○米田吉盛君 ただいまから文教問題について質問をいたしたいと思
つています。詳細な点は
委員会に讓りまして、特に重大と思われる問題について、総理大臣、文部大臣、その他
関係の大臣に質問をしたいと思うのであります。
わが國は、今や文化
國家としてすでにその出発を始めたのであります。このことは、言うはやすく、これを実行し、これに成功いたしますことは、まことに容易ならぬ大
事業なのであります。それゆえに、前も
つてよほどの覚悟と用意とが要るのであります。このために、画期的学制の大
改革が断行せられまして、その出発にあたり、第九十
議会におきましては、文教
再建に関する決
議案が上程せられまして、教育の尊重と教育の独立、政治における教育の優先が議決せられたのでありました。
かくして
議会の覚悟と決意のほどが高らかに示されたのであります。
従來文教は、かかる決議を必要とするほど軽んぜられていたのであります。この決議は、口に文教の尊重を叫びながら、現実には文教を軽視して科学に敗れた
日本人が、悲惨なる敗戰の中から肺腑をついて出たうめきであり、文化
國家としての門出にあた
つて嚴粛な反省であろうと存ずるのであります。(
拍手)さればこそ、現
内閣の組閣にあたりましても、四党政策協定中に文教の刷新が取上げられているのであります。
しかるに、組閣以來半年、文教問題について幾多の努力が拂われたのでありましたけれども、未だ見るべき解決に達しておらないのであります。ために、教育界はか
つて見たことのない大混乱に陷
つておるのであります。六・三制にいたしましても、初年度百億近く大体要るであろうといわれておつた
予算が、わずか八億で、しかも何らの準備なくして、いわば非教育的態度で強行せられましたために、この無理が今日全
國民の上に悩みとな
つて現われておるのであります。父兄は寄附の割当に、町村は財政の不安に、生徒は校舎や教科書に悩み抜いておるのであります。
しかしながら、この無理も、眞理と眞実とを尊重し、平和と人道とに徹せる
國家の成員たるべき、世界市民的
日本人育成ということにあるのでありまして、その画期的大英断であると認めますときに、この無理を是認し、これに深い意義のあることを肯定するものであります。
政府としては、当初から無理であるということを承知の上で実施をしたのでありまするから、この無理に基く混乱と苦悩をいち早く收拾し、進んでは学制
改革断行の
趣旨を貫徹して、学制
改革に魂を入れなければならぬ重大なる
責任があると存ずるのであります。(
拍手)
國会といたしましても、学制
改革が
議会の同意を得てなされました
関係上、さらに國権の最高機関たる地位から申しましても、
國会にもまた重大なる
責任を認むるものであります。
今回文部大臣は、最初四十九億円とお考えにな
つておつたところを、十四億円前後をもちまして、ようやく
関係筋との了解も得たとか、そうして
追加予算の通る見込みがついたとか、あるいはまた本日あたり聞きますと、それがぐらついたとか、こういうことを聞くのでありまするが、御奮闘のほどは多といたしますけれども、一体これがどういうふうにな
つておるのであるかということをお尋ねするのであります。
六・三制の実施という大
事業を、大体八億や十四億くらいで始めるということであ
つては、そもそも私は教育の認識いかんと尋ねたいのであります。(
拍手)こんなことで、
國民はまじめに文化
國家になれるであろうとは受けとれないのであります。何となれば、新制中学校の生徒の数は、第一学年生だけでも百四十四万人であります。これが完成いたしますれば、その三倍の五百二十二万人に達する厖大な人数であります。高等小学校の校舎もありましようけれども、これだけの人数の校舎や設備や校地や、また教員俸給の負担を思いますときに、さらにこれに
関連いたしまして、新制高等学校であるとか大学の整理、殊に二百有余の官立專門学校の大半が大学昇格を考えますときに、学制
改革は少く見積
つても数百億を要する大
事業なのであります。このほかに私立学校の復興であるとか、新制度に伴うところの生徒を加えますれば、莫大なる資材と費用が要ることは明らかであります。
しかも一面においては、インフレ下におきまして健全財政を余儀なくされておるところであります。この健全財政のところへ、あとからあとからとおびただしい文教費が出ますれば、これが原因となりまして、インフレはだんだん昂進するということが実情なのであります。ゆえに、かような莫大な
予算を伴う大
事業は、実施に先立
つて、國政の総合的見地からも、資材・資金各方面にわた
つて、確たる年次計画を立て断行すべきであると私は思うのであります。そうではなく、今年は八億で、
追加予算は十四億だ、その時の風まかせで滑り出るというようなことは、あまりに無謀であ
つて、非科学的であると私は考えるのであります。(
拍手)
この無謀が、
政府部内におきましては、資材
予算の裏づけがないことにある。その波紋は、ひいて全
國民の悩みに拡大していくのであります。六・三制を実施するということになりますれば、魂を入れてやれる方法で実施すべきであると私は思います。明年度の
予算も、この程度であるとかりにいたしますれば、眞の教育は開店休業でありまして、現場の当事者は進退に窮する。このことを、この際改めて
警告しておくものであります。
でありますから、今からでも遅くはない。
関係官廳へ折衝せられまして、確実なる年次計画を立て、合理的にこれを進められたいのであります。万一、明年度も適当な
予算が得られないというときには、誠に残念ではあるけれども、一時臨時
措置でも講じまして、中止をせなければならないのではないかと私は思います。(「ヒヤヒヤ」「その
通り」)もとより、かかることが國の内外に及ぼす影響を考えましたときに、にわかに
賛成するものではないのでありまするが、地方の実情はそこまでもう來つつあるということを、これまた
警告するものであります。総理大臣は常に文化
國家を口になさる。私は、この点に関して特に総理大臣の御所見も承りたいのであります。(
拍手)
文部大臣は、またしばしば生徒や教員に対して、敗戰
日本の現状に徹し、乏しきを忍び、難きを行い教育せよという意味のことを仰せにな
つておる。教育の現状では、学用品もない、校舎もない、教科書もなかなか來ない。しかも、教育費の
予算がこういう状態で、どこに彼らは光明を求めるでありましよう。戰争の末期に、東條総理大臣は、
國民に竹槍戰術を説かれました。文部大臣のこの乏しきを忍ぶ教育論も、時代は変りまするが、私は竹槍戰術であると断ずるのであります。(
拍手)萬人を納得せしめ、これを率いるゆえんではありませんか。当局は自己の無力を生徒や教員に轉嫁するものであると思われても、いたし方がないのでありまして、文化
國家の出発にあたり、一大損失であると私は考えるのであります。
今日わが國は、過剩人口のために、特にこれが消費人口として困
つておるのであります。しかし人間は、口で消費するだけのものを、手で
生産いたしますれば、生活は安定するのであります。さらに消費する以上のものを
生産すれば、生活は
向上するのでありますから、わが國の人口は、消費の主体としてのみ考えず、
生産の主体としてこれを活用せなければならぬことは明瞭であります。(
拍手)單一民族として世界第三位にあるわが人口こそ、戰後に残されたる唯一最大の希望であります。
食糧難に今日直面しております。食糧の増産が叫ばれるのは当然であります。それだからというて、多数
國民が
農民に轉じ、山の頂きまで開墾し
耕作するということは、
農業技術としては可能でありましよう。しかし、かかる惡条件下の
生産は、コストがかさんで、
農民自身にと
つても、
國家にと
つても不経済きわまる話であ
つて、笑うべき国力の濫費であります。ゆえに
日本の基本國策は、適正人口を
農村に留め余剩人口はあげて工業に就かしめ、
日本人のもつ器用さを活かすべきであります。このことは、
日本と同樣な小さい島国で、人口の多いイギリスの例に徴するも、また明らかであります。
かくいたすにつきましても、
日本人一人当りの
生産力は、ドイツ人一人に対して六分の一だそうであります。アメリカ人の十分の一だということであります。それほど劣
つている
生産力であります。この
國民に、
生産の主体として十分なる能力を與え、科学と技術を授けなければならなぬのでありまするが、その方途も一に教育によるのであります。また
國民の教養いかんによ
つては、無
責任と分裂
解体と弊を包藏するといわるる民主主義をして眞に成功せしむるのもまた教育にあるのであります。しかもこのことたる、心だにあらば。われらが自力によ
つて実現し得る問題であります。
ややもいたしますれば、食糧問題、インフレ問題等、衣食住の問題は、常に先に考えられ、文教の問題は目に見えないものであるから、あとに忘れられがちでもあります。そうして、一見迂遠な第二義的問題のように考えがちでありますけれども、文教問題こそ
生産政策なのであります。この過去の態度が、今日無用にわれわれを苦しめておる。それは過去のかかる原因が一半の原因であると考えるのであります。
マツクス・ウエーバーの言を借りるまでもなく、勤労者の賃金値上げは、文化の高い
國民ほど
責任感が増してきて、能率が上るということであります。文化の低い
國民は、賃金が上がりますると安心して、三十日働くところは二十日しか働かない。次第に能率が低下するということであります。(
拍手)しからば、石炭を出すのも、米麦を作るのも、教育を等閑して求めることが誤りであるということが明らかになるのであります。(
拍手)
しかもこの教育は、今必要になつたからとい
つて、思いついてこれをやりましても、間に合わぬのであります。不断に努力の継続をいたしますることが必要なことは、いまさら多くを語る必要がないのであります。だからと申しまして、私は一國の財政を無視してまで文教一点ばりの主張をするのではありません。しかし、ないから出さない、健全財政だからやらない、こういうことは、イージー・ゴーイングであります。賢明な政治ではありません。
余裕ができてからや
つて良いものと、何が何でも最小限度今やらなければならぬものとを混淆することは、この際許されないのであります。
日本はすでに新理想に向か
つて出発したのであります。このときの爲政者は、小乘的でなく、財政をくふうし、も
つて少くとも最小限度の費用を捻出をなし遂げ得る熱と手腕が
期待せられると私は思うのであります。基本國策でありますところの文化
國家建設と健全財政の調和点は、今日の場合、單なる事務的立場から決すべきではありません。
片山総理は、本
国会の劈頭におきまして、その施政演説をなされ、銀行問題に論及せられ、
金融が産業の主人公にな
つてはならぬ、
金融は産業に從属すべきものであると言われた。國政においても、財政が國策の主人公とな
つてはならぬということは、けだし同樣であると思うのであります。今まで文教費を惜しんだために幾多の損失を招いて、その対策に、惜しんだ以上の國費を使
つているのであります。
生産不振の素因も、犯罪増加の原因も、教育にあるのであります。
從つて、増産に要する経費も、犯罪のための警察や刑務所や裁判所等の経費も、文教費との間に深い
関連をも
つておるのであります。
病氣な
つて苦しんだあげく費用を使う人と、病氣にならぬ前に予防のために費用を使う人があります。凡夫はえて前者を履むのであります。
口に教育を認める者は多いのでありますが、しかし、文教の價値を正しく判断することは、人によ
つて違うのであります。文教の
責任者は、この誤りないことを私は特に希望するのであります。
次は新制高等学校でありますが、中等学校を
原則として高等学校に移行するということは、これは教育の普及
民主化のために、結構と存ずるのであります。それから定時制の高等学校、これは青年学校を充てるということでありますが、その青年学校の多くは、すでに新制中学校に轉用せられたものもあるのであります。また青年学校の性格と設備と高等学校のそれとは、大いに異なるのであります。明年度に実施せられる高等学校が、明年度ただちにこれが一年から三年まで完成するのであります。そのときにあたりまして、すでにどの程度の用意ができておるか。その点を具体的に伺いたいのであります。
次は新制の大学の問題でありますが、四年制度の大学一本建でいくのか、三年制の大学をも認めるのか、二本建でいくのか。文部省の一部には、三年制も認めたい御意向のあるように承るのでありますが、さようなことが
関係筋の了解を得ることができるのでありましようか。大学は二十四年度に実施するというので、のんきに構えておられるのであるかも知れませんが、大学の本質に鑑みまして、その準備は一年や半年ではだめなのであります。新制大学が横滑りの制度でもとる場合には、実施と同時に完成いたしまするから、早く御決定にならないと、六・三制の二の舞を履むと同樣になると私は思うのであります。この点について、いつ頃およそこの問題を御決定になるか、早急に御発表を願いたいと思うのであります。
また、專門学校は二十四年度から廃止になる。その多くのものは大学たらんとして、官私を問わず、同級生その他に呼びかけて、寄附の募集を盛んにしております。これに対し文部省は、無理な寄附はまかりならぬとの達しを出しておられます。もともと学校側は、無理と知りつつ、好まぬ寄附に着手しているのであります。文部省に頼
つていたのでは不安だからこそ、官立学校までがや
つておるのであります。また專門学校が理想的な大学になるためには、その寄附の全金額も相当無理な高額にならざるを得ません。この際無理な寄附募集はやめて、文部省のおつしやる
通りにしてお
つて、大学になれる方法がありましようか。もし大学になれなかつた場合には、文部省はどういう
責任をとるお考えでありましようか。
私立学校の場合を考えますれば、外部からの援助が一切
期待できません。卒業生の愛校心に訴える以外に、その寄附以外に残されたる途はないのであります。無理はもともと文部省がお始めになつたわけでありまして、私立学校その他の学校は、これに苦しめられておる状態であります。現在大学の数は七十六校あります。これに比較して、專門学校は三百六十一であります。その生徒の数も、大学の六倍を專門学校が收容しておるのであります。
從つて、專門学校が廃止の暁は、自然今までの大学のみにては学生の收容がしきれない。多数の大学を必要とすることは明らかであります。專門学校が大学たらんとして努力しつつあるということは、まさに社会の要請にこたえんためであります。
次に教員養成の問題でありますが、教育が教員にあることは、いまさら申すまでもありません。新制度の発足に伴い、教員養成の発足は当然前者に先行すべき問題であります。それにもかかわらず、この問題は旧のままに放置されております。学芸大学という、師範学校に代るべきものをおつくりなるか、それも各府縣におつくりになるのか、数府縣に一校をおつくりになるのか、あるいは一般の大学の卒業生を採用せられるのか、これらについて
関係筋との話し合いの解決はどういうふうにな
つているのでありましようか。これがきまらぬために、各地方の師範学校からは、学芸大学への昇格運動として
國会に請願が殺到しておるのであります。
次には、私学振興に関する問題をお伺いしたいと思います。思想の本山でありますところの文部省は、官廳の中でも殊に率先して
民主化の制度を取上げなければならぬ。まず学校
関係で、
從來官私の不平等の扱いをされておつた、卒業生なんかの資格に不平等の扱いが、あつたこういうような点は、終戰後どの程度改善せられたか、これを具体的に承りたいと思うのであります。もし未だの点がありますなら、速急に、これは改善を願いたいのであります。
元來私立の学校というものは、
日本では、アメリカのごとく財力豊富、自由、民主の思想の制度の中で
発展してきたのではないのであります。官尊民卑の思想と制度の中で、独特の教育理念をも
つて今日までようやく成長してきたのであります。戰時中は私学の整理統合に脅かされ、戰後はその前拂いであるところの授業料の收入の預金を、第二封鎖として一般資本家同樣に取扱われた。その解除が許されたものは、わずかに六つの私立大学のみであります。私学唯一の財源であります寄附の募集については、嚴重なる官廳の
許可制を受けておるのでありまして、官学に対しては寄附をしても税金をとりませんが、私立に寄附をした場合に、その寄附者に対して税金を課せられるということにな
つておるのであります。
かように意識的か無意識的かわかりませんが、八方にわた
つて私学の
発展は阻害せられてきた冠があるのであります。(
拍手)このために、わが國の私学の多くは財力において官学に劣
つているのであります。加うるに、戰災による焼失は五十万坪に達し、戰後におけるインフレと相ま
つて、今や私学の存立は危ぶまれるに至
つておるのであります。教育の
民主化と機会均等が叫ばれるこの重大なる今日、
國家教育の半ばを担いまする私学の振興こそは、新しき
國家目的実現の大前提でなければなりません。
國家が財政難であればあるほど、私学の活用にまつことが大であります。
この場合、衆参両院の
議員諸君の御
賛成になつた教育金庫
法案が、健全財政のあらましのもとに
提出不能になつたことは、民主
國家出発にあた
つて一大痛恨事でありまして、
関係者の一人として慚愧にたえないところであります。しかし、
法案の
提出は不能になりましても、私学救済の必要性は寸毫も緩和消滅したのではございません。文部大臣、
大藏大臣は、これに対していかなる対策を用意せられておるのでありましようか。それとも何らの対策なくして、私学を見殺しにせられるお考えでありましようか。聞くところによりますと。預金部で融資をする、こういう一説もあるのでありますが、はたしてそれが相当額において可能でありましようか、もし可能であるとすれば、どういう手続をとるべきか、大体のことをお示し願いたいのであります。
以上、文教の國政上における地位は、依然として現実に軽んぜられておる。文教の政策の緩漫、教育界を混迷ならしめておることを力説いたしまして、総理大臣、文部大臣、
大藏大臣等の明確なる御
答弁によ
つて、本議場を通し、廣く
國民の苦悩を解決したい所存であります。(
拍手)
〔國務大臣片山哲君
登壇〕