○西村榮一君 私は、本日提案せられました
昭和二十二
年度追加予算につきまして、日本社会党を代表いたしまして、
政府当局に質問いたします。
現内閣が
健全財政を堅持するために必死の
努力を拂
つておられるに対しまして、私は一應の敬意を表します。そもそも
健全財政なるものは、敗戰直後の混乱の状態から日本
再建の第一歩として國家
財政の
收支の
均衡をはかるべしという國家内外の要請に基きまして、前内閣の時代において採用させられましたる
財政方針であります。
昭和二十二
年度の
予算編成にあたりまして本
方針をとられたのでありまして、
政府のこの
方針に対しまして、当時の國会の多数はこれを支持いたしました。しかしながら、当時なお存在いたしました
政府並びに民間で保有しておりますところの戰時中のストツク資材を
政府の手に収めまして、この
予算の執行の物の裏づけをなすとともに、産業
再建に協力し、も
つて國民の
経済力を
充実して、その上に
健全財政を
確立すべしと、当時われわれは要求いたしたのであります。すなわち申し上げるまでもなく、
健全財政の基礎なるものは
國民経済の
健全化の上に
確立しなければ、眞の
健全財政というものは長続きしない、これが当時の主張であつたのであります。
しからば、健全
國民経済というものをいかにして
確立するかと申しますならば、まず第一に
流通秩序を
確立するとともに、
生産を振興いたしまして、これらの
生産の振興と
経済秩序の安定の上に
國民生活の安定を求め、その上に
健全財政を
確立するということが、眞実の
健全財政確立のゆえんであるということを、当時主張いたしたのであります。昨年の秋と本年とは一年の歳月を費しましたが、この間における
國民経済の疲弊並びにわが國の
生産界の疲弊の度合はきわめて深刻に推移いたしまして、一年前とは比較し得ざる日本
経済の苦悶のどん底に現在あるのであります。かくのごとき客観的な情勢は、一年前と今日においては根本的に相違はいたしておりまするけれども、われわれが主張いたしまする、國家
財政の
健全化はこの
國民経済の
健全化の基礎の上に立つべしというところの主張は、寸毫も
変化しないのであります。
同時に、
健全財政を堅持しなければならないということは、それは
現下わが國の至上命令でございまして、いかなる
政府といえども、この命令を忠実に実行しなければならないと思うのであります。ただここに一年前と違いますところは、ただいま申し上げましたような前者の時代においては、
生産を振興するところの、あるいは
國民経済を
健全化するところのものを動員する力が当時はあつたのであります。今は敗戰
経済の必然のコースといたしまして、
インフレーションは当時と比較し得ざるほど惡化いたしまして、物が三倍に騰貴して、非常な深刻なる場面に日本
経済は直面いたしておりまするが、この悲劇的な時代において、現内閣がいかにしてこの國家の至上命令たる
健全財政を堅持するかということは、きわめて政治的な大きなる試練であると私は考えるのでありますが、私は本日機会を得まして、日本社会党を代表いたしまして、その
予算の
編成の技術的な問題よりも、むしろ本日提案されたる
予算がいかにして実行していけるか、その実行的な面におきまして、すなわち
予算執行の問題につきまして多くの疑点を有しまするがゆえに、以下数点御質問申し上げたいと思うのであります。
まず第一に質問いたしたいのは、先ほど申しましたように、
健全財政の基礎は健全
國民経済の
基盤に求めなければならぬということであります。しからば、
國民の健全
経済というもの、
國民経済力というものは、一体現在のような状態におきまして、いかなる手段と
方法をも
つて求めていくか。これはきわめて深刻な問題でありまするが、前内閣時代において採用せられましたる
納税申告制に一例をとりましても、現在は
所得予定額のわずか二六%しか申告せられておりません。あるいは実質的な
所得税の納入は、わずかに一八%であります。営業税また三〇%しか実收いたしておりません。これらの諸統計を見まするならば、きわめて憂慮すべき現状でありまして、この
國民の
納税実績の低下ということは、明らかに
國民経済の疲弊困憊を示すものであります。この
國民経済を無視して、もしも形式的なる
健全財政を堅持しようといたしまするならば、それは
中央財政におきましては、日銀の借入金であるとか、あるいはその他の
金融的な操作におきまして、若干の時間は彌縫し得るかもしれません。けれども、
國民経済を無視し、
國民の能力を無視して、ただ
通貨の面と
金融操作のみにおいて
健全化されたる架空なる
健全財政は、どこから破綻を來すかといいまするならば、まず第一に
地方財政から破綻を招來してくるのであります。
今日の
地方財政は、大体において七百五十億円の
歳出に対しまして、現在概算百五十億円の
赤字を出しております。おそらくこれは、本
会計年度末におきましては倍額ないし一五〇%の
赤字を見るところの必然的な運命を
地方財政は背負
つているのであります。
地方財政において
收支に
均衡のとれておるものは栃木縣だけでありますが、この栃木縣の
收支の
均衡のとれた
理由を
檢討してみますならば、耕作税まで
課税して、辛うじて栃木縣は
收支のバランスをと
つておるのであります。他の府縣並びに都市全体は、すべてが
赤字であるということを考えまするならば、私は、
現下必死にな
つて貫徹しなければわが國
地方自治体の
確立と國家の民主化のために、この
地方財政の疲弊というものはきわめて憂慮すべき惡影響を與えるのではないかということをおそれるのであります。
通貨面よりする
健全財政の
危機は、以上の
通りその第一線たる
地方財政より破綻を來しておりまするが、一面飜
つて物の面より見ると、はたして
從來唱えられた
健全財政が將來維持できるのであるかどうかという点に多大の疑問を禁ぜざるを得ないのであります。問題は、通常
予算において
編成せられました
終戰処理費その他の
予算の執行にあたりましても、わずか予定額の五〇%以下しかその実行が遂行せられていないという現実は、
通貨の面において、
金融の面において
予算が組まれているけれども、それを実行する物の裏づけという基本的な問題が
昭和二十二
年度の通常
予算に
考慮されておらないというところの結果が、今日の
予算実行において、その五〇%以下しか実行できないという現実を暴露いたしておるのであります。
ここに一体
財政支出なるものが
國民の
負担のどの限度が適当であるかということを考えてみまするならば、大体において
國民所得全体の中から六割が
消費に充当せられ、二割が再
生産費に充当せられて、あとの二割が國家
財政の
支出に充てられるということが、大体の常識的なバランスであります。その意味から言いますならば、大藏省が現在推定いたしておられまする本
年度の
國民所得九千億ないし九千五百億円の中からは、先ほど
大藏大臣も御説明になりましたように、本
年度の
歳出は二三%であります。その点においては、大体
均衡がとれた
予算であるとは一應見受けられるのでありますが、ここに重大なる疑問が生じてまいりますものは、この九千億ないし九千五百億円という
國民所得が、はたして現在実在するかどうか、この問題であります。
申すまでもなく現在の
生産は、基礎資材において三十何パーセント、
消費資材を加えましてもわずかに四六%、年末において五五%にこれを上昇せしめようと
政府は
努力しおられるのでありますが、大体は五〇%前後と推定しなければなりません。しかりといたしますならば、
生産並びに
勤労から生ずるところの
所得というものは、大体において九千億ないし九千五百億円の
所得の半額であると推定しなければならないのであります。あとはやみの
所得であります。私はこの際において重大なる点として再
檢討を加えなければならないことは、この半額以上を占むるところのやみの
所得がはたしてとらえ得るかどうかという点であります。もしも、やみの
所得をとらえるだけの政治力がございますならば、当然やみは撲滅せられているはずであります。やみを撲滅するだけの政治力のない状態におきましては、やみの
所得を捕捉するということは、これは不可能であります。しかりといたしまするならば、九千億ないし九千五百億のこの
國民所得の推定というものは、かなり疑問とな
つてくると私は思うのであります。
このことは、私は現在の内閣に主張するのではないのでありまして、すでに
昭和二十二
年度の
一般予算を
編成せられまするときにこのことを警告したしまして、
昭和二十二
年度の通常
予算は実行不可能なりと断定してきたのであります。残念ながら当時の私のその杞憂は今的中いたしまして、同じことをこの内閣に申し上げざるを得ないことは、まことに遺憾であるのであります。率直に申しますならば、前内閣に暗にやみを放任したと申しますか、あるいはやみの撲滅に対して手を焼いた結果さじを投げたと申しますか、とにかくやみは現内閣に比してきわめて寛大でありました。現内閣はこれに対しまして、やみを撲滅し、
流通秩序を
確立しようとする必死の
努力を拂
つておられることは、万人認めるところでありますけれども、やみ取引が
市場になおかつ横行しているという現実は、前内閣と現内閣においては寸毫も
変化はないのであります。しかりといたしますならば、このやみ
所得から生ずる
所得税というものを捕捉するということは、きわめて困難であるのであります。
かくのごとき計算からいたしますならば、眞の
國民の
生産、
勤労から生ずる
所得というものを四千億ないし四千五百億円といたしまするならば、それは正規ルートに來る
所得でありますから、完全に捕捉し得るのであります。その捕捉し得る
國民所得からいきまするならば、大体において
國民所得の二割と推定いたしまするこの
財政支出の担税能力は、九百億ないし一千億と推定せられるのであります。しかるに、通常
予算並びに
追加予算を入れまして大体四六%の
財政支出が
所得に比して盛られたということは、一体これが
消化できるかどうか。この点において私はきわめて疑問と思うのであります。
しかしながら、古来
財政の歴史並びに國家興亡の歴史を考えてみますならば、必ずしも
消費が六割、再
生産費が二割、
財政支出が二割ということは、これは一定いたしておりません。ただ、
國民の能力の限度を超えた
財政支出を国民に要請する客観的な情勢というものは、きわめて異常なる
國民の心理状態においてのみこれが求められるのであります。一例を考えて見まするならば、アメリカにおきましては、一九四四年においては、
國民所得の、驚くなかれ五四%の
負担をアメリカ
國民はいたしておられるのであります。超えて一九四五年においては六二%、それに対しまして本
年度は、わずかに二〇%であります。イギリスにおいても同じような傾向が見受けられるのでありまして、一九四四年におけるイギリスの
財政支出は、驚くなかれ七二%を
支出いたしております。本
年度は半減いたしておるのでありますが、かくのごとき
國民の能力の限度を超えた両
國民の
財政支出は、戰争という國家興亡の浮沈に立つた米英両
國民の愛國心の情熱がこの過大なる
負担に耐え得たということを考えて、わが國の
現下の
財政方針を対照してみますならば、ここに日本
國民は自分の能力の限度を超えた過大なる
財政支出を心から承認し、その
消化に向
つて全力をあげて協力するの
理由というものが、その
財政支出が國家の將來にあるいは
國民の
経済に最もよき影響を及ぼすところの再
生産費にそれが充当せられていくか、あるいはその他における異常なる状態がここに起きて、その能力限度を超えた
負担に應じなければならぬという精神的な要素が加わる以外には、この
財政負担というものはきわめて困難にな
つてくるのであります。
しかも、本
予算を拝見いたしますと、
貿易資金並びに復興金庫等の
生産的
政府出資金までも税で賄おうとしておられるのでありますが、かくのごときは、
國民経済の現実を無視するとともに、理論的にも
現下の國情に適合せざる形式的な
健全財政と申さねばならぬのでありまして、これらの
貿易資金、復興
資金並びにその他の厖大なる特別
支出は、その
年度の
國民所得において賄うにはあまりにも厖大でありまして、
負担過大でありますがゆえに、これらの
財政支出は、やせ馬に一時に重い荷を背負わせるというような
方法を避ける必要があると思うのでありまして、それとともに新たに日本
経済再建の
生産資金を
調達いたしまして、
生産の振興をはかり、
國民所得の安定を企画し、も
つて國民の担税能力を培養いたしまして、その上に立
つて健全財政というものを私は
確立すべきであるということを繰返し主張しなければならないのでありますが、
政府は
國民経済の
健全化と國家
経済の
健全化とのバランスを一体どこに求められるか、同時に、この
生産資金まで本
年度の税金で賄わなければならなかつたというところの
理由は一体那辺にあるか、同時に、
國民の能力の限度を超えたこの過大な
負担がはたして將來
消化できるかどうか、率直に言いますならば、來年の二、三月ごろ以後税金がそのままはい
つてくるかどうかということの御
方針を一應承りたいと思うのであります。すなわち、
健全財政か健全
國民経済かという問題につきまして、
政府はいかなるお考えをも
つておられるか、一應承りたいと思うのであります。
第二点においては、物動
計画の問題であります。このことは、
昭和二十二
年度の
予算の
編成に対しまして、前内閣に対しましてもそれを警告いたしてきたのでありますが、その当時の在野党の警告を無視した結果が、
予算の実行がただいまにおいては困難にな
つてきておるのであります。そこに加えまして、先ほど
大藏大臣から御説明もございましたが、九月十五日に司令部より、
公定價格をも
つて工事をなすべしと日本
政府は命令を受けておるのであります。このことは激化し行かんとする
インフレーション防止のためには、きわめて賢明にして有益なる命令であるのでありまして、日本
國民朝野をあげてこの命令を遵奉しなければならないと思うのであります。
しかし、私がここに疑問と存ずるのは、
昭和二十二
年度の
予算の実行にあたりましても、物の
不足の面からその実行の困難が今日暴露しておる。同時に、九月十五日の、
公定價格をも
つて絶対に工事並びに
政府の
方針を貫徹すべしという司令部の命令を忠実に実行しなければならないということは論ずるまでもないのであります。しからば、これを忠実に文字
通り実践した結果が、予定の工事が進捗するかどうか。予定
通りの
方針が貫徹できるかどうか。そこで、それができなかつた場合には一体
政府はどうする氣か。同時に、
通貨並びに
金融の面において
予算は
編成せられておるが、本
予算の中に物動
計画という物が織りこまれておるかどうか。物とのにらみ合せをして本
予算が組まれておるのであるかどうか。もしも物とのにらみ合せ、すなわち日本の國内には、本
予算を
消化するだけの鉄、セメント、材木その他、これだけしか
生産ができない、これだけ
不足するから、これだけは外國から輸入しなければならないとか、あるいは國内においては十分にこれが
消化し畫し得る、同時にこの物の
生産は
政府において
公定價格をも
つて実行し得るというこの物動
計画の具体的なものが、この
予算とともににらみ合わされておるか否か。
私の問わんとするところは、
予算実行上について物動
計画を
考慮したかどうか。さらに日本においてどれだけの物が
生産されて、それで全部賄い得るのかどうか。この
予算の
公定價格で実行する場合においては、外國から物を輸入してこなければならないのであるかどうかというこの点、しかして外國から物を輸入してくるとすれば、その可能性があるかどうかという点、もしも輸入することも不可能、同時に
生産も不可能であるという場合においては、
予算の執行が不可能であるのでありまして、そのときには本
予算の実行を延期するところの意思があるかどうか。延期せられるならば
予算面が余
つてくるのでありますが、その諸般の点を明確に御答弁を煩わしたいと思うのであります。
第三点においては、非戰災
家屋税であります。本税は戰災と非
戰災者との
負担の
均衡をはかるという趣旨で提案せられたということは、私は十分理解いたします。しかしながら、ここに重大な疑問にぶつかるのは、
家屋以外の物の所有者に対しましては一体いかなる処置をとられるのかということであります。先ほど
大藏大臣も御説明になりましたが、物は戰前の六十三倍ないし五倍、あるいは二百倍に暴騰いたしておりますが、
家屋はせいぜい五倍にないし十倍であります。しかして、最も値上りしておる品物に対して、非戰災
家屋とともに、一体いかにしてその値上りとインフレ利得に対して
課税するかという問題を、ある
程度までここに明確にしていただきたい。とともに、この非戰災
家屋税は何と申しましても第二財産税的な正確をもつものであります。
この第二財産税というものをとる場合におきまして、まず第一に私は
考慮しなければならないことは、昨
年度徴收せられた財産税が果たして
成功したか否やということに再
檢討を加うる必要があるのであります。結論から申しまするならば、明らかに第一次の財産税は失敗であります。なぜ失敗したか。
理由は二点あります。一つは、財産税の主要目的が明らかでなかつたということ、財産税をとるのに微妙なる人間の心理を無視したという点でありまするが、財産税が創設された当時の
理由の説明といたしましては、貧富の懸隔を縮小し、も
つてわが國
経済の民主化をはかるとともに、その
財源をも
つて國家の
経済の
再建に充てるということが、当時の
財政税徴收の二大目的であつたのであります。しかるに、その趣旨に反しまして、財産税は
一般会計の
赤字に充当せられました。これが、血のにじむような財産税を國家に供出した
納税者の心理というもの、犠牲というものを時の
政府が生かさなかつたという、
國民心理に及ぼすところの大なる失敗をいたしておるのであります。第二点におきましては、徴税の技術がこれに伴わなかつた結果が、
家屋をも
つており、その他のつぴきならない人々は徴税の対象になりましたけれども、敗戰成金と申しまするか、戰後続出したこれらのやみ
所得の成金に対しまして何ら手を染めることができずして、彼らはいち早く金を品物にかえた結果が、ますます品物が暴騰いたしまして、貧富の懸隔を縮小するという目的が画餅に帰したというところの結論を、われわれは苦く経験いたしておるのであります。
從つて、今回の第二財産税的性格をもちまするこの非戰災
家屋税も、第一次財産税を徴收したような懲罰税的な性格を避けまして、何とかこの国民の犠牲を生かす…(「
大藏大臣はいないよ」と呼ぶ者あり)
政府を代表して商工大臣水谷君もおりますし、その他
政府委員もおります。(「商工大臣に質問しておるのか」と呼び、その他発言する者あり)
政府に私は聽いております。
〔発言する者あり〕