○松本一郎君 私は、米麦、
甘藷等を
生産し
供出いたしております一耕作
農民であります。
供出の問題につきましては、全國六百万戸、三千万
農民は重大な注視と監視とをいたしておると思うのであります。しかしながら反面、五千万の
配給を受くる
國民大衆も、この問題の成行きには必ず重大な考慮が拂われておることと存ずるのであります。敗戰日本の現状におきましては、八千万民族、
社会連帶主義の立場から、私どもは一
農民としてよりも、一日本人として、この
供出問題を合理的に適正に
解決せなければならぬということを痛感するものであります。
つきましては、目前に迫る
食糧危機を控えまして、これに対していかにして農村から食糧を
救援米あるいは
供出米として出せるか、絶対にないならばいたし方ありませんが、御承知のごとくあちらこちらに摘発されております
やみの食糧はたくさんある。しかるに、これが正規のルートに乗らないのはいかなるわけであるか。これに対しまして、私どもは過去を論じたくありません。また今日二重
價格を設定し、にわかに高い値段で買上げるということは、二十一年産米の
供出を完納した農家との均衡がとれなかろうとも考えられますので、この点よほど考慮はいたさなければなりませんが、ともかく危機を目前に控えております今日といたしましては、隠匿
物資あるいはその他繊維製品を全國からかき集めて、これを報奬身代りとして出してでも、農村から食糧を正規のルートによ
つて供出面に
配給面に出すべきものではないか。これに対する具体的な
対策が、今なお危機を目前に控えておる今日講ぜられずして、反面
やみが日々横行しておるということははなはだ残念に思うがために、
政府の一日も早き方策を講ぜられんことを切に望むものであります。
所見を伺いたいと思ひます。
第二は、恆久的な食糧
増産の
対策についてであります。これまで
政府がいたしておりました
供出制度は、できたるもの出さして、どうしてこれを
配給するかという、いわゆる
供出面にのみ重点がおかれておりましたがために、農林省は
國民から、農林省にあらずして
供出廳であると非難を受けるのも、これがためなのであります。つきましては、
政府は近く
供出制度を
改正されんといたされておりますが、このねらいどころは、本年の、すなわち二十二年産米あるいは
甘藷、これを
供出させることを目的として
供出制度の
改正をいたされんとするのであるか、あるいは二十三年、二十四年、奬來の恆久
対策をねら
つての
制度の
改正であるのか、この点を伺いたいと思うのであります。
私ども長らく主張いたしておりますものは、すべて食糧を
増産するがためには、農家をして食糧
生産責任制をとらすことであります。これが一番良策であります。
責任生産量を
割当てる。しかもこの
割当にあたりましては、平年作を
基準として無理のない
割当方をする。しかも地力、風土すべてを考究いたしまして、全國つとめて適正を期さなければならぬ。かように主張いたしておるのでありますが、今度の
供出制度の
改正は、この方向に向われておるものなりや否や。かようにお伺いをしたいと思うのであります。
次に伺いたいと思いますことは、おそらく今度
改正せんとする
供出制度の
方法は、ただいまといたしましては、二十二年産米あるいは
甘藷には役立つまいと思うのであります。奬來恆久
対策としてはよいと思いまするけれども、現在といたしましては少し役立つまい、かように考えますときに今度
供出制度を
改正せんとしても、おそらくそれはこの二十二年産の
甘藷・米に限られるもの——もしさように相なりますならば、おそらくその結果は、
從來の
供出制度とあまり変りはないものとな
つてくるのではないか。
從來の
供出制度の欠点がどこにあり、
農民がどこに不平をも
つておるかということは、各位もよく御承知のことと拜察いたしますが、第一の原因は、増加
供出をいたしました場合には、必ずそれは明年の
割当、増加
割当がくるというがために、増加
供出がしにくい。裏面で流すものがあ
つても表向き出せないということが、その一つにな
つておるのであります。いま一つは、官僚のこれまでの
やり方に対する大きな反感をも
つている。これも一つである。もう一つは、
やみ商人と農家とが深きなじみになりまして、義理で
やみ屋に賣るものはありましても、これを正規のルートに流すことができぬ。しかも
やみ商人は、農家が地下たびが欲しければ地下たび、あるいは嫁入り道具が欲しければその道具、農家の希望するものを持
つてまいりますから、この
やみ商人に素手で帰しては申訳ない、かわいそうだという農家の義理から、足りない食糧を流す者もあるのであります。
こういう点をよく考えてまいりまして、この
農民の氣持をよく考え、
責任生産量を果したあとを
供出さすがためには、すなわちここに
自由販賣なりや、あるいは二重
價格なりや、
報奬物資なりや、いずれが適当なるかという問題が生じてくるのでありまして、もしこれを
自由販賣にしますならば、あるいは食糧
増産の必然可能性は生れてきますが、しかしながら日本の現段階におきまして、
連合軍に懇請して食糧の輸入を仰ぐとか、または先般來ララの
救援のありがたい食糧
物資をいただいて、この遠く離れた人類友愛の精神から出発されたる御芳情に対しても、日本が
自由販賣しているというようなことがあ
つて、どうしてわれわれ奬來懇請することができますか。今日の日本のこの実情をよく考えるとともに、いま一面は、もし
自由販賣をいたしまするならば、御承知の新円層はあちらこちらにできている、食糧の絶対量は足りない、海外からの輸入は自由でないという今日において、必ず買い占められまして、消費者は十分なる
配給をもらえればよろしいが、もらえないことは事実。しからば
やみで買うか、またはこれらのいわゆる買い占めた人から、不当な利得を占められて、これを買わなければならぬということになりますがために、今日の日本の
社会情勢の段階におきましては、
自由販賣まだ時期尚早と言わざるを得ないのであります。
なお、もし
自由販賣時期尚早であればどうすればよいかと申しますれば、すなわちここに二重
價格を設定し、一面は
供出、一面は相当
程度の
價格で買い上げる、しかもこの
價格は、先にも話にありました、いわゆる農村が再
生産に必要なる
程度の農村購入物價に匹敵する
價格で買い上げること、いま一面は、農村が最も希望している繊維製品を優先的確に特配をする、これでなければならぬと思うのであります。
さらにもう一つ附け加えて申したいと思いますのは、今日なり將來の
供出制度が、
從來のごとき、すなわち反当收量に基本をおいて
供出させる
制度でありましたならば、おそらく篤農家は惰農となり、食糧の
増産はとても期待できぬと思うのであります。すなわち骨折り損ということにな
つてまいります。これまで收量は、坪刈りによ
つて檢査いたしております。骨を折
つてよき田をつくり、たくさん米をつく
つて、坪刈りされて米の收量がたくさん出たら、それに基いて
供出量が増すのであります。ところがこの坪刈りという
制度が、はたして公正に適正に行われておるかどうかということは、私ども毎年しばしば坪刈りに立会
つておりますが、まじめに坪刈りをやらした町村は
負担が重くなり、不まじめに要領よくごまかした町村は
負担が軽くなる。でありますから、近ごろは皆が利口になり、惡賢くな
つてしま
つたのであります。
五十二株刈らなければ一坪にならないのを、刈取り人夫は申し合せておいて、五十株刈
つてくる、四十八株刈
つてくる、あるいは前日やるところをきめておいて、もう二、三株先に刈
つてしまうというような結果から、坪刈り
制度はここに大きな欠陷を暴露しております。これに基いてでき上
つたのが、一〇〇%あるいは一一〇%というあの
数字であります。ですから、一一〇%
供出した町村は優良町村なりと必ずしも断ずることができない。また九〇%より
供出しない町村がありましても、これが不良な農村なりと言うことはできないのであります。すなわち、坪刈り
制度の根拠に大きな間違いがある。これがために、だれがや
つても、これはこうなりやすい弊害があります。であるから、この際はどうしても
生産割当責任制を先にきめてしま
つて、これだけは何としてもつくれ、これ以上つく
つたものは、
努力を買
つて二重
價格なり
報奬物資によ
つて政府が買い上げ繰作するという
制度をとらなければ、食糧は決して
増産できないと思うのであります。
さらに
供出制度と関連して、先ほども
肥料の
リンク制の話が出ました。これも昨日農林
委員会において論議されたのでありますが、そのとき農林政務次官は、
肥料は
リンク制によ
つて、
供出されたるものにリンクして
配給すると言われたのでありますが、これも私ども、先ほどの所論と同じく絶対反対であります。轉落農家、保有米農家はたくさんあります。しかるに、なおかつ最近では農地法で
改正になりましてから、にわかにできたあのたくさんの保有米轉落農家をごらんなさい私どもが想像いたしまして、全國の三割、まず百万町歩は、保有米以下の農家であると思うのであります。しかるに昨日も農林政務次官は、轉落農家や保有米農家の收穫が、
肥料をやらないから減
つたくらいは、たくさんつくる農家が
増産すればよいではないかという簡單なお話でありましたが、およそ
肥料はつとめて公平に分配すること——これはずつと昔、田中義一大將がこの議会で(笑声)農村振興は
肥料の公平な分配にあると言われたことがあります。ともかくも、これはいざおいて、
肥料は公平に分配し、たとい一反一畝の田からでも
増産に努めなければならぬと考えます。
同時にいま一つは、この間も伺いますのに、九〇%以上を
供出した農家に対しては
肥料をやるが、九〇%以下の農家に対しては、成績不良であるから
肥料をやらないという話を伺
つたのであります。これはある筋から確かに伺
つているが、もしそうであ
つたならば、このパーセンテージの出し方というものは、だれが嚴格に
責任をも
つて全國的に決め得るや。このことにつきましては、いかなる篤農家といえども自信がもてないのであります。すなわち、日本人の精神をことごとく洗いかえて、立派な道徳感に立つところの
國民性にする教育のし直しからかからぬことには間に合わぬ問題であると、かように私は思うのでありまして、結局これは
供出制度がいわゆるパーセンテージというものに基礎をおくということが間違いである。しかるがゆえに、九〇%以上
供出した者には
肥料をやるが、それ以下の者にはやらないという、この
政府の
肥料公團の方針には、私どもは賛成いたしかねるものであります。
その次には、各府縣の米あるいは
甘藷、その他食糧の
供出の
事情を、昨年から本年にかけて私見ておりますのに、殊に米におきましては、縣によりましては、
供出米に対しまして非常に高價なありがたい
報奬物資を出している縣もあるのであります。しかるに縣にありましては、何も出さない。出す約束はしたけれども、結局現品はいつにな
つても手に渡らない。やつと來たが、米十俵出して地下たび一足であ
つた。こういうような縣もありまして、縣と縣との間わずか村を一つ隔てて、隣りの縣は莫大な繊維製品があり、隣の縣は何もない。何もない縣は必ず不平が起りまして、実情を調べたら、その縣はさいわいにも終戰以來繊維製品の手持があ
つたが、これを食糧のために
放出した。片方には何もなか
つた。こういうことでありますので、この報奬品は、
政府におきまして全國的に統一して、米一俵についてどれだけ、あるいは増加
供出についてどれだけということで、公平に分配されて、
供出の適正を期せられたい。さよういたしますことによりまして、
農民も必ず満足されるでありましよう。
政府は新日本
再建國民運動を積極的に津々浦々にまでも起して、日本国民の自覚と正義に訴えられ、そうしてこの
食糧危機を切抜けるとともに、絶対量の足りないわが日本の食糧
対策を講ぜられんことを私は熱望するものであります。(
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