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吉良委員 官僚が用意されたメモを読まれて、でも、間違っていない、そのとおりだというふうに
思いますが、私、その中で反応したいのは、やはり生きる力だと思っています。もうちょっと突っ込んで言うと、生き抜く力だというふうに思っています。
私自身、NHKの番組で「ワイルドライフ」とかそれから「ダーウィンが来た!」とか、ああいう自然物というのは本当に大好きなんですけれども、生き物
たちが必死で生きていくための行動、これはいつも自分だったり人間に当てはめて感動します。
そういう意味で、こういう文明が発達しているからなかなかそうは行き着かないですけれども、究極の
目的は、大事な
子供たちに対して生き抜く力をつけるのが
教育なんだろう、その
目的なんだろうというふうに思っています。
それをブレークダウンすれば、人間性、人間力を高めて豊かな人生を歩んでいけるようにする
教育だったり、また、ある意味で、それをバックアップするための経済的自立、その力をつける
教育だったり、また、そういうところに行き着いたというか、それらを含めて、その次には、その人
たちが生きる地域社会、国に貢献できる人材を育てていく、こういうことなんだろうというふうに
思います。
この、今私が申し上げた三つの生きる力ということについては、また機会を改めて議論をさせていただきたいというふうに思っていますけれども。
私は、先ほど、冒頭に少し、社会的
課題を解決すると大上段に構えましたが、二つばかり、時間があれば、一本に絞りますけれども、その社会的
課題を解決するということについて、少しお願い、提案をしたいことがあります。
それは、時に
子供たちが残念ながら自殺したり、引きこもったり、それからいじめがあったりということがあります。これは子供の世界もそうですけれども、大人の世界でも、日本社会、日本文化っていいところが山のようにあるんですけれども、一方、私自身が徹底的に排除したいと思っているのは、世間の価値観で生きていくという生き方なんです。
自分の価値観、自分の生き方ではなくて、常に世間を意識して、世間の価値観に自分を合わせていこうとする。このことが窮屈で窮屈で、ある人
たちに言わせれば、それを同調圧力という言い方をしていますけれども、この世間の価値観に自分をあえて適合させて、好きでもない生き方、好きでもない
考え方、好きでもない行動なのにもかかわらず、世間の価値観に合わせて生きていく。これが日本社会の中の大きな
課題だというふうに思っています。
そういう意味で、これを、さっき言いました、
子供たち、
児童生徒一人一人に丁寧に向き合う中で、自己肯定感、そして、世間の価値観ではなくて、おまえの、あなたの価値観で生きていけというふうに持っていく、そのような
学校文化、
教育文化にしてもらいたいというふうに思っています。
大臣、世界的によく言われるジョークなんですけれども、タイタニック号じゃないですが、大きな船舶が航行していて座礁する、船が沈むという場面があって、このまま船の中にいたらみんな死んでしまうから、船長が、それぞれの国民、民族に向かって、すぐに海に飛び込め、こういう指示を出すんですね。そのときに、例えば、アメリカ人に向かっては、ここで飛び込めば英雄ですよ、イギリス人に対しては、ここで飛び込むのが紳士ですよ、それからドイツ人に対しては、ここで飛び込む規則になっています、イタリア人には、ここで飛び込めば女性にもてますよ、こう言って飛び込ませるわけですね。
日本人に対しては何て言われるか御存じですか、これは
質問通告にないんですけれども。御存じないですか。分かりました。私の方で言わせてもらいますと、実は、日本人に対しては、みんな飛び込んでいますよなんですよ。想像ついたと
思いますけれども。やはり、これが日本社会だというふうに思っていまして、これがある意味、伸び伸びとできない理由の
一つだ、このように思っています。
これも自分のことで恐縮ですけれども、私、会社派遣ですけれども、ブラジル留学したことがありまして、何でブラジルかというのは、日本と真逆の価値観がある、いい意味でも悪い意味でもいいかげんな中で、それでも生きていける、社会が成り立つというか、そういう世界に身を置きたかったということもあるんですけれども。
日本人の場合は、とかく花をきれいに飾ろうと思ったらそれが華道になり、お茶をおいしく飲もうと思ったらそれが茶道になり、極めて荘厳ないい文化なんですけれども、一方では、全てが堅苦しくなって、型にはまらないととなって、本当に息苦しいというふうに思っています。
これも、私がアメリカにいた頃に、娘が三人いて、それぞれ保育園だ、幼稚園だ、
小学校だ、
中学校だ、高校だ、行っていたんですけれども、びっくりしたのが、
小学校五年の娘の卒業式。アメリカの場合は、州によって、またその中のカウンティーによって
小学校が五年だったり六年だったり、高校が三年だったり四年だったりしますけれども、五年が卒業時、日本でいえば、我々の時代は「仰げば尊し」を歌う、それに相当する歌が、何と、あなたはあなた、私は私、違いがあるからいいのよという歌なんですよ。それを
小学校五年のときの卒業式でみんなで歌うんです。
こういう意味で、私は、
子供たちが大人になって伸び伸びと自分の能力を発揮していくためには、先ほど言いました、世間の価値観に合わせていこうではなくて、自分は自分でいいと自己肯定感を持って、自分の価値観で生きていく、その土壌をつくる。これも、少
人数学級化で、
子供たち、
児童生徒一人一人に向き合える、非常に大事な側面ではないかというふうに私は思っているんです。
そういう意味で、
法律の中に盛り込むわけにはいかない、それはよく分かっていますけれども、
大臣を先頭に、文科省でこれに関わる方々、また、文科省が指示、命令するというようなことではないと
思いますけれども、こういうことも大事だよね、共有していこうねというような、
是非、雰囲気をつくるか、
大臣の何らかのメッセージで発していただきたいと思っているんですが、いかがでしょうか。