○細川嘉六君 今日我が國史上未曽有の
國難に当りまして、不肖私は共産党を代表して
社会党を首班とする現
内閣に肝要な
質問をいたさなければなりません。
社会党は今日の時期こそ大
改革をやらなければならんと
考えられておることは、我々は全く
同感であります。
先ず、
國際関係について御
質問をいたします。平和條約の
締結、賠償物資の取立て、こういうことを問題にして、今日の
國民一般の心構えはどうであるか、又これを指導する
政府の心構えはどうであるかについてであります。先程
羽仁君がこの点について
戰爭責任の追及は足りないと申しました。全くその
通りであります。現在の
内閣、これについても、例えば
敗戰による憂慮すべき結果であるとか、或いは負けたんだから、勝つた方も苦労しておるのだから今日の苦労はしなければならん。こういうようなわけで施政
演説やその他においても、現
内閣の
責任者は負けたんだからということをいうのであります。その裏は勝てばこんなことはなかつたということでもあります。この思想は非常な間違いを起こしておる。これは、今日尚我が國において侵略主義、軍國主義、こういう思想が根強くあ
つて、潜在してお
つて、これが取れておらん。そういうことを端的に示しておるのであります。
國民は
從來支配階級の愚蒙政策によ
つて政治的には盲にされておつた。だから今日尚この夢から醒めていない。これはそう責めるわけに行かないところもあります。併しながら
政治の指導に当る者がこうであ
つてはどうなりますか。現
内閣以前の幣原
内閣、吉田
内閣にしても同じくこの考は一貫しております。我々はポツダム宣言によ
つて國内の民主化を図るという建前からしまして、民主、
文化、平和の
國家を作るといいましても、この思想が取れない限りは、これは空言に終ります。(
拍手)我々
國民はここで
反省しなければならん。
國民を指導する
内閣は最も
反省すべきものであります。
ドイツにおいては非ナチス
委員会を開いて
國民自からの手によ
つて戰爭の
責任を追及しておる。我が國においても、こういうことは十分に我が國の特殊な今日の封建的な思想、軍國主義的思想、こういうものがある。こういう特殊な状態から來ております。我々はこの点において
戰爭責任の追及、そういう問題について
片山首相並びに
芦田外相の御
答弁を要求します。
第二には
芦田外相は沖繩、千島、そういう領土の回復をして欲しいというようなことを述べられたと報道されておる。これがために御存じの
通り、英米その他において我が國に対する輿論は非常に惡くな
つて來ておる。のみならずこれをきつかけにして捕鯨問題についても、イギリス、オーストラリヤから強硬な反対が起きて來ておる。
片山首相は
芦田外相のこの主張に対して驚いたということであるが、これはA・P東京支局ブラインズ氏の報道であります。それで
片山首相は
講和会議において過剰人口を考慮して貰えばいいということを述べられておるということを報道しておる。この際過剰人口云々ということは一体どういうことであるか、
從來我が國の軍國主義者、侵略主義者は過剰人口を口にしてその
立場を弁護して來た、そういうような疑いのある言葉、これを
首相が述べておる。
戰爭責任を痛感していないことは先程申しました
通りであります。そういうようなことからして、こういう不謹愼なことも出て來るのであります。我が
國民の將來にと
つて政治の
責任者たる
首相、外相がこういう不謹愼なことをい
つておられる。これはただではない。今申すような我が國内において軍國、侵略主義の思想がわだかま
つておるからであります。この場合
芦田外相の
責任を、又これに対する
首相の
責任を我々は問わねばなりません。
第三に今日御存じの
通りに、米ソ開戰ということが盛んに流布されておる。総
選挙中においても、某
政党の候補者連中は組織的にこの宣傳をやりました。なぜ、こういうことをやるか、これはいわゆる反共戰線の方に利用しておる。同時に列強間の
戰爭を利用してなにか漁夫の利を得よう、そうして
從來の
戰爭によ
つて失なわれた
地位を回復しよう、そういう連中、反動的、軍國主義連中のこれは利用しておるところであります。
戰爭については第三次
世界戰爭ということをよくいうが、これは米ソを起点として起きるものと主張されておるのであります。それはこの大
戰後において
國際間になにかの
意見の相違があるということは、これは当然でありますが、それだからとい
つて戰爭が起きるとはいわれない。それを
戰爭がある戰争があるというようにいう。今申すような
意味で我が國において特別にいわれておる第三次
世界戰爭については、今日の
國際情勢から見まして、
民主主義的諸勢力が
世界的に大発展しておる現状からして起るものではありません。にも拘わらずそれをいうのであります。我が國の対外政策は一國に偏
つてはいけない。いかなる強い國、富める國であ
つても、それに頼
つてはいけない。偏
つてはいけない。そうして他を排撃するようなことであ
つてはならん。又列強間の対立を利用して、そうしてなにかの利益を得よう、そういうような対立
関係を利用するような政策であ
つてはいけない。我が國の独立のためには、この自主独立の不偏不党のためには自主独立の
立場を取つた政策でなければなりません。こういうことについては、我が共産党は既に昨年の総選擧にも述べております。にも拘わらずこういう政策を取らずして、現に今日の
内閣になにかの
関係を持
つておる自由党の吉田前
総理大臣はこうい
つておる。
マツカーサー元帥が平和條約
締結後は
占領軍は撤退する。そのあとは
國際連合の管理に仕す。これはそうすべきだとい
つておる。そのあとを継いで、
占領軍の去つたあとは、
アメリカにできるだけ長くお
つて欲しい、こういうようなことをい
つておる。これはここに
関係はないようでありますが、四党連立とか、三党連立、そういうようなものを作
つて、それから現
内閣を作つたと自由党がい
つておる。更に
片山首相は最近、
日本はイギリス、殊に労働党に指導されなければならない。
日本は弟でイギリスは兄貴である。こういうようなことを
政治の
責任ある
地位に立
つていうということはどういうことでありますか。野党としての
方針ならばそれでよろしい。
政治の
責任に現在立
つてそういうことをいうのはどういうことであるか。労働党に代
つて保守党が出たならばどうなるか。外國
関係についてはどうなるか。
日本は
日本人のための
日本である。
日本民族の
立場を忘れて、そうして軽々にこういうことをいうのはどうであるか。我々はこのような
日本民族の
立場を忘れ、自主独立を損なう卑屈無力な思想、或いは軍國主義、侵略主義思想、こういうものに対して断乎として闘かわなければなりません。
民主主義を徹底するということはこういうことであります。これは誠に我が國に深く浸潤しておる思想でありまするから、
首相及び外相に、これらの点についていかなるお
考えを持
つておられるか、それをお伺いしたいのであります。第四に、
世界労連の問題でありますが、この六月にプラーグにおいて大会が開かれた。これは
日本にも或いは
ドイツにもそうでありまするが、オブザーバーとして代表者を出せという招待状が來ておるのであります。それに対して我が今日の
片山内閣はいかなる援助をなしたか。全く積極的なことをなにもなしておらん。一体
世界労連の意義というものはなんであるか。それは
民主主義の発展を主張するところの
世界労働者の團体であります。即ち
世界平和の根幹をなすところのものの集ま
つておる團体であります。苟くも
世界平和を主張する以上、こういう團体に対して我が國の勤労大衆、一般民衆がこれに非常な関心を持
つておるにも拘わらず、
政府はこれを見送
つておる、我々はそれでありまするから、
世界労連に対する
片山内閣の根本的
態度、更に今日非協力的
態度と思われるこの(「ノーノー」と呼ぶ者あり)
態度について、
首相及び米窪國務相の御
答弁をお願いいたします。
第五に出版及び通信の自由についてでありまするが、先ごろ來朝した
アメリカのボールドウイン氏は、驗閲の問題は早晩緩和されるだろうと述べておる。
文化の発展のためにはこの出版及び通信の自由というものは重大であります。占領下にある我が國の問題としましては、或る程度の
制限を受けなければならんと思いまするが。併しながらできるだけの自由を獲得するようにしなければなりません。よく連合國との連絡を取
つて貰わなければならない。それについて外相及び文相の御
答弁をお願いいたします。(
拍手)
次に國内問題についてであります。
片山首相は施政の
演説において、特に新憲法の下において、
民主主義の大精神と平和主義の大
理想を
政府は一切の
政治行動の大目標として高く掲げ、これを大胆明確に実現いたすと述べております。言葉はいずれの場合でも調法なものであります。八紘一宇という言葉で今日我が
國民はひどい目にあ
つております。高度
民主主義を
片山首相は主張なさつたが、高度
民主主義とは一体どういうことか、言葉をそのまま取
つてはいけません。なにがその中に盛られておるか。これは痛い経驗を八紘一宇で嘗めた今日吟味しなければなりません。
首相及び
安本長官の説明では、今日の
危機は
國民互いに乏しきを分けて、そして我慢してかからなければならんというのであります。
犠牲は全体で負う、併し沢山の説明はありましたが、要するに乏しき者にはそういうように
犠牲を拂えといいながら、乏しくない資産階級にと
つては一言半句もない。附けたりの多少のお世辞はあつたけれど、結局は
國民の血と汗によ
つて再建するよりほかにない、こういうことであります。(「曲解するな」と呼ぶ者あり)大負担はすべて働く者の
犠牲において、これの一言に盡きます。併しこれで今日の我が國は立ち上ることができるか、今支配階級の利益を守る現
内閣は今我慢しろとい
つている。(「馬鹿なことをいうな」と呼ぶ者あり)資本家が立てばあとはなんとかできる。こういうのだ。(「簡單明瞭に願います」と呼ぶ者あり)
戰爭をやるために資本家が儲けようとしておつた。(「それは公式論だ」と呼ぶ者あり)
戰後においてどうであるか、インフレ政策を以て彼らの利益を守ろうとしておる。今日の苦難はそこから來ておる。そういうものが腰が立
つても働く者の生活はどうするか。そういうことについて働く者はちやんと知
つておる。(「分らん」と呼びその他発言する者多し)馬鹿ではない。そこを
考えなければならん。我が國の現状は、この
危機というものは、
國民大衆が肚の底から確信を持
つて立ち上る、それなくしてこれはできると思いますか、それについて確信のある(「文句は要らんよ」と呼ぶ者あり)その確信を起させる政策が必要である。今日の
危機、
國民的
危機というが、何を指すのであるか、僅かばかりの、人口の五%程度の資産階級のための、即ち資本、殊に独占資本のためにすべてよくな
つて行くか行かないかという、これが
危機であるか、九十五%の働く者が伸びられるか、発展するか、これができないということが
危機であるか、(「それを
國民と称しておるのだ」と呼ぶ者あり)どつちであるか、我々は九五%の働く者の民主
政治を主張しておるのだ。これなくしては
國民は総立ちになりません。(「そんなことは分
つておるよ」と呼ぶ者あり)憲法二十五條においてすべて
國民は健康で
文化的な最低限度の生活を営む
権利があると規定されておる。(「今更それを聽かなくてもよい」と呼ぶ者あり)こういうことは單なる飾りであるか、或いは又そうなるのか、
國民はそれを問うておる。ところがそれが本当に行われることが
保障せられれば総立ちになる。日に夜を次いでも働き抜く。これを忘れてなんの再建があるか、(「分
つておるじやないか」と呼ぶ者あり)人格の尊嚴だとか独立だとかいう。併しながらこれは資産家階級それだけを指すのであるか、九五%の人間、働いておる人間の人格の独立と尊嚴を指すのであるか、今その必要なしというならば人格の尊嚴も独立もあつたものではない。物的
基礎を與えるのか與えないのか、この働く者の
民主主義というものは、現代
世界の認めておるところである。又澎湃としてこれが
世界に行われておるところである。又行われんとしておる力がます厖大きくな
つて來ておる。これを認めるのか認めないのか、(「余り亢奮しないでやれ」と呼ぶ者あり)
片山首相は高度の
民主主義という。私はここにその内容について今申したところである。二十世紀の初頭から今日の発展を見て御覧なさい。第一次
世界戰爭が起きた、その前に
世界的な大恐慌があつた、第二次
世界戰爭の後はどうであるか、今日の状態であります。その先は
世界恐慌がある。こういうように循環して來ておる。もうどうともならないところへ來ておるのであります。それでありまするから、
片山首相はこの間もえらいギリシヤ、ローマから説いておられたが、今日の
世界の発展の現段階というものは働らく者の民主
政治を行わなくしては、
戰爭と
世界恐慌の連続であるということである。それでありまするから、第二次
世界戰爭中からこの状態に対して、働らく者の
民主主義の腰を砕いて來ておる。ヨーロツパを見て御覧なさい。その
通り。アジヤもその
通りだ。我が國の
改革というものは、
世界の大勢、それから我が國の現状、この二つの点から見て行わなければならん。
明治維新を見て御覧なさい。あなた方は
政治家として、この沢山の働らく
人たちによ
つて選挙されて來ておる。(「余計なことを言うな」と呼ぶ者あり)お互いにそうだ。併しながら
明治維新はどうであつたか。あれは身命を賭して
世界の大勢を把握して、そうして断乎として
改革を行
なつたものであります。我々はいい加減の
考えで、その日暮しをしてはいけません。お互いに痛い肚をさぐるとい
つても(「興奮せずにやれ」と呼ぶ者あり)弱い者の肚をさぐ
つて、強いものをそつち退けにしておる。これが今日の
政治家の陷
つておる無氣力である。これを我々は指摘しなければならん。
明治維新の革命をした
政治家に対しては、我々は恥かしくないか。單に口の上の爭いといい加減の思想の羅列、これで以て我々は
國難が救えると思うか。これをお互いに
考えなければならん。今日九五%の働らく者の
政治を行なう、これが今日の
世界の大勢であり、同時に我々は今日國内の問題を処理する途であります。これを除いてどこに我々の
改革があるか。我々はよくみずから顧みる必要があります。
又更に
片山首相にお尋ねしたいことは、この組閣に際して、左右に偏せず、飽くまで中庸の道をとり、畢竟竟
共産主義とは、明確に一線を画すと声明した。これはどういうことか、昨年我が党の大会において、暴力革命及び独裁
政治はこの
日本の現状及び
國際の情勢において必要はないと公言した。これは当然のことであります。科学を根拠として共産党がこれを主張するのは権謀でも術数でもありません。必要な
條件があ
つて初めて暴力革命は或いはプロレタリヤ独裁
政治を主張しなければならん。その
條件がなければ、その必要がないから主張しない、こういう
立場に來ておる。であるから今日
片山内閣が組閣において共産党との、或いは
共産主義との間に一線を画すということは、結局どういうことか、今申すような九五%の働らく
人たちの
政治を行なうか行なわんかについて、それに対して明確なる返答をなすものである。少数者の資本、或いは独占資本のための
政治を行なう、併しながら、これには働らく者の民主
政治を行なわんということの証明であります。これは反共戰線というが、実は
労働者に反対し、農民に反対し、勤労市民に反対し、中小商工業者に反対し、即ち人民に対する政策にな
つてしまう。(「馬鹿なことを言うな」と呼ぶ者あり)過去の
政治を見て御覧なさい。共産党の主張は共産党であるから、なんでもかんでも惡いというので、政策について論議せずして、ただ感情に訴える、ただ支配階級の持
つているその感情に訴えて、そうして問題を片づけていつた。結局どうであるか。この終戰の前を
考えて御覧なさい。しまいには
民主主義自由主義が仇である。倒さなければならないというところまできた。今日はどうか。今日はこのことについては、
ドイツの例を見ても同じことであります。
ドイツも同じ道をふんできておる。これはお互いによく
考えなくちやならん。共産党の主張は今いうような、働く者の民主
政治を今日の
政治において最高最大の
任務としております。目標としてするものであります。なにを以て暴力革命だとか、或いはプロレタリヤ独裁を我が共産党は我が肚に持
つているのだというか。はつきりしたことでありますが、総
選挙におきましても、現に共産党は、暴力革命、プロレタリヤ独裁を肚に持
つているのだというて、
選挙戰からも
選挙中もや
つてきたのは
片山首相である。ここにおられる文部大臣
森戸辰男君もその
通りだ。我々はこの反共政策に対して
首相及び(「
質問にはいれ」と呼ぶ者あり)文相の
責任を問い、その
答弁を求めます。
我が國の現状は誠に憂慮すべき状態である。
社会党が言われる
通り、誠に今日
改革するかせんかという、
改革をやるか、やらんか、働く者の本当に生甲斐があるようにするのか、働き甲斐のあるようにするのかせんのか、こういうところへ今來ておる。ここに本当になすべき手を打つ、即ち
政府の
民主主義的の体制に則
つて、國内の守りに総力を挙げて起たなければならんという実情に即して働く者の民主
政治を実現する。我々は断乎として
明治維新の
改革をやつた連中に負けない意氣を以てや
つて行く、こういう次第であります。この誠に痛烈な深刻な時機であります。我々はこの状態に立
つて、今申したような諸点について、各大臣の
責任ある御
答弁を望むものであります。(
拍手)(「
答弁の要なし」と呼ぶ者あり)。
〔
國務大臣芦田均君
登壇〕