○荒井
委員 大臣、ありがとうございます。
是非
検討に着手をしてください。JR貨物、あるいはJR北海道の立て直しという観点だけではなくて、JR貨物が本当に伸びていくのには、今、流通革命とか、そういうものが急速に伸びているんですね。一番付加価値の高いのは、新鮮な
水産物なんですよ。トラック輸送が非常に発達したのは、水槽のまま運ぶ輸送形態、輸送革命みたいなものができ上がったからなんですね。それにJR貨物は追いついていけなかった。
その一番最初が、私は牛乳だったと思いますよね。牛乳なんて一番プリミティブなものなんだけれども、一番付加価値の高い
水産物、北海道で発生する
水産物を輸送できなかったということが、私は、競争として勝てなかった原因なんじゃないか。一番付加価値の低いジャガイモだとかタマネギだとかしか、輸送する、そういうものが残っていなかったというところにJR貨物の大きな課題があるのではないだろうか。新幹線で運ぶ、新幹線だけではなくて、普通の列車ででも貨物が運べるような、そういう規制
改革というものを是非やるべきだというふうに思います。
それともう
一つ、ほくれん丸の件で、あのとき物すごく苦労したのが内
航海運の規制なんですね。内
航海運の規制ぐらい、これは恐らく日本で一番強い規制なんじゃないかと思うんですけれども、新規参入が物すごく厳しかった。しかし、あのときにいろいろな人の知恵をかりて、
協力も得て、ほくれん丸の一号、今度二号まで、第二号が建設されるみたいですけれども、そういうことも踏まえて、是非、JR貨物が海運に関しても関心を持っていくという
改革、それが必要なんじゃないかなというふうに思います。
さて、次に
コロナ対策について話をしたいと思います。
コロナ対策は、今、日本の抱える、いや、世界が抱えるかもしれません、最大の安全保障問題であります。コロナにかかわらず、検疫というものの歴史をひもといていきますと、私は歴史が好きなものですから、歴史を調べてみますと、二代目か三代目の衛生
局長が後藤新平だったんですね。
当時、後藤新平は、衛生
局長のときに、精神薄弱の人を、裁判で証人ができるかどうか、あるいは精神薄弱の人たちの人権というものをどう考えるのかということを一番最初に提起した人だったんですね。そのことが裁判でも問題になって、結局彼は衛生
局長を棒に振ります。牢屋に入っちゃうんですけれどもね。それで、役所も辞めてぶらぶらしていたときに児玉源太郎に呼ばれて、日清戦争が終わって二十三万人の将兵が中国大陸から戻ってくる、この二十三万人の将兵の検疫をしなければならない、その責任者になってくれないかということを頼まれるんです。
当時、検疫だとか何だとかといううるさいことをやるのは、陸軍の将兵が戻ってくるわけですから、森鴎外だったんですよね。森鴎外という偉大なるお医者さん兼軍医さんだったんだけれども、児玉源太郎はこの後藤新平に頼むんです。そのとき、後藤新平は、一切全部自分に任せてくれ、一切余計なことは耳に入れないでくれといって、それを引き受け、三か月で二十三万人の検疫をやるんです。
一番最初にやったことは、瀬戸内海の離島と言われている島三つに検疫所を造るんです。大阪だとか神戸だとか東京だとかじゃないんです。検疫をするのは離島じゃないと駄目だ、真っすぐ港に入れちゃ駄目だといって、そこで検疫施設を造ります。そして、その次に、北里柴三郎を呼んで、どうやったら殺菌あるいは消毒というものができるのかということを
検討してもらうんです。結局、その当時は、熱消毒、熱湯消毒ということになるんですけれども、それでどのぐらいの
効果があるかということを北里柴三郎に調べてもらいます。
当時、北里柴三郎も、東大病院で東大の教授とけんかして追い出されて、多分、福沢諭吉に
支援を受けていたんだと思いますけれども、彼も後藤新平と相通ずるところがあったんでしょうか、分かったといって、彼はその消毒の仕方を研究します。結果的には世界
水準のボイラーを造るんですけれども、そういうことをやって、二十三万人、三か月で検疫をいたします。
この検疫の状態を見て、当時最も進んでいると言われていたドイツの皇帝が、日本に負けた、検疫の
技術については我が国を凌駕したと言ったという話が残っており、また、結果的には、それまで、幕末につくられた不平等条約で外国人の検疫はできなかったんですね。外国人から入ってきていたんです。それを平等条約にする機運が高まり、これならできるだろうということで、不平等条約の改定に進んでいくんです。
検疫だったんですよね。この例に、私は、本当の
意味で、今の厚労省なり、あるいは旧内務省と言われている役所がこの事例を本当に学んでいるんだろうかと。政治家も行政官も歴史に学ぶ必要があるし、歴史観を持つ必要があると思うんです。
その
意味で、残念ながら、この間のクルーズ船を横浜に着けるなどということを後藤新平が知ったら、烈火のごとく怒ったと思いますね。あるいは、この話は厚労省だけの話だから厚労省がやっていればいいやといって、結果的にはCOCOAがずっと機能していないのも知らない。それは、厚労省、忙し過ぎますよ。そういう
状況で放っておかれたというようなことも、日本全体がコロナの対策のために邁進しているのかということを疑わしめることにつながっていったんじゃないでしょうか。
今、日本は、
コロナ対策の
水準からいくと、世界全体で四十番目か五十番目ぐらいだと言われています。そのぐらい、世界的な標準から見れば、
技術的にもあるいは政策的にも劣っているというふうに見られているんだろうというふうに思います。
長々と話をして恐縮だったんですけれども、その
意味で、私は、
国交省も、これは厚生省の仕事だ、これは何とかの仕事だというのではなくて、貢献できることがあれば積極的に貢献していく、積極的に臨んでいくということが今求められているんじゃないだろうか。
その
意味では、下水道というのは、世界各国で、下水道を使ったPCR検査をすることによってある
程度の感染の
状況というのを把握している。一番成功しているのはオーストラリアです。オーストラリアはこの数か月間、感染者ゼロです。そういう
状況をつくり出したのが、下水道のPCR検査だと思います。
私は、この間、昨年十二月に、下水道部長にかなり厳しく、荒っぽい言葉で話をしましたけれども、そのことが効いたのか、あるいは、
大臣が引き受けていただきましたので
大臣からの話があったのか、下水道の検査についてホームページで掲載をされ、また、
委員会も行われるようになりました。
それを見ると、東北大学の大村教授というのが既にノロウイルス対策で過去に実績を持っているんですね。これ、使わない手はないですよね。下水道部長、どうですか。