○森下政一君 高良さんのお話を先刻から承わ
つておるのですが、國庫が補助をするということを言われるが、
請願の趣旨は、
義務教育を一切國の
費用で賄えというのが
請願だと思う。補助して呉れというのではない。
義務教育に要する
費用は一切
全額國庫において賄
つて貰いたい、こういう
請願だと思うのであります。私は高良さんにお考え直しを願いたい、と申上げては誠に失禮でありますが、何かの御參考になるかと思いますので、外の
委員の方には甚だ御迷惑でありますが、地方的なことを申して済みませんが、私が先年大阪市において經驗した
一つの事柄をお聽き取り頂きたいと思うのであります。
大阪市におきましては、各行政區に十乃至十五に分割された學區というものがありまして、従來はその學區内に小
學校を設ける、そうして學区内の住民の負擔によ
つて設備をする。こういうことにし、或いは教員の給料も賄うということにいたしておつたのであります。その結果どういうことに
なつたかと申しますと、比較的經済力に惠まれております大阪市内の商業の中心地と思われますような部分の學區におきましては、中等
學校或いは專門
學校も及ばないような堂々たる小学校の設備が完成いたしまして、父兄の經済力に任せまして優秀な先生を招くことができるというようなことから、主として大阪市の中央部でありましたが、中央部には立派な小
學校が相次いで設けられ、而も中央部は比較的住宅が少ない、ビルディングが相次いて竝んでおるというような關係で、收容しております學童の數は少いのでありますが、その少い學童が立派な校舍で行き届いた
教育を受けるという誠に惠まれた環境に置かれた。ところが大阪市の周圍の工業地帶におきましては、いわゆる貧乏人の子澤山の例に洩れずして、家屋は非常に小さい、就學兒童は非常に多い、澤山な子供を收容しなければならないところの小
學校は、不幸にしてその學區内に住んでおりまするところの市民の經濟力が豊かでないために、十分なものができない。
從つて極めて狹隘なる校舍に澤山の學童が收容され、二部教授が行われるというような状態にありまして、
義務教育であるところの小
學校の
教育が、等しく大阪市の市民の子供であるけれども、その子弟にと
つては
機會が均等でないというので、學區廢止という問題が起りまして、全市の學區というものを一切廃止してしまいまして、そうしてすべての大阪市内の小
學校は大阪市みずからがこれを管理し經營する。こういうことにしようということを市の
當局が考えて提案したことがあつたのであります。自分達の負擔で立派な小
學校を造つた中央部の父兄達は、学區を廢止することに非常に反對を唱えました。併しながらこの學區廢止の問題は、市會において非常な論議のありました結果、遂に廢止の説が通りまして、大阪市には爾來學區というものがなくな
つて、全市の小
學校というものをすべて大阪市が管理し、維望經營して行くということに
なつたのであります。その後におきましては、市が高所大所に立
つて計畫するのでありますから、市の周圍部、即ち經濟力に惠まれない父兄の澤山住んでおりまする部分におきましても、曾て中央部において建設されたと同様な堂々たる鐵筋コンクリートの小
學校が建設されるというような、戰争前にはそういつたような現象が現れて參りまして、自分たちの親が貧乏であるために、その子供が貧しい校舍で勉強しなければならないというような、惠まれない環境から全く救われる者が非常に多く
なつたというような状態があるのであります。私は今度のこの六・三制の
費用の
全額國庫負擔という要請も、こういうような大阪市において私みずからが體驗いたしました事例を顧みて考えますると、誠に道理のあることであると思う。全國的に考えて見れば、非常に經濟力の裕福な地方もありましよう。これに反して經濟的に惠まれない地方もあるに違いない。そこで若しあなたのおつしやるように、
義務教育に要する
費用の半額を國庫が負擔し、その殘りの半額を地元が賄う、地元が賄うというところに盛り上る民主的な傾向があるのだというお説によりますというと、結局經濟力に惠まれない
方面の子弟というものは、甚だ行き屆かないところの施設の下において微々たる
教育を受けることに甘んじなければならんという事柄が起るのではないか。私は教務
教育に關する限りは、少くとも
義務教育に關する限りは、すべてを國家の
費用において賄
つて、いかなる經濟状態の親を持
つてお
つても、すべての子供たちが同じ
教育の
機會を與えられる、こうでなければならんのではないかと、かように思うのであります。私は曾てアメリカの州立大學に學んだ經驗を持つのでありますが、非常に私が羨しく思つたことは、その州の子弟である限りは、父兄がその州に住んでおり、その州に市民權を持
つておる者である限りは、何人と唯も自由に州立大學に學ぶことができる。入學試驗も何もない。その能力に應じ、欲するところによ
つて教育を受けることができる。私のような外國人でさえも、或る條件が具わ
つておれば、いろいろな奬學資金が貰えるというようなことで、その能力に應じて欲するところを學ぶことができるというような
制度を見て、誠に羨しいと思つたのであります。慾を言えば、凡そ
教育というものは、單り
義務教育ばかりでなく、大學に至るまで、若し欲するならばその能力に應じてどこにでも學ぶことができる。而も國の
費用で賄うというようなことにしてこそ私は本當に
教育というものが盛んになり、本當に人材というものが養われて來るのではないか、かように考えておる者であります。更に高良さんは、實際の資材をお持ち合せのようでありまするが、現在
文部省が非常な努力を以て獲得したという三十一億有餘の追加豫算、豫想されておる追加豫算によるこの六・三制の
費用でありますが、決して潤澤と言うことはできない。
文部省は早くもこれを各府縣に
割當てておるようでありまするが、先般私が私の出身地である大阪
方面の情勢を聞きますと、
新制中
學校におきましては、到底これでは校舍が賄えない、いろいろな設備ができないというので、願わしいことでないと私は思うのでありまするけれども、そこに入學いたしております新らしい生徒達の保護者が、それぞれ一口何百圓という寄附を仰せ付か
つておる。かくのごとくにして集めた金が數萬圓に達したが、到底まだ賄えないというので、父兄會の役員にな
つておる四十五名の者が、一人ずつ強制的に二千圓ずつの醵出を
要望されておるというふうなのが
實情でありまして、恐らくこれはひとり私が耳にしました大阪の或る
一つの
學校の
實情ではなくして、全國的にそのようなことが今日尚私は要請されつつあるのではないかと思うのであります。從いまして、この
請願は大分部私は六・三制に伴ひ必要とするところの校舍の設備に對する要求のように感ずるのでありまするが、ひとりそれだけではなく、教員給のごときも全部、凡そ少くとも
義務教育に關する限りは、國の
費用において賄うべきである。これは私は
日本を民主化する上におきましても一番必要なことである、かように考えておる次第でありまして、
一つ高良
委員のお考え直しが頂ければ仕合せだと思います。大變どうも僭越なことを申上げましたが、御參考までに申上げた次第であります。