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川上嘉市君 先程からも千八百円の問題を大分
維持するということについてお話がありましたが、これは
労働大臣に御参考までに私自身の意見を申上げますけれ
ども、御考慮を願いたいと
思つております。この
物價の問題は、結局するに今の
物價が
日本などは高過ぎるというために、千八百円の大
部分を
維持するということが非常にむつかしくなる。これは
一つの例を私は言うのですけれ
ども、丁度昭和八年に、フランス人の俸給というものが、今日の
日本の円における俸給と同じであ
つた。普通が千円から四千円くらいのものであ
つた。四千フラン台であ
つた。そのまま円に対するというと、今日の
日本の給與と大体同じようになる。
物價はどうであ
つたかといいますと、そのときのフランスの
物價と今日の
日本の
物價と比べると
日本の方は約三十倍乃至四十倍くらいです。
一つの例をお話申上げると、羽二重の上等のワイシヤツがパリーで以て、四千フランであ
つた。今日はそのままフランを円にしても四十円になるならばフランス人と同じ生活ができる。その同じようなワイシヤツが千五百円、約四十倍である。蜜柑がサンキストという蜜柑を私はやはり買
つて見た。そうすると一フラン二・五ぐらい、それが今日
日本で五十円はどうしてもする。どう
考えて見ても約三十倍から四十倍の
物價であるのであります。そうするというと別の
方面から見るというと、つまり今日の俸給というものは
物價に比べてフランス人の当時の三十分の一から四十分の一である。つまり生活の
程度は四十分の一に下げられておる。そこでどうしてもや
つて行けんというような状態でありまして、千八百円の台を
維持するということは、本当にぎりぎり一ぱいで以てどうにもこうにもいかんという所まで追い詰められておると私は
考えております。それではどうしたらよいか若し上げたらさつきお話がありました
通りに、
日本の
物價の体系というものは全部崩れてしもう。而もこれを上げて
相当に行くというには恐らく四千円五千円、六千円というような台になるならば、そうすれば國の全体の
財政だけで見れば、若し万々一四千円台に
なつたら私は來年の
予算は五千億になるだろうと思います。そういたしますとどうしても防がなければならん。防がんというと皆食うに困る、そういうことになるとどうするか、というと、結局は食糧問題である。食糧の問題は、これは実は
日本の食糧が非常に足らんように私は
考えておりますが、併しながら今日
日本人というものは殆ど一人も餓死することもなしにや
つておるというのは量においてあるからである。あるのだけれ
ども、それが闇屋の手を経るとか、或いは非常に無理をしてでないというと、入らんというだけであ
つて、事実全体の量としては足りないわけはでない。最近に私が見るというと、殊に若い女性なんかが歩いておるのを見ましても、皆非常に肥
つております。肥
つてお
つて溌剌としておる。戰時中によく栄養不良というのを見たけれ
ども、この頃は全部そうでなく、非常にもう栄養が十分に行き渡
つたような感じを持たせるぐらいにな
つております。結局は物がある。これを適正な方法で以て適当な値段で以て手に入るようにすればいい。それにはどうするかというと、結局は食糧品、主として食糧品を下げてこれがすべての
物價の
基準でありますから、これを私は今日
労働大臣にお願いすることは、もつと安本とかいろいろな経済閣僚のお話になるときに、うんと
一つ食糧の問題について頑張
つて頂きたい、そうせんというと、まあ失礼ですが、農林大臣もただ甘やかせばいいというような態度であ
つて、我々工業從業員というものは皆どんなに働いて殆んど全力を出してしま
つても一向にそれに対する報奬もなければ何にもない、こういうような現状であります。片つ方の方は例えば今年の麦の例を挙げるというと、麦を一俵供出すると、銘仙が一反に硫安が二キロ、その外に砂糖が來るとか何とかというような可なり大きなものがありまして、甘やかし過ぎてしま
つたというような状態を我々は
考えますと、これでは食糧品が下げられない、下げられない以上は食うにぎりぎり一ぱい、どうにもこうにも仕方がないところまで追い詰められておる、これを元に戻すためにはすべての基本を下げないというと、もう
物價というものは天井を衝いたような恰好であ
つて、
物價は今日の状態で行くと段々に需要が減
つておるような状態になるのでありまして、なかなか増産どころではない。それでこれを下げるあらゆる工夫があると私は
考えております。それで実は
日本の経済の再檢討というような問題につきましても、或いは復興
会議というような問題につきましてもこれは駄目だ。なぜ駄目かというと皆食糧品の需要者の集まりであ
つて何にも生産者が入
つておらない。丁度我々の工業経営協議会において
経営者と又
勤労者と両方が一緒にな
つて相談する如くに、我々の
日本の再建の経営協議会というものが若しありとするならば、これはどうしても食糧品の生産者、それから又需要者と両方一緒にな
つて、丁度我々の経営協議会で我々が経営の帳面を見せるように、これだけ我々は経済に要るのだ、これがなければ到底食
つて行けないと言
つて、そうしてその者の同意を求めてやることになりますれば恐らく下げられる。なぜかというとこつちの方は余裕綽々だ、例えば今日「みかん」を見ますと、靜岡縣は「みかん」の産地であります。あそこに
行つて聞いて見ると、一町歩「みかん」の生産が少くとも四千貫、多い所は七千貫ある。それを今賣
つておるのは一貫百五十円、
東京に來ると三百円になる。それが百五十円とすれば、七千貫穫れるとして百五万円になる。一町歩百万円以上になるということは非常に不合理になる、それで平然として見送られていて、この間も安定本部の或る局長に話したところが「みかん」とがああいうような果物は
マル公でない。自由販賣だとすまし込んでいる。我々はつまり安定本部というものの任務は、これは
マル公であるから取締るというのでなくて、國全体の
物價を適正に保つというところに任務がある。だからこの頃はどこの果物屋においでにな
つても一山三十円以下のものはありません。「ぶどう」、「みかん」、「りんご」、「かき」、皆そうです。それで以て闇を取締るとい
つても、それは闇でない。自由
價格でや
つているのだとすましているのでは國の
物價は下りつこない。皆それが
基準になる。だからこれを
一つうんとその点をお突込みにな
つて、そうして食べるものは下げてやる。「りんご」の例を話すと、「りんご」は一本で多いものは一万五千円、一反歩について十八本というのは理想的なもので、実際はその倍ぐらいある。「みかん」よりももつと多い。一町歩が二百万円ぐらいになる。それでも知らん顏しておる。
物價廳が
物價を決めるときに、何故私は全体の一町歩なら一町歩に対して全体の経費が
いくらで、收穫が全体
いくらでそれだからもつと下げることができるじやないか、こう言わんかと思う。
興行についても同樣で、興行については、例えば最近六倍に上りまして、或る会社は今まで千五百万円だ
つたものが、いきなり六千万円、もつと殖えている。そうするというと千五百万円の資本に対して年に六倍にもつくことになるのですが、興行は今のところ殆ど資本の十倍も儲るというような結果になりはせんか。それを平然として
物價廳が決めておる。そんなものはもし興行をや
つた者から見ればこれだけの賣上げがある。総賣上げがこれだけで儲けがこれだけということは
原價計算をやればすぐ分る。それでも平然としてや
つておるから、
物價が今日のように高くな
つて四十倍にもな
つておるのに
收入というものは、四十分の一で暮せという。これでは文化などというものはすつかり我々から逃げてしま
つて本当に豚のような生活をや
つているという
状況です。それで、願わくは、若し千八百円をどうしても
維持しようというお
考えならば、うんと安定本部なり農林省なりを鞭撻して、本当の我々の食うだけの最低の費用というものはうんと少くなるようにや
つて貰いたい。これが根本の問題だと思う。そうして若し將來経営協議会なんていうようなもの、或いは復興
会議などというようなものをやるならば、これに持
つて行つて必ず農山漁町というものを一枚加えて、そうして我々の算盤をすつかり見せて、これだから
日本を救
つてくれというようなことでや
つて行
つたらどうかと思う。御参考までに申上げておきます。