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松本(一)
委員 私はある會社の十三
萬人の
從業員、すなわち
勞働組合員の一人であります。私
ども勞働組合員の者といたしまして、
政府の
勞働行政の
施策に關しましては、重大な關心をもつものであります。
政府が
勞働者の地位の
向上、
生活の安定のために、種々
施策をお講じ願
つておりますことは、衷心から感謝いたすものでありますが、このたび
設置いたされます
勞働者についてでありますが、
勞働者をわれわれ
勞働者のために
設置いたしてくださる御誠意に對しましては感謝いたします。しかしながら、これまでの
日本の
行政のいき方を見まするに、
官聽が非常に殖えておる、
從つて官吏が殖える、
國民急擔は輕減でなく、ますます過重しておる。御
承知の
通り、
國民百人のうち十六人の役人がある。
昭和十二年の
事變前十一人であ
つた當時ですら、英、米におきましては七、八人であつた。それがわが國においては、今日では五人も殖えておる。しかもこれからこの勢をも
つていたしますならば、あるいは
國民百人のうち二十人にも、三十人にもなるのではないか。現在でも八十四人の
國民が働いて、十六人の役人を失禮ながら養
つておるという現状でありますが、ともかく役人だけいたずらに殖えて能率の
向上しないことを、私
ども遺憾に思うのであります。この勢をも
つてしまするならば、おそらくこれから先は役人かあるいは官吏が増すという
傾向が現われてきて、結局これまでの武士階級が
國民大衆を支配した弊害を、またぞろ實現するのではないか、かように心配するのであります。先般もこの議會におきまして、片山首相は封建制と官僚制を打破するのは、現
内閣の重大な使命であると言われまして、私
ども意を強うしたのであります。しかしながら今日行われておる
行政のいき方を見ますると、この首相の
方針とは正反對の結果を來しておるということを事質に見て、遺憾に思うものでありまして、なんとか
國民の負擔を輕減する
意味におきましても、能率を高めることに重點をおいて、役所を殖やすということは、なるべく考慮されなければならぬのではないか。たとえば
勞働基準局のもとにおかれます監督所な
ども、昨日
大臣は約五百箇所と言われましたが、三百二十六箇所の監督所が全國におかれるのであります。しかも各府縣には勞政があり、健康保險があり、衞生があるのであります。この上にまた監督所が
設置いたされますと、一
般國民は書類
一つの手續を履むにも、どちらの役所に行
つていいのやら、事務はいたずらに煩瑣を招く。殊に現在府縣にある役人を、少々は監督所に配置替をいたすといたしましても、結局役人は全體を見れば殖えるのではいなか。かように
考えますのと、また一面府縣の知事を公選いたしましても、その公選の趣旨を没却されて、むしろ
日本の民主化に逆行する
傾向を迫るのではないか、このことは前吉田
内閣からの懸案であ
つて、現
政府は踏襲されたものと思いまするが、もし前
内閣の
施策に悪いところがありますならば、現
政府は大英斷をも
つて、それをとりやめられるということができないのでありましようか。監督所のごときも、府縣に
適當な連絡員を
設置すれば事足りるのではないか。ことさらに新しく役所を府縣におこすと、府縣の間の摩擦な
ども想像いたされますので、こういうことはお
考え直し願う餘地がないのかということをまず承りたい、かように
考えるのであります。
第二は、先ほ
どもちよつと
質疑應答がありましたが、今日勤勞者が中心にな
つて、祖國の
再建復興をはからなければなりません。その勤勞者が非常に熱意に欠けておるということは、私
どもも事質當
つておる者として遺憾に思
つております。これは終戰以來思想がだんだん悪化してきて道義が頻發してきた。その原因は、衣食性の不足にある。しかしながら、いま
一つの原因は、各職域の指導者が腐敗堕落しておるということであります。身をも
つて實踐垂範すべき人が、
配給物資を横取りしたり、あるいは先ほ
どもお話の出た
勞務加配米な
ども、必ず末端までこれが正當に行きわた
つておるかどうかということについて、
政府はよく事實を認識されておるのかどうか。この點であります。運輸省あるいは通信省あたりは、官廰なるがゆえに、農林省から
加配米を他の職域よりも多分に貰
つておるという事實を私
ども知
つております。昨年は百六十萬石の
加配米が、本年は三百萬石に増加されて、この端境期も重點的にそういう
勞働方面に
加配米が行きわたるということは、たいへん結構でありまするが、この
加配米も均一化する。それといま一面は、末端までも正確に行きわたらすように、すなわち中間にある相當
責任ある
人々が、中間でこれを横取りはしないかということであります。このことはおそらく運輸省、あるいは通信省の實情をお調べ願
つても、おわかりだと思いますが、中央から
地方に派遣されてくる役人で、辯當を持
つてくる人はおそらく少いのであります。それに見なら
つてまた
地方の役人は、その末端に調査出張をいたしますと、同様に辯當を持
つていかなくて向うで食べる。その米はどこから出るか。すなわちこの
勞務加配米などが相當食われておる。
この事實を私は指摘して
政府當局の御反省を促したい。またこれからの御監督も願いたいと思いますが、事が公の問題になりますことは氣の毒でありますから、い
ずれかの
機會に事實を指摘せよと仰せられますならば、私指摘させていただきますが、こういうことがすべて勤勞者の方の耳にはいる。働く勤勞大衆も近頃は中等教育、專門教育を受けておる者がたくさんあります。
農業學校、專門學校を出て鋤、鍬をと
つておる者があります。
すなわち指導する官吏と指導される縣民との間に、學歴の上においても頭腦の上においても今日逕庭がないのである。しかるにかかわらず指導者は、自分が優越的地位にあるかのごとく
考えて、こういう大衆を昔の
氣持で指導せんとすることに、大きな誤りがあるのでありまして、こういう點をため直さなければ、多數の
國民勤勞大衆をして、眞に祖國
再建のために挺身さすことは、まずむづかしいと私は
考えるのであります。
その次は、先ほ
どもお話がありました失業問題と人員の
配置轉換のことであります。これは次の
勞働委員會において私はお尋ねしようと思いましたが、先ほど議題として出ましたから伺いますけれ
ども、おそらく祖國
再建復興のために企業の整備をしなければならぬということも、ある
程度はやむを得なかろうと思うのであります。しかしこれによ
つて、ことさらに
失業者を多く出すということだけは、現在の
日本の情勢におきましては、嚴に愼しまなければならぬのではないか。かように思うのであります。そうしてやむを得ず出るところの
失業者は、
職業補導所等の
制度を設けて、人員の配置替をするという話でありましたが、か
つて副業指導所とか、あるいは
職業補導所というものは、しばしば設けられたる事實はありますが、その成果はあまり期待することができなかつたのであります。しかも今日におきましては、全國八十餘の都市は惨澹たる爆撃の被害を受け、四百萬戸あまりの住宅、工場は灰燼に歸しておる。この受入態勢のないときに、
職業補導を姑息な手段でやつたとて、おそらく
失業者をして職に就かしめることはまず困難ではないか、かように
考えますときに、企業整備と人員の配置替ということについては、まず重大な考慮をこの際
拂つて、媾和
會議の成立、通商貿易が自由再開される頃、あるいはアメリカ等にお願いして、クレジツトを設定して海外から
復興資材を仰いで、そうして
日本の
再建をここにボツボツでき上らした後、あるいは人員の配置替もよろしいでしようけれ
ども、今日として、ことさらに
機構いじりをし、企業再整備などをや
つて、
失業者を殖やすということは、むしろ時期をま
つて行うべきものであ
つて、今日としては少し愚策ではないからと、かように私は
考えます。今日におきましては、つとめて現状を保持し、なるべく
失業者を出さないという方策を講ずること、強してそこに出る
失業者につきましては、國が劃期的な事業をこの際起す。たとえば官有林を伐採し、これを輸送し、そうして戰災地の住宅、工場などを
國家がどんどんと建設する。その資材をアメリカあたりから諭入によ
つてお願いをする。こういう方面に
失業者の勞務を集團的に振り向ける。たとえば
昭和七年農村不況のときには、農山漁村救濟土木事業を起しましたことは御
承知の
通りであります。あのときも橋梁道路等の修理は第二義的目的でありまして、第一は農民にわずかながらも賃銀
收入を得さしめる、そうして農民の
生活を救濟するということに重點がおかれたのであります。今日は企業整備によ
つて生ずるところの
失業者は、こういう角度から眺めて、
國家が
當時の農村救濟土木事業を起した気持で、劃期的な事業をひ
とつ計畫して、それに
失業者を吸收する。そうしてやむを得ずして生ずるところの
失業者に對しましては、
生活の安定を得さすだけの扶助をする。これは國において
責任をも
つて扶助をする、こういうふうに私は
考えているのであります。すなわち人員の配置替、失業問題、
職業補導ということにつきましては、先ほどの御
答辯は、私は
政府の所信が、
はつきりと私
どもの満足するように伺えなかつたことを遺憾に思いますので、この點お伺いをいたすのであります。先ほどお伺いしました三點につきまして、どうぞ確固たる御信念をお伺いいたします。失禮いたしました。