○
早川公述人 私は
石炭鉱業連盟の
早川でございます。今日私から
公述申し上げますことは、
法案の内容、
理由にも関連いたしますが、反対
意見も具体的に申し上げたいと思います。それからこの
國管法と関連がありますので、
経営者が現在の情勢においていかなる労働対策をも
つておるかという点も申し上げてみたいと思います。
最初に申し上げました法文中の反対箇所と申しますのは、いわゆる
生産協議会に関して、その性格の問題が私の言わんとするところであります。それからもう一つは、
提案理由の第三にもありますが、この
法案、特に
生産協議会等が法制化されたならば、それで
労働者の勤労意欲が特に向上するという見透しについて、私どもが考えている点を申し上げたいと思います。
もつとも、あらかじめ申し述べておきますが、きのうも
発言の機会に申しましたように、現在行われておりますところの
労働組合と
経営者側との團体交渉なり
経営協議会制度なりは、否定するどころか、むしろこれはもつともつと充実させて、今
水上さんが言われましたように、不徹底な程度に終らないで、うんと十分にしていくことは望むところで、現状に対してはまだ不満足を感じておるのであります。労資双方で自主的に協力して
石炭の
増産に力を入れていくという熱意においては、何人にも劣らぬということを思
つております。また労働意欲の向上ということがなくては、非常
増産が期せられないということも、これまた率直に認めるものでありますが、問題はこの
法案中の
生産協議会が、現行の
経営協議会と異
つたあり方をしておるという点であります。そして今も申しましたように、この
協議会を通じて
労働者が
経営権を左右するということ、それによ
つてはたして勤労意欲が高揚するものかどうかという点について多大の疑問をも
つておるのであります。
法案の第三章第四節に
生産協議会の條章がございますが、これはすでに各委員の方におかれては、特に御研究済みでありますから、私どもこの点だけ特に申し上げたいのであります。これは
生産協議会に議決権が與えられているのかどうかが漠然とし、あいまいだという感じを受けるのであります。もつとも第三十七條に過半数でこれを決するという旨が明記してございます。そしてまた他の條章においても、
炭鉱管理者の人事や業務遂行上の重要事項は、ことごとくこの
生産協議会の議を経なければ、何一つ定め得ないということにな
つております。それでは第三十七條というものが、過半数できめるのだから議決
機関だ、こういう法文を楯にする解釈をと
つて、業務の実施面を全面的にこの
協議会が左右するということをしようとすれば、できると思います。こういうふうな恰好にな
つて、他にこれを覆し得る明確な規定がございません以上は、
生産協議会が事実上決議
機関にな
つてしま
つて、事業運営上の中枢
機関となるということは明白に考えられます。あいまいなことにしておいて、解釈によ
つて事実上そうな
つてしまうということは、私どもはいやです。
はつきりと決議するなら決議するというふうな表現が望ましい。もつとも私どもは決議
機関とすることには反対であります。なぜかと申しますと、決議する、すなわち最高の意思決定をこの
生産協議会がやるということになりますと、結局
労働者が
経営権を左右するということにほかならないのです。一部の急進的な考えをも
つた人の独善的見解、あるいはその人としては至極熱心に理想的に考えておるかもしれませんが、こういう考え方を肯定する向きもあるとは存じますが、
政治の実際、
日本経済の
常識から申しまして、こういう考え方は私は
経営の
民主化に反すると信じます。なんとなれば、現階段において
資本主義組織というものは現実としてあるのです。しかし從前の、戰前の
資本独裁の
経営方式は維持できなくなりました。そこで率直に昨日も申し上げましたように、
労働者の團結権、罷業権、團体交渉を認め、すなわち労働権を正面から認め、そして一方
労働者は
経営者の
経営権を認め、互角対等の
立場で相互の人格と相互の
立場を尊重して、それぞれ
自分の
責任を遂行するという態勢が
経営の
民主化であろうと信じます。実際
経営者は
労働者なしには
生産ができません。
増産するのも減産するのも、実
はつるはしをも
つている
労働者の腕にかか
つております。しかしまた
労働者は、みずからが
経営をやることはできないということは、この過去二ヶ年にわたる実際の実例、
生産管理とか
経営管理とかいうごたごた事件を通じて、
はつきりと
労働者側も自覚しておると存じます。ご存じのように、産別や総同盟や日労などを含まして、
経営者の全國組織とともにこしらえております
経済復興会議というものがございます。その組織の基本方式の中にも
経営管理、経理並びに人事に関しては、決定権は
経営者がもつと
はつきり定めておりまして、
労働組合側がこれを承認して参加しております。また共産党の徳田書記長も、この春の全
國協議会の報告書の中で、組合が
経営権をとれば幹部がだら幹になる、またストライキができなくなると言うて戒めているくらいであります。すなわち労資が対等で隘路を打開し、
産業の
復興に協力するという能勢が、今やつと現場で確立せんとしつつある際に、この労資対等という線を越えて、
経営権そのものの内容を左右する権限をこの
機関に附與するということは、イデオロギー論なら格別ですが、これは
経営に対する非常な干渉であり、不公正であり、不公平であると思います。またこの法律の第
一條は、いわゆる
政府、
経営者、
労働者が三位一体となりという趣旨をうた
つておりますので、その
目的とも矛盾する結果になると思います。また、もし決議
機関でないというふうにいたしましても、こういう
機関を特にこの際法制化する必要がありましようか。実際問題として大いに私は危惧の念を懷くのであります。これは
労働組合側に対しては少し失敬な言い分でありますが、現在の
労働組合の指導者中には、この
法案中に掲げております
生産協議会の処理する重要事項、そういう重要事項を現場で実際に十分に咀嚼して、またそれにすぐ
意見を立てて、そのでき上
つた結論について、
労働組合員大衆に納得させるだけの能力のある人物がはたして揃
つておるでしようか。私はそれを疑うのであります。そういう
状態のもとに、ただ形に囚われ、一つのある理想的な観念的な態度にのみ囚われて、かかる組織が法制化されてまいりましたならば、その
生産協議会自身の権威の問題が起
つてまいります。この
生産協議会というものを基礎にして組立てたこの
増産法自体が、破壞されてくると断ぜざるを得ないのであります。また第三十七條に多数決できめるとか、全員をも
つてするというふうなきめ方がございますが、結局は労資双方の利益を
代表しておる者が同数で
意見を鬪わすなり、あるいは
管理者は採決に加わらないということになりますと、結局は一対一にな
つてしもうのです。そうすると結局昨日も最も主張されておりますところの、また最も採用すべきであるという
意見が統一的に述べられている、官廳の裁定に問題を委ねる、こういうことになります。またいつもいつも非常にそのために時間がかかりまして、
業務計画の内容の実行はいたずらに遅れるという結論に達すると思います。それでは一体どうすればいいのだというわけでございますが、これは私は現在民主的に発達しつつあるところの
経営協議会を、さらに充実させるという
方向であろうと存じます。御案内と存じますが、もともとこの
経営協議会制度というものは、
終戰後
労働組合法が制定されましてから團結権、團体交渉権というものが法認され、その結果團体協約が締結せられ、それに基いて設置されたところの労資の自主的
協議機関、そして
経営を
民主化するという現場における唯一の新しい組織であると存じます。從
つてこの
経営協議会なるものを、自主的に盛上
つてくる労資双方の相互信頼に基く協力体制で、これを十分に双方が
立場を
はつきりとして、いい加減な妥協や、ゆえのない爭いを愼しんで、ほんとうに有意義に強力にも
つていくというやり方が、私は問題の解決点だと思います。もつともそれは、ただできたからこれでいいのだという安易なものではございません。ここへくるまでには、それこそ血の出るような労資の間の爭いもあり、火を吐くような熱戰討論も展開されてきた事実を多くも
つておるのであります。結局双方が
立場を認めながら、双方の欠陥を指摘し、
責任の不明瞭な点があれば、それを明確に追求するという
方法によ
つてここまで参りましたが、まだまだ不十分である点は私も認めます。しかしこれがまだ育
つていないものを、そのまま今度は法文の中に取入れて、その上に
経営協議会というものよりも、
生産協議会というものをでつちあげるというやり方をしますならば、せつかく育ちつつある
経営協議会が無力化され、力を失うというふうなことを心配するのであります。私は本法に重複して、かかる
協議会制度を設ける必要はないと思います。
それでは
経営協議会が、どんなふうに今まで運営されておるだろうかという点を申しますと、成立以來日が浅いのでなんですが、二十一年度の
協議内容を見ますと、調査した数が二百九十九で、
労働條件に関するものが四三%福利厚生に関するものが二二%、
生産に関するものが一二%、その他の事項が二三%でございます。
労働條件、福利厚生に関する事項が圧倒的に多いのでございます。それは全体の六五%にあたります。それに対しまして
生産に関する事項は一二%しかもその場合議案の
提案者は会社側がその六五%にな
つております。大部分
経営者からもち出しておる。
経営に関する事項に至
つては、きわめて少くて一・二%でございます。しかもその内容は、会社の一般経理に関するものが主である現状でございますが、これは私は
経営協議会が今まで、ただ
労働者の
生活問題に非常に追われておる
終戰から現在までの段階においては、自然そういう点がおもに取上げられ、ほんとうに
日本を再建していこう、あるいは相互の
責任を
はつきりさせていこうという
方向に組合運動
自身が、あるいは労資の関係
自身が育
つていない一つの証左だと思う。
先ほど
水上さんが指摘せられた点についても、私は、なぜ
労働組合側からその点を言わないのかとさえ申したいのであります。しかしこれは、さつきも申し上げましたが、育成途上でありますから、まずよほど力を入れてや
つてきても、なかなか與えられた
方法で熟達するには時間がかかるということで、まずやむを得なか
つたのではなかろうかと思うのでありますが、今後やはり相当の期間がた
つて、労資双方が、たゆまない努力をして、自主的にこの
協議会の値打を増してゆく必要があると思います。それを今一挙に決議
機関にも
つてゆくという
方法で、
協議会をこの法文の中に設けるということは、決して労資のや
つてきた
方法を育成する途でない。むしろかえ
つてイデオロギーの押しつけ的のものに相なるということであります。労資双方が自主的に力を併わせていこうという
方法、昨日來
労働組合からは、相当痛烈なる
資本家攻撃の
意見も出ておりましたが、私は現場の
労働組合大衆が、いつもそういうふうに思
つているとは必ずしも思いません。ある場合には攻撃することもあれば、ある場合には一致することもある。
終戰後
炭鉱労働界が非常に荒れに荒れたことはありますが、今や二ヶ年にして相当に
労働者自身も自覚の度が進んでまいりました。もう暴力を振
つて経営者を痛めつけるという
方法は、今のところ全國どこにもないと考えます。從
つてこの
経営協議会方式というものが、今ややつとほんとうの姿に立至りつつあると考えるんですが、ここでただ單にイデオロギー押しつけの
方法をと
つた場合には、私は現場の両者の理解というものが、むしろ崩れるところへはい
つてくるのではないか、それでは
日本の
炭鉱復興体制に大きな齟齬がくるのではないかと思います。この点、とくと委員の皆様において御勘考を願いたいと思います。
それから次に申し上げたい点でございますが、それ
はつまり
政府はこの
法案の
提案理由として、この
國管法が実施せられることによ
つて、
労働者がその地位に目覚めて、その
責任者によ
つておのずから、勤労意欲が高揚すると説く点についてであります。すなわちこの
法案が施行された場合、
労働者は
生産協議会によ
つて、
企業の
経営を左右し、地方及び中央の
管理委員会によ
つて、
政府施策にも参加するという法的権利が與えられるのでありますから、その反対給付として、
責任感の増大による勤労意欲の高揚が期待できるというのが、
政府の考えている点でありますが、事実はたしてその通りでありましようか、私は疑いをもつのであります。まず
政府のこういう考え方は、半面には現在の
炭鉱労働者は、
経営形態にあきたらないために、まだ十分勤労意欲は発揮していないということを裏書きしているものであ
つて、逆に申せば、勤労意欲の不振が
増産の重大隘路であるということを、
政府が指摘したとも言えると思います。現下の
石炭危機において、
経営者たると
労働者たるとを問わず、それぞれの
立場で
増産に努力を傾倒するのが、私ども
炭鉱人の
國民的義務と思
つております。そして私は労資ともに、惡戰苦鬪して
生産にあた
つていると考えているのですが、いたずらに
経営形態に藉口して勤労意欲を起していない、
生産サボをや
つておるものがあるとするならば、私はまことに遺憾だと思います。また勤労意欲をこの
法案によ
つてつり出すという考え方については、私はちようど報奬
物資で
労働者をつるというやり方と同工異曲と思います。しかも後に申しますが、
労働者の大半はこの
國管を望んでいない、あるいは無関心であるという
数字を申し上げたいと思います。それでありましたならもはや何の意味があるのであろうかと思います。それはさておいて、
國管法の実施によ
つて、
政府が今不振だ、低調だと言
つておりますところの勤労意欲が、はたして上
つてまいりましようか。ただ法律上の権利を與えましたならば、その反対給付として
責任感が増大して勤労意欲が上
つてくるという考え方は、やはり道徳的期待論であ
つて、これは
戰時中、戰後試驗済みのことだと存じます。
はつきりと
増産意欲を高めるやり方としては、やはり現実に即したやり方がいいのであ
つて、人間の
経済活動というものは、最小の努力で最大に收獲を得ようとするのが本能であろうと思います。下品な
言葉で言えば、なるべく樂をしてなるべく高い金をもらおう、こういうのが人間の本能としてあることは動かせません。しかしこれをほんとうに切りかえて、うんとふんば
つていこうというのには、やはり一つの大きな思想の轉換と、もう一つはその働きに應じたところの
責任というものが
はつきりとしてまいらなければならぬと思います。しかるにこの
法案では、
生産協議会や
管理委員会に対する
労働者の関與、
発言権は大巾に認めておるのに対して、かんじんの
生産に対する
労働者の
責任ということについては、單に法文中、協力を要請するという以外には何らの規定もない。これはまことに不公平、また
責任のない
発言を認めるということになりますと、今の程度の情勢で考えますならば、
労働者側の
立場からはただ一方的に無
責任な
発言、しかも集中的に給與問題等の問題についてのみ一方的に動いてくるということが、むしろ自然の理であろうかと思います。
國家的
観点に立
つたこの法律が、
責任の具体的な規定を欠いておるというために、かえ
つて私どもは現場の混乱を起すものと存じます。これでは
政府がせつかく言
つておられる
労働者の
國家的
責任というものは、この
法案実施の現実面においては明らかに反対、あるいは空論、口頭禪に終
つてしまうというふうに思われます。私はこの能率向上をほんとうにきたさせる基礎というものは、何とい
つても
生活環境、作業環境というものを充実して、そしてしつかりした指導者、頼もしい親方が出てくるということが、基本
條件と思うのです。ところが
生活環境にしろ、作業
設備にしろ、るる話が出ましたように、今すぐに十分に充実する可能性が薄いということであります。それでは一体能率の向上というものはどういうふうにして期待できるだろうかということを考えます。しかし現在
生活環境をよくするために大巾な賃金引上げということは、國情において許されません。また画期的に諸
設備を充実するという
資金、
資材の
入手も、たとえ
國管が行われたといたしても、期待できません。いわゆるあたりまえの
方法、正攻法ではこれは期待できないという場合には、一方
増産の絶対要請である以上、正攻法でない、よほど特別なやり方をせねばならぬ、こう思います。それで私は事実実施可能の能率向上方策はと言いますと、今回発表せられました非常増炭対策の根抵を一貫しております労資の自主的努力、自発運動によるほかはないと存ずるのであります。先ほど労鉱の
労働強化はいやだ、増炭対策は
労働強化だ、これを
資本家側がけしかけているというお話がありましたが、私どもは
経営の
強化を希望しているのであります。労働の
強化は
労働組合自身で考えられるでありましよう。私はこの増炭対策というものの底を流れているものは、やはり労資すなわち当事者が、自主的、自発的の運動でや
つていくということの意味だと存じます。みなさま社会運動、
政治運動の達人であられますから、とくと御了解のことと存じますが、運動と強制との区別は、モーターが内についているか、外についているかの違いだろうと思います。たとえば三千トンという
石炭を出すべき車がトラクターで引張られている場合に、引張る方のトラクターは、いろいろ焦
つてこれに大きな力を附與しようと、一生懸命にこのトラクターについているモーターをうんとまわそうという努力をする、これが法律的強制的の力を強くする努力であろうと思います。ところがこの道は坂道で隘路もあり、でこぼこもございます。この際にまことに大きなモーターを牽引車につけましてもなかなか引張れないどころか、各車についております牽引の綱は、法文の第
一條に労資一致というふうに書いてありましても、事実上はたしてどれだけの紐帶力がありますか。むしろ隘路に差しかかり、障害物にぶつつかりましたならば、紐が切れるんじやないかと思います。逆に私はこの引かれる車の中にモーターをつけて、これが
自分で自発回轉をいたしましたら、前に引張
つている車を押し上げてやるというふうにいくのだと思います。今現にや
つております
経営協議会は、労資の自主的協力の基盤の上において、眞に効果を発揮し得るものだと思います。また私ども
戰時中に、実は勤労根本法というものについて研究をいたしたことがございます。ところが
日本独自の勤労の考え方と組織を確立するという方面であ
つたのでありますが、これは結局法律ではできない。人間の思想と、あるいはその思想に基くところの素地というものがまだ十分育
つていない場合に、法律の網をかけてはこれ
はつかまえられない。むしろ未成熟の
状態に法律をかけてみましても、法律自体が消えて
しまつたり、破れて
しまつたりするという判断で、結論としては勤労根本法は不成立でありました。事務的には不成立になりました。ところが軍需会社法が出まして、勤労根本法で構想された点が大いに取り入れられまして、そうして強烈な
責任追究というか、あるいは軍閥、官閥の統制組織ができたのであります。ところが現場においてはまた勤労統率組織というものができまして、これにいろいろの附設
機関もできたのでありますが、結局は何にも回轉しなか
つた。これは私ども
戰時中からその点について十分に運動と法律強制との限界を覚
つたわけでありますが、今またここにお取上げになるかどうかという点については特別御考慮を願いたいと思います。
なお御参考までに申し上げますが、これは英國においてさえ
炭鉱の
労働者が
経営に参加することは拒否せられておる実情であります。各
炭鉱生産委員会というものができておりますが、保安の件についてのみ
労働者の参加が許されておるに過ぎません。
炭鉱國管問題では、二十年來論議されておりました英國においてさえかくのごときでございます。また時事通信の九月二十日号によりますと、こういう報道をいたしております。英國
炭鉱國有國営は、
炭鉱の近代化、
機械化は急に実現ができないが、
炭鉱労働者をして、
國家のために働くのだという意識をもたせ、
炭鉱の雰囲氣を
改善させ、も
つて増産に寄與させようとしたのであるが、かかる道義的要望だけではあまり効果がないことが、今次のヨークシヤーの
炭鉱労働者の爭議でわか
つたということを、海外
経済版に載せております。そしてロンドン・タイムスは次の二点が必要であると言
つております。すなわち実際に購入し得る
物資に乏しいため、一定以上の賃金獲得意欲がないのに鑑み、
物資の裏づけが必要だ。第二は
増産要望のみに止まらず、
経営管理者に欠勤常習者の解雇権を認め、規律を確立すること。こう申しております。またロスアンゼルス・タイムスの記者はジョーンズ氏は—これは十月九日号に出ておりますが、
炭鉱國有の運営
機関たる全國
石炭委員会ができて以來、厖大な
官僚主義が確立され、中央の要請が坑夫のつるはしにまで達するには幾月もかかる実情である。さきにアトリー首相が
石炭増産を要請したときも、
石炭委員会ではみずから何もできないので、全國
炭鉱組合に出かけて
行つて頼む以外に手がなか
つた。そうして実際に組合に届いたのは四週間後であ
つたと言
つております。フエピアン協会も、
産業の
國有に当
つては、
政府は政策樹立のため少数のスタツフをもつに止め、日日の運営に直接関係すべきではないと申しております。かくのごとくすでに
國有國営を実施しております方面においても、こういう実例がすでに現われております。
また先にも申しましたが、この
炭鉱の
労働者の意向が、
炭鉱國管に対していかなる状況にあるかという点でありますが、この点を最も科学的に取上げられましたのは、過般新聞紙上にも発表されましたが、輿論調査研究所によ
つて行われました今年の七月十二日から八月二十日までの間に調査いたしましたその結果を見ますと、全國二十三
炭鉱につきまして
労働者数十万人中、回答が六万四千三百二十六人、その中で國営賛成者が一万九千五百二十七名、これは三〇・三%に当ります。民間
経営を希望する者が二万三千六百二十一名、これはちようど三六%に当ります。國営を望む者は三〇・三%、民営は三六%とな
つております。このことは
炭鉱の
労働者諸君が全面的に
國管に賛成であるというのではなく、むしろ不賛成者の多いことを明確に物語る証左であると言わざるを得ません。そして社会党支持の
労働者が三万二百九十七名ありました。それに対して國営の賛成者が一万九千五百二十七名でありますから、かりに賛成者全部が、社会党支持であるといたしましても、一万七百七十名約三分の一が國営には賛成できないというのであります。この調査の結果はよく御考慮を願いたいと思います。なおまた
國管問題に関する全
労働者階級の関心はすこぶる微弱でありまして、これまた統一的な全
労働者階級の
発言がないことは、たとい
國管問題が
増産法であるといたしましても、ま
つたく私どもは奇異の感にうたれるのであります。その点は荒畑寒村氏も指摘しております。どうぞこの点よく御勘考くださいまして、現実と遊離しない、そしてほんとうに労資がみずから立
つてやれるという能勢を損なわないように、御留意をお願いいたします。なお最初に申し上げましたが、時間が超過いたしましたので、
経営者として現下の労働対策というものをも
つておりますが、これは別の機会にお讓りすることにいたします。