○中野重治君 この第
五條の「
人事官は、人格が高潔で、民主的な統治組織と成績本位の原則による
能率的な
事務の處理に理解があり、且つ、」
云々という
言葉がありますが、この中の「人格が高潔で、民主的な統治組織と成績本位の原則による
能率的な
事務の處理に理解があり、且つ、」これだけが私は無駄な
言葉だと思います。センチメンタルな笑止な
言葉だと思いますが、これを削るお考はないか、少くとも削ろう、こういう私の考に、考としてでも贊成が願えまいかということ、この全部が無理ならば、せめてその中の「人格が高潔で、」ということだけは、是非我々日本人の見識において削らなければならんと私は考えますが、削る
ような、少くとも削
つてもよいというふうな肚がおありになるかどうかをお聽きしたい。それから特にそのことを申しますのは、前に
能率本位とか何とかいうことがありましたし、第二十七條では、
人事官の問題ではありませんが、政治的見解による差別を行わないという項目が出ておりますし、そういうことに照し合せて、
文句自身が極めて非
能率的でもあるから、是非削
つて頂きたいと思いますが、その點についてお答を願いたいと思います。それから第六條の
人事宮は、任命後最高裁判所
長官の面前で宣誓書に署名してからでなければ仕事が出來ないということでありますが、これは
人事官は最高裁判所
長官の面前で、誰に向
つて何を宣誓するのか、その内容ですね。それをお聽きしたいと思う。そうして又そういう宣誓をなぜ
人事官が行なわねばならんのか、これは外に書いてあるかも知れないのですが、今
ちよつと分りませんから、外にその
理由……中味が書かれてあれば、それをお示し下されば結構であります。それから第七條の第二項ということになりますか、「
人事官であ
つた者は、退職後一年間は、
人事院の官職以外の官職に、これを任命することができない。」、但書はありますが、この
理由、これは或いは前に
説明があ
つたかも知れませんが、私聽いておりませんので……というのは
人事官は、今非常にやかましい議論がありました
ように、非常に大事なもので、誰が見ても公平な人だ。而も私はそれを削
つて欲しいと思
つておるのでありまするが、第
五條の
規定によれば「人格が高潔で、」
云々という、こういう人が退職後一年遊んで、
人事院關係以外の仕事をしてはならんということですが、こういう人が若し本當にそうであるならば、そういう人間をあらゆる行政の面、仕事の面で日本は今必要としておるんですから、こういう束縛をどういう
意味で加えるか。私には理解ができないので、これを明らかにして頂きたいと思います。それから今度は戻りまして、第
五條の中の例の政黨の問題ですが、これで「政黨の役員であ
つた者又は任命の日以前一年間において、」……こういう人は、「役員であ
つた者」は
人事官になれない。併しな
つてから任命された後政黨に加入することは自由だ。これに決して束縛しない。こういう御
説明がありましたが、その限りにおいでは分りますが、政黨の役員であ
つた人が過去に遡
つてなれないということと、それから任命されてから政黨に参加してもよいということとの繋がりはどう
説明されるのかということと、それから更にその背後の問題として、どうも先程からの問答を聽いていますと、この
法律の下書を作
つた人達は、政黨というものについて聞違
つた考だと私は思うんですが、こういう考がある
ようにとられるのですが、そういうふうにと
つてもよいかということを一應お聽きして置きたい。それは今日
政府委員の
言葉では、政黨色というのはできるだけ排除したい。それは政黨の政策、主義、主張に
忠實であればある程、
工合が惡くなるという、こういう
説明もありましたし、前回の時でしたか、これは
人事官でなく
一般の
公務員の場合ですが、
公務員として專心するには政黨の色眼鏡で見ることがない
ように、色眼鏡で事を處置することのない
ように 會計檢査院とか裁判所なんかも引合いに出されて
説明されたのですが、そういう
説明を聽いていますと、政黨或いは政黨の人達がその主義、主張に
忠實であるということは、
公務員として、或いは
人事官として行政の面で仕事を公平に人民のためにやるということと基本的に背馳する。政黨の人達がその主義、政策に
忠實であるということは、一部の人間のために
忠實に働いて、多くの人のためには不
忠實に働く、政黨というのはそういうものだという考が公然か或いは暗黙の中に下書を書いた人の頭の中にあるのではないか、そうとしかとれないというふうに考えられるわけです。行政の仕事をする場合と、それから
立法の仕事をする場合とは、そういう學説に對するいろいろな
意見は別としまして、一應區別されるとしても、
公務員が本當に多數者に對する
奉仕者であるということを實現する
ように、又この實現を妨げる
ようなことがあれば、それを防ぐいろいろな選擧方式なり、彈劾方式なりを考えて、これを法制化する、ここに政治的な活動があるのですから、そういう點において、昔はどうだか知りませんが、少くとも民主的な政黨の場合、その政黨の人間はそういう面において本當に主義、政策というものをあらゆる部面に貫徹することができるかどうか、こういう點で
一般の審判を仰がなければならんのですから、そのこと
はつまり政黨に
關係があるということ、或いはあ
つたということは少しも
人事官に妨げない。こういうふうに私は考えますが、政黨に
忠實であるというふうに私は考えますが、政黨に
忠實であるという場合は、どうしても色眼鏡にな
つて云々ということから見ますと、つまり民主主義的な政黨、今日ある
ような民主主義的な政黨は、基本的に言
つて、
一般に一部の政黨に
忠實であればある程、一部の人間、特殊の人間のために奉仕する
ような結果を必然的に招くのだ、こういう考え方が、知らず知らず基調にな
つておるのではないかというふうに考えられるわけです。これは今日だけの問答でなく、第一囘、第二囘の連合
委員會でも、そういう
説明がありましたから、私は若しそういう
ような考が立案者にあ
つたんだとすると、そういう
精神において立案されたものを審議するのには、やはり私なら私としては、
特定の
心構えが今まで以上に必要にな
つて來るのではないかと考えられるわけであります。殊に政黨の役員であ
つたという場合に、普通の場合、話は少しよくないことになりますが、或政黨の人間が闇をや
つたと、それが新聞で暴かれたというふうな場合、まあ平黨員という
言葉を使いますと、平黨員がどつかの隅つこで闇をや
つたという場合には、その政黨に對してそれ程のことは考えません。併しながら役員がそれをや
つたという
ようなことになれば、これはその政黨の割に大きな責任になるだろうと、こういうふうに考えられます。それですから、逆に言えば役員であ
つた者こそ、役人としての責任において、假に
人事官にな
つた場合には、公に大きな責任を負わなければならん。又公に大きな責任を負う
ように周りも當然見ておる。こういう
事情があります。それから選擧に立候補した場合には、當然政策、合
言葉、或いは約束をします。
從つてそういう人が
人事官その他にな
つた場合、そういう約束を本當に守るか守らないかということが、實際に試めされるわけです。それですから、そういう者は當然役員でない者よりも、或いは立候補しなか
つた者よりも、みずから進んで大きな責任を自分の下に負
つておるものと、これはそう考えるのが極く自然だろうと考えます。そういうことを全部連ねて、それでこの間からの
政府委員の
説明に照し合せて考えますると、或政黨に關して、これこれの條件の者は
人事官になれないと、併しな
つてから政黨に加入することは自由だということの内面
關係が十分に
説明されていないのみならず、抑抑政黨というものに對して、立案者の方こそ色眼鏡を以て、そうしてそれはどういう色眼鏡かというと、先ず從來の日本官僚的な色眼鏡ということになるかと思いますが、それは別として、政黨というものに對して、そういう考えを持
つておられるのではなかろうか、今までの
説明からすれば、それ以外のことには
ちよつと解せないと、こういうふうに考えられますので、その點を
ちよつとお伺いいたします。