○服部教一君 私は遅れて参りまして済みませんが、折角よい議題が出ておりますから
ちよつと申上げたいのですが、外の方から段々話があ
つたかも知れませんが、
只今お話がありましたように、私がここに一つ申上げたいと思うことは学校を利用するということであります。アメリカあたりに行
つて見ると、もう自轉車の
修繕でも、自動車の
修繕でも上級生には教えております。学校で教えております。日本の学校というものはこれからいろいろ改革しなければ
いかんと思うのでありますが、ただ入学試験をやるとかいうような机上の学問だけで、電燈一つ切れてもどうしてそれを
直したらいいか知らんというようなことで、
技術上の教育というものは欠けておる。これは教育上非常に遺憾でありまして、その問題は今ここで申上げる必要のない問題であります。文部省の問題でありますが、子供を利用するということは私はいいと思うのであります。これは今年や來年の問題ではない。一生の問題です。子供に
下駄の
修繕をやらせるとか、靴の
修繕をやらせるとか、そのやり方はどうしたらいいかとか、或いはその他の物、ここにある鑄掛け、そういうようなものを子供の時代から、子子供とい
つても余り小さい子供じやいけませんけれども、もう十歳、十四五歳、初等中学くらいにな
つたら皆子供の手で鑄掛けはどういうふうにしてやるとか、
洋傘の
修繕とか、履物、
下駄類等に至るまで或る程度よく私は行くと思うのであります。それで学校を利用するということ、これは
物資の
愛護ということは二年や三年の問題でなくて、これから五十年、百年の問題ですから、それぞれ学校教育において
修繕をやらせるといいと思う。それから各
家庭にはいろいろな物がありますから、子供に持
つて來いと言うたら持
つて來ますから、そういうことをやらせる、こういうことが必要だと思うのです。
それからもう一つ、この前のときに私申上げたと思いますが、私は十年前にアメリカに行
つたときに非常に感じたのでありますが、ロスアンゼルスあたりに行
つて見ますと、毎週木曜だとか金曜だとかに一回、ガラス屑とか釘屑とかいうような一つの屑ですね。紙とか反古というのは違うのです。それは又別にやるのですが、そういう危い物を毎週一回ずつずつと集めて廻る。もう午後の一時になれば各
家庭が外へ出す。出さなか
つたら又一週間待たなければならん。ある者は外へ出す。そこへ自動車で來て、それを皆集めて廻ります。そういうような習慣ができておる。私はそれがいいと思う。それを学校でや
つてもいいと思うのであります。家にあるガラスのかけらというようなものは持
つて來い。或いは釘の屑で
家庭で使えない物は持
つて來い。或いはよく方々で見ますが、バケツの穴が開いたような物、潰れたような物が溝に捨ててあります。ああいう物を私は子供に集めさすのが一番いいと思います。そうすればあれは捨てなくなると思います。そういう物を学校で集めてやるといいと思うのであります。物によ
つては又子供に
修繕さす物もあるし、又学校で貰
つてしま
つて集めて利用する場合もあるだろうし、いろいろと処分にもよりますが、学校の兒童を利用するということを大いにやる必要があると思う。
一体日本人というものは、この間も電燈の話が出たのですが、夜寢てから電燈を灯しておるのは日本全國到る所で見受けられます。私は三、四十年前から絶対に寢て電燈は点けないのです。やかましく言うて消さすのです。ここで申上げることも、長くな
つてもいけませんから申上げませんが、これはですね、泥棒を防ぐ上と経済上非常にいい。もう一つ、外國へ行
つて日本人が嫌われるのは、水道の水を余計使うということを言われる、いろいろの欠点を日本人は持
つておる、そういうわけでありますから、單にこういう目に見えたものだけでなしに、そういうものに至るまでもつと節約するという習慣をつけさせることが必要だと思うのです。
ちよつとこのことを申上げます。