○小田原
委員 余り一覧表には出てこない貸し借りがそれぞれあるということでありましょう。
次に、個別の国とのおつき合いに関して質問させていただきたいと思います。
さっきの
小熊委員、辻
委員からも多少同様のお話がありましたが、
セルビア、
ジョージア共に地政学上大変デリケートで重要な位置にあるようにお見受けしますし、特に
ジョージアに関しては、私たち
日本人にとって、恐らく、二〇一五年の、グルジアを
ジョージアと呼び直しますと言われるまでは、グルジアというのは旧ソ連の国が独立したんだなぐらいの
認識しかなかったと思います。ただ、
ジョージアと読み直すんですよ、なぜならみんなが
ジョージアと呼ぶのが普通だからですよと言われて、本当にすとんと納得した人が
日本人に多かったのかどうか、疑問に思います。
元々、自称、これはエンドニムというそうですが、
ジョージアの人たちは自分の国を
ジョージアとは言わず、サカルトベロ、カルトベリ人の土地、これは中部カルトリ
地域が紀元前六世紀ぐらいまではギリシャ文明とは無縁であったというところから来ているというふうに思います。それがなぜ
ジョージアになるのか。
また、
ジョージアと呼ぶからですよと我々は六年前に説得されましたが、
ロシア語読みでは今でもグルジアと呼ぶわけですから、なぜグルジアを
ジョージアにしなければいけなかったのか。そこには、恐らく強烈な、南オセチア戦争を始めとする反ロ感情があったというふうに思われるわけであります。
ただ、これまた辻
委員からありましたけれども、
ジョージアは中部のゴリがヨシフ・スターリンの出生地でありますから、ソ連と極めて結びつきの強い、また、当時は共産党員が大変多かった国だというふうに
認識しています。それが、なぜ、手のひらを返したように、二〇〇八年から
ロシアと断交しているのか。これも我々にはなかなか分かりにくいところであろうと思います。
国名、他称、これはエクソニムというそうでありますが、これは恐らく、元々ギリシャ語のゲオルギオス、ゲオはジオグラフィーのジオですね、大地。大地の人たち、転じて農民というのが語源だというふうに思います。
先ほど辻
委員からワインの発祥の地というお話がありましたが、それ以前に、小麦、ライ麦の最も有効な品種の育成地であったということがあるようでありますので、恐らく、ギリシャ文明の人たちから見ると、このカルトベロというのは、農産物を持ってくる人というところからエクソニムがグルジアになり、またそれを、
ロシア語読みが嫌だから
ジョージアになったということなのであろうというふうに思われます。
ただ、引き続き残るのは、なぜこんなに
ロシアと仲が悪くなったのか。だからこそ、私たちにとっては、地政学上、大変大事な
パートナーになり得るということであろうと思います。
元々、
ジョージア人、中心的な人たちが王国をつくったのが紀元前六世紀にコルキス王国というのが民族的にでき上がりましたが、ローマ帝国に紀元前六五年に征服されて属国になった。それから、
ロシアに攻め込まれ、
ロシア革命のときは一旦独立宣言をしてグルジア共和国ができ上がるわけですが、一九二一年に赤軍に侵攻され、ソ連になったという
経緯があるというのが背景でありましょう。
また、ヨシフ・スターリンが本当にグルジア人の代表だったかというと、ここにも疑問が残り、スターリンは一八九九年から神学校をやめて革命家に転向した。つまり、本当に根のマインドセットを持ったリーダーだったかというのは、クエスチョンマークのまま今に至っていたということではないかと思います。
さて、このように極めて複雑な、かつ、元々南オセチア戦争が二〇〇八年に起こったのも、アルメニア人、オセット人、そしてグルジア人という少なくとも三つ以上の人たちが
共同に暮らしている中で、どの政権が国をリードしようとも、そこに強い反感を持つ人たちが残りやすいという性質があったのではないかと思わざるを得ません。
さて、現在、
我が国と、また、
一帯一路の重要なルートとなるとも思われる地点でありますから、
投資額は日、中、今のところ拮抗しているというふうに
認識をしております。この
条約を通じて、
我が国の対
ジョージア外交の方針や、特に戦略について教えてください。