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2021-04-14 第204回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    令和三年四月十四日(水曜日)    午後一時二十一分開会     ─────────────    委員異動  四月十三日     辞任         補欠選任      足立 敏之君     滝沢  求君      島村  大君     進藤金日子君      高橋 克法君     馬場 成志君  四月十四日     辞任         補欠選任      進藤金日子君     そのだ修光君      滝沢  求君     足立 敏之君      羽生田 俊君     長峯  誠君      馬場 成志君     高橋 克法君      山田 俊男君     舞立 昇治君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         芝  博一君     理 事                 豊田 俊郎君                 三宅 伸吾君                 山田 太郎君                 牧山ひろえ君                 杉  久武君                 高木かおり君                 伊藤 孝恵君                 岩渕  友君     委 員                 足立 敏之君                 小川 克巳君                 進藤金日子君                 そのだ修光君                 高橋 克法君                 滝沢  求君                 堂故  茂君                 長峯  誠君                 羽生田 俊君                 馬場 成志君                 藤川 政人君                 舞立 昇治君                 山田 俊男君                 和田 政宗君                 石垣のりこ君                 勝部 賢志君                 塩田 博昭君                 下野 六太君                 梅村みずほ君                 大塚 耕平君                 浜田  聡君    事務局側        第二特別調査室        長        塚本 禎宏君    参考人        東京健康長寿        医療センター研        究所社会参加と        地域保健研究チ        ーム研究部長   藤原 佳典君        ジャーナリスト        特定営利活動        法人KHJ全国        ひきこもり家族        会連合会広報担        当理事      池上 正樹君        成蹊大学文学部        教授       澁谷 智子君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国民生活経済に関する調査  (「誰もが安心できる社会実現」のうち、困  難を抱える人々への対応社会的孤立をめぐる  課題)について)     ─────────────
  2. 芝博一

    会長芝博一君) それでは、ただいまから国民生活経済に関する調査会開会をいたします。  委員異動について御報告をいたします。  昨日、足立敏之君並びに高橋克法君及び島村大君が委員辞任され、その補欠として滝沢求君、馬場成志君及び進藤金日子君が選任されました。     ─────────────
  3. 芝博一

    会長芝博一君) それでは、国民生活経済に関する調査を議題といたします。  本日は、「誰もが安心できる社会実現」のうち、「困難を抱える人々への対応」に関し、「社会的孤立をめぐる課題」について三名の参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。  御出席をいただいております参考人は、向かって右手より、東京健康長寿医療センター研究所社会参加地域保健研究チーム研究部長藤原佳典参考人、続きましてジャーナリスト特定営利活動法人KHJ全国ひきこもり家族会連合会広報担当理事池上正樹参考人、続いて成蹊大学文学部教授澁谷智子参考人、以上三名でございます。  この際、参考人皆様に一言御挨拶を申し上げます。  本日は、大変御多忙のところ御出席を賜り、誠にありがとうございます。  皆様方から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。  次に、議事の進め方について申し上げます。  まず、藤原参考人、続いて池上参考人、そして澁谷参考人の順でお一人二十分程度御意見をお述べいただき、その後、四時二十分頃までをめどに質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いをいたします。  また、発言の際は、挙手をしていただき、その都度会長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず藤原参考人からお願いを申し上げます。藤原参考人
  4. 藤原佳典

    参考人藤原佳典君) ありがとうございます。  それでは、私の方からは、困難を抱える人々への対応、特に社会的孤立の問題を、高齢者フレイル対策あるいは認知症対策側面からお話をさせていただきたいと思います。本来ですと、医学的な側面とか臨床的な側面というものにお時間を割いてもよろしいんですが、今日は限られた時間ということで、地域づくり地域施策側面からこの二つ課題お話をさせていただきたいと思います。(資料映写)  今日は、この全世代三方よし地域づくりと大きく書いておりますが、高齢者のいわゆる地域包括ケアというのが今全国で進められておりますが、その大きな柱というのが認知症対策フレイル対策でございます。これをうまくコントロールしてやっていくと、実は高齢者だけではなく全世代三方よし地域づくりができるんではないかという、そういう仮説の下に私ども研究を進めておりまして、御覧のように、SDGsの十七つの項目のうちに、こういったコミュニティーの対策をするだけで、まあ九つですね、うまくやれば達成できるんではないかなということで考えております。  今日お話しさせていただきたいテーマは大きく二つございます。一つが、認知症フレイル対策の基本というのが、これは実は社会参加社会交流であるといったようなお話二つ目が、では、その社会参加の場をどうつくっていくのかといったところで、やはり持続可能な地域づくり社会参加の場ということを考えました場合に、高齢者による高齢者のための高齢者だけの場づくりというのはやはりいろんな意味で限界がございます。そういった意味で、この全ての世代三方よしということの事例を御紹介したいと思います。  余談ではございますが、私ども施設といいますのは、この設立者渋沢栄一でございまして、東京養育院という、彼が終身局長をやったといったような、まあ今でいいます地域共生社会を初めてつくった当人が最後まで仕事を全うしたところでございます。彼が、いろんな仕事の面でも、あるいは福祉推進教育推進の面でもモットーとしておりますのが、彼が近江商人から学びました三方よしの精神ということでございまして、恐らく、私の考えからしますと、地域づくり、特に介護予防フレイル予防認知症対策、これも三方よしでこの地域づくりが全うできるんじゃないかなというように考えております。  まず最初でございますが、そもそもこのフレイルとは何かということなんですが、何となくこう、体力が弱って加齢とともに少しずつ衰えていくというようなイメージでございますが、一つは要介護状態のちょっと手前の段階のことを指しております。全くこう、独力ではちょっとやるのが厳しい、今までよりは時間が掛かったりとか複雑な作業はちょっとしにくい、でも、まだ要介護認定を受けるまでには至っていない、あるいは要支援健常の間を行ったり来たりするぐらいのレベルの方でございまして、大体、全国調査いたしましても、こういうレベルの方が約全国の一〇%、高齢者の、六十五歳以上の一〇%ぐらいいらっしゃるということが明らかになっております。  この方々がどうなるかといいますと、通常、ナチュラルコースでは、大体五年間経過観察しておりますと、約半数、五〇%の方が要介護まで進んでしまうということが分かっておりまして、逆に約一五%の方は五年間でまた健常に回復するということも分かっております。そういう意味で、このフレイルというのは、あくまで老化現象の一方通行ではなくて可逆的なもの、何らかの手だてによってまた一時的にも改善するんだというところが大きな特徴でございます。  こういったそのフレイル、先ほど申しましたように体が虚弱なイメージがあるんですが、実は体だけの問題ではなくて、多くの方が認知機能低下というものを合併しております。大体四分の一ぐらいの方が、どうも軽度の認知機能低下も合併しておられたり、あるいは中にはうつ症状を合併されたりといったように、特に高齢になってきますと、体だけが元気とか、あるいは認知機能だけが正常で体は駄目とかいったような、そういう方って案外少なくて、悪くなるときは両輪、悪循環していくというようなことになりますので、今日申しますフレイル対策というのは、基本的には頭だけとか体だけではなくて、まあ三種盛りですね、栄養、運動、社会参加、こういったものを盛んにすることによって、全て、総合的にアプローチしていくということが重要になってくるというのが大きなポイントでございます。  その中で、この社会参加の意義でございますが、これは老年学のモデルでございますが、我々人間は七つステージ能力から成り立っているというふうに米国の学者が説いております。これは、例えば一番基本的な能力というのはこの生命誕生あるいは生命維持、その次が一つ一つの体のパーツが機能していく、そしてもう一つの高いレベルといいますのは五感がしっかり備わってきまして、また身の回りのことがそつなくできるようになってくると。で、子供の発達でいいますと、もう少し発達してまいりますと、短時間のお留守番ができたりとかお使いができたりといったようなもの、これが手段的動作能力、IADLと呼んでおります。もう少し成長してまいりますと、親の言ったことをそのままうのみにするだけじゃなくて、自分で機転が利くようになったりとか知的好奇心が芽生えて、さらに、家庭の内外で役割を持って立派な成人になっていくという、これが成長のパターンでございます。  これ、ゆっくり峠を下りていくのが老化現象でございまして、今まで役割を持っていた方が、それがなくなってしまうとてきぱき行動するような必要がなくなってくると。そうなってくると、今度はだんだん身の回りのものが不自由になってきて、フレイル状態になり、要支援になり、要介護になっていくというのが世の常でございます。  そういう意味では、できるだけこの役割維持していただくということが理論的にもあるいは追跡研究なんかでも明らかになってきているところでございますが、じゃ、実生活においてフレイルな方の生活というのは、社会生活というのはどういうイメージなのかということを、社会参加と照らし合わせて見ていただきたいと思います。  我々の社会参加ステージといいますのは、それぞれの責任とかあるいは社会的な背景によって、高度な方から割とイージーなものまで徐々にスライドしております。一番元気でアクティブな方というのはまだまだ仕事をされている方も多いですし、また、原則有償活動というのが気が重くなってくると、今度はボランティア活動とか地域活動。そして、人様のための活動がしんどくなってくると、自分のための趣味とかあるいは健康づくり、あるいはお稽古事といったような活動になってくる。そうしたボランティアとか趣味、お仕事といったような団体活動とかあるいは組織活動といったものがしんどくなってくると、今度は自由気ままなお友達付き合いとか親戚付き合いというようになってくるということで、この赤線のように、少しずつ平易になってくるわけですね。  じゃ、フレイルな方はといいますと、大体、団体活動はもう大分しんどくなってきて、ちょっと引退すると。でも、まだ要支援、要介護にはちょっと早いかなというような方で、自由気ままに御近所付き合いはできるよといった、こういうレベルの方をイメージしていただければと思います。  フレイル対策といったときに二通りありまして、もう既にフレイルになっている方の重症化予防するという意味での、この赤線の枠への対応と、そもそもこのフレイル状態にならないための対応はということになってまいりまして、より上位の、より早期からの予防ということになると、できるだけ社会参画活動維持していただくと。それができなくなってくると、少なくとも外出とか交流といったような個人的な社会交流というのは維持しましょうという、こういう二段構えが考えられるかと思います。  そういった中で、まず、じゃ、一番高いレベル就労、これも実はフレイル対策とか認知症対策とも関係しております。私どもは、いろんな研究、特に就労支援研究をしておりまして、大方、働く、高齢者は働いていると健康にいいよというような研究というのは多くあるんですが、我々は、この働き方とかあるいは働く目的、動機というものが大事だと思っております。  これは都内で以前調査した結果なんですが、就労していらっしゃる高齢者の方だけを二年間追跡した結果なんですが、この縦軸の左のピンクのグラフ主観的健康感といいまして、全身の、自分での総合評価自分は全体的に健康だと思えているかといったようなところなんですね。右側が生活機能の悪化ということで、いずれもグラフが長い方がリスクは高いということでございますが、同じ働いている方も、やはり金銭だけを目的の方、生きがいとか全く持たずにお金のためだけ働いている方というのは、ほとんど幾ら働いていても心身の健康への予防効果がないということが分かってまいりました。  そういうことでは、やはり雇う側も雇われる側も生きがいを持ってこそ仕事高齢期仕事ということになりまして、じゃ、どういう仕事がこれから高齢期の働き方で重要かということを、我々は研究会を通しまして様々な勉強の中、ある一種の知見をいただきました。  一つは、やはり高齢者が直接感謝されるような働き方がいいんだということをこれ当事者からも伺っております。やはり働くことによって、これも三方よしでございまして、雇用主にもハッピー、あるいは同僚、若い同僚もハッピー、そして地域社会にも良いというような、やはりこの三方よし実現できている場、これが、一番身近で長く働ける場というのが地域での福祉領域での就労だというように考えております。  実際、家事とか介護とか育児とかで、ワークをシェアをしながら高齢者がアシスタントとして資格を持たずに働いている領域というのは多々ございまして、例えば介護助手というのも代表でございます。こういったものは、このコロナ禍でも比較的規則正しくお仕事されていたりといったことで、近所で長く働ける。そして、初めは自分心身の健康のためでございましたが、やはり福祉領域で働くということは、それ自身が将来の自分を見据えたりとか、あるいは福祉というものへの理解を発生したりということで、予防入口として、共生につながるものではないかなというように考えております。  逆に、最近は、働く、デイサービスとかあるいは就労するということを福祉領域でも進めておりまして、これは私が支援しております京都市内デイサービスでございますが、デイサービス利用者の方に作業をしてもらうと。で、その作業というのは、京都ですから、やすりで神社の絵札を磨いたりとか、あるいはまないたをきれいに磨いたりということで、その作品をちゃんとおしゃれなブランディング化しまして、単に福祉工房でやるんじゃなくて、ブランド化して、ロハス、エコの店で置いてもらったりというようなことをしているというようなところで、認知症の方なんかも長くできると。  つまり、認知症を、共生しながらも、さらに生活機能維持できるといったような、共生入口予防に役立っている場合という、これもこれからの認知症対策の新しい姿だと考えております。  続きまして、社会参加の場というのは、やはりこの就労だけではなくて、特に自主活動自主団体活動というものがございます。これはやはり全世代三方よしだということをお話ししたいと思います。  これは、いつも私が地域包括ケアシステムを特に自治体の職員の方なんかにお話しするときなんですが、大体、それぞれの市町を守るもう最後籠城戦を乗り切るための戦略ですと、そのためには、お城と同じで内堀外堀がございますと。で、その内堀というのが最後のとりでで、いわゆる医療介護連携というものでございまして、むしろこの外堀が重要だと。これが住民さん主体でできるような介護予防ですとか、あるいは生活支援といったところで、この外堀を掘らず、内堀だけ掘っておりましても、結局は医療崩壊介護崩壊が起こってくると。たくさんの高齢者の方が悲鳴を上げて入ってくると幾ら精鋭部隊でも最後は崩壊してしまうということが、これはコロナ禍の前から訴えておることでございまして、いま一度やはりこの外堀を掘り直すということが重要だと。  この外堀とは何かということでございますが、この一つの拠点が、私は、それぞれがつながりがつくれる場だというように考えております。今日のメーンテーマでございますが、やはりその地域でいろんな通いの場、あるいはサロン、あるいは集いの場というものが必要だということになってまいります。  で、その場に関しましては、厚労省の方もやはり先駆的に、いろんな通いの場をどんどん地域でつくりましょうと。当初は、体操してお茶話会してそれで終わりでいいですよとおっしゃっていたんですけれども、三年前、あっ、二年前ですね、我々も検討会に入っておりましたが、これからの高齢者のニーズに応えるためには多種多様な通いの場が必要だろうと。そこでは、例えば高齢者主体で頑張っていれば、子供食堂の応援でもいいじゃないかとか、あるいは先ほどのように少しお小遣いがもらえるような活動でもいいじゃないか、先ほどの京都デイサービス有償なんですね、そういったものもありじゃないかといったことで、かなり厚労省の方も、柔軟にどうぞ、柔軟にどうぞということで進めております。  まあそれが、後ほどの課題ではございますが、それを基礎自治体の方がどこまでプラスに解釈されるか、自由と言われても困るよねというようなことになってしまうかというところで今大きく分かれてきているところでございます。まあ、いずれにしても、場が重要。  で、この場というのも、それぞれの住民方々高齢者社会参加をできる場ということで、その中で、私ども事例として一つ御紹介したいのが認知症予防フレイル予防事業なんですけれども、単に体操とか脳トレではなくて、絵本の読み聞かせの手法をマスターしてもらうと。で、マスターすることによって、声も出して、脳トレにもなって、卒業をした後、それを地域ボランティアとして、子供たちですとかあるいは福祉施設ボランティアをするといったこういう取組でございまして、現在、一般介護予防事業としてもかなり普及しております。  この事業でございますが、私はいつも三方よし型の予防だと言っております。高齢者にとっては、そのボランティアそのものの部分と、あるいはその準備とか練習、こういったところで心身をかなりトレーニングしております、今日はちょっと時間の関係でほとんどこれ御紹介できませんが。  実際、こういう予防活動というのは、三か月、半年やって、やめてしまえば全く意味がないわけでございまして、いかに長期できるか。この活動の場合、六年間この活動を継続された方に当センターで脳のMRIなんかも撮影していただいたんですが、やはりほとんど海馬の萎縮、脳の萎縮が見られないというようなことも分かっておりまして、やはり先ほどの、一週間練習してボランティアをしてということをずっと繰り返すことによって、いいアクティビティーが維持できたのではないかなと思っております。  また、今日は時間の関係で御紹介できませんが、やはり三方よしですので、受け手への効果ということで、子供ですとか保護者あるいは教職員へも様々な調査なんかを行っておりましたが、それぞれやはり、高齢者ボランティアに対して高い評価を得ている、また子供情操教育の一助にもなっているということが分かってまいりました。  おかげさまで、こういった取組に関しましては、日本の希少な例ということでWHOの好事例としても紹介されておりますし、各方面で表彰されたりということで、モチベーション高く進めておられます。  こうした多世代へのアプローチでございますが、一部のボランティアをするといったような奇特な方だけではなくて、長い意味一般住民の方にも多世代交流というのは非常にメリットがございます。  これは、東京の、首都圏一般住民の方に行った調査でございますが、同世代の方とのみ交流している方、異世代とのみ交流、全く交流のない方、また、このブルーが同世代、異世代と両方交流している方、このグラフの長いのが精神的な健康度、つまりクオリティー・オブ・ライフが非常に高いという指標なんですが、同世代と異世代と両方と交流している高齢者が一番健康度が高い。確かに高齢者はそういうイメージなんですが、実は若い世代も同じでございまして、年上、二十代から四十代、つまり現役世代でございますが、目上の層とも交流している方のQOLが一番、クオリティー・オブ・ライフが高いということが分かっておりまして、恐らくこれは地域施策全体としても、これから多世代型のアプローチというのが重要なんではないかなと思っております。  最後のスライドでございますが、じゃ、こういう多世代交流の場というのができれば、本当にその地域づくり活動に拍車が掛かるということを、我々はいろんな様々な参与観察あるいは実践例を通して体験しております。  コロナ禍であっても、若い世代メンバーに入って、若い世代もお客さんになっていれば、いち早くオンラインを導入できたりとか、あるいは活動をSNSで発信できたりというようなメリットも持っておりますし、また、そのなり手、メンバー自体がうまく世代交代ができるということもございます。  こういったことを考えますと、今日のまとめでございますが、認知症フレイル対策というのは、そもそも、日常生活をどう維持できるかといったものでございます。そのためには社会参加維持というのが、あるいは向上というのがキーでございますが、そのためには場が必要と。その場を守り立てていき、継続するという意味では、多世代共生、また三方よしというのが視点でございます。  最後に、先生方に是非御検討いただきたいのは、この場というのは、非常になかなか地域でつくりにくい。物理的にも場所がなかったりとか、あっても、単に公民館で一週間に一回、二時間だけといったような間借りみたいなものがございまして、やはり、うまくいっているところというのは、空き家とか空き店舗を利用したりとかいったような、できるだけ常設に近いような場をつくっていると。こういった場をどう地域でたくさんつくっていけるかというのが今後の課題かなというふうに考えております。  以上でございます。ありがとうございました。
  5. 芝博一

    会長芝博一君) 藤原参考人、ありがとうございました。  次に、池上参考人お願いをいたします。池上参考人、どうぞ。
  6. 池上正樹

    参考人池上正樹君) このような機会をつくっていただきまして、ありがとうございます。  私の方からは、引きこもりというテーマについて、二十四年間関わり続けてきた立場から、引きこもる本人や家族の思いとか心情とか、どのようなことに困っているのか、どのようなことを望んでいるのかといったことについてお伝えできればと思っております。よろしくお願いします。(資料映写)  引きこもりという状態についてなんですけれども、一言で言うと、家族以外の第三者とのつながりがないという、関係性が途絶しているという、そういう状態像であるということですね。社会的孤立状態ということだというふうに言えると思います。  これは、KHJ家族会の方の実態調査によりますと、家の中では自由に歩けていたとしても、あるいは外に行くことはできるけれども、対人交流ができない、そういう必要でない場所になら行けるという、そういう結果が大体六割ぐらいというような感じになっています。  また、最近の傾向では、やはり高齢化が顕著になっていて、四十代以上が大体、家族会の調査では大体三分の一ぐらいということですね。自治体調査などによるともっと、五割とか六割という、を占めるというような結果も出ているかなと思います。  その心情としては、いろいろ社会で傷つけられてきた、もうこれ以上傷つけられたくない、傷つけたくないから引きこもるということではないかなと思います。  その背景にあるものとしては、やはり、怖い、人が怖いということですね。不安とか恐怖というものがある、PTSDなどがあって動けなくなる、あるいは集団生活自体に過去の経験からトラウマを感じているということで、そういう場に出ていけない、出かけられないということが言えるかなと思います。  その結果、家の中だけが安心できる居場所になっているというのが引きこもりという状態ではないかなと、安心できない社会から自分の命を守るために待避した状態であると。自死ではなく、それでも何とか希望とか期待を持っているから生き続けようと、生き続けるための選択肢が引きこもりという状態なのではないかなと思います。  ただ、本人たちの心情としては、自分たちがそういう、家族や周囲に迷惑を掛けている、後ろめたい、申し訳ない、あるいは期待に応えられなくてそれが情けないとか、そういうことがありますし、また不器用だから言葉でうまく表現できないということも言えるのかなと思います。  これは、ずっとインタビューを続けていくと、大体この引きこもる起因の多くが学校時代の体験に遡る人が非常に多い印象があります。例えば、いじめですとか体罰や暴力といったことがきっかけになって、それが大人になって何らかの形でフラッシュバックみたいなことが起きているということが特徴としてあるかなと思いますし、その職場の人間関係の中でそういうことを想起させるということも起きているということで、なかなか集団生活自体に恐怖や不安を感じて、そういう社会的ストレスがある、が理由になっている、あるいは、元々持っていた見えない特性が理解されない、配慮のない中で、結局そこで傷つけられていくということもあるのかなと思います。  ただ、この引きこもる人たちのこれも特徴だと思うんですけれども自分は障害ではない、あるいは病気ではないという思い、あるいは親もうちの子は障害ではないということで、なかなかこの障害認定に対する抵抗感があるということで、医療につながらない、行きたがらない。まあ、医療不信というのもあります。ということで、結果的に未診断になっているということですね。あるいは、行ったとしても診断名が付かないということもあるということで、そういう要因の多くが社会的ストレスということも考えられるということからすると、今のこの制度のはざまにこぼれ落ちているというのが引きこもりの状態の大きな特徴ではないかということですね。二〇一〇年に厚労省の方で引きこもりガイドラインというのができているんですけれども、なかなかこれが今の時代状況にそぐわなくなっているということが言えるということです。  そしてまた、引きこもりということに対する偏見や誤解で家族が人目に知られないように息を潜めて生活しているということで、そういう家庭が親子共々高齢になり、これがいわゆる八〇五〇問題という形で顕在化しているというのが今、各地域で、全国各地で起きていることだということですね。それは、家族も本人も、特に家族ですね、家の恥ということで、やはり知られたくない、あるいは相談できないということで、なかなか社会とつながれない状況が長期化しているということで、家族全体が地域の中で孤立しているということではないかなと思います。  孤立することの弊害としては、やはりどうしても情報がないということで適切な判断ができにくくなるということですね。あるいは、周囲に責められている、自分が迷惑を掛けているのではないか、働かなければいけないとか、あるいはもう高齢化していると介護をこれは自分が担わなければいけないのではないかという、そういうプレッシャーに苦しむ、おびえるということですね。そういうところで追い詰められる、で、自分を客観視できにくくなっている。あるいは、生活の不安、将来の不安ということで、なかなか周囲にそういうことを言い出しにくい。これが命のリスクにもなっているのではないかなと思います。  ただ、引きこもる人たちというのは、非常に真面目で優しい、お人よしだったり、あるいは勘がいいということが共通してベースとしてあるのかなと思います。なので、頼まれると断れないとか、助けを求められない、自分には生きている価値がないんじゃないかということで生きることを諦めてしまっている、絶望するということで、こういう状況が起きている。これがまた親亡き後の問題として、これがいろんな形で死につながってしまうということもあるのかなと。こういう引きこもらざるを得なくなっているこの社会をどう考えるかということをみんなで考えていくということが必要なのではないかなと私たちは思っています。  今、支援現場での取組状況なんですけど、法的根拠としては生活困窮者自立支援法ということになります。ただ、これが今、ひきこもり地域支援センターというのが都道府県、指定都市等にあるんですけれども、とプラス福祉事務所が設置されている自治体の自立相談支援機関で引きこもりについては取りこぼさないように対応するという、家族も含めて相談に乗るようにということが厚労省の方から通知は出されているんですけれども、なかなか現場の方では、引きこもりというのがどういう状態なのか、心情とかそういうものがまだ分からない、理解されていないということで、ここでミスマッチが起きているということが多いということですね。  一部自治体、これ今例に挙げていますけれども、引きこもりというやっぱり相談窓口自体が当事者からすると明確ではない、本人や家族からすると明確ではないということで、何か相談、自分たちもその支援の対象なのかどうかが分かりにくいということでなかなか相談につながりにくいということもあるということですね。引きこもり自体がまだ新しい概念であるというのがありまして、その支援、現場での支援というのもその個人に委ねられているということではないかなと思います。  一部そういういわゆるカリスマ的な支援者、寄り添い力というのが必要なんですけれども、こういうことができる自治体なり支援者というのは非常に限られているということですね。やはりこの方向性を、結論を押し付ける、特に就労とか自立とかそういったことを押し付けられるという支援ではなかなかうまくいかない。その本人たちが持っている不安とか望んでいることとか、そこに丁寧に関係性をつくって寄り添っていくということが求められているんですけれども、なかなかそういうことが現場ではまだまだできていないということですね。特に悲嘆に対するケアということができていないのではないかなと思います。  これは孤立状態にあるしんどさというところから来るわけで、まず、そういう本人の話、家族の悩みに耳を傾けて受け止めていくということが大事かなと。不安の払拭するということから、やはり判断していくのは他人ではなく自分であるということですね。で、そういう自分の心を客観視して受け入れる作業に付き合ってくれる、そういう膨大な作業と時間に付き合ってくれる第三者の存在が鍵を握っているんじゃないかなと思います。  自治体の意識、非常に温度差がある。これは異動とかもありますし、引継ぎがうまくいっていないということもあります。そういうところで命が失われていくということがあるんですね。  生活困窮というふうになると、どうしても取りこぼされる、支援の対象外とみなされがちなんですけれども、これをやはり孤立という視点、つながりの困窮というふうに捉えていくということが大事かなと思います。多様性が認められる社会になっているのかどうかということが問われているのではないかなと思います。  そして、今問題になっている自立支援をうたう引き出しビジネス業者、引き出し屋と言われています。こういった実態がいろんな問題を起こしていまして、命をも奪われるということも起きているということですね。  これはネット上で検索すると上位に出てくるんですけれども、非常に家族も疲弊していますので、わらをもすがりたいそういう心情に付け込んで契約を迫るということで、実際その本人を連れ出して、家族は喜ぶんですけれども、実態は、放置されているとか支援プログラムがないとかずっと働かされるなどで、この本人の意思も無視してやっぱり連れ出されることによるいろんな弊害、PTSDなり親への不信感、家族崩壊といったことで裁判も幾つか起きているということで、命も失われるということも実際に幾つかあるということですね。こういう契約が、親の財産がなくなるまで、あるいは本人が脱走するまで続いていくということ、こういうことがやりたい放題になっているということですね。  この問題に関しては、やっぱり消費者契約法上のそういうところで、やはり第三者の権利というんですか、誰かのためにという、やっぱり本人の意思なり権利というものが、きちっと同意が取られているかどうかということがちょっと見過ごされているといいますか、そこを何とかしていく必要があるかなと思います。  そして、大事なところとしては、やはり本人とそれを支える家族に寄り添っていくということですね。最近は兄弟姉妹からの相談も非常に増えているんですね。で、大事なのはやっぱりその疲弊した親の悩みを聞いてあげられる人材をつくるということなんですけれども、親の愚痴を言える受皿、本人の接し方、やはり本人と唯一アプローチできるのは家族である、親であるということで、そういう親に対する具体的なアドバイスをできる、そういう学習の場なりアドバイスが必要になってくるということですね。  やはり、本人、その引きこもっている人としては、やはり生存領域がまさにこの引きこもりながら自宅の中にいるということなんですね。そこをやはり大切にするということが大事なのかなと思います。そういう困り事に寄り添うサポートということが求められているということですね。で、家族や周囲に受け止める姿勢があると、本人の感情が動き出す、解け出すということで、それが生きる希望とか意欲につながっていく、生きる励みになっていくということですね。向き合うのではなくて同じ方向を向いていく、まさにこれが寄り添い力、こういうことが求められているんではないかなと思います。  従来の支援というのは、やはり上から目線とか、パターン化した対応というところで、本人が望む支援とは違っていたということですね。これは、就労とか自立という実績の数字がノルマになっていたというところがいろんなトラブルの原因にもなっていた。これはやっぱり本人がつくったフレームではなかった。本来は、それぞれが幸せになるという、そこが評価の基軸にならないといけないということで、新たな引きこもり支援の認証評価ということが必要なのではないかなというふうに思っています。  今、コロナの感染拡大でいろいろなことが今、体調が悪くなったとか、家族間でやっぱりストレスが高まっているとか、そういったこと、逃げ場がないとかいうことが起きているんですけれども、あるいは行く場所がなくてしんどいとかですね、そういう先行き不安なり、コロナ解雇、雇い止めというものによって新たな引きこもり層というものもこれから出現するんではないかなということが、あのリーマン・ショックのときの教訓からするとこれは十分予想されることかなと思います。実際には、非正規の方に自己都合ということで退職を迫るということも実際企業の中で行われているという話も、当事者たちからも聞いています。  一方で、オンラインによって、その匿名性を保たれながら社会とつながる機会というのは増えてきたのではないかなと思います。元々、インターネットで、そこで、家の中で仕事をする、仕事につながるというようなクラウドソーシングのような仕組みとか、そこに、職場に出かけていかなくても、出勤しなくても社会とつながれる、仕事ができる、そういうことがこれから起きているということではないかなと思いますし、元々、そういう引きこもっている人でも内面にある良さというのがそれぞれあるわけで、そこが生かされるような、そういう社会にもなってきているのではないかなということも言えるかなと思います。働くということではなく、やはりつながり続ける支援ということがこれから大事なのではないかなと思います。  これは、私たちKHJの副代表の境先生が、今この実態調査も毎年行っているんですけれども、やはりこのつながり続ける支援ということが必要だということが結果からも出ているということで、これは、調査報告書に関しても、今年度ももう既にでき上がっていて、これは今度十九日に、一般の方にも厚労省の方で会見して公表するということになっています。  これは、私たちの家族会で出している、年に四回出している雑誌「たびだち」になります。皆様のところにもお配りしている雑誌で、これ、引きこもり本人たちや家族の気持ちを一般の人に理解してもらいたいということで、当事者たちが中心になって作っている、そういう雑誌になります。非常に、これを読むといろんな思いなり気持ちなりが理解できて、勉強になるんじゃないかなと思います。  この「たびだち」もまさにオンラインで全国からも参加できる、現場にも来てもらえることで、ハイブリッドの会議で自分のタイミングで参加できる。それによって、些少ですけど報酬を支払ったりして、こういうところで当事者たちの意見を生かしつつ、またこの仕事の場にも、まあ簡単な仕事の場にもなっているということですね。こういう機会なりこういう場をやっぱりつくっていくということも大事かなと思っています。  最後に、これは私たち家族会の方でも幾つか要望を出していまして、やはり新たな引きこもりということを、文言を入れた基本法の制定ですね。そして、その評価軸というのは、就労とかではなくて、多様な一人一人の幸せに寄り添うそういう認証評価であってほしい。あるいは、そういう引きこもり支援の施策のエビデンスを評価、蓄積する組織、そういったことが必要なんじゃないか。そして、この厚労省のガイドラインについても改訂してほしいということですね。そして、医療の診断、障害認定がなくても利用できる制度の創設。あるいは、人材育成や研修ですね。引き出しビジネス業者の、特に消費者契約上のこの法律などの問題、ここの改定なり実態把握なりが必要なんではないかなと思います。そして、家の中にいても、特に内科医、精神科医、歯科医などによる訪問診療なんかも実施してほしいということも一応要望としてあるということですね。  最後に、ちょっとこれは参考資料として、これは、家族会というのは、やはり、これ今厚労省事業の方で実際に、これ有識者、複数の有識者に、もうずっと言ってきていることなんですけれども家族会というのがやはり各地域に有効であるということですね。それは、やはり家族の存在というのが本人と唯一接点としてあって、本人に対する関わり方によって本人も元気になっていく、生きる希望が生まれていく、そのためのまずは家族を支えていく、サポートしていくということが大事なんだということですね。ということをこういう資料で、これはもう複数の有識者たちもこういうふうに言っているということですね。  これは、私たちが、実際にこのシンポジウムを、地域家族会のつくり方ということで、どのようにして、やはり行政がまず主体になって、そこでなかなか家族はやはり自らが目立ちたくない、隠したいというそういう気持ちがありますので、まずその集まりをつくっていくことによって、そこで何回か集まりをつくることで家族会を立ち上げていくということを実際に実践している、実践したことについてのシンポジウムについて、実際、一般方々でももう既にこの動画が視聴できるということで、最後に紹介させていただきました。  以上です。よろしくお願いします。ありがとうございました。
  7. 芝博一

    会長芝博一君) 池上参考人、ありがとうございました。  それでは、引き続きまして、澁谷参考人お願いいたします。澁谷参考人
  8. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) よろしくお願いいたします。最後の回になります。  では、今日はヤングケアラー、なぜ子供がケアを担うことになるのかについてお話しさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(資料映写)  まず、ヤングケアラーとは、慢性的な病気や障害、精神的な問題や依存症などを抱える家族の世話をしている十八歳未満の子供や若者のことを指します。ヤングケアラー支援の進むイギリスでは、具体的には五歳から十七歳の子供がヤングケアラー調査の対象となっています。ヤングケアラーの多くは、小学生、中学生、高校生といった学齢期の子供たちですね。  日本社会において、子供家族のケアをするということは、家族の助け合いとして捉えられ、むしろいいことではないかというふうに捉えられてきました。しかし、多くの場合、それは漠然としたお手伝いのイメージで捉えられていて、何歳ぐらいの子供が、一日にどれぐらいの時間、どんなタイプのケアを行っているのか、なぜその状況が起きているのか、その実態をより踏み込んで把握しようとすることは今まで余りなされてこなかったように思います。  例えば、家庭でのお手伝いとヤングケアラーの境界線はどこにあるのかという疑問がしばしば聞かれます。  お手伝いというのは、子供の年齢や成長の度合いを考慮して与えられる範囲のことではないかなと個人的には思います。頑張ればできるようなことを子供にしてもらって、それをすることによって子供は達成感を得られたり、あるいは感謝されたりして、そこから子供が得ていくものもあります。このように、子供子供としての生活ができる範囲で、家庭で求められる役割を果たしていくのがお手伝いではないかと思います。  一方、子供の年齢やその成長の度合いにしては重過ぎる責任や作業を継続的に子供が担わされていくと、周りはまさか子供がそういうことをしているというふうには思っていませんので、その年齢の子供や若者として想定される生活ができず、結果として子供自身の心身の健康や、それから安全、そして教育に影響が出てきてしまうことがあります。必要に迫られて、年齢とかにも、もう度外視するような形で重過ぎる責任が掛かってくる、これがヤングケアラーの置かれている状況になるかと思います。  では、なぜ近年こうしたことが注目されるようになってきたのでしょうか。  実は、家族領域というのはこの数十年で大きく変化しています。例えば、一世帯当たりの人数、これは一九五〇年代前半に比べて半分になりました。それから、共働き世帯は一九八〇年からの四十年間で倍になっています。そして、母子世帯は二十五年間で一・五倍、そして父子世帯は一・三倍になったと言われています。家族の人手、そして家族が家に掛けることのできる時間というのは相当に減ってしまっています。  一方で、先ほどのお話にもありましたとおり、日本人の平均寿命、余命と言った方がいいんですかね、平均余命は世界トップレベルで延びていまして、しかも健康寿命は十年短い、約十年短い状況です。そういうふうに考えていきますと、人生の晩年には誰かに支えられる十年があります。そして、このように高齢者の数も増えていますし、一方で精神疾患を持つ方の数も増えています。このように、ケアを必要とする人は増えている状況で、そしてそのケアをすることは家族がするというふうに期待されています。  日本は、一九九〇年代前半に、人口オーナスの時代、つまり十五歳から六十四歳の生産年齢人口が総人口に占める割合が少ない時代に入ったと言われています。そうですね、人口減少の中で働き手を確保しなければならないということがまず経済領域で言われるようになりました。そのために、女性も、そして元気な高齢者も労働市場で働くということを推奨されていまして、そのための環境整備も進んでいるかと思います。  でも、家庭の領域はどうでしょうか。ケアを必要とする人は増えて在宅福祉が推進されているのに、大人は労働市場に駆り出されて、家庭に掛けられる時間やエネルギーは減っています。  具体的に時間ということに注目して見ていきたいと思います。  例えば、ちょっとこれ、表の字が小さくて本当申し訳ないんですけれども、そうですね、子供がいる共働きの世帯というのは子供がいる専業主婦世帯よりも家のことに掛けられる時間が少ない状態であるというのが示したのがこの表になります。こちら、二〇一六年の総務省の調査なんですけれども、共働き世帯ですと、家事関連時間というのは、妻が四時間五十四分、そして夫は四十六分ですけれども、専業主婦世帯ですと、妻が七時間五十六分、そして夫が五十分ということになります。やはり共働き家庭の方が家のことに掛けられる時間は短くなっているわけなんですけれども、子育て期の一人親世帯は更に家のことに掛けられる時間が少ないです。女性の場合ですと三時間五十九分、男性に至っては一時間九分ということになっています。  このように、経済的な事情から大人が働かざるを得ず、労働で疲弊した大人が家庭のケアをするのが十分できなくなったり病気や障害を抱えたりする中で、大人のようには稼げない子供家族を支えようとケアを担っているところはあると思います。  皆さん、考えていただきたいんですけれども、ケアというのは、そばにいる、その人のそばにいる、そして時間やエネルギーをそこに使うということが大切になってくるところがあります。例えば、今私がここにいるということは、私は今子供のそばにいないということで、私は今ケアをしている状態ではないということになります。なので、やはりケアということを考えるときには、やはりその時間にそこにいることが大切になってきてしまうというところがあるんですけれども、ある意味社会ではケアを度外視した働き方というのが標準的になって、その働き方を進めてきてしまったところがあると思うんですね。そのことが結果として子供や若者から時間やエネルギーを奪っているという構造が私はあるのではないかというふうに思っています。  ヤングケアラー支援が世界で最も進んでいるのはイギリスなんですけれども、そのイギリスの一九九五年のヤングケアラー調査の報告書では、今後、子供がケアを引き受けることへの需要は増えていく可能性が高いというふうに指摘されました。具体的に言いますと、高齢者の増加、そして家族の世帯人数が減っているということ、そして家族というユニットそのものがかなり不安定なものになってしまっている、そういう状況が指摘されたんですけれども、こちら、ヨーロッパの全ての国々でそういうことが見られるというふうに言っていますけれども、同じ現象は日本でも起きています。さらに、日本では、ヨーロッパに比べまして、長時間労働、そして非正規雇用者の経済的不安定さというものも顕著になっています。  日本社会の構造として、家庭のことが仕事よりも後回しにされ、その空白を子供や若者が埋めざるを得なくなっている状況があると思います。家庭では、子供をケアに向かわせる力というのは大きく働きます。けれども子供がケアをすることを止める力は働きにくい構造があります。まず、子供がケアを担ってくれると、家族は有り難いんですね、ありがとうと感謝します。そうすると、子供はもっと頑張ろうとします。子供家族の役に立とうとすること自体はいいことかもしれないんですけれども自分のことができなくなるまでケアを引き受け過ぎないように、やはり家族以外の人が、家族の外の人が子供の負担を軽減する方法を真剣に考えていくことが必要とされていると思います。  ヤングケアラーは、ケアを担うケアラーである前に、成長途中にある子供なんですね。やはり、子供である以上、不適切なレベルのケアを負って、その安全や教育や成長を脅かされる事態というのは避けなくてはいけないと思います。  こちら、先ほどもイギリスは進んでいるというふうにお伝えしたんですけれども、イギリスの医療というのは実は国営が基本になっています。ただ、その国営のホームページで、ヤングケアラーであること、あなたの権利というページがありまして、こういうメッセージが出されています。読んでみます。  もし、あなたが十八歳未満で、障害や病気や精神的問題や薬やアルコールの問題のある家族のお世話を手伝っていたら、あなたはヤングケアラーです。ヤングケアラーなら、あなたは恐らく、親のどちらかか、きょうだいの面倒を見ているでしょう。さらに、あなたは、料理、掃除、誰かの脱ぎ着や移動を手伝うなど、家の中の仕事もしているかもしれませんと書いてあります。  さらに、この続きには、ケアに関するあなたの選択肢という欄もあります。更に読ませていただきます。  家族の誰かが世話を必要としていたら、あなたは助けたいと思うかもしれません。でも、あなたはヤングケアラーとして、大人のケアラーと同じことをするべきではありません。また、誰かのケアをするためにあなたの時間を多く使うべきでもありません。それは、あなたが学校でしっかり勉強したりほかの子供や若者と同じようなことをしたりする妨げになることがあるからです。あなたがしたいと思う、あるいはしてあげられると思うケアのタイプと量を判断するのは大切です。また、そもそもあなたがケアラーとなるべきなのかどうかを判断するのも大切ですとあります。  さらに、ここでは、障害のある全ての大人は子供に頼らなくてもよいよう、そのニーズによって行政からサポートを受ける資格があることが説明されています。でも、子供はこうしたことを知りません。知りませんので、やはりこうしたことを子供が分かるような方法で子供に伝えていくということが必要になってくるかと思います。  去年、埼玉県では、埼玉県内全ての高校二年生五万五千人を対象として調査が行われまして、千九百六十九人がヤングケアラーとして分析されました。二十五人に一人の高校二年生がヤングケアラーとしての経験を持っていたことになります。  高校生がケアをしているのは、お母さんとおばあちゃんが多いという結果でした。子供がケアをする状況は、日本社会でケアの担い手と想定されてきたお母さんやおばあちゃんがケアを必要とする場合に起きやすくなっているということがうかがえます。  では、どれぐらい時間を使っているのでしょうか。  こちら、学校のある平日では、ケアに掛ける時間として、一時間未満が四割、そして一時間以上二時間未満が三割近くいるということが分かります。四時間以上と答えた高校生も百七十二人いました。  私の家にも実は高校生がおりますけれども、大体朝八時過ぎには学校に行って、家に帰ってくるのは、部活のある日は大体七時ぐらいになるかと思います、夜七時です。もし、そこから二時間ケアをすれば、自分のことをする、自分のことができる時間というのは夜九時になりますし、そこから四時間ケアをすれば、自分のことができるのは十一時ということになります。夜十一時になってようやく宿題をできるかなというような、そういう状況ですね。やはり、ケアの時間ということを考えるときには、大人を基準に考えるのではなく、それが高校生にとってどういう意味を持つ時間数なのかということを考えていく必要があると思います。  これは、どんなケアをしている子がどのぐらいの時間ケアをしているのかを示したグラフになります。この六〇%のところで縦に線を引いてみました。そうしますと、このラインで灰色以上になる、つまり平日に二時間以上ケアしている人の多い項目というのが実は幾つかあります。具体的に言いますと、家計支援、これは家族のためにバイトで働くなどです。それから医療的ケア、これはチューブを使った経管栄養の管理とか、それからたんの吸引などがこれに当たります。それから金銭管理、請求書での支払とか銀行でのお金の出し入れなど。それから通院介助、病院への付添いです。そしてきょうだいのケア。こういうものが割と多くなっています。  こういうケアをしている高校生たちは、全体で見てみますとそれほどパーセンテージとしては多くはないかもしれないんですけれども、こうした種類のケアをしている子供、若者たちはかなり重い責任を負って、長い時間ケアに費やしているということは見ることができると思います。  一般にヤングケアラーがしていることとして多いのは、この上にありますとおり、家事、食事の用意や後片付け、洗濯、掃除などそういうものと、それから下の方に、下から三つ目の感情面のケアですね。感情面のケアというのは、その人のそばにいる、見守る、元気付けるなどで、例えば、認知症のおばあちゃんがお財布を取られたと言ったりする、もう三十回も四十回も言ったりするのに、ゆっくり聞いて、そんなことないよと言ってもおばあちゃん納得しないので、うん、そうかとか、で、今度こういうことあるんだけどねみたいな気をそらしてあげたりとか、あるいは、自分は生きている意味がない、死にたいと泣くお母さんの話を何時間も聞いて慰めるとかですね。こうしたケアというのは、子供にとってはかなり忍耐の要るケアです。感情面のケアは子供の年齢が幼くても担っている割合が高いということがイギリスの調査結果で出ています。  それから、こちらは学校のある平日の一日当たりのケア時間と学校生活への影響をまとめたものです。ちょっと数字だらけで済みませんが、埼玉県の調査結果を基に、それを比較しやすいように表にまとめてみました。数値の単位というのはパーセントになります。一時間未満というのが七百九十五人いて、八時間以上は三十人ですから、母数がかなり違うので、純粋にパーセントの比較をするというのは注意が実は必要なんですけれども、それでもある程度の傾向は見えるところがあるように思います。  まず、学校生活への影響がどこで最大に出るのか、これを見ていきますと、学校のある平日に一日四時間以上六時間未満のケアを行っている高校生たちであるということが分かるかと思います。赤で示したところになります。この高校生たちは、勉強の時間が十分に取れないと強く感じ、成績が落ちたと感じ、自分の時間が取れないと感じ、そして睡眠不足を抱えています。遅刻はしながらも学校へ行こうとして、友人と遊ぶことができない、アルバイトができない、部活ができないと感じ、ストレスも一番高いです。何とか学校生活との両立を図ろうと努力して、同世代の子たちと同じような生活をしようともがいているのがこの層ではないかと思います。ところが、平日の一日当たりのケア時間が六時間以上になると、もういろんな意味で諦めてくるのかなというふうに思います。もう頑張れなくなったり意欲を持てなくなったりする局面が増えてくるように思います。  今度は、この色を付けたところなんですけれども、ケア時間が多くなると、じゃ、子供にとってどういうところから影響が出てくるのかを考えてみたいと思います。  一番左の欄ですと、このブルーにしたところですけれども、ケア時間は多くなくても、ケアについて話せる人がいなくて孤独を感じる、ストレスを感じているというのが二桁のパーセンテージになっています。次に、その隣の一時間以上二時間未満の人たち、紫のところになりますけれども、孤独とストレスに加えて、自分の時間が取れない、勉強の時間が十分に取れないということが認識されています。それから、二時間以上四時間未満になりますと、友達と遊ぶことができない、睡眠不足、体がだるいというふうに高くなりまして、そして、四時間以上六時間未満になりますと、このようにいろいろな項目でぐっとパーセンテージが上がるかと思います。この辺りは後で見ていただきたいと思います。一日のケア時間が八時間以上になりますと、ストレスは実は減るんですね。減るんですけれども、一〇%を超えるようになってくるのが、周囲の人と会話や話題が合わない、学校を休みがち、進路についてしっかり考える余裕がないといった項目です。体のだるさ、しっかり食べていない、授業に集中できないという答えも高くなっています。  では、高校生たちはどういうところからケアの影響を受けていくのかというのを整理したいと思います。  まずは、自分の精神面への影響があり、そして自分個人で使う時間への影響があって、そして友人との関係、そして体調への影響があって、そして、この四、五の辺りになりますと、学校生活の体面を保つことへの影響が出てきます。そして、最終的にその将来への影響という順序をたどるのではないかと思います。  今の状況ですと、ヤングケアラーは学校に行けているなら大丈夫とみなされがちなんですけれども、これはこの六の最終的な局面になってからようやく支援につながれるかどうかという状況であるということが分かると思います。ここに至るまでに、ヤングケアラーたちがしんどさや孤立感、大人に助けを求めてもしようがないという感覚を持ってしまうのは当たり前であるように思います。  一方で、子供がケアを担う状態というのは、単に家族が病気や障害を持っているからというだけでは発生しないということにも目を向けたいと思います。  こちらはヤングケアラーのスクリーニングシートのガイドラインなんですけれども、ここでは、親の病気や障害は子供がケアを担う状況を引き起こす可能性があるきっかけとしてのみ見られるべきですというふうにあります。そして、このヤングケアリングというのは、病気や障害のある大人が親としての役割を果たすことへの支援において、適切な医療福祉のサービスがなかったり、効果的でなかったりする場合に起こりますとされています。  実際、今の医療福祉のサービスは、ケアを必要とする人がケアをする側でもあるということが十分に考慮できていないことが多々あります。病気や障害のある親は、サポートが欲しいと思っても、親としての役割を十分に果たしていないと思われるのではないかというおそれを持ち、なかなかそれを言い出すことができない。そうすると、その状況は誰にも気付かれず、結果として子供がケアを担うことになります。  繰り返しお伝えしますように、子供がケアを担う状況は、家族のことは家族でという圧力が強く働いている社会のしわ寄せが社会でも家庭でも弱い立場にある子供に行っているということが言えると思います。子供であっても介護力と見られがちです。家族は余裕がありません。学校の先生は家庭のことまでは分からない。そうすると、家族の状況を把握した上でケアをする子供の立場にとって相談に乗れる専門職はいるのかということになります。  もう時間になりますので、もうはしょりたいと思うんですけれども家族の力が以前より弱体化していることを考慮しないまま、家族の助け合いを前提としてしまうと、結果として子供や若者にそのしわ寄せが行っている。そして、実際に家族を重荷やリスクとして感じた子供たちは将来自分家族を持とうという気持ちになれるのだろうかということも問いかけてみたいと思います。  ヤングケアラーが自分の力を完全に発揮できるようにというのが、世界の国際的なヤングケアラー会議で掲げられていることです。こういうことを考えていく必要があるのではないかと思います。  以上です。
  9. 芝博一

    会長芝博一君) 澁谷参考人、ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の陳述は終了いたしました。  これより参考人に対する質疑を執り行います。  本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行います。  まず、各会派一名ずつ指名させていただき、一巡後は、会派にかかわらず御発言いただけるよう整理してまいりたいと存じます。  発言は着席のままで結構でございます。  また、質疑者には、その都度答弁者を御明示していただくようお願いをいたします。  なお、できるだけ多くの委員発言の機会を得られますように、答弁を含めた時間が一巡目はお一人十五分以内となるように御協力をお願いをいたします。  それでは、これより一巡目の質疑を行います。  質疑のある方は挙手を願います。  堂故茂委員
  10. 堂故茂

    ○堂故茂君 自民党の堂故茂です。  お三方には、貴重なお話ありがとうございました。  まず、藤原参考人にお伺いしたいと思います。  お話から、高齢者の孤立に関する最大の課題認知症であり、認知症の人の社会参加共生は、認知症予防、早期発見、治療とともに施策の両輪と位置付けられる重要な課題であると理解できました。ありがとうございます。  今般のコロナ禍に伴う外出自粛は高齢者の孤立に拍車を掛けたのではないかと心配されますが、例えば認知症発症者の増加などの影響をどのように考えておられるのかお伺いしたいと思いますし、また、認知症の進行をできるだけ遅らせるためには社会参加の機会を確保することが重要だと思いますが、コロナ禍によってリモートのコミュニケーションが急激に普及しました。このようなオンラインでの交流は、高齢者の孤立予防認知症予防にどの程度の効果というか活用が見込めるのか、併せて伺いたいと思います。
  11. 藤原佳典

    参考人藤原佳典君) 非常に核心的、核心をついた御質問をいただきましてありがとうございます。  まず、このコロナ禍高齢者への影響、特に認知症への影響ということなんですが、認知症の発症といいますのは本当に徐々に進んでいくというパターンが非常に多うございますので、その方の元の認知機能レベルというのに大きく影響が出るかなと思うんですね。残念、残念といいますか、まだ学術的にきっちりしたエビデンスを出すには、コロナ禍に陥って一年というようなことですので、はっきりこの一年間で急激に認知症の方が増えたかどうかというようなデータというのは、私どももですし、他の研究者も持ち合わせておりません。  ただ、今申しましたように、一般の元々健常であった方の場合ともう既に認知症が発症している方の進むスピードというのは、やはり明らかに違うかと思います。  一般高齢者の場合は、今日はちょっと時間の関係でお示しいたしませんでしたけれども認知症も、あるいはフレイルも含めた生活機能低下というのには、大体四つぐらいのパターンで落ちていくスピードというのは変わっているんですね。大体、高齢者の四分の三ぐらい、七五%ぐらいの方というのは、元々、普通に日常生活されている方の場合ですと、生活機能低下というのは、大体十三点満点のポイントでよく測ることがあるんですが、一点下がるのに四、五年ぐらいはゆっくり掛けて下がっていくというようなパターンが多いかと思います。  それに比べて、やはり元々低下している方の場合はその二倍ぐらいのスピードでということになりますので、既にもうデイサービスを使っていらっしゃる認知症の方とかあるいはその手前の方といった方には、やはりこれは特別に何か手だて、特に、早めにみなしでデイサービスですとかあるいは認知的な介入を行っていくということも必要だろうと思いますし、そういった元々の方の健康度に応じて対応を練っていくということが重要なのではないかなと思っております。  二点目の、オンラインの活用というのが高齢者にとってメリットがあるのかどうかということでございます。  これも、私ども、たまたまでございますが、このオンライン導入というよりも、むしろ対面的な交流と、あるいはメールとかあるいは電話といったような非対面の交流と、それと全くその交流両方ともない方というのをそれぞれ二年、三年間と追跡してみて、その方々健康度、特に精神的な健康度とかですね、どう変わるのかというのを見たんですが、やはり一番予防的な効果があるというのが対面的な接触と、対面的な交流と、電話とかメールと両方、両刀遣いですね、ハイブリッドでなさっている方が一番やはりその後のクオリティー・オブ・ライフ維持というのも高いということが分かってまいりまして、その次善の策として非対面の交流をなさっている方、直接は会えないけれども、メールとかあるいは電話の交流をされている方というのは、その真ん中ぐらいですね、中位ぐらいのレベル予防効果があった。やっぱりやっていない方が一番悪かったというようなことでございます。  当時の調査は、いわゆる対面的なズームとかオンラインの顔の見えるコミュニケーションまでは至っておりませんので、それがもし入ってくるとすると、さらに今までのメール、電話、それと対面、両方やっている方とのその間ぐらいの、上から二番目ぐらいの役割にはなってくるのではないかなと思いますが、いずれにしても、対面を全く無視してオンラインだけとか非対面だけでの交流というのは、これはやはり限界がございますので、あくまで対面の交流とハイブリッド、あるいは対面の交流が復活するまでの次善の策としてどんどんオンラインを進めていくということが現実的かなというふうに考えております。  以上でございます。
  12. 堂故茂

    ○堂故茂君 藤原参考人にもう一問お願いしたいと思います。  著書の中で、ウエルビーイングの向上が重要と述べられているのを読みました。ウエルビーイングとは、幸福感に加え、身体的、精神的、社会的に良好な状態を指すものであり、先進国の中ではウエルビーイングの向上を目標に施策が進められようとしております。そう理解しています。ちなみに、直近の世界幸福度ランキングでは、日本は五十六位、先進国の中では最下位となっています。  これまで、国の豊かさを示す尺度としてGDPが重視されてきましたが、GDW、グロス・ドメスティック・ウエルビーイングの向上を国の目標としていくことにより、孤立を始めとする社会課題を解決し、幸福度の高い社会としていくべきだと考えます。  参考人が御指摘されていますように、幸福感は一人一人の価値観によるところが大きいわけでありますが、社会全体としてウエルビーイングの指標を設定することが大切ではないかと思います。特に高齢者のウエルビーイング、今日は三方よしというようなお話も聞きましたが、指標、ちょっと難しい質問ですが、幾つかの指標を挙げるとしたらどんなものが挙げられるか、お聞きしたいと思います。
  13. 藤原佳典

    参考人藤原佳典君) ありがとうございます。  ウエルビーイングというのは、一言で言うと幸福度というふうに、今議員おっしゃったとおりだと思うんですけれども、どれだけそれを分解して見ていくかということだと思うんですね。例えばOECDなんかが出しています指標なんかでは、ウエルビーイングを物質的な側面と、やはりあとは本人の生活の質といったような側面に大きく分けまして、例えば物質的な側面というのは、住環境ですとか、経済状況ですとか、あるいは雇用の状況といったようなものを評価する場合もありますし、逆に生活の質というのは、いわゆるクオリティー・オブ・ライフですとか、あるいは社会参加の度合いですとか、健康度といったようなものを更に小さく分解して見ることはあるかと思います。  これが非常に難しいところで、分解すれば分解するほど我々研究者からするといろんな分析ができて楽しいんですけれども、実際、行政の方、特に自治体、地方自治体の方なんかが評価されるときには、やはり基本的には住民生活満足度ですとか幸福感でずばっと聞くということが現実的ではないかなと思います。  そういった視点に立ちまして、厚労省の方も今、介護保険計画のいろんな評価、PDCAでどう評価していくかといったようなところの枠組みを私どももお手伝いしながら検討しているところでございますが、やはり一つそのウエルビーイングの指標を置きましょうということは厚労省も言ってくれていまして、そこも、いろいろ学者は言いたい放題であれやこれや言うんですけれども、やっぱり自治体がちゃんと評価できるものというと、もう一発勝負で、満足度ですとか幸福感そのものを聞けばいいのではないかと。  また、それを、要因を、地域を比較していく中で、こっちの町よりこっちが幸福度が高い、ウエルビーイングが高い、十年前に比べてどうかといったようなところを細分化するときに、先ほど申し上げましたように、物質的な側面とかあるいは生活の質の側面といったところで細分化して評価していくということは重要なのではないかなというふうに考えております。  以上でございます。
  14. 堂故茂

    ○堂故茂君 次に、池上参考人にお伺いしたいと思います。  引きこもりの現場で活躍されている参考人お話からは、引きこもることが生き続けるための選択肢なのだという切迫した状況が伝わってまいりました。また、自室にいてもオンラインでつながることができれば、引きこもりの当事者が社会参加できるとのお話もいただきました。  そこで、デジタル技術を活用した社会参加の後押しをするために、国や自治体はどのような施策を講じればいいのか、ちょっと手短にお願いしたいと思います。
  15. 池上正樹

    参考人池上正樹君) ありがとうございます。  やはり一つは、非常に不安、人が怖いというのが、不安がありますので、まず、外に出ていかない、人と会わなくてもいいような社会とのつながり方というところでいうと、オンラインを活用した取組、あるいは在宅ワークのメニューの充実、そして報酬を、なかなか今の状況だと生活することができない、そういう、生活できるような報酬の引上げ、そういったこと、そしてオンラインができるような環境ですね、家庭の中のパソコン等の環境とか、そういったことの整備のところで応援していただける何かしらの取組があるといいなというふうに思っております。
  16. 堂故茂

    ○堂故茂君 ありがとうございます。  次に、澁谷参考人にお聞きしたいと思います。  ヤングケアラーは家庭内の問題で、家族や本人の自覚がない場合もあるとお聞きしました。つまり、困り事が表に出てこないために発見できず、支援につながらないとも考えられるわけです。  一昨日、国の調査では、ヤングケアラーは中学生の五%、それから、そのケアする時間が一日四時間であるというちょっと深刻な発表がなされました。ヤングケアラーの多くは学校に所属しているはずだと思うんですね。先生を中心とした学校が一番早く気付いてあげるべきではないかと思うんですね。  学校がプラットフォームになって支援につなげていくときに、このスクールソーシャルワーカーの役割がとても大事ではないかと思うんですけれども、ヤングケアラーの支援につなげるため、学校における具体的な課題については何があるのか、そしてそのスクールソーシャルワーカーが具体的にどのような活動をしてもらえばいいのか、期待されるのか、お考えをお聞きしたいと思います。
  17. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) 澁谷です。  今のお尋ねになりますけれども、学校での課題というのは、やはり子供がそういう話ができるような雰囲気とその余裕が学校の先生方に今はないというところがあるかと思います。  やはり、人員が足りていないということもありますし、スクールソーシャルワーカーの先生あるいはスクールカウンセラーの先生も、学校の中にいつもいてくださるというよりは、要請があったら学校に来てくださるとか一週間に一度来てくださるというような状況になっていまして、子供からしてみると、いつでも自分がそういう話ができるというような環境にはないということが大きいのではないかと思います。  しかし一方で、学校というのは子供にとってとても大事な場ですので、学校という場にその子供の話を聞ける人が、専門職が出向いて、そこで話をする、そして先生たちはそこをつなげることができるというのが大切ではないかと思います。  もう一ついいですか、済みません。今、つなげる先はどこにやればいいのかというのが学校の先生たち悩んでおられるんですね。結局、児相もいっぱいになっていて、虐待とかで、それで重いケースでいっぱいになっているところでどこにつなげられるのか、それがやはり見えないということなので、新たにつくっていく必要がスクールソーシャルワーカーなどを中心にあるかと思います。
  18. 堂故茂

    ○堂故茂君 終わりました。
  19. 芝博一

    会長芝博一君) 以上、堂故委員質疑を終了いたします。     ─────────────
  20. 芝博一

    会長芝博一君) この際、委員異動につきまして御報告をいたします。  本日、羽生田俊君及び山田俊男君が委員辞任され、その補欠として長峯誠君及び舞立昇治君が選任されました。     ─────────────
  21. 芝博一

    会長芝博一君) それでは、次に御質問のある方は挙手を願います。  牧山ひろえ委員
  22. 牧山ひろえ

    牧山ひろえ君 立憲民主・社民の牧山ひろえです。  本日は、参考人皆様におかれましては、大変お忙しい中、またコロナが依然猛威を振るう中で、誰もが安心できる社会実現、困難を抱える人々への対応、特に社会的孤立をめぐる諸課題というテーマに沿った大変有り難いお話、大変勉強になりました。ありがとうございます。  まず、ヤングケアラーについてお伺いしたいと思います。  家族介護、世話をする子供、ヤングケアラーをめぐって、政府は十二日、全国の教育現場に対する初の実態調査結果を発表しました。この問題に関しましては実態の把握が何よりも重要でして、私も含めて一刻も早い実態把握のための調査の実施を要望していたので、ようやく初めの一歩を踏み出した、そういう感じがいたします。  澁谷参考人から、子供が担っているケアの実態を解像度を上げて把握することの必要性、これについて御説明がございました。ヤングケアラーの問題は家庭の中に潜りやすく、まず、保護すべきヤングケアラーをいかに発見するかが最初の課題だと思うんですね。  この点、参考になるのが、澁谷参考人が配付された資料の九ページ、十ページに掲載されているイギリスの国民保健サービスのホームページだと思うんですけれども、こちらにはヤングケアラーに対する呼びかけが掲載されています。保護すべきヤングケアラーの発見には、子供たち自身にヤングケアラーという概念を、保護や支援を求めることができるということも併せて周知、そして認識させる必要があると考えております。そして、私もこのことを質問主意書でも強く主張しています。  この見解に対する澁谷参考人の御意見と方策をお願いしたいと思います。
  23. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) 澁谷です。  いろいろな御見解をありがとうございます。  ヤングケアラーに関心を持っていただいているということは早くから存じておりました。  それで、今お話にありましたとおり、やはり子供がヤングケアラーという言葉を得たことによって自分の置かれている状況を整理して理解することができるようになるというのはとても大切なことなのではないかと思います。  ただ一方で、押し付けになってしまってはいけない、あなたヤングケアラーなのよというふうに言われる状況は良くないと思うんですけれども、ただ、多くの子たちは、お母さんとかお父さんの状況を見ていて、自分が家事とかケアをしないといけないだろうな、あるいはもう強制的にせざるを得ないような状況に置かれてそれをやっている。周りの子たちはそれをやっていない。自分はその負荷があるので、いろんな宿題ができなかったり、あるいは肩身の狭い思いをしなくてはいけない中で、やはりそのことを理解するためのツールとしてヤングケアラーという言葉と認識が役立つところがあるならば、それを使っていくということは大事になってくると思いますし、そのためには、ヤングケアラーとか子供の権利という概念を子供にちゃんと伝えて教えていくことも大事になってくると私自身考えております。
  24. 牧山ひろえ

    牧山ひろえ君 ありがとうございます。  この度の調査で、全体の八割がヤングケアラーという言葉を聞いたことがないというふうに回答されています。当事者自身を始めとして、この社会課題の周知の拡大が急務だと思います。もう本当に古くからこの問題はずっと続いていたと思いますし、思い起こすと、私の知り合いにもそういう子供たちが、自分子供のときにいたなというふうに思い起こします。  現在、ヤングケアラーについての対応は、厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課の中の虐待防止対策推進室が行っています。虐待とヤングケアラーは重なる部分もありつつ、それぞれ独自の性質を持った全然違うもう別の課題ではないかなと思います。  一般方々は地方自治体に相談に行きますけれども、もしも、今一緒にしちゃっていますけど、この虐待防止対策推進室、ここが両方ケアしているというのは、やっぱり名前からしておかしいなと思いますし、先ほど澁谷参考人がおっしゃっていたとおりだと思います。  また、ヤングケアラーに関する認識を広めて対策を強化するためにも、独立の部局をやはり設立すべきと考えますが、これに関する澁谷参考人の御見解はいかがでしょうか。
  25. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) 独立した部局は必要になってくるのではないかと思います。  今、牧山先生がおっしゃいましたとおり、虐待とヤングケアラーは重なってくるところもありつつ違うところもあるというのが実態でして、今一つしかないと、虐待に比べてヤングケアラーは軽いですよねという扱いになってしまうことがあります。命に別状はないんですよね、学校には行けていますよねというような話になってしまうんですけれども、そうすると、いよいよ本人が学校に行けなくなるまで、あるいは精神的に悩むまでほっておいてようやく支援につなげるのかとか、あるいは虐待事例としてしか拾えないのかというと、それはすごく無理があることで、それは親にとってもすごく負担の大きなこと。そして、親がそういう状況ですと、子供もその支援を受けにくいということがあるかと思います。  ヤングケアラーに関しましては、ヤングケアラーのことに特化した独立した場所があるのであれば、そちらの方が私はよいのではないかと思います。
  26. 牧山ひろえ

    牧山ひろえ君 確かに、澁谷参考人がおっしゃるとおり、やっぱり一緒くたにしてしまうと、こっちの方がもっと深刻だとか、そういう比べ方をしてしまって、そもそもヤングケアラーは虐待されているというふうに思っている人はどれだけいるのかなと思いますし、御自分家族が困っているわけですから自発的にやってあげようと思っている人だって多いと思いますし、目の前でケアを必要とする家族がいたら当然と思っちゃうんじゃないかなとも思うので、やはり澁谷参考人がおっしゃるとおり、もう全く別の社会問題なので、別々に取り扱わないとますますヤングケアラーの問題は深刻化すると思います。  当方からの要望や質問に対して当局もできる範囲で対応してくれるのですけれども、当局の言うところの対策や施策のほとんどは、ヤングケアラーに関しても対応できるとかヤングケアラーも受け付けるということが多く、ヤングケアラーを主たる対象としての施策は多くない印象がございます。問題の大きさ、そして影響が長期にわたることなどを考えますと、厚生労働省はヤングケアラー問題をやはり正面から捉えて対策を取っていくべき時期に来ていると思います。  一例ですけれども、ヤングケアラーに関する私の質問主意書に対しての答弁ではこういう記載がございます。「要保護児童対策地域協議会におけるヤングケアラーへの対応について」を発出し、市町村等に対して、ヤングケアラーの概念や実態について周知するとともに、要保護児童対策地域協議会と高齢者福祉、障害者福祉部局等の関係部署が連携を図りながら適切に対応するよう求めているところとされています。  現場も見てこられている澁谷参考人の御感触としまして、要保護児童対策地域協議会が中心となって各関係部門が連携を図りながらヤングケアラー問題に取り組んでいるという状況なんでしょうか。モデルとしてはこうなっているというイメージ的な構図のように感じてしまうんですけれども、いかがでしょうか。
  27. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) 澁谷です。  まず最初に、現場をどこまで知っているかということなんですけれども、私は、その要保護児童対策地域協議会の現場をたくさん知っているかというと、そんなことはありません。ただ、国の調査をしましたときのこの第一部が要対協への質問というふうになっていまして、そこに自由記述なども多く挙げられています。  また、その要対協に対する質問は今回が初めてではなく、前回も行われているその比較との中で見ていきますと、子供に関わる、その現場の支援に関わる方々ですね、すごく具体的に子供たちの状況をよく理解しておられ、どういうところと連携していけばいいのか、例えば保育園に対しては、送ってきたのが高校生とか中学生だった場合には連絡を入れるようにしてほしいとか、あるいはケアマネさんに対しては、おうちまで行くことができるのはかなりすごく大事な立場ではあるので、気が付いたことがあったら伝えてほしいとか、かなり具体的にそういうものが出ていました。  そういう意味で、やはり要対協の方々がそれを意識してくださっているということの効果はあるのではないかと思います。
  28. 牧山ひろえ

    牧山ひろえ君 ありがとうございます。  参考人皆様にお伺いしたいんですけれども社会につなげるという観点に着目した比較の視点から、分野を問わず共通するポイントとそれぞれのお話しいただいたテーマ独自のポイントということを参考人三方から、御説明と重なる部分もあると思いますけれども、それぞれ御教示いただければと思います。
  29. 芝博一

    会長芝博一君) 藤原委員
  30. 藤原佳典

    参考人藤原佳典君) ありがとうございます。  やはり、共通して重要になってくるのは、いかにこの、言い古された言葉でございますが、連携をしていくかということだと思うんですね。  今、厚労省さんの方も、仕組みとしては、現在、地域共生社会に向けた重層的生活支援体制整備事業というのを始められて、高齢者子供、子育て、生活困窮、障害者と、それぞれもうありとあらゆるものをワンストップで対応するというようなシステムを今モデル的に進めていられるわけなんですけれども、その中で、恐らく高齢者の問題のみならず、本来はこのヤングケアラーの問題ですとか引きこもりの問題も含めて全部解決するためにということで、そういう絵柄は描いていらっしゃるんですけれども、その中で、やはり視点として重要なポイントがあるかなと思っております。  と申しますのは、誰がこうつなぐか、どうコーディネートするかといったところでのコーディネートの役割を、例えば高齢者の部門ですとケアマネジャーですとかあるいは生活支援コーディネーターという者がおりますし、先ほど学校の方の場合ではスクールソーシャルワーカーといったような方、あるいは学校ボランティアのコーディネーターといったような方もいらっしゃるわけなんですが、コーディネーター同士がなかなかつながっていない状況があると。  その背景には、自治体がなかなか思い切って縦割りを解消してというところまで至っていなかったりということで、現実は何とか社会福祉協議会が間に挟まってコーディネートしているというところが実情だと思いますので、そのコーディネーター同士をどうつないでいくかというのが一点。  もう一点が、どうしても、自治体からすると専門職主導での共生社会づくりのつながりづくりということで相談体制のまず強化ということには力点を置いているんですが、私は、今日の発表でも申しましたように、地域づくりといいますか、そのもっと外堀の部分を、住民さんあるいは地域のいろんな資源を使ったそのネットワークをつくって、そういう、まだまだ軽度な方ならそこでストップさすとか、あるいはもう一回戻れる方は地域の人の力なんかも使ってやっていくべきなんではないかなというところがありまして、地域づくり共生型を、どんどんどんどんその地域の拠点、例えば通いの場ですとかサロン的なものも、居場所を共生型のものをどんどんつくっていくべきだと思っておるんですが、どうもまだ重層的支援体制の方も、高齢者高齢者だけとか子供子供だけといったような縦割りが解消できていない部分がございます。  この辺、非常に、厚労省の方は割と柔軟にどんどん応用してやってくれていいんですよと言っているんですが、自治体の方が、ちょっと真面目過ぎるといいますか、従来の発想で、共生型にシフトし切れていない、あるいはすることがなかなか難しいというような状況がありまして、恐らく、まあ一〇〇%じゃございませんが、何%かのものは未然に、あるいはごくごく軽度なうちにそれぞれの世代の問題というのが解決できるのではないか、そのためには、やはり場という拠点で居場所というものをどんどんつくっていくと、そのための共生社会づくりというような視点が、ちょっと二の次、三の次になっているんではないかなというふうに考えております。  以上でございます。
  31. 芝博一

    会長芝博一君) 失礼しました。藤原参考人でした。  それでは、池上参考人お願いします。
  32. 池上正樹

    参考人池上正樹君) ありがとうございます。  もう今の藤原参考人と同じように、やはり連携というのは一つの大きなポイントだと思っていまして、これはつまり、相談をしても実際には引きこもりのことがよく分からないと担当者に言われてしまって傷つけられる、あるいはたらい回しに遭うということが各地各所で起きているということ、それで結果的に諦めるということで孤立へとつながっていくということが起きているということですね。そこの、まずは、例えば地域包括の介護で入られていた方が、実際には、そこにいる、同居されている御本人、引きこもっている御本人に関してはやはり支援の対象外だということで、これまでは全く縦割りになっていたということですね。ここがきちっと連携していくことで、親子共々きちっとサポートが、ケアができるということですね。  そして、特に先ほどお話ししたような悲嘆のケアということ、不安ですね、不安の払拭、その困り事をきちっと聞いてあげるということがそれぞれに、本人にも御家族にもできていくということが大事だということ、そういう、まずは連携していくということ、その連携の中には、今のお話にあったような、やはりコーディネーター、触媒役という、こういう存在もとても大事になっていく。そして、そこの特に公的支援のところでのきちっとそういうコーディネーターがいて、それぞれの、一人一人違う背景、複合的な課題があるので、そこをそれぞれ対応していけるということがシステムとしても必要かなと思います。  そして、そこに家族会という、地域家族会ができることによって、それがまた受皿にも居場所にもなっていくということで、家族会が、またその困り事、潜在的なニーズというものが家族会を通じて共有されていくということも大事かなと思います。  そして、二つ目としては、やはりこの人材育成ですね。人材育成、研修。これは、引きこもるという心情や気持ち、あるいは特性、元々持っている特性というものをきちっと理解できる、そういう人材をきちっと育成なり研修なりをしてほしいと思いますし、そしてまた、本人と唯一接点のある御家族、親御さん、この疲弊した親御さんにきちっと寄り添って話を聞く、サポートするということを、そういう家族会、家族の学習ですね、家族学習のそういう場をつくってほしいなということで、安心を伝えるということが大事かなと思っております。
  33. 芝博一

    会長芝博一君) 澁谷参考人、時間が来ておりますので、的確にお願いいたします。
  34. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) 一言、楽しさが大事だと思います。  問題解決というところから入ったときには、子供も、あるいは引きこもりの方も、あるいは高齢者の方も、自分たちって問題なのという感じがすると思うんですね。そうではなくて、コーディネーターが付いて、そこが楽しい場所になる、そこに行くことが自分になって何かプラスのものがあるという予感を持てるようにすることが大事だと思います。  以上です。
  35. 芝博一

    会長芝博一君) ありがとうございます。  以上で牧山委員質疑を終了いたします。  次に質疑のある方は挙手を願います。  下野六太委員
  36. 下野六太

    ○下野六太君 本日は、三人の参考人皆様、お忙しい中、貴重な情報、御意見賜りましてありがとうございます。  公明党の下野六太と申します。  私は、池上参考人を中心に少しお話をお伺いさせていただきたいというふうに思います。  今現在、引きこもりが、十五歳から三十九歳が大体約五十四万人、四十歳から六十五歳が六十一万人、計大体百十五万人が日本の中で引きこもりと言われて苦しんでいらっしゃる当事者の方がおられるというふうに認識しています。  これは、日本の人口の全体の約一%に当たる数ではないかと思っておりますが、私は、今回、三月にあった予算委員会の中で引きこもりをもう少し詳しく質問に入れたかったんですけれども、時間の関係で詳しく聞くことができなかったことをちょっと今日お話をさせていただければと思っていますが。  以前、私、中学校の教員をしていた経験がありまして、そのときに、二年間、中学校一年生と二年生の二年間、ほとんど学校に行くことができなかった不登校の子を三年で担任した経験があります。中学校三年生で担任をしたときに、当時は、もう三十年以上前の話になりますけれど、まだ不登校の概念がなく、登校拒否と言っていたような時代で、どうして学校に行けないのかということが社会が認知していないような時代でありました。  今日、池上参考人から様々なことをお伺いしながら、自分がやってきたことと重なる部分がたくさんありました。それは、私は毎朝行っていました。毎朝、本人のところに行って、行かないということが分かっていても、今日登校しないということが分かっていても顔を見に行っていました。そして、放課後も行っていました。ですから、大体一日に二回家庭訪問していたような計算になりまして、また、若かったということもあって、よく二人で外に、家から外に出て遊んで、遊ぶ時間をたくさんつくっておりました。中学校の二学期ぐらいから行けるんじゃないかなという見通しを持っていたんですけれども、夏休みにキャンプをクラスでしたときは参加できたんですけど、ですけども、二学期初日にはやはり来れませんでした。  しかし、諦めずに地道に家庭訪問を繰り返し、登校を強要したことはないです、寄り添っていくということを基本にして、とうとう累計の家庭訪問が二百回を超えたくらいのときに、突然本人から、先生、三学期になったら行きますということを言ったんですけど、にわかには信じ難かったです、これまでのことを考えると。ところが、中三の三学期の初日に本当に来れたんですね。そうしたら、卒業するまで一日も休まずに三学期を乗り越えることができて、最後、満面の笑みで卒業していったんですけど、私が不思議だったのは、どうして二年間不登校だったのか、二年間と二学期間不登校だったのかということを後に聞いたら、本人は、おなかの調子が悪いときが多くて、トイレに行くことがちょっと恥ずかしかったというくらいだったんですね。  やはり、それを聞いたときに、人それぞれだなと、不登校や欠席になってしまうということが人それぞれであるなと思ったんですけど、今回、KHJの皆様関係を持たせていただく中で、じゃ、やっぱりこれまでの自分自身の経験とかを照らし合わせたときに、引きこもりの方が自宅以外、自分の部屋以外のところで、どこで居場所とすればいいだろうかということを真剣に考えたんですね。喫茶店がいいだろうか、カフェがいいか、レストランがいいか、図書館がいいか、いろいろ考えたんですけど、その中で、私はこれがいいな、いいんじゃないかなと思ったのが博物館と美術館だったんです。  そこで、九州の国立博物館の館長に会いに行きました。そうしたら、博物館の館長は、引きこもりの方が来ることに対して支援をしてもらいたいとこっちは思っているんですけどいかがですかということを率直に尋ねたところ、館長はウエルカムですと言ったんですね。  で、ああ、物すごくうれしい気持ちになって、次に福岡市の美術館に行きました。福岡市の美術館の総館長はもちろん大歓迎ですということをおっしゃっていただきながら、これはもう何か明るい希望の光が差したような、そんな気持ちになりながらお話をお伺いしたときに、福岡市の美術館の総館長は、ここがなぜ引きこもりの方にとって居場所となり得るかという話を美術の視点でお話をなさったときに、ここには否定がないんですと、引きこもりの方々が、私もこれまでに、日本の社会の中で様々なことでくじけたりいわれなきことを言われたりしながら、自分自分を傷つけたりしていきながら、様々な形で苦しみやつらさを味わってきたその社会で、今現在、居場所として自宅の自分の部屋を、自宅を選んでいるというところのその苦しみを取り除いていくためには、美術館なんかは否定がありませんと、美術の鑑賞においてはどんなふうに思おうとその方の肯定しかありませんと、否定はないんですと。  しかも、そこにはガイドのボランティアの方がいらっしゃって、そのガイドのボランティアは、私は今まで美術館とか博物館何回も足運んでいきましたけど、ガイドのボランティアなんかは一方通行と思っていたんです。絵の説明をする、展示物の説明をする、そして聞く、それだけだと思っていたんですけど、違うらしいんですよ。言葉のキャッチボールをするんですというようなことをおっしゃっていただいたときに、これまさに、引きこもりの方がもし美術館に行くことができたならば、博物館に行くことができたならば、これは、今まで人が怖くて、そして傷つけられて、社会のいろんなところで傷つけられてきた方々にとっては大きな希望となり得るのではないだろうかということを思って、そのことを質問に入れたかったんですけれども。  これから先に、まずその引きこもりの方々に私たちが気を付けていかなければいけないのは、目標はこちらが決めるのではなく、当事者と家族の皆さんが決めていくということを十分考慮していきながら、家から一歩出るということを目標にしていらっしゃる方もおられますし、引きこもっていること自体はこれはこれでいいんだと思っていらっしゃる方もいる方に外に出ることを強要することはいかがなものかというのもありますので、その辺りはしっかりと踏まえた上で寄り添っていくというような観点を持って、しかし、その家庭以外にも、居場所としては、社会としては、これまでの反省を含めてしっかりと受け入れるという場所が居場所としてありますよというメッセージとともに、そういったところを整備して整えていくべきではないかと私は考えているんですけど、池上参考人の御意見、どうでしょうか。
  37. 池上正樹

    参考人池上正樹君) ありがとうございます。  とてもすばらしい寄り添い、下野先生の寄り添い力の御質問だと思います。  そうですね、百十五万人と、これはまあ推計値になるわけですけれども、もう一人一人それぞれ状況も背景も皆さん違うということになるんですけれども、やはり、ただ共通しているのは、やはり家以外に安心できる場所がないということで、もう家にいることで生き続けるという、そういう選択肢を取られているというところはある程度ベースとしては共通しているのかなと思うんですね。  不登校に関して言うと、やはり学校が安心できないということがあって、それもそれぞれ、教室だったりあるいは学校そのものだったりとかですね。ですから、まあキャンプとかそういうところには行けるけれども校門の中には入れないとかですね、あるいは教室にトラウマがあるという、もうそれぞれやはり違うわけですよね。  だから、そこはきちっとやっぱり尊重していかないといけないですし、家以外に、じゃ、どこに居場所を、安心できる場所というところだと思うんですけれども、下野先生のその事例に関して言うと、もうやはり安心できる、信頼できるということがもう大きなキーワードだった、その御本人にとってですね。やっぱり安心できたからそうやって、非常に時間は掛かったけれども、また出ていけるようになったんではないかなと思うんですよね。  そういうその安心できる居場所づくりに関してなんですけれども、これはKHJ家族会の方でも、昨年度、実態調査報告をまとめているんですけれども。これ、私個人が知っている当事者の事例を見ても、それはそれぞれ行ける場所なんですよね。出かけて、自宅以外に行ける場所なんですけれども、その行ける場所というのも、もう美術館、博物館というのも本当にそのとおりなんですよね。  それ以外に実は、図書館だったりとか、スーパーとか、駅の待合室とか、書店とかですね、もうそれぞれ皆さんにとっての実は居場所があって、そこは否定もされない、責められることもないというところで、でもそこにいると、話もしなくてもいいんですけれども、ただそこで人が行き来しているのを見ているだけでも自分は癒やされるんだという、そういう空間なり時間なりというのはやはりそれぞれの本人にとってとても大事な時間なのではないかなと思いますし、そういう場を今居場所という形で何かつくり出していくということですよね。  安心して行けるというところをやっぱりつくっていくということが大事になりますし、また、そこにいる人も安心、この方は信頼できる人だ、自分のことをきちっと受け止めてくれる、気持ちを理解してくれる、そういう人がいるということが分かると多分その人のところには行けるのではないかな。  でも、一方的に何も知らない人が訪問してくることに対しては非常に、もうこれ多くの当事者たちは証言していますけれども、非常に怖い。結局、ずっと周囲から責められ否定されてきたことの延長線でその支援者が同じことを言ってくる、親と同じことを言ってくるわけですね、外に出ろとか働けとかですね。もう非常に怖いからますます奥に引っ込んで、もちろん会うことも話すこともないということで閉じこもってしまって追い詰められていく。逆にむしろトラブルのきっかけにもなり得るんですよね。だから、その真逆のことですよね。  やっぱり、本人にとって安心できる人、信頼できる人、あるいは安心して行ける場所ということをいっぱいつくり出していくということが大事かなと思っております。
  38. 下野六太

    ○下野六太君 ありがとうございます。  貴重な御意見いただきまして、考えていきたいというふうに思っていますが、とかくそのアウトリーチ型でやっぱり家庭訪問に、まあ訪問をして行った場合に、まあ健康な方は成果を焦り過ぎるんじゃないかというふうに私は思っているんですけれども、やはりまずいきなり、顔見知りでない、仲が深くない人が訪問に行って、何か困っていることはないですかとか、何かお手伝いできることはないですかということを言っても、簡単には困っている内容も言えないだろうし、何かお手伝いをしてほしくてもそれも言えないだろうというふうに思いますので、まずはやはりその回数を重ねていきながら、相手の心情に寄り添った形の訪問をしっかり社会全体で、地域共生社会というところでみんなでやっぱりやっていくべきじゃないかなというふうに私は思っていますけど、いかがでしょうか。
  39. 池上正樹

    参考人池上正樹君) もうおっしゃるとおりでして、その本人にとってはその訪れてくる人がどういう目的で来たのかということはもう見透かされているんですね。その目的、目標というものが伝わった時点でもうアウトというかNGなんですよ。  むしろ、訪問する、アウトリーチするのであれば、目標ということをあえて持たないで行ってもらった方がいいと思いますし、実際に行かれたときももう短時間で帰る、名前を伝えるぐらいで、名前を覚えてもらうということぐらいは目標であってもいいと思うんですけれども、もうそれ以外は持たない方がむしろ、ああ、この人は何か違うな、人対人の関係という、だから自分を何か強要するということとは違う人なんだというふうに持たれるようなそういう関わり方ですよね、を考えて丁寧にやっていく方がいいかなというふうに思います。
  40. 下野六太

    ○下野六太君 非常に参考になりました。  私たちは、冷たいことを言ったりしたりして引きこもりの人をつくった体験は持っていなくても、社会を構成する一人として、日本のやっぱり社会をこういう社会にしてしまったという責任をしっかり感じていきながら、引きこもりの方に対してやっぱり温かいまなざしを持って寄り添っていくということをこれからしっかりやっていきたいというふうに思っています。  今日は勉強になりました。ありがとうございました。
  41. 芝博一

    会長芝博一君) 以上、下野委員質疑を終了いたします。     ─────────────
  42. 芝博一

    会長芝博一君) この際、委員異動について御報告をいたします。  本日、滝沢求君並びに馬場成志君及び進藤金日子君が委員辞任され、その補欠として足立敏之君、高橋克法君及びそのだ修光君が選任されました。     ─────────────
  43. 芝博一

    会長芝博一君) それでは、次に質問のある方は挙手をお願いいたします。  梅村みずほ委員
  44. 梅村みずほ

    梅村みずほ君 日本維新の会の梅村みずほです。よろしくお願いいたします。  本日は、藤原参考人池上参考人、そして澁谷参考人、それぞれ大変分かりやすいお話で、それぞれの御専門の分野について知見をシェアしていただきまして、ありがとうございました。  コロナによって、私たちも、通常に社会生活が送れていて日常で人との関わりのある大人たちも、人とつながれないということがいかに苦しいものなのかというのを経験したこの一年だったかと思います。そして、その人とのつながりというのが、テーマは違えど、認知症フレイル対策、引きこもり、ヤングケアラー、それぞれに共通している点と認識しながらお話を聞かせていただきました。  是非三名の参考人それぞれにお伺いしたいのですが、私は三名の参考人お話を聞いていて、全く違うテーマでありながら共通しているところも多いなというふうにお聞きしておりました。ですので、今日の御自身のお話の中で出てこなかったところでも、ほかのお二方のお話を聞いていて、ここはとても共通しているとか、ここは同じ課題があるとか、そういったそれぞれのお話を聞いての御感想であるとか、自分の御専門と絡めた視点でお話しいただければと思います。
  45. 芝博一

    会長芝博一君) それじゃ、藤原参考人お願いします。
  46. 藤原佳典

    参考人藤原佳典君) 非常に難しいあれでございます。いや、本当に、私、今日お二方の参考人お話を伺いまして、根底にあるものはやはりどうつながるか、つながるための場と仕掛けだなというように思っておりました。  今、現代は、高齢者であれどの世代であれ、余りいきなり濃密な関係というのはなかなか難しいわけでして、まあ緩い関係といいますか、斜めの関係というのが、どれだけそれをたくさんつくれるかなということが重要かなというように思います。  そういう意味で、例えば私どもがやっておりますような高齢者の学校ボランティアですとか絵本の読み聞かせといったようなものも、これは異質な人たちと異質な空間でつながるというところが一つのポイントかなと思っております。高齢者にとって、やはり老人クラブで一緒に仲間とわいわいというのは、これもう余り日常と脱しないわけなんですけれども、やはり保育園ですとかあるいは小学校といったところで、また子供主役のところで自分役割を感じる、あるいは自分の立ち位置を見るということで、異質な、そしてまた日頃余り接することのない学校の先生方というものが今どうなのかということも体感できるということで、より広く社会参加のきっかけになるんではないかなというように思います。  そういった中で、恐らく、何も元気な高齢者あるいは元気なボランティアさんが元気に活動しているだけではなくて、やはり訪問した学校には、それこそいろんな家庭環境の子もいますし国籍の子もいるといったことで、社会の多様性というものを七十歳になってから学べるというところがあるかと思うんですね。そういったものを始めから我々が座学で今の多様性はとか言っても誰も刺さらないんですけれども、自然な体験の中で、そういう機会の中でお互いのお互いさまというものを認識するんではないかなということを再認識しておりました。  先ほど、委員お話の、澁谷委員お話の中で、ケアラーの認知度が余り高くないというようなお話もありましたけれども、これ同様のことが、やはり高齢者からすると、高齢者施策からすると、いかにこの認知症の重要性というものを子供たちとか企業に知らせるかということで様々なキャンペーンをやっております。認知症のサポーターですとかキャラバンといったところで、特に学校なんかで出前授業なんかをサポーターの方がするわけなんですけど、寸劇をしたりするわけなんですけれども、私は、それで、やはり受入れ方の学校によって、校長先生あるいは学校によって、どんどんウエルカムなところと時間もったいないからみたいなところとがあるんですね。  そのときに、私はいつも高齢者側の、つまり地域包括支援センターですとか高齢者施策側の方に申し上げるのは、やっぱりそこがウイン・ウイン、三方よしですよと。高齢者認知症のことを子供とか学校現場に教えてもらったときに、学校現場がどういうメリットを感じてくれるかということなんですよね。それは、例えば、確かに道徳的なことも重要なんですけれども、私はいつも申しますのは、ケアのスタッフはいつでも、地域包括支援センターというのは学校からこの場所にあって、子供たちがSOSのときは飛び込んできていいんですよとか、ジャンパー着て巡回している私たちはいつも見守っているんですよというようなことの子供へのメリットをもっと出してくださいと申し上げます。そうすると、先生方も、ああ、なるほどといったことで、物すごくそこで結び付きというのが出てくると思うんですね。  やはり、今日のお話、お二方の先生方お話聞いていても、一方通行ではなく、やっぱり関係する人、つながりをつくるためにはお互いのメリット、先方のメリットを考えながら、全体として三方よし実現するようにしていくというのが、これは恐らくどの世代課題でも共通なのではないかなというふうに感じました。  以上でございます。
  47. 芝博一

    会長芝博一君) 続いて、池上参考人お願いします。
  48. 池上正樹

    参考人池上正樹君) ありがとうございます。  もう先ほどもちょっとお話ししたとおり、やはりこの現場はいろいろ、今、特にコロナということでなかなか御苦労も多いと思うんですけれども、どうしても取りこぼされてしまうということが起きている中には縦割りの弊害みたいなことがあって、そこでの連携というものをいかに取っていくかというところが、それぞれの困り事、複合的な課題の中にそういうものが隠れているというか、そういうものを本人や家族がそれを抱え込んでしまって、それが孤立への入口になっているのではないかということをもうつくづく実感しております。  そういう中で、いろいろお話ありました多様な選択肢ですね、やはり一つの道だけではなく、例えばこれまでのような、就労すれば幸せになるとか、そういう一つの道だけではなく、いろんな多様な生き方があるんだという、そういう希望のメッセージをいかに伝えられるかということがとても大事になってくるんじゃないかなと思っています。  その多様な選択肢をどうつくり出していくかというところでキーワードになるのは、自分のやりがいといいますか、やはり非常に引きこもる人って真面目な方が多いんですね。とても優しい方多いので、そういう人たちの特徴でもあるんですけれども、何か自分は、今まで自分は何も、関係性を遮断して、何か社会の迷惑になっていると思っていた、周囲からも責められていたという中で、でも、どこかで自分も役に立てるかもしれない、何かの役に、誰かの役に立てるかもしれない、そういう気持ちも実はとても強く持っていて、これは東日本大震災のときもこういう形で実際被災地の支援をされた当事者の方たくさんいらっしゃいました。  そういう、やっぱり自分の、役に立つ、そういう実感できるような何か役割というものが地域の中、それぞれの地域の中でつくり出せる、あるいは出会いの場、そういうプラットフォームの中でそういうマッチングということが、多様な選択肢というキーワードの中で、そういうことがそれぞれ可能になるんじゃないかなと。そういう社会の仕組みといいますか、一つだけではない、いろんな道筋をつくり出すということがこれからとても大事になってくるんじゃないかなと思っています。  それから、学校に関して、スクールソーシャルワーカーの存在というのも、まあ今は学校の要請がないとというお話だったんですけれども、やはりこういう寄り添える方の存在というのは、それぞれの学校の中で、私が知る限り、やはり不登校なりあるいはいじめなりいろんな問題がある中で、やっぱりそういう方が子供たちやあるいは学校の先生方の相談に乗れるということもとっても大事なのではないかなということを、これは実は今収録中のNHKドラマの「ひきこもり先生」という監修をする中でそういうことがあることを知りまして、スクールソーシャルワーカーの存在ですとか、今、不登校学級ということが実際各地でもつくられているということを、文科省の方針としてですね、あるという中で、そういう、今、多様性ということが、結構現場の先生方は大変な思いされている。ですけれども、でも、そういう、まず学校の場でそういうことが、子供たちの段階でそういう多様な生き方があるんだということがやはり生きる希望につながっていくんじゃないかなというふうにも思っています。
  49. 芝博一

    会長芝博一君) 続いて、澁谷参考人
  50. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) 澁谷です。  もしよかったら、藤原先生、四枚目のスライドを映し出していただくことってできますかね。済みません。  見たときに思ったんですけれども、こちらの社会役割が最高の生活機能というふうに書かれていたこれを見たときに、ああ、全てについて共通して言えるのが、この一番右のところを標準として社会がつくられていたからいろいろ大変になってしまっているのかなというふうに思ったんですね。  どう見ても、こちらが出ているということは、人の一生の中でこれは上がったり下がったりする時期があるのは、これは人の一生として当たり前のことで、場合によっては、自分が強く出られないときとか、引きこもりの方も、もしかしたら十全に社会役割、例えばその就労ということをキーワードにしたところですと、そうではないかも、それはちょっと難しいというところもあるのかもしれないのに、世の中がこの社会役割、最高の生活機能が果たせることを標準につくられていて、しかも目的が賃金労働するという就労というふうになってしまったときに、フレイルとか、あるいは藤原先生がおっしゃってくださったように、就労だけではなくていろんな役割があるかもしれないということをおっしゃったと思います。これは池上先生もおっしゃったと思うんですけれども。  やっぱり、その就労だけを見ていくだけではなく、例えば家族のサポートを役割としてしたいと思ったらそれが評価される仕組みとか、この必ずしも右の、一番右だけ、最高状態ではなくても、行ったり来たりする、基本的な動作能力から社会役割ぐらいまでの間を行ったり来たりすることを前提に、ケアを受けながらも自分がケアできる、人の役に立てるというふうにつくっていくことが大事ではないかと思いました。  以上です。
  51. 梅村みずほ

    梅村みずほ君 ありがとうございました。大変参考になりました。  それぞれにやはり共通するところがあるなと思いながらお伺いしていたんですけれども最後に言っていただきました澁谷参考人のケアを受けながら誰かの役に立つという観点では、私はやはりピアサポートというのも三つの問題に対して大変共通するところかなと思っております。  例えば、私は文教科学委員会に所属しておりますので、例えば、藤原参考人がおっしゃる場というのが学校であればいいな、あるいは学童保育であればいいななどと思いながら聞いていたんですけれども、一方で、GIGAスクール構想といいまして、デジタルを学校現場にということで一人一台端末が導入されています。子供たちが一台一台持っているこの中身、そして何をするかが大変重要だと思っています。  やはり、サポートしていただく方々というのは、上から目線で来られてもちょっと垣根を感じますし、共感というのがとても大事だと思っています。何か例えばアプリがあって、お悩みのアプリがありますって、子供たちがクリックすれば、家の悩み、学校の悩み、恋愛の悩み、体の悩みというふうに、ぽんぽんとクリックするだけで、あっ、家、ちょっと問題あるんだよなって探して見れる、つながって見られる先に掲示板のようなものがあって、私もこんなで大変だったよ、お母さんも昨日、死ぬ死ぬって言って大変でさ、分かるというふうに、吐き出すという場があればいいなとか、そこで共感が高まって、オフ会をやりましょうみたいな感じで、そのサイバー空間ででのミーティングであったりとか、そういう場があってというふうに、近いところでつながるというシステムができればいいなというふうに思っていました。  そうすると、例えば引きこもりの方は引きこもりの先輩という立場にもどんどんなっていきますし、ヤングケアラーの方はヤングケアラーの先輩として、新しくその悩みにぶち当たった方にアドバイスができる立場になるのではないかなと思っております。  そういった観点で、大変時間がタイトな中なんですけれども、一言ずつ、藤原参考人には、先ほど他の委員からデジタルの可能性とハイブリッドでというお話をお伺いしました。池上参考人澁谷参考人に、最後に、このデジタル、DX、こういったサイバー空間での可能性について一言ずついただければと思います。
  52. 芝博一

    会長芝博一君) それでは、時間が来ておりますので、池上参考人、簡潔によろしくお願いします。
  53. 池上正樹

    参考人池上正樹君) じゃ、一言だけ。  AIを活用したAIロボット、責められない、先ほどの、愚痴を聞いてくれる、そういうロボ、AI的なものの存在というのはいいんじゃないかなというふうに思っています。
  54. 芝博一

    会長芝博一君) ありがとうございます。  澁谷参考人
  55. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) デジタルの可能性は無限だと思います。特にやはりなじんだ世代ですので、それだけで割と親近感があったり、あるいは、声に出さなくて済むので、同じ空間にケアを必要な人がいる空間でも自分の気持ちを吐き出すことができるという意味でも効果的ではないかと思います。  以上です。
  56. 梅村みずほ

    梅村みずほ君 ありがとうございました。  終了します。
  57. 芝博一

    会長芝博一君) それでは、梅村委員質疑を終了いたします。  引き続き、質疑のある方は挙手を願います。  伊藤孝恵委員
  58. 伊藤孝恵

    ○伊藤孝恵君 国民民主党・新緑風会の伊藤孝恵です。  今日は、三人の参考人皆様、本当にありがとうございました。  私からは、澁谷参考人にお伺いをしたいというふうに思います。  私もヤングケアラー問題について勉強したいと思って、いろいろ調べ始めたのは二年前でした。国立国会図書館にもお願いしていろいろ資料を探してもらったんですけれども、なかなか発信をしている方がいらっしゃらない、ほとんどいない中で、澁谷参考人、貴重な貴重なお一人でした。今回、初のこの全国調査によって国内に推計十万人ものヤングケアラーがいるということが明らかになり、これが可視化されて、これをてこにこれから政策を推進していこう、このタイミングで本調査会にお招きできたこと、感慨を深くしております。  さて、日本というのは、大変ケアラーに冷たい国、ケアをする者というのが今まで視野に入っていなかった国と言っても過言ではないというふうに思います。子育てもそう、介護もそう、こういったケアラーに対する法律や制度というのを作ってきませんでした。しかしながら、参考人もおっしゃっていたように、社会というのはこのケアを度外視した働き方というのが標準になっています。そのしわ寄せがまだ幼い又は青春を謳歌すべき子供たちに行っているという状態、それが今回可視化をされました。  今、ヤングケアラーたちにとって家族、あなたにとって家族とはというふうに聞かれたときに、どういうふうな感情を抱くんだろうか、彼ら、彼女たちがこれから大人になって家族を持っていくとき、その家族観というのがこの日本の未来にとってもどういう影響があるのかというのを想像したりします。参考人の御所見をお伺いします。
  59. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) 澁谷です。  今御指摘いただいたところなんですけれども、やはりケアというのは、ある意味、その必要に迫られて相手と深く関わったり時間を共にするということがあると思いますので、ケアを通して家族のきずなを感じたり、結び付きを感じるというところも当然出てくるかと思います。  やはり、育児とか介護を通してそういう結び付きが出てくる、これは女性だけに限らず、例えば子育てに割と積極的に関わっている男性の方、あるいは男性介護者も百万人超えていると言われますけれども、やはりその人と一緒にいればそれなりの感覚というのがやっぱり出てきて、それ自体、やっぱり感情を何か耕すようなところがある、プラスの面も確かにあるかと思います。  ただ、やはり子供にとりましては、自分は、同世代との比較の中で、学校というのは、自分にできることを増やしていこうとか、体験や知識を増やしていこうというふうにしていく中で、何かすごく、自分自分のために使える時間やエネルギーを、家族のため、そして家事のためにかなり使っているぞというふうな認識がありますと、やはり家族というのが、まあいい面はあるんだけれども、重荷だなと思ってしまうところもやはり出てくるかと思うんですね。  やはり、世の中の在り方というものがケアを組み込んでいませんので、自分のために時間とエネルギーを使えた方が有利というふうなことになっていますので、そういう中で、ケアを抱え込んだ人は、子供を持って良かったけれども、やっぱり子供持っていない人と同じ成果を出すためにはこれだけの工夫をしなくてはいけないとか、やはり大人であってもそういうところは出てくると思うんですけれども、やはりそれを子供とか若者の立場でやる場合に、例えばケアを必要な人から離れるという選択ができたとき、十八歳とか二十歳とかになってできたときに、一人ってこんな楽なんだというふうに思う、一人って気楽だなというふうに思う場合も結構あるみたいなんですね。そういう感覚を家族に対して持っていると、やはり自分自身が家族を持つということに対してちゅうちょしたり怖くなったりしてしまうところがどうしても出てくるみたいなんですね。  そういう意味で、やはり家族というのが楽しいという経験ができるように、社会がもっとそういうふうに見せていかないと、若い人たちが結婚とか子供を持つことを重荷というふうに捉えている実態はあると思いますので、そこへの配慮は、何らかの工夫は必要だなというふうに思っております。
  60. 伊藤孝恵

    ○伊藤孝恵君 日本には、イギリスにあるようなケア法とか、又はケアラー支援法というようなケアラーを守っていくような、その立て付けとなるような、よりどころとなるような法律を持っていません。非常にこういったところも課題があるなというふうに感じた次第です。  今日いただいた資料の中で、特に九ページ、十ページ、今回、この子どもの権利条約の内容というのが踏襲されたヤングケアラー十六の権利というのは非常に参考になるもので、これ本当に日本版も要るのではないかというふうに思って見ておりました。特に、ケアすることをやめる権利というのが非常に私にとっては印象的でした。  当たり前ですけれども、大切な家族です。ですから、自分からケアをもうやめますと言うなんてなかなかできないんじゃないかというふうに思いますし、そんな自分を責める気持ちもきっと抱いてしまうんじゃないかと。そういったときに、この第三者のアセスメントによって、ケアを制限し、そして人の手に委ねるということが必要なんだというふうに伝えてもらう、そしてその支援をしてもらうというのが非常に大切じゃないかというふうに思います。そして、その際、決して罪悪感を抱かぬように、こういったスティグマの対策というのも必要なんだと思います。  この資料を拝見していて、やはり、あなたはヤングケアラーなんです、こういうことをしていたらあなたはヤングケアラーなんですというふうに気付かせるという一行があるというのは、やはりこういったヤングケアラーが自ら隠れている、隠されているのかもしれないし、その自体にも気付いていないということ、それを分かった人たちが作った資料なんだなというふうに思いました。  そこで、お伺いしたいんですけれども、このイギリスの事例のアセスメント、これは自治体がやるというふうに資料で拝見をしました。日本でいうと、イメージ介護認定のような、役所の方がやるのでは到底足りないんだろうかというふうに思います。  先ほど堂故委員の質問でも、スクールソーシャルワーカーとかスクールカウンセラーとか、そういった方々が業務を拡大するものなのか、はたまた全く別の資格者、全く別のスキルが必要なのかというようなお話がありました。  もし、参考人の中で、こういった方々の業務拡大でアセスメントをする人たちが養成できるんじゃないか、ないしは全く新しいものをつくった方がいいんではないかと、そういったイメージあればお聞かせください。
  61. 芝博一

    会長芝博一君) それでは、まず澁谷参考人
  62. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) それは今の日本で考えたときということでしょうか。はい、分かりました。  すぐにはちょっと難しいなと思っているんですけれども、やはりアセスメントを考えるときには、子供のことがある程度分かっているということは必要になってくるかと思います。やはり、例えば介護者のことについてはよく分かっているけれどもという目線だと、六十代の方にはそれが当てはまるかもしれないけれども、中学生にそれが当てはまるのかというときにちょっと難しいところもあると思うんですね。  例えば、自分でやる作業とマネジメントをやるところを分けましょうみたいに言って、それが六十代の方には機能するかもしれないんですけれども、マネジメントって何でしょうみたいな中学生とか、働いた経験はそこまでないのでみたいなそういう子にとってはちょっとそれだって難しいところがあると思いますので、まずは子供にとって、子供というものを分かっている人が、でも一方でケアについても知っていただかないと、あなたがやることじゃないのよみたいな感じになっていっちゃうのはまずいので、やはりケアについて知っていただいた上でそのヤングケアラーの話を丁寧に聞くことができる立場の方、ユースサポートとか、それからやっぱり子供をキャンプに連れていくような、あと学童保育、それから子供食堂、学習支援教室、その民間というような力をうまく連動させながらできたらいいのかもしれないなというふうに思います。  どうしても行政だと、限られた時間の中で成果を出さなくてはとなったときにすごく子供の生き方というのと矛盾するところがありますので、民間の活力をうまく使っていくところは必要かなと思っております。
  63. 伊藤孝恵

    ○伊藤孝恵君 今ちょっと話に出たイギリスでいうヤングケアラープロジェクトについてもお伺いしたいなというふうに思っています。  地域の大人が、まあ民間の力も含めてですけど、子供たちを支えようとして、それを行政が後押ししていく、そういう形でイギリスのヤングケアラープロジェクトというのは進展しているというふうにいただいた資料の中で学びましたけれども、日本でいうと、先生が再三おっしゃる子供食堂なんていうのの成り立ちと、ないし形態と似ているというようなお話でした。  今、子供食堂、まあみんな食堂と言っていいんでしょうか、いろいろある中で、その貧困の告白をするような場になってしまうというのでなかなか行くのが恥ずかしいとか行きにくいというような、そういう話もあり、本当に大切な場で、もちろんそこで学習支援もあり、栄養も取れて、つながりもできて、本当に大切な場なのに、なかなかそういうこのスティグマというのが発生してしまっているという実情もあります。  イギリスにおいてはこういったものをどういうふうに乗り越えていったのか、こういった課題はないのか、もし御存じなら教えてください。
  64. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) イギリスでも数多くの場所を見たとは言えず、私自身がちゃんと見たそのヤングケアラー支援の現場は三つなんですけれども、余りそういう意味では、スティグマというようなイメージを受けるところはなく、キャンプに行くとか、あるいは、いわゆるユースサポートみたいなものの一つの在り方としてヤングケアラー向けのものがあるというような印象を受けました。  なぜそうなのかなと思うときに、割とオープンに話せるような環境になっていたんですね。例えば、その学校の中でヤングケアラー研修会というのを、大体学校が始まるのが九月だとすると、九月か十月に全校に向けてやるときに、地域のヤングケアラー支援の団体の人が来て、ヤングケアラーの一日みたいなのを劇とかしながらやったときに、うわあ、大変そうな子がいるというよりは、ああ、そういうこともやっている子いるんだなというふうに割と感心して周りが聞いてくれたり、そういう雰囲気をつくるのかもしれないんですけれども、その話がされた後に一人壇の上に立って、僕はここの学校に通う中学二年生です、僕はお母さんをケアしていますみたいな話を割とできるようなところがあったんです。  日本ではまだすぐにそこまでは行けないと思うんですけれども、話をするということが怖いことでもなく、きちんとそれを受け止めてくれる人がいるということを、その体験を積み重ねて安心感を得た子供たちの中には、それを通して誰かもっと若い子の役に立ちたいと思う気持ちが出てくることもあって、そこをうまく使えたらいいなというふうに思うんですね。  なので、まずはやっぱり、誰でもというわけにいかないかもしれないんですけれども子供にとって安心できる人が丁寧に話を聞いて、その上で、話しやすくなってきた子供たちの力を使えるような仕組みがあったらいいかなと思います。
  65. 伊藤孝恵

    ○伊藤孝恵君 私も、そのヤングケアラーについてSNSとかで発信をすると、例えば、それって家庭のことは家族で解決するものだとか、ヤングケアラーってつまり家のお手伝いのことでしょう、昔はもっとやっていたんだよとか、そういうようなコメントが来ることも確かにあります。  そういう中で、なかなか、今回の全国調査で明らかになって、ここは本当にゆゆしいなと思ったのが、誰にも相談した経験がないというのは、中学二年生で六七%、高校二年生で六四%。この背景をベースとしたこの状態というところ、そこからそのヤングケアラープロジェクト、イギリスのようにオープンに話せる場、そこが安心できる場、たまに子供、ケアする責任感から解放されて楽しいことをする場、そのいただいた、もらった優しさを次の後輩たちにもバトンを渡していく場みたいな、そういうところになり得るためには、なかなか、その大人の側が変わっていかなきゃいけないんだろうなというふうにも思いますし、今回せっかく全国調査で明らかになったので、このヤングケアラーというのは、本当に今隠れていた、今までずうっと可視化されていなかった困窮者だと思います。  なので、見付けに行く施策というのも必要になりますし、情報を届けるというその場も、そしてそういった努力も、もうラストワンマイルが今切れていますから、そこをつなげる施策も必要ですし、もちろん話を聞く場、それからアセスメントをする、彼ら、彼女たちの心と体をメンテナンスする、こういうような細かいその施策というのが必要になってくるんだというふうに思いますし、既に、例えば既存の制度では、ヘルパーの今支援対象というのは障害のある当事者に限られています、この国の制度は。ヤングケアラーがその家にいたとしても、ヤングケアラーの洗濯物はよけられて、そして障害のある人たち、介護が必要な人たちだけの洗濯物を洗うというような、そういう立て付けになっています。  こういった介護保険におけるヘルパーの家事援助の利用要件というのは、ヤングケアラーのいる家庭にとっては緩和をするとか、こういったヤングケアラーも同時に援助をするというようなものを基準に加えていかなきゃならない。本当に、既存の制度の中にヤングケアラーというのが想定されていなかったから、いっぱいいっぱい直さなきゃいけないところがあるというふうに思います。  最後、どういうふうにこの社会で彼女たち、彼らを守っていかなきゃいけないか、澁谷先生に一言いただいて終わります。
  66. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) やはり、子供であるケアラーに対しては支援をすべきであるし、それが必要なんだという意識を持っていただくことが大事だと思います。  一方で、ヤングケアラーにとって楽しさというのもないと、やっぱり自分が一方的に支援される存在というのは肩身が狭いところでもありますので、ある意味、そのヤングケアラーであることを通して何らかの楽しいということ、あるいは、自分自分家族だけでは広げられなかった経験をこのようにして広げることができたとか、こういう世界につながったと思えるような機会をつくっていくことが大事ではないかと思います。
  67. 芝博一

    会長芝博一君) 以上、伊藤孝恵委員質疑を終了いたします。  引き続き、質疑のある方は挙手をお願いいたします。  岩渕友委員
  68. 岩渕友

    ○岩渕友君 日本共産党の岩渕友です。  参考人皆様、今日は貴重な御意見をいただきました。本当にありがとうございます。  まず、藤原参考人にお伺いをいたします。  私は福島県の出身なんですけれども、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から十年がたちました。震災とその事故の以前は、例えば三世代一つの家に暮らすような大家族だったんだけれども、何世帯にも分かれてしまうようなことになったという御家族の方たちもいらっしゃるんですね。災害公営住宅に入居をされた方もいらっしゃるんですけれども高齢な方が多いというのが実態です。  例えば、岩手県の災害公営住宅では、昨年九月末の時点で、六十五歳以上の方を含む世帯が六一・五%、独り暮らしの世帯が三三・七%になる中で孤独死が五十九名出ていて、仮設住宅の孤独死が四十六人ということで、それを上回って増えているという状況なんですね。この災害公営住宅でのコミュニティーの確立と高齢者方々への見守りというのは、これを強化するということが非常に重要な課題になっていると思います。  今、災害がもう毎年のように大規模なものが起きる中で、こうした状況というのはどこでも起こり得ることだというふうに思うんですけれども、その災害時に孤独であるとか孤立といったものを起こさないためにどういったことが必要だというふうにお考えか、お聞かせください。
  69. 藤原佳典

    参考人藤原佳典君) やはり、災害時でも、災害後ですね、いち早くコミュニティーが復活できるかどうかというのは、これ物理的に違うところへぼんと飛ばされるとなかなかそれはちょっと時間が掛かるかと思うんですが、基本的には同じ生活圏域内ですと、元々やはり、我々の領域で言いますと地域のソーシャルキャピタルと言いまして、地域社会関係の資本、いろんな人たちがつながっているといったようなところで非常に協調性のあるような地域はまた復活しやすいというようなことは言われておるんですけれども、やはり物理的に遠いところへ行ってしまったとなったときに、やっぱりそこは少し時間は掛かるかとは思うんですけれども、もう一度もう新たなコミュニティーをつくるような、それこそ協議会といいますか地域のミーティングみたいなものをつくっていくというところが必要かと思います。  私は、若干ですけれども、当センターが気仙沼市さんと協定を結んでおりまして、いろいろ行き来させていただいているんですけれども、やはりあそこも復興住宅でかなり元のコミュニティーが崩壊して、一から町会や自治会も立て直しみたいなことに直面されたわけなんですけれども、やっぱりそうなると、新たなやっぱりコミュニティーをつくるための協議会なんかをつくっていくと。そのときも、やはり私は大事なのは、できるだけ、数は少なくてもいろんな世代が入っていただくと。高齢者が例えば六割だったとしても、そこに、何といいますか、子供、子育て世代ですとか学校とかそういったところも入ってやっていかないと、どうしても、高齢者同士での相互支援というのは、もう時間が来るとやっぱりお互いドロップアウトしていったりとか、なかなか手薄になって持続可能な部分が難しいかと思います。そういう意味では、できるだけ全ての会にいろんな世代が入っていただくということがやっぱりこれから重要なんではないかなと思います。  やっぱり、若い世代が少しでも入っていると、数は少なくてもその方がいろいろ発信されたりとか、また、ママさんあるいはパパさんのネットワークで人を連れてきたりというようなこともありますので、先ほど私もプレゼンテーションのときに、いろんな世代が関わっている方がクオリティー・オブ・ライフが高いということをお示しいたしましたけれども、これは基本的に、災害時であろうが災害後であろうがコロナ禍であろうが、やはりいろんな世代の方が少しずつ関与しているというのが、こういう地域をつくっていくということがこれから持続可能性あるいは発展性という意味で重要だと思いますので、決して役所の方も縦割りで高齢福祉課だけとか教育委員会だけというんではなくて、もうともかく過疎地というのはある意味では役場の人間も顔の見知ったる方々ですので、縦割りを崩そうと思えば崩しやすい環境だと思うんですね。そこに町会も自治会も、皆さん顔の見える方が多いわけですので、できるだけ全世代型のコミュニティーをつくっていくということがこれから大事なんではないかなと思います。  以上でございます。
  70. 岩渕友

    ○岩渕友君 ありがとうございます。  実際にはなかなか、高齢な方が多くて、例えば自治会のなり手になる方そのものもいないというような状況もあるんですけど、やっぱりいろんな世代が入っているということが非常に重要だというふうに思うので、そうなるような、何かいろいろ、そもそも高齢者だけになっている背景というのもあるので、そういったものを一つ一つ解決していくということも必要かなというふうにも思っています。(発言する者あり)
  71. 芝博一

    会長芝博一君) ちょっと待ってください。質疑でいいですか。
  72. 岩渕友

    ○岩渕友君 じゃ、済みません。
  73. 芝博一

    会長芝博一君) じゃ、藤原参考人
  74. 藤原佳典

    参考人藤原佳典君) 本当に岩渕委員おっしゃるとおりでございまして、やはり若い世代が何を、じゃ、地域に寄与できるのかといったところだと思うんですね。  一つは、やはり今、現役世代の方が、プロボノ活動といいますか、現役世代のスキルを生かして、データイムは難しいとしても、例えば夜ですとか休日とかにホームページで何かやり取りをするとか、あるいは、休日以外の、休日を使って何かできるような、余り負担の掛からないような形で、入口で入っていくと。そうしている中で、だんだん仲間意識が入っていって実際のコアメンバーになるというようなパターンもこの頃大分期待されて、見られている事例もありますので、いろんな若い世代を取り込む手法というのはこれから多々アイデアが出てくるかと思います。
  75. 岩渕友

    ○岩渕友君 ありがとうございます。  次に、池上参考人にお伺いをいたします。  今日配付されている冊子にも紹介をされているんですけれども、昨年、NHKで、引きこもりをテーマにしたドラマであるとかドキュメンタリー番組の特集が放映をされて、ハッシュタグこもりびとという名前で立ち上げたサイトには、当事者の方や御家族の方からの声がいろいろ寄せられたというふうに聞いています。  それで、引きこもりのきっかけということでいうと、今日お話にもあったように、学生時代のいじめであるとか暴力が多いということだったんですけれども、それだけにとどまらずに、例えば社会に出ても職場のパワハラがあったり、人間関係があったり、病気になったり、例えば長時間労働なんかがあったり、そのきっかけというのは非常に多岐にわたっていて、これ、誰にでも起こり得るということなのかなというふうにも思うんですね。  参考人の資料、事前にいろいろ目を通したんですけれども、成果を求める支援はなじまないんだというふうに述べていらっしゃるんです。同時に、引きこもるということは経済的損失でも生産性の問題でもないというふうに述べていらっしゃるんですね。こうした点から、どういった支援が必要だというふうにお考えかということをお聞かせいただきたいことと、ただ生きていてほしいと思える考え方がもっと当たり前になるような世の中になってほしいというふうにも述べていらっしゃるんですね。これ、非常に重要だと思うんですけれども、そのために必要なことについて考えをお聞かせください。
  76. 池上正樹

    参考人池上正樹君) ありがとうございます。  「こもりびと」ですね、ドラマが非常に、当事者たちからも、御家族からもやっぱりすごく自分事として結構見られた方が多くて、非常に好意的に受け止められているのかなと同時に、一般方々にも、引きこもりって何かこういうことだったんだということが結構理解も広がるきっかけにもなったのかなという、そういうドラマだったと思います。  あそこで描かれていることも、実際に実話というか、ドラマなんですけれども実際にあった日記が基になっていたりとか、結構随所随所に出てくるエピソードもリアルな話が結構凝縮され盛り込まれていたと思いますし、ですから、御覧になった方々は皆さんそれぞれにとって自分に置き換えられて見られたのではないかな、そういうことが今社会でやっぱり起きていること、そういう不安な状況の中でいろんな引きこもる要因というのがいろいろなところで起こっている、そういう社会なんではないかなということではないかなと思います。  どんな支援をということなんですけれども、やはり、先ほどちょっとお話ししたような、寄り添うということですね、これは、もうやっぱりずっと責められてきた、否定されてきたということが繰り返し続いてきたということで、非常に追い詰められているという、また、あるいはもう諦めてしまっているという、そういう御本人にとって、やっぱり自分も何か役に立てたりとか、何か自分が必要とされている、自分も生きていていいんだ、生きる価値があるんだという、そういう、やっぱり認められる、肯定されるということが、そういう環境なり接し方が必要なんではないかなと思っています。  そういう意味では、やっぱり生きる、生きていていいんだと思えるような、そういうサポートということが大事なんですけれども、まあ今はなかなか、家の中にいてほかの人とは交流を断ってしまっているという状況であれば、やっぱり家族が唯一接点が持てるということでいうと、まずはその御家族家族はそういう引きこもる本人を隠したがって知られないようにして、またそれで地域で埋もれているという状況がもう今全国たくさんあるので、そういう御家族方々にやっぱり呼びかけて、まずは相談に乗って、そしてその御家族がやっぱり本人にどうアプローチするかということ、アドバイスできるかというその接し方がとっても大事になってくるんですね。  その本人が元気になる、また、生きてみようかなと思えるような意欲を、生きる意欲を持てるような、そういうふうになってもらうために、御家族役割ってとても大事なのではないかなと思います。で、それは生きるということではないかなと。そういうメッセージですね、あるいは選択肢が必要、そういう寄り添う、家族に寄り添う、そういう寄り添い力というのが大事なんではないかなと思っています。
  77. 岩渕友

    ○岩渕友君 ありがとうございます。  次に、澁谷参考人にお伺いをいたします。  ヤングケアラーというと、介護だけではなくていろいろなことを担っているということだと思うんですけれども、ちょっと介護の問題で、介護の人材不足によって介護を受けたくても受けることができないというような実態もあって、そうなると、御家族の負担が増えて、例えば介護離職せざるを得ないというようなことになったり、両親に代わって子供たち介護を担うということになるのがこのヤングケアラーにつながっているということだというふうに思うんですけれども、そう考えたときに、介護の制度そのものをもっと充実させることが必要なんじゃないかなというふうに考えるんですけれども参考人はどのようにお考えでしょうか。
  78. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) 可能ならもっと充実した方がいいなというふうには思います。  恐らく独り暮らしの高齢者であったらもっとサポートされたかもしれないところが、家族がいるという点をもってそこが十分にいかないと、結局家族も余裕がない中で、この時間帯は、じゃ、子供がみたいな感じになってくることも当然起きてくるんですね。  で、すごく、やはり家族の中に健康な人がいてその人が世話をできるというイメージというのが根強いと思うんですけれども、それって本当にそうなんだろうか。働かなくてはいけない、それから子供の世話もしなくてはいけない、自分ももしかしたら病院に行かなきゃいけないかもしれないという中でケアをするというのがむしろ標準的なイメージとしてつくっていったときに、そうすると、ケアをすることをサポートするような体制というのをもっと用意していくことが大事になってくるのではないかと思っています。  そういう意味では、おっしゃったように、介護体制の充実というところはケアをすることへのケアというところで、そこも支えないとみんな共倒れになるかなと思います。
  79. 岩渕友

    ○岩渕友君 ありがとうございます。  今日は、お三方から貴重な御意見をいただきました。本当にありがとうございました。  以上で終わります。
  80. 芝博一

    会長芝博一君) 以上、岩渕委員質疑を終了いたします。  引き続き、質疑のある方は挙手を願います。  浜田聡委員
  81. 浜田聡

    ○浜田聡君 浜田聡です。所属政党NHK党、参議院の所属会派はみんなの党です。  三人の先生方、本日は貴重な御意見いただき、ありがとうございました。  せっかくなので、三人の先生方にお聞きしたいと思います。  まず、藤原先生にお聞きしたいんですね。  今後の健康寿命延伸の可能性についてお聞きしたいと思います。  今から六十年前、一九四七年には平均寿命が五十歳だったとどこかの発表でもあったと思います。現在では、日本では、男女差はあるものの、大体平均寿命が八十歳、健康寿命が七十歳ということで、大幅に進歩していると言えると思います。  私、現在、医師としても活動しているんですけれど、十数年前に病院で臨床実習が始まりました。その頃に上の指導医の先生から聞いた言葉として七十歳はまだまだ若いというのがあって、その当時は大変新鮮味を感じたんですが、その後の医師としての研修であったり労働する中で、その言葉の意味は大いに実感するところでございます。  健康寿命延伸には、先生、多大に貢献されていると思います。その貢献をされている先生にお聞きしたいのは、今後更に健康寿命どれぐらい延びていくのかという、その可能性について御見解をお聞きしたいと思います。
  82. 藤原佳典

    参考人藤原佳典君) 非常に難しい御質問なんですけれども、確かに最近の研究なんかでも、疫学研究なんかでも、この過去十年間、あるいはその前後と比較しまして高齢者の方の心身機能が更に十歳若返っているというようなデータなんかもできておりまして、そういう意味では、今の高齢者世代の方はまあまあ、でももう少し延びる可能性はあるんではないかと。  ただ、何といいますか、やはりこれからの若い世代、あるいは今、中年に差しかかった世代の方なんかですと、ある栄養学の専門の先生なんかからいいますと、割とたんぱく質の摂取が案外この見かけよりも低くて、今の若い世代ですね、将来、今の高齢者が健康寿命が延びたほど今後ちょっと延びれるかどうかは分からないといった、栄養面からの心配を指摘されている声も聞こえております。  ですので、やはり基本的に栄養と運動といったような現役世代の健康課題を、いかにこの生活習慣病のコントロールなんかをうまくしながら、その六十五歳以降は認知症フレイル対策という具合にギアチェンジをしていけるかというところだと思うんですけれども。  その入口のところの、まだ六十五歳以上になってからもずっと生活習慣病だけにシフトしていったりとか、あるいは健康の課題を整理せずにそのまま、若い世代の頃から栄養状態が余り良くないまま高齢に入っていくというようなことのアンバランスがあると、もう余り健康寿命の延長というのは期待できないんではないかなと思いますので、いずれにしても、その中年ぐらいでギアチェンジする、生活習慣病対策から介護予防フレイル予防対策にギアチェンジしていけるかどうかというのが大きな節目になるんじゃないかなと思います。
  83. 浜田聡

    ○浜田聡君 ありがとうございます。今後の可能性についてはいろいろあると思いますけど、健康寿命延伸という社会変化に合わせた政策考えていけるよう心掛けていきたいと思います。  次に、池上先生にお聞きしたいと思います。  いわゆる引きこもり状態にある方々地域差についてお聞きできればと思います。  先生のいただいた資料にありますとおり、引きこもり状態になる要因には各人様々であると記載がありまして、そのとおりだと思いました。その中で、住んでいる人の環境というのが大きな要因になるのではないかなと想像しているんですね。池上先生、千人超の引きこもり状態にある方々にインタビューされた、ことでして、現場をよく御存じだと思います。  そこでお聞きしたいんですけど、肌感覚で結構ですので、引きこもり状態になりやすい地域差、例えば都市部であったり、あるいはいわゆる過疎が進みつつある地域、あるいは離島など、引きこもり状態へのなりやすさ、あるいはなった人々の特徴の違いなど、地域によって違いあるようでしたら、その見解をお聞きしたいと思います。
  84. 池上正樹

    参考人池上正樹君) ありがとうございます。  基本的には地域差というのはなく、もう全国どこに行っても引きこもりの当事者の方っていらっしゃるというのがもう前提としてあるかなと思っています。  その上でなんですけれども、これは本当に肌感覚の話ですけれども、やはり都会と違って、都会だとまだ、コンビニ行ったりとか、歩くこと、歩いても余り人目に知られないで済むんですけれども、過疎地なんか、過疎地とか離島とかは特にそうなんですけれども、やはり外に出ただけでもう周囲からそういう目で見られるというんですかね、あれ、今日はどうしたのみたいな感じで、そういう、責められてしまうという、あるいは行くところがない、特に離島なんかですとそういう居場所も支援の場もないみたいなことで、非常にもう、もう本当に家から一歩も出れないような状態に追い詰められているという、そういう相談というのは実際に来ていますので、そういうやっぱり受けられるサービスなり支援の差みたいなこともあるのかなと思います。
  85. 浜田聡

    ○浜田聡君 ありがとうございます。  どの地域でも引きこもりになりやすい、なる可能性はあるということをお聞きしつつも、やはり地域ごとに違いがあるということを分かりました。地域ごとに合わせた政策など考えていけるよう心掛けていきたいと思います。  最後に、澁谷先生にお聞きしたいと思います。  日本においてのヤングケアラーという言葉についての是非をお聞きしたいんですね。  つい先日、政府の実態調査の結果が出ました。中学生だと十七人に一人がヤングケアラーだということで、その重大性に驚いております。この重大性を私としてはできるだけ多くの人に共有していきたいなとは思っているんですけど、一方で、このヤングケアラーという言葉だと、その重大性がなかなか伝わりにくいんじゃないかなという感じもするんですね。別に横文字が駄目と言っているわけではなくて、世界に先駆けて英国が対策をしてきたと。その言葉をそのまま伝えても、国民への伝わりやすさというのが日本と英国では違いが出るんじゃないかなと思うんですね。例えば、このヤングケアラーという言葉をその実態を考慮して命名してみると、ちょっと極端なんですけど、若者介護奴隷などですね、表現する方が重大性としては伝わりやすいんじゃないかなと思うんですね。  そこでお聞きしたいのは、このヤングケアラーが日本に定着した経緯であったり、その言葉の是非について御見解をお聞きしたいと思います。
  86. 澁谷智子

    参考人澁谷智子君) 澁谷です。  まず、ヤングケアラーという横文字で日本に入ってきたのは二〇一〇年代になってからかなという気がしますけれども、二〇〇〇年代には在宅介護を担う児童という言葉で紹介されていたんですけれども、何かぴんとこなくて、何かそのままにスルーされてしまった。それが時代を経たときにヤングケアラーと横文字になって、割とメディアの方々がそれは何だろうと思ってくださったというところがあるかと思います。  それから、若者介護奴隷でしたっけ、やはり私、ヤングケアラーという言葉を考えていくときには、当事者が自分を表す言葉としてちゅうちょするような言葉ってあってほしくないなと思うんですね。ヤングケアラーというイメージも、過酷とか、かわいそうとか、大変とか、苦労というだけですと、自分がヤングケアラーと言ったら家族に悪いなとかですね、そういうイメージになってしまう人も多いわけですね。自分がヤングケアラーと言ったら周りの大人が責められるんじゃないかとか、うちの家族が問題抱えているように見られるんではないかというふうになってしまうことは嫌だなと私自身思っています。  そういう意味で、言葉は大事なんですけれども、やはり当事者にとって使いやすいものであること、あるいは当事者が使うか使わないかを選択できるものであることが大事だと思っていますし、やはりツールであるべきだなと思います。
  87. 浜田聡

    ○浜田聡君 貴重な意見ありがとうございました。  いろいろと私の提案の意見、いろんな意見があると思います。先生の書かれた「ヤングケアラー」という本ですね、私のアマゾン・キンドルの方にも入っておりまして、今読ませていただいております。今後、先生が出す書籍のタイトルに先ほどの言葉もひとつ検討していただければと思います。  私の方からは以上でございます。ありがとうございました。
  88. 芝博一

    会長芝博一君) 以上で各会派の一巡目の質疑は終了をいたしました。  予定の時刻も近づいてまいりましたので、参考人に対する質疑はこの程度といたします。  参考人皆様に一言御礼を申し上げます。  皆様には、大変お忙しい中を長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  それでは、本日はこれにて散会といたします。    午後四時十一分散会