○明禮輝三郎君 私は 自由党を代表いたしまして、
民法の一部を
改正する
法律案の
修正につきまして
趣旨弁明をいたします。
民法の一部を
改正する
法律案の一部を次のように
修正する。
第
一條中「総
テ公共ノ
福祉ノ
爲メニ存ス」を「
公共ノ
福祉二反セサル
限度二於テ存ス」と改める。
原案によりますれば、「
私権ハ総
テ公共ノ
福祉ノ
爲メニ存ス」とありまするけれども、これは一に
社会主義的ないし共産主義的思想に基いたるものでありまして、私法上の
権利は
國民の
個人的利益のために存するものでありまして、決して
公共の利益のためには存し得ないのが
原則であります。
憲法第十三條において、すべて
國民は
個人として尊重される、生命、自由及び幸福追求に対する
國民の
権利については、
公共の
福祉に反せざる限り最大の尊重を必要とする、とあります。これによ
つてこれを見ますれば、
公共の
福祉に反せざる
限度において存するということは、きわめて明瞭なりと言わなければなりません。
從つて、
憲法第十
二條並びに第二十九條に「
公共の
福祉」とあるは、皆
公共の
福祉に反せざる
限度において認められたる
権利であります。しかして、
社会、民主、
國協の共同提案、すなわち「私權ハ總
テ公共ノ
福祉二遵フ」ということは、「
公共ノ
福祉ノ
爲メニ存ス」と異文
同意でありまして、「
公共ノ
福祉ノ爲メニ遵フ」ということであるから、まつたく
修正の意をなさず、
同一の結果となるものであります。殊に、第二項において信義誠実の
原則を掲げながら、
権利の濫用を第三項に附加するということは、蛇足であると考えます。ここにおいて自由党は、
憲法の大意を表明するため、「
公共ノ
福祉二反セサル
限度二於テ存ス」と
修正いたす次第であります。
第二、第七百二十七條の次に次のように加える。
第七百二十七條の二 継父母と継子との間においては、
親子間におけると
同一の
親族関係を生じ、その
親族関係は、
離婚によ
つて終了する。
原案によりますれば、養子と養親及びその血族との間においては、血族間におけると
同一の
親族関係を生ずと
規定しながら、継父母と継子との
関係を削除したのでありますが、その理由はいかがでありましようか。家の存立を否定するがゆえに継父母
関係を削除するというけれども、その意味なれば、養子と養親
関係も同樣に言えるのであります。実際上においては、継父母と継子との
関係において一層切なるものがあり、この
規定存立せずとせば、まことに家庭的円満を欠くこと著しいものがあると信じ、この
規定の復活を
要望する次第であります。
第三、第七百三十九條を次のように改める。
第七百三十九條
婚姻は、
慣習に從つた当事者の合意によ
つて成立する。但し、戸籍法の定めるところにより、
届出をすれば合意の時に遡
つて効力を生ずる。
前項の
届出は、当事事者双方及び成年の証人二人以上から口頭又は署名した書面でこれをしなければならない。
婚姻が成立して同居したる者から
届出がないときは、当事者の一方は、
家事審判所の
確認書を以て、
前項の書面に代えることができる。
この
規定は事実婚に対する救済
規定であります。
原案によりますれば、
婚姻は戸籍法の定めるところによりまして
届出をすることによ
つてその効力を生ずるとして、
婚姻の成立もまたその時であるとしたのでありますけれども、
憲法の第二十四條によりますれば、
婚姻は
両性の合意のみに基いて成立するとあります。この点において、
原案を採用すべきでないことは明らかである。
從つて、成立したる
婚姻関係につき入籍
手続を一方の当事者がやらないために、相手方の人権尊重の
精神を破壊、ひいては
離婚の誘因を醸すがごとき状態に放置せられる結果となるをも
つて、その相手方を救うために本
修正をなす次第であります。
第四、第八百九十七條第二項中
「
慣習が明かでないときは、
前項の
権利を承継すべき者は、
家事審判所がこれを定める。」とあるのを、「
慣習が明かでないとき又は被
相続人の指定がないときは、被
相続人の生存配偶者の指定を受けた者が、
前項の
権利を承継する。」と改める。
同條第三項として次のように加える。
前二項の
規定によ
つて承継者たる者がないときは、
家事審判所は直系血族及び同居の
親族中からこれを定める。
第五、第九百三條を第九百五條に、第九百四條を第九百六條にそれぞれ繰下げる
第六、新たに第九百三條として次のように加える。
相続開始したる後、被
相続人の生存配偶者において
相続人の一人を自己の
扶養者と指定したる生存配偶者が、その
相続分をその
扶養者に分與する場合においては、遺留分の
規定を適用しない。
第七、第千二十九條中「その中から」次に、「第九百三條の
規定による
資産及び」を加える。
この
民法におきまして最も私どもが欠陷であると思いまするものは、第八百九十七條の系譜、祭具及び墳墓の所有権はたれに帰属するか、あるいはだれがあとを守
つていくかということが
一つであります。それから、その次に私どもが拾いあげましたものは、一方の親が死にましたときに
相続は開始いたしまするが、その
財産は均分である。
從つて子供が皆でわけても、これを
相続するということに相なりまする
関係上、その残つた親を責任をも
つて見てやるものがないという二つの点でございます。
これは御承知のごとく日本古来の道義でありまして、私ども営々として毎日働きまするものは、その働きましたは所産を楽しむのではないのであ
つて、結局はその家と申しますか、その家柄と申しますか、自分らの血筋、血統、こういう家柄を永久に幸あれかしと思うて働くのではないでありましようか。その
法律上の家は別といたしましても、ともかくもその何々家というものを永久に保存したいのが人間の本能である。そうしてみれば宗教的
方面から、あるいは道徳的
方面から、どちらから考えましても、家というものが
法律上はなくな
つても、その家柄というものを立てていきたいのが本能であると思います。
原案によりますならば、第八百九十七條の
規定によ
つて被
相続人がこれを指定するということにな
つている。ところが、指定ということも普通
遺言でやるような場合が多いのであります。しかし、
遺言のある家庭というものはまことに少いのであります。そういたしまするならば、この指定というものがない場合には
慣習によるというのでありますが、
家督相続というものが削除されることになりまする結果、必ずやその
慣習というものも、またこれはないという程度に考えられるのであります。
今までは、家督を
相続したる者が家を見る、残つた母を見るというのが、これが
原則でありました。ところが、今日のこの
改正原案によりますると、ここまでまい
つてくるときに私どもが思うことは、少くとも家に残りました両親のうちの一人、被
相続人のうちの残つた一人の者が、生存配偶者としまして一定の指図をすることができるというのが、最も穏当であり、しかもこれが日本古来の道徳であり、また宗教的に考えましても、これにしかないと私は考えておる次第であります。こういう意味におきまして、私どもが第八百九十七條の第二項を
改正したいと思う次第であります。
これを申し上げてみますると、第八百九十七條の第二項中、
慣習が明らかでないとき、または被
相続人の指定がないときは、被
相続人の生存配偶者の指定を受けた者が、その系譜、祭具または
祖先の
祭祀を承け継ぐものであると改めたいのであります。そういたしますことによ
つて、家代々において行われておりましたお祭りができる。もし生存配偶者の指定がないときにおいて、初めて
家事審判所が直系血族あるいは同居の
親族中からこれを定めるというのが当然であろうと考えます。裁判所みずからやるということは、しかたのないときにやる。これが、すべての問題を解決するについて妥当性を含んでおるものであります。
裁判所もとより人間でありますから、裁判所の審判に誤りがないとはいえません。裁判事所における
手続が非常にめんどうであるということもまた考えなければなりません。いかに家事審判法ができましても、この点においては、私どもは
家事審判所より先に生存配偶者に指定権を與えることが相当であると考えるのであります。はたしてしかりとするならば、この生存配偶者に指定権を與えるということにいたしまして、その家の円満を維持することができるということを、私どもは最も妥当に考える次第であります。この意味におきまして、生存配偶者をみる者を考えてみたいのであります。
今まで
政府の
原案によりまして、生存配偶者は
相続によ
つて三分の一ないし三分の二というものを與えられるのでありますから、必要がないではないかという御議論がございますけれども、今のところは、日本においては養老院
制度は発達しておりません。またこれをやろうといたしましても、今日の
経済状態においては、これは許されないと考えるのであります。この生存配偶者を満足させる程度において養老院を建設することはできません。
そこで私どもは、ここに生存者をあげまして、生存配偶者が、
相続したところの子供のうちから、自分が最も妥当とする、たとえば医者であろうが、あるいは弁護士のような
職業であろうが、あるいはいろいろな技術屋もありましよう、そのいろいろなものがありまする子供のうちから、生存配偶者が最も家のあとを継がせるのに適した者を選びまして、そして自分をみてくれる人間、お祭りをしてくれる、法事をしてくれるというその人と同じように、同時にそこに自分の
扶養者を定めて、この生存配偶者がきめましたその人に、みずから
相続によ
つて受けましたところの
財産を與えて十分に自分の老後をみてもろうということにいたしますことが、最も孝養の
精神を一貫するのでありまして、かような
制度がなくては、私ども今日の生存配偶者は生きていかれないと思う状態にあります。
たとえば、三分の一の
相続財産といたしましても、家庭によ
つてはいろいろありましようが、たといここに一万円ありましようとも、二万円ありましようとも、今日の生活状況をごらんになると、どうしても配給をとりにいかなければならぬ。また相当なる生活物資を手に入れるためにどうしても奔走しなければならぬという実情であります。そういう意味においては、どうしてもかような手もとにおいて何くれとなくめんどうをみてくれる者がないといたしますならば、老後においてまことに危い考えをもつものであります。
この
規定は、自分でもらつたものを、そのめんどうをみてくれる人に
扶養料としてやるのでありますから、何も
均分相続の弊害はここに起らぬ次第であります。この点において司法当局におかれましても、ほとんど疑問といいますか、問題をあます余地はないと考えている筋合いでございます。
その次に第八、九百七條の第一項に左の但書を加え、第二項以下を左のごとく改める。
但し、
相続人で被
相続人の家業を承継するものは、その承継する家業の
範囲において、家業
資産に関する他の
相続人の
相続分を買取り、遺産の分割を拒否することができる。遺産の分割又は他の
相続人の
相続分買い取りにつき、價格並びに代金の支拂等に関して
協議が調わないときは、
相続人の請求により
家事審判所が適当に之を定める。
この
規定は、共同
相続人中家業を承継する者があるときは、その者が他の
相続人の
相続分を買取
つて、家業を永久に残さしめ、事実上の家の將來を期待したものであります。
要するに、現行
憲法第十三條及び第十四條におきまして、すべて
國民は
個人として尊重され、法のもとに平等であ
つて、性別その他により
経済的または
社会的
関係において差別されないことを明らかにし、その第二十四條におきまして、
婚姻は
両性の合意のみに基いて成立し、
夫婦は同等の
権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならないこと及び配偶者の選択、
財産権、
相続権、住居の選定、
離婚並びに
婚姻及び
家族に関するその他の事項に関しては、
法律は
個人の尊厳と
両性の本質的平等に立脚して制定されなければならないことを宣言しております。しかして、このたびの
改正はこれに準拠してなされたものでありまして、この基本
原則に抵触する幾多の問題を
改正すべきであることもちろんであります。けれどもその
改正が、日本
國民のよき、
慣習や、よき風俗に、はたまた日本民族の道義
精神に著しく背反するものがありとせば、はたして、妥当なりというべきであるか。私どもはこの点につき最も留意いたしまして、いたずらにいき過ぎに堕することなく、家庭
爭議の原因を多くすることを避け、またいたずらに封建的にして人格を無視するがごときことなく、その中庸を得て、でき得る限り惡平等を排し、しかも
國民が納得し得られる
改正法の実現を切望してやみません次第であります。わが党の、
民法改正にあたり、
修正案を提出したるゆえんも、また実にここに存する次第であります。十分御研究御
審議を願いたいと思います。(拍手)