○井出一太郎君
本法第
一條に明記いたしまするごとく、平和的かつ民主的な
國家を
再建するために
終戰後幾多の施策がとられてまいつたことは、一々指摘するまでもないところであります。來るべき講和
会議を前にして、われわれは今や
日本の國内諸体制ををこの一点に
集中して、もろもろの整備にこれ努めているわけであります。ただいま
議題とな
つておりまする
経済力集中排除法も、またその一環として考えられるのでありまして、財閥解体、補償打切り、さらに私的独占の禁止等のあとを受けて、
日本経済再
編成のための
最後の仕上げを企図いたしておるものであると私は理解するものであります。
本法は、当初
企業再建基準法という仮称のもとに構想せられ、
企業再建整備法が経理面を担当するのに対し、
本法はむしろ組織法であるかのごとく傳えられたのであります。しかしその後は、むしろ
独占禁止法と彼此相補うところの性格をもつものとして、
産業界に大きな衝撃を與えるに至つたのであります。しかも、一時は強力措置が傳えられたり、昨年夏の補償打切りに伴う一連の立法や、去る三月末の
独占禁止法のごとく、議会人としてはまことに不本意な方式で扱われるやを憂慮したのでありますが、三ヶ月に及ぶ紆余曲折の末、
本法が今や
國会において十分論議でき得るということは、顧みてすこぶる感にたえないものがあるのであります。
戰爭を通じて膨張してまいつた
日本の
資本主義が、今までの形をそのまま温存でき得ないことは、もとより当然であります。しからば、いかなる方向をたどらしむべきかという問題は、われわれの前に投げかけられた重大なる課題であります。
資本主義経済の発展法則を分析してみまするときに、自由
競爭は、アダム・スミスのいわゆる見えざる御手に導かれているうちはともかくとして、その発展の段階の中に、社会的
生産における無計画性が恐慌を生み出し、さらにその恐慌を媒介として、独占が発生することは、歴史がこれを証明しているところであります。
わが國の
資本主義は、もともとその内面に深く後進性を包藏いたしまする上に、
戰爭と結びつくことによ
つて、独占の過程は拡大再
生産せられ、米英において経驗したごときテイピカルな
資本主義発展に比べまして、一種奇型兒的構造を示していると考えらるるのであります。ここにおいて、
日本資本主義が
自己修正をする場合、一は
経済民主化の要請とな
つて現われ、他は
社会化の声とな
つて現われてくると考えるのでございます。すなわち、無血革命と呼ばれつつある今日の段階を考えるならば、われわれは一方に民主革命を実践しつつ、他方に社会革命を推進しているという、世界史上か
つてなかつた複雜なコースをたど
つているのであります。
かく考えまするときに、一つには、独占を解体して
経済外的な支配を脱却した完全
競爭を確保し、もう一度新たなる
資本蓄積から出直したいとする行き方があるでありましよう。他方には、私的所有をアウフヘーベンしたところの、むしろ社会的所有としての独占を
合理化しよう、こういう方向をとらんとする要求が出てまいるのであります。先ほど來伺
つておりまして、たとえば
社会党の
諸君と
自由党の
諸君との間の御
意見の尖鋭的な対立というようなものも、かような
現状を表現したものと私は理解いたすのであります。
もつと具体的に言えば、
独占禁止法や
経済力集中排除法は前者を意味するものであり、公團方式、國管方式は後者を企図するものであると言えるのであります。ただわれわれは、
日本資本主義を規定している諸
條件を吟味するとき米英のモデルをそつくりわが國にあてはめるわけにはまいらず、また
資本主義の爛熟が必然的に社会主義に至るという、素朴なる公式論にもにわかにくみしがたいのであります。
日本経済を再
編成すべき
二つの座標として、
民主化と
社会化という問題が取上げられるのでありますが、問題は、
経済力集中排除法がその中においていかなる位置を占めるかを檢討しながら、本
法案に対する
批判を開陳してみたいと思うのであります。
すでに同僚各位によ
つてあらゆる角度から論及せられました
関係もございまして、私の申し上げることは、それと若干重複する懸念もあるのでございますけれども、一には
政府当局に対して進言し、警告をいたしたいという
見地から、以下、しばらく申し上げてみたいと思います。
第一点は、すでにしばしば御論議のありましたように、
本法の施行によ
つておそれられている
生産性の
低下であります。今日のわが國は過小
生産に悩んでおり、傾斜
生産方式といい、超重点といい、いずれもこれが克服策であるときにあた
つて、少しでも
生産が停滯し減少したならば、それこそゆゆしき大事であります。
企業を
分割することによ
つて、一貫作業による長所を失うような場合も生じましようし、または管理費ばかりいたずらに増大して、
生産コストを高める結果と相なることも考えられます。しかし、持株
会社整理
委員長である笹山忠夫氏も言うように、この
法案の
目的は、
企業のいたずらなる細分化にあらずして、それの平準化をねら
つておるのだ、この考えは、私は正しいと思います。財界、
産業界が、細分化による
生産低下を実際以上に強調して、外ぼりだけで、内ぼりえ手をつけさせまい、こういうような態度であるのは、はなはだ遺憾でありまして、この際大悟一番すべきときであろうと考えるのであります。今こそ進歩的
企業家たるもの、身をも
つて日本産業の新しき
経営適正
規模をつくり出すべきであろうと思うのであります。
戰爭に便乘して不自然に膨脹した
日本資本主義は、巨大なる擬制
資本を抱いて全身不随とな
つております。過去において技術的に眞に高度化することにおいて怠慢ではなかつたか、眞の意味の
生産力の増大、すなわち雇用の量を殖やし、
國民所得を増大せしめるという方向において達成されておつたかどうか、かように問われるときに、わが國の
資本は大いに反省を要するところがあろうと思うのでございます。
從つて、財界、
産業界が無痛なるままに手術を施そうといたしましても、それはあまりにうま過ぎるのであ
つて、若干の出血は覚悟しつつも、それによ
つて起る
生産力の
低下を未然に防ぐことが、全
産業人の祖國に対する義務であると感じて立
つてほしいと思うのであります。
企業の新しい適正單位が創設せらるべきであると同時に、
企業のあるいは
経営の
合理化と
生産コストの引下げが何よりも肝要とな
つてまいります。しかし、
本法に便乘して機械化が停滯したり、労働の強化とな
つて現われたり、
賃下げ、
首切り等が行われたのでは、
生産の
低下は必至になるでありましよう。
産業資本家は新しきモーラルのもとに立たなければならぬとともに、この要求は、勤労階層の側においても私は同樣であると思うのであります。勤労者各個が、その努力によ
つて社会的総
生産の増大をはかり、そうしてこれが実質的賃上げになる、こういうような協力を私は期待してやまないのであります。
第二点といたしまして、
持株会社整理委員会の問題、これはすでに先ほども詳しく論ぜられたのでありますが、ごく簡單に申し上げます。
本法を実際
運営するのはこの
委員会でございまして、この点からして、全権委任的な非常立法であると呼ばれる理由が出てまいるのでございます。本來この
委員会は、総司令部覚書に基く財閥解体にあたりまして、主としてその証券の処理を任務として出発したものであります。
從つて、今回
集中排除法によ
つて、これだけの重要にしてかつ廣汎なる任務を附與せられます以上は、当然この
委員会令も改正せられて、同時にわれわれに示されてほしかつたのであります。こうした重大措置を官廳にもあらざるこの
持株会社整理委員会の性格は、一私法人にすぎないと私は思うのでありますが、これに任せるというのは、
政府の責任回避であると批評されてもしかたがないと思うのであります。あるいはまた
國会との
関係におきましても、直接性がないのである。この点は、
独占禁止法における公正取引
委員会は、その
委員の任命にあた
つては衆議院の
同意を必要としている。またその施行の
状態は、
國会にこれを報告する義務を負うております。こういうふうな措置が講ぜられねばならぬものである、こういうふうに思うのであります。
いずれにいたしましても、
持株会社整理委員会の
実情を見るのに、構成メンバーは
金融界、証券界に偏在をしており、実際
生産面あるいは労働面のエキスパートというようなものは出ておらぬのであります。從來は、これでもあるいはよかつたかもしれないが、今この
集中排除法を一手に引受けましたこの
持株会社整理委員会は、相当に思い切つた改組が必要であろうと思うのであります。また責任の所在にいたしましても、
政府との関連をもつと
はつきりさすべきであり、先ほど
民主党の喜多君が指摘せられましたように、特に
國会議員をも
つて構成することと相な
つている持株
会社整理
監査委員会というようなものがあるはずでございまして、この官制は、たしか昨年九月発表に相なつたかと思うのでありますが、これが現在はたしてどういうふうに
運営されているか、私は寡聞にしてまだその結果を知らないのであります。
これを要しますに、
持株会社整理委員会は、今ではこの名称さえもあまり適切ではないと思うのでありますが、本
委員会の一挙一投足は、
日本経済民主化のかぎを握
つているのであり、その
運用は、わが
産業に生殺與奪の権を揮
つているのでございます。われわれは、これが構成、機能、
運営に対しまして、絶大の関心を拂うているのであります。
第三点といたしまして、
本法と
独占禁止法、さらに
企業再建整備法との
関係を伺いたいのでありますが、これもすでに先ほどどなたかが指摘せられたところでございます。そこで、私はただ一点申し上げてみたいのは、
独占禁止法におきましては、例の公正取引
委員会の機能において、
本法と混淆摩擦を生ずるおそれがあるのでございます。たとえば、公正取引
委員会が
持株会社整理委員会の下風につく、こういうようなことに相なりましては、
運用がはたして公正を期待し得られるかどうか、かような点に多分の懸念があると思うのであります。
第四といたしまして、
金融機関の問題、これも先ほど出たと思います。あるいは公共
事業の問題、これも同樣であります。これらが
排除の指定を受けるものとな
つておりますが、この
金融機関あるいは公共
事業、これらに対しまして、その公共性から
愼重なる
考慮が拂われまして、それほど無茶なことが行われまい、こう私は期待いたしておるのでございます。但し、今までの
諸君からもいろいろ心配をせられたのでありますが、社会的信用を
基礎として成り立
つております
金融業が、
本法のために
基礎を震撼せしめられて、預者の心理にも動揺を及ぼすというふうな点は、これはどこまでも防止されなければならぬと思うのであります。
しかし、今や
日本の
金融機関は、
再建整備法のごやつかいにならずして立ち行けるものは、ほとんどないという
状態であります。
金融業が
國家に依存している度合は、非常に強くな
つてまい
つております。かような点よりすれば、
金融は他の
産業に比べて、
社会化、國有化の
基礎がより進捗しているということも言えるのでございます。從いまして、信用の点において動揺があり、取付けをこうむるというような場合には、日銀の操作あるいは
國家の挺入れで解決がつくというところにまできているのでございます。
從つて、それよりはむしろ通貨の安定であるとか、貯蓄の
増強であるとかいう一般問題が重要であるのでございまして、
本法によ
つて個々の
金融機関が大打撃をこうむるというふうな点については、私は比較的樂觀をしているものでございます。
本法によ
つて、
企業の地域性を含めた地方分権化が行われるとしますならば、
金融機関も、それと同じでないまでも適正配置を考えるべきである、こう思うのであります。
第五に問題といたしたいことは、いかなる規格において
排除をするか、その
基準を示せ、この御
意見もすでに出てまい
つているのでございまして、この点は省略をいたしたいと思います。
以上、いささか細目にわたりまして論じましたが、
最後に指摘いたしておきたい点は、
日本経済修正の方向であります。
民主化及び
社会化のこの
二つの要請をいかにして満たすかという問題でございます。
生産が社会的性質を有するにもかかわらず、
生産手段は個人的な占有のもとにおかれている。この矛盾を解決しない限り、民主的で健全なる
國民経済再建の
基礎というものは、にわかには確立しがたいと思うのでございます。このためには、わが党の主張いたします協同組合組織の拡充によ
つて、
資本主義方式を脱却した新しい
生産樣式を打立てる必要をわれわれは強く感ずるのでございます。すでに從來の
資本主義経済においても、
資本と
経営の分離が叫ばれ、
資本の優位性は漸次後退しつつあつたのであります。
協同組合の方式は、利潤を
企業活動の原動力とするものではなくして、剩余金は社会的蓄積の意味をもちつつ、その
資本構成の中に合理的に
集中せられてまいります。組合総会による平等の票決権は、
資本に拘束されずして、人材を
経営面に押し出すことが可能でありまして、最も民主的な組織であります。独占が禁止せられ、
過度の
資本集中が
排除せられんとしている今日において、協同組合組織の推進こそが、
日本経済再建の近道であ
つて、
民主化と
社会化の両要請を満たすものであると信ずるのであります。この意味からいたしまして、
独占禁止法が協同組合一般を
適用除外においているのは、まさしく当然でありまして、
本法におきましても、実際上の扱いにおいては、協同組合が
排除の
対象から除かれるであろうことを期待してやまないものでございます。
以上、いささか
本法に対しまして希望を述べ、注文をつけた次第でありまして、わが
國民協同党といたしましては、
持株会社整理委員会の民主的な拡充その他を
條件として、本
法案に
賛成をいたすものでございます。私の
意見の中において、
政府の所信を問うている部分もあるのでありまするが、あえて本日と言わざるまでも、しかるべき機会において明らかにされたいと思います。