○早川崇君 私は
國民協同党の
石炭関係を担当しておるものといたしまして、目下
議題にな
つておりまするところの
臨時石炭鉱業管理法案につきまして、若干の所見を申し述べまして、大体におきまして、この
法案に対しまして賛意を表するものであります。(
拍手)
諸君、現在の
日本の経済
状況は、きわめて惡質なる縮小再
生産と惡性インフレの循環でありまして、この惡性インフレーションの循環を断ち切るものは何か、これがわれわれの
最大の関心事であります。われわれは、
石炭の三千万トン、否、三千五百万トンの完全確保という一点に問題の焦点を見出しておるものであります。しからば、この
日本の経済が拡張再
生産に轉ずるか否かというかぎでありますところの
石炭の
生産事業というものは、われわれをして言わしむれば、もはや全
國民に影響力をもつ公共的
事業であると断定せざるを得ないのであります。(
拍手)
從つて、これに対しまして、
國民の代表である
國家が何らかの意味で関與いたしまして、これを
管理するという点に関しましては、何ら反対する理論的根拠も、また実際的
理由もないと私は信ずるのであります。(
拍手)
いかに頑迷なる
自由党の
自由主義者の方におきましても、もし
石炭國家管理に反対するというのであれば、公共的
事業である鉄道にいたしましても、通信
事業にいたしましても、すべてを個人の
企業にこれを解体して、
資本主義経営をやるというところまで徹底しなければ、この論旨は一貫しないと私は思うのであります。アメリカにおきましても、すでにルイスの罷業が盛んに蔓延しておりましたときにおきまして、あの
資本主義の國におきましても、この
石炭事業の
國家管理を断固として断行したではないかということを、
自由党の
諸君は思い出していただきたいのであります。
以上によりまして、原則的にわれわれは國管賛成の
立場を表明するのでありますが、以下、
自由党の
諸君なり、あるいは公式的な
自由主義者あるいは
資本主義者の言います國管反対討論に対しまして、私は若干反問を試みてみたいのであります。(
拍手)いかに頑迷なる
資本主義者なり
自由主義者でありましても、現在の
石炭事業におきまして、
事業家のイニシアティーヴなり、專業家の利潤追求の余地がどれだけあるか、現実の姿を見ていただきたいと私は思うのである。炭價の
決定にいたしましても、あるいはまた
資金、
資材、労務、厚生、食糧、あらゆる面におきまして、これはすでに
政府において、官僚において、実質的に
運営されているという事実をわれわれは見出すのであります。言葉をかえて言いますれば、実質的にはすでに國管に近い状態が
日本の
石炭業において実現されておるということである。ただ惡いことは、このようにほとんど國管に近い
状況にまで來ておるにもかかわらず、もし國管を
実施しない場合も予想いたしますれば、
政府の役人よりも、統制をやるものは、
責任のない國管をや
つているという姿にな
つているのであります。
事業主は、
石炭の
生産が三千万トンできないという
理由といたしまして、
政府なり役人なりが十分
資材をよこさない、
資金をよこさないから、
石炭は出ないのだという。一方
政府のほうに
意見を聽くと、
國民の血税を搾り、さらにはまた
國民のなき
資材をはたいて、この
石炭事業に思い切
つて資材なり
資金なりを投下したいのだが、遺憾ながら
石炭事業家は
一体これをどういうものに使
つているかわからないから、彼らの言う通り十分これを導入することができないのだと言う、まことに
責任のなすり合いで、これによ
つて最も被害をこうむるのは、八千万
國民、民族全体であるということを、われわれは言わざるを得ないのであります。これも
自由党の完全なる
自由主義経済でやれればよろしい。実質的に國管に近い姿であるものを、そのままにしておいた結果が、
自由党内閣の遺した、あのみじめな
石炭事業の遺産である。われわれはそのために苦しんでおるのであります。(
拍手)
かかる事態を直視いたしまして、このたび
政府が、この
責任の所在の曖昧さを克服するために、みずから進んで
石炭國管をやろうと決意し、みずから
責任を負い、これを
國会、否、
國民全体のために
責任をも
つて、
事業家と
政府が
石炭三千万トン
達成のために共同
責任をとるというのがこの
法案であ
つて、その意氣たるや、まことに私は壯であると思うのであります。(
拍手)
しかし私は、この業者プラス
政府の
責任生産態勢には賛意を表するものであるが、ただ願わくは、
從來の國鉄あるいは全逓
事業のように、
國会なる
國民の代表が、この運賃を値上げしたり、いろいろなことをやる場合に、少しも
発言権がないようでは、非常にわれわれは困るので、でき得べくんば、この
管理法案を
國会において嚴重に監視し、あるいは監察する
委員会をこの
規定に設けていただきたいというのが私の
意見である。
さて第三点に、私は國管というもの、
國家管理、公共
管理というものが、双刄の劍であるということを皆さんに申し上げたいのであります。第一点は、消極的な面でございます。御承知のように、すでに
政府の提出
理由にもありますように、
資金にいたしましても、
資材にいたしましても、その実態を
把握して、適時適所に流れるようにこれを
監査していく、調べていく、こういうことは、第一の消極的な部面でございまして、現在鋼材の
生産の一五%を
石炭に注ぎ込み、
産業資金の四二%を
石炭の
生産に使
つている
現状から申しまして、少くともこれは、
國民全体のためにどうしてもやらなければならない
管理の一つの必要
理由でございまして、これは
國民大衆に対して公正
——少くとも公正であると私は申したいのであります。
從つて私は、
國家管理の必要性に関しまして、公正である、これだけをも
つていたしましては、私は、これはまだ國管を肯定する
理由にはならないと思う。なぜならば、いろいろなことを調べていくことが、しゆうとが嫁をいじめるようなことになりましては、かえ
つて石炭の
増産ができないからであります。
そこで、この
石炭國管に対しまして、第二の積極的な面を私は主張し、
法案に対して若干の
改正を主張するものであります。現在の
石炭生産におきまする大きい隘路は、常に言い古されておりますように、
資金、
資材、食糧、労務、輸送、全般における隘路であります。このあらゆる隘路というものを、さらに深く突込んで調べてみまするならば、これは各官省が、その所管が違
つておるということである。言いかえれば、
石炭廳等の微弱な
行政力あるいは政治力よりもたないような官廳では、とうていこの
資材・
資金の需要を充足できないということになるのであります。
從つて私は、
管理の主体が、現在の
石炭廳のような微弱な
行政力あるいは政治力で國管をやりましても、少くとも公正ではあるが、画期的
増産は
達成できないという
意見であります。
そこで、マッカーサー元帥の方からの書簡にもありますように、この
責任の主体をかえる
機会に、思い切
つて増産しなければならないということであれば、私はこの
管理主体は、
政府全体がその
管理主体になるということを提唱したいのであります。すなわち、
資金においては大藏大臣、
資材においては安本長官、さらに食糧においては農林大臣、すべての統括者
——私は、全國の
炭鉱管理委員会の
議長たるべきものは総理大臣になる程度の、眞に挙國的な
行政体制を整えなくては、少くともあのマッカーサー元帥の書簡に言うような画期的な
石炭の
増産はできないと思う。
ここでわれわれは、そうすることによりまして、
日本が縮小再
生産から拡大
生産に移るために、何としてもやらなけばならない
石炭三千万トンあるいは三千五百万トン
達成のためには、單に
國民大衆に
管理をやらせて、その使途がはつきりして、公正であるという要求のみならず、
日本の
行政力、
日本の
國力というものが、余すところなくこの
石炭の
生産に動員されるような
行政体制をこの際整えなければ、この一片の臨時
炭鉱管理法案というものでは、眞に
石炭の超重点的の飛躍的な
増産を期することができないというのが、私の一つの修正
意見であるのであります。
さて、次に一、二点だけ申し述べまして、結論に到達したいと思うのであります。われわれは、
石炭の画期的
増産に関しまする絶対的必要條件といたしまして、
労働生産制の向上という点を取上げなければならないと思うのであります。特に
諸君、この
石炭事業におきましては、この
労働力依存の度合というものは、他
産業に比べまして飛躍的に重大であります。しからば、この
労働の
生産性を極度に発揮するために、われわれは、旧來の私
企業の利潤追求、すなわち
能率的
運営という観念によ
つて、はたしてこの
労働生産性を向上できるかといいますと、これがまたノーであります。現在の自覚せる從業員なり
勤労者の場合におきましては、何らかの形態におきまして從業員が
経営に参加し、
経営の
状況を知るというところから眞の
労働意欲の振起があるということは、これはまつたく私は同感であります。われわれは、全從業員が何らかの形で
経営に参加してい
つて、みずからの
事業として石
炭鉱業を考える
体制を、この
法案に織りこみたいというのが、われわれの主張である。
しかしながら私は、この
本社といわゆる
現場の分離という点に関しましては、遺憾ながら
社会党の
諸君の言うのには同意できないのであります。なぜならば、われわれはマルクス、レーニン
主義による階級対立理論ももちません。ただわれわれは、
経営の技能者というものを、廣義の精神的
労働者であるということの観点に立つくらい、われわれは物事を客観的に見、物事をおうように見るだけの度量をも
つておるのであります。しからば、ここにいわゆる
本社というものは、あたかも船における船長のごとき役割を果すものであり、さらにまた軍隊におきましては、
経営技能者は士官であり、
経営技能者なり技術者なき肉体
労働というものは、士官なき下士官・兵ということになるおそれがあるのです。
從つてわれわれは、この
法案におきまして、あくまで
経営技能者を含め、技術者も含め、
勤労者も含めた、全從業員による
運営ということをこの
法案に織りこみたいというのが主張であり、その主張が通つた次第であります。
さらにもう一点、われわれはこの
機会に主張したいのでありますが、
経営と
資本の分離ということであります。すでに現在の
炭鉱事業のような大
企業におきましては、
経営と
資本が完全に分離せられつつあるのでありますから、百尺竿頭一歩を進めまして、この
法案において
経営と
資本の分離を明確にうたいまして、ここに
國家の
行政力と
経営の技能者と肉体
労働者が三位
一体になりまして、民族危機を突破しようというのが、われわれ
國民協同党の日ごろからの主張であり、今後もその主張の正しさを確信する次第であります。(
拍手)
さらにわれわれは、この
國家管理法案につきまして、
労働生産性の向上が期し得られると信ずるゆえんは、いわゆる
炭鉱の住宅問題にいたしましても、福利
制度にいたしましても、これを強力に
実施するためには、どうしても採算第一
主義ではいけないということであります。御承知のように
石炭事業というものは、たくさん掘
つて増産すれば
石炭の單價は安くなり、財産價値は減耗していくということになるのでありますから、どうしても、ここにいろいろな
福利施設なり、あるいはまた住宅
計画を立つる場合におきましては、採算第一
主義の限界を突破するのであります。かかる意味におきまして、この國管
法案におきまして、十分なる
國家の保障を通じて、思い切
つて、この
石炭の
増産のために住宅を建て、厚生施設を強化するということになるのでございまして、かかる意味におきまして、何としても
労働生産性の向上ということをわれわれが考えるならば、少くとも
國家の一つの権力なり
國家の
行政力というものを、この
事業に織りこんでいかなければならないという結論に達するかと私は思うのであります。
そのほか、新坑開発、鉱区整理その他に関しまして、國有國営が有利であることは申すまでもないのでございまするが、すでに前述者がこれに触れましたので、省略いたしたいと思います。
最後に私は、結論的に申したいことが若干あるので、これを附加して私の所見を終りたい。先ほど申しましたように、
國家管理をすれば減産になるというのは、
石炭業者なり
自由党の頑冥な人たちの
意見である。ところが、九月三日のアメリカの雜誌のタイムは、アメリカにおける
國家管理の
状況をかくのごとく述べておるということを、私は
報告したいのであります。タイムの雜誌によりますと、一九四六年における
炭鉱管理は、その四ヶ月目に入りまして、二千八百の
炭鉱を
國家が接收して
管理したのであります。ところが、この
管理に対しまして、
労働炭坑夫は、もとの
経営主に対して、
政府の方がはるかにリベラルなボスであるとみなしており、また多くの
経営主は、
政府管理によ
つてものすごく
出炭が上昇しておる事実に欣々たるものでありまして、かかる上昇しつつある
生産状況の
現状を、滿足して傍観しておる
状況にあると述べております。
國有、國営を前提とするという
國家管理が
社会主義的イデオロギーであるとい
つて排斥される。これと同じことは、春秋の筆法をも
つていたしますれば、國管案は減産する、國管案は赤である、これまた、まことにイデオロギー論にとらわれた考え方でございまして、世界全体の國管の
実情を知らざるもはなはだしいものと言わなければならないのであります。われわれは、國有、國営を前提とする國管というものには賛成しない。しかしながら、現在の
日本を再建していく現実的な理想というものは、何といいましても
自由主義あるいは
資本主義のいいところ、すなわち自己
責任においてイニシアチーヴをと
つていくという利点と、
社会主義の利点でございますところの、できるだけ平等の原則を認め、虐げられた
勤労者を
引上げていくという、この自由と平等の二つというものを調和していくというような
日本の経済
体制をつく
つていくということが、最も現実的な、われわれの理想でなければならないのであります。
かかる観点に立ちまして、われわれは眞に
資本主義的
立場を離れ、さらにまたそれと階級的に対立いたしますところの肉体
労働主体の階級
——資本主義にも與せず、眞に民族全体というものの観点に立ちまして、
行政力の必要なところに対しまして、
責任をも
つて國家管理をして
行政力を注入していく。
経営技能者を
活用すべきところには、
経営技能者を十分
活用する余地を與え、
勤労者の働く部面に対しましては、十分なるその領域を與えるという、いわゆる三位
一体による民族危機の突破というものを、協同
主義の理念のもとに、われわれは主張するのであります。これこそは、現在占領下におかれておる
日本の敗戰経済において、
石炭事業を眞に振起する唯一の妥当なる途だということを信じて疑わないのであります。
最後に、しかしながら私は、この石
炭鉱業管理法案の通過ということとともに、ただひ
とつ研究課題として
政府諸公に申し上げたいことがある。すなわち、國有、國営にいたしましても、
國家管理にいたしましても、ややもすれば官僚統制の惡弊がはい
つてまいりまして、どうしても個人のイニシアチーヴなり努力なり、あるいは創意というものが、侵される危險があるということは、率直に認めなければならないのであります。これが減殺策といたしまして、私は、この臨時
炭鉱管理法案の成立とともに、次の二点を研究問題として考えていただきたいと思う。
それはいかなることであるかと申しますると、三千万トン、三千五百万トンという絶対必要なる
石炭生産をやる場合に、各
炭鉱ごとに
割当が
実施せられる。その
割当が、たとえば百万トンといたしました場合に、
経営技能者と
勤労者が相
協力して、百二十万トンの
増産に
なつたと仮定する。しからばわれわれは、その努力に対しまして、百万トンを超える二十万トンというものは、その
経営技能者なり、あるいはまたそれに從事する從業員なりの
福利施設あるいは食糧その他のために、何らかの意味でこれを自由処分するなり、あるいはまたマル炭という
制度を創設いたしまして、
資材とこれを物々交換するような、何かこれは官僚惡統制に陷らないところの障壁を考えるということが必要ではないか。
第二点は、思いき
つてこの
炭鉱労務者に
能率給
制度を採用するということであります。徹底した、眞に
能率本位の賃金
制度を完成するということが、
労働者のひ
とつの意欲を振起し、彼らの利己心を少くとも
活用して、民族全体としては、かえ
つてこの経済再建に役立つのではないかと私は思うのであります。すなわち、あくまで官僚の完全なる統制という一元的な考え方から、できるだけ利己心をも滿足し、自由の要求を少しは滿足させながら、眞に
石炭増産に邁進する
態勢が整えば、私は三千万トン、三千五百万トンの
達成は必ずしも不可能ではない。私はこの完遂を信じて疑わないのであります。今後の
石炭問題の帰趨といたしましては、要は國管制ではなくして、國管の
運営、これを、できるだけ現実のわれわれ
日本人の人間性というものを斟酌して、推進していくというところに、最後のかぎがあると信じて疑わないのであります。
以上、國管問題に対して、
國民協同党の一員として所見の一端を述べまして、原則としては、この
法案に賛意を表する次第であります。