人を統制して発言内容乱雜にならないようにする必要があるということが大体論議になりましたので、おそらくそのような点について規定されることになるのではないかと思います。
  9. 中村俊夫

    中村(俊)委員 私の見解によりますと、三十四條の但書の二百九十三條第二項にあります最終意見開陳は、どの弁護人でもできるが、クロス・エクザミネーシヨンその他のいわゆる法廷における弁護権の行使については、主任弁護士制によつてある制限が付せられるのではないかと想像されるのですが、私の見解をもつていたしますと、むしろ弁護人は、最終弁論は私は大して必要ではないと思うのです。私はこの改正法については、簡單見解をもつているので、最終弁論こそ、主任弁護士が一通り弁論をやればよいのであつて、むしろこの新制度によるところの弁護人活動は、証人の申請、証人尋問などについて働かなければならぬのではないか。そういうことが主任弁護士以外の他の弁護人に許されないということは、私は弁護人制度としては、むしろ逆ではないかと思う。なるほど弁護人が各自訴訟行為を行うということになりますと、あるいは裁判所の手数がかかるということがあるからかもしれませんけれども、しかしこれによつて初めて私は人権保障されるのであるのであると考えておるのです。各弁護人弁論だけは独立にやらせるということは、あるいは在來の型の弁護人には受けるかもしれませんけれども、これと引換えに訴訟行為主任弁護士制度によつて、ある程度制限せられるというのは、私は弁護人制度趣旨に反するものだと考えておるのでありますが、この点に対する政府の御見解を承るたいと思うのであります。
  10. 野木新一

    野木政府委員 御意見のほどはまことにごもつともな点もあると存ぜられます。いわゆる最終弁論なるものは、この訴訟法のもとにおきましては、從來のような重要性はなくて、弁護人などの活動は、個々の証拠提出とか、証拠調べとか、そちらの方にむしろ重点が移つていくようになるのではないかという点は、大体御説の通りだと思ます。ただ最終弁論の点をここから除きましたのは、いわゆる在野法曹側の非常に熱心な主張もあつて、こういうことになつたのであります。それからなおいろいろな意思表示とか尋問などについて、主任弁護人でこれを制限するという考え方よりも、もしろ主任弁護人というものを置いて、その統一をはかり、非常に乱雜にならないようにする。そういうことを考えておるのでありまして、これで非常に制限しようとか、そちらの考えはあまり強調したくないと思つております。
  11. 中村俊夫

    中村(俊)委員 それから三十五條はもちろんはつきりしておると思いますが、被疑者弁護人の数は三人を超えることはできないが、被告人弁護人の数は、特別の事情がない限りは三人以上でもよいと了解してよいと思いますが、この数の制限については、私はあまり異議はないのでありますが、從來あまりに氣がつかれなかつた、あるいは放任されていたと思われるのは、共犯者が利害相反する場合に、双方の被告人に一人の弁護人がつくというようなことは、私はこれは被告人利益から考えますと間違つているのじやないか、こう從來から考えてきておるのであります。憲法七十七條には、弁護士に関するルールが最高裁判所規則にきめられるのでありまするから、あるいはそういうような点も、制定さるべき規則の中に書かるるかもしれませんけれども、私はこの弁護人の数の制限と同時に、今言つた事例を適当な言葉で現わして、利害相反するような被告人に対いて、同一の弁護人弁論するというようなことは、避けなければならぬのではないかと考えておるのでありますが、むしろこの三十五條は、そういうような場合において、裁判所がそこまで関與し得るようなことの意味も含まつていると解釈していいのですかどうですか、お伺いしたい。
  12. 野木新一

    野木政府委員 三十五條の点につきましては、お説のうちの初めの方の趣旨でございまして、あとの方の趣旨はここではさしあたつて考えておりません。ただ数人の被告人の利害相反する場合にはどうするかという処置につきまして、この法案におきましては、第三百十三條第二項、ここにおきまして「裁判所は、被告人の権利を保護するため必要があるときは、裁判所規則の定めるところにより、決定を以て弁論を分離しなければならない。」こういう規定をおきまして、たとえば、親分、子分というような者が、一緒に起訴されており、一緒審理してはどうも子分利益を害するようなことがあるというような場合には、決定で分離をする。そうして両方被告人利益をはかる。こういう規定ができておりまするので、この精神で今のお説のような点も、運用上おのずからうまくいくのではないかと考えております。
  13. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次に三十九條でありますが、この規定によりますと、弁護人被疑者にもつくことは許されておるのでありますが、その弁護人立会人なくして被疑者と接見し、書類とか物の授受ができることが規定されていますが、被疑者取調べに立会うという規定が書かれていない。この被疑者取調べに立会うか立会わぬかということは、きわめて重大なことであります。もしも被疑者につけられたる弁護人が、被疑者取調べに立会えないとすれば、弁護人被疑者につけるという意味は、大部分抹殺されてしまうだろう、こう考えておるのであります。この点について、政府としてはどう考えていられるか。この点について改正に應ぜられる意思があるや否や、お伺いしたい。
  14. 野木新一

    野木政府委員 この法案におきましては、被告人被疑者当事者的地位を非常に高めておることはもちろんでありますが、ただ捜査段階におきましては、たとえば百九十八條あたりのおきまして、被疑者に一種の黙秘権というようなものをはつきり規定しておりまして、なお逮捕とか勾留をされていない場合には、いつでも逮捕することができるというような規定もおきまして、そちらで被疑者利益というものは、十分保護するということを考えまして、一面取調べに際しましては、弁護人側を立会わせるということは、今の日本段階におきましては、そこまでさせることは、捜査の敏活に差支えがあると考えまして、この案ではまだそこまでは至つていないわけであります。ただ弁護人といたしましては、第三十九條の規定におきまして、被疑者が身柄を拘束されておるときでも、必要に應じてこれと接見し、何人からもその会談内容を聽取されることなくして、自由に話し得ることになりますので、たとえば被疑者が警察官や檢察官からどういうことを調べられたということも、必要によつて被告人被疑者から聽きき得るわけでありまして、それに基いて公判に出てから、どういう証拠を集めておこうとか、どういう証拠準備しておこうとかいう、準備もすることができる。それで今度の改正段階においては、その程度が大体実情に合致しておるところではないか、こう考えまして、この案はできておるのであります。
  15. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次は四十條についてお尋ねいたしますが、提案されておる刑事訴訟法におきまして、全巻を通じて非常に画期的な改正になつておりますが、未だに黙々として官尊民卑的な規定が取り残されておるように私は思われます。この新しい制度によりますると、檢察官は純然たる原告官である。弁護人はいわゆる被告人代理をして、同等地位において公判中心主義でやつていくという本來の請神でありますが、この四十條と百八十條を対比願いたい。そうしますと「弁護人は、公訴提起後は、裁判所において、訴訟に関する書類及び証拠物閲覧し、且つ謄写することができる。但し、証拠物謄写するについては、裁判長許可を受けなければならない。」という制限がついております。百八十條と四十條とはいずれも時は違いますけれども、「弁護人証拠物謄写をするについては、裁判官許可を受けなければならない。」という規定になつております。ところが二百七十條には「檢察官は、公訴提起後は、訴訟に関する書類及び証拠物閲覧し、且つ謄写することができる。」この場合は裁判所許可ということが書かれていない。この四十條と二百七十條とは、同じような公訴提起後の処置でありまするが、何がゆえに檢察官には裁判所許可を必要とするという区別的な言葉をなされたのでありますか、これについて伺いたい。
  16. 野木新一

    野木政府委員 この点につきましては、まず証拠物にはいろいろなものがありますので、これが謄写されると、一般の外部に出る心配性というものは、檢察官の場合よりも、むしろ弁護人の場合の方が、どつちかというと多いのじやないかという点が一つ従つてまだ現在の段階におきましては、檢察官側の方には、そういうような証拠物謄写に関連する不法行為などがあつた場合には、嚴重な制裁がある。その制裁程度が非常に強い。從つてその証拠物にいろいろ間違いが起ることが少ないという点も、若干考え合わされておる次第であります。從つて現在の段階においては、一應この程度でよろしいのじやないかと考えて、この程度にしておいたのであります。
  17. 中村俊夫

    中村(俊)委員 ただいまの御説明については、はなはだ納得しかねるのでありまして、別に政府を責めるわけではありませんが、弁護人に対する信頼がいかに稀薄であるかということは、ただいまの御説明によつて察せられるのであつて、この点ははなはだ遺憾に思います。殊に五十三條の第二項の弁論の公開を禁止した事件訴訟記録というものは、秘密を守るためにいろいろ制限されることはやむを得ませんが、殊に第三項には「日本國憲法第八十二條第二項但書に掲げる事件については、閲覧を禁止することはできない。」とありますが、公開できないのが元來の本則なんです。記録は外に出るからどうだというのは、いわゆる今の旧態依然たる裁判所考え方ではないかと私は考えられる。私はただいまの御説明では、はなはだ満足しかねるのであつて、こういう場合、檢察官弁護人も、同等地位におかれるのが本体ではないかという考え方をおもちにならなければならないのではないかと、私は考えておるのです。どうかこの問題に限らず、これから私が質問いたす点につきまして、卒直なる意見を申し述べていただきたい。ここに提案されれば、あくまでもその提案を固持するのだという考え方でなしに、われわれの言うことにもしも妥当性があつたならば、やはりそれに対してお考えを願わなければ、われわれはあなた方の答弁を親切だとは考えられない。ただいまの御答弁は、弁護人制度を重要視するという点からいつたならば、はなはだこれを軽視するお言葉のように承るのであつて、この問題は相当取上げていかなければならぬ問題だと思いますが、なお一應お考えを承りたいと思うのであります。
  18. 野木新一

    野木政府委員 ただいまの閲覧謄写許可は、要するに証拠物の方でありまして、証拠書類訴訟に関する書類及び証拠物閲覧については、別に許可にかかつていないのでありまして、訴訟に関する書類でなくして、証拠物謄写についてだけ許可にかかつておることを御留意願いたいと思います。
  19. 中村俊夫

    中村(俊)委員 別にこの点について議論しようとは思いませんが、しかし弁護士には弁護士法というものがあり、弁護士会規則がある。殊に弁護士法におきましては、医師と同じように、弁護人には秘密を漏らすことができないという規定があるのでありまして、この法案において、弁護人地位と、檢察官地位とが区別されておるという点は、どうしてもわれわれとしては納得いたしかねるのである。これは本來原告と被告檢察官弁護人を、同等地位にもつてきたという精神と、相反する規定であると、われわれには考えられるのであります。  これに関する質問は、これで打切りまして、次に五十條、五十一條、五十二條規定が、私にはわからないのですが、これを具体的にどういうようにやつていくのか、簡單で結構ですから、御説明を承りたい。
  20. 野木新一

    野木政府委員 公判調書につきましては、四十八條第三項におきまして、「公判調書は、各公判期日後できる限り速やかに、これを整理しなければならない。」という規定がありまして、これについて五十條では「公判調書が次回の公判期日までに整理されなかつたときは、裁判所書記は、檢察官被告人又は弁護人請求により、次回の公判期日において又はその期日までに、前回公判期日における証人供述要旨を告げなければならない。」とありまして、たとえば弁護人側前回公判において、ある証人がこういう重大なことを言つておる。それがはたして調書に出ておるかどうか、どんなふうに出ておるかということを調べるために、裁判所に特に行つて調書を見せてくれ、そう請求するわけであります。そのときまでに調書ができておれば閲覧させますけれども、まだ完成されていなかつたときには、この規定によつて証人供述要旨を告げてやる。ところがその告げた要旨の中に非常に重要だと思うところが漏れておるとか、的確に表現されていない場合には、五十條後段規定によつて異議を申し立てる。すると裁判所書記はその異議申立があつたこと、及びその異議内容調書に記載しておかなければならない。この調書公判調書とは一應別個の調書になるわけでありますが、これは結局後に上訴とか控訴とかいう場合に働いてくるわけであります。  それから五十一條は、被告人及び弁護人が出頭なくして開廷した場合のことでございまして、そういう場合におきましては、公判調書が整理されておれば、弁護人側はその公判調書を見てその内容がわかるわけでありますが、整理されていかい場合に、前回に欠席してどういう審理がなされたかはつきりいたしませんので、その場合にだけ、「次回の公判期日において又はその期日までに、出頭した被告人又は弁護人前回公判期日における審理に関する重要な事項を告げなければならない。」ということにいたしまして、次回の公判期日またはその期日までにどういう審理があつたということを確きに來ましたら、次回の公判期日前でも、弁護人にこれを告げてやるということにして、被告人並び弁護人側利益をはかつてやる、そういう規定であります。
  21. 中村俊夫

    中村(俊)委員 大体そういう趣旨はわかるが、たとえば五十條の「次回の公判期日において」これはわかりますが「又はその期日までに」と言いますと、かりに被告人が監獄に拘束されておる場合に、弁護人からそういう請求があつた場合には、実際どうやるのですか。「前回公判期日における証人供述要旨を告げなければならない。」というこの條文はどういうふうにやるのですか、それを具体的に知りたい。そこはどういうふうにして告げるのか、被告人が拘束を解かれておる場合は、弁護人裁判官立合いの上でやらなければならないのか、具体的にお伺いしたい。なお五十一條の最後の「審理に関する重要な事項」というのは、具体的に言えばどういう事項を指すのか。
  22. 野木新一

    野木政府委員 まず五十條でございますが、これは別に公判期日後開くという趣旨ではありませんで、公判期日までに告げればいいという趣旨であります。從つてたとえば弁護人が次回の公判期日準備等のために、前回公判期日調書を見たいという場合には、裁判所書記のところに行きまして、五十條の手続をいたしまして、その供述要旨を知る。そこに間違いがあれば異議を申し立てて、別個に調書をつくつてもらう。そうしましてこれが次回の公判、ことに控訴審などにおいて有力な発言の材料になるという趣旨なのであります。  それから五十一條の方の「前回公判期日における審理に関する重要な事項」ということは、たとえば証人を喚んでいるような場合を考えますと、その証人が出てきてどういうことを言つたか、そういうようなことがこれにはいると解しております。
  23. 中村俊夫

    中村(俊)委員 そうしますと、この五十一條審理に関する重要な事項を告げなければならぬということは、一つの強行規定だと解釈してよろしゆうございますか。
  24. 野木新一

    野木政府委員 さようでございます。
  25. 中村俊夫

    中村(俊)委員 この五十條は大体証人供述に関する規定でありますが、この前後の規定には、公判調書間違いがあつたときに、その間違いであることを申し出て、これを記載させる方法が規定されていない。すなわち公判調書の誤謬の訂正権ということがないのです。われわれがここに各項に予定されているごとく、四十八條の第三項には「公判調書は、各公判期日後できる限り速やかに、これを整理しなければならない。」とある。おそらくこれは訓示規定でありましよう。從つて書記課において忙しいときには、それができないということも從來しばしばありました。しかもまた法廷においてそのまま調書ができるのでなしに、鉛筆で書いた原稿をもつて書記がこれを整理して、そうして判事の署名捺印を得て、初めて公判調書というものが完成されるのですが、これについてはとかく誤謬が発見されることがあるのです。この五十條の規定はさいわいにして証人供述要旨をつけるということになつてつて、そうしてその証人供述要旨の正確さについて異議を申し立てることがありまするけれども、公判調書それ自体の誤謬というものを訂正することが述べられていないのは、私は欠陥じやないかと思いますが、その点に対する御意見を承りたい。
  26. 野木新一

    野木政府委員 この点につきましては、まつたくお説のようでありまして、実はまことに恐縮に存じますれけども、この点は脱漏があつたのでありまして、今正誤の手続をとつておりまするから、御了承を願いたいと思います。その点は五十條と五十一條一つになりまして、新しく五十一條として、今おつしやつた趣旨のこういう條文がはいります。新しい五十一條といたしまして、「檢察官被告人又は弁護人は、公判調書の記載の正確性につき異議を申し立てることができる。異議の申立があつたときは、その旨を調書に記載しなければならない。前項の異議の申立は、遲くとも当該審級における最終公判期日後十四日以内にこれをしなければならない。但し、最終公判期日後に整理された公判調書については、整理ができた日から十四日以内にこれをすることができる。」こういう趣旨條文が正誤にはいることになりますが、御了承を願います。
  27. 中村俊夫

    中村(俊)委員 それから五十二條でありますが、五十二條は現行刑事訴訟法の六十四條に対比されるべきものであるのですが、この現行刑訴の六十四條は「公判期日ニ於ケル訴訟手続公判調書ノミニ依リ之ヲ証明スルコトヲ得」と簡單になつておるのですが、この改正の條項によりますと、「公判期日における訴訟手続公判調書に記載されたもの」というふうに特に加えられておるが、どういうわけで、これが加わつたのかということを、御説明願いたい。
  28. 野木新一

    野木政府委員 現行法の六十四條につきましても、解釈論が多少わかれておる点もあるようであります。それで本案におきましては「公判期日における訴訟手続公判調書に記載されたものは、公判調書のみによつてこれを証明することができる。」とありまして、公判調書に記載されたものというふうに、公判調書に大きな権威性を認めまして、公判調書のみによつてこれを証明するのであります。他の証明資料は許さないというわけであります。ただ公判調書に記載されていないものにつきましては、他の資料でこれを集め得る。訴訟手続という点は、証言の内容という点までも含ませる趣旨でないということに、お解し願いたいと思います。
  29. 中村俊夫

    中村(俊)委員 これは簡單なことですが、五十四條の書類送達に関すること、ここに送達に関する規定が除かれておりますが、所在不明のものに対する送達は、裁判所規則の中に定められるという趣旨でございますか、これをお伺いしたい。
  30. 野木新一

    野木政府委員 裁判所規則でも、公示送達に関する規定は置くことはできない、そういうわけであります。
  31. 中村俊夫

    中村(俊)委員 所在不明のものに対する送達方法については、どういうようにとられるのでありますか。
  32. 野木新一

    野木政府委員 所在不明のものに対する送達ということは、結局送達不能になる、そういうことであります。
  33. 中村俊夫

    中村(俊)委員 それから五十七條には「裁判所は、裁判所規則で定める相当の猶予期間を置いて、」云々とあるが、実は私はこの全文を通じて、随所に裁判所に関しては、規定がきわめてルーズなものになつておる。これは旧來の刑訴でもそうですが、現在の改正法律案でも、四十八條の三項を見ますと、「できる限り速やかに、」であるとか、あるいは五十七條においては「相当の猶予期間を置いて、」であるとか、それから七十三條の三項にも「できる限り速やかに」とか、その他にもあるようですが、まだ全部にわたつては調べておりませんが、とにかくこういうように「相当の猶予期間」であるとか、「できる限り速やかに」であるとかいつたような言葉が、随所に使われております。そして被告人弁護人側は、必ず全期間の日にちがはつきりと五日以内とか十日以内というように定められておりますが、この相当の期日というのは、裁判所規則では具体的に数字にきめられるということを予想されておるのであるか、どうですか。裁判所規則でも不明確な相当というような趣旨言葉が使われるように予想しておられるのですか。ここには相当という期間ではありますけれども、裁判所規則では、具体的数字が書かれるということを予想しておられるのかどうかをお尋ねしたい。
  34. 野木新一

    野木政府委員 裁判所規則におきましては、おそらく場合をおかすということになる場合もあると思いますけれども、具体的の時間が原則的に規定されると思います。
  35. 中村俊夫

    中村(俊)委員 八十一條についてお尋ねいたします。「裁判所は、逃亡し又は罰証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるときは、」いわゆる接見禁止、物の授受の禁止、差押えするということになつておるのでありますが、この「疑うに足りる相当な理由」という言葉が、非常に曖昧だと考えられるので、この禁止の処分は決定でもつてなされるのでありますか、命令でなされるのでありますか、不明でありますが、いずれにしても、いわゆる裁判所の処分であるのでありますから、その禁止の処分に対しては、具体的な事実を挙示しなければならぬと解しておるのであります。これはいずれ保釈の点につきましても伺おうと思つているのでありますが、今までそれがほとんど守られていなかつた。もちろん上訴を禁止する裁判に対しては、理由を書く必要はありませんけれども、元來原則としては、裁判には理由を附さなければならぬということは四十四條で明らかになつておりますために、上訴を許さない決定または命令は、理由を附する必要がないけれども、その他の判決は、申すまでもありませず、決定、命令に理由を附さなければならぬにもかかわらず、今までに理由を附してある決定がない場合が多かつたように、私は考えておりますが、この場合におきましても、この処分に対しては、やはり具体的な理由、何がゆえに罪証を隠滅すると疑うに足りるかというような理由を明記しなければならぬと考えますが、その点に関する政府のお考えを伺いたい。
  36. 野木新一

    野木政府委員 八十一條のいわゆる接見禁止の決定につきましては、この案では四百二十條第二項におきまして、勾留に関する決定については同條第一項の規定を適用しない。從つて原則に返りまして、抗告ができるという解釈になると思います。從つて上訴を許す決定または命令には理由を附することを要しないという、四十四條第二項の規定は適用なくなりまして、いわゆる上訴を許す決定になりますので、理由を附することになるものと思います。
  37. 中村俊夫

    中村(俊)委員 現行刑事訴訟法の百十二條の二項には、裁判所檢閲ヲ為スコト能ハサルトキハ檢事之ヲ為スコトヲ得」という規定があるのでありますが、この改正案には、右のごとき規定がありませんから、檢察官は絶対に檢閲をなし得ないと解釈してよろしゆうございますか。
  38. 野木新一

    野木政府委員 要するに檢察官書類その他のものを檢閲することはありません。
  39. 中村俊夫

    中村(俊)委員 つまり現行刑事訴訟法の第二項が削られていると解釈していいわけなのですね。
  40. 野木新一

    野木政府委員 削られておるわけです。
  41. 中村俊夫

    中村(俊)委員 それから八十九條の保釈の点でありますが、八十九條の第一特第三号「被告人が常習として長期三年以上の懲役又は禁錮にあたる罰を犯したものであるとき。」こういう字句が使つてありますが、常習という言葉は、いわゆる法律用語として、常習賭博であるとか、あるいは盗犯防止の法律に書かれておる第二條以下の犯罪を指すのですか。それとも裁判所が認定をして、これが犯罪常習者だと見られる場合を指すのですか。いずれを指すのでありますか。
  42. 野木新一

    野木政府委員 お説の後者であります。
  43. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次に第四号ですが「被告人が罪証を隠滅する虞があるとき。」先般私は総括的質問のときにも伺つたのでありますが、なるほど立案者の考え方は、保釈というものは権利なんだ、從つて第一審の判決があるまでは、被告人は無罪なんだという建前でいくのだというのであります。これははなはだ結構なことでありまして、この保釈の点については、この法律が施行されまするならば、全國の裁判官はこの立法の精神をよく理解されて、保釈の点についても、その原則を守られることだろうとは信ずるのでありまするけれども、どうもこれは私どもの考え方ではありません。おそらく先般も明禮委員質問されたごとくに、保釈の点については、いまだに日本の多くの裁判官の頭に、原則としてはむしろ保釈を許さないという考え方が支配をしておることは明らかであります。それで八十九條の原則は、保釈の請求があつたときは、以下の五号の條件がない場合は、これを許さなければならぬということになつておりますが、一番危險なのが第四号でございます。「被告人が罪証を隠滅する虞があるとき。」これもただいま質問いたしました決定に対してはなるほど即時抗告ができるわけですから、当然保釈の結果に対しては、今まで理由を附せなければならなかつたはずです。これは瀧川幸辰教授も指摘されているごとくに、なお相当身柄を拘束する必要があると認めるから保釈の申請を却下するが、何のためになお拘留する必要があるかという理由があげられていないのです。私が最もおそれるのは、やはりこの「被告人が罪証を隠滅する虞あるとき。」という場合です。というのは、御承知の通りこの改正では被告人黙秘権を強く認めております。從つて今より否認事件が続出してくるだろうということが想像されるのです。そうすると今までの取扱いは事件を否認するものは絶対に保釈を許してくれませんでした。それとこの第四号とは相結んで被告人が罪証を隠滅するおそれがあるということにして、許されないようになりはしないか。それから第四号は、そういう簡單言葉になつておるのですが、保釈の取消しの場合に、九十六條の被告人が逃亡したとき、逃亡もしくは罪証を隠滅すると疑うと足りる相当な理由があるとき取消すことができるいう意味規定は、四号を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があると保釈を許さないという規定にする。ここにこういう規定がむしろ必要であつて、その方が取扱い方が丁寧じやないかと考えられるのですが、この点について重ねて政府の御意見を承りたいと思うのであります。  それからなお一点、これは一つの立法的な考え方でありまして、今ここで私の個人意見としてお聽きを願つておきたい。ただいま承れば、さいわい公判調書について訂正の案をお出しになるというのでありますが、ついでにお考えを願いたい。これは私は非常にいい制度考えるのでありますが、これは保釈を許してもらいやすいという一つの方法なんです。もつとも八十九條においては原則として保釈の請求権は被告人の権利だということになつておりますが、今申し上げたように、四号、五号——五号はあとで伺いますが、この規定の濫用によつて保釈がとかく許されないのじやないか。そこで私はこういう一つの私案を提出いたしたいと思うのです。保釈された者が逃走をした場合は、九十六條の決定を取消し、そして保釈金の一部または全部を没收するというのでありますが、これでは足りないのです。捜査をして再び拘引されるまでの捜査費用というものを引受人に負担せしめるという制度です。これをぜひ私はお考え願いたいと思うのであります。そうすれば弁護人も無責任なる引受をいたしませず、親戚その他の友人が引受けましても、むしろ責任をもつて逃走をせしめないということになるだろうと思われるので、一つの私案といたしまして、保釈金の没收以外に捜査費用を引受人に負わしめ、そしてできるかぎり保釈を許すという方向に向つてつてつていただけないかと考えるのであります。  それから五号であります。被告人の住所不定の場合ですが、どういう場合に住所不定と見るのか私は問題だと思う。現に先般も私の経驗からいきますと、勝手に警察官が住所不定にしてしまつておる。本人が親戚の家を住所としておるにかかわらず、記録には住所不定ということになつておる。そうすると單にそういう外見的な面だけで裁判所が住所不定だという場合には、これは許さぬのじやないかという疑いがあるのであります。もつとも五号には「被告人の氏名及び住居が判らないとき。」とありますから、住居がわからないだけでは、この第五号にあてはまらないとは思いますが、「被告人の氏名又は」ではありませんで、「被告人の氏名及び住居が判らないとき。」でありますから、この二つの條件がそろわなければ、原則として許されぬと思うのでありますが、私はそう解釈するのです。これは「又は」という趣旨に解すべきであるか、氏名及び住居がわからなければいけないのかという点でありますが、先ほどの被告人の罪証を隠滅するおそれがあるというときは、かりに氏名及び住居が不明だという場合として、その住居不明だという場合は、どういう場合をもつて住居不明だと判断されるのであるかという点と、私の私案について御意見を伺いたいと思います。
  44. 野木新一

    野木政府委員 便宜簡單あとの方の御質問からお答え申し上げます。第八十九條第五号は、御説明通り被告人の氏名及び住居両者ともわからないとの趣旨でありまして、氏名のみわからなかつたり、住居のみがわからなかつたり片方のみのときは、これははいらない趣旨であります。具体的の事例といたしましては、たとえば今度の神戸の騷擾事件などのときにもあつたことでありますが、名前も住所も何とも言わないで黙つておるという者がありますので、それなどはまさにこの適例だろうと存じます。  次に御質問の第一の点でございますが、なるほど八十九條第四号におきまして、被告人が罪証を隠滅するおそれがあるときは必ずしも保釈を許さなくてもいいという建前になつておりまして、この運用のいかんによつては、保釈ということはほとんどなくなるだろうという御心配も一應ごもつとものように存じますが、刑事訴訟法の應急措置法の施行された後においては、格別八十九條のような規定がなかつたわけでありますけれども、すでに保釈に対する裁判官考え方が大分違つておりまして、昔よりも保釈の数がずつと殖えている。從いまして、今度この案によりまして、八十九條のような規定がおかれまするならば、「罪証を隠滅する虞があるとき。」という解釈も、実際の適用面におきましては、ずつと今までと違つてきまして、現行刑事訴訟法当時のような運用には万々なることはないのではないかと思つておる次第であります。  なおお漏らしになりました私案の点でございますけれども、これも一應これに類似のようなことは私ども考えてみましたが、今度の案ではここまでいき得ませんでした。しかし考え方としては、非常に優れた点をもつているお考えと敬服いたす次第であります。
  45. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次は九十二條でありますが、九十二條の「裁判所は、保釈を許す決定又は保釈の請求を却下する決定をするには、檢察官意見を聽かなければならない。」という規定でありますが、「檢察官意見を聽かなければならない。」ということは、もう必要がないのではないか、これは削るべきものではないかと私は考えておりまか。これは御承知の通り從來裁判所が保釈を許すか許さないかについて求意見というものをやりますが、これは形式的なことでありまして、裁判所は独自の見解で保釈を許せばいいのであつて檢察官意見というものは、裁判の決定に対して、ほとんど何らこれを拘束するものでない。殊に先ほど申しましたように、檢察官地位がいわゆる原告官地位ということになつているにもかかわらず、やはり現行刑事訴訟法と同じような規定かここにあるということは、はなはだ私は遺憾に思うのであります。殊に九十五條に「委託」とありますのは、現行刑事訴訟法の「責付」の場合であると考えられますが、それと執行処分については、何ら檢察官意見を求めようということになつておりません。ところが、現行刑事訴訟法の百十八條には「裁判所ハ檢事ノ意見ヲ聽キ決定ヲ以テ勾留セラレタル被告人ヲ親族其ノ他ノ者ニ」云々とありまして、現行刑事訴訟法は、この場合においては、檢事の意見を聽くことを前提とされておる。ところが、この改正法案は、檢事の意見を聽くということはできない。それにもかかわらず、九十二條の保釈の決定または保釈の請求を却下する決定の前提として、檢察官意見を聽かなければならぬということは、一つの矛盾したところの考え方が出ているのではないか。從つてこの九十二條檢察官意見を聽くということは必要ないのではないか。当然削らるべきものではないかと考えますが、御意見を承つておきます。
  46. 野木新一

    野木政府委員 本案においては、現行刑事訴訟法で、檢察官または被告人または弁護人意見を聽くと書いてあるところを、相当の部分落している点があります。それは大体ルールで規定していただくという趣旨であります。ただ意見を聽くということは、殊に公判段階においては、当事者訴訟法的色彩が強くなりましたので、一方の申立があつて、それに対して決定などをする場合は、おおむね他の方の者の意見を聽くという立て方に、ルールでもなるものと思つております。ただこの保釈の点において、特に「檢察官意見を聽かなければならない。」と、取上げて法律規定いたしましたのは、今までの実際の例に見ても、保釈は一番活用される。しかも保釈の場合には一番問題が多いのでありまして、治安の維持という責任をまつておる檢察官意見を聽いて、保釈の決定をするということは、ほかの場合よりもずつと適用の場合も多いし、少くとも今の段階においては必要である、そういう考え方であります。  なお九十五條の方は、法律意見を聽くということを規定いたしませんでしたのは、これは保釈の場合とそう問題になるとこは多くないので、あえて法律でこれを書くまでもないことだ、こういう趣旨でございます。
  47. 中村俊夫

    中村(俊)委員 それからこれは簡單なことですが、九十三條の二項にあります相当の金額でなければならぬという保釈の保証金ですね。相当の金額でなければならぬという字句のわれわれの受ける感じは「相当」という字は多額のような感じを受けるのですが、そこで保証金を積める人はよいが、積めない場合には、この九十五條の委託、いわゆる昔の責付で救済さるべきだというのですが、どうも責付ということを裁判所はやつておりません。そこで九十四條の保証書でこれを救済されるのではないかと思いますが、そういう私の解釈は、つまり極貧の者について保証金がないというような場合は、救済するのは九十四條でやるのですか、九十五條でやるのですか。  それから九十四條の保証書というものの具体的の性質を、ひとつ明らかにしていただきたい。どういうものをもつて保証書と裁判所は認めるのか、それだけひとつ知らしていただきたい。
  48. 野木新一

    野木政府委員 現行法においては、保証金額を定める標準規定法律にはつきりしておりませんでしたので、その手がかりを得せしめるために、九十三條第二項で、このような規定を設けたわけであります。この保証金も支拂うことはできない。——まあ絶対に身体の拘束を継ける必要がないという場合には、もう保釈という問題になつて、勾留を取消してもよいし、また九十三條の方にいつて勾留の執行を停止してもよいのではないかと思つております。  なお若干保証金額も積まなければ少し危い。しかも今言つたように、全然手放しはできないが、金がないという場合については、一つは御説のように九十五條で委託、これは大体今の御説のように、責付に相当するものであります。これでいけます。なお九十四條第三項において、裁判所が適当と認める被告人以外の、たとえば親、兄弟あるいは弁護人でもよいのでありますが、そういう者の差出した保証書でもつて保証金に代えることができるという規定になつて、それが活用になると思います。この保証書と申しますのは、保証金に代るものでありますから、たとえば被告人が逃亡したとか、そういう場合には、保証金に相当する金額について責付を負う、そういう意味の書面であります。
  49. 中村俊夫

    中村(俊)委員 そうですか。そうしますと九十四條第二項の保証書というのは、單に身柄引受書のような性質のものでなしに、逃亡した場合には保証金に相当する金額を保証するという民事上の債務を負担する証書のようなことを意味するものと了解してよろしいのですか。
  50. 野木新一

    野木政府委員 この点については、現行法の百十七條第三項、四項に保証書の規定がありまして、本案の保証書も現行法百十七條三項、四項の保証書と同じ趣旨のものと考えております。
  51. 中村俊夫

    中村(俊)委員 それから百五條でありますが、百五條但書「但し、本人が承諾した場合、押收の拒絶が被告人のためのみにする権利の濫用と認められる場合」という言葉を使つておられます。これは百四十九條にも同じ言葉が使われているが、この百四十九條の但書「本人が承諾した場合、証書の拒絶が被告人のためのみにする権利の濫用と認められる場合」というのは、どういう意味でありますか。
  52. 野木新一

    野木政府委員 比較的まれな場合かと思いますが、一例をあげて申しますと、本人は押収されることを承諾してもしないでもよいのであるが、被告人がその本人に頼みこんで、本人は被告人の顔を立てて承諾しないという場合、しかし裁判所から見ますと、全体を調べてみて、どうも本人が承諾しないのは、結局そういう場合には本人本來の利益のために承諾しないのではなくて、もつぱら被告人のためのみにする一種の権利の濫用と認められる、そういうことになりますので、そういう場合には、本人が被告人から頼まれて承諾しない場合でも、これを押收することができる。証言の方も同じ例が適用になると思います。
  53. 中村俊夫

    中村(俊)委員 どうも今の御説明では、私ちよつと納得いきかねるのですが、但し本人が承諾しておるのですから、承諾した場合でも、種々もつているものを、医者とかその他の者が押收を拒絶するのですからして、今の引例はちよつとどうかと思うのです。本人は自分が法廷で承諾して、かげにまわつて出すなというのは、極端な場合だと思うのです。むしろ私はこういうような意味じやないかと思うのです。押收の拒絶が被告人のためのみにあらず、公共福祉に反するというようなときには、権利の濫用でないというような意味も含まつておるのではないかと、私は想像するのですが、あなた方の立案趣旨は、今言われたようなことですか。それにすれば、本來の権利の濫用という言葉と矛盾しないか。私の想像するところでは、押收の拒絶が被告人のためのみにでなく、これを出すことによつて公共福祉を害すというときには、これは権利の濫用でない。それ以外の場合は、権利の濫用という趣旨と解してよいのではないか。具体的に言えばわからないものですから、伺つておるのです。
  54. 野木新一

    野木政府委員 本人の承諾した場合は但書の一番初めの部分で、これは押收を拒むことはできなくなることでありまして、次の部分は本人が承諾しない場合の話であります。
  55. 中村俊夫

    中村(俊)委員 そうすると、やはり政府説明通りに、立案趣旨は、今言われたように、極端の場合などを想像して、こういうことを書かれておるのですか。それにしては、どうもわれわれは、被告人のためのみにする権利の濫用というので、非常に狭い、ほとんど死文とひとしいのではないかと思われるような規定だと思われるのですが、やはりお話の通りに、本人が出してくれるなと言つたような場合に、出さないということが、被告人のためのみにする権利の濫用だと解釈する、こういうように了解していいのでございますか。
  56. 野木新一

    野木政府委員 この文はお説のように、適用事例としては割合まれな場合になると思います。
  57. 中村俊夫

    中村(俊)委員 百十五條についてお伺いいたしますが、これは大体強行規定なのですが、訓示規定なのか、伺いたい。
  58. 野木新一

    野木政府委員 これは強行規定であります。
  59. 中村俊夫

    中村(俊)委員 それから百三十一條の二項です。これも強行規定と解釈して差支えないか、伺いたい。
  60. 野木新一

    野木政府委員 これも先ほどの規定と同趣旨であります。
  61. 中村俊夫

    中村(俊)委員 強行規定と解すべきだと了承してよろしゆうございますか。
  62. 野木新一

    野木政府委員 そうでございます。
  63. 中村俊夫

    中村(俊)委員 それから次にお尋ねいたしますが、百四十條の後段の「且つ、身体の檢査を受ける者の異議理由を知ねため適当な努力をしなければならない。」とある。これはどういうことを規定されておるのかということと同時に、これも強行規定と解すべきではないかと思いますが、御意見を承りたい。
  64. 野木新一

    野木政府委員 百四十條の「身体の檢査を受ける者の異議理由を知るため適当な努力をしなければならない。」という点でございますが、要するに身体の檢査を受ける者が、すなおに受けないというのは、そこにいろいろ理由がある場合が多いと思います。たとえば病院に行くなら、あるいは医師の立会いを得るならば受けてもよいとか、あるいは今は都合が悪いけれども、分娩後ならば受けてもよいとか、いろいろ理由がある場合が多いと思います。從いまして裁判所が百三十七條の規定によつて過料を科したり、また百三十九條の規定によつて身体の檢査をするという場合には、なるべくそういうようないろいろの理由を問い質して、なるべく穏やかにこれを進めることにしたらどうか、そういう精神をここに盛つておるわけであります。     〔八並委員長代理退席、委員長着席〕
  65. 中村俊夫

    中村(俊)委員 そこで私がお伺いしたいのは、これも証拠になるのですから、過料を科されて、ようやくにして身体の檢査をするというときに、あらかじめ檢察官意見を聽いて、かつ身体の檢査を受ける者の異議理由を知るために適当な努力をしないで、そういう身体の檢査をして証拠を蒐集したという場合には、これは訓示規定でなくして強行規定ではないかということをお尋ねしておる。
  66. 野木新一

    野木政府委員 異議理由を知る適当の努力をしないで、身体の檢査をしてしまつた。たまたまそういう結果が生じた場合に、それがはたして証拠能力があるかどうかという点につきましては、たとえばほかの方の押收搜査をした場合に、その手続に一部違法な点があつた、そういう場合に、押收した物げ証拠物として証拠能力があるかどうかという点と、一脈関連した問題になると思いまして、解釈論としては、若干わかれてくる点もあるかと思いますが、本案におきましては、必ずしも証拠能力までも否定する、そういう意味において強行規定であるというまでは考えておりません。從いまして、証拠能力があるという意味におきましては、これは訓示規定というように解しております。
  67. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次に百五十九條の三項の却下ですが、この却下は、もちろん私は決定だと思うのです。ところが刑事訴訟法を全部読みますると、必ずその決定の場合には、決定でもつて云々という言葉が使つてあるにかかわらず、この第三項だけはこれを却下することができるという言葉だけしか使つていないのです。これはやはり決定でもつて却下するという意味だと了解して差支えありませんか。
  68. 野木新一

    野木政府委員 さようであります。なおついでに、先ほどの女子の身体檢査の規定が強行規定であるかどうかという点につきましても、強行規定という意味でありますが、先ほどの百四十條の場合と同じ趣旨である、そういうふうに御了承願いたいと思います。
  69. 中村俊夫

    中村(俊)委員 この点は非常に重大なのです。あなたの百三十一條の第二項の御説明は、百四十條の場合と同じだという意味は、これは強行規定と見ないという趣旨なのですか。これは重大なことでありまして、今まではこういうことはほとんどやつていなかつたのです。しかしこれは人権の擁護からいい、すべての点からいつて、この規定だけは強行規定だということに解されなければこれは無用の長物になつてしまうのです。これは訓示規定と解すべきでないと思います。私はこういう議論を出したい。この点について政府の責任ある御答弁を伺いたい。大体よく訓示規定という言葉を使いますが、私は訓示規定というものは、法律にはないと思います。法そのものではないのであります。これは学者が勝手に訓示規定ということを言つておるのだと解釈しております。美濃部さんの行政法には、訓示規定について意見があるのです。その博士の説によれば、訓示規定は官廳内部に効力を及ぼすにすぎないと解釈されておる。ところが刑事訴訟法は外部に対する効力なのです。内部に関する効力じやないのです。つまり被告人弁護人檢察官等外部の者に対しては、絶対訓示規定はあり得ないという解釈をもつておる。從つて官廳内部に効力を及ぼすならば、行政官廳の法規などによくありますが、しかしいやしくも刑事訴訟法には訓示規定というものはないと思います。よく訓示規定、訓示規定と司法法規に使いますけれども、少くとも外部に影響を與えるものに、私は訓示規定というものはあり得ないという見解をもつております。從いまして、いわゆる刑事訴訟法に訓示規定があるということは、原則論としてはあり得ません。
  70. 野木新一

    野木政府委員 ただいまの点につきましては、後刻一緒にお答えいたします。
  71. 中村俊夫

    中村(俊)委員 これは議論になりますけれども、私は刑事訴訟法には訓示規定というものはあり得ないという考え方をもつておりますから、もしもこの次にお答えを願うならば、その点についても、政府側に意見をお聽きしたい。  次に百八十三條ですが、ここに「告訴、告発又は請求により公訴提起があつた事件について」云々となつております。この百八十三條は、現在の刑事訴訟法の二百三十九條に相当する規定であるわけなのですが、二百三十九條には請求という言葉はない。ところが百八十三條には新たに請求という言葉が加えられている。ところがこの請求という言葉が当てはまるのは、刑法の九十條から九十二條のあの規定である。これは御承知の通りであります。ところが先般の刑法の一部の改正によりまして、九十條と九十一條を削除になつて、九十二條だけが残つている。あの「外國ニ対シ侮辱ヲ加フル目的ヲ以テ其國ノ」云々、そして何々の「罰金ニ処ス但外國政府請求ヲ待テ其罪ヲ論ス」つまり現在の刑法では、九十條、九十一條がもうすでにない。削除になつて請求をまつてその罪を論ずる事件は九十二條だけに残つている。ところが九十條から九十二條が生きているその時代においてすら、現行刑事訴訟法の二百三十九條には請求という言葉が拔けているにもかかわらず、九十條、九十一條が削除になつて、わずかに九十二條だけが残つている現在において、この百八十三條に特に請求という言葉をお加えになつたのは、どういう趣旨であるかを御説明願いたいと思います。
  72. 野木新一

    野木政府委員 百八十三條に請求がはいりましたのは、最近の労働関係の諸法令におきまして、請求により檢察官公訴提起する、そういうような場合がありますので、そういう場合を頭に入れて、なおほかにも告訴、告発という以外に、請求によるというような趣旨の立法が出てくる場合を予想して、ここに特に附け加えておいたわけであります。
  73. 中村俊夫

    中村(俊)委員 私も寡聞にして労働法規のこの請求という條文を知らないのでありますが、この請求の中には九十二條請求を含まないのであるか、含むのであるのかということと、それから他の新しい請求による公訴提起という條文を、きようでなくても結構ですから、御指示を願いたい。
  74. 野木新一

    野木政府委員 ただいまの御質疑の刑法第九十二條請求も、解釈上はここに含むと解しております。
  75. 中村俊夫

    中村(俊)委員 そうしますと、この九十二條の場合を予想した場合に、そういう事例があつたとすると、どういう方法をもつてその訴訟費用を外國政府に負担せしむる方法があるのですか。
  76. 野木新一

    野木政府委員 刑法九十二條の場合は、事外交問題に関連いたしますので、百八十三條でこういう書き方になりました以上は、解釈上含むようなことになりますけれども、百八十三條は負担せしむることができるというだけで、負担させなければならないという形になつておらないこと、及び事柄の性質上、実際上問題になることはないのではないかと思つております。
  77. 井伊誠一

    井伊委員長 それでは午後一時まで休憩いたします。     午後零時九分休憩      ————◇—————     午後二時三十一分開議
  78. 石川金次郎

    ○石川委員長代理 休憩前に引継き会議を開きます。中村俊夫
  79. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次にお尋ねいたしますのは、二百十二條でありますが、二百十二條の第二項に「左の各号の一にあたる者が、罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるときは、」という言葉が使つてありますが、この「間がない」という言葉は、法律用語として、まことに不明瞭な言葉であると思うのですが、間がないという言葉と、直後という言葉と違うのかどうか。御説明願いたい。  それから二項の一号にあります「犯人として追呼されている」という言葉がありますが、「追呼」という言葉は、どういう具体的事例を指すかを、御説明願いたいと思います。
  80. 野木新一

    野木政府委員 二百十二條の二項の「間がない」という言葉でございますけれども、この点は現行刑訴の百三十條第二項には、いわゆる準現行犯の規定がありますけれども、ここにはこういうような、時の言葉がはいつておりませんので、見方としては、大分経つてからでも、なお準現行犯になるのではないかという誤解も起り得る余地がありますので、そういう誤解がないように、本案におきましては、時の関係をはつきりさせる意味で「間がない」という言葉を入れたわけであります。その意味におきまして現行法の百三十條第二項の準現行犯よりも、大分嚴格になつておるということを御承知おき願いたいと思います。しこうして間がないということと、直後ということとでは、どう違うかという点でございますけれども、間がないという方が、ややゆとりがあるのではないかと考えられます。  次に第一号の「犯人として追呼されているとき。」これは英米法にも、こういう用語があるようでありまして、要するに、たとえばどろぼうどろぼうと呼ばれて、追われておる。そういうような場合が適例だと思います。
  81. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次は二百二十七條ですが「公判期日においては圧迫を受け前にして供述と異る供述をする虞があり、」こういう言葉が使つていあるのですが、この公判期日において圧迫を受けという言葉は、どういう具体的場合を予想して言われておるのかということと、それから公判期日に圧迫を受け、前にした供述と異なる供述をするおそれがあるということを、檢察官がどうして知ることができるか、そういう場合が、どういう具体的場合を予想して、こういう法條が規定されておるかを御説明願いたいのです。  それからこの二百二十四條は、百一十九條以下の弁護人その他の証拠保全の場合と同じように、これも一種の証拠保全だと解しておるのですが、そう解してよいのであるかどうかについて御説明を承りたいのです。
  82. 野木新一

    野木政府委員 二百二十七條は、ある特別な場合の規定でありまして、例といたしましては、將來そうたくさん起ることはないと思います。たとえばある封建的な親分が恐喝をしたというような事件考えてみまして、非常にまれな場合と思いますけれども、その被害者が警察官の前では、一應任意に正しいことを言つた。ところがあとでその親分から非常に脅迫などを受けて、公判廷に出た後には、ほうとうのことを言えない、そういうような心配がある。しかもその者の供述は犯罪の証明に欠くことのできないと認められる場合には、檢察官は二百二十七條によつて裁判官にその証人尋問請求して、その者の供述を保全しておく、そういうのがこの規定趣旨であります。從いまして普通の場合におきまして、公判期日供述が変るかもしれないという單なるそんな心配から、檢察官がこの規定によつて証人尋問をむやみにするようなことは、この規定の予期するところではありませんので、第二項にいきまして、檢察官がこの規定によつて証人訊問を必要とする場合には、特にその証人尋問をする理由及びそれが犯罪の証明に欠くことができないものであることを疏明しなければならないというような規定の立て方になつておるのであります。從いまして、檢察官が十分この規定の項にあたる場合であることを疏明しなければ、裁判官は、これに應ずる必要がないという建前になつておるのであります。
  83. 中村俊夫

    中村(俊)委員 私の特にお伺いしたいのは、第二項のごとく、公判期日前に限つて証人尋問請求することができると、これにはその方法が書いてありますが、そういうことでなしに、とにかく一應檢察官、檢察事務官、または司法警察職員の取調主張に際して任意の供述をしているのです。ところが公判期日においては圧迫を受け、前にして供述と異る供述をするおそれがあるという事実をどうして発見するかということについて、檢察官從來とかく被告人をさわる傾向がある。一應檢察官取調べは済んでおり、警察職員の取調べは済んでおる。ところがそれでもしよつちゆうさわるのです。証拠とかあるいは追訴をしようとか、いろいろな事例もあるでしようが、はなはだしい例に至つては、略式命令の正式裁判を仰ごうとしたときは、わざわざ本人を呼んで非常にさわる、過去においては、さわることが非常にあつた。そういうことは絶対に避けなければならぬと思うのですが、この規定によると、「公判期日においては圧迫を受け、前にして供述と異る供述をする虞があり、」云々とあるが、これはどうして知ることができるのですか。どういうことを予想されているのかという具体的例を示していただきたいと思うのです。
  84. 木内曽益

    木内政府委員 その点につきましては、いろいろの場合があろうと思いますが、大体かような事件が起り、被害者等を調べる際において、檢察官等において、十分承知し得られる場合が多いのであります。先ほどの御質問に、檢察官などがあとで関係者をいじるとかいろいろお話がありましたが、私どもは御質問にようなことは、從來もないと思つておるものでありますが、事実さようなことがあつたとすれば、從來といえども、私ははなはだよくないことと考える次第であります。なおこの改正案の建前等からいきましても、今後においては、少くとも今中村委員の御心紀になるような、あとで略式命令を請求し、正式裁判を求めようとするものを阻止するような方法を講ずるようなことは、絶対に起り得ないとかように考えております。
  85. 中村俊夫

    中村(俊)委員 二百五十六條の五項についてお尋ねいたします。この規定によりますと「数個の訴因及び罰條は、予備的に又は択一的にこれを記載することができる。」と規定されておる。この規定趣旨は、二個の訴因を限度とするのか、それとも二個以上を予備的または択一的に記載し得るという規定であるのか、たとえば強盗とか、傷害とか、暴行とかという三つを、予備的もしくは択一的に並べるのか、私の理解するところでは、二つのものが択一といつても、犯罪の性質の同一性を失わない範囲でなければならないのではないか、これは廣義に解釈するのは許されないのではないかと考えておるのでありますが、これは廣義に解釈するのだ、あるいは文書偽造と殺人ということも可能であるのか、詐欺とか不実記載というような全然別個のものをも択一的に記載できるのか、これは私は嚴格に狹義に解釈さるべきものであつて、犯罪の性質の同一性を失わないものに限つて許されるものだと考えておるのでありますが、この点について御見解を承りたい。
  86. 野木新一

    野木政府委員 その通り趣旨もまつたく中村委員のお説の通り嚴格なものであります。
  87. 中村俊夫

    中村(俊)委員 重ねて、これは速記に明記しておきたいのですが、犯罪の性質の同一性を失わない範囲でなければならぬということに了解して差支えないかということと、冒頭にお尋ねした二個の訴因を限度とするのか、犯罪の同一性を失わない限りは三個でもよいのか、この点なのであります。
  88. 野木新一

    野木政府委員 犯罪の同一性の限度であるということ、從つて犯罪の同一性を失わない限りは、予備的に三個になつてもよいと考えております。そういう趣旨であります。
  89. 中村俊夫

    中村(俊)委員 それから第六項でありますが、これもきわめて重大な規定でありまして、この第六項は先ほども議論をいたしまして、後ほどお答え願えることになつておりますが、大体刑事訴訟法には訓示規定というものはあり得ないという見解なんですが、この第六項はもちろん強行規定であつて、予断を生せしめる虞のある書類その他のものを添附しまたはその内容を引用した場合にえいては、上告の理由になると理解してよいと思いますが、この第六項のごときは強行規定である。もちろん強行規定でなければならぬのですが、これに関する御見解を承りたい。     〔石川委員長代理退席委員長着席〕
  90. 野木新一

    野木政府委員 一番手近かな問題といたしまして、起訴状に、二百五十六條末項の規定に違反して、予断を生せしめる虞のある書類その他の物を添附し、またはその内容を引用したような場合に、公訴棄却になるかならないかという点に、一番強行規定かどうかという点があると思いますけれども、これは非常に強い趣旨規定でありまして、もし添附したような場合は、公訴棄却になるものと解釈いたします。
  91. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次に二百五十九條でありますが、これはあまり大して重要な意味を含んでいないと思いますが、「檢察官は、事件につき公訴提起しない処分をして場合において、被疑者請求があるときは、速やかにその旨をこれに告げなければならない。」とありますが、二百六十條と対比いたしますれば、二百六十條は「告訴、告発又は請求のあつた事件について、」この請求という意味は、二百五十九條の被疑者請求と云ふ意味なんですが、告訴人、告発人あるいは請求事件請求者から請求がなくても、これは速やかにその結果を告げなければならぬという規定ですが、二百六十九條は、特に被疑者請求があるときに限り、この旨を告げなければならぬとありますが、これは二百六十條と同じく、被疑者請求のあるなしにかかわらず、その結果を告げる方が親切であり、だれでもその結果を知りたいと期待していることでありますから、二千六十條と同じく、この言葉だけは削られる方がよいのではないかと考えるのですが、いかがでありましようか。
  92. 野木新一

    野木政府委員 二百六十條の方は、告訴、告発または請求があつた事件でありますので、その結果は告訴人、告発人または請求人に必ず通知する、そういう建前にしてわけでありますが、二千五十九條の方は、そういう関係がない場合でありまして、しかも相手が被疑者でありますので、この被疑者は必ずしもいつもその結果の通知を欲するものでなく、かえつてはがきなどが自分のうちにきたりするときには迷惑をするという場合も考えられますのと、いま一つはこの訴訟法実施の上におきまして、被疑者の全部に通知するとなると、いろいろの手数の点でもなかなかたいへんでありますので、一度にはそこのでいけない、そういうのがこの立案趣旨であります。
  93. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次に二百六十二條でありますが、二百六十二條の第一項は非常に新らしい規定でありまして、職権濫用の罪と申しますか、涜職罪の罪に関して告訴または告発をしたものは、これが不起訴になり、あるいは起訴猶予になつた場合には、不服を申し立てる請求権というものが認められておるのであります。ところがこの第二項によりますと、「前項の請求は、第二百六十條の通知を受けた日から七日以内に、請求書を公訴提起しない処分をした檢察官に差し出してこれをしなければならない。」と規定させておるのですが、二百六十四條には、「檢察官は、第二百六十二條第一項の請求理由があるものと認めるときは、公訴提起しなければならない。」という規定があるのです。檢事一体の原則から申しまして、なるほど内部関係においては、不起訴処分あるいは起訴猶予にした檢察官と、第二百六十二條第二項の書類を受付けたる檢査官と、人は違うかもしれない。しかし檢事一体の原則からいつて、一たび起訴猶予または不起訴にした処分に対して、これに対する不服請求書類が出たときに、同じ檢察廳の檢察官が、二百六十二條第一項の請求理由があるものと認めたるときは、公訴提起しなければならぬという規定は、私ははたしてこういうことが活用でき得るかどうか非常に疑うのです。もちろんそのときには裁判所がこれを会議体で審理をすることになつておりますが、それ以前の手続として、一應同じ檢察廳の檢察官がその不服請求をした書類を見るのです。そうして理由があるものと認めるときは公訴提起しなければならぬということは、なるほど結構な規定ですけれども、はたしてこういうことが今までの取扱上からも、檢事一体の原則からこういうことが行われるかどうか、非常に疑問をもつておりますが、この二百六十四條を特に挿入された理由を伺いたいと思います。
  94. 木内曽益

    木内政府委員 お答えいたします。御質問の二百六十四條の点でありますが、これはまず從來の関係を申し上げますと、從來不起訴に対して抗告の制度を認めておりまして、これは地方檢察廳であれば、その上級の高等檢察廳で扱うわけでありますけれども、実際におきましては上級の高等檢察廳へ送る前に、原地方檢察廳において場合によつてはなお一應の取調べをいたし、そうしてその同じ檢察廳ではありますけれども、やはり起訴猶予処分が間違つておつたという場合においては、いかに檢事同一体の原則と申しましても、ときに見方の相違もあれば、いろいろの場合もありますので、それは公益を代表する檢察官として、前にやつた処分にこだわるべきものではありませんし、またさようなことはいたしていないのであります。現に高等檢察廳に送る前に、その原審である地方檢察廳において起訴をしたという場合も今までにおいてもあります。それからなお抗告審において取調べの結果、原審である地方檢察廳の不起訴処分はよろしくないといつて起訴命令の出た場合も現実にあるわけであります。從つてこの場合においては、二百六十二條規定されておるがごとく、不服のある場合は、その地方を管轄する地方裁判所事件を送るわけでありますけれども、なおその前においてその原審である檢察廳において、さきの不起訴処分にしたのはやはり妥当でなかつたという場合があり得るわけでありまして、さような場合に何も從來の行きがかりにこだわつて、これは起訴の請求が正しいと思うが、前に不起訴にしてあるから、やはり不起訴にしなければならぬという考え方は、檢察官が公益の代表であるという建前からいきましても、かようなことは許すべからざるものである、私はかように考えるのであります。從つてまたさようなことがあり得るものでもないのであります。從つてすでに檢察官の手もとにおいて、前の不起訴はよくなかつたと考える場合に、わざわざ裁判所に手数をかけるまでもなく、不起訴と処理した原審において、ただちに公判請求するのが妥当だと思い、またさような途を開いておくことが、檢察官が公益の代表者であるという点を明らかにするものと考えます。從つて二百六十二條は、置いておく方が活用の範囲が廣い、かように考える次第であります。
  95. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次は二百七十七條でありますが、末尾に「司法行政監督上の措置を求めることができる。」と書いてありますが、これは具体的に言いますと、どういう処置が求められるのでありますか。
  96. 野木新一

    野木政府委員 裁判所法第八十條に、最高裁判所最高裁判所の職員、並びに下級裁判所及びその職員を監督することになつております。この規定と相照應する関係にあるわけでありますけれども、具体的の処置といたしましては、実際上はほとんど考えられない例であるかもしれませんが、しいて例をあげますれば、裁判所の非常な先輩だつたという人が弁護士になつておるという場合、そういう人が期日の変更などを申請する。変更する理由はないにかかわらず、そういう特殊な関係から、裁判所が権限を濫用して変更してしまうことがありました場合、ただいまの裁判所法第八十條の司法行政の監督権の発動を求めることになるわけであります。しかして司法行政の監督権の発動としては、たとえば最高裁判所はそれを調査し、しかるべき弁明を求め、あるいは注意を與える、そういうことができることになろうと思います。
  97. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次は第二百九十六條の但書について伺うのでありますが、これは先般政府委員提案理由説明を承ると、檢察官は、証拠により証明すべき事実を明らかにしなければならぬという意味は、ただ証拠の題目を並べる程度のものであつて、深入りすべきではないのだという御説明のように聽いておるのであります。ところがもしも檢察官がその場合に、但書にあるように、裁判所事件について偏見または予断を生ぜしめるおそれのある事項を述べた場合は、その効力はどうなるのか。これもやはり強行規定でなければならぬと考えられますが、その点についての御見解を承りたい。慣れてくればとにかくとして、当初の間は、この問題には始終檢察官が触れるのではないかと恐れる。この規定趣旨は、やはりそういう場合においてはその申入れは無効となる、そういうことを述べる檢察官証拠調の冐頭の陳述は無効だというように解釈しなければなぬと思いますが、これに対する御見解を承りたい。
  98. 野木新一

    野木政府委員 実ははなはだ恐縮ですが、この但書の点についても一部脱漏いたした点がありまして、先ほどのようにこういうことが一緒にはいつておるのであります。但しの下に「証拠とすることができず、又は証拠としてその取調を請求する意思のない資料によつて、」とはいつて、それから「裁判所事件について偏見又は予断を生ぜしめる虞のある事項を述べることができない。」ということになるわけであります。從つてこの但書に反して檢事が、たとえば証拠能力のないもの、あるいは後に証拠として提出もしくは証人の喚問を求める意思のないもの、そういうものに基いていろいろの事実を述べ立てるということがありましたならば、弁護人側はただちに異議を申し立てて、その都度それを差止めることができる。しかして万一そういうことが看過せられまして、それが後に判決に影響があるということになりましたならば、判決破棄の理由となる場合もあり得るかと思います。
  99. 中村俊夫

    中村(俊)委員 次は三百十二條でありますが、三百十二條の二項は、「裁判所は、審理の経過に鑑み適当と認めるときは、訴因又は罰條を追加又は変更すべきことを命ずることができる。」という規定があるのです。これはどういう場合を予想されて書かれたのか承りたいのですが、裁判所がこういうことをなさることは行き過ぎではないかと思う。これは具体的な例によるのでありましようけれども、裁判所は、審理の経過に鑑み適当と認めるときは、檢察官に対して訴因または罰條を追加または変更すべきことを命ずることができるということは、むしろ私は事件に対する予断をもつているおそれがありはしないかと思う。この三百十二條の二項にこういう條文がはいつている趣旨は、どういう場合を予想されて書かれたのか、立法の趣旨を承りたい。むしろこういうことは、裁判官の公正を疑われる結果になると思いますが、われわれの予想されないところが、立法者の側にはあるかと思いますから、その趣旨を御説明願いたいと思います。
  100. 野木新一

    野木政府委員 三百十二條の第二項の規定は、実際の運用におきましては、適用される場合ははなはだまれなものと思います。おおむね同條第一項の規定によつて檢察官請求して、それによつて訴因または罰條の追加、撤回または変更などが行われることになろうと思います。しかしこの第二項の規定がないと、はなはだ困る場合が生ずるので、こういう規定をおいたわけであります。  そのわけはこの案におきましては、新しい概念といたしまして、訴因という概念を入れておきました。現行刑事訴訟法におきましては、訴訟は訴因ということなしに、一定の事実を示して控訴を提起すれば、裁判所としては事実の同一性を害しない限度においては、あるいは窃盗の控訴事実につきましても、強盗と認定することができた。こういう関係になつていたわけでありますけれども、この案におきましては、訴因という観念を入れまして、訴因の範囲によつて縛られる。そうしまして被告人に防禦心構えを十分に與える。そういうことを考えました。それに関連しまして、もし裁判所が、ある訴因で調べておるうちに法理上の見解の相違、あるいは証拠に対する判断の相違等によつて、どうもその訴因であるかどうか、むしろ他の訴因に該当するものではないかというように事実の見方が変つてくる。確定的に変つたわけどはありませんけれども、一應そういう疑いをもつた場合には、檢察官の方から訴因の変更を申し立てれば——おおむね申し立てることになると思いますけれども——そういう申立がない場合、もし訴因の変更がないと無罪の言渡しということになります。ところが一旦無罪の言渡しになりますと、控訴事実の同一性の範囲内におきまして、既判力が生じまして憲法のダブルデイオパテイの規定との関係におきまして、新たにたとえば強盗なら強盗ということについて起訴できない。そういう関係になるわけであります。しかもその関係は一面裁判所は訴因に縛られて訴因について調べるけれども、抽象的の裁判所の審判の範囲内には、控訴事実の同一性の限度が、抽象的には裁判所の審判権の範囲にはいつておる。しかし具体的に審判するのは訴因によつて縛られる。こういう考え方をしておりますので、裁判所は抽象的に裁判所の審判の範囲にはいつてきておりますから、今言つたように、檢事の初め示した訴因が非常に疑わしくなつたというような場合には、一つの職権的行使として、その事実の同一性の範囲で、他の訴因に変更を求める。そういうことを許すことにいたしまして、いわゆる憲法のダブルデイオパテイとの関係、あるいは訴訟事実の同一性の関係、それから訴因の関係、それらを全部調査して無理のないようにしたい。そういう考えでこの二項を設けたのであります。
  101. 中村俊夫

    中村(俊)委員 今の御説明ではちよつと私納得いきかねるのです。これが、この第二項に審議の経過に鑑みて、被告人のために適当と認めるときはと書いてあれば、私はよくわかる。かりに傷害致死で起訴しておるときに、審理の結果、これは殺人罪でやるべきだというのはもつてのほかだ、ところが殺人で起訴しても、これは証拠の結果傷害致死でやるべきだということになれば、裁判所被告人のために適当と認めるときは、檢察官に対してその申立の趣旨を変えたらどうかということならば、私はよくわかる。しかし今の御説によると、一遍ひつつかまえたものは、どうしても罰にしなければならないという考え方が、政府の頭に働いておるということは、非常に考え違いではないか、ここにおいて裁判所がある事件を処理する場合に、この被告人は必ず放火をしておるに違いないのだ、この被告人は必ず殺人剤を犯しておるに違いないが、ここにそろつておる証拠では、被告人を有罪にすることはできない、その場合には無罪にしておるのではないか。その場合に裁判所が立つて、一度つかまえた被告人を罰にしなければならぬという考え方は、たいへん誤つた考え方だ、憲法はそういうことは許しておりません。その考え方は納得できない。だからこの考え方は当事者主義によつて公判主義によつて、檢事の起訴事件審理の結果無罪になる。そういうことが今度の新しい刑事訴訟法の要求しておる点ではないかと思う。拙劣なる証拠の蒐集によつて、その事件というものが崩れてしまつたときには、裁判官はそのまま裁判すべきであつて、それをどうしてもひつつかまえれば罰しなければならぬという裁判官考えで、殺人罪であつたものを傷害致死でやる、あるいは暴行にしてしまうということでは、根本の理念でないと思います。從つてこの第二項が逆に傷害致死であるものを殺人でいつたらどうかということは、もつてのほかのことでありますが、この條文を正面から解釈すれば、裁判所は、場合によつてはそういうことまで関與し得るという恐るべき條文だと思つております。從つてこの二項は真理の経過に鑑みて被告人のためにという文字がはいれば、私はあなた方の説明に承服します。そうでない限りは、そういう場合が生ずるし、一遍ひつつかまえたものは、どうしても罰せざるを得ないのだ。なんとかかんとかして被告を罪にするという考え方裁判所がもつことは、恐るべき結果になるのではないかと思いますが、その点もう一度政府の御意見を承つておきたいと思います。
  102. 野木新一

    野木政府委員 ただいまの御質問の点は、訴因の概念を導入しなかつた現行法の立場に立つて考えてみますと、現行法でも、たとえば傷害致死で起訴した。ところが裁判所審理しておる間に殺人罪の心証を得た場合には、殺人罪によつて処断することができる。そういうことになつております。なぜそういうことになつておるかと申しますと、起訴事実の範囲には裁判所は拘束されるけれども、どういう事実を認定するかということは、裁判所のやはり專権に属しておるので、そういうことになるわけであります。そしてその根本的の建前といいますか、わくといいますか、それをこの案におきましても受け継いでおるわけであります。ただ現行刑事訴訟法よりも、この案の方が当事者的色彩がずつと濃くなつておる。從つて裁判所の職権的活動の範囲は、ずつと現行法よりも後退しておるということは、言い得るのでありますけれども、なおわくとして、補充的に職権的活動が残つておるわけであります。そういうわくのもとにおきまして、一面被告人側の防禦の心構えを明確にするために、別に訴因という観念を導入したわけでありますけれども、訴因という観念は、そのわくに打勝つて、訴因という観念がずつと強いという建前には、まだこの案では至つておりませんで、ただいま申し上げたような案の建前になつておるのであります。
  103. 中村俊夫

    中村(俊)委員 この問題については、私相当議論があることと思いますが、ここでこれ以上議論申し上げてもやむを得ませんから、次に移ります。  三百十九條の二項について伺いますが、これは「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない。」という重大な規定になつております。これは非常に私は結構な規定だと思いますが、檢務長官の提案理由の中にも、こういうように書かれておるのであります。この点については、「最高裁判所の判例によつて公判廷における自白には、この憲法規定は適用されないということになつているのであるが、仮に憲法の解釈が判例のいう通りであつても、公判廷における自白だけで有罪の判決をすることは危險であり、また実際にも、公判廷における自白以外に、犯罪事実の存否に関し、全く他に証拠となるべき資料のない事件は殆んどないので、実務上においても、判例の解釈通りにしなければならない必要もないので、憲法の解釈は判例によるとしても、法律では、公判廷における自白であつても、それだけでは有罪とされないことを明らかにした」との説明をされたのであります。おそらくこの点は私の想像に間違いがなければ、親分の代りに子分が身分りになつて出たという場合に、あるいはロシヤにおけるあの有名な粛正裁判のあつたときの法廷における自白のごとく、いかにも法廷における自白は自由なる自白であるごとくされておるけれども、それは実は外界の猛烈な圧迫があつたがためである。二百二十七條には、「公判期日においては圧迫を受け」という言葉があるのですが、おそらくそういう場合を予想して、たとえそれが公判廷における任意の自白であつても、それが唯一の被告人に対する不利益証拠であれば、これを証拠とすることができないというように規定されたものと了解いたしております。問題は判例が新しい立法を拘束し得るかどうかという点つついて、私の伺いたい。憲法の三十八條の三項に関する解釈は、最高裁判所で一應きまつておる。これの公判廷における任意の自白というものは証拠としてとることができることになつておるのだが、この新刑事訴訟法では、それと相反する規定を設けておられる。こういうことが憲法に反する條項であるのではないかという一つの議論があります。そこで政府は、判例は新しい立法を拘束と得ないという建前をとつておられるのじやないかと私は思うのです。これが根本問題になつてきますから、おそらくこれは問題になる規定だと思いますので、檢務長官の提案理由説明だけでは、どうも理論的には納得できないのです。実務上の判例の解釈通りにしなければならない必要はないということは、私には了解しかねるのですが、大審院の判例によつて、すでに憲法三十八條三項の解釈が一應きめられているにもかかわらず、これに反する規定がおかれたという趣旨と、判例は新しい立法を拘束しないのだという理論的根拠に立たれていると思いますが、どういう趣旨のもとに、こういう條文をおかれたのかということを伺いたい。
  104. 野木新一

    野木政府委員 憲法第三十八條の解釈につきましては、学者、実務家の間にいろいろの議論があつた通りでありますけれども、すでに最高裁判所で、数次にわたつて憲法第三十八條の自白には、公判廷における自白は含まないという解釈が出ました以上、その判決が將來改まればともかく、改まらない以上は、憲法日本國内における解釈としては法律的にさように確定したものと言うことができると思います。ただ憲法の第三十八條の自白が、憲法解釈上、公判廷の自白を含まないのだということにいたしましても、その憲法のわくの範囲におきまして、いろいろ立法政策上、憲法の認めるところであることは、人権の保護にまだ多少足りない点があるから、公判廷の自白だけで有罪の認定をしてはいけないというように、國会の立法によつて定めますことは、これは憲法にもとにおいて、一つの立法政策の問題でありまして、ただいま申し上げました最高裁判所憲法解釈とは、少しも矛盾するところがないものと存じます。そうしてなぜこのような立法政策をとつたかと申しますと、やはりただいま御説のように、ロシヤの革命とか、あるいはナチスドイツの國会議事堂の放火事件等、ああいうような政治犯等の場合を見ますと、公判廷における自白も非常に危險な場合がありますので、この刑事訴訟法といたしましては、そういう場合も全部含めて考えなければなりませんので、三百十九條のような規定を設けたわけであります。  なおかりにこういう規定を設けましても、実務上そう困ることはない。と申しますのは、最高裁判所であのような判例を出したその具体的な事件を見ますと、自白だけでほかに何らのいわゆる補強証拠もない事件というものは、具体的な場合にはないようでありまして、ただ判決の書き方、体裁上、被告人の当公判廷における自白により認むということになつておる関係上、解釈としては自白を唯一の証拠として事実を認定したような形になつておるわけでありますけれども、客観的に見ますと、何らかの補強証拠がある。まつたく自白だけで、ほかに何も証拠がなくして有罪と認定するということはあり得ない。そういうときは無罪にしてもよろしい、そういう考えのもとに、この案はできておるわけであります。
  105. 中村俊夫

    中村(俊)委員 私はもちろんこういう規定は原則的に賛成なんです。しかし実際この檢察事務捜査事件から見ますと、あるいは次に申し述べまする三百二十一條規定などから見まして、もしも今公判廷における自白が外力を受けておる、あるいは親分の代りに子分が身代りに來ておるというようなときには、先ほど質問いたしました二百二十七條のような規定公判廷の規定として設けることで足りるのではないか、つまり公判期日において圧迫を受けたという事実があれば、それによつて、そのときのみ、この規定を設けられてよいのではないか。なぜ私がこういう質問を申し上げるかと言いますと、三百二十一條に関連しておるのでありまして、これによりますと、まず「被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録取した書面で供述者の署名若しくは押印のあるものは、左の場合に限り、これを証拠とすることができる。」こういう規定がありまして、一号、二号、三号と掲げておるのであります。一号は大体裁判官の面前における供述を録取した聽取書でありますから、この効力においては、大して問題はありませんが、第二号は檢察官の面前における供述を録取した書面であります。これは但書にもあります通り公判準備または公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特例の事情の存するときに限つてのみ、これが証拠力をもつている。いわんや第三号におきましては、原則としてこれは効力がない。そうしますと、被告人以外の者を必ず公判廷で証人として調べらければならぬというのが原則だと私は思います。そこで実際の場合を考えますと、窃盗の被害者というものは、警察で調べ、檢事局で調べ、裁判所で調べられて、また公判廷で調べられるのだ、こんなめんどうなことならば、被害届けをしないという実例が起つてきはしないかということをおそれるのであります。その被告人の自由な自白ですら、全然証拠力がないのだ。それも唯一の場合に限るのですが、それでなくてもこれらの被害者というものは、三回も四回も、場合によつては五回もひつぱり出される。現在のやり方はずいぶん不完全なやり方でありますけれども、始末書一本で済んでおるのです。現在のやり方では、特別の場合にのみ被害者は公判廷に引かれることになる。この三百二十一條規定によると、檢察の聽取書というものは、原則として証拠力がありませんから、公判廷にひつぱり出されるのです。しかも最近の実例はこうなんです。先般御承知の通り、神戸における朝鮮人騒擾事件について、証人が一日八人も十人もプールされてしまう。そうしてたくさんプールされておるものでありますから、はなはだしい例を申し上げますと、証人の一人は十一日間毎日プールされて、八日間無駄足をふんで帰つてきておる。これが英米法の公判廷における証人の調べ方の欠点であります。こういう点をはたして予想されておるかどうか。この公判廷における証人尋問においての実情はそうです。もちろん新刑事訴訟法と、この刑事訴訟法の行き方とは違うかもしれませんが、緊急を要するという前提にあり、そうして今申した被害者が証人になる場合は、一回で済まないのです。そういう点について、はたして新刑事訴訟法において実際の場合を予想されておるかどうかを承りたいと思います。先般も総括的質問において、はたして実際にどれくらいの日数を要するかという御質問をいたしましたところが、それに対する具体的説明は、そう大したことはないという御答弁であつた。今一つ実例をあげて申しますと、一遍に証人がプールされて、その尋問によつて檢察官弁護人が双方で尋問し、裁判官尋問することになつておりますから、これが一日で何人済みましようか。極端な例を申し上げますと、今申したように、十一日間プールされて八日間無駄足をされておる。こういうことで、はたしてこの新刑事訴訟法精神というものがどこまで活かしていけるかという疑問を、私はもつておるのですが、こういう具体的な場合をはたして予想しておられるかどうか。こういう問題についてどういう処置されてよいものであるかということについて、ひとつ政府の御意見を承りたいと思うのであります。
  106. 野木新一

    野木政府委員 御心配の点はまことにごもつともなことと存じます。ただこの案におきましては、そういう場合を考えまして、第三百二十六條という規定をおいてあります。すなわち「檢察官及び被告人証拠とすることに同意した書面又は供述は、その書面が作成され、又は供述のされたときの情況を考慮し相当と認めるときに限り、第三百二十一條乃至前條の規定にかかわらず、これを証拠とすることができる。」という規定がございます。この規定趣旨とするところは、ただいまのお言葉の中にありました窃盗の始末書、こういうものは、今まででも大体問題がなかつたことが多いのでありますけれども、この訴訟法のもとにおきましては、一層低調になりまして、むりやりに始末書を書かせるとか聽取書をとるとかいうことは少くなりますので、いやしくも捜査官側のそういう捜査活動並びに調書のとり方が適正に行われます限りは、そこに眞実のことが調書にとられますので、被告人並び弁護人側も、その始末書なり聽取書について、大体異存がないということになる場合が多かろうと思います。その意味におきまして、自白しているような事件の大部分は、必ずしも結果的に見ますれば、関係人を全部証人として公判廷に喚び出さなくても、大体今までの通り程度で済んでいくのではないかと思います。ただその聽取書のとり方がまずかつたり、あるいは始末書のとり方が適正に行われていなかつたというような場合におきましては、弁護人側被告人の方も、それを証拠とすることに異議を申し立てる場合が多いと思います。そういう場合こそ、この三百二十一條以下の規定が働きまして、そういう場合には、ぜひともその証人公判廷に喚んで調べなければならぬ、そうして直接裁判所審理しなければいけないという建前になつている次第であります。
  107. 中村俊夫

    中村(俊)委員 ただいまの御説明でありますが、おそらくこの三百二十六條の、被告人証拠とすることに同意するという、これは私は大きな間違いではないかと思う。この点は見解の相違ともなりましようが、一應私の考えを申し上げておきます。しかし事実上、私が今申し述べたような実例において、今後いくたの困難なり障害があることは、私は断言するに憚らないところであると考えているのであります。  次は上訴についてでありますが、これは先般明禮委員から政府質問されておつたのでありますが、ただいま私の手もとに配付されました東京弁護士会刑事訴訟法改正法律案に対する意見書にも、冒頭にこのことが書かれておるのであります。私はまだ内容を読んでおりませんが、統計もいただいておりますが、大体統計を見ましても、複審による現在の制度である控訴審において昭和二十一年、二十二年の二箇年間の総件数六百七十一のうち、原判決の言渡しに対して重き刑わずかに十五です。軽き刑が四百五十三、同一刑が四百二十二、こういう統計が示されております。また地方裁判所控訴審の例を見ましても、原審よりも重き刑は百七十九件であるが、軽き刑は実に二千六百七十件、同一刑は二千七百七十二件という統計が示されております。大体控訴審においては、おそらく半数は、軽き刑を言渡されておるというのが、統計の示しておるところでございます。今の例で示しましたように、控訴審における減刑は非常に大きな数になつておるのでございます。改正法が事実審を認めないということになると、この点で人権保障がはなはだ稀薄になりはしないかということを心配いたしております。過去における陪審法がなぜ盛んにならなかつたかということの原因は、いろいろあると思いますけれども、それはいわゆる事実審の二審がないということ、もう一つ日本裁判官に対する一般大衆の信頼感、この二つが過去における陪審法というものを盛んにならしめなかつた重大なる原因だと、私は感じておるのであります。しかも過去における日本の陪審制度は、陪審員の答申をそのまま採用しなくてもいいというようなきゆうくつな規定でありましたので、ほとんど陪審制が採用されなかつた。すなわち第二審の減刑率は非常に大きな数を示しておるということは、注目に値するのではないかと思います。ところが、現改正法案の美点は、一審における事実審の詳細なる規定によりまして、被告人のために十分なる防禦の方法が講じ得られるという点であるのと、もう一つ公判廷においてのみ法廷証拠提出し得るという点であります。從いまして、從來制度のごとくに、せつかくこの改正法案によりまして一審が公平に行われても、その記録をそのまま控訴審へもつていけば、控訴審においては、予断を抱くというおそれがあるからして、この点は非常にむつかしいと思います。しかし人権の擁護、いわゆる被告人のマグナカルタ的存在であるこの新しい改正法律案から言いましたならば、どうしても控訴審において新しい証拠を出し得という規定がなければ、私は基本的権利である人権保障というものを全うすることはできないと、確信をもつて言い得ると思います。おそらくこの弁護士会意見にもそのことが書かれておるのだろうと思われるのでありますが、先般明禮委員質問に対して政府の御答弁は、原則として新しい証拠を申出ることができないのだというような御答弁であつたと思われますが、われわれ司法委員はこれはどうしても修正しなければならぬと考えております。三百九十三條は「控訴裁判所は、前條の調査をするについて必要があるときは、職権で事実の取調をすることができる。このみ書いてありますから、この場合には、新しい証拠の申出ができないという御説明でありましたが、この控訴審の複審制をなくしてはいますけれども、一例を申しますと、いくら探しても出てこなくて、どうしても原審へ出し得なかつた書証が、控訴審で重要なる証拠が発見されたというような場合の処置です。こういうものが提出され得るというような、また明禮委員質問のごとくに、逃走しておつた人間が、控訴審において逮捕を受けて、新しい証人になるような場合に、ただ職権だけで調査をし得るという狹い門をつくつておられることが、いわゆる基本的人権保障というものを全うするゆえんでないと私は考えております。これはきわめて重大な点であろうと思われますが、政府としては、依然として第二審においては、控訴審において新しく証拠の申出を禁せられる御趣旨であるかどうか、もう一度確かめたいと思います。
  108. 野木新一

    野木政府委員 刑事訴訟法改正法案の考え方におきましては、事実の取調べ証拠取調べをする第一審集中主義と申しますか、第一審に集中する建前を強くとつております。その反面、たとえば例としてお引きになりましたが、証人が逃げておつて、一審では取調べることができない、しかもその証人が非常に重要である場合におきましても、第一審裁判所にその証人証拠調べの申立をしておけば、それが訴訟記録に相当に残つておりますので、そのことを援用しまして、あの証人を調べれば、正しい判決を下せることがはつきりわかるというように主張することができます。ただ第一審におきまして、何も裁判所に行つていなくても、逆に申しますと、第一審の判決の言渡し後、初めて非常に重大な書類があることがわかつたような場合はどうなるかという点でありますけれども、そういうような場合は、実際問題としてまれなことが多い。そしてその書類が眞に一審の判決の認定を左右するに足るようなものであるならば、第二審としても当然職権でこれを取調べるという運用になると思います。三百九十三條で当事者に証拠調べ請求権と権利として認めておきますと、結局現在の刑事訴訟法と同じように、第一審はほどほどにやつておき、第二審へいつて大いに証拠を出して爭おうというような実際の運用になつてしまいはしないか。そうすると、せつかく第一審に全訴訟重点を置いて、そこに相当時間をかけて、精力を集中して取調をするという点が、まつたく沒却されてしまつて、その訴訟全体としても、著しく審理の期間が遅延し、憲法で一面保障する迅速な裁判という点にも反しはしないか、そういう点を考えまして、三百九十三條におきましては、積極的な証拠取調べ請求権というものは、この案では認めない。そういうことにしたわけであります。  なおここで附け加えて申し上げておきたいと思います点は、三百七十七條ないし三百八十三條に、控訴申立の理由とその方式を書いてあり、そうしてこの方式に合致しないときには、この三百八十六條で決定で、控訴を棄却する、そういうことになつておりますけれども、いやしくもたとえば三百八十一條で、刑の量定が不当であることを理由として、控訴の申立をした場合には、控訴趣意書に訴訟記録及び原裁判所において取調べ証拠に現われている事実であつて、刑の量定が不当であると信ずるに足りるものを援用してきた以上は、この決定で控訴を棄却するということはできる。次の段階に入りまして、すなわち甲裁判所は、必ず公判延を開く、書面審理ということをしないで、公判を開いて弁論を聽き、その弁論を聽きまして、なお調書を調査し、原判決を調べてみて、原判決が原裁判所で原記録を調べた限度においては正当であると確信するに足りない、すなわち不当であるかもしれないというような疑いをもつた場合には、その疑いが正当であるかどうか、すなわち終局的に原判決が不当であるかどうかということを調べるために、証人を喚問したりする。そういうことになります。その証人の喚問というのは、今の訴訟法のように、さらに被告人を有罪、無罪にするという新しい判決をつくる目的で証人を調べるのでもなく、原判決が正しいかどうかという点を決定するために、そういう目的でその限度でその証人を調べる、そういうことになるわけであります。そしてたまたまその証人を調べた結果、原判決が悪いということがわかり、しかもその調べた証人によつて積極的にただちにある事実の認定なり、あるいは刑の量定ができるという場合には、再審をすることができますけれども、そうでなく、証人を調べた結果、原判決は不当だということがわかつたけれども、さらに積極的にそういう事実の認定が正しいか、どういう刑が適正であるかということまでは、その証人だけではわからないという場合には、原審に差戻すということになるわけであります。從いまして原審の判決後何か全然氣がつかなかつた新しい証拠書類のようなものが出てきまして、その書類がその判決の事実認定なり、刑の量定に重大な影響を及ぼすというような場合には、弁護人側裁判所の職権の発動を促すという意味で、そのものの取調べ裁判所に申し出る。裁判所もそれをもつともと思えば、すなわちそういう書類があるということがわかつて、その書面を調べなければ、原判決が不当であるかどうか決定できないというような場合には、当然書類を調べて、そして原判決を決定する。そういうような運用になるものという考え方のもとに立案しておるわけであります。
  109. 中村俊夫

    中村委員 次は四百十五條の第二項でありますが、「前項の申立は、判決の宣告があつた日から十日以内にこれをしなければならない。」とありますが、これは事実上私は不可能ではないかと思う。この言葉は判決の送達があつてから十日以内とか、あるいは五日以内とかいうことでなければ、はたして裁判所の判決というものが、そのまますべての利害関係人にわからせ得るような状況にあり得るかどうかなのです。これでは私は利害関係人には、はなはだ不親切な規定ではないかと考えられるのでありますが、これはむしろ判決の送達があつた日から十日以内、從つて四百十八條も判決の送達があつた日から十日間を経過することによつて、この判決が確定する。こうなければならぬと思うのでありますが、御意見を承りたい。
  110. 野木新一

    野木政府委員 この四百十五條以下四箇條の規定は、まつたく新しい規定でありまして、その趣旨とするところは、最高の裁判所、すなわち結局最高裁判所の判決ということになりますが、最も権威ある最高裁判所ですから、やはり人間の判事をもつて構成しておるものであるから、万に一つ、十万に一つくらい間違いがある場合がないわけではないだろう、そういう場合には、ただちに訂正する途を開いてもよいじやないかという趣旨で、アメリカの最高裁判所制度にもあるようでありまして、その制度が用いられたわけであります。そしてここで予期しているのは、もう大部分は訂正などということはない。万に一つ、十万に一つ、年に一件二件あるかないか、むしろ年に一件も最高裁判所ではそういう間違いをすることはないだろうというくらいに考えております。  さて二項で、判決の宣告があつた日から十日以内といたしましたのは、判決は原則として宣告によつてこれを告示するということになつておるのを見ますと、この規定が今言つたような非常に稀有な場合の規定であつて、そう始終あることではないということから、あまり永く不確定の状態におくのは、かえつてよろしくないという考えのもとに、このあたりが適切であろう。そういう考えのもとに立案したわけであります。
  111. 中村俊夫

    中村(俊)委員 たいへん長らく質問を申し上げましたが、最後にただ一点だけ政府にお伺いしたいのですが、公判を分離する規定がないように思います。これは私はたとえばこういう場合が特に必要ではないかと思われるのです。共犯者の一人に有利なことが他の者に不利なような場合が始終あり得るのです。そのときに分離することができなければ、いわゆる人権保障というものが全うされないと思うのでありますが、これについての御見解を最後に承りたいと思いうのであります。
  112. 野木新一

    野木政府委員 現行刑事訴訟法におきましては、大体裁判所の運用に任せていたわけでありますけれども、この案におきましては、御説のようにその点は非常に重大な関係をもつてくる場合がありますので、三百十三條第二項にその趣旨規定をおいておるわけであります。
  113. 中村俊夫

    中村(俊)委員 これは弁論の分離でありまして、公判の分離ではないと思うのです。弁論するときだけ違つてやれという意味であつて公判の分離という意味ではないと思いますが。
  114. 野木新一

    野木政府委員 ここに弁論というのは、いわゆる口頭弁論意味でありまして、証拠調べから全部、結局平たく申せば公判を分離するという意味と同じことになろうかと思います。
  115. 中村俊夫

    中村(俊)委員 私の質問はこれで終ります。
  116. 石川金次郎

    ○石川委員 二百六十二條の立法理由を檢務長官が御説明くださいましたけれども、これは新しい制度でありますから、いま一應承つておきたいと思います。
  117. 木内曽益

    木内政府委員 お答えいたします。二百六十二條に掲げております犯罪は、御承知の通り、いわゆる人権蹂躙事件といわれるところの事件でありまして、かような事件は、檢察官が適正にこれを調べた結果、不起訴が相当であるといたして、これを不起訴処分にいたしましても、告訴人、告発人等の側から見ますれば、やはり檢察官や警察官が同じ身内のことであるから適当に処理するのではないかというような誤解が起りやすいのであります。そこでこれの処分に対して不服があつた場合には、先ほど中村委員の御質問のときに御説明申し上げました通り、やはり檢察官自身がその前の処分が適当でなかつたと考えれば、二百六十四條によつてただちに檢察官が起訴の手続をとるわけでありますが、しかしながら、なお檢討しても檢察官において不起訴処分が相当であると認めた場合におきましては、これは從來のいき方は上級檢察廳に抗告という形でありましたが、これまたその途をとるのも一つの方法でありますけれども、やはりこれまたいわゆる檢事同一体の原則と申しますか、そういう関係から、やはり上級檢察廳においても下級檢察廳の処置を支持するのではないかというような誤解を防ぐために、これは最も公正な方法で処置するのがいいのではないかというわけで、それではどこで審判をさせるのが一番いいかというので、これは最も公正であり、第三者の立場である裁判所にこの事件の審判をしてもらう方がよいというので、この二百六十二條規定が設けられたわけであります。しかして裁判所においてこの審判の結果、これは檢察官の不起訴処分が適当でない、これは起訴すべきものだ、かように裁判所が認定した場合においては、結局この規定によつて審判の決定をするわけでありますが、その決定は当然公訴提起があつたものとみなすと二百六十七條で規定しておるわけであります。これは本來起訴権は檢察官に專属すべきものであるということは訴訟法の一貫した考え方でありますが、この場合だけは、檢察官の起訴を要せずして、裁判所決定が当然起訴の効力をもつということにいたしたのであります。この規定を設けるにつきましても、いろいろの議論がありまして、やはりこれは起訴権が檢察官に專属するという原則を破るものであるから、その決定があれば、その決定檢察官を拘束して、当然檢察官裁判所に向つて起訴すべきものである、こういう形をとるのが一番いいのじやないかという議論が相当強くあつたのであります。しかしながら、結局手数がかかるだけで結果において同じことである、さようなめんどうな手続をとらなくとも、またそのために起訴権が檢察官に專属しておるというのを、はなはだしく破るわけでもないのであるから、かような煩雜な手続をやめて、二百六十七條のような規定でいく方がよかろうということで、この規定が設けられたわけであります。それから起訴された後におきまして、やはりその公訴維持するのは、檢察官が当然公判においてこの起訴を維持するのが本態ではありますけれども、これまた檢事が不起訴にしたものを公判において檢事がこれを維持するということは、いろいろの誤解を受ける。從來のように訴訟記録が全部公判証拠として提出されるものならば、またそれでもようのでありますけれども、今度は公判審理の方法が、從來よりははなはだしくかわりまして、この公判維持のために、証拠提出等につきまして、非常な制度を受ける場合に、かりに檢察官が誠意をもつてこれをやつたといたしましても、やはり自分の同類のことであるし、しかも初めは不起訴にしたものをまた公訴維持するために積極的に努力するというふうには考えられぬというふうな誤解を受けるおそれがある、かようなことは、はなはだ遺憾なことでありますし、從つてこの点だけは檢察官が手を引いて、弁護士に檢事として檢察官の職務を行つてもらつて公判維持をやつてもらう方が、客観的に一番公正な方法ではないかというので、かような制度を設けるようになつた次第であります。
  118. 石川金次郎

    ○石川委員 告発人が審判請求をいたしまして、取扱をいたします檢察官に差出すのでありますが、そういたしますと、檢察官に差出しました請求は、裁判長を拘束するものであり、裁判長に出したと同一の効力になるのでありましようか。
  119. 野木新一

    野木政府委員 第二百六十二條規定によりまして「前項の請求は、第二百六十條の通知を受けた日から七日以内に、請求書を公訴提起しない処分をした檢察官に差し出してこれをしなければならない。」そういうことになつておりまして、七日以内に檢察官に差出せば以後ずつと手続が動いていく、そういう関係になつております。
  120. 石川金次郎

    ○石川委員 ただいま御説明の二百六十二條の第二項によつて檢察官に出しました審判請求書は、裁判所が二百六十六條によつて請求を受けた、こういうことになるのでありますか。
  121. 野木新一

    野木政府委員 さようであります。その点は二百六十二條及び二百六十六條の規定趣旨から、御説のようになるわけであります。
  122. 石川金次郎

    ○石川委員 それでは檢察官提出いたしました請求書が裁判所を拘束するという意味が、ただこれだけで連絡がつくでありましようか。檢察官は差出されたとしても、裁判所にまわさなければならないという規定をここに必要としないでしようか。裁判所は必ずこれを知つておかなければならない理由がないのは……。
  123. 野木新一

    野木政府委員 これは直接裁判所に差出すということにいたしませんでしたのは、いわゆる檢察官に再度の公判をする機会、すなわち二百六十四條の規定による機会を與えたいためでありまして、二百六十四條の規定從つて公訴提起した場合には、そこでもうあと手続はなくなつてしまうわけではありますけれども、公訴提起しない場合には、この請求書は檢察官の方から裁判所に送る、そういうことになりますが、詳細なこまかい細則は裁判所規則できめる。その趣旨は二百六十二條の一項二項にも現われておるのでありまして、一項に「地方裁判所事件裁判所の審判に付することを請求することができる。」とありますので、書類の宛名は裁判所になるわけであります。二項によつて、そういう書類をどこえ出すかというと、檢察官に差し出す。檢察官はある意味でいえば経由機関という形になるわけであります。
  124. 石川金次郎

    ○石川委員 わかりました。そこで今度は二百六十四條にまいりまして、「第二百六十二條第一項の請求理由があるものと認めるときは、公訴提起しなければならない。」といつておりますが、この公訴提起しなければならない期間は、いつまでということになりますか。いつでもよいということになりますか。なお二百六十六條の決定裁判のあるまでということになりますか。
  125. 野木新一

    野木政府委員 この二百六十四條の規定は、いわば抗告のところの四百二十三條の規定に類するものでありまして、二百六十四條の方には御説のように、期間をはつきり限つておりませんでしたけれども、その点は考え方といたしましては、檢察官が一件書類を調べてみて、それで理由があるものと認めたならば、そこで起訴をし、理由がないと認めたならば、大体意見でも附して書類を地方裁判所に送る、そういうことを考えております。そうしてこの期間につきましては、必要あれば裁判所規則で合理的な期間をきめるものと考えております。
  126. 石川金次郎

    ○石川委員 そこで二百六十四條に、檢察官公訴提起した、こうなりますと、さきに告訴もしくは告発人から請求しておりました、審判請求はどうなるのでございますか。その場合においては消えるのでありますか。
  127. 野木新一

    野木政府委員 二百六十二條第一項の請求は、要するに公訴提起しない処分に不服だ。そういうことを理由とするものでありますので、公訴提起があつた以上は、その目的がまつたく達せられたことになるわけであります。從つて公訴提起があつた以上、そこで請求は消えてしまうという考えをとつております。
  128. 石川金次郎

    ○石川委員 そうなりますと、公訴の取消しは、第一審の判決があるまでやり得るのでありますから、檢察官審理の発展中公訴を取消した、こういうことになりましたら、今長官から御説明くださいました一つの目的が達せられなくなるということになりはしないか。從つてこの場合に限つては、公訴の取消しはできないということをお考えにならなかつたでしようか。
  129. 野木新一

    野木政府委員 御質問の場合には解釈上公訴の取消ということはできないものと思います。というのは、公訴提起を取消すことによつて、告訴人告発人等の第二百六十二條請求権をまつたく無にするという結果になるだろうと思います。
  130. 石川金次郎

    ○石川委員 それでは第二百五十七條の「公訴は、第一審の判決があるまでこれを取り消すことができる。」この條文。二百六十二條に基く告訴または告発者のなしたる審判請求事件については、これはできないと制限して解釈するというのが、この訴訟法のねらいでありますか。
  131. 野木新一

    野木政府委員 解釈上そう解するのが妥当だと存じます。
  132. 井伊誠一

    井伊委員長 ちよつと休憩いたします。     午後四時二十二分休憩      ————◇—————     〔休憩後は開会に至らならつた〕