○川田龍平君
立憲民主党・社民の川田龍平です。
今回の閉会中審査、
コロナ集中ということですが、八月十五日に七十六回目の終戦記念日を迎えるに当たり、戦争によって多くの尊い命が失われたことを
思いをはせ、また、
コロナ禍において改めて命の大切さを
思いつつ、人間の尊厳について関連する
質問をさせていただきたいと
思います。
あした八月六日、七十六回目の広島原爆の日ですが、広島への原爆投下直後、いわゆる黒い雨を浴びた住民八十四人全員を被爆者と認め、被爆者健康手帳の交付を命じた広島高裁の判決に対し、国は上告を断念して、七月二十九日に判決が確定しました。
これに先立ち、七月二十七日に
内閣総理
大臣談話が閣議決定されました。談話では、判決には重大な法律上の問題点があり、
政府としては本来であれば受け入れ難いものと述べる一方で、八十四名の原告の
皆さんと同様な事情にあった
方々については、訴訟への参加、不参加にかかわらず、認定し救済できるよう早急に
対応を検討するとしています。
高齢化が進む被爆者救済の観点から、原告だけでなく、原告と同じように黒い雨を浴びた人たち、そして広島だけでなく長崎で原爆の被害に遭われた
方々も高裁判決と同じ水準で救済する枠組みをつくることが必要であると考えています。
また、戦没者遺骨のDNA鑑定についてですが、
厚労省は今年の十月から、遺留品などの手掛かり情報のない戦没者遺骨の身元特定のために
地域を限定せずにDNA鑑定を実施する予定で、鑑定を
希望する御遺族からの申請を受け付けることになっています。
これに先立ち、ようやく、これもずっとこの
委員会でも要求し続けてきましたが、これに先立って、沖縄、硫黄島、キリバス共和国のタラワ環礁で収容された遺骨について試行的にDNA鑑定を実施し、これまでにタラワ環礁の二柱と硫黄島の二柱について御遺族との間で身元が特定されました。
そこで、重要になるのは御遺族の
方々への広報の在り方です。六月下旬に沖縄、硫黄島、タラワ環礁の戦没者の遺骨の身元特定に向けて鑑定を
希望する遺族を募集しているという
厚生労働省の広告が
全国紙及びブロック紙に載り、七月下旬には沖縄の地元紙二紙にも、ようやくこれも要求して掲載されました。インターネットになじみが薄い高齢者への広報手段として評価できると
思いますが、遺族の
皆さんは高齢化しているために一刻の猶予もありません。戦没者の遺骨のDNA鑑定が行われることを全ての遺族が知っている状態になるよう、ありとあらゆる手段として広報すべきだと
思います。
新聞広告を何度も出す、それから地方
自治体の広報紙に掲載をしてもらう、ポスターやリーフレットを作る、遺族に出している郵便物や年金のお知らせに載せるですとか、高齢者にとっては早朝のラジオ放送というのも有効だと
思います。いろいろな手段が考えられますが、そして、今年の八月十五日の
全国戦没者追悼式、これなかなか、参加者を絞って開催するということですが、この
全国戦没者追悼式の総理
大臣の式辞、そういったものに
是非このDNA鑑定のことを盛り込んでいただきたいと
思います。
今年二月一日に
東京新聞に掲載されました記事によりますと、硫黄島で収容されたDNA鑑定によって身元が判明した二柱のうち一柱、これは三十四歳で戦死をした鹿児島県出身の吉尾均さんのものでした。大阪市に住んでいた吉尾さんの息子の修一郎さん、この方は、生後三か月のときに父親が召集されたために写真でしか父親を知らなかったそうです。それでも父親を探そうと硫黄島での遺骨収集に二十一回参加され、昨年の夏も二十二回目の遺骨収集のために硫黄島へ向かう予定でした。しかし、新型
コロナの影響で諦めざるを得なかったといいます。修一郎さんは、その後、肺がんで
入院をして、昨年九月に七十七歳で亡くなりました。DNA鑑定によって遺骨と修一郎さんの遺伝情報が一致したのは、その三か月後の昨年十二月のことでした。
二〇一六年に施行された戦没者遺骨収集推進法には、戦没者の遺骨を収集、収容し、本邦に送還し、遺族に引き渡すことまでが国の責務であると記載されています。帰りを待ち望む遺族の元に一日も早く遺骨を返さなければなりません。
黒い雨訴訟の上告断念と
内閣総理
大臣談話を踏まえ、
厚労省として今後地元の県や市とどのように連携して
対応に当たられるのか、長崎の被爆者への
対応も含め、今後の
方針とスケジュール感を
是非お
示しください。また、戦没者の遺骨を遺族の方たちが御健在のうちにお返しするため、広報の在り方を
全国戦没者追悼式の式辞も含めてどのように考えているのか、いずれも
厚労大臣の見解をお聞かせください。