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會計檢査院事務總長(東谷傳次郎君)
私
會計檢査院の事務總長でございます。只今
外務省、
商工省、第一
復員省、第二
復員省の
政府委員の方から、それぞれ御
所管の
決算事項につきまして詳細なる御
説明があ
つたのでございまして、
決算に關しては、私から重ねて申上げることはないのでございます。
外務省の
歳出決算額は一
般會計におきまして先程御
説明がございましたように四億一千餘
萬圓に上
つておるのであります。
會計檢査院におきましては、
外務省からそれぞれ證據
書類の提出を願いまして、
會計の
書類上の檢査をいたしました。更に實地に臨みまして、
書類上の檢査の補足をいたしたのでございまして、かようにいたしまして四億一千餘
萬圓の檢査の濟ましたのでありまして、四億一千餘
萬圓に對しましては、檢査の濟んでいないもの、即ち
會計檢査院では未確定という言葉を
使つておりますが、檢査上の未確定に屬する
事項は、
外務省關係においては少しもなか
つたのでございます。
ただ御
承知の如く、戰爭のために
書類の燒失ということが建物その他の燒失に伴いまして、相當各方面にあ
つたのでございますが、御
承知のごとく
外務省も戰災の厄に遭われたのでありまして、戰災のために證明が
會計檢査院にできなか
つた額が先程四億一千餘
萬圓と申上げましたが、その中の約半分に相當する一億九千四百餘
萬圓というものは
會計檢査院への證明ができなか
つた額に相當するのでございます。これは
會計檢査院の
昭和二十
年度歳入歳出決算檢査報告の册子の第五頁にございます通りであります。丁度二十
年度は御案内のごとく前半は最も苛烈なる戰爭の下にあ
つたわけでありますし、後半は
終戰後の非常にごたごたしたときに當
つてお
つたのでございまして、
會計檢査院ではこの檢査は、各官廳から參りますると、戰爭中と雖も證明なり檢査をや
つてお
つたのでございまするが、實地檢査はとかく空襲その他のことによりまして、思うに任せなか
つた點はあるのでありますが、この一億九千四百
萬圓の證明不能という點に關しましては、先ず
外務省の十九
年度までの
會計檢査院における檢査の成績、檢査上の心證及び二十一
年度におきまする提出
書類によ
つての檢査の
實情から類推し、更に
外務本省につき或いは出先官憲により實地につきまして、御
説明なりを受けまして、本體證明不能ではありまするけれども、心證を得まして、ここに一億九千四百
萬圓の檢査を濟ませたのでございます。その點御了承を願いたいと思うのでございます。
ただ
外務省におかれましては、いろいろ帳簿、證據
書類が燒けたのでございまするが、
決算を締め括らるるに必要なる
書類はお出しにな
つたのでありまして、從いまして戰災によりまする款項目の不明、款も分らない、項も分らない、目も分らないとい
つたような
決算はなか
つたのでございます。
さようなわけでありまして、
決算上取立てて申上げる點が餘りないのでございまするが、先程も
政府委員の方から詳細に御
説明になりましたごとく、
外務省關係におきまして一件、
會計檢査院で不當
事項として
檢査報告に掲げたものがあるのでございます。これは
檢査報告の十六頁から十七頁、十八頁に互
つて記載されておる通りでありまして、この點についてはいろいろと御詳細なる御
説明があ
つたのでございまするが、極く
簡單に申上げますると、
東亞經濟懇談會に
事業の
補助、
事業をする
補助金といたしまして二十五
萬圓を
終戰後の八月十七日に出されたわけであります。ところが、その後いろいろ御調査になりまして、二十五
萬圓はやり過ぎであ
つたというので、先程詳細御
説明がございましたように五
萬圓を返納させるという擧に出られたのでございます。併し
會計檢査院で調べて見ますると、二十五
萬圓の内五
萬圓を返納さしたのではまだ返納が足らない。本件は先程申しましたように
事業を遂行するための
補助なのでございまするし、
終戰直後に
支出はしておられまするが、その約二ケ月前、六月に
東亞經濟懇談會に對しまして
補助をするということを決定されたのであります。されたのでありまするが、御
承知のごとく六月頃は戰局最も苛烈なる時でございまして、
東亞經濟懇談會の目的でありまするところの、基本問題の研究であるとか、或いは懇談會であるとか、或いは協議會の開催であるとか、會報の發行というようなことはなかなか思うに委せなか
つた實情にあることは先程も御
説明があ
つた通りであります。そういたしまして、この經濟懇談會の
會計の
實情を見ますると、これは二十年の九月に
解散をいたしたのでございまして、十月にその
清算を
結了されておるのでありまするが、この
解散を命せられました時の
状況を見ますると、ここにも掲げてございますように、四十七
萬圓という
財産があるのでありまするが、その内現金
關係で見ましても、現金になり得るものといたしまして、當座預金が七
萬圓、特別當座が八萬六千圓、定期十三萬四千
餘圓というようなものもありまするし、かたがた
終戰後に
支拂われる場合におきましては、我々は思うだに戰慄するような敗戰の痛手を負
つておるのでありまして、敗戰財政ということを我々は考えなくちやならないのでありまして、
事業遂行のための
補助ではありまするが、
事業は假に細々として非常に少い
事業をや
つたといたしまして、
事業補助をなさるのは幾らかなさるということはよろしいといたしましても、必要最少限度にするということは當然ではなかろうかというふうに考えらるるのでありまして、かたがた九月に
解散したのでありまするが、二十
年度の收支の
状況を見ますると、十八頁に掲げてありまするが、十三
萬餘圓の剩餘が生じておりまして、而もこの十八頁の
支出之部にございまする、本部
人件費の
決算額は二十六萬八千
餘圓、これは上の
豫算額の二十九萬六千
餘圓に對照して頂きますると、やはり
豫算額に近い、上の
收入之部で御覺を願いますると、會員の會費その他のものはすべて
收入豫算から非常に減
つておるのに、
支出之部におきましては、豫算に大體
人件費が來ておるということに
なつております。これはどういうことかと申しますると、この二十六萬八千
餘圓の中に十五萬八千
餘圓という
解散手當というものがすでに支給されておるのであります。支給されておるに拘わらず、尚十三
萬圓という
剩餘金、これは純
剩餘金ではないとおつしやるのでありますが、
剩餘金がある
状態に鑑みましても、
終戰後ああいう場合に五
萬圓を返納さしたということは、非常に思い切
つた處分であるとおつしやるのでありまするが、尚それでは足らんのでありまして、これを極く計算的に申上げまするならば、二十
萬圓の中から更に十三萬何がしを引きました先ず七
萬圓くらいを向うの手取りとして、十二、三
萬圓というものを更に返納せしむべきであ
つた、こういうふうに
會計檢査院では考えておるのであります。非常に冷かな考えであるという御批判があるかと思うのでありますが、
補助に關しましては、
會計檢査院では全般的に、
終戰前後を問わず相當に手固くやるべきものではないかというふうに考えまして、かような
事案を提出いたしておるようなわけでございます。御
事情の點縷々御
説明に相成りまして、その點よく了承はいたすのでありまするが、本件の
批難の骨子というところはさようなところにあるのでございます。
次に
商工省所管の
決算に關しまする
檢査報告事項を御
説明申上げたいと存じます。
商工省におかれましても、この一
般會計及び
特別會計におきまして、二十
年度に關しては檢査が未了であ
つて未確定にしておるというものはないのでございます。先程
外務省のところで申しましたように、戰災
關係で證明不能というものは多少あるのでございまして、これは先ず五頁にございまする通り、一
般會計の歳出の部におきまして八十八萬二百五十四圓というものが證明不能と
なつております。更に七頁に
商工省所管の
特別會計の燃料局でございますが、燃料局におきまして、歳出上三千四百八十五
萬餘圓というものが證明不能と相成
つておるのでございます。更に戰災
關係で款項目不明のものも
商工省にはあるのでございます。八頁に
商工省の
關係が掲げてございますが歳出で目不明なのは、極く僅かございますが、十一萬二千圓、これは一
般會計でございます。
特別會計の燃料局におきまして
支出二千三百三十三
萬餘圓というものが目不明ということに
なつておるのでございます。
これで
決算に關する
檢査報告としての御
説明を終りまして、更に不當
事項が一件ございますので、この點を
簡單に御
説明申上げて置きたいと存じます。
二十二頁から二十三、二十四頁とこう續いてあるのでございます。これも非常に詳細に先程御
説明に相成
つたのでございまするが、極く
簡單に申上げますと、これは鑛石配給統制
會社に對しましてマンガン鑛増産奬勵金として四十五
萬圓を交付いたされたのであります。これは
終戰後の二十一年の四月になりまして
支出を決定されたのであります。四月になりました
事情は先程縷々御
説明にな
つた通りであります。ただ檢査院で
檢査報告に掛けましたのはマンガン鑛の奬勵金の今までの實績を見ますると、十八
年度は奬勵金を
支拂つたのに調査漏れがあるのは僅か四件、四千圓ばかり追加
支出をしておられる。十九
年度では追加
支拂いがあるかも分らんというので、これは相當大きく餘裕をも
つて支給されております。これは僅か十五萬なにがし、約十六
萬圓を餘裕をも
つて支給されてお
つたのであります。その後調査をされましたところ、一件だけは三千
餘圓調査漏れということが判明いたしまして、
あとの十五萬五千圓につきまして返納を命ぜられたような
關係もあるのでありまして、かように十八
年度分と十九
年度分について見ますると、間違いましても餘り澤山の間違いはなか
つたのであります。さようなわけでございまするので、二十
年度の奬勵金の
支出におきまして、而も相當經過した二十一年の四月二十日の整理期間に入
つての
支出でありまして、それらの事態はお分りに
なつておるのでありますから、先ずぎりぎり
支出され後から追加
支出をする、或いは見るとしてはほんの僅かの掴み金でよか
つたのではないか。現に一件しかそれはなか
つたのでありまして、十四萬三千圓の過
拂いに
なつておるような次第でありまして、御
事情の點はいろいろ御
事情がおありでありまするが、そういうような譯合いと、更に本
會社はこの
檢査報告の二十四頁に掲げて置きましたように、二十一年の二月には
解散して
清算中でありまして、
解散した
清算中の四月にやるのでありますから、これは奬勵金の
支出上愼重を期さなければならん。普通の
會社が續いてお
つてもそうでありまするが、
清算中の
會社でありますから尚念入りに土俵を切るということが好ましいような氣がするのであります。さようなわけで本件は不當である。こういうふうに檢査院は考えておる次第でございます。
次に第一
復員省の
關係でございまするが、第一
復員省關係におきましても、先程御
説明になりましたように、一
般會計におきましては
合計二億七千三百餘
萬圓の
決算であ
つたのでございまするが、未確定はございません。
特別會計も
造兵廠その他、これも未確定はございません。戰災によりまする證明不能というのがやはり第一
復員省にもあるのでありまして、六頁に掲げてございまする通り、
陸軍造兵廠の
關係におまして歳出が一億八千百
萬圓というものが證明不能に
なつておるのでございます。更に款項目不明の點でありますが、八頁に記載いたしておりまする通り、やはり
陸軍造兵廠におきまして目不明といたしまして一億五千八百餘
萬圓があるのでございます。
決算につきましての御
説明をこれで終りまして、更に不當
事項として掲げました
檢査報告事項を、二件ございまするので、
簡單に御
説明申上げて見たいと思います。
最初二十九頁でございます。これらにつきましても詳細に
政府委員の方から御
説明がありました通りでありまして、これはさして意見の相違もなか
つたようにお聽きしたしたのであります。
大阪陸軍造兵廠で
支出されました二百
萬圓の件であります。極く
簡單に申上げまするが、二十年の七月に
香川造船所に四式小型輸送艇という、ボートのようなものでありまするが、それを二十隻注文されたのであります。そういたしまして、これは七月五日でありまして、八月の十五日には
終戰に相成
つたのでありまするから、最早これは
契約が解除されたといいますか、そういう段取になるのでありまして、
會計檢査院で實地檢査に行
つて見ますると、これは全部できたというので
總額の二百
萬圓を支
拂つておられる。どうも工程日にちの
關係、その他これと同じ型のものを外の
會社にも注文しておられるのでありまするが、それらと比較して見まして、どうもこれは全部できたように思えないというので再調を煩わしますと、
最後の三十一頁の二行目あたりに書いてございまするが、
終戰當時に加工に著手しておりましたのは僅かに二十隻の中六隻でございます。而もこれを完成品に換算いたしますと二隻四分、即ち總體的に二隻二分くらいができてお
つたということに相成
つておるようなわけでございまして、結局百三十九萬三千
餘圓の過
拂いとな
つたのであります。ただ
事後の處理としまして二十五
萬圓は昨年の八月に納入濟に
なつておりまするが、爾餘の
金額百十四萬何がしというものが、その後入
つてないような
状況でございまして、いろいろ
會社あたりの經理
状況を想像いたしますると、誠に苦しい
状態だろうということは想像ができるのでありまするが、やはり跡始末としてはさように
なつておるようであります。
第二は
名古屋造兵廠で
支出いたしましたもので、過
拂いに
なつておる
金額は三十一頁に書いてありまする通り、二十七萬千
餘圓あるのでありまして、これは
前金拂いのあるということを失念といいまするか、お調べにならないでおやりにな
つたのでありまして、先程お話のありました通り過失に基く過
拂いになるわけでありまして、それだけの
説明で、本件は面白くない
事案であるということは御了承願えると思うのであります。これで第一
復員省の
關係の
説明を終ります。
次は第二
復員省の
關係を御
説明申上げたいと思います。第二
復員省におかれましては、一
般會計では先程の御
説明の通り經常、臨時
合計いたしまして三億三千五百餘
萬圓が
決算に相成
つておるのでございまして、その中第二
復員省の經理局の
關係におきまして、四千七百九十五
萬餘圓が未確定であるということに相成
つておりまして、只今檢査を續行しておるような次第でございます。第二
復員省の
特別會計では、
決算の未確定はございません。
尚戰災による證明不能というのはやはり第二
復員省でもあるのでございまして、第五頁を御覽願いますると、第二
復員省で
歳入といたしまして二十六
萬餘圓、歳出といたしまして極く小さく八萬九千
餘圓、更に六頁にございまするが、
特別會計ではあるけれども、大きな金でありまして、
海軍工廠資金特別會計におきまして、
歳入が六千二百
萬餘圓、歳出が一億
餘圓、海軍火樂廠で歳出におきまして四千七百
萬餘圓、
海軍燃料廠におきまして
歳入が二千九百
萬餘圓、歳出が四千七百餘
萬圓ということに相成
つておるのでございます。
更に款項目不明の點では七頁にございまする通り、
歳入の
關係におきまして款項目不明二十四
萬餘圓がございます。更に九頁に
海軍工廠資金特別會計におきまして、
歳入關係で項と目の不明のが五百
萬餘圓、目不明が歳出におきまして八百餘
萬圓、
海軍燃料廠におきまして項と目の不明、
歳入一千
萬餘圓、歳出千二百
萬餘圓、目不明が歳出におきまして、百五十
萬餘圓と相成
つております。
更に
會計檢査院では
政府の
決算額と日本銀行からの現金、
政府が
支出いたしますと、御
承知の如く日本銀行で小切手によりまして現金が出て行くのでありますが、日本銀行の現金
關係の證明額と對照して見るわけでありまするが、その對照において不符合の點がございます。十一頁にございまするが、それは
海軍工廠資金の
歳入におきまして、日本銀行の
決算よりも、日本銀行の證明額が三百五十
萬圓少いのでございます。これは
外地關係の分で
終戰によりまして、不符合の事由が不明なものであります。歳出におきましては同じ日本銀行の證明額は、五百五十九
萬餘圓少いことに
なつております。その不符合の事由は同樣でございます。
海軍燃廠におきまして、
歳入關係では日本銀行の證明額が千四百餘
萬圓少いことに
なつております。これも不符合の事由は同樣なことでございます。
燃料廠の歳出におきまして、やはり日本銀行の證明額が千六百
萬圓少いことに
なつております。これは先程御
説明いたしました通り、
外地關係の分で
終戰のために不符合の事由が分らないというものでございます。
これで
決算關係の概括
説明を終りまして、不當
事項が一件でございますので、この點を御
説明申上げてみたいと存じます。
檢査報告の三十二頁にございます。先程
政府委員の方から御
説明をされました件でありまするが、徳山
燃料廠の
支出されました十九萬九千
餘圓であります。これは
支出前に二百
萬圓拂つておられたものを、
終戰後に精算して、本當に出來高によ
つて精算するという場合に、本當の出來高でありますれば百三十四
萬圓だけ精算して一定額渡すといいますか、精算いたしまして、六十五
萬圓をこちらに返せばよか
つたわけでありまするが、
會社が臭化エチレンの製造に非常な功績があ
つた、それに報じるという意味合で、約二十
萬圓を囘收いたしまして六十五
萬圓を四十五
萬圓だけ返えさしたということなのでありまして、この點は
政府委員の御
説明の通り非常によろしくない
事項でございまして、
檢査報告に揚げた次第でございます。この四省
關係の
決算檢査報告に關する私の
説明はこれで終りたいと思います。