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勝部賢志君 今日の
審議に当たってちょっと資料を用意させていただいたんですが、恐縮ですがお目通しをいただけたらと思うんですけど、七ページを御覧いただけますでしょうか。
今
大臣から、
法案審議、
現場の声や熱意のある
議論が必要だというお話があったんですけど、
日本の国も何度かの大きな
教育改革というのを進めてきて、やはり一番大きかったのは、
義務教育制度ができた戦後、昭和二十二年、これは三月十九日の議事の議事録なんです。
教育基本法に引き続いて
学校教育法を
審議しているときのことなんですけど、御案内の方もいらっしゃるかもしれませんが、ちょっとあえて読ませていただくと、下の方に、永井
委員という方がその
委員会で
質疑、質問をされました。下の方に、下から二行目、例えば化学
教育、物象関係の
授業にいたしましても、酸素プラス水素イコール水というようなことを黒板に書いて、そしてそれを暗記させるというような
教育よりできない。水を電気分解するようなそして実験させるというようなこともできなければ、フラスコも試験管もないという
学校が実に多いのであります。
義務教育、今度の学制改革というのは、単に六三三制の制度をしいたから、それで完全だというものではなくして、その質的な内容の向上というものを期さなければならぬと思うのであります。そういう意味においては、教鞭物、器具であるとか、
学習用具、そういったものの製造の現在の状態、それからそれらの配給の状態についてはいかがですかという質問をされました。
それに対して、
学校教育局長の日高政府
委員が、化学の
授業はもとより、下の方に書いてあります、残念ながら認めなければならないのは、非常に貧弱な状態だと。②のところに、例えば机であるとか、黒板であるとかチョークというようなものまでも、残念なことではありますけれども、不自由をしておるような状態でありまして、紙も、極端に申し上げれば
教科書も十分配給できるかどうか分からないような状態にありますのでと言い、次に、今日の
日本を復興させるのは、何も知らなかったこれから来る若い人たちの力によって、
日本は再びこの情けない状態を盛り返さなければならないと思っておりますと。この失礼いたしましたという
部分は、実は泣いて、涙を流しながら答弁できなかったということなんですね。
この
委員会を終結するに当たって、次の九ページですが、
委員長から、一言御挨拶を申し上げますということで、中段辺りでこの永井
委員の
質疑について触れています。
永井勝次郎君から、特に切実な問題について熱烈なる御
質疑がありました。
学校教育課長は、全く
自分の赤心、誠意を披瀝しての御答弁がありましたが、御答弁半ばにおきまして、敗戦後の
日本の今日の現状、しかも戦争を放棄して
日本の将来の問題を
考え合わせて、ついに
局長は答弁の言葉を発することがあたわず、熱涙滂沱と下ってついに声を上げる状態でありました。
委員長始め全
委員はこの光景に感激いたしまして、しばし全
委員は涙に暮れたのでございますというのがこの国会での
議論だったと。
私は、このように、やっぱり
子供のことを
思い、真剣に
議論をして、少しでもいい
方向に向かっていこうというようなことが私は必要だと思っています。
そんな意味で、
大臣が熱意を持ってということで取り組んでこられて、闘いは半ばというふうにおっしゃいましたけれども、この三十五人
学級が四十年もできなかったのは何が理由かというと、やはり財政の壁だと思うんですね。闘う相手はそこなんでしょうか。財政当局と闘うという、何となく非常に内輪の闘いというか、大きな意味で
子供たちのためにと言っておきながら、財政が結果的にうんと言わないからできないというような形でもしこれまでこの改革ができなかったんだとしたら、それは非常に残念だなと、情けないなというふうに
思いますので、これはやはり我々
委員も全力を出してこの問題に対処し、そして、やはりこの三十五人
学級のスタートが結果として
日本の
教育の大きな転換点になったと言えるような改革につなげていかなければならないのではないかというふうに私は強く思っています。
最後に、
大臣から、先ほどは三十人
学級を
目標にすると言いました。もう少し少ない
人数の方がひょっとしたらいいのかもしれません。そして、今は
小学校ですけど、中
学校、高校にもこれは是非拡大していく必要があると私は思っていますので、そういうことも含めて、改めて決意をお聞きして、質問を終わりたいと
思います。