○寺島
委員 私はただいまの
井上次官のお答えから新しい發見をいたしたのであります。いわゆる七十五圓の金納
小作料は現状の物價體制から見てたしかに安いという明快なる御所論を承
つたのでありますが、しからばこれができがたき理由として分析的に申し上げますと、第一としてはいわゆる
農地改革のプリンシブルに反するからできない。かような
意味に聴きとれるのであります。もう
一つは一般の物價が上
つているときに、
小作料もこれと同様につり上げていくならば、ここにはからざる障害が派生するからできないのである。かような二つの所論をも
つて言われたのであろうと私は考えるのでありますが、第一點においては七十五圓が確かに安いと肯定せられるならば、これを否定する材料として、
農地改革を遂行する上において七十五圓の
價格を引上げることは
妥當でないという御所論には、私自身としてはうなずけないのであります。
政府はこの日本人から、一人の
小作人もないような日本の農村形態を考えていると言われるが、たとえばチヤチヤノフの小農原理を引用すると、大日本の農業は家族農業形態によ
つてなり立
つておるのであります。ヨーロッパの農業においては、長男が嫁をもら
つて、すなわち一箇の夫婦が營農を始めて十年の後に一番勞働力が下るのである。いわゆる子供が多くな
つて百姓ができないという貧乏世盛りである。そしてさらに十五年後の二十五年目になるとその勞働力がフルになる。つまりヨーロッパの農業において、マルクス以前の農政學者であるチヤチヤノフでさえ二割七分というものを假定いたしておるのだ。いわんや現下の日本農業の骨格構造というものを分析しくるときに、その傾向がさらに顯著に出ておるのではないかと思う。すなわち家族勞働力を主軸とする
農家の五十年の歴史を耕作段別別割に割
つて考えて見るときに、最大の耕件段別をも
つたときと、少い耕作段別をも
つたときとを比較した正確な
調査は、今日の日本にはないのでありますが、十數年以前における北海道の大學の
調査においても四割の餘裕を大體推定いたしております。私が去年調べたところによると、個人所有の形によ
つて家族勞働を主軸とした日本の農業は、少い耕作段別あり、多い耕作段別があるけれ
ども、一町歩の在村
地主の
保有というものがむしろ役立
つておるのである。これが日本農業の骨格にむしろマッチしておるのだ。換言すれば、家と
土地と
農民とが密著した過程において勞働力の生産性が高められ、その過程において
土地の生産性が高められるという、日本農業の特殊構造から肯定せらるべきものであるという明快なる所論の大體がここに成立つのでありまして、昨年の
農地改革においても、當時の農林
大臣和田博雄氏は、私の説明したようなことは言われなか
つたけれ
ども、大體さような所論をも
つておられた。すなわち在村
地主の一町歩の
土地保有というものが、斷じて日本の農業の封建性の殘澤を殘すものではなく、むしろ
土地をも
つた耕作農民が他日
土地を放さなくてもよろしいという
一つの帰著點になる。かような所論のもとに去年は明かに肯定し、われわれもこれに贊成してきたのであります。次官も言われるごとく、その途上にある日本の
農地改革が七十五圓の
小作料、すなわち一箇年二個のかきをも
つて賃貸借せしめるということが社會通念としてできるのか。今日日本の
農地改革を行い、コルベートの農村をつくろうとするあなたの農政の指導
方針として、かかることが肯定せられるのか。かかる點に考え來たりますときに、
農地改革のためにこれをどうしてもやらければならぬというあなたの所論は、どうしても受取れないではなかろうかと私は考える。七十五圓では安いと思うならば、これを引上げるのだと言われるなり、もう少し理解のある御
答辨があ
つてもしかるべきだろうと思うのであります。もう
一つ問題がありますが、
委員長は私の
質問を非常に追いこんで早くすまさせたがりますので、事がこんがらかりますから、第二の問題についてはお答えをいただいてから重ねて御
質問いたします。