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野田(毅)
委員 冒頭、今、
新藤先生がおっしゃった、全くそのとおりで、できれば、この
憲法審査会は、政治的なことは横へ置いて、純粋に
憲法論議を真面目にやろうじゃないかということで始まったと思っています。
私は久しぶりに
発言をさせていただくんですが、私が最初に
国会に議席をいただいたのは昭和四十七年なんですよ。そして、初当選して、その翌年、田中内閣でしたが、予算が上がって最初に田中当時総理がおっしゃったのが、実は小
選挙区制なんです。我々一年生が呼びつけられて、何で小
選挙区かという話を言われたのは、
憲法改正なんだということでした。
ちょうど私どもが当選したときには、沖縄返還、それから日中国交正常化、とりあえず戦後は一段落した、しかしまだ残っているじゃないかというのが、靖国神社の国家護持の問題と、それから
憲法改正だったんです。
爾来、
憲法問題は、折に触れて、いろいろありました。そういう中で、ほとんど私も、政治活動の中で
憲法問題とは、中心にいたこともあります。いろいろな場面で
検討しておりますが、ただ、総じて感じますのは、まずは前文から本当は変えなきゃいかぬのですよ。
釈迦に説法と
思いますが、
日本国憲法は、よくポツダム宣言をというのだけれども、それもありますが、一番根本は国連憲章なんですよ。
国連憲章は、ドイツが終わった後、そして、直ちに、当時のいわゆるユナイテッドネーションズ、連合国が、そのまま同じユナイテッドネーションズということで国際連合ということに、日本語名は変えたけれども英語は変わっていないんですね。そして、国連憲章ができたのが、二十年の、沖縄戦の直後ですよ、六月二十六日に調印されております。
したがって、そのときはまだ、だから、旧敵国条項があるのは当たり前であって、だから、ソ連を含めて、言うなら善玉、悪玉の二分法の中で、悪玉連中が再びよからぬことをやるなら敵国としてやっつけるぞと。そして、ソ連を含めて善玉連合だったんですね。これを受けて作られているのが、
日本国憲法の前文であります。
ただ、その後、もう既に翌年には、チャーチルが鉄のカーテンということで表現したように、既に第二次大戦が終わって一年後には、米ソの冷戦構造がどんどん広がってきた。
だけれども、
日本国憲法ができた当時は、まだまだ、中国は中華民国です。中共政権ができ上がったのは昭和二十四年です。そして、朝鮮半島はどうか。まだまだ混乱状態であります。まだ統一した統治機構はありませんでした。昭和二十三年になって初めて、李承晩率いる韓国が宣言をし、そして、それから一か月遅れて、金日成の北朝鮮が建国を宣言する。まだ朝鮮戦争が始まる前なんです。そのときにできた
憲法であります。
そして同時に、占領国、GHQの支配下にありますから、日本の
国会で決めても、マッカーサーの指令に基づいてそれは覆されたわけで、
基本的に
主権はなかったわけです。天皇陛下でさえ覆されるわけですから。
だから、そういう中で、言うなら
主権回復ということが日本の悲願であった、統治権をいかに戻すか。それが、昭和二十七年、御承知のとおり四月二十八日に、沖縄については、非常に、沖縄の気持ちからすれば、そのときに切り離されたという
思いがあります。
そういう中で、要するに
憲法は、当時からいろいろ
議論がありましたが、自民党は、だから、鳩山内閣ができて、まさに結党の原点が自主
憲法制定だった。この中には、ある程度恨みがあります。日本国として、外国から押しつけられた
憲法は、言うなら日本の矜持からすれば許し難いものがあるから、自主
憲法制定が柱でした。
しかし同時に、その後、冷戦になり、時代は変わってきました。今、そういう意味で、昔と同じ
憲法にしようという人はほとんどいないと
思います。それよりも、当時の時代
環境と随分変わりました。米ソの冷戦構造も終わった。そして、ソ連も崩壊をした。いろいろな国際
環境が変わった。朝鮮半島の情勢も変わっている。経済力も安全保障
環境もみんな変わっている。あるいは、国内問題でも新たな課題が出てきている。
今の
憲法の条項を、成文
憲法ですから、英語で書いた
日本国憲法、これは変わっていないんですよね。だから、今、日本が行っていることは、英語で書いた
憲法と全然違うことをやっているわけですよ。成文
憲法ですから、これはどういうことだ、日本はいいかげんだねと。書いてあることとやっていることが全然違うじゃないかということは、安全保障の問題もそうです。
ただ、我々が若い頃は、自衛隊、今は戦車とみんな言っていますが、当時は特車と言っておったわけです。それから、階級だって、大佐、中佐、少佐とやっていたのが、今は一佐、二佐、三佐。いろいろ言葉をちょっと変えて、いろいろ工夫している。
それは当然、我々は、
憲法あって国滅びる、
国民滅びるというわけにいかないという現実があるだろうから、言葉は悪いけれども、解釈改憲のオンパレードで今日までやってきた。それは、私学助成にせよ何にせよ、みんなそうなんですよ。
ですから、本来なら、時代が変わったのなら、もう余り昔に戻るとかそんな話じゃなくて、冷静に、世界の情勢がみんな変わっているんだから。そういうことで、本当は
与野党を超えて、政局を超えてやらなきゃならぬ、今、そういう時代になっているんじゃないのと。私は、本当にそう
思いますね。そうでなければ、一体、
日本国憲法って何じゃいな、書いてあることとやっておることが違うぞと、成文
憲法なんですから。そのことを、釈迦に説法とは
思いますけれども。
まあ、我が党はみんな分かっているとは思うんだ。だから、本当はしなきゃいかぬのは分かっておるけれども、少し遠慮ぎみに、せめて四
項目ぐらいはどうかねぐらいで恐る恐る出しているのが今の
現状だ。だから、本当に根っこからどうなのということを
議論してほしいというのが、少し時間が過ぎたかもしれませんが、まだ申し上げたいことは本当は山ほどあるんだけれども、ちょっと時間の関係がありますから、この程度にしたいと
思います。
ただ、残念なのは、
憲法がどうかということを今決めているのは、政治じゃなくて最高裁なんですよ。最高裁が違憲か合憲かを決めてしまっている。それはまあ、そういうことですよね、
憲法体系は。だけれども、本当にそれでいいのかということでもあるんですね。
だから、同じ文言の中で、条文は変わっていないんだけれども、合憲だったものがいつの間にか違憲になっちゃうということになるということであれば、今後、あらゆるものがみんな、
現状を政治的に
判断をした結果ということになるんじゃないか。そうなると、今のままでいくと、超法規
措置ということが必ず出てくる。
今の
憲法の中でどうしても変えられないのは、四十五条と四十六条、
国会議員の任期だけは
数字が入っておりますので。
数字が入っているものは、なかなか解釈改憲ができない。ここだけはやはりしておかなきゃいかぬですね。
いろいろな
問題点がありますので、ちょっと問題提起だけ申し上げて、
発言を終わります。
ありがとうございました。