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森戸國務大臣 猪俣君の御
質問の第一點は、
農村においては
指導者が必要である。ところがその
指導者が今日不足しておるということ、これはまことにその
通りであります。そこで學校の先生たちは、適當にその
指導者になれるのではないか。しかるにその學校の先生が、どうも
文部省的な、フアツシヨ的な
考えをも
つておるということで、それは何かと改めてもらわねば困るということでありました。多少誤解があるのでありますが、私も
文部大臣として、近頃
文部省はそうフアツシヨ的なことは
考えておりません、ま
つたく民主的な方針に立
つておりますので、これはもとの
文部省ということでありますから、誤解のないようにお願いをいたします。
從來の
文部省は、
軍國主義、あるいは軍部に壓迫されまして、實は軍國思想の取次をやらざるを得ないことになりまして、學校の先生も、
從つてその意思いかんにかかわらず、實はそういう
方向に向けられておる。場合によつ手は、その幾分かの方々は、本氣でそういう
考えをもたれるというようなことにな
つたということもあると思います。ただ、ただいま聽かれたように今日の學校の先生が、大部分がそうであるというのは、
ちよつと言い過ぎではないかと思います。今日の先生方も、おそらく、半分以上は、もう
從來の
考えは精算されて、新しい
方向に向い
——半分以上というよりは、もつと多いと思います。ただ、中には多少地朴に
つては古い
考えがまだ殘
つておる人もありますので、これは非常に殘念なことであると思います。これは、
一つには、先生方が進んで新しい時代に處するように勉強していただかなければならぬ、そして
文部省は新しい
教育について制度と設備を設けるということとともに、先生方がこの新しい
教育に副うような先生にな
つていただきたい。先ほどおつしや
つた古い
文部省的な
考え方を精算してもらわなければならぬ。その
一つは、いわゆる
教育パージで、極端な方々にはお気の毒であるがやめていただいたのであります。殘
つておる方々についても、檢定の制度によ
つて、これに適格なんが先生にな
つていただかなければならぬという建前にな
つておりまして、ただいまその檢定の
委員をつく
つて、檢定の
方法を
具體化するように
準備中であります。しかし、それまで、
教育をやめることはできませんので、先生方には新しい時代に即するようにな
つて、古い
文部省的なものを脱皮していただかなければならぬ。これは先ほど申し上げましたように、先生方が進んで勉強していただくことが
一つ、もう
一つは
文部省もこれをお助けし、いわゆる講習會を開いて、そうして
文部省、縣その他で、講習その他の施設を設けて、古い思想、古い
心構えの精算、新しい
心構えの獲得に資すようにいたしておるのであります。これが過般多少問題になりました認定講習會というものが、それであります。
それから第二の點は、學校の先生が農民組合
運動をや
つては惡いのかというお話であります。先ほ
ども仰せにな
つたように、
農村の
指導者が少い。しかも先生はそれにふさわしいものであるが、古い
文部省の
教育はしばしばそれを不適當にした。しかし組合
運動の中にもはいれば、だんだんとみずからを
教育する
機會もあるし、またこういう
運動にも役目つのである。ある
地方では校長さんかだれかは、それはいかぬと言
つたというようなお話でありましたが、これは
文部省といたしましては、それを阻止することはないのであります。しかしまた先生は農民組合
運動をやらなければならぬという奨勵もいたしませんけれ
ども、や
つてはならぬということを禁止もいたしておりません。先生は
國民として、
政治的な活動の自由をも
つておるのであります。そのことは、もちろん、教室で
政治的な特殊の政黨の
意見を子供に教える自由ではありません、それはいけないのですけれ
ども、しかし
個人として
政治的な活動の自由はも
つておると思う。
從つて政黨に屬しても結構であります。私は廣島縣の福山市でありますが、
社會黨の支部の書記長は、中學校の先生であります。そういうように、私は學校の先生が自分の
教育という仕事を忘れては困りますけれ
ども、そういうことでない限りにおいては、政黨の
運動に學校の外で従事することも、それだけのことでは、別に先生の仕事と反するものでもないと思います。
文部省としては、それはしてはならぬというような指令をしたことはないと思います。ただ、やらなけれならぬ、大いにやれと奨勵したということもないと思います。それから第三の問題は
地方文化の振興ということで、
從來の
日本の
文化が大都會に集中したということは、これははなはだよくない。
戰爭を
機會に
文化が
地方的に擴が
つていくということは、適當なことでありまするし、高等學校、殊に大學の設立においても、大學が在來のように大都會に集中しないように、國土計畫の上から、また産業状態等を通じて、
地方的に分散されることが望ましい、こういうような
見地に立
つてのお説であります。
從つて大學は大都會にのみできることはなくして、國土計畫的に、また
地方の産業等に應じて
地方にも置かなければならぬ。ところで、師範學校は、みな大學に昇格できるかという問題であります。これは師範
教育の問題と關連しておりまして、師範
教育は、先生を養成することを主たる目的とする學藝大學、それからもう
一つは、普通の大學の
教育の課程を終え、竝びに
教育學科の修めた者に、みんな先生にな
つていただけるような形になると思いまするが、その學藝大學に、今日ある師範學校がみんななれるかどうかということが、ただいまの問題でありますが、これはまだ大學設置の基準の
委員會等で、その基準をどこに設けるかということがはつきりきま
つておりませんので、私から確言はできませんけれ
ども、學校の先生が非常に不足しておるという現状から
考えて、師範學校も學藝大學となりますか、どういう形になりますか、大學的なものに昇格するという
可能性が相當にあるのではないかと存じますが、これはまだ確定しておりませんから、何とも申し上げかねます。