○松本(一)
委員 ただいま提案され、議題と
なつております
経済査察廳法案であります。先ほど中曽根
委員より修正案の御提示がありましたが、私
どももこの案を仔細に吟味いたしました結果、先ほどの程度の修正案では遺憾ながら賛成しがたいのであります。先日來本案審議にあたりまして、
委員長初め
委員各位が連日熱心に御審議くだされましたことは、非常に感謝いたすところであります。しかしわが國の
國民経済、生活すべてに影響する画期的なる新しい試みの
法律案でありまして、これが制定、実施されるといなとは、
國民生活、経済すべてに重大な影響を及ぼすものと私は
考えるのであります。この
法案の審議にあたりましては、われわれは
國民代表としまして、よく忠実なる義務を遂行する上から、さらに愼重に愼重を期して審議しなければならぬと思いまするが、先ほど提案になりたる修正案程度では
國民の意思に副うことは遺憾ながらできない。さらに大幅の大修正を加えるか、もしくはあらためて本案の提案のし直しをして、内容を根本的に修正して出すというだけの
政府に決意がありますならば、そのときわれわれもあらためて審議をいたしたい、かように
考えます。今日わが國の経済が、すべてのものは國内で自給自足できないということは、敗戰の結果遺憾千万と
考えなければなりません。從
つてアメリカ初め諸
外國から物的援助をいただいておる。この御好意に対しましては、私
どもは満腔の感謝の意をささげるものであります。從
つて國内にすべてのものを努めて増産しこれを供出配給等適正なる流通秩序の確立をはかるということに最善の努力を拂うべきことは、
政府を初めわれわれともに
協力一致するということにおいてはいささかも吝とするところはありませんが、そもそも経済違反がどうして生ずるかという根源をわれわれは一應突きとめて、しかして後取締によ
つてどれだけの成果が期待し得られるかという結論を見出して立法化されなければならぬ。かように
考えるのである。しかるときにやみの生ずる原因の
一つとしては、敗戰の結果わが國の國土は非常に狹められた。天然資源は乏しい。人口は八千万も越えるほどの密度である。乏しきものをお互いに公平に分け合うことができればいいけれ
ども、終戰以來
國民の道義心は頽廃低下してきております。配給だけでは足りないので、つい心ならずもやみで賄
つて日々の生活を営まなければならぬという人も多数に上
つている。帰するところ乏しきものの爭奪戰という醜い現象を今來していることは遺憾でありますが、その乏しき物を努めて公平に分配して、美しいマル公生活のできる日本の國にするということにつきましては、先の片山内閣初め
相当御苦心を願つたところである。昨年も片山首相は、やみを撲滅するには労働組合諸氏の
協力を求めなければならぬということな
ども、しばしば言明された通りである。しかるに依然としてやみが横行してお
つて、今日かようなときに、
國民の自由と権利を拘束するような、新憲法の精神にもあるいは相反するような立法をせなければならぬということは、片山前首相が言われたことを裏づけるだけの具体的な方策を講じられておらなかつたということな
ども考えられるのであります。労働組合が、たとえば國鉄、あるいは通運会社、またはトラツク、その他これらにたずさわる人が、眞に心から
協力する、しかしてこれを裏づける何物かがあつたならば、あるいはやみはもつと早く、ある程度の撲滅はできてお
つたのではなかつたかと思うのでありまするが、抽象論的なる、これまでのお説はたびたび聽きましたけれ
ども、具体的に適当な手が打たれておらなかつたということは断言してはばからぬと思うのであります。つきましてはわが國の経済が適正なる供出配給で
國民生活が営まれておらぬということから
考える点と、さらにいま
一つは、かような経済
警察権を一段と強化するがごとき査察官を全國に派遣するというようなことに
なつた結果、よ
つて生ずる現象は、あるいはすべての物の生産、すなわち林業、あるいは農業、商工業、漁業等の増産しなければならないものが、むしろ減産をするというような憂うべき現象を來しはしないか、インフレ克服の前提條件としては、流通秩序の確立もその
一つではあるけれ
ども、根本は積極的に物を増産することである。物を増産させるがためには、これら生産面にたずさわりまする人々が、心から氣持よく愉快に勤労精神を発揮して助力させる政治方式をとるよりほかに途がない。ただ権力によ
つて屈服服從せしむることによ
つて物の増産ができるなどと
考えたら大きな誤りである。私はまずかように
考えるのであります。それと今日やみは今なお途絶えず横行しておる。しかしそのうち大口やみは、新聞紙上でも連日傳えらるるごとく、業者と
官吏と結託して行われておる傾向が多分にあるのでありまして、たとえば昭和電工の日野原社長
事件のごとく、またはさきの運輸次官の疑獄
事件のごとく、または商工省の肥料課長のごとく、その他枚挙にいとまがない。そこで経
済査察官を
設置しましても、畢竟するにこれは官使、すなわち
役人である。わが國の
官吏、
役人が新憲法第十五條の精神に則
つて、眞に
國民全体の奉仕者なりというような
考えをもたれる人々が多数あるならば結構であります。遺憾ながら現実はさような人はごく少数である。大多数の人は道義観念非常に低下し、汚辱、汚職行為が多いのであります。こういうときに査察官を増員して全國に派遣してみましても、帰するところその査察官がまたぞろ業者と結託して、さらにやみを高めるの結果になりはしなかろうか、このことを第一私はおそれるのであります。
第二に心配いたしますことは、わが國の現状は
官吏亡國とまで言われるほど公務員の数が殖えたことは御承知の通りである。昨年暮公團を
設置し、あるいは石炭國家管理その他
役人の殖える制度、施設は多々行われておりますが、昨年十二月におきましても、
國民百人に対して
役人は十六人であつた。今日におきましてはおそらく二十人にもなんなんとするのではなかろうかと思います。アメリカにおきましては
國民百人に七人の
役人で賄
つておるのに、なぜに日本だけがこう
役人を殖やさなければならないのが。從
つて國民の負担はますます過重の度を増すばかりであります。昨年度千三百五十億円の税所得は、本年
予算を見ますれば約二千六百億、その他專賣益金等合わせて約四千億の諸税收入を見込まなければわが國が賄えぬ。これすなわち
國民の全部の人にかかる大きな負担でありまして、殊に生産面に携わる人々は、今やまさに血税をしぼられて苛斂誅求に悩んでおるのであります。
國民の税負担もすでに最高限度に達しておる。もしこれ以上を國費を費消することを
考えて
國民の負担を重くせんか、おそらく
國民からはごうごうたる怨嗟の声のみならず、遂には徳川時代あるいは明治初年に見られたような、暴動と
なつて現われぬとも限らぬのであります。さような点から
考えて、今またここに三千五百人の査察官を
設置するということは、その俸給あるいはあちらこちら歩く旅費等を見積りましたならば莫大な金額に上り、
予算面では七億円にも
なつておりますが、六・三制の学校の補助あるいは公共事業費等ことごとく
國民の意思に副わないほど少額であるときに、こういうことに莫大な巨費を費消して、それだけの
効果があがるかどうかということに私
どもは大きな疑問をもつものであります。結局これがねらいはやみの撲滅にありましようが、大口やみはさき申しましたような業者と官僚と結託して裏から逃げる。ひつかかるものは小口のやみである。すなわち
東京の食生活を補わんがために、心ならずもリユツクサツクを背負
つて買出しに行かなければならぬというような人々を、終いには対象にしてしまうのではないか。本日承りますのに埼玉縣の持田駅の助役が
報告したところによりますと、先日來一日に一万貫の生馬鈴薯が、やみ屋の手から
東京に運ばれたということである。これらのものを、かような査察官を派遣して監視さられることによ
つて、なくすことはできるかもしれませんが、ことさらこういうものを設けずとも、電鉄、國鉄の從業者に何らかの方法をも
つて、具体的にさようなものをなくする適切な手段を講ずれば、國費を使わずとも成果をあげ得られるのではないか。その具体的の方法については、私
ども一つの計画はもち合わせておりますが、時間の
関係できようは発表いたしません。さようなことを
考えますとき、究極の
目的と得た結果とは正反対のものとなる。先般わが國に御來渡願いましたドレーパー御使節の
報告書を拝見いたしましたが、わが日本の統制経済も徐々に解除して、重要産業はしかたがないが、その他のものはなるベく寛大にして自由経済に復帰し、將來の日本を自由なる民主國家にするといす、日本人にとりましてはありがたい御
報告を受けたのであります。しかるにその矢先、今自由をますます拘束し、統制をあたかも強化するがごときこういう
法案を審議しなければならぬということは、非常に私
どもは遺憾にたえないのであります。さようなことはあるまいとは思いますが、あるいは私
どもの卑見かは知りませんけれ
ども、戰時中は軍人は自分
たちの意思を貫徹するためには、天皇陛下の御名をよくお使い申し上げたのである。今日は「
國民のために」という名のもとに
関係方面に名を借りて、
法律を彈丸として自分
たちの権力を拡充するがために、
國民を攻撃するがごとき
法律、政令をしばしば見受けることを、非常に遺憾に思うものである。眞にやみをなくしようという精神に
政府並びに
國民が立つたならば、まず第一になさねばならぬことは、
政府は
総理大臣初め各大臣、また府縣におきましては知事あるいは市町村長、ひいてわれわれすなわた
國民の指導者たるべき者は、身をも
つて実践垂範して、しかして後
國民に教え、また
國民を指導すべきものではないか。みずから行わずして
國民に臨み、これを強いることは大きな間違いではないか。おそらく
國民は納得がいくまいと私
どもは
考えるのである。この見地に立
つて考えますとき、まずやみをなくするならば、指導者みずからが実践垂範する。このことが先決問題である。しかるにわが國の指導層の人々の行動やいかに。この
國会においても不当財産取引
調査委員会において論議されておるごとく、ますます
國民思想の惡化と頽廃を招來するのではないか。かように私は
考えるのでありまして、流通秩序の確立のためには、ただ一片の
法律によらずして
政府が誠意を披瀝して、
國民に納得のいく方向を身をも
つて実践垂範指示することよりほかに途がない。なお足らざるところを取締りの強化によ
つて補
つていくということでなければならぬ。また査察官を
設置して全國に派遣します場合には、地方には地方
警察、國家
警察並びに
檢察廳、裁判所あるいは府縣という
行政官廳等がありまして、これらの人人もおのおのみなやみ撲滅、流通秩序確立には眞劍に
なつて努力しておるのである。昨年
警察制度が変りまして、地方
警察と國家
警察にわかれた。それ以後やみがますます激増して横行しておるかと思しますれば、私
どもは決してしからば、むしろ最近は大口小口のやみが、終戰直後当時よりもだんだん減少を來しておるのであります。ことに隠退藏物資の摘発ということになりますと、もうすでに隠退藏物資は大方隠れてなく
なつてしま
つておる。処理済に
なつておる。すなわちこれからの取締りは、新しくできたものを公平に供出配分するということにあるのでありまして、戰事中並びに終戰以來実施しなかつたようなこういう
法律を、
終戰後すでに三年に
なつた今日、しかも自由なる氣持で
國民が勤労精神を発揮して立上らなければならぬこの大事なときに、またぞろ権力によ
つて國民を拘束圧迫せんとするがごとき
弊害に、往々にして陷りやすいこの
法律を今つくることは非常に危險である、こう私は思うのであります。すなわちこの衝の当る査察官なるものが、憲法精神といい、よく今日の日本の時代感覚をもち、
國民公僕の精神に徹した人があるならばよろしいが、悲しいことにはさような人は少いのではなかろうかと思うのであります。
終戰後三年の今日に
なつてかような
法律をつくることが、すでに逆行である。同時にこの法実施によ
つて、善用さればよろしいが、一歩誤らんか農、商、工、林業、漁業のすべての生産を減退せしめて、角をためんとして牛を殺すの結果を招くのではないかと私は思うのであります。おそらく私の
考えと八千万
國民皆同樣である。しかしわが國を完全な社会主義國家とし、社会化されたる
警察國家とするという
考えを持たれる人はこれまた別である。もし本法実施後一歩これを誤
つて施行せんか、あたかもソ連のゲー・ベー・ウーに類すべき経済祕密
警察とも言うような結果を招くのではないか。殊に最近は公務員の中に共産主義的思想をもつ人が多分に殖えてきております。このときにもしかような制度を設けることによ
つて、あるいは惡意にこれを行使されたならば、わが日本の経済を根底から破壞し、日本をして共産主義化するおそれが多分にあるのではないか。物に危險なるはこの
法律であると私
どもは
考えるのであります。
いずれの角度からしさいの檢討いたしましても、この原案なり、あるいは修正案なりではよき結果をもたらすよりも、むしろ
弊害の方が大なるものなりと私
どもは痛感いたします。
國民代表としてこの
國会の議席に出ておりまする以上は、その責任と義務の重大性に鑑み、あと郷里へ帰
つて、私
どもを自分
たちの代表として民主政治確立のために派遣してくださつた有権者
各位に合わす面目が奈辺にありや、かようなことを
考えますとき、私
どもは
國民に心から得心のいく
法律制度を設けたい。しからざれば職を辞して一
國民に下るだけである。これだけの信念と覚悟をも
つて私
どもはこの
國会にまかり出ているのであります。またこの
考え方に立
つてこそ、
國民もわれわれを信頼してくださるのではなかろうかと
考えますので、何とぞこの問題は政党政派ということを超越して
——私
ども野党であるがために、ことさらなる反対をするものでは断じてない。
各位も御了承くださいまして、一應この原案なるものは先ほどの修正案に止めず、一歩退いて靜から
考え、かつ愼重審議し直して改めて
政府をして提案せしめ、またわれわれ
國会から起案、立案、提案するか、いずれかの方法をも
つて間違いのない流通秩序の確立をはかりたいと私は
考えるものであります。何とぞ皆樣方の御了承、御賛成をたまわりたくお願いを申し上げます。