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政府委員(
遠藤武勝君)
陸軍共濟組合の殘務をや
つております第一
復員局の方から
お答えいたします、
ちよつと時間を拜借いたしまして、始めの經緯から
ちよつと申上げておきたいと思いますが、二十年の八月十五日、
終戰となりまま支、
當時共濟組合員は
概算五十萬を算してお
つたのでありまして、それに對しまして、共
濟組合解散に伴いまして、
附則に基きまして、
脱退給付金、一時
勤續給付金、或いは年金を支給してお
つたのでありますが、その始末ということをする必要が起
つたのでございます。共
濟組合員は御
承知のように各
造兵廠でございますとか、その他の
作業廳の工員を以て主たる
機成員といたしておるのでございます。ところがその
當時共濟組合の
資金は、不動産は別にいたしまして、大
體流動資産に属するものは七千八百
萬圓餘あ
つたのであります。そのうち有
價證券が半分以上を占めておりまして、四千四百
萬圓餘が有
價證券であ
つたのであります。それでこの共
濟組合解散に伴いまして、この五十萬の共
濟組合員に、
附則に基きまして拂戻します金の
概算は、本千六百
萬圓を必要としたのであります。從いまして急速に
處置し得る七千八百
萬圓の大體の
資産の中、七千六百
萬圓を必要としまするので、それを調達するためには、この有
價證券四千四百
萬圓を何とかして現金化しなければ
處置ができないという
状態にあ
つたのであります。そこで常時
陸軍としましては、
大藏省にこれを懇請いたしまして、
當時終戰の軍隊の急速なる解除、それに伴いまして
作業廳等も急速に
解散をする必要が
當時の
情勢であ
つたものでございまして、急速にこの金を調整して、この五十萬の會員をそれぞれ
郷里に帰すということが焦眉の急であり、又
當時としましては、重大なる問題でもあ
つたものでございますから、この四千四百
萬圓の有
價證券を換價する方法につきまして、
大藏省當局に
お願いをいたしまして、
大藏當局としても、いろいろ問題はあ
つたようでございますけれども、
當時の
情勢の上から見まして、止むを得ぬと考えられただろうと思うのでございますが、ここの四千四百
萬圓の中の三千七百
萬圓の
買受を
承知して呉れたのでございます。で、その金を貰いまして、この共
濟組合員を
郷里に歸すことができたのでございます。そういたしまして、一應その
整理をしたのでございますが、現在尚共
濟組合員でまだ
帰つて參らん者もおります。又内地におきまして、まだ
整理をして支給しなければならない對象が相當殘
つておるのでございます。その大體見込みでございますが、見込の經費は約二千四百万圓を必要とするのでございます。これは若干の
推定人員が入
つておりますので、
實施をして見た上で、或いは若干の變更を來すのではないかと思いますけれども、大體今の見込はそういう
状態でございます。ところがこれに對しまして、現在共濟組合の残務をするために持
つております
資産は、どういう状況であるかと申しますと、現金竝びに預金を加えまして、二千四百八十
萬圓餘を持
つております。從いまして、大體この給付を實行いたそうと思いますれば、大體とんとんの財産を持
つておるということになるのであります。先程申しました
終戰時七千八百
萬圓の財産を持
つてお
つて、それを七千六百
萬圓を
終戰時の
解散に割振りまして、而も尚二千四百
萬圓の殘があるというのはおかしいように思われると思いますが、實は七千四百
萬圓というのは流動
資産でございまして、その以外に病院を經營いたしてお
つたのでございます。全國で六ケ所、立川にございます。それから伊豆の函南に
一つございました。それから名古屋にもございました。それから大阪、廣島、九州の福岡と別府と、合計七つの病院を持
つておりまして、この病院がございましたので、その病院をその後
整理いたしまして、實は
官廳共濟組合の方に買
つて貰いまして、これは大蔵省で買
つて貰
つたのでありますが、それを買
つて貰いまして、それを
基本にしまして現在二千四百
萬圓の金を持
つておるわけであります。そういう状況でございますので、甚だ
當時無理を言
つて有
價證券を買
つて貰いましたのが、今日問題となりましたことに對しまして、殘務を
整理しておる者に對しても非常に氣の毒に、相濟まんと實は思
つておるのでございまして、何とかこの七百
萬圓の問題と
なつておる金を返さなければならんと思ふのでございます。實はこの共濟組合の現在の
状態はそういうわけでございまして、一人當りは二百圓、或いは年金所有者につきましては六千圓ぐらいになると思います。そうい
つたふうな一人當り僅かな金でございますが、相當な人員からの金を返すのでありますから、給付を打切る。給付を
整理すると問題が起きますので、實は私の方では苦慮しておる次第でございます。内輪のことを申上げますと、實はこの殘務を至急に處理しますために、新聞廣告その他をしまして、内地でまだ共濟組合の病院の給付金を貰
つていない人に知らせまして
整理をする必要があるのでございますけれども、實はこの財産
關係がまだそういう
關係ではつきりしておりませんので、それを手控えて持
つておる状況でございます。それでこれは全く今
事務的な話合の
程度でございますから、非常に重くお取りになると困ると思うのでありますけれども、共濟組合の病院を
政府に買
つて貰いました
金額は千六百
萬圓であります、六ケ所の共濟組合の病院として。これは
當時建てました全くの帳簿
價格でそのまま賣
つたのでありまして、今日の値段にすればそういうような
程度でなく、遥かに高くてもよいじやないかというように感じておるのであります。從いまして若し豫算その他で許しますならば、この千六百
萬圓で賣りましたのを、もう少し時價を考えて、少し上げて貰いまして、そうして
資金を豐富にしてこの方に返す。まあ大きい眼で見れば同じことかも知れませんけれども、それぞれ機關内の
整理はそれでつくのではないかというような氣もしておりますので、
大藏省の當局とも話しておりますけれども、これは研究中でありまして、まだどういうことになるか
分りやせん。また
當時の
關係者の
住所氏名をという
お話でございましたが、共濟組合は規則によりまして
陸軍次官が
事務の最高
責任者でございました。
當時の
陸軍次官は赤松唯一、
住所は三鷹の附近でございますが、はつきりしたことは私覺えておりません。これはいつでも
分ります。それから
當時の私の
局長は軍務
局長でありました吉積正雄でございます。これは第一
復員局に現在勤務しております。その專務を直接や
つておりました課長は、
陸軍省の
當時の戰備課長でありまして佐藤祐雄と私は思います。