○菅家
委員 自民党の菅家
一郎でございます。
よろしくお願いいたします。
三月十一日、
東日本大震災からちょうど十年を迎えるということになりますが、改めまして、犠牲になられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、御遺族の方々、いまだに避難を余儀なくされている方々に心からお見舞いを申し上げたいと存じます。
当時を振り返ってみますと、私は会津若松の市長をさせていただいておりまして、
震災直後に大熊町の当時の渡辺利綱町長さん方が市長室へお見えになって、要請がありました。その要請の中身は何かといいますと、まず初めは、子供たちが分散して避難をされていると。進級、進学、入学の時期、三月ですから。ですから、会津若松市にある学校
施設が空いていれば、学校
施設を貸してほしい、こういったのが実は最初の要請でありました。当然ながら、合併して、合併の後の統合した小学校とかがあって、廃校的な
施設もありましたので、早速提供させていただいて、会津若松市に幼稚園と小学校と中学校が開設された経過があります。
ですから、子供たちだけではなくて、やはり
保護者の
皆様、多くの大熊の方々が会津若松市に避難されてこられて、七千人を超える方々が本市に避難されてきた経過があり、それで、会津若松市に大熊町の役場、出張所が開設されることになるわけであります。この開設に当たって、やはり、果たして戻れるのかという、
原発事故で、大熊町、皆さん本当に不安の中で、本当に戻れないんじゃないかと言いながら、新たな役場ができてスタートになったのが、今でもそのときの忘れられない思いがよみがえってきております。
それから十年たって、戻れないだろうという、もう夢も希望もない、不安の中にあった大熊町の方々にとって、十年。今まさに、役場庁舎ができたわけですね。そして、特定
復興再生拠点区域として、様々な、この間の土曜日、菅総理と視察に同行させていただいたわけでありますが、本当に大熊町、商業
施設開設の流れがあったり、それから住宅とか、よみがえっていましたね。まして、これは分かりやすい事例だと思うんですよ。
この十年間で、
復興庁の歴代のやはり
大臣の方々と
復興庁の政務三役の
皆様、
復興庁の職員の
皆様、そして
関係省庁の
皆様方の御尽力の成果だな、私はそう肌で感じており、心から御礼を申し上げるとともに、私も、
復興庁の設置法等の一部を改正する法律案、十年延長の法案に携わることができたことは、これは誉れであり、ありがたく思っており、これからも引き続きしっかりと
復興に貢献してまいりたい、このように考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
さて、今年は東京オリパラの年ですね。
やはり、国としても
復興オリパラというテーマで取り組むということで、私、
福島県をインターネットで検索すると、その検索した中の写真等、
福島県という写真を見ると、いまだに
震災当時の写真なんですよ、ほとんどが。
原発事故の写真であったり、壊滅的な
状況の写真が上位にたくさん載っているんです。あれをやはり世界の方が御覧になれば、まだ
福島県はこういう
状況なのかと誤解されるように、私は実は心配しているんですね。
ですから、このオリパラ、まさに
復興オリパラの中で、十年たって、もうよみがえっているんだ、
震災から深刻なダメージを受けて壊滅的な状態から今はよみがえっているんだ、そういうことも伝える絶好の
機会に私はすべきではないか、そう思うんですね。
ですから、三月二十五日ですか、
福島県からスタートしますよね。これはやはり注目度が高いし、あるいは、オリンピックの開会式等、世界中のマスコミがこれを取り上げる、こういうときに、まさに
復興オリパラとして、このよみがえったような、これは映像なのかしら、どういうふうに、まあ、マスコミも
連携を取りながら、しっかりと
復興というののアピールにつなげていくべきだ、このように考えますが、
大臣の御決意と具体的な
取組について、また、
復興オリパラで、食材がありますよね、
福島県の食材、こういったのも選手村の食材に使ったらどうかなんという、
復興オリパラの一つに今まで検討されてこられましたが、その辺の一連の
取組についてお示しをいただきたいと思います。