○
曾野説明員 先般は九
箇國の
共産黨の
協議會の宣言に基きまして最近におきます
ソ連側の
國際情勢判斷とその
對策を御
説明したのでございますが、本
來ソ連の
對外政策と申しますものは、そのときどきにおける
ソ連の
國内政治、
經濟情勢をにらみ合わせて檢討せねばならないものでございます。このような
見地から
戰後の
政治、
經濟情勢の概略を御
説明申し上げたいと思います。
御
承知の
通り、ポリシエヴイーキは、十月
革命によりまして
政權を掌握いたしましてから、
政治的には
議會制度の
代りに
ソヴイエト制度を採用いたしました。
經濟的には
共産主義社會に至る第一
段階に達しまして、
社會主義體制の
完成に
努力してお
つたわけでございます、そうしまして
政治面におきましては、
ソヴイエト制度は
革命とときを同じくして實現しまして、そのうちもつ
ぱらいわゆる資本主義的分子の絶滅と反
幹部派の
肅正に力が注がれてお
つたわけであります。
このようにいたしまして、一九三五、六年ごろに至りまして、いわゆるブルジョアジーの殘滓は絶滅されたという
段階に至りまして、
皆さん御
承知の
通りスターリン憲法が一九三六年十二月につくられたわけであります、この
憲法は今申しましたように、
政治的段階において考えらるべきものであると思うのであります。
一方
經濟面におきましては、
革命後の戰時
共産主義時代に、これも
皆さん御
承知のように、土地や主要な
生産手段あるいは
運輸機關、
金融機關、こういうものが
社會化されまして、
社會主義體制の基盤がつくり上げられたのであります。本來非常に後進的でありました
農業國であるロシアを、
工業國、特に非常に進んだ
工業國にするためには一方ならぬ苦心がなされたのであります。
戰時
共産主義時代ができました後に、一九二一年から一九二五年にわたりまして、採用されましたいわゆる新
經濟政策——ネツプの
政策は、いわば
資本主義に讓歩しつつ
社會主義體制に發足する
經濟的な
基礎をすえたものでございますが、この
政策に成功しました後に、
ソ連當局は鋭意
重工業化と
農業の
集團化ということに
努力したのでございます。一九二八年に始まりました第一次五箇年計畫以後、三次にわたります五箇年計畫は、すべてこのような
努力に向けられてお
つたのであります。しかも御
承知のように
農業の
集團化と申しますものは、一九三三年から始まりました第二次五箇年計畫におきまして、ほぼでき上りました。從いまして第三次計畫というものは、三十八年から始ま
つたのでありますが、もつ
ばら重工業化軍需工業化の計畫であ
つたことも、
皆さん御
承知の
通りでございます。この第三次の五箇年計畫と申しますものは、先ほど申し上げました
政治面からいきましても、スター・
リン憲法の
段階に副うものでございまして、
社會主義から
共産主義への
移行期の計畫であるというふうにいわれておるのであります。
今申しましたように第三次計畫におきまして
ソ連が
社會主義から
共産主義への
移行期にほいりました
段階におきまして、
獨ソ戰爭が始まりまして、
ソ連は多大の
損害をこうむ
つたわけでございます。從いましてこの
戰爭が終りました後には、
ソ連といたしましては、再び
戰爭によ
つて受けました
損害を囘復して、速やかに
共産主義社會への前進を續ける必寧があるわけでございまして、しかも
日獨の
崩壞、他方におきまして
英佛の衰勢というものに伴いまして、かねてから
ソ連の
經濟建設の
到達目標とされておりました
先進工業國でありますアメリカとも、直線的に對立するような状態に立至
つたわけでございます。
しかるに本
來ソ連の
國是と申しますものは、やはり
共産主義社會の
建設ということでございますから、そのためには
生産カを高度に發達させまして、
國民の物質的、精紳的な
福祉を増大して、能力に應じて働き、欲望に應じて分配を受けるという
社會をつくることが、
經濟建設の
最終目標であるわけでございますが、一方
ソ連といたしましては、
資本主義の
包圍下にあるという
見地からいたしまして、高度の
國防體制の
完成ということにもカを注いでおるわけでございます。
戰爭が經りましてから後の現
段階におきましても、依然としてこのような
見地が強く考慮されておるというふうに思えるのでございます。從いまして現在
ソ連當局といたしましては、
獨ソ戰爭によりまして
損害を受けました
國内經濟を最も短い期間に
復興して、それを速やかに戰前の水準に歸すという一つの
課題のほかに、やはり
國防經濟體制の長期にわたる
建設を續けるという
二つの
課題が與えられているわけでございます。
このような
課題に對しまして、
ソ連政府といたしましてはすでに
戰爭の終ります前からいろいろの手を打
つておるのでございますが、そのおもなものを若干あげて御
説明したいと思います
まず
政治面の御
説明をいたします。第一はいわゆる
肅正と
自己批判の問題であります。昨年の三、四月ごろから
政治、
經濟、理論、文化あらゆる
部而にわたりまして、いわゆる
批判活動が
活發に行われ出しまして、それと併行しましていわゆる
肅正が行われ始めたのでございます。
スターリン氏はすでに昨年の二月の
選擧演説におきまして、戰勝者にと
つても
批判は必要であるということを強調してお
つたわけでございます。從いまして
新聞紙上におきましても、特にプラウダでありますが、非常に
批判が
活發に展開されました。そうしてまた
連邦共産黨内のいわゆる
自己批判ということも非常に顯著にな
つてまい
つたのでございます。
それではどういうことが
批判されておるかという例を若干拾
つてみますと、たとえば
地方の
共産黨の黨部のボス化した
幹部が會談の席上におきまして、平
黨員の
批判に對しまして
強壓的な態度に出るというような點が
批判された。あるいはまた黨の役員が
國營企業の
首腦部との間に
情報關係を結んで、わざと
監督を怠
つているというような點が
批判の
對象とされていた大きなものであります。このようにしましていろいろな
批判が
活發に展開され、あるいはいろいろないわゆる
涜職者の
肅正ということが行われてお
つたのでございますが、最も目立
つたものといたしましては、昨年の五、六月ごろに
ウクライナで半數以上の黨の
幹部が更迭されたというような記事が、
新聞に現われてお
つたわけでございます。
次に
行政部面におきましても、やはり
背任涜職行為が
批判の
對象とされておるわけでございます。どういうことが
批判の
對象にされておるかと申しますと、たとえばある
工場で未
完成品を
完成品としてうその
報告を行いまして、いわゆる
國家の計畫を遂行したというふうを
裝つて、
報奬金をもらうというようなことが起
つたそうであります。あるいはまた
コルホーズの
關係者が
農業用のベンジンを横流しをしたというような
不正行為が
批判されておるのであります。このような
批判の結果といたしまして、多數の官吏や
共産黨員が
肅正されたというようなことが轉えられておりました。さらに文學とかあるいは演藝とかという
部面におきましても
自己批判が行われておるのでありまして、
ソヴイエト連邦の現實を逃避しで、いたずらに歴史的なもの、あるいは無意味なブルジョア的な
翻譯物が構行しているということが問題とされてお
つたようであります。現に昨年度におきましては、レニングラードのある雜誌は廢刊とな
つたのであります。そうしてかような作品を書きました著者は、
作家同盟から除名されたというような
事件も起
つておるようであります。最近におきましては
哲學者の
方面にも
批判が行われ出したようでありまして、本年の夏には、有名な
學者のアレクサンドロフも、相當な
批判を受けておるというような
状況にな
つておるわけであります。しかしこのような
肅正と申しますものは、皆
樣御承知の
通りの、か
つてソ連で行われました
肅正とは
大分趣きを異にしておるのでありまして、これは
戰時中にどの國におましてもありがちな
綱紀弛緩というものを引き
緊めまして、
戰後の
建設の
基本態勢をつくり上げるという
措置であるように思われるのであります。
第二には各種の
生産振興策を見てみたいと思います。ただいま申しましたように、
行政面の
肅正に伴いまして、
政府といたしましては
國營企業に對する
監督を強化するということは、まことに
當然のことでありまして、そのような
措置がいろいろとられております。
地方におきましては戰時において採用されましたいわゆる戰時非常
對策というものは、だんだんと緩められて、そうすることによりまして、
生産の
振興をはかるということも行われておるわけであります。どういうことが行われておるかと申しますと、たとえば戰時税及びその他の戰時的な課金は廢止されましたし、あるいは
戰時中に廢止されておりました勞働法上の休暇も復活されたのであります。
勞働時間は
戰時中、
憲法にきめられておりました一日七時間の
勞働時間のほかに、三時間までの
超過勞働が認められてお
つたのでありますが、
戰後になりましてこの
超過勞働は廢止されまして、その
代りに
憲法上の
勞働時間が八時間に延長された、こういうような
措置もとられたのであります。また一九四四年の四月ごろから、
ソ連邦においてつくられましたいわゆる
商業價格、すなわち
日本のピース、コロナのような
制度を全面的に與えられまして、高い方の
公定價格の
制度というものが行われてお
つたのでありますが、これが數次にわたりましてだんだんと引下げられてまい
つておるのであります。特に注目すべきことといたしましては、昨年の二月に
スターリン氏は、昨年中にバン、麥、
マカロニー等に對する切符の
配給制度を廢止するということを言明して、大いに
國民の
志氣を高揚したわけなのであります。これらの
措置が
ソ連邦の
國民に對しまして多大の
明朗感を與えたことは
當然であります。
少しく專門的にわたりますが、いわゆる
ソ連の
國營企粟にございます
企業長基金というものは
戰時中廢止されてお
つたのでありますか、
戰後において復活されたのであります。
企業長基金の復活というのはどういうことを意味するかと申しますと、皆
樣御承知のように
ソ連では
獨立採算制というものを
國營企業はと
つております。
獨立採算制の最もキーポイントとしてこの
企業長基金が考えられるわけでありますが、これは
個々の
企業が與えられました計畫を遂行します場合に、計畫
利潤の四%と、計畫以上の
利潤をあげた場合の
超過利潤の五〇%が、
企業長、つまり
國營企業のマネージャーの自由に處分が許される
——もつとも完全な自由ではございませんが、許されるという
制度でございます。そうしてその
基金の五〇%以上がその
企業の
勞働者の
福祉のために、ないしはよく働いた
勞働者に對する
特別賞與として支給することができるという
制度であります。
戰時中この
制度が廢止されておりましたが、
戰後において復活されたということは、
個々の
企業におきまする
關係者の
生産意欲を振起高揚させる效果があるわけであります。
また
住宅建設の面でありますが、
ソ連におきましてもこの
住宅というものは非常な
損害を受けたわけでありますから、第一番に重要な問題にな
つておるわけなのであります。
ソ連では
戰後におきまして、私有の
住宅の
建設ということを非常に奬勵いたしております。たとえば、
政府から
助成金を出しまして、
年賦償還によりまして
資材その他を全部
國家で配給して家を建てさせる、こういうような
制度も行われておるわけであります。それから、これも
皆さん御
承知のように、
從來コルホーズ農民は
個人の
菜園をもつことを許されてお
つたわけでありますが、
戰後におきましてはソフホーズ、つまり
國營農場の
勞働者にも
個人の
菜園が許されるようにな
つておるわけなのであります。今申し上げましたような諸
方策は、
戰後におきます國内の
復興及び
建設を促進するために、
個人的利害を利用するという、いわば
資本主義的な方式であるとも考えられるわけなのであります。
今申し上げましたのは、
戰後の
經濟建設を遂行する面からします諸
方策の一端でありますが、
戰後において注目すべき
人事としましては、まず
スターリン氏が本年の三月に
國防大臣をやめたという點であります。
スターリン氏は、一九四一年の五月に、つまり
獨ソ戰爭が始まります直前に、
從來勤めておりました
連邦共産黨の
中央委員會の
書記長という
職務のほかに、
大臣會議議長、つまり
總理大臣の職を兼ねたのでありまして、次いで
獨ソ戰爭の始まりました直後の七月には
國防大臣を選任したのであります。つまり
國防大臣は
陸軍大臣のことでありますが、これを選任したわけであります。
地方におきましては、ベルリンが落ちました翌月の一九四五年六月には大元帥とな
つて、ここにおきまして、
共産黨と
ソヴイエト政府と
ソヴイエト軍の三者は、
スターリン氏の指導のもとに、一手に掌握されたという
状況にな
つてお
つたわけであります。このようなたくさんの
職務をも
つておりました
スターリン氏は、先ほど申し上げましたように、本年三月に
國防大臣の職をやめたという
人事が行われたわけであります。このことは後ほど申し上げますことと關連してお考え願いたいのであります。
次に、
皆さん御
承知の
ジユダーノフ氏は、客年三月に
連邦會議の
議長に選任されていたのでありますが、本年二月に、本來の
職務が多忙であるからという
理由で、それを辭任したのであります。つまり
ソ連邦のいわば
國會にあたります
連邦會議の
議長を辭任したのであります。その間におきまして、昨年の十一月に毎年行われます
革命記念日におきまして、
ジユダーノフ氏はスータリン氏に
代りまして、
祝賀演説を
行つたということで、非常に世界の注目を引いたということは、皆
樣御承知の
通りであります。
また一方
マーレンコフ氏は、
從來黨の
事務のために專念しておりましたが、客年の秋には
大臣會議讀長代理、つまり副
總理の地位に就任したのであります。副
總理と申しましても現在十名おります。その中の一名に就任したのであります。この
ジユダーノフ氏と
マーレンコフ氏は、先般も申し上げたと思いますが、
スターリン氏とともに
連邦共産黨の
中央委員會の
政治局、
書記局、
組織局を通ずる
委員でありまして、この三局を通ずる
委員はこの三人のほかにはないのであります。また先般御
説明申し上げました九
箇國の
共産黨協議會へはこの兩氏が
ソ連邦共産黨を代表して出席したということも御
承知の
通りであります。
今申し上げましたような
ソ連邦の
首腦部の
人事と關連して注目されておりますのは、エリエム・カガノーヴイチ氏が客年の春、
ソ連邦の
大臣會議議長代理兼
建設資材工業大臣という職から
ウクライナの黨の
書記長に轉出したことであります。實は一九四四年の
ニ月でございますが、つまり
ソ連が
ウクライナ白露の
戰災地域の
復興にカを入れ出しました後におきまして、
ウクライナ白露共和國におきましては、
ソ連邦の
政府が、
スターリン氏が黨の
書記長と
大臣會議議長にな
つておりますと同じように、
フルシチョフ氏が
ウクライナの
大臣會議議長と黨の
書記長を兼ねてお
つたのでありますが、このたびはカガノーヴイチ氏が黨の
書記長になりまして、
フルシチョフ氏が
大臣會議議長にな
つたということであります。今申し上げました
大臣會議議長と黨の
書記長がわかれるということは、現在
ソ連邦政府自體が黨の
書記長と
大臣會議議長と兼ねておる形にな
つておりますので、これと關連して、あるいは將來の動向を示唆するものじやないかというふうにも考えられます。
次に、
經濟面を見てみたいと思います。第一は
平時體制への再
轉換の問題であります。
ソ連ではすでに
獨ソ戰爭の末ごろから、部分的には
經濟の再
轉換の準備に
當つてお
つたのでありまして、すなわち一昨年の九月には、
戰爭が終りましてからは、その
經濟の
復興再
轉換ということには非常に急速な
努力が拂われていたわけなのであります。しかしながら、
ソ連經濟の再
轉換と申しますものは、その特異な
經濟體制からいたしまして、
一般の
資本主義諸國の場合と非常に
趣きを異にしておるということは、皆樣もお氣づきのことだろうと思います。すなわち、普通の國におきまして、
戰時經濟から
平時經濟への再
轉換に際しましてつきまといますような、マーケットの
關係とか、あるいは過剩
生産問題、あるいは失業の問題、あるいは
戰後インフレの問題、こういうふうな問題は
ソ連邦ではほとんど存在しておりませんし、また存在したといたしましても、非常に
趣きを異にしておるのであります。たとえば、
戰後におきまして、
ソ連邦におきましても、大量の
行政整理が行われたのでありますが、これは
ソ連邦におきましては、いわば
配置轉換の問題という
見地から、
共産黨の
統制下に非常に容易に行われるという特色があるわけであります。
從つてソ連邦におきまする再
轉換の問題といたしましては、主として、第一には
軍需生産から
民需生産への
轉換、たとえば
戰車工場をどういうふうにして
トラクター工場に
轉換するかという、いわば技術的な問題がまず第一になるわけであります。第二の問題といたしましては、前に申し上げましたように、いわゆる
ソヴイエトの
平時の正常な
經濟秩序に引戻しますために
戰時中に起
つておりましたいろいろな混亂だとか、あるいは不正とか、こういうものを引締めまして、
體制を強化するという問題が、第二の問題なのであります。それから第三の問題といたしましては、先ほど申し上げましたように今後の
ソ連の
經濟の
課題というものは、
戰災地の
復興と、それから今後の急速な發展ということにあるわけでありますから、それに應じた
體制をつくり上げるということがあるわけであります。
從つて一般の
資本主義國家の
經濟再轉換の問題とは
大分趣きを異にするわけなのであります。しかもこのような
ソ連の
經濟の再
轉換の問題というものは、非常に強力な
國家の計畫を、その
管理下において、ほぼ
圓滑に急速に進められておりまして、昨年の末ごろまでには、一應その
經濟再轉換というものはでき上
つたように思われるのであります。
しかしながら、そのような
經濟再轉換の結果であります
ソ連の
戰後の新しい
經濟體制というものは、全體といたしましては、やはり
獨ソ戰爭前と同じような、あるいはそれ以上の準
戰時體制であるということは、後ほど御
説明する第四次五箇年計畫からおわかりになると思うのでありまして、その
目標はあくまでも
復興第一
主義、
重工業第一
主義という形をと
つているように思えるのであります。
第二には昨年三月に決定されました第四次五箇年計畫であります。この五箇年計畫の特徴といたしましては、およそ次の五つの點が考えられると思うのであります。
第一の點は、今申し上げましたような
重工業第一
主義であります。殊に
戰爭による
損害の激しゆうございました冶金、石炭、
石油等の
基礎部門の
復興と、それから
從來も非常に
努力しておりましたが、なかなか思うような成績があがりませんでした
機械工業の諸
部門の擴充ということに、最大の重點がおかれているということが第一の點であります。
第二の點といたしましては、ヨーロッパ、
ロシヤ殊に
ウクライナなどを中心といたします
南部ロシヤの
工業地帶の
復興を行うとともに、いわゆる
ウラル以東の地域の
工業建設に重點がおかれているという點であります。今申し上げました
二つの點は、すでに
從來の五箇年計畫からしましてもおわかりにな
つていることでありまして、このニつの點はいわば
從來の五箇年計畫の延長ということが申せるのではないかと思うのであります。
第三の點といたしましては、機械化、ないし自動化を一層發展させる。つまり
生産組織の點を合理化していく。そうして米國式の大量
生産方式を廣く普及する。このようにしまして
生産物の質と
生産技術の向上をはかろうとするという點であります。
第四の點は、原子力時代に對處いたしまして、科學研究機關の大擴充が考えられているという點であります。
第五の點といたしましては、
戰後におきましても、依然として相當強大な國防力の保持とその科學的な武裝化ということが考えられておる。こういうふうな五つの點が第四次五箇年計畫を見まして氣がつく點でございます。
全體といたしまして、少し具體的に申し上げますと、この第四次五箇年計畫というものは、つまり昨年から一九五〇年に至る間の計畫でありますが、大體におきまして一九四八年、明年の末までには戰前の
生産水準を囘復しまして、一九五〇年には工業の
生産額におきましては、戰前の水準の四八%増
農業の
生産額においては二八%増、
國民所得においては三〇%増というようなぐあいに、戰前の
生産水準を凌駕するということを
目標にしておるのであります。
今これを
基礎的な産業
部門について少しく具體的に
當つてみますと、電力は一九五〇年に八百二十億キロワツト、アワーにするという計畫であります。第三次五箇年計畫、つまり
獨ソ戰爭の結果實行されませんでした一九四二年に終る豫定の計畫におきましては、七百五十億キロワット、アワーにするという計畫であ
つたわけであります。それから
ソ連の發表いたしました一九四〇年度の實績といたしましてほ、四百八十億キロワット、アワーであ
つたということであります。それでここに申しております戰前の水準を何パーセント殖やすというような數字は、戰前の水準が發表されませんので、
個々の
部門についてはわかりかねるのでありますが、一應大ざつぱな推定をしてみますと、一九四五年、つまり
戰爭の終りました年の電力の
生産量は約五百億キロワット、アワーではなか
つたかと思うのであります。從いましてその五百債キロワット、アワーを一九五〇年に八百二十億キロワツト、アワーにするということは電力
部門に關しましては約六匹%増というふうに考えられるのであります。
同じように石炭を見てみますと、石炭は第四次五箇年計畫におきまして二億五千萬トンにする豫定であるというふうに發表されております。
ソ連の發表によりますと、一九四〇年度、つまり獨ソ戰前の實績は、一億六千六百萬トンであると發表されてお
つたのであります。いろいろな斷片的な資料から總合しますと、
戰爭が終りましたときの水準というものは一億四千五百萬トン程度ではなか
つたかと思えるのであります。從いましてこの五箇年間に、
ソ連といたしましては約七三%の増産をはかるということになるようであります。
石油につきましても、同じく増加率を推定してみますと、約六八%増ではないかと思うのであります。銑鐵につきましては七七%増、鋼材については七四%増、こういうように大抵の主要な
生産部門をみますと、どれも六〇%以上の増加を考えている。つまりこの五箇年間に六〇%以上の増加が考えられているということが言えるように思うのであります。從いまして工業全體といたしましては四八%増でありますが、
基礎的な
生産部門につきましては、どれもこれも六〇%増というくらいの
努力が必要にな
つているわけでございまして、從いましてこの五箇年計畫におきましては、やはり
從來の五箇年計畫と同じく、基凝産業に非常な
努力がされるということが、この點からもおわかりだろうと思うのであります。
しかしながら、このような非常な
努力をして達成に努められております、
ソ連の
經濟發展ではありますが、アメリカが
ソ連の
經濟建設の
到達目標であるとかねてからいわれておりますが、アメリカの
生産力に比べますと、まだ多大の縣隔があるわけでございます。一九四五年、一昨年當時におきまする米ソの
經濟力を比較してみますと、おもな
生産部門につきましては三對一ないし四對一というくらいの比率があるようであります。從いましてこの點からしましても、昨年二月に
スターリン書記長が一九六〇年の、十五、六年先の
ソ連の
經濟生産の厖大に數字を發表されているということは、
當然のことでありまして、第四次五箇年計畫だけではとうていアメリカの
生産カに追いつかないということはあらゆる面から見て明らかなところであります。
ただいま申し上げましたのは第四次五箇年計畫に關する概要でありますが、第三に
戰後におきまする現實の
生産状況というものを若干御
説明申し上げたいと思います。新五箇年計畫は昨年度から始
つたわけでありますが、昨年度の年度計畫といたしましては、各産業
部門につきまして、その前年に對しまして約一〇%ないし一三%の増加をはかるということが出てお
つたわけであります。つまり昨年度におきましては一昨年度に對しまして一〇%ないし一三%の増加をはかるということが發表されてお
つたわけでありますが、實際上の昨年の實績はこれよりも少し下まわ
つているという
状況であ
つたように思えるのであります。これに對しまして、本年度の年度計畫といたしましては昨年に對しまして石炭は一六%増、石油は一八%増、電力は一六%増、銑鐵は二一%増、鋼材は二一%増というような
目標が與えられているわけであります。つまり今年度におきましては、昨年度に比べましてこれだけ殖やすという
目標が立てられているわけであります。
さらにその他の産業
部門を含めまして本年度の計畫の全體を見ますと、今年度の計畫は、昨年の計畫に比べまして非常に強行的な、つまり無理して進むという計畫であるように思われるのであります。しからば本年度の實績はどのようにな
つておるか、そのような非常な強行的な計畫が、どの程度まで實行されているかという點を、斷片的な資料から拾うてみますと、本年の一月ないし三月の機關におきましては、昨年の一月ないし三月に對しまして、石炭は四%増、石油は一五%増、電力は一四%増、銑鐵に一〇%増、鋼材は六%増というような、はなはだ不振な状態であ
つたわけであります。しかしながら第ニ・四半期、つまり四月から六月までの成績におきましては、かなりよくな
つてまいりまして、昨年度の四月ないし六月に比べまして、石炭は一一%増、石油は一八%増、電力も同じく一八%増、銑鐵一一%増、鋼材八%増という數字が發表されておるわけであります。すなわち石油と電力は大體よいのでありますが、製鐵
部門が依然として惡いということがわかるのであります。このようにしまして本年度の強行的な年度計畫を遂行いたしますためには、
ソ連當局といたしましてはあとに殘りまする下半期の間に相當な
努力が必要であるということが言えるわけなのであります。
一般に申しまして
ソ連の
經濟の今後の發展、あるいは特に第四次五箇年計畫に對しましてネックとな
つておる點は、どういう點であるかということを觀察してみますと、第一には今申し上げましたような
基礎産業
部門、特に製鐵とか、あるいは石炭、石油、こういうふうな
部面の
生産が十分でないという點が第一に考えられると思うのであります。第二の點は勞働力特に熟練工が不足しておることであります。
戰爭によ
つて多大の人的
損害をこうむりました
ソ連邦において、勞働力殊に熟練工が不足しておるという點であります。第三點といたしましては、
一般的に技術水準が低いという點であります。第四番目といたしましては、
生産施設が
戰爭によりまして、全般的に消耗しておるのではないかというような點であります。これらのネックに對しまして、
ソ連邦政府は非常な
努力をいたしまして、第四次五箇年計畫の完遂に邁進していることは
當然のことであります。ただいまはおよそ工業の面について申し上げたのであります。
最後に
農業生産の
状況を申し上げてみたいと思うのであります。さきにも申し上げましたように、昨年の二月に
ソ連邦では昨年の暮までに食糧切符
制度をやめるということが發表されてお
つたのでありますが、昨年度の收穫は
ソ連の發表にもありまするように、五十年來と稱される大旱魃あで
つたわけであります。從いまして切符
制度も昨年中には廢止にならなか
つたという
状況であるわけであります。このような食料
生産上の不振
状況というものは、
ソ連邦政府が大いに
努力しております第四次五箇年計畫の遂行に對しても、非常な影響を及ばすものでありまして、本年度の收穫は
ソ連邦にとりましてはまことに重要なモメントとなるわけであります。第四次五箇年計畫によりますと、一九五〇年度の粒穀の收穫量は、一億二千七百萬トンというふうに豫定されております。そして一九五〇年度におきまする一ヘクタール當りの平均收穫率は一・二トンという豫定にないておるそうであります。この
二つの數字から一九五〇年度におきまする收穫の豫定の面積を見て計算いたしますと、一億五百九十萬へクタールという數字が出てまいるのであります。しかるに本年度二月に
連邦共産黨中央委員會の決定がありまして、播種面積を、今年から來年にいくら殖やすというような詳しい計畫が出てお
つたのでありますが、それから逆算いたしますと、本年度におきまする收穫面積というものは約九千三百八十萬ヘクタールという數字が出てまいるわけであります。つまり昨年度の秋まきの面積と今年の春まきの面積を合計した數字でありますが、約九千三百八十萬ヘクタールという數字が出てまいるわけであります。先ほど申し上げましたように、一九五〇年におきまする一ヘクタール當りの收穫率というものは、一・二トンと豫定されておるのでありますが、これは戰前の實績からいたしましても相當高いものであります。本年度におきまして
ソ連の
新聞にいろいろあらわれました平均收穫率
目標というものを斷片的に拾
つてみますと、
ソ連邦當局としては、本年度において一ヘクタール當り一・一トン當りの收穫を豫定しておるのではないかと思われるのであります。從いまして本年度の收穫面積を今の一・一トンという數字から考えてみますと、本年度におきまして
ソ連邦當局は約一億三百萬トンぐらいの收穫を豫定しておるのではないかということが考えられるのであります。戰前におきまして、一九三七年度は一億二千萬トンという收穫をあげております。一九四〇年度は一億千八百萬トンという數字をあげております。これは非常な豐作の年でありますので、本年度はやや平年作と豫想して計畫を立
つておられるというふうに考えられるのであります。それでは現實に、はたしていろいろな
状況からしましてそのような計畫が實現され得るかという點であるのでありますが、この點は非常にむずかしい問題でありまして、資料も十分にはないのであります。ただ
ソ連邦政府としましては、いろいろな手段をと
つてこの
目標達成に
努力しておるということは申せるのでありまして、若干どういうことが行われておるかという例を申し上げますと、昨年度は非常な旱魃によりまして減收を來したわけでありますが、本年度は早くから旱魃
對策をと
つておるということは注目すべき點であります。それから本年の二月には先ほどもちよつと申しましたが、
連邦共産黨中央委員會は、
農業の増産
對策というものをきめておりまして、たとえば
連邦共産黨及び
ソ連邦政府の農政機關及び中央機關の整備強化をはかり、あるいは
コルホーズ體制を再びもつと強化する、あるいは
農業委員を養成する、あるいは機械カをさらに一段と強化する、あるいは肥料を大いに利用する、こういうような
對策を本年の二月において決定したわけなのであります。
機構の面からしましては、たとえば今まで三つの省にわかれておりました
農業關係の官廳を
農業經濟省というふうな一本建にしまして、強力な指導に當り、あるいはなくな
つておりましたソフホーズの面からする收穫物も増大をはかるという、こういうような機構面からの改正も行われてお
つたわけであります。それから
戰時中におきましては
政治面においていろいろ申し上げましたように、まず
コルホーズの面においてもいろいろ規律の弛緩があ
つたわけでありますが、それは大いに引締めて
コルホーズの定款に違反するものはどしどし處分する、こういうような
對策を講じておるわけなのであります。それから
コルホーズの
農業要員でありますが、やはり
戰爭の結果としまして非常に不足を來しておりますので、
政府は大いに力を入れまして、その養成に
當つておるというわけであります。また
農業機構が非常に足りないのでありますが、
生産面から見ましても、トラクターの
生産というものは豫定
通りにい
つていない、こういう
状況であります。從いましてこの人員不足、トラクターの
生産が十分にい
つていない、あるいはその他の
農業機構の
生産が不足しておるということは、本年度の收穫に對しましては、ある程度やはりネツクの面をなしておるのではないか、こういうふうに思われるのであります。ただここに注目すべきことといたしましては、
從來ソ連邦の
農業計畫におきましては、種子を改良したり、あるいは合理的な林産物をとるということが行われてお
つたのでありますが、最近に至りまして肥料を大いに利用するという點にも著目してきたわけなのであります。この點は本年度におきましても相當な成績をあげておる樣でありますので、本年度の收穫にとりましては相當好影響を與えておるというふうに考えられるのであります。そのほかに皆
樣御承知のように、
社會主義競爭ということを本年度においても
農業面において大規模に採用いたしまして、
生産の増加をはか
つておるということが見られるわけなのであります。
今申し上げましたような、いろいろな
經濟的、
社會的な條件があるわけでありますが、結局において農産物の收穫は天候その他に支配されるわけであります。本年度の天候は大體としてはよい天候であ
つたということが言えるようであります。但し東ヨーロッパは非常に不作でありますので、それに續いておる地域は若干の惡い所もあ
つたのじやないかと思いますが、全體としては相當よい成績であ
つたということが言えるようであります。
それから
農業作業の問題もいろいろありますが、先ほど申しましたように、
農業機械ないしは勞働力の不足という點は相當程度惡く響いておるというふうにも考えられるのであります。今申しましたようないろいろな條件を勘案いたしまして、
ソ連當局としては一ヘクタール當り一・一トンの
目標を立てておるといたしましても、これはあらゆる面を有利に考えた數字であるとも思われますので、それよりは少し下まわ
つておる數字程度の收穫があ
つたのじやないかというふうに考えられるのであります。今かりにそれを一・〇五トンというふうな數字をと
つてみますと、本年度の收穫高は約九千八百五十萬トンという數字が出てまいるわけであります。戰前の非常によい年よりは落ちておりますが、ほぼ平年作あるいは戰前におきます平年作よりもちよつとよいくらいの
生産量が、今年は出ているのじやないかというふうにも思えののであります。しかしこの點はほんる推定でありまして、先ほど申しましたいろいろな條件が
——これはここから見ておりましてもわかるものではありませんので、約九千八百五十萬トンという數字を
基礎として考えてみますと、本年度においていろいろな國内の消費面との
關係を見てみますと、この收穫量の中から食糧に利用されるものは約五千六百十萬トンというような數字が、この面からの實績を
基礎にして算定されるわけであります。その五千六百十萬トンという數字がはたして國内需要にマッチするかどうかという問題が出てくるわけでありますが、これも非常に計算はそう簡單にはできないものでありますが、大よそは五千二百トン程度の國内
生産があれば、現在の切符
配給制度のもとにおいて、現在の軍需用必需棉を充たしまして、約五千二百萬トンあればほぼ足りるのじやないかというふうに考えられるのであります。そうしますと、約四百萬トン程度の餘剩は出てくる、こういうふうな
状況にな
つておるのじやないかと思います。そういたしますと、昨年度において食糧の切符
制度を廃止するということが聲明されておりまして、現在まで行われておらないのでありますが、あるいはそういう
方面に使う可能性もあるのじやないか。あるいは
從來ストックがこの
戰爭によりまして非常に減
つておるという面からしまして、ストックにも使うという點も考えられます。あるいは昨年度行われましたように、西ヨーロッパに對する援助に相當量も
つていくということも考えられるわけであります。約四百萬トンと申しますと、結局において
ソ連邦政府としては、國内の所要量を現在程度に抑えますならば、ある程度の對外授助も可能ではないかというくらいの數字が見込まれるのであります。もつともこの數字は非常ないろいろな前提條件に立
つておる數字でありまして、これほどの程度違
つておるかはわからないのでありますが、一應過去の實績を
基礎として斷片的な情報を參酌して考えてみますと、そういうふうな結論が得られる、これはほんの御參考までにお聽き願いたいと思います。