○
梅原眞隆君
戰いに敗れた
日本は誠にみじめでありますが、この際このみじめな現実をはつきり把握して、嚴粛な
再建の工作を営まなければならないと思うのでありますが、
戰いに敗れた
日本が
物資の欠乏に悩んでおることは
國民の周知しておるところでありますが、これと同時に、若しくはもつと深刻に
道義の
頽廃に苦しんでおることも事実である。先に
経済白書が公布せられて、
國民は
日本の貧しさに驚いたことでありましたが、若しここに
道義白書なるものを纏めてこれを暴露したら
國民はもつと驚き悲しむことだと思うのであります。この際
道義の
高揚が
議場の主題として取上げられたことに興味を持つものでありますが、この問題に関して私は四つの立場から簡明に私見を申上げたいと思うのであります。若し各位の厳粛な
批判を受け、教を頂くことができれば誠に有難いと思うておるのであります。
第一には、どういう場合にも
道義は大事だということはすべての人が口にしておるけれども、
道義が必要であるということは、私は絶対的に必要であるんだということを
國民が極めて銘記しなくてはならないという点を一遍取上げて見たいと思うのであります。新らしい
日本の
建設は、これは新
憲法が明示しておる。それは
民主國家であり、
平和國家である。この
民主國家という問題は、これは
世界に類例は沢山あります。又我々が典範としてもいいと思われる
先進國の例も我々の眼前にある。但し
平和國家ということは
人類の
歴史に未だ曾て実現されなか
つた新らしき
構想であります。これを取上げた
憲法が非常な
世界的の新記録であるということは言うまでもない。ところが
人類の
歴史を見ると、皮相な見解からすれば、平和と
戰爭はあざなえる繩のごとく交錯しておると見ていいけれども、一歩踏込んで見ると、これは
休戰の
時代、若しくは戰備の
時代を仮に平和と偽装し、若しくは
戰争を前提とした平和、
戰争を背景として漸く保たれておる平和に過ぎないのであ
つて、裏返えして見れば、
人類の
歴史は永久に
闘争の連続であ
つたと断定しても過言でないと私は思うのであります。そういう点において
マルクスが
此共産党宣言に、從來の
歴史は
階級闘争の
歴史であ
つたと断定したことは、私は一個の識見であると
肯ずくのであります。併しながらそういう
歴史的必然があ
つたにしても、これに関して第一次の
世界戰争、第二次の
世界戰争を契機として、
世界の
人類はこの
歴史的必然の大胆なる変更を求めようとして、
戰争を防止して平和を確保しようという思潮を持
つて來たことは、
諸君の知
つておられる
通りであります。第一次の
世界戰争を通して
國際連盟が創案せられ、第二次の戦争を通して
單一民族の
民主國家の共存が唱道されておる。更に最近にはリーヴス氏が
世界連邦の新
構想を提唱しておるということは注意すべき状態であります。こういうふうに
歴史的必然が
戰争を否定して、平和を産み出そうとしておるということは、我々が注目して見なくちやならん事実である。こういう只中に立
つて、
一敗地にまみれた
大和民族が決然と立
つて永久に
戰争を放擲して、恆久の平和を
確立するという
世界史上の頂点に立
つて捨身の
宣言をしたことは、
我我は心から
世界の
壯観であると信ずるものである。(
拍手)我々は
國家の名誉にかけて、
民族の名誉にかけて、万事を打ち込んでもこれを文字
通りにこの誓願を実現するということが、我々の死活の決定する所であると私は深く信じておるのであります。新らしく
憲法を
作つた國会が、この問題にどれだけの
討議を費やして見たかということを見ても、私は淋しく感じておる者の一人である。そこでこの
戰争を否定するということは容易な問題ではない。何となれば
人間は
物質に依存せなければ生きられない
生活体である。
人間の本能には
自己を尊重する
欲望を持
つておるのである。
自我保存の
欲望と、
物質依存の
生活が
戰爭を招來するという止むを得ない
必然を染んでおることも、
我我ははつきり見届けて置かなければならない。この厳粛なる人生の事実を見届けながら、尚且つ
戰争を否定するということには、ここに余程高度な
精神力が必要である。もう一遍はつきり言えば、
世界の平和を確保するがためには、國内における
政治の
革命、
経済の
革命は言うまでもなく、外に向
つて國際的な秩序と
組織を新たにすることは言うまでもないが、
人間それ自身の生きて行く
氣持、
精神内容の画期的な
精神革命を断行しなくては、断じて
平和國家は実現しないのであるということを我々は銘記しなければならないと思うのであります。そういう点におきまして
精神革命の具として我々に與えられたものは
宗教である。
物心一如の
生活、最大絶対の武器である新
生命を把握することなしには、
人間の
精神革命は断じて展開しないということを私は確信するのである。こういう
宗教を
基盤として、ここに優れたる
哲學、
科學、藥術、法政、
経済、これらを持
つた新
文化の
綜合体によ
つて初めて平和は確保される。これが我々の言う
一つの新
道義でなければならない。今
日本の
道義国家ということの
内容が、ただありふれた昔のことを教えているということでなしに、その本質においては
人類の
歴史に未だ曾てなか
つた新らしき
内容を持
つておるということを、私は
日本の
國民が自覚しなければならないと思うのであります。こういう点におきまして
道義を
高揚するということは、
日本が生きるた
つた一つの
生命線である。眞の
平和國家を確保するということの、た
つた一つの
生命線であるということを認識して
我我は
パンを掴むことに努力すると同時に、魂を掴むことにもつと重大な自信と覚悟を持たなければならないと私は深く信じておるのであります。こういう点において
道義國家なくしては
平和國家なし、
平和國家なくして
日本の
再建なしというこの命題を国民の全体が胸に刻みつけることが極めて必要なことであると思うのであります。
第二におきましては、新らしく
道義が創作されなければならないと思う。ただ
道義高揚ということが、今までありふれた
道義をそのまま受継いだだけでは決して成り立たない。何となれば、今の
平和國家は
人類の
歴史に未だ曾てなか
つた画期的な飛躍的な念願である、これを達成するには少くとも新らしき
道義が
建設されなくちやならん。更に在來認められた正しきものでも、この際再檢討しなくちやならないと思う。こういう点におきまして時間がないから私は具体的な実例をここに五六列挙しまして、
皆さん方の
一つ御
批判を願いたい。
第一においては、私はここに
同郷の
細川君がおられるので、今日は出ておられませんが、
細川君初め
革新陣営の
思想家を
中心として
國会の全体の
諸君に尋ねたいことは、
平和國家を
建設するに当
つて、
階級闘争、
労働争議が果してそのまま受けていいのかどうかという問題である。現
内閣が組閣の初めに当
つて、新
日本建設の
國民運動の要綱を出しております。それの
最後に、
平和運動の推進ということで、その中にこういう意味のことを言
つてる。個人若しくは
集團が
自己の利害のみに囚われて相争うことはいけない。道理に
従つて納得ずくに平和に解決をしなくてはいけない。これによ
つて國際の平和を確保し、
世界の進運に貢献するようにしなくてはならないと現
内閣は要望しておる。これは現
内閣としては可なり大胆な
発言であ
つたと私は快く感じたものの
一つである。これを露骨に言えば、
労働争議、
階級闘争というものに対して、
平和國家を
建設するに当
つて厳粛なる
反省を求めたものであると見なくちやならない。(
拍手)
階級闘争や
労働争議は
マルクスの
経済原理、ヘーゲルの
哲学を基礎として在來一應是認せられたことは、私と雖も認める。但し
戰争してもよい
世界で行われた
経済原則と
哲学が、
戰争を否定した御浄土のような
平和國家に、果して同様の價値を持ち得るかどうかということは深く考えなくちやならん。(「そうだ」と呼ぶ者あり)(
拍手)こういう点におきまして、私は
同郷の学者としての
細川君を持
つておることを
喜び感じておる。どうか
革新陣営の
諸君を初め、
各派の
思想家が寄りまして、何とかして……、
日本の
労働ということは重大である、殊に現
内閣は
労働内閣を
作つた内閣である。ただ
労働内閣を
作つて終つたのではなく、正しき
労働運動、
道義的な
労働運動を設定することが、現
内閣の私は
責任でなくちやならないと思うものである。(
拍手)
それから第二番目において、これは
岩間君が帰られましたからちよつと困
つたが、私は
岩間君初め河野君なりの
教育者に向
つて一つ提議したい。苛し
くも人の
生命を育てるという
教育、これは重大なものである。この
教育者が、
物質的な
経済的な在來の古い形の
労働組織の
運動を、そのまま受け入れてよいかどうかということに関して、私は
岩間君であるとか、梅津さんであるとか、こういう
革新陣営の
教育者の
巖粛なる
反省を求めたいと思う。
第三におきましては、これは御
婦人方が今一人しかおられない……私はこの中に
赤松常子女史とか、
宮城タマヨ女史とかおるから出したいと思うが、
女性解放の
運動である。
吉原の遊廓がなくな
つたということは、私は心から感謝をして喜んだものである。併し
吉原の遊女のなくな
つた東京に、
宮城のお膝元である有楽町の夕暮れの
舗道の女が、
世界的な賣的光景を展開しておることを見て、
諸君は何と感ずるかということである。こういう点におきまして、
婦人解放の
運動は単純なる作文的な問題でなくて、少くも
議場に立たれたような新
婦人が、ただ
議場において論ずるだけでなく、
舗道の女の手を取
つて涙ながらにその自覚を促すだけの実践かなくしては、本当の
道義は成立しないではないかということを私は考えておる。
その次におきましては、これは
佐佐弘雄君あたりかおられるが、
新聞人を初めとして
一つお願いしたいと思うのだが、
新聞が
日本において展開しておる敏活さということは、心から
尊敬を持
つておる。殊に
報道班の
諸君、
映画の
諸君が敏活に働かれることに向
つては、私は神のごとき
尊敬を持ちたいと思
つておる。併し敏活を競うがために、
人間の大切な
礼容を見失うことがあ
つては甚だ以て遺憾である。私は
曾つて初めてこの
國会に出て來まして、
國会の第一回の
開会式に出てける
写眞班の行動を見、先般來私の國に陛下が御巡幸あらせられたときにお供いて歩いて、そうしてしみじみ感じたことでありますが、その職務に対する
敬活な活動と同時に、私は
文化国家としての
新聞人が
世界から非難を受けないだけの
礼容と床しさを持
つて下さるということが、新らしき
道義の
一つでないかということを提案したいものである。
最後にこれは
山本勇造君初めおられたら言おうと
思つたのだが、一体
日本の
文化という問題に、どうか私は……アメリカでは
映画に
倫理規定を出しておる。こういう点におきまして、私は
日本の
文化の上にも
尊敬すべきものは
尊敬し、敬虔なるものは敬うだけの力がなくてはならん。
それから第三におきましては、
道義の
扱い方である。時間がないから
簡單に言うが、
道義が
経済と離れてはいかん。
経済と離れた
道義というような作文的な
宣傳やお
説教は役に立たない。(
拍手)
社会において
衣食足つて礼節を知るということを一般が知
つておる。これは
経済と
道義というものは不可分であるということを言
つておる。(「その
通り」と呼ぶ者あり)但し
衣食足つて礼節を知るということをよく呑み込まずに、まあ
衣食さへや
つたら礼儀は独りで來るのだと、
道義を後廻しにするような俗見やら、又ひどいのになると、
衣食が足らんときは泥棒した
つて仕方がないのじやないかと、いかにも
道義の否定を肯定するようなことは間違いである。
道義があ
つても
礼節かなくてはならず、
道義がなくても
礼節はなくてはならない。現代の
内閣が
耐乏の
道義を説いたことは私は意義があると思う。こういう点において私は
政治の要諦は
國民に
パンを與えるだけでなくて、
國民に魂を與えるということを忘れてはならない。
経済生活を
中心にしたる
政治でなくて、
経済生活の
重大性と同時に
道義生活を與えるだけの
政治の
哲学が必要である。(
拍手)そういう点におきまして、動物的な
生活を確保するだけでなくて、
人間としての
生活を確保するという新らしき
政治が
哲学されなくてはならないのである。こういう点において私は新らしい
政治哲学の興起を願うものである。ここにおいて私は先程
左藤君も言われましたが、
統制法を厳守して餓死された
山口判事に私はここで深甚の弔意を表する者である。私は哲人のごとく貧しく、あのように闇を拒んで死んだ若い
裁判官の死を決して無駄にしてはならないと思う。これに対して
首相若しくは
和田君が、堂々と天下に立
つて説明をせられることを憎んでおられることに私は遺憾の意を表しておる者である。果して
食糧統制法が
惡法なりや否やには検討の余地がある。
食糧統制法が、
食糧の
統制が布かれたために沢山の
餓死者が救われたという事実も我々は見
失つてはならない。併し
食糧統制法を守
つたがために倒れた
判事のあることも私は見
失つてならない。こういう点におきまして、これを設定した
國会が
責任を持つべきである。こういう点におきまして、私は
簡單にいえば闇をやらないでも行ける、そういう
統制法を作らなくてはならない。作
つた以上はそれを守るだけの内面的な
精神生活を
高揚して置かなくてはならない。それには闇をやらせないだけの
刑政礼樂の
刑罰を持たなくてはならないのである。そういう点において正しき
政治、正しき
道義、正しき
刑罰が一貫した
組織的な
政治でなくては、でたらめな
政治になるのに決ま
つておるということを私は断言する。(
拍手)こういう点において、これの
扱い方は極めて明瞭でなくてはならん。
時間がないが、
最後にもう
一つ言わして貰う。私はこれが対策は沢山ありますが、何とい
つても
道義の
高揚は、
國民の
教養を高めるより途はない。
國民の
教養を高めるには
國民の
教育が必要だ。今
教育刷新法が行われつつあることには私は満腔の
喜びを感じておる。ところが今度の
予算です、七億の
予算。これは先達てからあらゆる機会に於て皆が云われたし、又
森戸文部大臣がこれに関しその苦心のありたけ、これを云われたことを私は素直に認める。何とい
つたつて健全財政を保
つためには貧乏は仕方がない。併し七億にしろ取
つたというところに現
内閣の性格が出ておるのである。これは
森戸君が云われましたが、私はこれを素直に認める。但しここに追究はしないが、併し新らしき年度のために私は一言
発言して置きたい。現
内閣が
教育を尊重せられ、
道義を尊重せられる事項は素直に認める。併し大切だといいましても、ネクタイが大事だというのと、帽子が大事だというのと、首が大事だというのとは違います。結局大切だと思うておるということは
首相初め言うのだが、どの程度に大切だと思
つておるか。殊に今の
日本が貧乏なことは皆知り抜いておる。そうして実は誰が出た
つて立派な
予算が組まれないことは分
つておる。そういう点において今の諸公が曲りなりにもあれだけの
予算を組まれたということに実は感心した一人であります。けれども、貧乏な
財政であ
つても、貧乏な
財政の中にいかに割振りをするかということが問題である。價値判断である。だから
教育が必要であるという以上は、それは
生命線のように大事なのであるから、それを十分に認識して少なき
予算を重点的に活用せられるということが、これが
政治の要諦でなくてはならん。聞き違いか知れませんが、煙草の値上げで一日二億儲かると大蔵大臣が云
つた。重大な
人間の
教育刷新の
予算に三日ばかりの煙りで解決するというようなことは、余程これは考えなくてはならん問題であると思うのであります。(
拍手、「その
通り」と呼ぶ者あり)
〔木檜三四郎君
発言者指名の
許可を求む〕