○八
並達雄君
小笠原及び硫黄島の住民であつた者の歸郷に關する
請願につきまして、その
請願の
理由を簡單に御
説明申し上げます。
小笠原島、硫黄島の住民は、昭和十九年六月に米軍機動部隊の大空襲を受けましたので、
政府の命令によりまして本土に疎開を開始したのでありますが、大空襲の間隙を縫いまして、海上五百カイリの間を敵の濳水艦の襲撃の危險を冒して、ようやくにして本土に疎開を無事遂げました。六千餘名の者が本土に疎開を完了いたしたのであります。當時はまだ本土は空襲の危險がなく、神奈川縣廳や東京都廳等の特別の取扱いによりまして、一時的に收容せられまして、順次知己や親戚を頼りましていろいろ職を求めまして、あるいは
工場に働いたり、あるいはまた
自分の手にある職をも
つてようやく生計を營んでまいつたのでありますが、御同様に空襲によりまして、持
つておつたわずかのものも失いますし、その後
終戰と相なりまして以來、わずかな貯えもなくなりまするし、もとより疎開のときも
つてまいりましたわずかな必需品も、これを賣らなければ生活ができないという哀れな
状態に立到つたのであります。そのために何とかして
小笠原島なり硫黄島の郷里に歸還をしたい。郷里には家もございますし、また
財産もありまするし、あるいは仕事にいたしましても、十分に生計を營むだけのものがあるのでありまするが、何とかして歸島したいという願望をもちまして、
日本の
政府はもちろん、
連合國司令部にもその
請願をしばしばいたしたのであります。第一囘は昭和二十一年の五月連合軍最高
司令部にお願いをいたしたのでありますが、その際におきましては、
小笠原諸島への歸還は許可しない。書翰は適宜處置
説明のために現地司令官に送付せられた。かような
覺書をいただきました。第二囘は昭和二十一年六月二十七日でありまして、
日本人の
小笠原島への歸還は、アメリカ人またはイギリス人系の者で、
日本側により強制的に移動を命ぜられた者以外は、歸還を認められないという囘答であつたのであります。さらに第三囘目、本年六月に再び嘆願しましたけれ
ども、なおやはり
小笠原諸島歸還の件は、歐米人を除いては許可をせられない。
小笠原諸島に向けては一時的の渡航も、
日本人に對して許可されない。かような囘答でありまして、遂に
小笠原島、硫黄島の住民でありまして、内地に強制的に
政府の命令で疎開させれたものにつきましては、歸島の希望がかなわないのであります。しかし他の島、沖繩島あるいは大東島への歸還は、現在許されております。また
小笠原島の先住者の子孫である米英系の住民百三十餘名は許可せられまして、昭和二十一年十一月に
小笠原島に無事歸
つておるのであります。かような
状態でありまして、私
どもは今後も何とかして歸島の
目的を達したい。そうして現在のわれわれの生活の苦境を脱したい。ひいてはまた多少なりとも
日本の食糧問題、人口問題の解決にもなるのではないかということを考えまして、その後も極力
日本政府はもちろん、連合軍最高
司令部等にいろいろ
請願なり運動をいたしておるのでありまするが、なかなかその希望が達せられずに、今日に至
つておるのであります。もとより
小笠原島なり硫黄島の住民であつたこの
請願者の方々は、今後ともその希望を捨てずに、あらゆる努力を拂うでありましよう。しかしながらどうしても
國會の
國民の聲としてということになりますれば、その實現も少しでも早く可能であることを私
どもは信ずるのでありまして、當
委員會におきましてはぜひともこの問題について御理解ある、御同情ある御審議を得まして、どうぞ一日も早く
小笠原島、硫黄島の住民が、彼らの故郷に歸還せられまするように、特別の御助力をお願いしたいと存ずるのであります。特に當
委員會の名をもちまして、
連合國最高
司令部へ
請願についての御助力をお願いできますならば、最も幸いだと私は存ずるのであります。本日實はこの歸還の希望をも
つておりまする
請願の代表の人たちが、多籔當議院に参上いたしまして、できますれば
委員の方々に直接お目にかかりまして、その衷情をお訴えしたいと言
つてまい
つておるのであります。私は實は島の
状態、島の方々の窮状については、多少は知
つておるのでありますが、許されますならばその代表者の方によりまして、ぜひともつぷさに
現状をお聽取り願いまして、御參考に供していただければ、まことにありがたいと考えるのであります。