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中村(俊)
委員 ただいま
政府委員から私の質疑に対してお答えがあ
つたのでありますが、今の御説によると、最初はきわめて困難だと思うことも、や
つてみるとたいして困難ではないのだ。それからこの新
刑事訴訟法案の
精神から言
つても、これは一日も早く施行したいという、この二つの御
見解については、なお一点私からお尋ねし、さらに強い希望を申し上げたいと思うのであります。それはこの
改正案の最も重要な点である
法廷の
公判において、まず
起訴状だけによ
つて檢察官がこれを
起訴して、
証拠は
公判廷に出すのだという
考え方は、私は
刑事訴訟法の
改正をまたずとも、この臨時措置法の布かれたときに、すでに
法廷でそうあるべきだと
考えておりました。それは新
憲法の
精神より、さらにこの臨時措置法の
精神から言いましても、そういう予感を
裁判所に與えるがごとき
從來のやり方、つまり檢事局が
調べてすべてその書類を綴じて
裁判官に回すということは、この
刑事訴訟法の
改正をまたなくとも、すでに臨時措置法の施行されたその日から、私は改めらるべきだという論議をしてまいりましたし、これは私一個の
見解でなしに、二、三の
法律学者も、そういう点を支持しておるのでありますが、しかしもちろんそういうわれわれの
見解を取上げられずに、今でも御
承知の
通り、
從來とちつとも変りないところの
事件の
調べ方をしてきております。その点を私らは問題といたしたいのでありまして、次にお尋ねいたし、さらに強く希望を申し述べるのも、
裁判官の態度とか、
檢察官の態度というものが、ちつとも変
つていないということを、私は指摘したいのであります。こういう思い切つた
憲法ができ、思い切つた
法律案が出たのでありまするから、すべてのその衝に当る人は、ほんとうに法の
精神をも
つて、思い切つた
処置を、上から指示されなくても、殊に
裁判官は独自の
見解をも
つておるのでありまするから、そういう取扱いをやられていいわけであります。それは決して私
個人の独創でもない。法の
精神から言い、さらに
憲法の
精神から言
つても、この臨時措置法の施行されたその日から、
公判廷というものは、現在の
改正刑事訴訟法の行き方のごとく行くべきであ
つたのであります。それが未だに昔と同じようなことをされておる。
憲法の
改正された今日におきましても、
法廷は実に旧態依然たるものであります。もちろんすべての判事が旧態依然たるものであり、すべての
檢察官が旧態依然たるものであると言うのではありません。多くの在朝の諸君、あるいは
在野のわれわれの中にも、旧態依然たる人が決してないのではありませんけれ
ども、われわれが
在野から見て、こんなに世の中が変り、すべてのものが変
つてきているにもかかわらず、未だに日本の
法廷というものは、旧態依然たるものである。その一例を申し述べますると、やはり
証拠調べの問題であります。刑事裁判における
裁判官の
証拠調べに対する態度は、ほとんど全部が全部否定的であります。これはおそらく多くを申し上げる必要はないだろうと思います。また
檢察官も同樣であります。ほとんど
証拠調べというものは許さない。というのは、今までのいわゆる旧態依然たる
記録がずつと揃
つております。
警察署から檢察廳、予審のあるときには予審調書というふうな動かすべからざる
証拠があるものですから、いかにわれわれが
法廷でこれだけの
証拠があるのだ、檢事局に行
つておる
証人の供述はうそなんだ、事実はこうなんだと言
つて、口をきわめて
証拠の申請をいたしましても、在來の
裁判所の態度は、否定的でありまして、できるだけ
証拠を制限して、そうして裁判をしようという傾向を未だに続けておりますことを、断言してはばかりません。同時に
裁判官が
弁護士の
証拠申請に対しても、ほとんど全部必要なしであります。これは滑稽なほど印刷に刷つた文句のように必要なしであります。なぜですか。私は常に弁論のときにも主張するのですが、もう少し事実の眞相を明らかにしようという態度に、なぜ
裁判官も
檢察官も出てくれないのか。
被告人に対しても、これだけ丁寧に
調べて、もう
被告人が満足する。
從つてどんな判決の結果があろうとも、
被告人は満足するのだから、しかも重大なる
証人だからとい
つて、口をすつぱく言
つても、
証拠申請ということは許してくれなか
つたのです。檢事もまたできるだけ
事件の壞れないようにしよう。檢事がほんとうに自己の信念に基いてそうした
犯罪が成立するのだという確信があ
つて、
公判廷でどれだけ何十人の
証人が喚ばれても、
事件が壞れないという確信がもてなければ、私は
起訴すべきものでないと信じておる。にもかかわらず、何がゆえに檢事は
証拠の申請、
証拠の決定に対して、ほとんど例外なくして不必要だ、よくよくの場合でなければしかるべきだという意見を述べません。これは御
承知の
通りだと思います。この態度は、さらにこの
改正案の二百九十
七條と三百九條とによ
つて堅持されるおそれがあると思うのであります。その点を私らは憂うるのであります。
從つてどんなに法文が変りましても、二百九十
七條の
規定がある以上、まだ三百九條「
檢察官、
被告人又は
弁護人は、
証拠調に関し異議を申し立てることができる。」、これを不必要だと言えば昔と同じことなのです。
裁判官がやはり今まで
通りの態度をとられるということになれば、せつ
かくのこの画期的ないわゆる
基本的人権を擁護しようとするこの
精神は沒却される。この点はどうか。
政府当局におかれても、相当の余裕をも
つて裁判官、
檢察官と同時に、
在野法曹、この三者一体に対して、すべてこの
法律の
精神がここにあるのだから、こういう方針に向
つて考え方もやり方も進めて行
つてもらいたいということを徹底するだけの余裕がなければ、結局先ほど申し述べましたように、この
刑事訴訟法がいわゆる中途はんぱなものにな
つてしま
つて、せつ
かくの根本的な理論が汚されはしないか。私が相当の猶予
期間がなければならぬのではないかという
一つの心配を申し上げたのも、この点にあるのです。
もう
一つは保釈についてでございます。これも特に御留意賜わりたいのは、八十九條の保釈の点でありますが、この中には第五号までありまして、四号には「
被告人が罪証を隠滅する虞があるとき。」、五号は「
被告人の氏名及び住居が判らないとき。」、この二つの
條件を書いておる
條文があるのですが、御
承知の
通り、今までわれわれが保釈の申請をいたしましても、理論的に申しますならば、
証拠の隠滅と逃亡のおそれがなければ、これは原則として保釈を許されなければならなかつたにもかかわらず、ほとんど逃亡のおそれがあるのだ、
証拠隠滅のおそれがあるのだとい
つて許されなかつた例は、幾多枚挙にいとまがありません。しかもなお相当の
期間勾留すべき必要があると認めるから、保釈の申請を却下するという
文書が書かれております。それならば何のために保釈を許さないで勾留を続ける必要があるかという理由は書いてありません。なお相当勾留を継続する理由があると、理由を書かずして結論だけ書いてある。ここにおいて多く学者から
非難されております。そういう決定に対して、最判所の書類としては、その理由を明らかにしない決定ほど滑稽なものはないのであります。今申し上げましたような、
檢察官、
裁判官の態度が旧態依然たるものであるならば、この保釈の
條文にいたしましても、これは原則として許さなければならぬのですが、この四号、五号の場合は、許さなくてもいいわけです。そうすると
被告人に黙秘権を與えております。だからおそらく今言う否認権というものをも
つておる。今までの
事例といたしまして、否認をしておる
事件について、
裁判所が保釈を許した例を私はほとんど知りません。いわゆる
被告人が罪証を隠滅するおそれがある。どういうことをも
つて罪証を隠滅するおそれがあるかということを明らかにされなければならぬではないか。また住所不定だ、住所不定だということも、どういう場合をも
つて住所不定だとするのか。これは各條の質疑に入つたときに、あらためていたしたいと思いますが、この四号、五号があり、しかもこのたびの
改正法律案によれば、一審の判決が有罪と
なつたなれば、保釈の申請ができないわけです。なお、九十條によ
つて裁判所が適当と認めるときは、職権によ
つて保釈を許すことができるという
條文がありますけれ
ども、今までのような
裁判官、
檢察官の頭であれば、保釈を許すことができるとの、かような
條文を利用することによ
つて、不当に
被告人の身体を拘束しておくというおそれがあるのであります。
從つて、この保釈の点をあげてみましても、この画期的といわれる現在の
刑事訴訟法の中でも、その運営を誤れば、不当に
基本的人権を害することのあり得る
條文が随所に見られることは、まことに私は遺憾だと思うのであります。もちろんこれは
裁判官が在來の頭を切りかえて、眞に
憲法の
精神と
刑事訴訟法の
精神とを体得されたならば、私の心配は雲散霧消すると思いますけれ
ども、
政府が今言われたように、この
改正案を施行したいのだというお
考えの前には、まず私が申し述べました
証拠調べに関する
裁判官の
從來の態度、保釈に対する
從來の態度が、引続いては、せつ
かく画期的な
改正案ができましても、実際面としては、旧態依然たるものがありはしなかということを心配いたすのでありますが、こういう私らの心配に対して、はたして
政府はどういう善後措置を講じようとしておりますかを伺いたいのであります。