○松村眞一郎君 修正案
提出の
理由を申述べたいと存じます。
憲法第十七條には「何人も、公務員の不法
行爲により、損害を受けたときは、
法律の定めるところにより、國又は公共團体に、その賠償を求めることができる。」と書いてあります。私は率直に
憲法の條文を受けまして、今度の賠償法というものは、國家公共團体賠償法という名前にするのがよくはないかと思います。國家賠償法というと、公共團体はどうな
つたのかということを、これはちよつと注意が喚起されないと私は
考えるのであります。この
法案の名称それ自身が私は適当でないと思ひます。私は公共團体という四字を省かなければならんという積極的
理由は何もないと思います。そうすれば
憲法の
通りに率直に國家公共團体賠償法ということがよかろうと思いますが、すでにこれは
衆議院を通過しておるのであります。いわば形式的な論になりますから、私は修正の
意見としてはそれは修正案の中には申述べません。併しあまり感服しないということだけを申添えておきます。修正案の本論に移ります。原案の第一條、第
二條を見ますというと、この公務員の故意過失によりまする公権力の行使によ
つて、他人に損害を加えた場合が第一條にある。第
二條には公の営造物の設置又は管理の場合におきまして、その瑕疵のために他人に損害を加えました場合、その場合の
二つを掲げておるのであります。これは民法の不法
行爲の
規定に大体倣
つておるのでありまして、これは廣い意味におきまして、営造物の瑕疵によります損害賠償をするということは、やはり國家の責任であります。合せて公務員の不法
行爲によるということに解釈することは、これは差支ないと思います。その一條、
二條の
規定は適当であると思います。併しながら第三條に至りまして、今修正の
理由を申述べますがごとき問題の必要を生ずるのでありまして、この三條は國又は公共團体、國又は公共團体と申しますのは、今公務員の選任監督をいたしており、営造物の設置管理をいたしておるところの國又は公共團体、それと、その公務員の俸給その他の費用を負担し、又は公の営造物の設置若しくは管理の費用を負担するもの、それが異な
つているときには、補害者は右の費用を負担者のみが賠償の責任を負うということに
規定しておるのでありまして、被害者に対しまして責任を負うということに
規定しているのであります。即ち、本來の責任と費用の負担とを分けて、本來の責任者を問わないで、費用を負担しておるから賠償をとることにしよう、こういうのが第三條であります。これは第一点から
考えまして、責任論という
立場から申しまして当を得ないと
考えますが、尚経済上の
関係からもそういうように
考え得るのであります。これは、本來公務員に対して選任監督権を有し、又は公の営造物の設置、管理者に右の損害賠償等の責任を負わしめるということは、理論上から申しましても、それから將來、これらの新たに公権力の公使又は公の営造物の設置、管理についての
職務上の注意、
義務を喚起せしめる上から申しましても、即ち過去の
行爲又は事実に対する責任問題、それから將來の責任観念の問題、それから
考えましても、どうしても責任のある者が賠償するということは、これは当然であると思います。ところがこの第三條は責任がある者は賠償しない。費用を負担する者が賠償するのであるというのでありますから、責任論として甚だ当を得ないということは明瞭でありましよう。又経済的に
考えましても、負担の不均衡を生ずる場合も生ずるのであります。そういうような点があることが第一として申さなければなりません。
次に第二点として被害者が請求
手続をいたします
立場から
考えて見ましよう。被害者が請求をいたします
手続の問題について、あまり無理がありますというと、折角の請求が思うように透徹しない。時もかかりましよう、或いは請求ができないような結末を生ずるようなこともあると思います。それは、被害者は右公務員に対し選任監督権を有するもの又は公けの営造物の設置、管理に当りますもの、そういうものと、公務員又は公の営造物の対する費用を負担するものとが異な
つておるかどうかということは、実際上必ずしも容易に言えないだろうと思います。被害者にそういうことが直ぐ分るということは、これは簡單にも申せない。仮に異るということが知り得てもその異なる
程度がおのおのあるだろうと思います。費用の全額を負担している場合もあります。或いは一部だけ負担しておる場合もある訳であります。そういう訳でありまして、仮に負担者が一方が負担しておることが分る。両方が負担しておるということが分
つても、負担の
程度や範囲を知るということはこれは容易なことでありません。実際上これは困難であります。それに拘わらず原案の第三條はこれが直ぐ分るような
工合に
考えて、費用負担者のみが被害者に対する損害賠償の責任を負わしめるということにな
つておるのであります。これは明瞭に、被害者の損害賠償請求権の行使に対しまして、思いもよらない支障を與えます。権利保護の完全を期することはできないということは明瞭でありましよう。例えて申せば、過
つて費用を費用負担者でない者、又は費用全額の負担者でない者を相手にして損害賠償の訴えを提起したときに、相手方に正当なる当事者適格がないものとして、請求の全部、又は一部を却下されるということの不利益を生ずるでありましよう。そいうことが直ちに起ります。それならば請求すればいずれは國家なり公共團体が負担するものとすれば、どつちに請求してもそれを先ず受理して本案に入ることがいいのぢやないかということが起ります。常識として……。だから修正が必要だということになるわけであります。
第三点は、從來の費用、從來の費用というものと、それからこの度の賠償金との性質です。それを同一に
考えることはこれはできないと思います。第三條は公務員の俸給、その他の費用負担者又は公の営造物の設置若しくは管理の費用の負担者は当然に公務員の不法
行爲、公の営造物の設置管理の瑕疵に対する損害に賠償の責任を負担するものとして、從來の費用の負担とい
つているその費用の中に損害賠償金も包含されてよいというふうに観念上前提しているものと思わせるような書き方にな
つているようであります。第三條は……。併しこの費用の負担という平生の費用の負担というものの中に、以上の場合の損害賠償金の負担が入るということは、これは簡單には
考えられません。即ち費用を負担するからとい
つて、直ちに損害賠償金を負担するということに観念上解釈するということはできないと思います。從來の費用というものとこれからの賠償金額というものは、性質上から申しても、観念上から申しても、同一のカテゴリーに入るものでありません。同一の範疇に属するものでない。その方が私は正しいと思います。何故かと申しますと、從來の費用の負担は公の営造物について申上げますと、例えば道路の費用ということになると、仮令國道であ
つても、その國道の現にありますところの府縣が費用を負担する。そういうことはあります。それは通常の場合、受益者についての
関係を考慮しての費用負担であります。今度の賠償は異常の時であ
つて、損害の負担であります。受益者
関係と性質が違うと
考えなければなりません。そういうわけでありますから、その負担は別にして区別して
考えなければならない。
從つて別々に定めるものと解釈することが妥当であると存じます。
第四には被害者が実際上賠償を受ける
立場から
考えなければなりません。実際賠償を受けられなければ折角
憲法の保護がありましても、一向実現されないということになります。そこで費用負担者にのみ損害賠償の責任があるものとしますときには、費用負担者の資力が薄弱であるとか、その他の
理由で費用負担者から速かに又十分な賠償を受けることが実際上できない場合が予想せられるのであります。原案第三條に從いますならば、こういうような場合でも被害者は費用負担者のみを相手方として損害賠償の請求をしなければならないという不利益を忍ばなければならんことになります。原案第三條は以上のような理論上から申しましても、観念上から
言つても、又実際上から
言つても難点があるものと認められますから、こういう難点を除きまして、そうして被害者の損害賠償請求権の行使をなるべく容易にし、又救済が実際得られるようにという必要から救済が生まれたのでありますから、即ちその
結論は責任、理論というものを先ず
考えなければなりません。次には実際上の賠償が実現されるという点を
考えなければなりません。この
二つの要望に適應する必要がある。それが修正案の趣旨であります。この修正案によります「公務員の選任若しくは監督又は公の営造物の設置若しくは管理に当る者」が賠償の責任を負うのは勿論であります。これは今申しました責任の上から当然のことであります。そうして又公務員の俸給その他の費用又は公の営造物の設置、管理の費用を負担するものも、亦同樣に被害者に対して損害賠償の責任を負うこととなるのであります。これはなぜかと申しますと、こういたさなければ実際の損害賠償を受けるということの実現が得られません。これは実際上の必要から
考えて、こういう修正が必要である。こういうことになるわけでありまして、両者いずれも責任者となるのでありますから、損害賠償の責任は両者とのおのおの独立して、損害の賠償の全額を負う責任がある。
從つて被害者は右損害賠償のいずれに対しても請求をなすことができるのであるから、いずれを相手方として請求をするかは全く被害者の任意であります。又右両者に対して同時に損害賠償の請求をなすこともできます。併し損害の目的は同一でありますから、損害の全額の賠償を受けることはできませんから、全額の中から一部の賠償を受けた、一部の額だけを一方が出せば、他方から残りの分を受ければ、それでいいわけであります。そういうことによ
つて、任意向者の中終局において損害賠償額を負担する者、その割当て範囲等は法規それから両者間の契約、申合せ等で定める問題でありますが、それは内部
関係であります。損害を受けた者がそういう内部の
関係のために権利の行使ができないということは困るというのが修正案の趣旨であります。そうした内部
関係は内部で決めればいいのであ
つて、國家公共團体が内部で解決を着ければ宜しいので、内部で決めたことを外部に対抗して、損害賠償を請求する者に迷惑をかけることは、條理上不当であることは当然であります。そういう訳でありますから、被害者から請求を受けて賠償しましたのは、内部
関係で責任を有する者に対して、責任の範囲で求償することができるのであります。
修正案は右のようにして
憲法十七條の精神に
從つて公務員の不法
行爲から生じた損害賠償を、國又は公共團体から容易に受けることができることにして、
國民の権利保護を全からしめると共に、賠償負担者にも均衡を得せしめることにしたのであります。