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佐藤喜一郎君 私ただいま御
紹介にあずかりました
佐藤であります。
何を申し上げてよいか存じませんが、
集中排除法は過度の
經濟力の
集中を排除するという
趣旨から
考えられておるとしますれば、
趣旨に別に何らの異論というものはないのであります。結局この
法律の
運用にあるという問題になるかと存じます。そういう
關係でこの問題の
金融機關に對しまする
影響を申し上げます前に、
全融業者としまして
一般の
産業界に對するこの
法案の
影響というものもちよつと申し上げて見たいと思います。これはおそらくこの
法律の
運用によるとは存じますけれ
ども、またその
基準等につきましても、世間に傳わ
つておることはいろいろ
新聞などで承知しておりますが、まだ
具體的にはつきりと存じておりません。どういうふうな
運用をされるのか私存じません。しかしながらいろいろの
新聞紙上等のニユースから想像しまして、これが大體
企業の
細分化というものをねら
つてきておるのだろうというふうに
考えられます。その
細分化ということも、財閥の
解體その他の後始末からやむを得ないことかと思うのであります。
細分化のさらに先のねらいというのは、おそらくスタートをそろえ、
自由競爭をさせる。スタートする場合に相當にハンデイキヤツプがあるようならば、
企業能力その他の較差をなるべく平等にして、
自由競爭をさせる。こういう建前にあるのだろうと思うのであります。
日本の現段階がいろいろな
意味において
統制經濟を非常に必要とし、また
産業の
能率をはかるためには、むしろ
集中生産をしなければならぬ。あるいは重點的に
産業を整備しなければならぬという
實際上の必要が迫
つておりまして、
公團法も出ており、いろいろなそういう
統制方面の
法律と同時に、
自由競爭を容易ならしめるための
集中排除法がある。そこに矛盾したような、あるいは
方向が違つたような立法が、同時に出てきておるという
方面から見まして、これの矛盾を調節するために迷惑するのは、
實際の
業者ではなかろうか。こういうふうに
考えまして、
集中排除法というものがその面において、現在の
日本の
經濟上に障害を與える度合を、なるべく少いように
運用していただきたいというのが、われわれ
金融業者から見ましての所感であります。この
排除法は、われわれから見ましても、いかにも
經營人と
企業の
形體とのアンバランス、あるいは
過大企業と思われ、
能率が非常に低下したと思われるようなものが、この
法律の結果、幾分なりとも
細分化されまして、それぞれがしつかりした形にな
つて運營されるというような、いい面もあるに違いないと思うのであります。同時にこの
細分化が進みますと、
經營人の間にも非常な弱體を生じますし、
金融業者としましては
工場の設備であるとか、
立地條件、そういうものを見るほかに、どうしても人を見る癖があるのでありますから、
經營人というものがこのために弱體化するという懸念が、
多分に現われてくるのではないか。こういう面から見まして、あまりの
細分化というものは、よほど
注意して
運用されなければならぬ。また
日本の
産業に非常に
多角經營が多かつたということも、別にモノポリとかそういう
意味ではなしに、
日本の
特殊事情に基いて起
つてきたということが
多分にあるのじやないか。たとえば良心的な
一つの總合
工業をや
つている者については、
自分が下請に出すべき
企業も、
自分で
經營しない。良心的な
部分品がまわ
つてこない。あるいは納期に正確を期しがたいというようないろいろの
事情から、つい各種の總合
企業を多角的に
經營するといつたようなことがあ
つたのであります。今日
敗戰後の
日本におきましてもその
事情は變らない。むしろそれ以上ではないかというふうに感ずるのであります。これがあるいは
立地條件であるとか、あるいは
關連産業であるとかいうような
基準から、むりやりにこれを斷ち切られました場合において、
企業の
能率であるとかあるいは製品の品質であるとか、そういつたものに及ぼす
影響というものも相當
考えられます。こういうことを
考えますと、
企業の關連性、あるいは地域とか、殊にまた
生産力の全體に及ぼす割合ということも、今後どうなるのか私は存じませんが、
新聞の傳えるところによると、こういうことも
多分に
基準の重要なる
一つとな
つておるということでありまして、この點などについても、その
資本、株主の構成が十分になされ、かつ充當しておるものならば、ことさらにこれを
分割するということは避くベきではないかと思います。大
體金融業者から見まして、この
集中排除法の
産業に及ぼす
影響で、
運用上御
注意を願いたいと感ずることは、ただいま申し上げたような諸點であります。
次にこの
集中排除法の
金融機關に對する
適用はどうだという點であります。この
排除法が
金融機關に
適用があるということは、最近きまりましたように
新聞に傳えられております。この點を取上げられまして、
金融機關に對する
排除法の
適用が、非常に嚴肅を加えてきたという印象をも
つております。私は初めから
金融業というものも、
集中排除があらゆるエンタープライズに生まれておるとすれば、
金融業のみそれを免れるということは毫も
考えておらない。これは
適用されて一向差支えないと
考えております。
しからばどういう形で
適用されるかということになると、非常に問題になると思いますが、それらの
具體的な標準といつたようなものについては、私は何にも聞いておりませんので、あらためてここでどうだという
意見は
具體的に申し上げられない。ただやはりこれも
新聞紙上その他で
一般に傳えられるところによりますと、まず
預金額というようなものを制限したらどうだという臆測が出ております。しかしこれは
金融業者から見ますと、今日のようなインフレの進行しておりますときに、
預金額などで
基準をきめるということは、ほとんど不可能といいますか
意味のないことであります。そういうことを言
つてよいかどうか存じませんが、たとえば三、四箇月の間にこの問題が片づくとしましても、當初においてかりに五十億ぐらいでよかろうと思つた
金融機關が、インフレの進行に連れて
事實解體するといつたようなときには、八十億にな
つておるかもしれない。あるいは二つにわけてよいと思つた銀行も、三つにわけなければならぬという情勢に、三、四箇月經てばなるというようなことも
具體的に
考えられますし、また反面から見ますと、そういうようなことが大よその
基準となるならば、
金融業者の方としてはこれ以上預金を集める必要はない。しばらく足踏みをした方が得ではなかろうかといつたように、刻下貯蓄増強その他にわれわれが極力働かなければならぬという態勢を、阻止するかのかうな結果も生ずるので、よく巷間に傳えられておりますように、預金高などをも
つてその點を律するということは、少し
意味がないかと思うのであります。さらにこれまた
新聞によれば支店數というようなものも傳えられております。問題は支店數が多いか少いかということによ
つて決定すべきであり、多ければなるほど整理しなければならぬ。その場合に今日のような情勢では、普通の常識から言いますれば、大銀行がこの犠牲を負擔することもあるかと思いますが、昨今の
經濟状態では支店網が平常以上になければ、
金融機關の預金收拾上の非常な支障を生ずるのでありまして、支店の數が多ければ多いほど通貨の増發を防いで、預金を吸收するという作用が起
つてくるのであります。これは平時におきましては今さらここで申し上げるまでもありませんが、定期預金というものが
金融機關の
資本の相當部分を占めておるのであります。たとえば定期預金にしますれば半年に一遍銀行に預け入れればよい。
從つて金融銀行のよい悪いを選擇して、道を遠しとせずしてよいところに預けるようにするのであります。昨今のようにほとんど貯蓄性の預金というものが非常に低率にな
つておりまして、公用の業務のために
金融機關の店舗を使います。現在あります全國における店舗數といつたようなものは、決してまだ多いとは言えないと私は感じております。こういうような
意味で店舗整理という問題はまず問題外じやないか。ただこれを地方銀行あるいは大都市の銀行との間に讓渡などをする場合もあるようであります。これらについても、私としてはほとんどあまり
意味のないことであるというように
考えております。さらにこれは
一般日本の世論であるかとも思いますが、
産業の方が
細分化されてきたときに、金融が細安化されないでは、
産業より金融の方が優位に立つことがあるかもしれぬというようないき方の議論のようでありますが、インフレの進行しておる昨今において、いろいろな
企業は金融というものがその事業上の隘路にな
つておるということは、別に大銀行があるから、小銀行だけではないからというようなことには
關係ないと思います。この隘路を隘路でないようにするならば、インフレの進行を止めることはできないといつたような、一種の非常にむつかしい場面に、
日本の
經濟そのものが直面しておりますので、こういう點で
細分化された
産業界に對して、
細分化されない
金融機關があるということは、單なる不均衡というような
考えからくるとは存じますが、よく
考えると私はまた
意味がないと思います。かつ先ほ
どもちよつと申し上げましたように、昨今
統制經濟が必要に迫られております
關係上、金融操作についても
政府、日銀、その他いろいろな
意味において統制的の
措置が各
方面にとられる。またその必要がある。こういつた場合にその統制を
運用する上においては、やはり銀行の數が少い方がむしろやりよいということはあると思います。昨今は銀行の獨占
資本、そういつたような觀念が大體なく
なつたとは思いますが、
金融機關はほとんど完全に一種の管理を受けておりまして、御承知のように今までは預金の利率の協定において、また本年にな
つて實施しました貸出金利の協定において、すべてこの協定をやる場合においては、その實情においては
財政當局と十分打合せの上でや
つておるのであります。そのほかに融資準則とか、公債引受あるいは
財政資金の分擔、あらゆる面において
財政當局と十分緊密なる御連絡をする。あるいは法的根據によ
つてわれわれ放出資金の割合も、およそきま
つておるような次第であります。完全なる國家の
財政政策の管理のもとに
運營しておるといつたような次第でありますので、銀行が大きいがために
經濟力の
集中といつたようなことは、全然
考えられぬというように
考えております。かたがたこういう議論をしてまいりますと、今まで
新聞に出ておりました
集中排除法の
適用基準といつたようなものは、私よく
考えれば、あまり
意味がなく、これを強行するならば、目下必要とする預金の増強であるとか、あるいは
産業融資の圓滑化ということには、支障こそあれ何らの益はない、こう
考えるのであります。しかしながら先ほ
ども申し上げましたように、
適用を受けるべきであるということは當然であると私は
考えております。
金融業の特質からして、業務の
運用をどうして民主化するかというような面から、廣く總合的にこれは見なければならぬ。單に普通銀行のみならず、
日本には從來から特殊銀行もございましたし、また中央銀行のあり方、あるいは銀行法そのものの
内容、いろいろなことを總合的に
考えて、この民主化の線に沿
つて改組すべきものは改組するとい
つたのが、然るべきやり方ではないかというように
考えます。もう少し申させていただければ、つまり
日本の現状が、財閥
解體以來、
資本と
經營というようなものの
關係が、はなはだ曖昧にな
つております。これらの點をどういうふうな形で
日本の
經濟が進むかといつたようなことがきま
つてきました上で、この
金融機關のあり方もそれに即應した態勢でいけばよろしい、單なる預金高、支店數、
資本金というようなもので、この
基準法を
産業の場合のように
考えることは、業務の性質上少し筋が違うのではないかというような感じをも
つております。
大點以上のようなことで私の申し上げることを終りたいと思います。