○工藤
委員 まことに
りつぱな討論を拝聽いたしました。
石田君の立場のまことに苦しいことをお察しいたしますとともに、與党はまたこれを守るがために急にして、
國会を忘れておるということを遺憾といたします。今日私は何がためにこれを拒否したいというのであるか。新
憲法の最も特色ある点は何があるか、いろいろあります中に、われわれの自由の
権利を擁護することにおいては、百三箇條の
憲法の中に、ほとんど四十箇條にわた
つておる。從
つて明治
憲法以來、藩政時代とは違いまして、
國民の
権利は保障せられたと申しながら、天皇の大権のもとに隱れて、ややもすれば第一には藩閥の勢力、第二には官僚の勢力、第三には軍閥の勢力、後には軍閥と官僚が互いに提携して、軍権と
行政権とを握
つて数十年間、われわれの友人並びに先輩は不当なる苦しみを受けてきた結果が新しいこの
憲法にな
つたのであります。過去においてわれわれが責任を果すことのできなか
つたのは、まことに遺憾であります。すなわち日本をここまで導く前に、
國民並びに
國民の代表者が眞に
國民の
意思をその当時の帝國
議会に反映することができたならば、われわれはかようなる終戰の悲しみを受けなか
つた、またこの
憲法もここまで極端なる改正をする必要もないのです。かくのごとく
権利と自由に対して、ほとんど世界の
憲法に類がない。日本の
憲法はまさに人権擁護の上においては至れり盡せり、微に入り細にわた
つているのであります。要するに過去の官権の横暴なる、
國権を濫用して
國民の
権利と自由を侵したからであります。しからばわれわれはこのときにあた
つて考えますのに、この
國民の
権利と自由を擁護するものはたれであるか。裁判官もいたしましよう、あるいは檢事もいたしましよう。けれ
ども終局においてその源をなしておる
國会こそ、眞劍にわれわれはやらなければならない。從
つて憲法には何とあります。過去において
幾多の試錬に耐えたのであるから、現在及び未來にわた
つて大いに奪鬪して、これを擁護するの義務を
國民がもつということを、
憲法のおしまいの方にうた
つてあるのであります。また
憲法中で一番大事な点は、人権の擁護であります。從
つて個人の
権利は尊重しなければならない。この
個人の
権利を尊重するとともに、
個人の集りであるところの集團の
権利も、これを尊重しなければならぬのであります。すなわち
國会は、
個人の
権利を、個々の基準を保護するとともに、
國会全体に與えられているところの、少くとも明治
憲法より一轉いたしまして、天皇のおもちにな
つてお
つた國家統治の大権は
國会に移されたのであります、か
つて官延を取囲んで不当なる政治を行い、
國民の
権利を蹂りんしたものありとするならば、われわれはそれらに向
つて口を極め、筆を極め、ある場合には暴動まで起してもこれを防いだのであります。その時代は去
つて、今やわれわれはこの
憲法によ
つて與えられた
國家統治の大権を、最も適正公平にこれを施行するにあらざれば、再びか
つて盛んなりし軍閥官僚の権力濫用を繰返すことになるのです。形は変りました。すなわち多数党は、いたずらに
権利を濫用して、多数党をも束縛して、その個性を尊重するというその事柄をも無視して、まことに
石田君の苦衷を察するような問題が今日政党に行われているのでありまして、大小の問題ことごとく
党議をも
つて縛
つておる。この政党の現状におきましては、何としてもわれわれが
國会の
権威の上において、これを保護していかなければならぬのであります。先刻來、いろいろ議論がありましたが、
司法大臣の言明によ
つてみても、まだ新
憲法のこれらの條規に関するところのほかの
法律ができておらない。だれがこしらえないのでありますか。
法律をつくるの権能は
國会に與えられている、また政府もその権能をも
つている。この生れたばかりの新しい
憲法のもとにわれわれは棲息をして、一面においては
憲法もでき、新しい考えも起
つてき、
民主國家をつくらなければならぬという形は整うたけれ
ども、依然として官廳においては、
行政府においては昔ながらの人でもあり、司法でもあるということであります。
危險千万なのであります。この新
法律をつくることなくして、早くいえば立法
手続は十分に行届いておらぬ。このときにあた
つて依然としてこの昔の勢力は
國会に向
つて攻勢をと
つてきたのであります。
國会議員の
権利を蹂りんするものであります。
國会の
憲法上與えられたるところのこの防壁を破らんとするのであります。この防壁一たび突破されたときに來るものは何であります。多数党の名において、
國会に輿論は集ま
つているという形式的な議論によ
つて、この障壁が破られたときには、
内閣は多数党に擁せられているからというので、結果としてその横暴を続けることであ
つたならば、
國会はその名あ
つて実を失いまして、永えにわれわれは明治以來楠ましからざる
行政のもとに生活してきたところの
幾多の先輩諸氏に対して、まことに申訳ないじやありませんか。われわれは幸か不幸か、この終戰時代に
國家の大難を担うて、何とかしてこれは改めていかなければならぬ。これを改めるところの根本は何であるかと言えば、新
憲法をこしらえて、これを
國民とともに守
つて、永久にこれを擁護するとこにある。この
意味において、私はこの
法律の不備に乘じて、しかして彼らはいち早くその関門を突破して、ここに無理を強いてやがて來らんとすることはどういうことであるかしらぬけれ
ども、私は一たびこの牙城を失
つたときにおいては、必ずやこれが惡例とな
つて、他日政界に
幾多の好ましからざる現象を起すということをおそれるのであります。政党法でもできまして、政党のこの
党議の拘束を緩和する場合以外は、今度は多数党によ
つて憲法は蹂りんせられるという結果になる。私
どもは他日多数党になりまして、必ず天下をとる時代がある。しかしながらこの道を開いて、この前例を残して、われわれはこれにならおうとは欲しません。いずれの
内閣であ
つても、何とかしてこれをここにおいて食い止めることが私
どもの義務なりと考えます。先日
來司法大臣の
意見もいろいろ聽いた。
司法大臣いわく、未だ起訴せられるだけの材料はないのだ。ゆえに自由を拘束する方法によ
つて証拠を集めるのである。普通の
事件であり、非訟
事件であり、
國家に対する
犯罪、社会の秩序を破壞するような
犯罪——か
つての
憲法には内乱と外思に対しては現行犯と同樣これをただちに
逮捕することができた。今度はそれを除いてあるのであります。それを取除いてあるから、
許諾さえ得れば何でもできるということになる。これは私
どものすこぶる遺憾とするところでありますが、司法官憲は
國家の権力を握
つて、いくたの人を使
つて、スパイ網にしても何にしても至れり盡せりの網を張
つておる。昨年の五月からこの一月に至るまで全力をあげて捜査をしても、未だこれを起訴することのできないような事態は、何を物語るのでありますか。聞くところによれば、檢事も実はこれをもてあまして、何ともしようがないから、
司法大臣に伺いを立てたところが、なに多数党の
内閣だ、君や
つてくれ、わが輩もある点までは責任をもつからやりたまえとい
つて激励したということが、ちまたに傳わ
つておるくらいである。
また次にこの
犯罪の動機はどうしてでき上
つたかというと、
被害者と認むべき者すなわち小川です。これが警視廳に親告したのである。およそ
犯罪捜査の着手は、告訴か告発か、あるいは投書か、親告かいろいろありましよう。この小川某なる者のこの親告がものをいうて、いわゆる謀慮であるとは断言はできませんけれ
ども、何かそこにわれわれの理解すべからざるところの暗い影があるということは爭い得ない。それであるから
一片の親告によ
つて國家の捜査権が活動して、遂に
憲法の障壁を突破して、も
つてわれわれが自由を奪われて、檢察官の手に渡るということは、まことに情ない
議員の生活ではありませんか。何がためにわれわれの先輩は血を流して鬪
つたのですか、何がためにわれわれの先輩政治家が暴動まで起してこの
権利荘擁護したのであるか。この先輩の遺産を守ることこそ、われわれの責任であると考えておる。ゆえに、たとえ今の
内閣と
反対の者が政府をと
つても、この道さえふさいでおけば、司法官憲すなわち檢察官憲のほしいままなる行動はできない。もしこの前例を
一つつく
つてこの関門を破
つてしまいますと、これはすなわち
議会の先例になると同時に、司法官憲の前例になるのではありませんか。ゆえにわれわれはこの点を憂うる。
一片の親告によ
つて、
一片の投書によ
つて、この問題をかくまでに展開せしめた。これは世界注目の問題である。日本の新
憲法はどう運用せられるかということは、世界の大問題であります。微々たる
原侑君の問題ではないのであります。いかに民主政治、民主
憲法を守るかということについて、彼らが注目しておるのである。この列國環視のもとにあるところのわが再建日本のこの姿は、
國会のいくじのないこと、與えられた
権利さえも擁護することができないということであ
つたならば、あるいは日本
國民たのむに足らず、民主政治を強行するだけの力がないということを言われないとも限らないのである。この点に私は深に憂えをも
つておる。しかるに現在われわれは占領下にあるのでありますから、この占領治下にあるわれわれとしては、至上命令権をも
つておるところの方面に対しては、きわめて從順なる敬意をも
つてこれに服從することは、あえてはばからない。しかしながら、われわれの責任ある者がその至上命令者と会
つて話を聽いた時分には、何で
議会は
議会自体の力によ
つてこういうものを処理しないのかということを、
委員長の加藤君がしばしば言われたのであります。そこでどうしてもできない、というのは、
法律をも
つて強制力を與えてもらわなければできないということの結果は、遂に昨年の最終の晩に、不当取引問題に関するところの特別
委員会をつく
つたのではありませんか。われわれは
議員の自主権によ
つて國会を清めることを行い得るだけの権能を與えられておる。本日その会が成立したのであります。しかして自主権によ
つて、われわれは先刻
社会党の方が申されたことく、
議会の体面を害するような行動によ
つてすこぶる
議会が迷惑をしたということは、これをも含めて
議会の自主権によ
つて審査することができる。しかして
犯罪すでに疑うべき余地がなくな
つた場合においては、司法官憲によ
つてこれを処分してくれということを求めることができるではありませんか。何を苦しんで、官僚の攻勢がこの
國会の関門を破らんとする時分に、よろしゆうございます、おはいりなさいとい
つて、われわれの座席を土足でも
つてけられるような態度で、何としてわれわれは
國会議員たるの任務を全うすることができるのであるか。この点を私は遺憾に思うのです。ゆえに、このひざ一たび屈すれば、やがてはわれわれは朝に一城、夕に一城を拔かれ、ついに多数党によ
つて擁せられた政府の名によ
つて、われわれの
権利は再び過去のごとき状態にな
つて、この
行政権のために立法権の荒されるということを、われわれはすこぶる憂うるのです。私は本
会議においても、多少ここで申し上げない点をあらためて申すという決心をも
つておりますけれ
ども、本
会議に至らざる前に、どうぞ諸君は、反省してください。何も私一個の問題ではない。原君が何であります。原君であろうが、
総理大臣であろうが、いやしくもこういうような問題があれば、公平に処置しなければならぬが、われわれの護るべきものはすなわち
憲法であります。
憲法の條章の問題もいろいろありまするが、この
精神解釈からい
つても、断じてわれわれは應ずることはできないのであ
つて、もし政府がこの
憲法擁護に忠実であり、
國会がこれに対して主張したならば、この
憲法五十條もしくは三十三條によるところの、
議員の
逮捕の
手続に関しては、いま一層明瞭にな
つたでありましようが、先刻申した
通り、この不備に乘じても
つて、官僚の攻勢にわれわれが屈從するということは、工藤鐵男の生命のある限りは、断じて私はこれに應ずることはできないのである。
どうぞ、先輩もおる、また
同僚諸君もおる。殊に若い人々は、これからこの
國家再建を担うていくときにあた
つて、こんな態度でこの
國家をどうして背負
つていけるか。赤松君は冷笑するかもしれんが、冷笑するのは赤松君一人ぐらいのものだ。(「冷笑じやない」と呼ぶ者あり)けれ
どもその覚悟はどうですか。昔は二十歳にして郷党に身をつなぎ、三十にして一般につなぎ、四十にして時の天下に身をつないだという、当時の志士の魂をわれわれは今にしてもたなければならぬのに、三十にして
國会議員にな
つたから、おれは名誉だというような顔をして、この抱負がなか
つたら、何でこの日本を背負
つていけます。工藤鐵男老いたりといえ
ども、なお
國家を背負
つて立つだけの意氣をも
つております。しかしながらぼく一人だけでやれるものではないから、諸君の御協力を求めるのであります。この正しい道によ
つて、諸君の御協力を求めたい。議論をしても、もはや大政党の態度はきま
つている。常に正論をはいてまことに心強いなと思いましたところの三十二名の國協までも、進まんか、
党議に從わなければならぬ。退かんか、
自分の
意見を行わなければならぬという哀れなる境遇に陷る人がたくさんあるだろうと私は思います。このときにあた
つてこの道を開くものは——多数党はこの問題を自由問題にしなさい。この問題を自由問題にすることはもちろんのこと、第二にはすでにわれわれの自主性によ
つてできた
委員会がある。そこで先日私が
司法大臣に、これは例の隱匿物資に
関係があるかどうかを聽いたのは、すなわちそのためであります。今日までわれわれの怠慢によ
つてできなか
つたのであるが、今日これができたのであるから、この問題は速やかにその
委員会に移して、そうして物資問題と関連してこれを調べて、
犯罪あるならばこれは司法官憲に任すがいいでしよう。どうぞ自由問題にすること、並びに
委員会を速やかに開いてこれに対するところの審査を開始すること、しかして
本件に対しては断じて
許諾することはできないということの
結論を得たいために、ここに数言を費したわけであります。