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高良鉄美君 沖縄の風の
高良鉄美でございます。
私からも、幾つか
意見と希望等を述べたいと思います。
最初に、コロナの
関係とか
オンラインの話がずっと出ておりましたので、多くの希望としてやはり
オンラインというのがあると思います。その
オンラインというのは、せっかく
オンラインでやるんだったら、現場と
オンラインでやると。つまり、海そのものと向かい合っておけるような
オンラインの、公聴会なりの、こういう、何ですかね、
意見を聞くということが非常に重要かなと、もしやるんであればですね、それもプラスしていただきたいなと思います。
あと、一番最初に、やっぱり海のこの
安全保障の問題で尖閣列島よく出ましたけれども、私も
中国で、山東大学というところでちょっと講演をしたら、その質問が通訳されませんでした。何で通訳していないのか、この質問をと言ったら、いや、ちょっとやりにくいということで、じゃ、どんな質問なんだと聞いたら、尖閣は琉球のものかという質問でした。何だということで、ちゃんと通訳してくださいということで、当たり前だろうと答えてくださいと言ったんですね。
それは当たり前だろうと言ったのは、それは沖縄にとっては歴史的にずっとそうであって、そういう情報があって当たり前だと思っていると。しかし、
中国の学生の皆さんは、
中国でいえばエリートですから、大学生、大学院生、自分で調べたんですかと。要するに、どこかから情報が入ってそういうふうになってしまったのと。だから、あなた方は、もしちゃんともう
中国の中でそういうことを調べているんであれば、私と一緒にちゃんと
議論をしましょうということを言ったら、物すごい、何ですかね、和んだんですね、逆に。だからやっぱり、どこから情報が入って、現場でどうなっている、そして、そういったやり取りをちゃんとやっていくことが大切じゃないかなと思いました。
そして、
日本列島、沖縄のずっと南まで長いんですけれども、北海道から。特に
最後の与那国のところは、自分の八重山郡の石垣島よりもずっと
台湾が近い。そして、この
台湾が近いところで、
台湾が見えるので、与那国町の役場には、与那国が映っている
台湾、そもそもですね、大きなのが映っているんですけれども。やっぱりその距離感とともに、
日本からいうと与那国のこの先はもう
外国ですね。
そうすると、
航路としては、与那国からすると、普通に行って、関税なども、非常に簡単に税関できたら非常にいいんですけれども、それがなくて那覇に行かなきゃいけないと、もうずっと離れたところに行かなきゃいけないと。だから、内航と外航という話がありましたけれども、そこら辺も非常に、昔から、いわゆる戦前からずっと付き合ってきた海との
関係では全く違うんだということも御
理解いただきたいなと思っております。
そして、尖閣の問題ずっと続きますけれども、むしろ尖閣は、沖縄の方からいうと、貿易のため、交易のための島だったんですね。要するに、
中国に持っていく、それで向こうからまた持って帰る、あるいは
中国の方から来ると。こういう形ですので、海の道という言い方をしますけれども、この大交易の時代の、琉球の大交易の時代のその中の存在であったということがあるんで、やはり平和の海にしようということでお話をしているわけですけれども。
安全保障の問題もそこはそこで一つは重要かもしれませんが、別のルートとしてやっぱり
外交、海の
外交みたいなものをきちんとやった方がいいんじゃないかなという私は
意見を持っています。
それからもう一つ、
海洋博というのが四十五年ちょっと前ぐらいに沖縄でありました、一九七五年ですね。この
海洋博のときには、
海洋資源ということも当然あって、それから、海の牧場というのもここでもお話をお聞きしたんですけれども、やはり漁業を海の中でやるということで、牧場、囲ってやっていくようなものが作られていたんですね、構想として。これから恐らくそういう養殖、いろんなものがあるんでしょうけれども、今回、漁業そのものというのが余りなかったかなというのもありまして。
海、今回の私の感想としては、もう本当にいろんな
分野を改めて見させていただいたな、お聞きしたなと、もちろん
安全保障だけじゃなくて
環境ですね、
環境、それから
海洋開発、そういったものをいろいろお聞きしたものですから、とても良かったなと思いました。そういった
意味で、また今後もこういう
機会いただけたらと思いました。
取りあえず
感謝と希望を申し上げます。ありがとうございました。