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小杉イ子君 まあ七分ぐらいですからお聽き下さいませ。「私は
非常時は、混乱時期において、いつまでも死んだ兒の年を数えるような又悲憤を思い出すようなことを言う時間は、
救急処置を語る時間に当てるとか、又は直接工作に取かかる時間に当てた方がいいと思うて來ました。聽き苦しいかも知れませんが、関東大震災の時には、明日綺麗な着物を造るよりも、着のみ着のままで飛び出した
人たちだから、古くともよい、今木綿のねまきを造る方がいいと
思つて、
家族、
看護婦総動員で
テント等に包んだ大きい四個を作りまして、そうして金四百五十円は朝
日数聞社に託しましたが、衣類は
運送上ちと早過ぎたくらいでありました。そのくらいでありました。その流儀で
終戰直後、まだ
婦人参政権の附與されませんとき、先ず先立つものは家だ、同居、居候は誠に幸い。たとえ三疊敷でも氣を落着けさすことだと思い、
田舎の
人たちに一銭でも人の物は取
つてはならないが、燒跡の柱、鉄管、トタン、無意識に踏み割
つているところの
瓦等を拾い集めて置くことだと申しました。そうして仮
小屋急造方法を話して、そうして
神戸に帰りました。ところが皆がもうその話は時代遅れだ、およしなさい、縣と市がよい家を建てて、ちやんと見本も出ておりますとのことで、それを聞いて私は大いに喜んで、ほつといたしました。その後成る程次々にできます。
活動写眞館ができる、所によ
つては
飯食店が軒を並べている、
住宅は
抽籖とのこと、ところが
抽籖にはそれぞれ係の人に金が
大分要るとのこと、数軒合わせて申込んでも順番はなかなか來ないのであります。でき
上つた家でも空いておる家があるのであります。そうして縣の
資材がいつの間にかどこかに姿を隠したという始末が新聞に出たのであります。或る人は
高級料理屋で一万数千円を
支拂つて、
資材、
材木の
運送がやつとできたと申しました。これが闇値で賣らないでどうしますか。今日までの取締りは皆浅く廣いのであります。根源を取締り得ない間は、又
政府が
建築法異例を設けなければ、家を造ることは到底できません。余程の
援助者があるか、余程のえげ
つたい人間とならねば、
権利金幾万円、一坪貸代百数十円という今日。到底
引揚者たちに建てられる筈はないのであります。その建てられん人、毎日立退きを迫られておる人、そうして
帰つて來る百万の
人たちに、少しでも参考になればと思いまして、二年前の話を繰返して
お話して見ますと、勿論
資材があればこんな話は不要であります。一番に考えることは全部立退きの時期を考えねばなりませんこと、又諸所を仮想いたしました中の、一番わかりやすい
土地について申上げますならば、その地を貸すか賣れるかも分らないものではありますが、そこは天下の
景勝舞子駅から約五分、西から東へ這う高からず低からずの山の麓。試驗はして見ませんが、オゾンを含んだ
空氣。冬は五度くらい高く、夏はそれだけ涼しかろうと思われる。近くに水源地あり、
出水あり、市場あり又
運搬便の大道もあります。
場所によ
つては遥かに淡路島の浮出がまるで盆栽のように見えます。ただ雨降り時に水を受け取る溝を掘るだけで整地も樂な地質。地面であります。大風に吹き倒される程の風速は受けまいと思う地勢であります。私はそこの下の田園、畑に喰い入らんために奥行き短く、長さは続く限り延ばして、隣と悶著の起らんような
台所、便所、物置を考案して、長い長い
長屋を建てたならどうかと思
つたことがあります。建て方につきましては、大工は少数で、
申込者一軒から一人
奉仕者を出すことにしまして、桂は山の持主に
願つて、
製材費用のかからん太さの松を間引く
程度で分けて貰うこと、又
板垣代用に莚を利用すること、板の間には疊と
敷蒲團の
代用として
藁蒲團を、屋根は
平木、
防水紙も
大分持ちますが、入手不可能でありますなら茅葺か藁葺、台湾などでは竹の桂の家もあります。又
神戸一流どころでは今でも莚を敷いておる家もございます。ただ疊一枚が今は五六百円いたします。その莚類は
田舎の
青年たちに夜業で
奉仕販賣の
意味で製作して貰うことであります。若し
青年たちに莚も縄もできなければ、私が教えてや
つてもいいと申して來たのであります。そうして虫のつかん四時青青としておる蔦を三面に植えます。その強い幹で家は締まり、少々の雨漏りを防ぎ、
平木、
防水紙などを吹き飛ばされる心配もありません。又至
つて風流でございます。又冬は火鉢も炬燵も要らん程の日光を受けますし、夏の庇の
板代りには、おいしい苦瓜、糸瓜、南瓜、胡瓜などを並べて植えます。少し脱線いたしますが、そこに鈴虫の二、三匹でも放ちますなら、初秋の月夜などには、今まで身に滲みた苦労はすつかり忘れてしまうことと思います。
次に仮屋の
利用者の負担といたしましては、その人に
相当の
援助をいたしました以外は
家賃をとることである。それは自尊心を失わせん
意味からであります。又生活豊かとだ
つた人は無
條件で立退き、次の困る人と入れ替えることであります。
建築法規は、
防火、
水害、
山崩れ、隣との距離、すべて町の美観、すべてが
國民の保護でありますから、これを守ることは勿論でございますが、併しながら
非常時におきましては、
防火用の
セメントなどが今手に入る筈もなし、
山崩れ、
水害もなく火時の時には逃げやすく、肥料の溜まる暇もないというような
土地でありましたならば、今日の
建築法規を緩和して
貰つて、そうして
救急処置として樂に立てられる
方法を採
つて貰いたいと
希望しておるのでございます。
こういうわけでございまして、この間
埼玉縣に参りましたところが、
丁度水に浸
つておりまして、そんな家を建てておりました。それで私は笑われたか何か知れませんけれども、
救急処置として役に立
つた、縄でも濡れませんければ一年も二年を耐えます。そういうふうにして
造つたならばどうかて思いまして、もういよいよ寒くなりまして、随分追い出されて悩んでおる人がございますから、そういうふうにして余りむずかしい議論やら何やらで決めないで、そうしてこういう建てる
方法が
一つの
救助方法にならんかと
思つております。これにはいろいろと
條件などがございますけれども、具体的にそういう
土地があるということをお知らせいたして置きます。