○吉川末次郎君 いろいろ
審議が進んで行くに
從つてお尋ねしたいことが起
つて來るかと思いますが、先ず二三の点について御答弁が願いたいと思います。
國務大臣の御答弁が願えれば大変結構でありますが、第一は、常任
委員長会議がありまして途中から加わりましたので、或いはお話があったかも知れませんが、ここに頂いておりまするところの資料といたしましては、
官吏関係法令の拔萃と
職階制度の
説明という資料だけを頂いておるのでありますが、まだ十分拜見いたしておりませんが、アメリカの
職階制度でありますか、それについてのことが概略書いてあるようでありますが、大体アメリカのこうした行政廳の人事
制度によって専らお作りになつたものであるかどうか、或いはこういう
公務員の
人事行政に関する他國の
制度等について尚同様に参考にする必要はないかどうか。又そういう資料があれば、十分にこれ以外に一つ頂きたいということをお尋ねすると同時に、御要求申す次第であります。
第二番目にお尋ねいたしたいことは、これは特に國務相の御答弁が願いたいと思うのでありますが、ずっとこの
法案を拜見いたしましたところ、アメリカの考えをいろいろ根抵においておられたのだらうと思うのでありますが、米國のパブリツク・アドミニストレーシヨンにおける
人事行政についての観念であります。いわゆる
政党の排撃、アメリカの言葉で申しますと、スポイル・システム、
官吏の中に
政党員が入って來て、そうして
公務員の
地位を
政党員が占めるということ、即ちスポイル・システム、日本では文官分捕り
制度などと翻訳いたしておりますが、これを極力排斥して、そうしてやはりアメリカの言葉でメリツト・システムというのでありますが、そういう
政党の排撃というような観念が非常に強くこの
法案に現われておると思うのであります。これは一應了解できるのでありますが、併しながらそれが行過ぎておるような、囚われた観念に陷
つていやしないかというようなことが非常に危惧されるのでありまして、斎藤國務相よく御承知でありますように、今日は日本の政治的な変革期であります。日本の民主革命といわれておるところの時機なのでありますから、そうした新
憲法を中心とするところの民主革命の
精神というものが、パブリツク・アドミニストレーシヨンの末端にまで十分に行き亙るようにしなければならないと思うのであります。その点は現在のアメリカなどと、今日政治の革命的な変革期にありまするところの日本におけるところの
人事行政の考え方というものとは、非常に変
つていなければならないのじゃないかと思うのであります。ここには
一般職と
特別職ということを掲げられておりますが、ここに掲げられておりまするものは、從來とも政務官として
取扱われて來たところのものが中心になっておると思うのでありますが、これによりますると、例えば斎藤國務相が閣僚の一人になっていらつしやいます現
内閣が行いました
人事行政、労働省の婦人及び少年局の局長に山川菊栄女史を起用したというようなことは、世間からも、今日片山
内閣の
人事行政として極めて評判がいいのであります。私も亦非常にいい
人事行政であると考えるのでありますが、そうした局長は除外されておるのでありまするから、山川菊栄女史の
任用の如きはできないこととなりまするが、併し私は現
内閣の政治的な
立場からいたしまして、又現在の日本の政治の客観的な情勢からいたしまして、ああした人が労働省の主脳部に
採用されるというようなことは私は非常に必要なことじゃないかと思うのであります。それは
政党というものに対するところの中立的な
立場にありまする、昔からの官僚というようなものがその職につきますよりも、私は今日の日本の政治的変革の
目的を
達成するという上において必要なことじゃないかと思う。同様なことが行政の各部面において私は
人事行政上考えられて行かなければならぬと思うのでありますが、この
法案は余りに日本と、実情の今日異なっておりまするところの、平常的な、ノーマルな状態にありますアメリカの政治事情等を模倣するということに余りに急であるような感がいたしますが、そうしたことに対する、私の考えに対する一つ斎藤國務相の御答弁を願いたいと思うのであります。
それからちょっとしたことでありますが、第五條に、「
人事官は、人格が高潔で、」云々という言葉がありますが、これはどうも日本の
法律の文言といたしましては、私の浅学を以ていたしますると極めて新しい言葉の御表現であるように考えるのでありますが、何かこういうような
法律上の前例が、ひとり日本のみならず、外國においてもあるのであるかどうか、総理大臣の
任命につきましても、或は
國会議員が選挙されること等につきましても、特にその人間が、人格が高潔で、というような言葉は、
法律的に表われておらんように思うのでありますが、成るほど
人事院の
人事官が人格が高潔でなければならぬことは当然でありますが、そうすると外の
公務員はいかにも人格が高潔であるということを
條件としないような感じがするのでありますが、特にこういう文言をお入れになつた御
精神は分りますが、もう少し
法律学的な建前から一つ御答弁が願いたいと思うのであります。
尚それに関聯いたしまして、新聞の報道いたしておりますところによりますというと、この
法律は議会を通過いたしましても、
実施されるのは大分後になるのでありますが、
昭和二十三年七月一日から二年以内にといっていることは御
説明の通りでありますが、それまでは人事
委員会というものによって、この
事務を御運行になるような
法案になっておると思います。ところが時事新報であったと思いますが、その一時的な
人事院に移るまでの人事
委員会の主脳幹部といたしまして、名を挙げて書いております。それが殆んど決定
事項であるかのように時事新報は報道いたしておりましたが、それは今日行政調査部に働いていらつしやるというように聞いております、部長か何かの職に在る前の貴族院議員であった、慶應義塾の
憲法の先生であったと聞いておりますが、浅井清氏が
任命されると書いてありました。もう一人書いてありましたが、その一人は昔から実業界におけるところの、
能率の研究をしていらつしやいます
能率屋さんの上野陽一氏がなられるようなことが報道せられておりましたが、或いはこれは新聞の誤報と固より思うのでありますが、そういうような御腹案があるのであるかどうか。又傳えられておるところの浅井清氏や
能率研究家の上野陽一氏等が、その
所要されておるところの第五條の人格高潔の士であるというふうにそのエキザンプルとして我々が考えていいのであるかどうかということについて、先ずお答を願いたい。