○
伊能政府委員 私旧臘当院本
委員会の
運輸大臣に対する御要請に基きまして、
東北、
北海道方面の
輸送実情を
視察をいたしてまいりました。旧臘十三日に出発をいたしまして、二十五日に帰着をいたしました。まわりました箇所は、当初
青森には若干の時間を割いただけで、一
略北海道に参りまして、
函館本線から
札幌に参りまして、
札幌では十六日に午前八時より正午まで、しばしば問題にな
つておりました
苗穂車輛工機部の
視察をいたしました。私が見ました範囲におきましては、東京その他でいろいろと
苗穂工機部等における
怠業、いわゆる山猫とい
つたようなことが報ぜられておりましたが、私半日
現場をくまなく拜見し、また
組合の
幹部、
現業員諸君と親しく話をいたし実態を見てまいりましたところでは、
怠業その他
不祥な
事態は全然見られずして、
能率がかなり高く上
つてお
つたようでございます。殊に
苗穂の
工機部は九月、十月、十一月と
各月前月よりも
能率の向上を示しておりました。ただ十二月につきましては、
地域攻勢その他の
労働攻勢のために、二、三
職場大会の結成が、
管理者との
協定違反を生じたような
事態がございまして、それによる給料不拂い等の問題で、私が参りました当時においては、
既定計画の一〇%
程度が遅れておるというような
事態がございましたが、全体としては
勤労意欲きわめて高い
状態で、午後において
北海道労働委員会の
委員長初め各
委員と、
札幌鉄道局対
北海道鉄道労働組合の爭議の問題に関する
協議をいたしまして、私から
政府の
北海道労働委員会の
裁定に関する所見を申し述べました。当時私は
北海道の
労働委員会の
裁定である
石炭代八千石百円、
越冬準備金また
欠配手当その他総計一万数千円の金を年末までに出してくれという要求につきましは、
政府は二、八箇月を全
官公廳に対して
中央労働委員会の
裁定につき
受諾をいたしており、また
石炭代については二・二トンを基準として
世帶主三千円、
独身者千円の
石炭手当を全
官公廳の
職員に出しておる。またそのほかに
寒冷地手当については
目下組合側と
協議が整
つておらぬが、これも
國鉄の
組合は
政府提案の
趣旨だけを一應のんで留保をして、別途きま
つた際には追給をもらうとして、
政府提案の
趣旨だけでも現金をもら
つたらどうかということで、さしあたり十一月、十二月、一月、二月、三月、四月、月一割、
合計総額月額の六割という
寒冷地手当を
政府としては出しておる。これらの
措置によ
つてこの
程度において
北海道労働委員会の
裁定の
趣旨をのんだのである。
政府としては
中央労働委員会の
裁定を了等し、その
権威を尊重すると同様に、
北海道労働委員会の
裁定の
趣旨を尊重し、その
権威を尊重することにおいてやぶさかでないものではあるが、
國力の現状からい
つて、この
程度に
受諾をしておるという点も申し述べまして、
労働委員会の
方々と
懇談もし、御了承も得てまい
つた節もございます。それから
組合側と
夕刻から午後九時ごろまで
懇談をいたし、今後の
視察の
順序等も決定いたしまして、十七日七時から
岩見沢、
滝川、
旭川、遠軽を経まして
北見に到着をいたしました。翌日
北見を一日見まして、さらに
池田に下りました。その
夕刻池田を
視察をいたしまして
帶廣に参りましました。その夜は
帶廣に泊り、
帶廣から狩勝峠を北上し新駅の駅、
機関区等を拜見して
岩見沢に出てまいりました。
岩見沢から再び
滝川、
旭川を経て
名寄に参り、
名寄から一路下りまして
追分に参り、
追分で一泊をし、さらに苫小牧、鷲別、
東室蘭等を見まして、
長万部に出てまいりました。
長万部を見て
函館に出、
函館を一日有川、
五稜郭等を拜見して
青森に下り、
青森に二十三日の
夕刻着きまして、二十三日に
青森縣並びに青森市の
有力者の
方々と
懇談をし、翌二十四日一日
青森の駅、
操車場、
機関区等を
視察をし、
労働組合と二度にわた
つて懇談の結果、二十四日の夜立
つて二十五日の
夕刻帰着いたしたような次第であります。
その間、
北見、
池田、
帶廣等、
北見管理部、
釧路管理部、
室蘭管理部の三
管理部が比較的急進的な
地域攻勢が強いようでございまして、私が参りました当時、近來にない寒氣がきびしく雪も非常に強く降りまして、
札幌のごとき、十六日、十七日は一尺以上の雪が降
つておりました。
輸送が当時逐次停滯氣味に相なりまして、私の十日間の在道中にも
機関車の
状況が一日々々と惡化をいたしまして、遂に二百八十輛
程度の
機関車の
休車を見なければならぬ。かような
状況に立ち至りました。これが
根本的な
原因といたしましては、さいぜん
大臣からも若干触れましたように、
東北、
北海道の
輸送施設が
戰時中当面の
西部方面、
東海、
山陽、
九州方面への
軍事施設の
整備に追われて、
十分施設整備の手が届かなか
つたということが
根本的な
原因のようでありまして、私ただいま申し上げました各
地方の
機関区、駅、保線区その他を見ました結果、西の方の、
戰時中私が勤務いたしておりました
九州の
鉄道局の
輸送施設、特に
機関区その他の
運轉施設と、
北海道の
輸送施設、
運轉施設とを比較いたしましたときに、格段な違いのあることを発見し、また非常に荒廃していることを見たのでございます。現に私の参
つておりました最中においても、新得の
機関区のごときは、雪の重みにたえかねて屋根がつぶれておる、というような
状況等も見てまいりました。その
原因は、
戰時中、また
敗戰後においては、当面の
戰災復旧に汲々として、手が伸びなか
つたというようなことで、長い
間東北、
北海道に対する
施設整備の手がまわらなか
つたということが
根本原因でありましたことと、非常に早く寒氣が参りまして、すでに私のおりました当時において、
帶廣、
名寄、
旭川、
池田等においては、夜零下二十七、八度というようなきびしい寒氣でございました。そのために越冬
準備が十分でなか
つたところへ、急激に冬が來たということが近因の
一つでありました。
しからばなぜ例年やらなければならぬ駅舍並びに
機関区の越冬
準備が十分でなか
つたかということにつきましては、昨年の九月以來、
北海道労働委員会における
裁定をめぐりまして、
労働組合対
当局の爭議がかなり熾烈で、殊に
東北、
北海道における
地域鬪爭の強烈な展開が行われました。この点関東並びに西の方に比較いたしまして、
地域鬪爭の強力な展開につきましては私内心
相当に驚き、かつ注目をいたしたのであります。私が参りましたいずれの小駅といえ
ども鬪爭
委員会ができておりまして、私が参ります都度、決議文並びに要永書が提出せられるような
状況でございました。この点は関東並びに西の方のいずれの
鉄道局においても見られざる現象であります。これらの
地域鬪爭が非常に急激に強力にあおられたために、本來の仕事に対する
準備というものがおろそかに
なつたということについては、これは率直に私はどうも否めない事実ではなかろうか、かように存じます。その
準備が遅れてお
つたところに、急激に冬が來たということが大きな
原因でございます。
ほかにわれわれの方の
原因といたしまして、
從來國有鉄道に対する地下たび、軍手、ゴムぐつ等の労需物資の配給が非常に少いのでございます、
戰時中におきましては最も重労働の
職員に対しましては、軍手は年に八双、地下たびも八双
程度のものを配給ができてお
つたのであります。それが最近におきましてはわずか年に二双
程度配給し得るような割当しかもらえない。
從つて從來はいろいろと非常手段を講じてこれが
確保に当
つてお
つたのでありますが、昨年の秋以來、千七百七十五号のあの命令が出まして以來、
官廳の
やみが絶対にできなく
なつた。それまで私
どもはいろいろな非常手段を講じておりましたが、今後これは何としてもやめなければならぬということで、その
方面の非常入手ということがほとんど困難になりましたために、軍手ゴムぐつ、地下たび等の緊急手配も滯りがちになりまして、現に私夜遅く
機関車の修理に、私みずからやつみろということを從業員から言われましたので、ホースを握
つてはい
つて來た
機関車の雪よけの作業もや
つてみ、また修理のためにいろいろと機械器具もいじ
つてみましたが、手が鉄にくつついてしまして、資事ができぬというような
事態で、労働物資の不足が
勤労意欲を非常に阻害したという事実もま
つたく明らかでございます。
その他十一月の下旬から御
承知のように
青森においでいろいろと問題が起
つてまいりました。
青森の
地域鬪爭が強烈に行われまして、十一月下旬から
輸送が逐次
青森地区において停滯をするという現象が起り、
青森の
労働組合の代表者が十二月初旬にわれわれの所に参りました。そこで私
ども数次の会見によりまして大体一應の妥結点に到達いたしました。どうかこの條件でも
つて現地の
職員を納得させて、
輸送に邁進してほしいということで
青森側と意見の妥結を見ましたのが十二月の十日であります。私はその翌晩
北海道に立
つたのでありますが、妥結の結果が不幸にして
青森管内の
組合側に十分徹底いたしませんで、その後も少しも
輸送が好轉しなか
つた。のみならず、十一、十二日の技工諸君の総休業、その後の
青森機関区における技工諸外の
怠業の結果、
機関車が雪に埋もれて、毎日々々倒れていく。
青森操車場においては遂に
機関車不足のために
北海道からせつかく車輌がはい
つてきてもそれが受け取れないということで、やむを得ず推駐軍車輌と
石炭のほかは、また再び船に乗せて
北海道に押しもどすというような
事態に相なりまして、本州からは秋田米、山形米の
北海道への
輸送も参らなければ、百数十輌にわたる
機関車、客車その他の省用品の修繕部品が全然行かなくな
つてしま
つた。このために車輌修理その他にも重大な
影響を與えて
現場の
機関区、檢車区等の
勤労意欲が阻害されておるという事実もございます。
北海道全道を通じまして、私が在道中においては
職員側におけるいわゆる山猫的な存在は
一つもございませんでした。私参ります以前におきまして、いろいろな誤解から、保線区等で一日全然出てこなか
つたというような事実がありますので、保線区長、助役等がびつくりしてみんなを招集すると、やあどうも全部ストライキだというから休んだのだが、そうでなか
つたらまことに申訳ない、それでは十二月中自分たちは休暇を全部返上しておわびのために働く、というような
状況で、從業員の
勤労意欲は衰えてお
つたように私には見受けられませんでした。ただ冬が非常に早く來たことを、施設全般が非常に荒廃している。これらの点によ
つて輸送が逐次停滯をしてまい
つた、加うるに労需物資がないというようなことが
根本の
原因であります。
それからもう
一つ炭鉱地帶において特別な
事情がございます。私
どもの
職員は、あの最重労務をやります
連絡手が初任給わずか九百円
程度でございます。ところが炭鉱地帶におきましては、御
承知のように、坑外夫といえ
ども数千円、坑内夫は五千円、著しきは一万円を超えた者もある。かような
状況です。ところが食糧においても、私
どもは二合五勺に一合の増配、炭鉱の方においては六合をいただいている。しかも作業自体は、実質的に雪の中で働いているあのうちの連結手と、坑内の温かい所で働いている坑内夫とに、どれだけの作業上の差異があるかということを私
どもは胤に絶叫してまい
つたのでありまするが、今日まで容れられませんでした。そのために炭鉱地帶におきましては連結手が五百名
程度欠員を生じております。線路工夫が三百名
程度欠員を生じております。
機関車をみがき、
機関車を掃除し、
機関車を
整備する庫内手が三百五、六十名
程度欠員を生じております。これはいかに募集をいたしましても、炭鉱の方へは人が雇い入れられますが、私
どもの方には参りません。わずかに、一日百円の臨時人夫賃を出しますと参ります。しかし
職員に採用しようとい
つても、ほとんど採用ができないという
状況でございます。このために先般苫小牧におきまして、パルプの
輸送で
人員が非常に足らないので、その補充を臨時人夫でや
つておりました。左翼急進分子がこれをとらえて、臨時人夫による責任は一体だれが負うのかということで、
管理者、駅側と悶着を起して、苫小牧に着いた
列車の受けをしないで、そのまま室蘭に流し、あるいは
追分の
方面に流してしま
つた。こういう
事態がございましたが、これはたまたま私來道中でございましたので、苫小牧に参りました際に、
組合側も駅側も、
機関区側も、全部集めまして、臨時人夫による当面の
連絡不十分、その他あいまいな点の責任は全部総局長官が負う。しかし当事者の明確な責任については、操車係なり、あるいはそれらの者が負う。
連絡不十分その他臨時人夫の不熟練に基く責任はすべて
当局が負う。こういうように
裁定をいたしてやりまして、辛うじてパルプその他巻取紙の
輸送に事なきを得たような
状況でございます。現在
北海道におきましては、特に炭鉱地帶において、新規採用に非常に悩んでおる
状況でございます。
全般を通じまして、私としては
機関車二百八十輛の修理の復旧にまず全力をあげよう、並びに
北海道においては、無蓋貨車が本州から
青森事件のためはい
つてこないので、これを急速に解消して、七百輛
程度の無蓋貨車をただちに導入してやろうということの約束をし、
東北、
北海道に対しましては、全國のいかなる地帶よりも、
輸送施設並びに
運轉施設については、將來最重点を入れるということも
当局並びに、從事員に約束をしてまいりました。また労需物資等についても、
目下あらゆる手を通じて、札局並びに本省において手配をして送
つておる。現に十二月には諸君の手には地下たび、軍手が一足ずつ届いたはずだ。正月もまた一足ずつ、二月もまたやろう。その他の問題については、帰
つて安定本部と十分
懇談を遂げて、でき得る限りの
措置を講ずる。しかし現在長ぐつ、作業衣等のもので、外勤の
職員でなおやれてないものがあるが、配給をしてない人々、配給する規定にな
つてない人でも、やらなければ仕事ができないということもよくわか
つたから、これらは
既定計画外のものであるが、
政府部内と十分
懇談の上、特別の手配をちろう。かように約束もいたしました。中には急進分子は、現在われわれはこれで仕事ができると思うかと言う。そこで私は、非常に困難で無理もない、しかしできるだけの手当をするからや
つてもらいたいと答えると、われわれが仕事が非常に困難であるということを認めておるなら、すぐここでくれ、地下たびも軍手もゴムぐつもくれ、こういうことを言うておりましたが、自分の手に今すぐやり得る力がないから、帰
つて手配をしてからでないとやれない。だからしばらく待
つてほしいということで、いろいろ論爭をいたしました。それではわれわれが仕事のできないのは
当局の責任であるから、われわれはやらなくてもいいんだと、こういう言い方をする急進分子もございましたガ、私はそれに対しては、絶対にまかりならぬ。率直な言い方をすれば、申訳がないが、われわれのやり方にも不十分なところもあ
つたが、君たちはきのうまで七十五年の間働いてきてくださ
つたはずだ。それをどうしてあしたから仕事ができないのか、ぜひや
つてもらいたい。われわれは非常に仕事に無理を強いておることはわかるが、無理だからと言
つて君たちがやらないでいいということは絶対に認めない、われわれは業務命令として君たちにやることを命令する、もしこの命令に從えないという人があるならば、申訳ないが、みんな名前を書いていただかなければならぬ。そういう人々はやる意思がないのだろうから、もうやむを得ぬからたもとをわかとうではないか。こういうようにこつちも少し強く出ましたところが、だれも名前を書く人もありませんで、やろうというように言
つてくれました。その代り長官に必ず手当をするということを約束するか。こう言うものですから、もちろん帰
つてあらゆる
努力を拂
つて、君たちに必ず軍手も地下たびも、ゴムぐつもこの冬内に届くように約束しよう。こう言
つて、全体としては至極円滿に私は
北海道を見てまいりました。
私が涙の出るほどうれしく思いましたことは、遠軽の駅、倶知安の駅、
帶廣の駅等で、いろいろ新聞に傳えられるような誤解がございますが、私は遠軽の駅には
組合の
計画ではおりることにな
つておりませんでした。しかし時間が二、三十分あるので、長宮、おりて自分たちの決議文、要求書を見て、これに対する回答をしてくれということでありましたので、夜十二時でございましたが、家権も大勢出ておりまして要求書、決議文が読まれました。私も三百有余の
職員家族に御挨拶もし、私が來た
趣旨、また今後の奮闘をもお願いをいたしましたところが、ぜひこれからおりて
構内機関区を見ろという切な要求がございました。けれ
ども組合の
計画がかような
状態にな
つているので、自分個人で
組合側の全体の
計画を壞すわけにいかないから、今回は勘弁してもらいたい、こう言
つていろいろ話しましたが、ぜひ見ようというような非常な熱意のある希望がありました。また
帶廣においては、
帶廣は——私は
池田で市民大会あるいはその他の大会に出されまして、非常に遅くなりまして、翌日は四時五十分の早朝の
列車で立たなければならないために、私は
帶廣を見ないという
計画に
組合側も編成いたしておりました。ところがそのことで
組合側と支部の方の
連絡が不十分でありましたためか、
列車からおりてホームに上りますと、いきなり非常に大勢の人間で私を
構内へ連れて行こうとして、えらい勢いになりまして、はなはだしきはともかく私に見せなければいかぬというので、私であるということを知
つてか知りませんでしたか、この辺をひつぱ
つたり、こうや
つて引きず
つて行くようなかつこうになりました。そうしてほかの人が、ごそつと数十人に連れられてい
つたものですから、私がそつちにいるのかと思
つて、放して、向うへ行
つた留守に、駅長室に戻りまして、どうもこう混認していては困るから、少し皆で昂奮を鎭めてもらいたいということで、皆に鎭まるように話をしました。そして
帶廣は私が見る
計画にな
つておらぬので、翌日私の代理の
職員局総務課長並びに
資材局需給課長が私の代りに見るからよかろうと言
つたのですが、なかなか現地の
職員が
承知をいたしません。最後に、長官に暴行をしたというようなことがあ
つたが、それはまことに申訳ないが、見るだけでいいから一時間見てもらいたいということでありましたから、暗もそれではそういうことにしよう、夜の十一時から十二時ま見てまいろうという話にまとまりました。私は十二月だからまだそう寒くないだろうと思いまして、短ぐつで薄い靴下で参りました、ところが、えらい目に遇
つたのです。そういう支度では無理だからこのくつをはけと言
つて、りつぱな長ぐつを貸してくれましたし、外套も兵隊の兎の毛のついた外奕を貸してくれまして、一時間見せてもらうのに、今度は非常に前とはう
つて変
つて、実に親切に丁寧に見せてくれるのであります。そして時間が來ると、もう一時間の約束だから、お前のところの保線区はこの時間でおしまいだ、
機関区はこれだけだ、こう言
つて一つ一つ制止して一時間で済ますようにしましたが、私はどうせ見に來たのだから、時間のことはいいからゆつくり見せてくれ、また希望があ
つたら、どんな話だか聽こうと言
つて、いろいろ聽いて、さつさあんなに殺氣立
つたのはどういうわけなのかということを二、三の者に聽きましたところが、まことに私申訳ないと感じましたが、歴代五人の長官で冬の
北海道へ來てくれたのは、あなた一人なんだ、自分たちはともかくこの
実情をあなたに見てもらいたい、これだけだという話を私は聽きました。私はほんとうに申訳ないと感じまして、それからずつと從事員の見せたいという希望には、どんなに遅くなりましても、どんなにえらい仕事でも、自分で
経驗しておきたいというつもりで見て歩きました。それ以來從事員の方でも非常に私の健康等を心配してくれまして、ともかく
北海道でどういう働きぶりをしておるかということを私
どもがつぶさに見て歩きました。それで基本的の施策を急速に樹立しなければならぬというように、私は決心をいたして帰
つてまいりました。
遺憾ながら
北海道の
機関車は非常に老朽のものが多いのでございます。四十年以上の老齢を
機関車が
北海道にかなりよけいにありました。そのために二百七、八十輛の
機関車の倒れができましたが、現在におきましては約四十輛
程度回復をいたしまして、
旅客輸送の一部が制限を受けておりますが、これもやがて全面的に解消されることだろうと思います。私が帰ります当時最も惡化しておりましたときには、
石炭がわずかに一万二、三千トンしか運べなか
つたという
事態でございましたが、今日におきましては、一日二万トンを超える日が
相当多くな
つてまいりました。全体の
北海道の
輸送といたしましては三万五、六千トン、やがて日送四万トンの日を見るだろうと思います。
かような
状態で
根本の
輸送施設に本質的なメスを入れて、これを整理してやらないと、
北海道の
輸送は急激には進展をしないというように私は結論をつけてまいりました、当時労需物資の問題、
青森におけるあの
輸送の停滯、多が急に参
つたというような当面の
附帶的な問題もさることながら、
根本の問題としては
東北、
北海道の
輸送施設を
根本的に手直してて
整備をしてやらなければならぬと、かように
考えまして、離道に際しまして
北海道職員に対しましても、自分は十日間諸君に見せてもら
つて新たな勇氣を覚えた。この勇氣をも
つて中央に帰
つて施策の打開に全力を盡す、かように約束をしてまいりました。
殊にうれしく感じましたのは、各寄駅に着いたのが、
夕刻四時過ぎでございましたが、駅
機関区、保線区いずれもそれぞれの一番重要な仕事を私に
準備をして見せてくれました。
名寄の
機関区におきましては、大箇月檢査の
機関車が、これはあしたからもう使うのだから、今全部組立をや
つておる。ジヤツキで上げてジリジリ下して、同時にはめ込み作業のところを私に見せました。保線区におきましては、御
承知のように、
北海道の線路は冬になりますと凍上をいたしますので、はさみ作業をいたさなければならぬ。そのはさみの作業を見せてくれました。駅においては非常に降雪が多くありましたので、雪かき
列車で雪を
構内から全部排除して、連結作業、操車作業の完璧を期するようなところを見せてくれました。これは昔私
どもが業務の管理に当
つておりました当時、
構内その他各所を見てまいりますと、必ずそれぞれの作業を見せてくれる習慣にな
つておりましたが、そういう昔の姿がそのまま
北海道においてなお嚴然として行われておるという有樣を見まして、ほんとうに心強く感じた次第であります。またあらゆる機会に從事員ど
懇談もし、夜ふけるまで、また早朝から、ともかく何人でも、一人でも多く從事員とも
懇談して、この難局を切拔けようということで話をしてまいりましたために、後半以後帰りますまでに、私の参りました箇所は、全六万の從事員が非常によく理解をしてくれまして、長官の今後の施策に十分な期待をも
つて、自分たちはあらゆる
努力を傾けるという約束をしてくれましたことを、私は何よりもうれしく感じた次第でございます。
ただ帰るに先だちまして、
一つ残念なことは、在道中も、十二月十二日に妥結を見ました対
青森勞働
組合との
関係が少しも好轉をいたしません。
北海道にありまして常にあるいは電報、あるいは電話で
連絡をと
つて、これが打開に
努力をいたしてお
つたのでありますが、何としても妥結をせざるのみか、
北海道においてはすでに正月の塩干魚並びに家畜類が五稜郭に満載してたま
つておるのにかかわらず、一輛もそれが本土へ上らない。青函
連絡船に載せるのに、進駐軍の方の
石炭以外はみなおつ返されてしまうということで、豚も死にますし、馬も非常に凍える。蜜蜂も死んでしまうというような
状況で、何としても好轉いたしませんでしたが、最後に二十三日に
北海道から
青森に参りまして、ああいうように技工会長の中村勝巳君に退職をしてもらわなければならぬというような
状況に相
なつたわけであります。この間の消息も
組合側としては、ストライキの指令は
青森の分会としては全然出しておらない。当事者間においても、自分たちは爭議行為をや
つておるのではない。それではなぜ無断で休む、なぜ
怠業をするかということに問題が発展いたしまして、遂に業務命令違反のかどで、技工会長の中村君に退職を求めまして、その結果旧臘から急激に
青森の
機関区の作業
状態が改善せられまして、ようやくほぼ常態の域に達し、三十一日から最後の
旅客の
急行列車も復活をしました。一時私が二十三日に参りました当時は、
青森機関区に七十一輛の
機関車のあるうち、半分以上の
機関車が雪の中に埋もれてしまいまして、ピストンの中まで水が凍
つてしま
つているものでありますから、動かすにも動かせない。一旦
機関車を全部蒸氣でふかしまして、中のピストンその他の水をとかしてからでないと、ロツドその他も動かないというような
状況にな
つて、
輸送上非常な御迷惑をかけましたが、現在においては逐次好轉いたしまして、ほぼ旧態に復するという
状況になりました。
私二十五日の
夕刻に帰りましてから、二十六日、二十七日の両日、
経済安定本部、商工省その他各省をまわりまして、
経済安定本部総務長官、商工
大臣、労働
大臣にも逐一這般の情勢を御
報告申し上げました。殊に労働
大臣には一度
北海道の労働情勢をぜひ御
視察を願う必要がある。比較的食糧の十分な
帶廣地帶等において、なぜ急進左翼的な勢力が非常に強いか、
北見管理部、
帶廣管理部、室欄
管理部等が比較的に私
どもの方においても急進的の力が強いのであります。
名寄、
札幌、
函館等は非常に健全分子が
組合を指導してくれておりまして、その点作業に何らの心配を感じませんでしたが、さような各般の情勢を労働
大臣に見ていただくことが適当ではなかろうかというような
お話も申し上げただちに
東北、
北海道の雪寒地に対する
鉄道輸送確保の緊急
措置をと
つてもらいたいということで、旧臘から春早々にかけまして、
関係者の御参集を願
つて、いろいろと論議を盡しました結果、今回嚴寒地における
鉄道貨物輸送の緊急
事態に対する應急処置についてという閣議決定を正月の十二日に見たわけであります。これによりまして
北海道、
東北その他の雪寒地における外で働く從事員並びに乘務員等に対しましては、寒冷地特別作業手当の支給、これは月額最高六、七百円になると存じますが、この支給と労需物資につきましても、鉄願の
輸送作業については、
石炭、主食、電力等と同樣に傾斜産業の超重点的な待遇をするというようなことも閣議で決定を見ました。また車輛補修施設、補確の
資材についても十分に今後
確保してやろう。その他從事員の労需物資についても特段の
措置を講じ、報奬物資も出してやろう。またさいぜん申し上げた
石炭関係の炭鉱地帶と近接している
輸送從事員については、食糧その他の給與の問題についてでき得る限りの調節をはかるのが妥当であると
考え、これが
措置をとることについても閣議の決定を経ました。しかしながら不幸にしてこの決定を見と当時は、すでに一、三月の第四・四半期の
資材配給の大体の
計画が済んでしま
つたときでございましたので、作業用物資、補修用物資について安定本部、商工省からも非常な御協力を得ましたが、顯著な
資材の割当を得ることはできませんでした。現在の
鉄道輸送は、戰前年に鋼材を三十万トン
程度使用してお
つたときに比べると、本年はわずかに五万三千トンしかもら
つておらぬ。しかも当初の需給
計画においては十四万五千トンときめられてお
つた。それがわずかに五万三千トンしか
鉄道にまわされていない。炭鉱はどうかというと八万三千トンの需給
計画に対して八万三千トン以上もら
つている。いかに
石炭が掘れてもこれでは
輸送ができなくな
つてしまう。終戰以來物資の割当が非常に少く
なつたために、いよいよ
鉄道はよたよたにな
つてきた。昨年
経済白書が発表に
なつた当時、何とかここで
輸送に対し手を打
つてほしいということを
政府にしばしば折衝もし、懇願もいたしたのでありますが、成功しませんでした。今回
北海道においてああした
輸送上の支障を生ずるようにな
つてきて、初めて傾斜生産の超重点としての待遇を受けるように
なつた。これではこの冬の
輸送を急速に回復するのには間に合わぬということを私
ども絶叫しているのでありますが、それでも
東北、
北海道の全從事員は、
鉄道が超重点産業に指定されたということについて非常に感激し、
勤労意欲に燃えております。
從つて私
どもとしては
目下北海道、
東北を中心として
輸送の回復に全力をあげて逐次その成績も現われてまい
つているような次第でございます。旧臘皆樣のたいへんな御心配をいただいて、私、命を受けて
北海道に渡道し前後十四、五日見てまいりました
実情について、はなはだ粗雜でしたが、一應の御
報告を申し上げた一第でございます。
なお御
質問等がございますれば、さらにお答えを申し上げたいと思います。(拍手)