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公述人(大庭三枝君) 本日は、参議院
予算委員会公聴会で
意見を述べるという貴重な機会をいただき、誠に光栄に存じます。このような機会を得られたことに心から感謝をいたします。
日本として取り組まなければならない外交的
課題は多々存在しますが、時間の制約もあり、私自身がアジア太平洋の国際
政治、特に地域
制度や地域主義、地域協力を
専門にしていることもありますので、その観点から、現代
日本が心掛けるべき外交
課題について私見を述べさせていただきたいと思います。
先日、我が国の菅首相、アメリカのバイデン大統領、オーストラリアのモリソン首相、インドのモディ首相が初めてQUAD、日米豪印四か国の首脳
会議を開き、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて協力していくことで合意しました。また、昨年十一月、
日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、そしてASEAN諸国が東アジア包括的
経済連携、RCEPに署名しました。
これらの事例は、
日本外交において伝統的な二国間のバイの外交のみならず、多国間や地域単位のマルチの外交が重要になりつつあること、また、そのための枠組み形成に
日本が積極的に関わっていることを示しています。その背景として、現在、冷戦が終結して以来、国際
社会が大きく規定してきたリベラル国際秩序が動揺していることが挙げられます。
リベラル国際秩序は、自由で開かれた市場
経済の一層の推進、多元的民主主義や人権保護などのリベラルな普遍的価値の優位、そして、力による
現状変更ではなく国際協調や協力によって各国が問題に取り組むといった国際協調主義、この三本の柱で支えられていました。
皆様に配付した資料を見ていただくとお分かりのように、アジアにおいて様々な地域
制度や枠組みが存在しています。
三枚目の図を御覧ください。
二つの図があります。図一は一九九〇年代、二〇〇〇年代の約二十年間に主に発展したASEANを
中心とする地域アーキテクチャーと呼ばれている小地域
制度を
中心にまとめたものです。実線で示された円がこのアーキテクチャーに当たります。
中心的な位置を占めているのが東南アジア諸国連合、ASEANです。東南アジア十か国で構成されており、二〇一五年にはASEAN共同体の設立が宣言されるなど、アジアにおいて最も
制度化が進んでいる地域
制度です。そして、それを囲む形で内側の円から東アジアにおける実質的な協力を行う枠組みとしてのASEANプラス3、東アジア首脳間での共通の問題を対話する枠組みである東アジア・サミット及び防衛協力枠組みであるASEAN防衛大臣会合、これはADMMプラスと言います。最も外側の円として示されているのが、安全保障、
政治対話の枠組みであるASEAN地域フォーラムです。加盟国等の詳細は注や記載を御覧ください。
このように、ASEANを
中心に重層的な地域
制度が形成、発展したのは、ASEANが様々な域外国を巻き込んで地域の
制度化を進めていこうという戦略を推進したこと、また、それに対して域外国の側、これは
日本も含めてなんですけれども、域外国の側もそうしたASEANのイニシアチブを尊重したという事情がありました。また、それはリベラル国際秩序の時代において、アジアにおいても国際協調主義が重視され、マルチで地域の問題に対処することが重視されていたことも背景にありました。
二〇一〇年代に入り、リベラル国際秩序の揺らぎが顕著になってきております。図二は、主にこの二〇一〇年代に発足、発展した新たな枠組みです。
TPP、環太平洋パートナーシップ協定は、元々アメリカが積極的に動いて二〇一〇年に交渉が開始され、二〇一六年に署名に至りました。残念ながらアメリカは離脱してしまいましたけれども、改めてアメリカ抜きで二〇一八年三月にTPP11協定が署名され、同年十二月に発効済みです。RCEP、東アジア包括的
経済連携は、二〇一二年に交渉開始されました。交渉は難航し、インドの離脱などの紆余曲折がありましたが、冒頭に述べたとおり、昨年十一月に署名されました。
これらは、レベルの違いはあれども、共に貿易投資の自由化を包括的に促進し、国境を越えた生産ネットワークの拡大、深化によって発展するための共通の
経済ルールの設定をしたという意義がございます。QUADも近年活発化し、二〇一九年に外相級の会合が開催され、冒頭に述べましたように首脳
会議も最近開催されました。また、
日本などからは自由で開かれたインド太平洋、FOIPが提唱され、現在に至っております。
リベラル国際秩序の揺らぎの時代とされているこの十年間は、一般的にはマルチの後退、多国間主義の後退が起こったというように指摘がされています。ブレグジットやアメリカのトランプ政権のTPP離脱はその例だとされます。
しかしながら、興味深いことに、アジアにおいて、むしろ図二に見られるように様々なマルチの動きがこの時代に活発化しました。これは、米中間のパワーバランスの変化、米中対立の激化といった事態を受けて不透明化する地域環境の中で、
日本を含めた各国が
リスクヘッジのためにマルチ外交をむしろ推進したということによるものです。
日本もTPP、RCEPの妥結に大きく貢献しましたし、FOIPの提唱やQUAD
連携にも努めてきました。
このように、マルチの枠組みを活用した外交は、アジア太平洋における国際
政治において重要度を増しています。また、
日本も自国及び地域全体にとって長期的に望ましい地域秩序を構築していく際、マルチ外交を重視するようになっています。
しかしながら、一般的には二国間の伝統的なバイの外交を重視する言説も多々見られます。国際
政治学の観点からすると、マルチ外交の効用は主に
二つあると考えられます。
一つは、共通のルールや
制度、枠組みによって規定されるマルチ外交においては、超大国や大国の一方的かつ一国主義的な
行動を
一定程度抑止し得るということです。そして、
二つ目として、外交交渉上、イシューリンケージがしにくくなるということです。イシューリンケージとは、例えば安全保障の懸案で対立があるときに、通商政策上の圧力を掛ける、あるいは通商政策上の妥協策をちらつかせて自国の言い分を通すといった異なる外交
課題を結び付けて交渉するという、特に国力で大きな差のある二国間で外交が展開されるときに起こりがちなことがマルチでは抑制され得るということです。
日本は、これら重層的に展開する地域
制度を並行して活用して、協力や推進を進める多層的なマルチ外交を行っていく必要があると思います。特に強調したいのは、国際秩序が動揺し、米中対立の先行きが見えず不確実性が一層高まる時代にあって、米中それぞれの
リスクヘッジをすべきであって、その際のツールとしてマルチの枠組みが重要であるということです。
習近平
体制下の中国は、一帯一路等を標榜し、東南アジアを始めとするあの幅広い世界の諸地域に対する
経済的な影響力を強め、
政治的影響力の強化につなげています。
日本と尖閣諸島をめぐっては深刻な対立がありますし、南シナ海における権益拡大の動きも地域環境の安定化にとって非常に深刻な懸念を投げかけています。
ただ、ここで確認しなければいけないのは、中国は
日本にとって重要な隣国でもあり、この国との
関係を決定的悪化させてはならないと、それは避けねばならないという現実です。そして、二〇一〇年をもって中国の名目GDPが
日本のそれを追い越し、その差が拡大していることに表れているように、残念ながら日中のパワーバランスは逆転しています。こうした
状況では、
日本が単独でできることは限られます。よって、中国に対して様々なマルチの枠組みを使い分けつつ対処する努力が必要となります。
前述のQUAD首脳
会議で言及された包含的、インクルーシブなQUAD、あるいは自由で開かれたインド太平洋の
連携の強化を通じて、中国に対して様々な懸念を持つ国々と望ましい地域秩序の在り方についての
認識を共有し、並行してプラグマティックにインフラ整備やエネルギー関連協力、環境、
コロナ対策といったような、
ワクチン、
ワクチン協力といったような、そうした様々な協力を行っていくことは非常に重要です。
その一方で、
日本は、RCEPやTPPといったアジア太平洋、東アジア地域全体の発展を目指すための共通ルールの設定にも深く関わってきました。中国はRCEPに参加しています。中国も地域全体の
経済ルールを共有したという点で重要です。また、習近平国家主席がTPP参加の
可能性について言及したことも注目されます。
このように、中国に対しては、様々なマルチの活用を通じ、その権益拡大に対して牽制を掛けるとともに、一定の
関係を維持しつつ、地域の共通ルールにも巻き込んでいくといった多彩な戦略を取っていく必要があります。
また、アメリカの動向に鑑みても、
日本にとってマルチ外交は重要になってきています。バイデン政権は、現在のワシントンの超党派的な対中強硬論も背景にあり、中国との長期的な戦略的競争を展開する姿勢を示しています。前トランプ政権と比べ、多少のアプローチの変更はあれども、その姿勢は今後も当面は維持していくでしょう。
ただ、国内における深刻な
社会的分断、格差の拡大、財政上の制約等によりアメリカの超大国としての実力はかなりそがれている上、前述の中国の台頭により相対的にも低下しています。よって、アメリカが今後どこまでアジア国際秩序の維持にコミットするかについては、長期的な観点から注視する必要があります。アメリカがもはや世界の警察官ではないという立場は、中東政策に絡めての言説ではありますけれども、既にオバマ大統領が口にしていたことです。
日本としては、アメリカとのバイの
関係の強化とともに、アメリカをも巻き込みつつ、戦略的利益やあるべき地域秩序像を共有する他の国々との
連携を深めていくことが肝要です。この意味で、QUADやインド太平洋は重要な枠組みとなり得ます。また、TPPへのアメリカへの復帰は簡単ではないと思いますけれども、粘り強く働きかけていく必要があります。
さらに、中国やインドといった大国、地域大国の台頭のみならず、ASEAN諸国も発展を遂げ、地域秩序の在り方を決定付ける重要なアクターとなっていることに目を向ける必要があります。
よく米中の影響力拡大の草刈り場としてのみASEAN諸国を見る見方がなされますが、このような
認識は、この地域のより複雑な現実を看過することにつながります。東南アジア、東アジア情勢は、米中からの働きかけで一方的に決定付けられるものではなく、ASEAN諸国それぞれの国益の観点からのアメリカと中国の働きかけにどう
対応するかということにも大きく左右されています。
こうしたASEAN諸国との
連携を深めていくためには、個々の国との
関係維持強化とともに、中小国連合としてのASEANが地域
制度の
中心として機能してきたことをより重視し、ASEAN統合により一層貢献するとともに、ASEANを
中心とするアーキテクチャーの活用を今後も一層図っていく必要があります。
最後に挙げたいのが、公正で持続可能な
社会の存立を各国内で可能にする地域秩序という観点から
日本がなすべき貢献をしていくことの重要性です。
例えば、TPPやRCEPによって促進される国境を越えたサプライチェーンの拡大、深化によって、そうしたサプライチェーンに参入し得た
経済アクターや地域とそうではない
経済アクターや地域との間の格差は当然開くでしょうし、また、競争の激化によって環境など公共の利益を損なう事態も引き起こしかねません。よって、こうした
課題に対処するため、TPPやRCEPには公正かつ持続可能な発展を実現するための共通のルールを一層強化することが重要です。TPPには既に労働者の人権やその環境への配慮に関するルールが盛り込まれていますが、
一定程度盛り込まれていますが、それを一層強化していくこと、またRCEPにも新たにそうしたルールを盛り込んでいくことが挙げられましょう。
地域全体が揺らいでいるときに特定の国との
関係を個別に考える発想は限界があります。今後の
日本にとって望ましい国際環境の維持のためには、二国間で
関係を調整するという線の発想のみならず、地域全体そして国際
社会全体の秩序の在り方そのものを自らにとって望ましいものにするという面の発想が一層重要になってきているというふうに考えます。
これで終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。