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團伊能君 この度
參議院文化常任委員會から
奈良地方の
寺院その他
國法の
保存状態の
調査に出張をお許し頂き、我々が
調査に參りました。それにつきまして細かな旅程、その他の御
報告は先月の打合會で申上げましたので今日はこれを省きまして、大體におきまして
委員が
考えましたところを纒めて申上げたいと思います。尚私の
報告で足りませんところは御一緒に行かれました
委員の
方々から補足して頂きたいと存じます。
調査委員は十月の十六日にこちらを經ちまして、二十日に
歸つて參りましたが、その間に
奈良東大寺の各
寺院、
春日神社の全部、正
倉院の
保存状態及び
從來正倉院御物として
保存されたものの個々につきまして
保存状態を
調査いたしました。尚それより
法隆寺に參りまして、
只今文部省におかれて
再建中であり、殊に
五重塔、金堂はこれを解體して
再建中であります。その間にいろいろ發見されましたものや何かの説明を承り、
法隆寺につきまして殆んど一日費しまして
調査いたしました。尚引續きまして
藥師寺、唐招提寺、これも
文部省におかれまして今
再建中である極樂院、新藥師その他の
寺院を
調査して參りました。尚
奈良縣その他において非常に荒廢しておる
寺院が多いことは聞いて決りますが、時間がなく、殆んど
奈良周邊に終りましたことは甚だ遺憾と存じますが、この
奈良を中心といたしまして最も重要な
寺院のある地方でございまして、大體此處を視まして全國に亙
つております今日の
保存行政に
關係ある古社寺、その他
國寶の
状態を推測することができるような
參考資料を得ましたことは、我々非常に喜んでおりますところであります。尚これにつきまして一々この部分がこうな
つておるということは、何れ
機會を得まして本書、その他で御
報告申上げたいと思います。
戰爭中から今日にかけまして全く
修繕をしなか
つたもの、殊に
木造の社寺の
建築が
思つたよりもひどい荒廢をいたしておりました。これは元
來木造建築の根本的な缺陷といたしまして、木材の
建築の上に非常に重い
屋根をのつけております
關係から、
軒廻りが下
つて參りまして、
屋根が非常に傷んでおまりす。又
神社建築におきましては
檜皮葺が多いのでございます。これは大體伊勢の神宮におかれましても二十手ごとに改築するというような習慣があり、それから
檜皮葺の
耐久年齡は場所にもよりますが、大
體二十年とな
つておりますのが、戰爭以前からこれを取替えず、
春日神社のごときはもう四十年くらいにな
つておりまして、
屋根の一部が全く腐蝕いたしまして、ここから雨がも
つて參りまして柱まで腐
つておる所がございました。こういう
状態を見まして何とか
保存行政につきまして、
調査委員一行は非常な心配をいたしまして、いろいろな議論をいたし、又
奈良地方におきまして
奈良縣廳の
文化課とか、或いは
文部省の
修理委員とか、或いは
寺社の當事者、その他縣會、市會、その他これに
關係ある
保存行政に與味ある方に集ま
つて頂きまして、副知事にも出席して頂きまして、一晩
座談會を開きました。燈が消えたので蝋燭を燈して十一時頃まで議論を
鬪わして、いろいろ御
意見も承
つて參りました次第であります。これからこの
状態について先ず二、三の例を申上げますと、
奈良では
東大寺の、これは惡い意味ではございませんが、
戰爭中東大寺の大佛殿の
周圍の
廻廊に若しも火がついたならば、火は
廻廊を
廻つて、
本堂の大佛殿を燒くかも知れない、これは有名な
平家物語にございますように、重衡が
奈良を攻めましたときに
奈良坂から火がつきまして、大佛殿に火が入
つて、三千人燒け死んだという記録がございますが、そのうち頼朝が
再建いたし、その他の
歴史を經ておりますものでございますが、若しもこれに、非常な厖大な
建築でありますが、
屋根に燒夷彈が止まるというようなことがあれば勿論燒けたのでありますが、それでなくともこの
廻廊から火が廻るということを恐れたために、
廻廊の一部を壞しては
疎開いたしまして、
本堂の兩脇の
廻廊は壞してございます。若しも
廻廊から火が廻るときのために
疎開したわけであります。この
考えは決して惡い
考えであ
つたとは存じませんが、ただそれが
疎開しつ放しで、目茶苦茶に一部を叩き壞してあるというわけで、そのあとの
修理がしてございません、何とかこれらは大
修理ではございませんが何とか後始末をつけて、
一つ形のつくようにするということは、大したことでもないと存じますが、それさえ放棄しとあ
つて、
戰爭中の叩き壞したままにな
つておりました。又年とともに非常に荒廢いたしておりましたところは、殆んど全部の
學院でございますが、中に
白蟻の害で柱が崩れて倒れかか
つておりますのを、例えば新
藥師寺の
本堂で、これは
關野博士の時代に再築いたしましたけれども、又
白蟻が入
つたために、
危險な
状態にあるのであります。
春日神社その他も非常に痛んでおりました。こういう、これは
奈良ばかりでなく、少しく
調査が他になりますが、私が最近
調査いたしましたところでも、奥州の平泉の
光堂の
屋根が漏りまして、中尊寺の經堂と、
光堂の
雨漏りで非常に困
つておるような
状態であります。又
嚴島神社も先日の洪水で土砂に埋まりましたが、そのままに放
つてあるというような
状態、殆んど全國に及んでおります。これらの
修繕が、ともかく今日完全でなくとも、これに對して何かと
修繕することは、非常な緊急の必要があろうかと
考えました次第であります。それにつきまして、ここに、尚その中にいろいろ重要な
国寶が入
つているのでありまして、これらの
保存は、幸いにして
奈良、
京都は爆撃を免れまして、重要な
国寶の
佛像その他
美術品は、
東京と違いまして破壊を逃れておりますが、この
危險な
建築物の中に、依然としてこういうものが置いてございます。これらに對して
文部省も何とか
方法を講じて頂きたいと
考えました次第であります。それにつきまして簡單に申上げますと、先ず皆さんの
意見の大體一致したところを申上げ、又足りないところは補
つて頂きたいと存じますが、第一の問題は
從來の
保存行政に関しまして非常な經費が驚くべき少額であ
つたということであります。これはこの二三年、實はその
方面からも非常に心配して、
文部省に指令を出されて多少の
費用ができたようなわけであります。今日むしろこの
費用の増加は、
聯合軍その他に感謝すべきことと存じますが、本年度におきまして、
文部省の
保存行政に使う
費用は約六百七十
萬圓と
通つております。これは今日の物價から申しまして、殊にその中には
只今全く解體いたしまして、まだ
再建中である
法隆寺の
五重塔と
本堂の
仕事も含ま
つており、又
戰爭中まで
修理しかけて中止になり、再び始ま
つております非常な大きな物では、
姫路城の
建築、これは途中まで濟みましたが、戰爭の途中で軍に徴發されまして、中途にな
つておりました。今日
名古屋城の燒けました際、又
從來から
日本の
城砦建築でも
つて最も完備した姿を持
つておりますのは、姫路の白鷺城でありますが、これの
修理が途中で行詰
つておりまして、この厖大な
姫路城を
考えますときに、今日、今年度におきまして、
文部省がお使いにな
つておる
費用は僅かに十二
萬圓と申すような次第でありますから、この城砦の極めて一部分しか補修できないような
状態でございます。そこで
調査團といたしまして
考えましたことは、これは
奈良地方のみならず、
從來木造建築の指定されたものだけでも、
國寶重要美術に指定されたものだけでも非常な數に及びまして、これらが殆んど
修繕を必要としておる。必要としないものはないような
状態でございます。それで到底これが
假令非常な
豫算を通しましても、殆んど全體的に
修繕することは不可能であるというような
考えも抱きました。この點におきまして
寺社の
修繕も何か新らしき
考え方の上にこの
修繕をして、これを保持するという
方法を、
文化委員會としては
考えなければならないような責任もあるように
考える次第でございます。就きまして悉くが
國家財政によ
つてこれを
保存することは不可能でありますが故に、ここに
一つの
考え方といたしましては、
建造物の中で、殊に重要なるものを重點的に
考えて、そうしてこれを徹底的に
修繕する。そうして外は都道府縣その他に親切に
文部省なり
國家が指導して、
修繕をさせるというようなことより仕方がないかと存じます。尚
從來の
國寶の
法律にございますように、
寺社の
修繕におきましては、
半額は
寺社それ自身が出し、後の
半額を
政府が補助する。
政府の補助には、補助しただけの金を
寺院がこれを出さなければならないという
法律がございますが、これらは今日の
状態、殊に
寺院の場合に、殊に
農地法の
實施におきまして、
寺社の小作その他の地面がなくな
つておりますことや、又今日
寄附金を集め難い
状態におきまして、到底
從來のように、
半額を
寺院が持つことは不可能でございますから、こういう
法律は姑く止めて、重要なものは
全額政府が出してこれを保護するというような工合に取計らうべきではないかと存じます。尚その
寺院の
建築の點につきまして、もう
一つ申上げますのは、これらの
寺院建築は、
從來の
歴史にございますように、大
體滅びましたのは火災によるものでありまして、幸いに
奈良京都が爆撃を逃れましたが、若しも爆撃されましたならば、全部これらの
寺院は燒けてなくな
つてお
つたものでございます。今日助か
つたことは有難いと存じますが、併しながら尚
火災というものは非常に多く、現に
奈良の
東大寺の入口にありまして、南大門と
本堂の極く近くにあります
寺務所の本坊が、今年の七月四日に燒けております。もう一飛びで
東大寺の
本堂に火が掛かるような所が
火災で失われておる例を見まして、殊に重要なる
建築は
修繕をすると共に、
周圍から
木造建築を破壊して、不斷から
疎開しておくということが
一つの
保存法として
考えるべきことではないかと思います。一、二の例を申しますと、例えば
京都に
おいでになりました方は、誰しも仰いで御覽になる八坂の
五重塔というのがございますが、
實際にこれは
鎌倉時代の
建築でございますが、
行つて御覽になりますと、
鎌倉時代の非常に貴重な
建築の軒には、民家の軒がひつかかるくらい狹く迫
つておりまして、民家が毎日竈を焚いておりまして、それが一度火が飛べば燒けてしまうという
状態においてあり、今日までの
保存行政はこういうことに關心を持
つておられなか
つたが、何かこれから
一つお
考えを頂きたいと思
つております。
次に
佛像、その他の
寶物に關してでございますが、これは勿論本尊は
信仰上
寺院の中におくことが必要なものではございますが、これ等が悉く非常に燃えやすい
木造建築の
本堂の中においてあり、且これには、蝋燭、護摩その他の火を焚いておりますることは、
一朝火を失しますときには全部燒けてしまうという
状態におかれておるのであります。
歴史的に
從來は
文部省におきまして
寺院の
歴史というものを尊重する
關係から、
寺社の
本堂、その他に置いてございます
佛像の
位置燮更ということは全く許されず、
位置を守ることが
一つの
保存行政のごとくに
考えておられた
專門家もあります。これ等についても
一つ考えを改めて頂きたく、殊にこれ等の
寺社の
寶物の置かれておる
位置につきましても、例えば
法隆寺のごときは、
奈良飛鳥七大寺が壊滅いたしまして、
殘つた法隆寺へ地所の
寶物をただ擔ぎ込んで來て置いたというような事例も多く、勿論それは千年以上そこへ置かれてはおりますが、
法隆寺と縁故のないものを擔ぎ込んでおります。又
東大寺の三月堂も、
方々の
寺院から
佛像を持
つて來て置いておるものが多いのでございまして、こういうものを
歴史として保守してここに置く必要は何ら認めないものと
考えます。こういう
木造建築の中にある
佛像を、一刻も早くこれから出して、そうしてどこか
不燃燒建築物の中に安全に
保存する、殊に重要なるものに關しては、これを
實施して頂きたいと
考えます。現に
奈良の三月堂はその上に二月堂がありまして、
奈良の
水取りという名高い二月に行事がございます。非常に多數のここに
信仰者が參詣いたし、又夜の祭として松明をつけていろいろな行事をいたします
關係から、二月堂はすでに何囘か焼けておりますが、その火を被ればすぐ三月堂は燒ける
危險性がある。その中には名高い秘佛執
金剛像を初め、
日光及月光天像、その他の天平の彫刻の代表的なものが置いてございますために、甚だ
危險を感ずる次第であります。これと同時にこれは
文部省の御所管ではございませんが、
只今皇室の
公的財産に指定されております
奈良の正
倉院の御物につきましても、これは今更その
貴重性を申上げる必要はないと存じますが、その正
倉院に見學いたすごとに、その
保存状態を具さに御説明承りますと、非常に長い時間かか
つて、正
倉院の
木造建築の
木造の校舎を如何に
宮内省が苦心してこれに火がつかないように守
つたかという、又守りつつあるかという御説明を承りまして、これは例えば
專門家に頼んで、
奈良に雷が落ちる、雷の來る方向を氣象學から研究して、
そつちの方に當りまして避雷針を
澤山立てたり、實は正
倉院は一遍落雷いたしており、その痕跡もございますが、幸いに消し止めたのでございますが、雷の來る方向の研究をしたり、或いは特別の
水道栓を拵え、又寢ず番をつけまして、三百六十五日警戒をしておられる。尚
奈良の市民の中の
特別消防隊に依頼して、一度事あるときに駈けつけるというような苦心は正に非常に尊敬すべきものがあり、又忠誠の念感激すべきものがございますが、併し何故に我々から申しますれば、この燃え易く、而も落雷の虞れのある正
倉院の
木造の
建築の中に、そんなに苦心して、この正
倉院御物を置いて置かなければならないかということは、私どもの些か理解し難いところでございまして、これらは
宮内省禁衞府の
公的財産でございまして、
國家の物ではないと申しますが、
國家といたしまして、これは建全なる
コンクリート、その他の倉庫を
作つて、これをこの中に移して宮内府の
保存をお助けする、且これは今日一々物を出すときは、
天平時代から
傳わる古い箱の中に入
つておりまして、箱も古く、崩れておるようなものが……これは最近随分この點だけは直りましたが、誰か見られる毎に、非常に
手數を掛け、又非常に
費用を
使つて、一々箱から出されて陳列するのでありますが、若しもその
保存される
コンクリートの
建築の中に多少の
觀覧施設ができておれば、鍵さえあければ何時でも相當の物はここに竝んでおるという
状態に置かれれば、これもこんな
手數もなく、又このような心配もなく
保存できるものと存じます。こういうことを拜見いたしまして、
結論として
考えましたことは、今日の
保存行政の
あり方につきまして、殊に
文部大臣の御
意見を承りたいと存じますが、今日
國寶、重美、その他の指定は最早一萬三千點以上に上
つておりまして、寶はどこに參りましても、非常に
價値なき物まで
國寶の札が貼
つてございまして、そのために餘りにも
國寶に澤山指定してしま
つて、本當の立派な
國寶と見境がつかなくな
つておるというような
状態でございます。そこで又今日までの
仕事には尊重すべき
仕事はございますが、これは登録する
法律であ
つて、ただいろいろ學者的に研究をして、次ぎから次ぎに登録するということで
仕事は終
つておりまして、
實際いわゆる現實に
保存をするという
方法は
一つも
考えられていないという感じであります。そのために
戰爭中は必要な、貴重なものが、
東京、その他戰災都市で失われましたが、これらにつきましても、
疎開その他のことに
文部省は
一つも手を動かされなか
つたということは、
保存行政として甚だ責任如何なものかといふことを
考えざるを得ない次第であります。固より多少出されましたが、僅かにその
費用が百
萬圓で、
京都の寺にありました
寶物の一部を鞍馬、比良その他に移されたことがございますが、
東京市の中にありましたものは、
一つも動かそうとされず、個人は個人の負擔と
危險におきまして
疎開をいたしましたが、その時に
文部省に參りまして、トラックその他の
お世話をお願いいたしました。
隨分文部省には懇請いたしましたけれども、
文部省は
不急事業という方にはい
つて、
保存行政の
豫算を切るという話で、殆んど
委員を擧げて、
大藏省に
通つて、その事務の方に熱心にな
つておられまして、
實際の
國寶を助ける上に力を盡して頂けなか
つたのでございます。
こんな
關係で多くのものが地に失われ去
つたようなわけでございますが、そこで今日一萬三千に餘
つておるような
國寶及び重要美術を一度
一つにいたしまして、この中から特に重要なものを選び出すという方に、この
國寶調査委員のお
仕事を向けて頂いて、特に何千點かのものは、これを、何と申しますか、本當の
國寶として
費用の許す限りにおきまして、
管理費用も出して頂き、
國家が
立入つたお世話の下に、これを庇護して頂く。又一方には
國民に向
つて、誠に
日本の
文化の代表として徹底するように公開して教えても頂くという工合にして頂いたら如何かと存じます。
それにつきまして尚この今日の
委員會の
制度につきましても、勿論
制度はそれで結構と存じますが、
從來尤も非常に良い
仕事はして來られましたが、いわゆるその
專門學者であ
つて、いろいろ詳しいことを知
つておられ、新らしいものを探して來られては登録する、といふ
仕事も勿論尊敬いたしますが、そればかりでなく、例えば
藝術院方面からも
委員を出すとかして、
藝術の
價値をこれにもう一遍見直して、特に良いものをその中から選ぶという
價値の判斷は、
委員を加え、又一方には
國民教育關係の方も
委員にな
つて、これを廣い意味で
國民に徹底させ、或る時には
教科書編纂の中にもこれを加えて、
日本文化の姿を
國民に向くように積極的にや
つて頂く、こういう方へ
委員會の運營を
一つ改めて頂いたらどうかと存じます。
これを
結論といたしまして、第一
費用を出して頂くこと、殊に來年度の
豫算を仄聞いたしますと、今年度の約十倍の
豫算は
文部省におかれて組まれており、七千萬ばかりの
豫算に計上されてあるというお話でございますが、これは
文部大臣におかれては六・三制その他で、
文部省豫算として非常にお苦しみあることはよく拜察いたしておりますが、併しこれだけは別に、これは
實質、
文化の中に
使つておる金は、
保存行政だけとい
つていいと思いますが、これは是非とも一億近い
豫算をや
つて頂きたいものということが
一つであります。
次に
國寶、
重要美術を一緒にしてこの中から單に今までの登録を目的とした
國寶調査委員會の行き方を改めて、すでに登録は一萬三千もしてしまいましたから、方針を燮えてこの中から特に貴重な
藝術的或いは
歴史的
價値あるものを選んで、そうしてこれの取捨選擇するということで、或いは
斷簡零墨のごとき記録のようなものは、むしろ
國寶を解除いたしまして、これ等は
帝國大學の
資料編簒局などで扱うべき物が多いのであります、そちらの
仕事にお移し頂き、眞に優れた
國寶だけを選び出す。
次は最後はこれを選び出したものを、完全の形において、
國家が力を貸して
保存する。そして今日
燃燒家屋の中に放り出されてあるような形のものを、丁寧に親切に燒けない
建築の中にこれを納めて、而も
將來不燃燒にして且つ尊敬を
十分拂うところの形にこれを置いて、
信仰上の滿足もこれに與え、且つ
國民文化として十分明るく公開して展觀させるというところまで、
立入つた行政の
あり方を我々は
結論として
考えて參りましたような次第であります。尚足りませんところはどなたか御補足を願いたいと思います。大體これだけであります。